野口五郎
野口 五郎 | |
---|---|
出生名 | 佐藤 靖 |
生誕 | 1956年2月23日(68歳) |
出身地 | 日本・岐阜県 |
ジャンル |
歌謡曲 J-POP |
職業 |
歌手 俳優 |
活動期間 | 1971年 - |
レーベル | avex io |
事務所 |
NPミュージック・プロモーション(デビュー時〜1986年6月) オフィス・ジー(1986年7月〜現在)[1] |
公式サイト | GORO-NET |
野口 五郎(のぐち ごろう、1956年2月23日 - )は、日本の歌手、俳優である。本名、佐藤 靖(さとう やすし)。岐阜県美濃市出身。オフィス・ジー所属。 新御三家の一人として、1970年代の日本を代表する男性アイドルである。血液型はA型。妻はタレントの三井ゆり。子供は一女一男。実兄は作曲家の佐藤寛。
Contents
来歴
岐阜県美濃市に生まれる。曽祖父は人形浄瑠璃の太夫、両親はアマチュア楽団「青空楽団」の歌手同士[2]。本来、家族会議で「直樹」と命名するつもりだったが、父親が家族に許可を得ずに「靖」という名前で出生届を出したという。
1966年10月、フジテレビの『日清ちびっこのどじまん』で荒木一郎の「今夜は踊ろう」を歌い優勝[3]。中部日本放送の『どんぐり音楽会』に出演し、ザ・ワイルド・ワンズの「青空のある限り」を歌い1位となる[4]。
『ちびっこのどじまん』をきっかけに本格的に歌手を目指すことを決意。自ら“ソウルソング”という美空ひばりの『リンゴ追分』の作曲家・米山正夫の門下生になりたく、約2年間、米山が係わるオーディションに何度も出場。ついに声が掛かって[2]中学2年生の時、プロを目指し実母とともに上京[3]、東京・浅草の伯父の経営する印刷工場の一室に下宿し[2]、美濃市立美濃中学校から台東区立台東中学校に転校[5]。ポリドールの児玉英毅が設立したNPミュージック・プロモーションの第一号タレントとして所属し[6]、堀越高等学校に進学する[5]。放送大学教養学部卒業。
1971年5月1日、当初は演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」でデビュー。キャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」で売り出した[7]、が、同曲のセールスは全く振るわなかった。しかし2曲目の「青いリンゴ」からポップス歌手に転向してスマッシュ・ヒット[3]、若い女性ファンの人気を獲得。
1972年12月31日、第23回NHK紅白歌合戦において当時としては最年少(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されて、「めぐり逢う青春」を歌う。
1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。続く「君が美しすぎて」は第3位にランクされ、第24回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。西城秀樹・郷ひろみと共に新御三家と呼ばれて、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
1974年11月25日、「甘い生活」で初のオリコン週間チャートの第1位を獲得[3]。最大のヒット曲となり、第25回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。この作品で筒美京平は第16回日本レコード大賞・作曲賞を受賞。
1975年2月10日、実兄 (佐藤寛)作曲による「私鉄沿線」が有線放送をきっかけに大ヒットし、「甘い生活」から2作品連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得する。また年末の第8回日本有線大賞・グランプリ、第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞など、多くの音楽賞を受賞し第26回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。さらに第3回FNS歌謡祭(1975年上半期)では「哀しみの終るとき」で最優秀歌唱賞を受賞。『再会』で映画初主演。
1975年4月4日 - 1983年3月、日本テレビ系のバラエティー番組『カックラキン大放送!!』にメイン・タレントとしてレギュラー出演、視聴者にコミカルな面をアピールして広く一般大衆の人気を獲得した。
1976年、「きらめき」が第2回日本テレビ音楽祭・グランプリ、第5回東京音楽祭・ゴールデンスター賞を受賞。「針葉樹」では第18回日本レコード大賞・歌唱賞、第7回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、第27回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。発売前の「むさし野詩人」で第9回日本有線大賞・有線功労賞を受賞。4月29日、日本テレビ系で単独のバラエティー番組『輝け!五郎・マペット ゲバゲバ90分!』が放送される。
1977年、「風の駅」[8]で第8回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、第28回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。映画『季節風』で主役を演じ、同名タイトルの主題歌「季節風」を歌う。
1978年、「グッド・ラック」で第9回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第20回日本レコード大賞・金賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。
1979年、「青春の一冊」で5年連続となる第10回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、第30回NHK紅白歌合戦にも同曲で出場。
1980年12月31日、第31回NHK紅白歌合戦に「コーラス・ライン」で出場。
1981年12月31日、第32回NHK紅白歌合戦に「裏切り小僧」で10年連続10回目の出場を果たす。
1983年、連続ドラマ『誰かが私を愛してる』にヒロイン・多岐川裕美の相手役として出演。その主題歌「19:00の街」が「グッド・ラック」以来久々の15万枚を超えるヒットとなる。第12回東京音楽祭・世界大会でフリオ・イグレシアス賞を受賞。同年末の第34回NHK紅白歌合戦にも、同曲で2年ぶり11回目のカムバック出場を果たした。なお2018年時点で紅白歌合戦の出場は第34回が最後となっている[9]。
1985年4月 - 1987年9月、再び日本テレビ系のバラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演。
1995年、初のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』に徳川頼職役で出演。2006年には『功名が辻』にも出演。
1999年、刑事ドラマ『ケイゾク』に出演、早乙女仁役を演じる。
2002年、NHKの連続テレビ小説『さくら』で、ヒロイン・さくら先生 (演:高野志穂) の赴任先となる中学校の英語担当教師を演じる。
私生活では長年独身を通していたが、2001年2月に三井ゆりと北マリアナ諸島のロタ島で挙式[10]。なお結婚披露宴は徳光和夫が司会を務め、その模様が日本テレビにより全国に中継放送された。2002年6月5日、2780グラムの第一子となる女児が誕生。2004年5月2日、2994グラムの第二子となる男児が誕生。
2005年、音楽プロデューサーとして音楽映像配信サイト『音コレ』 (2006年7月20日、『Gプロデュース』と改名) を立ち上げ、ものまね、インディーズ、オリジナル楽曲をプロデュース。根本はるみ、網野泰寛などもプロデュースしている。NTTドコモ、KDDI au、SoftBankの公式サイトにおいても、「音コレものまねMIX」「うれセン!」として着うたフル、着うた、着モーションなどを配信。
2007年10月16日、飛騨・美濃観光大使を委嘱。
2008年9月21日、北マリアナ諸島の観光親善大使に夫妻で任命。
2009年2月4日、初のプロデュース作品となる双子歌手ユニット「あ☆ぅん」がデビュー[11]。
2010年5月1日、デビュー40周年を迎える。近年は、六本木[STB139スイートベイジル]におけるライブがゴールデンウィークの恒例になっていた。最終公演2014年5月22日。
2015年4月13日、新御三家の盟友、西城秀樹が自ら「ヒデキ還暦!」と題した満60歳の記念ライブに、野口がサプライズ・ゲストとしてバースデーケーキを運びながら登場、西城は思わず感激の涙を浮かべる。その後野口は「1回だけ、恥ずかしいけど、抱いていいか?」との懇願に、西城は「なんだよ~!」と照れながらも、二人共に熱い抱擁を交わしていた[12][13]。
2016年2月23日、野口が60歳の誕生日を迎える。新御三家が3人揃っての還暦祝いを機に、久々に郷ひろみも参加し「還暦鼎談」を行った[14]。
然しそれから2年後の2018年5月16日、西城秀樹は急性心不全により63歳で逝去。翌5月17日、西城の訃報に対し野口はショックが大きく、文書で「あまりにも突然で、今は言葉が見つかりません。気持ちの整理がつくまで少し時間を下さい。申し訳ありません」と述べるに留まった[15]。
同年5月25日に野口は、郷ひろみを始め歌手仲間達と共に西城の通夜へ出席したが、終始憔悴しきった表情を浮かべ[16]、新御三家の郷は「(五郎は)本当に残念だと。毎日泣いていると言ってました。僕より遥かに秀樹に近い存在でいた。悲しみは想像つかない位深いと思う」とコメント[17]。翌5月26日、西城の告別式に参列した野口は「僕もひろみも秀樹の代わりになれないけど、まだ暫くはお前の分も頑張って歌うからね。もうリハビリ頑張らなくて良いから。君の可愛い子供達、家族を見守って欲しい。そしてお前の思うラブソングを天国で極めてくれ。秀樹、お疲れ様。そして有難う」とハンカチで涙を拭い、時折声を詰まらせながら弔辞を読んでいた[18][19]。
2018年現在の野口は、西城の追悼特集に関し特別ゲストとして、ワイドショー・トーク・ドキュメンタリー番組などへ多数出演している[20][21][22][23]。
人物・エピソード
歌手として
『日清ちびっこのどじまん』の司会者、大村崑の「黄金の人差し指」がなかったら今の自分はないとも話している。大村の「出たい人!」の呼びかけに周りが一斉に手を挙げる中で野口も精一杯手を伸ばし、指されてステージに出て行った。後に「実際は自分の周りが指されていたが、体が自然と前へ出て行った」と回顧している[2]。小学生の頃には、すでに成人並みのビブラートが掛けられるようになっていた。ちびっこのど自慢大会にいくつも参加する中で、幼い頃ライバルとして一目置いていたのが現在の天童よしみであるという[24]。
芸名は飛騨山脈の野口五郎岳に由来するもので、名付け親はデビュー時に所属していたポリドール・レコードのディレクター[25]。現在では歌手・野口五郎の知名度が高く、山の名前が歌手にちなんで付けられたと誤解している人もいるという。なお、黒部五郎岳にちなんだ「黒部五郎」も芸名の候補となっていた。野口五郎とどちらかを選ぶように言われ「山の名前を芸名にするなら高い山のほうがいい」と考えて、黒部五郎岳 (2840m) よりも高い野口五郎岳 (2924m) にちなんだ野口五郎を選んだという[2]。当初は「水城哲也」という芸名でデビュー予定であった[26]。
ギタリストとして
子どもの頃はプロ野球選手を目指していたが脚を傷めて諦め、以来、ギターに打ち込むようになったという (『中一時代』グラビアより)。「(脚の) 故障がなかったら"歌手・野口五郎"は存在しなかったかも」と述懐している。歌手よりギタリストとしての活動歴の方が長い。中学生のときからキャバレーなどで演奏する「ハコバン」に在籍して腕を磨き、当時の「エレキギターコンテスト」にも多数出演していた[5]。
音楽的には60年代後半から70年代前半のものを好むが、ギタリストとしては、その時代以外のものにも関心を示し、ヴァン・ヘイレンやスティーヴ・ヴァイの来日公演の観客席で目撃されている。1982年と1993年・2014年にはインスト・アルバムを発表し、ギタリストとしても優れた音楽センスを披露した。フジテレビの深夜番組『寺内ヘンドリックス』にも、度々、アナウンサーにギターを指導する講師等として出演していた[27]。2014年10月にはギターメーカーPRS(Paul Reed Smith)主催のイベント「EXPERIENCE PRS in JAPAN 2014」(於:ディファ有明)に出演。ライブステージにてアルバム「Playin' It All」から「雪の華」「ありがとう」「異邦人」「ミ・アモーレ」を演奏した。
自身のアルバムにラリー・カールトン等の著名ギタリストが参加したことがある。またサンタナのヒットシングル「Smooth」を、「愛がメラメラ」として日本語詞を付けてカバーした際には、カルロス・サンタナとの面会も果たしている。2005年には、ヘヴィメタル専門番組『ヘビメタさん』に出演。元メガデスのマーティ・フリードマンと競演する。 東京都に本社と工房を置くギターメーカー「Combat Guitars」から、野口五郎モデルのギターが発売されていた (現在は製造販売終了)。
ベーシストとしても活動しており、主に演歌のレコーディングにスタジオ・ミュージシャンの立場で数多く参加している。
タレントとして
『カックラキン大放送!!』では、当時のアイドルとしては珍しい捨て身のギャグが定番だった[28]。バラエティ番組では、ダジャレ好きなタレントとして、歌手活動とは違った魅力を見せている[29]。自ら「ぼくも野口五郎というタレントを作るスタッフの一人なんですよ」と話している。しかし『カックラキン』は最初は歌番組だと思って引き受けたが[30]、初回の収録が終わった後にプロデューサーに「コント番組はあんまりやりたくないんで、辞めさせて下さい」と降板を申し入れが、プロデューサーから「分かった。降りるのはいいが、その代わり(これからの芸能活動が)どうなるか分かってるな」と言われ、芸能界を干されると思っておののいた野口はその場で「喜んでやらせてもらいます」と答えたという。後に「やったら楽しかった」と振り返っている[31]。
なお、かつて「短足」という噂や伝説が広まったことがある。これは野口がロンドンブーツを、日本で流行するかなり前から履いていたことで、これを見た人が「短足を隠すためだからに違いない」と思い込んだことからだったという[29]。
火曜ワイドスペシャルで放送された芸能人野球大会に投手として出場したことがあり、その時の背番号は560番だった。 野口をものまねしたコロッケに対して、怒るどころか、むしろ軽妙にトークをする懐の深さを見せた[32][33]。 2006年、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演し、コミカルな一面を披露している。
アイデアマン
野口は自身の音楽活動とは別に、QRコードをスマートフォンに読み込ませ、音楽コンサート・ライブの映像などをデジタル配信するサービス『テイクアウトライブ』を発案したことで知られる[34]。野口は路上ライブでCDを手売りする無名の若者ミュージシャンの姿を見て、「若い子たちに音楽に集中できる時間を作ってあげよう」と考え[35]、『観客がライブを持ち帰る』という着想の下にアイデアを生み出し、自ら特許を取得してコンピュータソフト会社のトーセ傘下のフォネックス・コミュニケーションズにより実用化サービスが開始された[36]。このサービスは現在ではDREAMS COME TRUEやBOYS AND MENなどといったアーティストたちのライブ会場でも提供されている[35]。
音楽
シングル
# | 発売日 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|---|
1970年代 | |||||
1 | 1971年 5月1日 |
博多みれん | 鳳司哲夫 大日方俊子 |
荒井英一 | 竹村次郎 |
2 | 1971年 8月1日 |
青いリンゴ | 橋本淳 | 筒美京平 | 高田弘 |
3 | 1971年 12月10日 |
好きなんだけど | 橋本淳 | 筒美京平 | 高田弘 |
4 | 1972年 4月1日 |
悲しみの日曜日 | 橋本淳 | 筒美京平 | 高田弘 |
5 | 1972年 6月1日 |
青い日曜日 | 大日方俊子 | 馬飼野俊一 | |
6 | 1972年 9月1日 |
めぐり逢う青春 | 大日方俊子 | 馬飼野俊一 | |
7 | 1972年 12月15日 |
雨に消えた恋 | 千家和也 | 筒美京平 | |
8 | 1973年 3月21日 |
オレンジの雨 | 吉田栄子 大日方俊子 |
筒美京平 | 高田弘 |
9 | 1973年 7月1日 |
君が美しすぎて | 千家和也 | 馬飼野俊一 | |
10 | 1973年 10月21日 |
愛さずにいられない | 阿久悠 | 馬飼野俊一 | |
11 | 1974年 2月5日 |
こころの叫び | 阿久悠 | 筒美京平 | |
12 | 1974年 4月25日 |
告白 | 千家和也 | 馬飼野俊一 | |
13 | 1974年 7月21日 |
愛ふたたび | 山上路夫 | 佐藤寛 | 馬飼野俊一 |
14 | 1974年 10月20日 |
甘い生活 | 山上路夫 | 筒美京平 | |
15 | 1975年 1月21日 |
私鉄沿線 | 山上路夫 | 佐藤寛 | 筒美京平 |
16 | 1975年 4月21日 |
哀しみの終るとき | 山上路夫 | 筒美京平 | |
17 | 1975年 7月10日 |
夕立ちのあとで | 山上路夫 | 筒美京平 | |
18 | 1975年 10月21日 |
美しい愛のかけら | 山上路夫 | 佐藤寛 | 東海林修 |
19 | 1976年 2月10日 |
女友達 | 山上路夫 | 佐藤寛 | クニ河内 |
20 | 1976年 6月10日 |
きらめき | 山上路夫 | 筒美京平 | |
21 | 1976年 9月10日 |
針葉樹 | 麻生香太郎 | 筒美京平 | |
22 | 1977年 1月15日 |
むさし野詩人 | 松本隆 | 佐藤寛 | 筒美京平 |
23 | 1977年 4月25日 |
沈黙 | 松本隆 | 筒美京平 | |
24 | 1977年 7月21日 |
季節風 | 有馬三恵子 | 筒美京平 | |
25 | 1977年 10月25日 |
風の駅 | 喜多條忠 | 筒美京平 | |
26 | 1978年 2月21日 |
愛よ甦れ | 藤公之介 | 平尾昌晃 | 船山基紀 |
27 | 1978年 5月10日 |
泣き上手 | 岡田冨美子 | 佐藤寛 | クニ河内 |
28 | 1978年 9月1日 |
グッド・ラック | 山川啓介 | 筒美京平 | 高田弘 |
29 | 1978年 12月25日 |
送春曲 | 阿久悠 | 筒美京平 | |
30 | 1979年 4月21日 |
真夏の夜の夢 | 阿久悠 | 筒美京平 | |
31 | 1979年 7月10日 |
女になって出直せよ | 阿久悠 | 筒美京平 | 船山基紀 |
32 | 1979年 9月15日 |
青春の一冊 | 伊藤アキラ | 佐藤寛 | 萩田光雄 |
1980年代 | |||||
33 | 1980年 2月16日 |
愛の証明 | なかにし礼 | 佐藤寛 | 井上鑑 |
34 | 1980年 5月1日 |
コーラス・ライン | 麻生香太郎 | 東海林修 | |
35 | 1980年 6月5日 |
さすらい気分 | 山上路夫 | 筒美京平 | 大村雅朗 |
36 | 1980年 9月21日 |
愁雷 | 三浦徳子 | 山中涼平 | |
37 | 1981年 2月5日 |
序曲・愛 | 伊藤アキラ | 三木たかし | 船山基紀 |
38 | 1981年 4月25日 |
氷をゆらす人 | 浜辺芳光 伊藤アキラ |
三木たかし | 船山基紀 |
39 | 1981年 8月21日 |
裏切り小僧 | 伊藤アキラ | 宇崎竜童 | 新井英治 |
40 | 1981年 12月25日 |
ダイヤル177 | 伊藤アキラ | 山中涼平 | |
41 | 1982年 5月25日 |
ふるえて眠れ | 水木れいじ | 浜圭介 | 船山基紀 |
42 | 1982年 8月1日 |
舞 | 水木れいじ | 浜圭介 | 船山基紀 |
43 | 1983年 1月25日 |
19:00の街 | 伊藤薫 | 筒美京平 | 川村栄二 |
44 | 1983年 5月25日 |
過ぎ去れば夢は優しい | 売野雅勇 | 筒美京平 | 川村栄二 |
45 | 1983年 10月10日 |
今夜はつれづれ | 三浦徳子 | 宇崎竜童 | 後藤次利 |
46 | 1984年 2月25日 |
停車場 | 高森悦郎 | 川村栄二 | |
47 | 1984年 5月1日 |
一人が好きですか | 小椋佳 | 筒美京平 | 若草恵 |
48 | 1984年 9月25日 |
花遊戯 | 小椋佳 | 松井忠重 | |
49 | 1985年 3月25日 |
別れのエチュード | 荒木とよひさ | 芹澤廣明 | 若草恵 |
50 | 1986年 2月23日 |
サ・ヨ・ナ・ラ | 松本一起 | 佐藤健 | 佐藤準 |
51 | 1986年 12月21日 |
涙のチケット | 三浦徳子 | P.D.Wijn | 佐藤寛 |
52 | 1987年 12月25日 |
少し抱かれて | 荒木とよひさ | 筒美京平 | 川村栄二 |
53 | 1988年 7月24日 |
さらば友よ -最後の握手-[37] |
荒木とよひさ | 都倉俊一 | 桜庭伸幸 |
54 | 1988年 10月26日 |
スマイルアゲイン | 泉冴子 | Keith Brown | 佐藤寛 |
1990年代 | |||||
55 | 1990年 4月25日 |
流沙れて | 伊藤薫 | 川村栄二 | |
56 | 1991年 12月4日 |
想い出のメリークリスマス | 渡辺なつみ | 佐藤寛 | |
57 | 1996年 4月25日 |
さよならは、誰のため | 水木かおる | 佐藤寛 | 白石幸一郎 |
2000年代 | |||||
58 | 2000年 4月5日 |
愛がメラメラ 〜Smooth〜[38] |
山田ひろし | I.Shur R.Thomas |
船山基紀 |
59 | 2002年 10月23日 |
私鉄沿線02 | 山上路夫 | 佐藤寛 | 野口五郎 aqua.t |
60 | 2003年 9月26日 |
Sweet Rain | 松尾潔 | 筒美京平 | 和田昌哉 |
2010年代 | |||||
61 | 2012年 5月2日 |
僕をまだ愛せるなら | 松井五郎 | 森正明 | 鳥山雄司 |
62 | 2014年 1月1日 |
でも好きだよ | 松井五郎 | 森正明 | 都啓一 |
63 | 2015年 7月29日 |
再会タイムマシン | 秋元康 | 筒美京平 | 佐橋佳幸 |
アルバム
オリジナル・アルバム
- 青いリンゴが好きなんだけど/ 野口五郎ファースト・アルバム (1972年2月1日)
- 青春の旅路 新しい汽車 (1972年10月10日)
- GORO IN ROCK / 野口五郎ロックの世界 (1973年7月21日)
- GORO! LOVE IN LONDON / 愛ふたたび (1974年8月21日)
- 風に舞う花びら / 野口五郎演歌の世界 (1975年1月21日)
- GORO! LOVE STREET IN LONDON / 雨のガラス窓 (1975年8月1日)
- GORO&HIROSHI / 通りすぎたものたち (1976年3月10日) - 実兄の佐藤寛との「兄弟アルバム」
- GORO IN LOSANGELES U.S.A. / 北回帰線 (1976年7月21日)
- GORO&HIROSHI 2 / ときにはラリー・カールトンのように (1976年12月21日) - 実兄の佐藤寛との「兄弟アルバム」
- GORO IN NEWYORK / 異邦人 (1977年9月10日)
- 飛翔 / GORO&HIROSHI 3 〜 移りゆく季節の中で 〜 (1978年3月15日) - 実兄の佐藤寛との「兄弟アルバム」
- L.A. EXPRESS ロサンゼルス通信 (1978年8月4日)
- 南十字星 (1979年5月10日)
- ロサンゼルス盤 ラスト・ジョーク (1979年7月21日)
- 樹海 Ballade (1980年2月1日)
- スマイル (1980年12月23日)
- ON THE CORNER (1981年10月10日)
- パレード (1982年6月1日)
- 過ぎ去れば夢は優しい (1983年6月25日)
- 琥珀 (1984年7月10日)
- ALL OF ME (1989年10月4日)
- 名画座 〜 20周年記念アルバム 〜 (1991年5月10日)
- Dear・・・(1991年11月27日)
- せつないほどONLY YOU (1992年5月27日)
- Prize Years , Prize Songs 〜五郎と生きた昭和の歌たち〜 (2010年8月4日) - 昭和歌謡のカバー・アルバム 演奏:三原綱木 とザ・ニューブリード
- 風輪(2017年2月22日)
ギター・インストゥルメンタル・アルバム
- FIRST TAKE (1982年11月25日)
- 1013hpa 〜 ANOTHER WAVE 〜 (1993年3月17日)
- Playin' It All -My Fingers Sing J-Female Melodies-(2014年11月19日) - 日本人女性ボーカリストのヒット曲を曲ごとに異なったギターでカバーした。
ライブ・アルバム
- GORO ON STAGE / 日本縦断コンサート (1972年6月25日)
- GORO ON STAGE 2 / 野口五郎故郷に帰る (1973年3月15日)
- '74 GORO IN KOKUSAI / こころの叫び (1974年4月10日)
- GORO IN SUNPLAZA / 甘い生活 (1975年2月21日)
- GORO ON STAGE / ひとりぼっちの栄光 (1975年10月10日)
- GORO IN NISSEI THEATRE / 日生劇場特別リサイタル (1977年6月15日)
- GORO IN NISSEI THEATRE / '78日生劇場特別リサイタル (1978年12月10日)
- HOT SUMMER LIVE '79 熱い夏を撃て! (1979年10月1日)
- 10th ANNIVERSARY U.S.A. STUDIO CONNECTION (1980年5月1日)
- 特別コンサート・ライブ / 第1楽章 春ing (1981年6月5日)
- '83スプリングコンサートライブ / ちょっとその気でSPRING (1983年5月1日)
- A♭に愛をのせて -収録:1984年11月3日東京・中野サンプラザ- (1984年12月10日)
ベスト・アルバム
- 野口五郎パーフェクト20 (1972年11月5日) 2LP
- 野口五郎パーフェクト20 (1973年11月10日) 2LP
- 野口五郎パーフェクト (1974年11月10日) 2LP
- 野口五郎5年のあゆみ (1976年5月21日) 3LP+EP
- ゴールデン・ヒット・アルバム 〜博多みれんからむさし野詩人まで〜 (1977年3月10日) 2LP
- GORO THE BEST / 泣き上手 (1978年6月10日)
- GORO IN U.S.A. PAST 4YEAR STEPS (1980年3月21日)
- 10周年記念 / 歌そして愛 (1980年11月5日) 6LP
- 青春の一冊 (1980年12月1日)
- トップスター ベスト&ベスト (1981年12月) 2LP
- 舞 (1982年 9月1日)
- 野口五郎 BEST ALBUM (1983年6月1日)
- 野口五郎 増刊号 (1983年12月25日)
- 野口五郎SELECT/15周年記念アルバム (1986年3月21日)
- GORO THE BEST '88 (1988年2月5日)
- FAVORITES 14 (1988年11月6日)
- A Side collection (1989年12月6日)
- A Side collection 2 (1990年1月24日)
- B Side Collection (1990年9月27日)
- The Songs 〜 BRAND NEW TRACKS 〜 (1995年4月28日) - セルフ・カバー・アルバム
- GORO THE BEST '96 (1996年4月25日)
- FACE / GORO A SIDE STORY (1997年4月25日) 4CD
- 野口五郎/ 筒美京平ウルトラ・ベスト・トラックス (1998年2月18日) 2CD
- GORO BOX / 30th ANNIVERSARY (2000年12月20日)
- SUPER VALUE 野口五郎 (2001年12月19日)
- GOLDEN☆BEST 野口五郎 (2003年11月26日)
- 野口五郎 エッセンシャル・ベスト (2007年8月22日)
- Light Mellow 野口五郎 (2014年8月6日)
サウンドトラック
- 季節風 オリジナルサウンドトラック盤 (1977年12月21日)
- 青春諸君・夏! オリジナル・サウンドトラック (1980年7月1日)
その他のアルバム
- 野口五郎 オリジナルカラオケ集 (1978年6月21日)
- GORO SPECIAL BAND (1979年6月21日) バック・バンドによるアルバム。野口五郎は作曲と演奏のみの参加。
出演
テレビ番組
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1972年(昭和47年)/第23回 | 初 | めぐり逢う青春 | 10/23 | 南沙織 | |
1973年(昭和48年)/第24回 | 2 | 君が美しすぎて | 03/22 | 森昌子 | |
1974年(昭和49年)/第25回 | 3 | 甘い生活 | 08/25 | 南沙織 (2) | |
1975年(昭和50年)/第26回 | 4 | 私鉄沿線 | 16/24 | 由紀さおり | |
1976年(昭和51年)/第27回 | 5 | 針葉樹 | 01/24 | 山口百恵 | トップバッター |
1977年(昭和52年)/第28回 | 6 | 風の駅 | 06/24 | 岩崎宏美 | |
1978年(昭和53年)/第29回 | 7 | グッド・ラック | 04/24 | 研ナオコ | |
1979年(昭和54年)/第30回 | 8 | 青春の一冊 | 05/23 | 桜田淳子 | |
1980年(昭和55年)/第31回 | 9 | コーラス・ライン | 03/23 | 石野真子 | |
1981年(昭和56年)/第32回 | 10 | 裏切り小僧 | 17/22 | 石川さゆり | |
1983年(昭和58年)/第34回 | 11 | 19:00の街 | 02/21 | 柏原芳恵 |
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数。
- 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。
ドラマ
- 特捜最前線(テレビ朝日) -#381「スクープ・真夜中の証言者!」
- 特別企画3時間ドラマ 日立スペシャル「大いなる朝」主演・山田耕筰役 (TBS、1979年)
- 誰かが私を愛してる(TBS、1983年) 主題歌『19:00の街』
- ザ・サスペンス「霧の神話」(TBS、1983年)
- 弐十手物語(フジテレビ、1984年) - 摺吉 役
- のン姉ちゃん・200W(日本テレビ、1985年)
- 月曜ドラマランド「はいからさんが通る」(フジテレビ、1985年)
- 夏樹静子サスペンス「質屋の扉」(関西テレビ、1986年) - 良介 役
- 女ともだち(フジテレビ、1986年) - 生田竜也 役
- 泣くなセン!燃える男 星野仙一物語(TBS、1988年)
- 土曜ワイド劇場「北海道OL馬主ツアー殺人事件」(朝日放送、1991年)
- もう涙は見せない(フジテレビ、1993年)
- 土曜ワイド劇場「八甲田山殺人暮色 若妻はなぜ襲われたか? 青森行"はつかり5号"にトリックが…」(テレビ朝日、1991年)
- 花王 愛の劇場「花を下さい」(TBS、1991年)
- 八代将軍吉宗(NHK大河ドラマ、1995年)- 徳川頼職役
- 照柿(NHK BS2 日曜ドラマ、1995年) - 野田達夫役
- 土曜ワイド劇場「牟田刑事官事件ファイル・携帯電話に殺人トリック!」(テレビ朝日、1997年) - 石元直也 役
- ケイゾク(TBS、1999年)- 早乙女仁 役
- 青い鳥症候群(テレビ朝日、1999年)
- さくら(NHK、2002年)
- 樋口一葉物語(TBS、2004年)
- 功名が辻(NHK大河ドラマ、2006年)-副田甚兵衛役
- 天使はモップを持って(NHK BSプレミアム、2013年) - 宮下鉄夫 役
バラエティ
- カックラキン大放送(日本テレビ、1975年4月4日 - 1983年3月)
- 輝け!五郎・マペット ゲバゲバ90分!(日本テレビ、1976年4月29日)
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ、1985年4月 - 1987年9月)
- しゃれっぽクラブ(TBS、1985年11月 - 1986年3月)
- 文珍なぞなぞランド (朝日放送、1986年10月9日 - 1987年3月26日)
- ものまね王座決定戦(フジテレビ) - 審査員
- ほか多数
映画
- 再会 (主演映画、1975年) 監督:斎藤耕一
- 季節風 (主演映画、1977年) 監督:斎藤耕一
- 微熱 MY LOVE (1990年) 監督:伊藤正治
- 5等になりたい。 (1995年) 監督:加藤盟
- KARAOKE (1999年) 監督:佐野史郎
- 赤んぼ少女 (2008年) 監督:山口雄大・原作:楳図かずお
舞台
ラジオ
- わが人生に乾杯! (2011年1月13日 NHKラジオ第一放送)
- FMシアター「ミュージカルファンタジー・人魚の森」(1989年、NHK-FM)
CM
- ハリス・チューイングボン (1972年頃)
- 明治製菓ミルクチョコレート・デラックス (1975年 - 1978年)
- 飛栄不動産販売 (1990年頃)
- 第一生命
- 佐川急便
- 資生堂アミーチェ (ナレーション)
- 東京ガスガス・パッ・チョ! (2006年-・床暖房 赤穂浪士篇で大石内蔵助役を演じる)
- P&Gファブリーズ (ナレーション)
- ミスタードーナツ「ポンデリング生」(2013年・「ポンデリング部」では副部長)
書籍
- 野口五郎 哀しみの終るときに (立風書房 1975年)
- 五郎へのらぶ・ぽえむ (ルック社 1975年)※TBSラジオの番組『あなたとゴローのラブ・タイム』に寄せられた投書を特集した書籍で、野口自身が選考に係わっている。
- 芸能人はなぜ老けない (ぶんか社 1999年)
関連項目
脚注
- ↑ http://www.goro-net.com/goro/story/1986/s610701.html
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 週刊現代 2016年3月26日・4月2日号 p.92 - 94「私の地図」
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 “もういちど流行歌 1975年2月の曲 私鉄沿線(野口五郎)日々の生活に浸透したタイトル”. 朝日新聞 be on Saturday: p. 2. (2017年2月4日)
- ↑ 「野口五郎 哀しみの終るときに」p.87
- ↑ 5.0 5.1 5.2 「野口五郎 哀しみの終るときに」p.225 - 226「年譜」
- ↑ “第30回 児玉 英毅 氏”. Musicman-NET (2002年9月10日). . 2018閲覧.
- ↑ デビュー当時のキャッチフレーズが「かわいらしい演歌のホープ」と言われていたが、これは週刊誌が勝手につけたものでレコード会社が付けたキャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」(※昭和46年6月4日発行 日刊レコード特信に博多みれんのキャッチフレーズとして記載されている。)
- ↑ 1978年1月19日に放映開始されたTBS「ザ・ベストテン」の第1回放送時、獲得ポイント5436点の10位だったが、栄えある第1曲目として歌われた楽曲でもある(角川インタラクティブ・メディア「別冊ザテレビジョン ザ・ベストテン 〜蘇る! 80'sポップスHITヒストリー〜」2004年12月、ISBN 978-4-0489-4453-3 (p.46)参照)。
- ↑ この回は新御三家が揃って出場した最後の紅白歌合戦でもある。
- ↑ 同じく新御三家の西城も同年6月に結婚している。
- ↑ "「神頼み」効果で愛娘のお受験大成功!". tv asahi 芸能&ニュース (2009年2月3日). 2018年6月30日閲覧
- ↑ 還暦ヒデキ感激…盟友・五郎登場に涙 デイリースポーツ 2015年4月14日配信
- ↑ “還暦”ヒデキを野口五郎が祝福「抱いていいか?」 ORICON NEWS 2015年4月13日配信
- ↑ 追悼「西城秀樹」さん 「郷ひろみ」「野口五郎」と語った貴重な“還暦鼎談” 週刊新潮 2016年2月25日号掲載
- ↑ 野口五郎 絶句「少し時間を…」/西城さん悼む 日刊スポーツ 5月17日配信
- ↑ 郷ひろみ&野口五郎、26日の西城秀樹さん告別式で弔辞 サンスポ 5月26日配信
- ↑ 郷ひろみ「次男が先に逝くのは…」西城さん通夜 日刊スポーツ 5月26日配信
- ↑ 野口五郎「秀樹、もう、頑張らなくていいから…」 日刊スポーツ 5月27日配信
- ↑ お前の思うラブソングを天国で極めて/野口五郎弔辞」 日刊スポーツ 5月27日配信
- ↑ 野口五郎、西城さんとホテルの10階窓から抜け出し…「よくこんな危ないことを」 デイリースポーツ 5月30日配信
- ↑ 野口五郎 闘病中の西城秀樹さんに会えなかった理由「強引にでも会っていたほうが…」スポニチ 6月11日配信
- ↑ あの日 あのとき あの番組▽西城秀樹歌声は熱く 野口五郎が語る人生のデュエット NHKドキュメンタリー 7月1日放映
- ↑ 司会者・中居正広は何が凄いのか? 金スマで見せた繊細な感性 NEWSポストセブン 7月17日配信
- ↑ “2015年10月23日放送 ファミリーヒストリー 野口五郎〜歌にかけた家族の絆〜”. ワイヤーアクション (2015年10月23日). . 2017閲覧.
- ↑ 「野口五郎 哀しみの終るときに」p.96
- ↑ 「野口五郎 哀しみの終るときに」p.98
- ↑ 生徒役:近藤サト 課題曲:Sunshine Of Your Love
- ↑ 週刊現代 2014年3月1日号 p.150 - 153「『カックラキン大放送!!』を語ろう」
- ↑ 29.0 29.1 週刊宝石 2000年8月17日号 p.54 - 56」
- ↑ この話が来た時には「当時はとにかく多忙で、分刻みのスケジュールで動いていて目の前の仕事をこなすのに必死だった時だったから、話が来ても何も感じなかった」と話している(週刊現代 2014年3月1日号 p.150 - 153「『カックラキン大放送!!』を語ろう」より)。
- ↑ “野口五郎 芸能界「干す」と脅された過去…番組降板申し入れで”. デイリースポーツ (2017年3月11日). . 2017閲覧.
- ↑ ただし、ものまね番組でコロッケが本人の前で「鼻をほじる野口五郎の倍速モノマネ」というネタを披露した際にはさすがに怒ったという。以来コロッケは野口に対して全く頭が上がらず毎年お歳暮(ただし野口曰く「お粗末というか、どうでもいいような」もの )を贈っているほか、共演するたびに委縮しており野口がこれに対してさらに悪乗りして余計に追い込むという顛末を楽しんでいる様子がみられる。
- ↑ “2015年2月4日放送「水トク!」”. ワイヤーアクション (2015年2月4日). . 2017閲覧.
- ↑ “野口五郎が発案、ライブの感動を持ち帰る「テイクアウトライブ」”. ORICON STYLE. オリコン. (2013年10月26日) . 2018閲覧.
- ↑ 35.0 35.1 “ライブを持ち帰り&永久保存! ドリカム導入で大人気 発案は野口五郎”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2018年1月13日) . 2018閲覧.
- ↑ “連結子会社による「テイクアウトライブ/Take Out Live」のサービス開始について” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 株式会社トーセ, (2012年10月4日) . 2018閲覧.
- ↑ 益田喜頓とのデュエット。
- ↑ GORO名義。サンタナの「スムース」のカバー。