義仲寺
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義仲寺 | |
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所在地 | 滋賀県大津市馬場1-5-12 |
位置 | 東経135度52分48.7秒北緯35.002917度 東経135.880194度 |
山号 | 朝日山 |
本尊 | 聖観音菩薩 |
中興 | 佐々木氏 |
地図 |
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義仲寺(ぎちゅうじ)は、滋賀県大津市馬場1丁目にある単立(天台宗系)の寺院。山号は朝日山。本尊は聖観音菩薩。境内全域が1967年、国の史跡に指定されている。
歴史
この寺の創建については不詳であるが、源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。寺は別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺と呼ばれたという記述が、すでに鎌倉時代後期の文書にみられるという。戦国時代に荒廃したが、天文22年(1553年)頃、近江守・佐々木氏によって再興された。当初は石山寺の配下であったが、江戸時代には園城寺に属した。
俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび滞在した。無名庵で句会も盛んに行われた。大坂で亡くなった芭蕉だが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺志により義仲墓の横に葬られた。又玄(ゆうげん)の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名。その後、再び荒廃した同寺だが、京都の俳僧蝶夢が数十年の歳月をかけて中興する。1793年には盛大に芭蕉百回忌を主催した。
昭和期、敗戦後に再び荒廃壊滅の危機に瀕する。1965年(昭和40年)に再興された折に園城寺・三井寺円満院より独立し、単立の寺院となった。再建資金は、篤志家の寄進による。再建に尽力したフィクサー三浦義一と文芸評論家保田與重郎の墓所でもある。
文化財
- 史跡(国指定)
- 義仲寺境内 本堂である朝日堂、芭蕉翁を祀る翁堂、翁の宿舎無名庵、粟津文庫、木曽八幡社、巴地蔵堂など
- 衣冠束帯姿で矢を持つ義仲の木像が安置されている。
- 伊藤若冲の描いた天井画15枚12種類が翁堂にある。形式から見て、現在信行寺にある花卉図天井画と一具だったと考えられる。両者は元々石峰寺観音堂の天井画であったが、幕末に破却され、花卉図は寺外に流出した。翁堂天井裏にある墨書によって、安政6年(1859年)6月、大津栄屋町の魚屋通六によって寄進された[1]。現在は、デジタル技術によって忠実に複製され[2]、一般公開されている。
所在地
- 滋賀県大津市馬場1-5-12
その他
- 月曜日は休館日(史料館)
脚注
- ↑ 辻惟雄監修 『若冲の花』 朝日新聞社、2016年9月30日、pp.62-63、ISBN 978-4-02-251416-5。
- ↑ 伝匠美 - 義仲寺翁堂 天井画15面