ヴェルスパ大分
ヴェルスパ大分 | |
---|---|
原語表記 | ヴェルスパ大分 |
呼称 | ヴェルスパ大分 |
クラブカラー |
赤 白 |
創設年 | 2003年 |
所属リーグ | 日本フットボールリーグ |
クラブライセンス | (未承認) |
ホームタウン | 大分県由布市、大分市 |
ホームスタジアム |
216px大分市営陸上競技場 216pxだいぎんサッカー・ラグビー場Aコート 佐伯市総合運動公園陸上競技場 日田市陸上競技場 |
収容人数 |
大分陸=16,000 大銀サA=3,000程度 大分佐伯=5,000 日田=不明 |
運営法人 |
特定非営利活動法人 大分スポーツ&カルチャークラブ |
代表者 | 清原栄二 |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
国籍 | 日本 |
---|---|
格付 | 特定非営利活動法人 |
専門分野 | 教育系 (スポーツ) |
設立日 | 2011年5月26日 (法人認証日) |
代表者 | 清原栄二 |
活動地域 | 大分県 |
主な事業 | スポーツクラブ運営、地域スポーツ振興 |
郵便番号 | 879-5521 |
事務所 | 大分県由布市挾間町鬼瀬16-1 |
ヴェルスパ大分(ヴェルスパおおいた、Verspah OITA)は、大分県由布市、大分市をホームタウンとするサッカークラブ。日本フットボールリーグ(JFL)に所属する。2013年シーズンまでの旧称はHOYO大分(ホーヨーおおいた)等。
主要実績は、第13回全国クラブチーム選手権全国大会準優勝、第13回全国クラブチーム選手権九州大会優勝、第1回・2回大分市長杯優勝、第16回全国クラブチーム選手権準優勝、平成21年度九州各県決勝大会優勝など。
Contents
概要
大分県を拠点とする金属部品メーカーの豊洋精工と人材派遣会社のソイテックスジャパンの社員によるサッカーチーム「HOYO FC」として2003年に発足。2011年に運営母体を由布市の豊洋精工挟間工場(デジタル一眼レフカメラの基幹ユニット生産工場。大分キヤノンの協力会社の一つ)内に事務所を置く特定非営利活動法人「大分スポーツ&カルチャークラブ」に移管した。現チーム名の「Verspah」(ヴェルスパ)は、チームカラーである「赤」を意味するポルトガル語の「vermelho」(ヴェルメリオ)、温泉(別府温泉などにちなむ)を意味する英語の「spa」(スパ)、旧チーム名の「HOYO」の頭文字の「H」を組み合わせた造語である[1]。
ジュニアチームU-15の他、女子チーム・HOYOスカラブFCをかつて保有していたが、2013年になでしこチャレンジリーグへの昇格が決まったものの、チームの事情により同年度限りで自主撤退、活動停止となった[2] 。その後、一部選手・有志により「ヴェルスパ大分レディース」を新チーム扱いで結成し、大分県女子社会人サッカーリーグに加盟している)。
なお、同じ大分県がホームタウンの大分トリニータと区別するため、一部メディアでは「V大分」と表記される場合がある。
エンブレムは、赤白の3本線と周囲の白い模様は「おんせん県おおいた」の温泉を、中心部の山は由布岳・鶴見岳・高崎山を、下部の花は大分県の県花の豊後梅をそれぞれ表現。
チーム名変遷
- 2003年 - 2004年:HOYO FC
- 2005年 - 2009年:HOYO Atletico ELAN
- 2010年:HOYO Atletico ELAN大分
- 2011年 - 2012年:HOYO AC ELAN大分
- 2013年:HOYO大分
- 2014年 - :ヴェルスパ大分
歴史
発足から九州リーグ時代(2003年 - 2011年)
2003年8月に「HOYO FC」としてチーム発足。当時のチーム名の"HOYO"は豊洋精工の「豊洋」に由来する。2004年、大分県社会人サッカーリーグ加盟。創設時から九州サッカーリーグ昇格を目標に活動を展開していた。2005年、岩本昌樹ら元Jリーガーを数名補強し、活動を強化。同年、挾間町(現在の由布市の一部)のジュニアチーム「アトレチコエラン」と合併し「HOYO Atletico ELAN」にクラブ名を変更。チーム名の"Atletico"はポルトガル語で「スポーツの」、また"ELAN"は「飛躍」を意味している。
2009年には前年から指導に携わっていた元日本代表で鹿島アントラーズや大分トリニータなどでプレーした増田忠俊がプロ契約[3]で監督に就任。選手では鳥栖より長谷川豊喜、千葉より田中淳也らが加入した。8月の全国社会人サッカー選手権大会・九州大会と天皇杯大分県予選敗退での成績不振を理由に増田氏に代わり同年からGKコーチを務めていたブレノ・バレンチンが監督に昇格した。大分県リーグで優勝を果たし、引き続いて2010年1月9〜10日に開催された九州各県リーグ決勝大会でも優勝し、九州サッカーリーグへの初昇格を果たした。
2010年、前水戸の堀健人などが加入。8月29日、新日鐵大分にPK戦の末勝利し、大分県サッカー選手権大会決勝トーナメント大会(第90回天皇杯大分予選)初優勝。10月9日、九州リーグ昇格1年目でリーグ制覇。しかし、第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会では予選ラウンドで敗退し、JFL昇格はならなかった。個人成績では堀が18得点14アシストという成績を残し、MVP、得点王、アシスト王と九州リーグの個人タイトルを総なめにした。
2011年よりチーム名をHOYO AC ELAN大分に変更。6月、クラブ運営組織となる「特定非営利活動法人 大分スポーツ&カルチャークラブ」を設立し、クラブチームとしての活動に移行する。ブレノ体制3年目となり、中嶋雄大、船津佑也、安藤寛明らが加入した。2年連続で九州リーグに優勝し、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会に出場した。1次ラウンドをリーグ1位で突破し、決勝ラウンドでは2勝1敗(PK勝ち1)の勝ち点5で3位に入った。本来であればJFL16位のチームと入れ替え戦を行うはずであったが、FC町田ゼルビアと松本山雅FCがJ2に昇格し、ジェフリザーブズが活動を停止してJFLからの離脱チームが3チームとなったため、入れ替え戦を行わずにJFLへの昇格が実質的に決定。同年12月16日に正式に昇格が決定した[4]。
JFL時代 (2012年 - )
- 2012年
- ブレノ・バレンチンがGKコーチに戻り、新たに前大宮アルディージャ・強化育成本部長の結城治男が監督に就任。選手では名古屋、徳島でプレーした福島新太が移籍加入した他、福満隆貴、島屋八徳、福元考佑らが加入した。シーズン途中には大分トリニータから後藤優介が期限付き移籍で加入。同年は15位であったがJFL残留に成功した。
- 2013年
- 結城体制2年目。後藤が移籍期間満了により退団した他、河原正治などが退団した。補強面では前徳島で元日本代表の杉本恵太、大卒選手で姫野昂志等が加入した。同シーズンよりチーム名を呼称と同一のHOYO大分に変更[5]。同年の天皇杯2回戦では大分T[6]との公式戦初の「大分ダービー」が実現した[3]。1ケタ順位入りを目標に設定し、一時10位まで浮上したが、9月以降に連敗の影響もあり最終的には15位に終わった[3]。
- 2013年シーズン終了後の12月10日にクラブ名をヴェルスパ大分(Verspah OITA)に変更した。運営母体の豊洋精工の企業名を冠していたが、将来のJリーグ加盟を念頭に置くと共に、スポンサーの獲得を期待してチーム名から外したという。なお、当初はチームカラーを黄色・黒に変更する予定であったが、従来の赤を支持する意見が多かったため、赤色を継続して用いることになった[7][8]。
- 2014年
- 結城体制3年目。前年リーグ戦13得点をマークしチーム得点王となった島屋が山口へ、杉本がタイ・プレミアのチェンライ・ユナイテッドFCへ移籍した他、JFL昇格に貢献した堀健人、野寺和音が現役を引退した。補強面では前愛媛の黒木恭平、MIOびわこ滋賀より中村真人、鍔田有馬が加入、また富山から山本祥輝が期限付き移籍で加入した。同年、JFL昇格後初めて開幕戦をホームで行った。同シーズンはリーグ戦で過去最高の7位となり、シーズン終了後に福満隆貴がベストイレブンに選出された[9]。
- 2015年
- 結城体制4年目。2007年より在籍し、キャプテンも務めた生口明宏、2009年より在籍していた田中淳也が現役を引退。また福満、黒木が山口に完全移籍した。補強面では大分Tより木島悠、湘南より河野諒祐、熊本より大迫希、盛岡より土遠修平、徳山大学より利根瑠偉などが加入。また、大分Tよりフェリペ(3月に大分Tに復帰)岡山より岡﨑和也、東京Vより楠美圭史が期限付き移籍で加入した。順位は3つ下がり10位となったものの、JFLでは初めて勝利数を2ケタに乗せた。シーズン終了後にJFLフェアプレー賞に選出された[10]。
- 2016年
- 新たに前サウルコス福井監督で、ザスパクサツ群馬などでも監督経験を持つ佐野達が監督に就任。岡﨑・楠美が移籍期間満了で退団した他、大迫が藤枝MYFC、福元考佑がJ.FC MIYAZAKIへ移籍。補強面では杉本恵太が3年振りに復帰したのをはじめ、池田達哉・中島康平・坂本和哉などが加入した。シーズンは2ndステージ第9節で一時7位まで浮上するも、両ステージ通じて13位に終わり年間順位も13位となった。
- 2017年
- 佐野体制2年目。日野竜一・池田[11]・中島が現役を引退した他、土遠がアルテリーヴォ和歌山へ、杉本がFCマルヤス岡崎に移籍した。補強面では熊本より森川泰臣、鹿児島より福島立也、岡山Nより千布一輝などが加入した他、湘南より朴兌桓が、富山より中西倫也が、シーズン途中の7月には大分Tより野上拓哉が期限付き移籍で加入した。
- 1stステージでは下から三番目となる14位で終えたが、2ndステージは11位と順位を3つ上げた。年間順位は14位となり、地域リーグ降格となった15位・ブリオベッカ浦安とは勝ち点差1でJFL残留を果たした。
- 2018年
- JFAアカデミー熊本宇城前監督の須藤茂光が新たに監督に就任。2007年より11年に渡ってV大分でプレーをした原一生が現役を引退した他、河野諒祐がYS横浜へ、千布がテゲバジャーロ宮崎に移籍した。補強面ではFC刈谷より福元考佑が3年振りに復帰した他、塚田翔悟、畠中佑樹、篠原宏仁、西室隆規らが加入し、長崎より林田隆介が期限付き移籍で加入。前年の期限付き移籍加入の選手については、朴が移籍期間満了により退団し、中西が所属元の富山から契約満了となった事もあり完全移籍でV大分に残留。野上は移籍期間延長という形で残留した。
ホームスタジアム
- だいぎんサッカー・ラグビー場Aコート(次表:大銀サA)
- 大分市営陸上競技場(次表:大分陸)
年度・競技場別の試合数
- ※2012年のJFLリーグ加盟以後。
年度 | 大銀サA | 大分陸 | その他 |
2012 | 6 | 4 | 佐伯4 中津2 |
2013 | 4 | 6 | 佐伯5 中津2 |
2014 | 6 | 4 | 佐伯2 日田1 |
2015 | 7 | 5 | 日田2 佐伯1 中津1 |
2016 | 10 | 2 | 佐伯3 |
2017 | 10 | 2 | 日田2 佐伯1 |
2018 | 9 | 0 | 日田2 佐伯4 |
戦績
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝(PK勝) | 分 | (PK敗)敗 | 得点 | 失点 | 得失 | 天皇杯 | 備考 |
2004 | 大分県4部 | 第1回大分市長杯 優勝 | ||||||||||
2005 | 大分県3部 | 優勝 | 第12回全国クラブチーム選手権大分大会 準優勝 第2回大分市長杯 優勝 第14回大分会長杯 準優勝 | |||||||||
2006 | 大分県2部 | 優勝 | 第13回全国クラブチーム選手権
| |||||||||
2007 | 大分県1部 | 2位 | 25 | 10 | 8 | 1 | 1 | 53 | 5 | +48 | 大分県社会人予選 優勝 |
|
2008 | 3位 | 22 | 10 | 7 | 1 | 2 | 44 | 11 | +33 | 大分県社会人予選 優勝 |
全国社会人選手権大分県予選 優勝 | |
2009 | 優勝 | 25 | 9 | 8 | 1 | 0 | 39 | 5 | +34 | 大分県社会人予選 優勝 |
九州各県リーグ決勝大会 優勝 全国社会人選手権大分県予選 優勝 第16回全国クラブチーム選手権全国大会(大分) 準優勝 | |
2010 | 九州 | 優勝 | 44 | 16 | 13 (2) | - | (1) 0 | 48 | 8 | +40 | 1回戦 | |
2011 | 優勝 | 49 | 18 | 15 (2) | - | (0) 1 | 55 | 11 | +44 | 1回戦 | 第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会 3位 | |
2012 | JFL | 15位 | 35 | 32 | 9 | 8 | 15 | 40 | 57 | -17 | 2回戦 | |
2013 | 15位 | 32 | 34 | 9 | 5 | 20 | 32 | 45 | -13 | 2回戦 | ||
2014 | 7位 | 33 | 26 | 8 | 9 | 9 | 30 | 28 | +2 | 2回戦 | ||
2015 | 10位 | 37 | 30 | 10 | 7 | 13 | 40 | 47 | -7 | 2回戦 | ||
2016 | 13位 | 31 | 30 | 6 | 13 | 11 | 30 | 42 | -12 | 県予選敗退 | ||
2017 | 14位 | 27 | 30 | 5 | 12 | 13 | 27 | 46 | -19 | 2回戦 | ||
2018 | 30 | 1回戦 |
タイトル・表彰
クラブ
- 九州サッカーリーグ:2回(2010年、2011年)
- 大分県社会人サッカーリーグ1部:1回(2009年)
- 九州各県リーグ決勝大会 :1回(2009年)
- JFLフェアプレー賞 :1回(2015年)
個人
- 九州サッカーリーグ
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
|
チームカラーは 赤、 白
2014年より左袖部分に「おんせん県おおいた」のロゴを掲出している。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 豊洋精工 | HOYO HOYO GROUP |
2007年 - | 2013年までは「HOYO SEIKO」表記 |
鎖骨 | 無し | |||
背中上部 | ソイテックスジャパン | SOITAX JAPAN ソイテックスジャパン株式会社 |
2007年 - | 2016年までは「SOITAX JAPAN」表記 |
背中下部 | LINES | LINES | 2017年 - | 2009年 - 2016年まではユニフォームサプライヤー |
袖 | 無し | |||
パンツ | 無し |
ユニフォームサプライヤー変遷
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2007 | HOYO SEIKO | 解禁前 | SOITAX JAPAN | 解禁前 | - | - | NIKE |
2008 | |||||||
2009 | オフィスアイプラン | LINES | |||||
2010 | オフィスアイプラン | JSJ | |||||
2011 | - | - | |||||
2012 | |||||||
2013 | |||||||
2014 | HOYO HOYO GROUP | ||||||
2015 | |||||||
2016 | - | ||||||
2017 | SOITAX JAPAN ソイテックスジャパン株式会社 |
LINES | WARRIX | ||||
2018 | - |
スポンサー
脚注
- ↑ “新チーム名 発表” (プレスリリース), ヴェルスパ大分, (2013年12月10日) . 2014-2-15閲覧.
- ↑ LAST SUKALOVE(右サイド劇場=HOYOスカラブFCのサポーターサイト 2013年12月31日 2014年3月14日閲覧)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 チームの歴史ヴェルスパ大分,2018年5月9日閲覧
- ↑ “お知らせ「日本フットボールリーグ、新入会チームについて」” (プレスリリース), 日本フットボールリーグ, (2011年12月16日) . 2012閲覧.
- ↑ “クラブ名称変更のお知らせ” (プレスリリース), ヴェルスパ大分, (2013年1月1日) . 2014-2-15閲覧.
- ↑ 大分トリニータの公式の略称は「大分」だがV大分との区別の為、便宜上以後「大分T」で表記
- ↑ “ヴェルスパ大分に名称変更、JFLのHOYO大分”. 読売新聞西部本社版. (2013年12月11日) . 2013閲覧.
- ↑ “JFL HOYO→ヴェルスパ 名称を変更”. 大分合同新聞. (2013年12月10日) . 2013閲覧.
- ↑ 第16回日本フットボールリーグ表彰式 受賞者日本フットボールリーグ、2014年12月10日
- ↑ 第17回日本フットボールリーグ表彰式 受賞者日本フットボールリーグ、2015年12月9日
- ↑ 2018年にジェイリースFCにて現役復帰
関連項目
外部リンク