平尾昌晃
平尾昌晃 | |
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出生名 | 平尾勇 |
別名 | 平尾昌章 |
生誕 | 1937年12月24日 |
出身地 |
日本, 東京府東京市 (現東京都新宿区) |
死没 | 2017年7月21日(79歳没) |
学歴 | 慶應義塾高等学校中退 |
職業 |
作曲家 歌手 |
共同作業者 |
ミッキー・カーチス 山下敬二郎 |
公式サイト | 平尾昌晃のホームページ |
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年12月24日 - 2017年7月21日[1])は、日本の作曲家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事[2]、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事[3]。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。東京市の牛込(現東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る[4]。既婚、3男あり。
Contents
来歴・人物
化粧品業を営む平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家・国立音楽大学教授の平尾貴四男は伯父。小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える[5]。11歳のとき、のど自慢大会に出場し「奥様お手をどうぞ」を英語で歌い、鐘3つの合格点をもらう[6]。
茅ヶ崎市に住み、ジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山らと知り合う。慶應義塾高等学校中退後、ウエスタンの人気バンド『チャック・ワゴン・ボーイズ』に入る[7]。しばらくして、『チャック・ワゴン・ボーイズ』はボーカルの小坂一也が脱退したため、『オールスターズ・ワゴン』となる。
1957年、ジャズ喫茶「テネシー」に出演していた際、ステージを見た渡辺プロの渡辺美佐と映画監督井上梅次に見初められ、同年に公開された石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』に出演[8]。自身としても、翌1958年1月、キングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デビュー[8]。その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎(後にこの2人は渡辺プロに所属する)と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な大人気を博した[9]。1958年には、キングレコードからオリジナルナンバーである「星は何でも知っている」1960年4月には「ミヨチャン」(ミヨちゃん)を発表し、2曲共に100万枚を売り上げる大ヒットとなった[10]。
「ミヨチャン」の元歌は、戦前から(旧制)中学生の間で流行していた作曲者不詳の歌で、平尾は高校生の頃に覚えたという。それを基に現代(1960年当時)向きの歌詞をつけてリメイクしたのが平尾の「ミヨチャン」である[11]。
ポール・アンカが作詞・作曲した「好きなんだ! (I Love You)」は、日本での売上は10万枚程度に留まったが、ハワイでは地元ラジオ局・KPOIが流したことをきっかけにリクエストランキングで1位を記録する大ヒットとなった[12]。1959年12月、ハワイで開催された「アメリカン・ポップス大会」では、日本代表として歌唱した[12]。
1965年2月20日、拳銃不法所持で逮捕[13]。平尾が独自にハワイから持ち帰り、帰国後「日頃、興行でお世話になっているから」と[13]、名古屋と東京の暴力団組長に拳銃をプレゼントした事件が発覚した[13]。平尾は22日間拘留され[13]、釈放後「軽率だった」との反省文が雑誌に掲載された[13]。
ロカビリーブームが去った1965年頃、北海道からじわじわ火がつき始めた「おもいで」で再ブレイク[14]。「おもいで」は、渡辺プロの新人歌手だった布施明が1966年に再レコーディングし、これもヒットとなった[15]。続けて、作曲家として「霧の摩周湖」「恋」、じゅん&ネネ「愛するってこわい」[16][17]、梓みちよに提供した「渚のセニョリーナ」などがヒット。「霧の摩周湖」、「渚のセニョリーナ」では、第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞。
その後も作曲家として非凡な才能を発揮していたが、1968年12月3日[18]、結核を患い健康保険岡谷塩嶺病院への長期間入院による療養を余儀なくされ、肋骨を6本取り除く大手術を受ける。1969年11月30日に退院[18]。平尾自身は、この療養期間が作曲家としての活動の原点であることを事あるごとに語っている[19]。
1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス調まで様々な作風の曲を五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャン等に提供している。作詞家の山口洋子とのコンビは、この時代を代表するゴールデン・コンビとして知られている。
1971年、五木ひろしに提供した「よこはま・たそがれ」、小柳ルミ子に提供した「わたしの城下町」がそれぞれ大ヒット。
1972年、小柳ルミ子に提供した「瀬戸の花嫁」で第3回日本歌謡大賞受賞。
1973年、五木ひろしに提供した「夜空」で第15回日本レコード大賞受賞。
1974年、「平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール=HMS)」を創立[20]。東京本校の他、札幌、所沢、茨城、名古屋、大阪、福岡、鹿児島にも地方校があり、デビューバックアップもする。同校出身者は狩人、畑中葉子、川島なお美、石野真子、松田聖子、川崎麻世、大沢逸美、森口博子、芳本美代子、笹峰愛、倖田來未、後藤真希、西田あい、など。歌手としては、生徒の一人である畑中葉子とデュオを組み、「カナダからの手紙」「ヨーロッパでさよなら」等のヒットを出した。また、彼が日本でのデビューのきっかけを作ったアグネス・チャンとも、「香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)」でデュオを組んだ。
1980年代のNHKの人気番組『レッツゴーヤング』の司会などにも携わる一方、『平尾昌晃の部屋』など、ラジオ番組のパーソナリティも務めた。その他、人気テレビ番組『熱中時代』での「僕の先生はフィーバー」、「やさしさ紙芝居」、『熱中時代-刑事編』の「カリフォルニア・コネクション」の他、ABC発テレビ朝日系時代劇の『必殺シリーズ』、アニメ『銀河鉄道999』などの音楽を手掛ける。また1980年代初頭から宝塚歌劇団の舞台音楽も手掛けており、こちらは今日に至るまで長きに渡って関係が続いている[21]。
俳優としても、『二階の他人』などに出演。競走馬オーナーとしては中央競馬で3勝したスーパーミヨチャンなどを所有[22]。またジャパンカップ優勝のローズキングダムの一口馬主でもある。オートレースのファンとしても有名で、川口オートレース場には年間ボックスシートを持っているほど。作曲者としても川口オートのテーマソングとなる『ぶっちぎりの青春』を提供した。音楽活動のみならず、『ものまねバトル』(日本テレビ系)の審査員、チャリティゴルフの企画等、幅広く活躍。
2001年、モンブラン国際文化賞受賞。
2002年、特定非営利活動法人「ラブ&ハーモニー基金」を設立。音楽を通じた福祉活動を展開している。
2005年、歌手を目指す若い人、生徒のために自主レーベルのHMSレコードを立ち上げて優秀な生徒をCDデビューさせている。
2006年、大晦日の『第57回NHK紅白歌合戦』では同年3月に逝去した宮川泰の後を受け「蛍の光」の指揮者に就任し、2016年の第67回まで11年間務めた。但し宮川やその前任の藤山一郎、前田璣などと比較するべくもなく本格的に勉強した指揮法ではなく、いわば名誉職的な役割である事を本人も認めている。
2017年7月21日、肺炎のため東京都内の病院で死去[1]。79歳没。訃報後の7月23日、2016年に再々婚していたことが明らかとなった[23]。平尾の葬儀は親族らによる密葬の形で7月30日に執り行われたため、10月30日に東京・青山葬儀所にて渡邊美佐(渡辺プロダクショングループ代表)を葬儀委員長とし、故人と縁のあった布施明、原辰徳、青木功らを発起人とし『故 平尾昌晃 葬儀・告別式』と題して公のお別れの会が行われ、原辰徳が弔辞を読み、布施明と五木ひろしが『霧の摩周湖』と『よこはま・たそがれ』を霊前に捧げるべく熱唱し、葬儀に参列した歌手らにより小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』を合唱するなどして故人を偲んだ[24]。没後に第59回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた[25]。
作曲家としての提供曲
サウンドトラック
あ行
- 藍美代子
- 葵三音子
- 「哀愁」(「必殺仕置屋稼業」主題歌)
- 朝比奈マリア
- 「星空のラストソング」「太陽は死なない」(「わが青春のアルカディア」挿入歌)
- アグネス・チャン
- 梓みちよ
- 天地真理
- 鮎川いずみ
- 荒木一郎
- 荒木由美子
- 「フラストレーション」
- 「UNHAPPY END」
- 「夢あわせ」
- アン・ルイス
- 「グッド・バイ・マイ・ラブ」(作詞:なかにし礼)
- 五木ひろし
- 伊東ゆかり
- 「小さな恋」
- 「恋のしずく」
- 「星を見ないで」
- 「知らなかったの」
- 「愛して愛して」
- 「朝を返して」
- 大場久美子
- 「キラキラ星あげる」(「コメットさん」主題歌)
- 大塚たけし
- 奥村チヨ
- 「夜よそのままで」
- 尾崎紀世彦
- 小沢深雪
- 「さすらいの唄」「夜空の慕情」(「必殺必中仕事屋稼業」主題歌・挿入歌)
か行
- 柏原芳恵
- 「花嫁になる朝」
- 梶芽衣子
- 「修羅の花」(映画「修羅雪姫」主題歌)
- 春日八郎
- 「からまつ岬」
- 金沢明子
- 「浜千鳥情話」(「必殺仕事人」主題歌)
- 狩人
- 「白馬山麓」(作詞:喜多條忠)
- 川崎麻世
- 「宇宙空母ブルーノア -大いなる海へ-」「夜間航海(ナイト・クルーズ)」(「宇宙空母ブルーノア」主題歌・副主題歌)
- 川谷拓三
- 川田ともこ
- こおろぎ'73
- 「いつの日か」(「サイボーグ009」テレビ版第2期 副主題歌)
- 小柳ルミ子
さ行
- ささきいさお
- 「銀河鉄道999」「青い地球」(「銀河鉄道999」主題歌・副主題歌)
- 「ぶっちぎりの青春」(川口オートレース場テーマソング)
- 桜田淳子
- 里見浩太朗
- 「微笑みかけて」(「長七郎江戸日記」第1部 主題歌)
- 沢田研二
- 「あなただけでいい」
- 渋谷哲平
- 「わが青春のアルカディア」(「わが青春のアルカディア」主題歌)
- じゅん&ネネ
- 「愛するってこわい」
- 園まり
- 「愛情」
- 「泣きぬれて」
- 「おもいきり泣かせて」
た行
な行
- 永井みゆき
- 「蛇の目小紋の女」(生前最後のリリース曲)
- 中尾ミエ
- 「花のさだめ」
- 「淋しそうなあなた」
- 中条きよし
- 仲雅美
- 中村雅俊
- 「瞬間(ひととき)の愛」(「必殺渡し人」主題歌)
- 中山千夏
- 「もくべえじろべえ」(「ひらけ!ポンキッキ」より)
- 成田賢
- 「誰がために」(「サイボーグ009」テレビ版第2期 主題歌)
- 西崎みどり
- 西田あい
- 「ゆれて遠花火」
- 「ときめきカフェテラス」
- 「月見草」
- 「雨おんな」
- 「涙割り」
- 野口五郎
- 「愛よ甦れ」
は行
- 橋幸夫&ステファニー
- 林寛子
- 「危険がいっぱい」
- 平尾昌晃&畑中葉子
- 畑中葉子
- 「ロミオとジュリエット'79」
- 原辰徳
- 「どこまでも愛」
- 原田潤
- 「ぼくの先生はフィーバー」(「熱中時代」先生編 第1シリーズ 主題歌)
- 氷川きよし
- 「櫻」(作詞:なかにし礼)
- 大安蓮(ひろあれん)
- 藤田絵美子
- 布施明
- 風吹ジュン
- 「愛がはじまる時」
- 「涙に微笑みを」
- 本田博太郎
- 「風の旅人」(「必殺仕舞人」主題歌)
ま行
- 松田聖子
- 水木一郎
- 「キャプテンハーロック」「われらの旅立ち」(「宇宙海賊キャプテンハーロック」主題歌・副主題歌)
- みずきあい
- 「惜雪」(「新必殺からくり人」主題歌)
- 水谷豊
- 「カリフォルニア・コネクション」(「熱中時代」刑事編 主題歌、作詞:阿木燿子)
- 「やさしさ紙芝居」(「熱中時代」先生編 第2シリーズ 主題歌、作詞:松本隆)
- 「エンジェルSTREET」(西村京太郎「探偵左文字進」シリーズ主題歌、作詞:湯川れい子)
- 三井由美子
- 「やがて愛の日が」(「必殺仕置人」主題歌)
- ミッツ・マングローブ
- 「メロン娘とオレンジ娘」
- 三波春夫
- 「桃太郎侍の歌」
- 三橋美智也
- 都はるみ
- 「にごりえの町」
- 森本太郎とスーパースター
- 「望郷の旅」(「助け人走る」主題歌)
や行以降
その他
- ぶっちぎりの青春(川口オートレース場のイメージソング。歌は佐々木功)
- オートレースのファンファーレ
- ともだちがいる(第42回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲)
- やすらぎの時代へ
- ムーンライト・カーニバル(NHKレッツゴーヤングオープニング曲、作詞:森雪之丞)
など多数。
歌手としての作品
シングル
- リトル・ダーリン/バター・フィンガー(1958年1月)
- 星は何でも知っている/ロック夕やけ小やけ(1958年7月)
- ダイアナ/バルコニーにすわって(1958年)
- 好きなんだ! (I Love You)/ロック黒田節(1959年)
- A面曲は作詞・作曲:ポール・アンカ
- 恋の片道切符/黒のブルース(メンフィス・ブルース)(1960年)
- ランニング・ベア(悲しきインディアン)/レッド・リヴァー・ロック(1960年)
- A面曲はジョニー・プレストンのカバー。B面曲はジョニーとハリケーンズのカバー
- ミヨチャン/あの日から(1960年)
- 都の灯りにあこがれて/リカちゃん(1960年)
- あの娘16,おさげ髪/木曽の仲のりさん(1960年)
- ワゴン・トレイン(幌馬車隊)/アイ・ラヴ・パリス(1960年)
- おもいで/しあわせは音もなく(1961年)
- ジャニー・ギター/ビーバップ・ア・ルーラ(1961年)
- A面曲はペギー・リーのカバー、B面曲はジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスのカバー
- ムームー・ソング/夏の日の想い出(1961年)
- ギラギラロック/今夜はひとりかい?(1961年)
- B面曲はアル・ジョルソンやエルヴィス・プレスリーらが歌った曲のカバー
- 涙のムーディー・リヴァー/世界を旅する男(1961年)
- A面曲はチェイス・ウェブスターやパット・ブーンらが歌った曲のカバー。B面曲はリッキー・ネルソンのカバー
- いとしのルチア/道中伊勢音頭(1961年)
- 思い出の歌/雨の日だって楽しいさ(1961年)
- 嫌じゃありませんか/水車がガッタンコ(1961年)
- 夢の恋人/星の降るよな晩だった(1961年)
- クレイジー・ラヴ/ジザベル
- A面曲はジーン・ヴィンセントのカバー
- ジングル・ベル/別れのワルツ
- 男だけの世界/一人にしておくれ
- ロック聖者が街へやって来る/星の降る夜は
- 夏の夜の恋/何も言えずに(1962年)
- さあ!オリンピックだ(1964年)
- スピード野郎(1964年)
- ミュージカル「ラップ3分2秒8」主題歌。B面は亀井信夫とスペイスメンの「祈らずにいられない」
- あいつの涙/お月さま(1966年)
- 破れた恋にも虹がある/ひとりごと(1967年)
- 上陸!ロックン・ロール・タイフーン/聖者の行進(1977年6月)
- カナダからの手紙/揺れる二人(1978年1月10日)
- 畑中葉子とデュエット
- エーゲ海の旅/恋ごころ(1978年4月25日)
- 畑中葉子とデュエット
- サンフランシスコ行き/赤いレインコート(1978年)
- 畑中葉子とデュエット
- ヨーロッパでさよなら/東京ラブ・ストーリー(1978年)
- 畑中葉子とデュエット
- 遠い町/シンガーソングライター(1979年)
- NHK『レッツゴーヤング』エンディングテーマ曲
- 香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)/夕焼け(2002年7月21日)
- アグネス・チャンとデュエット
- 星空デート/恋ふたたび(2012年4月4日)
- 木の実ナナとデュエット
アルバム
- 平尾とロック
- マーチャン大いに歌う(1959年)
- 平尾昌章とオールスターズ・ワゴン
- 京都ベラミ平尾昌晃オン・ステージ(1972年) ※京都のナイトクラブ「ベラミ」で収録されたライヴアルバム
- disco train(1976年)
- 遠い町(1979年)
- 夢に向かって…(1998年5月22日)
- 音楽生活40周年記念盤。提供作品のセルフカバー
- メロディー〜ベストオブ平尾昌晃〜(2011年12月7日)
- 提供作品のセルフカバーに加え、書き下ろしの新曲を収録
- 必殺仕事人 新録劇伴集((必殺仕事人2007〜)(2016年11月30日)
ベストアルバム
- Nippon Rock'n'Roll - The Birth Of Japanese Rokabirii(2013年6月24日、イギリス盤)
- 決定版 2016 平尾昌晃(2015年11月11日)
ラジオ出演
テレビ出演
- 遠山の金さん 第1シリーズ 第10話「高砂や! 泣いて笑った花嫁御寮」(1982年6月10日、テレビ朝日 / 東映)
- 火曜サスペンス劇場 / 切り裂かれた時間(1983年1月11日、日本テレビ)
- NHK歌謡コンサート(2016年3月1日、NHK総合)「心ウキウキ!歌のひな祭り」『50周年作曲家 平尾昌晃』
映画出演
- 嵐を呼ぶ男(1957年)
- 愛河(1958年)
- 星は何でも知っている(1958年)
- 赤いランプの終列車(1958年)
- 単車で飛ばそう(1959年)
- 東京ロマンス・ウェイ(1959年)
- 待っていた花嫁(1959年)
- 可愛い花(1959年)
- 女は抵抗する(1960年)
- 恋の片道切符(1960年)
- 不良少女(1960年)
- 俺の故郷は大西部(1960年)
- 夕陽に赤い俺の顔(1961年)
- 引っ越しやつれ(1961年)
- 幽霊五十三次(1961年)
- 二階の他人(1961年)
- 若者たちの夜と昼(1962年)
- 大暴れ五十三次(1963年)
- 七人の刑事(1963年)
- 嵐を呼ぶ十八人(1963年)
- 東京オリンピック音頭 恋愛特ダネ合戦(1963年)
- 若い港(1964年)
- やればやるぜ全員集合(1968年)
紅白歌合戦出場歴
蛍の光・担当指揮
※「蛍の光」の3代目指揮者として藤山一郎・宮川泰の後を引き継ぎ、2006年(第57回)から死去前年の2016年(第67回)まで担当した[27]。
著書
- 『不死鳥のメロディー』潮出版社(1972年)
- 『これが、プロフェッショナルだ』泰流社(1977年)
- 『平尾昌晃のカラオケ100点満点―カラオケなんて恐くない!! (1983年)
- 『平尾昌晃の歌上手になる本』山口洋子編 講談社文庫(1986年)
- 『気まま人生歌の旅』広済堂出版(1994年)-自伝
- 『昭和歌謡1945~1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』廣済堂新書(2013年)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 作曲家・歌手の平尾昌晃さん死去 「カナダからの手紙」,朝日新聞,2017年7月22日
- ↑ 日本作曲家協会・役員)
- ↑ 日本音楽著作権協会・役員一覧)
- ↑ 平尾昌晃 『気まま人生歌の旅』 廣済堂出版、1994-09-01。ISBN 4-331-50453-0。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(1)初めて聴いたジャズに衝撃、スポーツ報知、2017年2月7日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(2)11歳で「のど自慢」鐘3つ、スポーツ報知、2017年2月8日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(3)あのひと言が運命の分かれ目、スポーツ報知、2017年2月9日14時0分。
- ↑ 8.0 8.1 【平尾昌晃・生涯青春】(5)「嵐を呼ぶ男」裕次郎さん、強烈オーラ、スポーツ報知、2017年2月11日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(6)「ロカビリー3人男」はマスコミ発、スポーツ報知、2017年2月14日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(9)作詞家・水島哲氏と出会い「日本の歌も歌いなよ」、スポーツ報知、2017年2月17日14時0分。
- ↑ 『読売新聞』1960年6月27日付夕刊、5頁。
- ↑ 12.0 12.1 【平尾昌晃・生涯青春】(8)「好きなんだ」なぜかハワイで大ヒット、スポーツ報知、2017年2月16日14時0分。
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 石橋春海 「麻薬、暴行...お騒がせ歌手事件簿」『封印歌謡大全』 三才ブックス、2007-04-15。ISBN 4-86199-066-3。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(10)「おもいで」が再ブレイク、スポーツ報知、2017年2月18日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(11)布施明に「おもいで」譲る、 スポーツ報知、2017年2月21日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(12)「霧の摩周湖」大ヒット!、スポーツ報知、2017年2月22日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(13)芥川澄夫や「じゅん&ネネ」育てた、スポーツ報知、2017年2月23日14時0分。
- ↑ 18.0 18.1 【平尾昌晃・生涯青春】(14)肋骨6本取って2度の手術、スポーツ報知、2017年2月24日14時0分。
- ↑ 音楽の力で社会福祉-平尾昌晃 独立行政法人福祉医療機構 機関誌『WAM』2011年1月号
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(20)畑中葉子とデュエット、スポーツ報知、2017年3月4日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(21)映画もアニメも宝塚も、スポーツ報知、2017年3月7日14時0分。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(22)オートレース全6場のファンファーレも製作、スポーツ報知、2017年3月8日14時0分。
- ↑ “平尾昌晃さん昨年再々婚していた!仕事関係の50代女性、献身的に看病”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2017年7月24日) . 2017-9-7閲覧.
- ↑ “平尾昌晃さんの葬儀・告別式は“歌唱葬”に 小柳ルミ子ら20人以上が合唱で別れ”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2017年10月30日) . 2017閲覧.
- ↑ 第59回日本レコード大賞各賞発表 TBSテレビ「輝く日本レコード大賞」公式サイト
- ↑ 大半の曲は竜崎孝路が編曲している。また、『江戸プロフェッショナル・必殺商売人』『必殺からくり人・富嶽百景殺し旅』『翔べ! 必殺うらごろし』の3作では、平尾の曲は使われていない。後期作品では他の作曲家が参加しているケースも見られるが、映像でのクレジットは原則として平尾のみの名義になっている。
- ↑ 【平尾昌晃・生涯青春】(25終)「紅白」「レコ大」には出演してほしい、スポーツ報知、2017年3月11日14時0分。
関連項目
- 平尾昌晃チャリティゴルフ
- 銀座ACB
- ローズキングダム - 日本の競走馬。平尾が一口馬主になっている。
- 鹿内春雄 - 元夫人の再婚相手だった(春雄も再婚だった)が、元夫人が長男出産後くも膜下出血で死去した。その後鹿内は頼近美津子と再々婚した。
外部リンク
- 平尾昌晃のホームページ
- 平尾昌晃ミュージックスクール本校
- 平尾昌晃ミュージックスクール新所沢
- 平尾昌晃ミュージックスクール大阪
- 平尾昌晃ミュージックスクール名古屋
- 平尾昌晃ミュージックスクール名古屋中日文化センター
- 平尾昌晃ミュージックスクール福岡
- HMSレコード
- 認定NPO法人ラブ&ハーモニー基金
- 平尾昌晃(ひらお まさあき)とは - コトバンク
- 平尾昌晃とは - Weblio辞書