垂井町
美濃国の国府趾、一宮などの所在地として有名であり、古代から美濃国の中心として栄えた。中世には中山道の宿場町、美濃路の分岐点、南宮大社の門前町として栄えた。戦国時代に豊臣秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛所縁の地としても有名であり菩提山城跡やその一族の竹中氏陣屋などがある。また、関ヶ原の戦いをはじめ承久の乱や南北朝動乱など天下を分かつ合戦の舞台でもあり、古代から近世までそれぞれの時代にゆかりの史跡がある。
Contents
地理
森林原野 32.65km2(57.1%) |
農用地 10.56km2(18.5%) |
宅地 7.19km2(12.6%) |
道路 3.47km2(6.1%) |
その他 3.28km2(5.7%) |
気候
- 夏は高温多湿で蒸し暑く38℃を越えることがある。一方、冬は積雪量が世界山岳気象観測史上1位(ギネス登録)となった伊吹山から「伊吹おろし」と呼ばれる風が福井県沿岸などの日本海側にも近いことから猛烈な吹雪となり吹き下ろしてくる。
方言(アクセント)
垂井町から滋賀県米原市にかけての人々は、垂井式アクセントという、京阪式アクセントの変種を方言として使う。方言学者の服部四郎が初めて垂井町で発見して命名した。
垂井の地名由来
- 垂井(たるい)
古くから垂井の泉(=水の垂る泉)で歌枕(たるいの水)として多くの歌人に詠まれていたことに由来。
- 宮代(みやしろ)
「御屋(神社や御所)+代(場所)」で神様や天皇のいる場所を表しており、南宮大社や聖武天皇が行幸された場所(不破頓宮)に由来。
- 府中(ふちゅう)
美濃国府がこの場所にあったことに由来。
- 綾戸(あやど)
渡来人の漢(あや)氏と呼ばれる綾を織る人々が集住したことに由来。
- 表佐(おさ)
渡来人の日佐(おさ)氏と呼ばれる古代の通訳が集住したことに由来。
- 栗原(くりはら)
呉国からの渡来人である呉原(くれはら)氏が集住したことに由来。
- 岩手(いわで)
岩手氏がこの地を治めていたことに由来。もしくは岩の出っ張ったところに由来。
隣接している自治体
歴史
先史:詳細、古代:詳細、中世:詳細、近世:詳細、近代:詳細、現代:詳細
先史
- 縄文時代 ‐ 大滝野遺跡(府中地区)、長尾遺跡(岩手地区)、南森下遺跡 / 小黒見遺跡(南宮山塊東部)、朝倉遺跡 / 北野遺跡 / 日守遺跡(朝倉山麓北斜面)など縄文中期~晩期の遺跡が見つかっている。草創期~前期の遺跡は発見されていない。
- 弥生時代 ‐ 日守遺跡、朝倉遺跡、境野遺跡などの遺跡が知られ、表佐地区では土器、石器が出土している事や隣接地の大垣市からもそれらが出土している事から大規模な農耕集団がこの付近に存在していたと考えられている。
- 4世紀後半 ‐ 親ヶ谷古墳が作られる。その後、朝倉古墳など前方後円墳がつくられる。
- 7世紀前半 ‐ 南大塚古墳がつくられる。
※現在150基ほどの古墳が見つかっている。
古代
- 645年 ‐ 府中に美濃国府をおく。
- 672年 ‐ 大海人皇子が不破郡家に入る。
- 717年 ‐ 元正天皇垂井に行幸。
- 739年 ‐ 真禅院が創建されたとされる。
- 740年 ‐ 聖武天皇が不破頓宮、宮処寺、曳常泉に行幸。
- 790年頃 ‐ 最澄によって真禅院と南宮大社が神仏習合される。
- 8世紀後半 ‐ 美濃国分尼寺が建てられる。
- 828年 ‐ 菩提寺が定額寺に列せられる。
- 880年 ‐ 在原業平が表佐に現:薬師寺の元となる館を建てる。
- 939年 ‐ 承平天慶の乱の際、朱雀天皇の勅令により南宮大社で平将門調伏祈願が行われる。
- 1017年 ‐ 後一条天皇南宮大社に駅鈴を給す。
- 1051年頃 ‐ 前九年の役の際、後冷泉天皇の勅令により南宮大社で安倍貞任追討祈願が行われる。
中世
- 1221年 ‐ 承久の乱で幕府軍が垂井宿に陣営する。
- 1280年 ‐ 南宮大社で元寇の勝利を祈る。
- 1338年 ‐ 青野ヶ原の戦いがおこる。
- 1353年6月13日 ‐ 南朝方に京を追われた後光厳天皇は足利義詮と共に垂井へ有らせられる。
- 1353年 ‐ 美濃国守護土岐頼康によって長屋氏屋敷の隣に垂井頓宮が造営される。
(その頃、原、蜂屋らの南朝方がここを襲うと聞いた為、頼康の居城、揖斐小島の頓宮へ)
- 1353年8月25日 ‐ 後光厳天皇は垂井頓宮へ遷幸。
- 1353年9月3日 ‐ 足利尊氏の大軍が垂井に到着。
- 1353年9月17日 ‐ 尊氏の病気が治ったため京へ遷幸。
- 垂井曳山まつりは、この間に始められる。
- 1441年 ‐ 関東公方足利持氏の子春王丸・安王丸が垂井の金蓮寺で処刑される。
- 1444年 ‐ 富島氏、斎藤氏の垂井合戦。
- 1473年 ‐ 一条兼良が垂井宿に泊まる。
- 1476年 ‐ 宗祇が表佐に来る。
- 1559年 ‐ 竹中重元が菩提山城をつくる。
近世
- 1593年 ‐ 伏見城築城の用材が表佐湊に陸揚げされる。
- 1600年 ‐ 関ヶ原の戦いがおこる。垂井でも南宮山を中心に戦の舞台となる。城主の平塚為広が討死のため垂井城は廃城となる。南宮大社、伊富岐神社が戦火で消失する。
- 1600年 ‐ 竹中重門が竹中氏陣屋に居を移す。
- 1642年 ‐ 関ヶ原の戦いで焼失した、南宮大社を徳川家光が再建する。
- 1691年 ‐ 松尾芭蕉が垂井に滞在する。
- 1729年 ‐ 垂井から美濃路経由で象が通る。
- 1755年 ‐ 垂井宿で大火がおこる。
- 1861年 ‐ 和宮が中山道を通過される。
近代
- 1868年 ‐ 神仏分離により、南宮大社内の寺院・仏堂を統廃合し、朝倉山に真禅院が移される。
- 1872年 ‐ 垂井に郵便取扱所ができる。
- 1879年 ‐ 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての不破郡が発足。郡役所が垂井村に設置。
- 1884年 ‐ 垂井駅が開業する。
- 1884年 ‐ 島田警察署垂井分署ができる。
- 1889年7月1日 ‐ 町村制施行に伴い、垂井町が誕生。
- 1891年 ‐ 濃尾地震がおこる。
- 1897年 ‐ 郡制を施行。
- 1919年7月29日 ‐ 垂井駅付近の相川橋梁で列車衝突事故がおこる。死者1名、重傷者8名[1]。
- 1920年 ‐ 大谷池が完成する。
現代
- 1944年 ‐ 東海道本線の迂回線(下り本線)が完成する。同時に新垂井駅が開業する。
- 1945年 ‐ 垂井が空襲をうける。
- 1946年 ‐ 南荒尾信号場‐関ケ原駅間で東海道線(上り)と並行して垂井線が敷設される。
- 1954年9月10日 ‐ 岩手村、府中村、宮代村、表佐村が合併し、ほぼ現在の垂井町が形作られる[2]。
- 1954年12月1日 ‐ 合原村を編入[3]。
- 1959年 ‐ 伊勢湾台風により大きな被害を受ける。
- 1962年7月31日 ‐ 「垂」の字を図案化した町章を制定する。[4][5] [6] [7]
- 1965年 ‐ 第20回国民体育大会の弓道競技が垂井町弓道場で行われる。
- 1974年9月19日 ‐ 町の木を制定する。[8][7][6]
- 1980年3月23日 ‐ 町の花を制定する。[9][7][6]
- 1980年3月23日 ‐ スポーツの町宣言をする。[10][11][7]
- 1986年11月1日 ‐ 新垂井駅が廃止となる。これにより此方の迂回線(下り本線)は貨物列車、優等列車専用となる。
- 1989年 ‐ 第1回ふれあい垂井ピアが開催される。
- 1991年 ‐ 美濃国府跡の発掘調査が始まる。
- 2004年 ‐ 住民投票により「西濃圏域合併協議会」から離脱。
- 2012年 ‐ 第67回国民体育大会の軟式野球の会場として朝倉運動公園が使用される。
人口
垂井町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 歴代町長
- 1代:多賀多門(1954年10月4日~1958年10月3日)
- 2代:国枝利一(1958年10月3日~1962年9月21日)
- 3代:八木野辨二(1962年9月22日~1974年9月21日)
- 4代:早野光二郎(1974年9月22日~1986年9月21日)
- 5代:松井修(1986年9月22日~1991年3月21日)※
- 6代:田中幸雄(1991年4月22日~2003年4月21日)
- 7代:中川満也(2003年4月22日~在任中)
※松井修氏が、脳内出血で急逝したため町長不在期間がある。
交通
鉄道
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- CA東海道本線(下り本線): 新垂井駅(廃駅)
町内を東海道本線が通過しているが、上下線で離れている。町域北部を通る下り線(登坂迂回線)は現在では基本的に貨物列車や特急列車のみが通行し、普通列車は上り線に平行して敷かれた「垂井線」を通って垂井駅に至る。(1986年までは下り線に新垂井駅が設置されており、同線を通行する普通列車も存在した。)
バス
- 名阪近鉄バス
- 稲葉線 <定期運行>
- 不破高校スクール線<運行日:不破高校の登校日>
- 大垣宮代線 <運行日:正月三が日>
- 大垣伊吹山線 <季節運行>
- 垂井町巡回バス <運行日:平日>
- 垂井・岩手線
- 府中・東線
- 垂井・宮代・表佐線
- 栗原・表佐・東線
- 池田温泉福祉バス(垂井駅ー池田温泉)<運行日:火・金・土・日・祝日>
道路
- 自然遊歩道
教育・子育て
高校
中学校
小学校
保育園・幼稚園・認定こども園
- 保育園
- 垂井こども園(保育園部)
- 垂井東こども園(保育園部)
- 宮代保育園
- 表佐保育園
- 府中保育園
- 岩手保育園
- 幼稚園
- 垂井こども園(幼稚園部)
- 垂井東こども園(幼稚園部)
- 宮代幼稚園
- 表佐幼稚園
- 府中幼稚園
- 岩手幼稚園
- 認定こども園
- ハチスチルドレンズセンター <私立>
経済
特産品
産業
- 主な企業
- グルマンマルセ 本店
- 春日養蜂場 本社
- ナブテスコ 岐阜工場 / 垂井工場
- 三和シャッター 岐阜工場
- 未来工業 垂井工場
- マグ・イゾベール 垂井工場
- クラレプラスチックス 伊吹工場
- LIXIL 伊吹工場
- ユニチカ 垂井事業所
- 日本板硝子 垂井事業所
金融機関
- 十六銀行、大垣共立銀行、大垣西濃信用金庫の支店がある。
- 出張所は東海労働金庫がある。
- 証券会社は新大垣証券がある。
- 日本郵便株式会社は、垂井郵便局を筆頭に、計6の郵便局がある。
- 農協には西美濃農業協同組合(JAにしみの)垂井支店など計7の支店がある。
公共施設
- 役所
- 警察
- 垂井警察署
- 表佐駐在所
- 岩手駐在所
- 府中駐在所
- 消防
- 不破消防組合
- 消防本部
- 東消防署
- スポーツ施設
- 朝倉運動公園
- 南体育館
- 北部グラウンド
- 垂井町弓道場
- 文化施設
- 病院
- 博愛会病院
- 不破ノ関病院
姉妹都市・友好都市
海外
姉妹都市
国内
提携都市(災害時相互応援協定)
- 兵庫県の旗三木市(兵庫県)
- 2016年10月24日締結
- 養老町(岐阜県)
- 2017年5月9日締結
- 関ケ原町(岐阜県)
- 2017年5月9日締結
- 神戸町(岐阜県)
- 2017年5月9日締結
- 輪之内町(岐阜県)
- 2017年5月9日締結
- 安八町(岐阜県)
- 2017年5月9日締結
名所・旧跡・観光スポット
神社
国府・寺院
- 美濃国府跡(国の史跡)
- 朝倉山真禅院(本地堂、三重塔、梵鐘は国の重要文化財)
- 金蓮寺(足利持氏の遺児の足利春王丸、足利安王丸が処刑された場所)
- 願證寺(蓮淳が開基)
- 禅幢寺(竹中重治の菩提寺)
- 薬師寺 (在原業平所縁の寺)
- 菩提寺
- 宮代廃寺跡(県の史跡)
- 宮処寺跡(県の史跡)
- 美濃国分尼寺跡(推定地)
近世の交通
城郭
- 長屋氏屋敷跡
- 垂井城跡(現:専精寺)
- 菩提山城跡
- 府中城跡(現:安立寺)
- 竹中氏陣屋跡
- 毛利秀元陣跡(南宮山陣城)
- 長宗我部盛親陣跡
- 吉川広家陣跡
- 安国寺恵瓊陣所跡
- 長束正家陣跡
- 池田輝政陣跡
- 浅野幸長陣跡
墓
自然
- 垂井の泉(岐阜県の名水50選、地名の由来の泉)
- 不破の滝
- 相川鯉のぼり一斉遊泳(3月下旬~GW、約350匹が遊泳する)
- 桜の名所でもある。
- 明神湖
- 青羅公園
- 朝倉運動公園
- 連理の榊(県の天然記念物、樹齢300~400年)
主な祭典・芸能・催事
- 桜まつり [4月上旬]
- 伊吹祭り [4月第2日曜日]
- 垂井曳山祭り(曳山は県の重要有形民俗文化財) [5月2~4日]
- 南宮の神事芸能(国の重要無形民俗文化財)[5月4、5日]
- 泉まつり [7月第1土曜日]
- 表佐太鼓踊(県の重要無形民俗文化財) [10月第1日曜日]
- 大石まつり [10月第2日曜日]
- ふれあい垂井ピア [11月上旬頃]
- 金山祭 [11月8日]
- 中山道垂井宿まつり
登場作品
- 『細雪』(蛍狩) ‐ 表佐地区が舞台
※谷崎潤一郎が執筆に利用した「爛柯亭」は現在郡上市へ移築されている。
- 『ミステリー列車が消えた』 ‐ 特殊駅として新垂井駅が登場
著名な出身者
- 朝井リョウ - 小説家(直木賞受賞)
- 大須みづほ ‐ 女優
- 神田孝平 ‐ 洋学者、政治家
- 清水古関 ‐ 日本画家(四条派)
- 高橋靖子 - 女優、吉本新喜劇
- 竹中彰元 - 真宗大谷派(東本願寺)明泉寺の住職
- 竹中半兵衛 ‐ 戦国時代を代表する軍師
- 中川千世 ‐ バレーボール選手
- 長原孝太郎 ‐ 洋画家、元東京美術学校教授
- 不破光治 ‐ 武将
- 南隼人 ‐ アナウンサー、MC、DJ
- 森知奈美 - 陸上選手
脚注
- ↑ “暗夜垂井駅(東海道線)に演ぜられたる急行列車顛覆の惨事”. 大阪毎日新聞 (1919年7月31日). . 2017閲覧.
- ↑ 岐阜県告示第430号
- ↑ 岐阜県告示第575号・垂井町議第45号
- ↑ 図典 日本の市町村章 p126
- ↑ “垂井町徽章”. 垂井町例規集. . 2012-5-26閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 6.2 “まちの概要”. 垂井町. . 2017閲覧.
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 http://www.town.tarui.lg.jp/_files/00000079/youran2016.pdf (PDF)
- ↑ “垂井町町の木”. 垂井町例規集. . 2012-5-26閲覧.
- ↑ “垂井町町の花”. 垂井町例規集. . 2012-5-26閲覧.
- ↑ “第1次基本集計”. 垂井町. . 2012-5-26閲覧.
- ↑ “スポーツの町宣言”. 垂井町例規集. . 2012-5-26閲覧.
- 参考文献
- 『図典 日本の市町村章』 小学館辞典編集部、小学館、2007-01-10、初版第1刷。ISBN 4095263113。
外部リンク
- 日本の地方公共団体一覧
- 垂井町
- 新修垂井町史 史料編:岐阜県図書館
- 垂井町合併経過資料
- 垂井町文化財マップ