徳川家光
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徳川家光 | |
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時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶長9年7月17日(1604年8月12日) |
死没 | 慶安4年4月20日(1651年6月8日) |
幕府 | 江戸幕府3代征夷大将軍(在任1623年 - 1651年) |
氏族 | 徳川氏 |
徳川 家光(とくがわ いえみつ)
江戸幕府3代将軍(在職 1623~51)。徳川秀忠の二男(長兄長丸は夭折)。母は浅井長政の娘徳子。幼名は竹千代。院号は大猷院。元和9(1623)年7月27日征夷大将軍宣下。幕府の諸制度を整備し,法度,兵制,対朝廷政策など種々の面で体制的基礎を確立。初めは土井利勝,酒井忠世らの補佐を得て幕政にあたったが,のち松平信綱,堀田正盛らも重用。当初は父秀忠が西の丸にあって後見していたが,寛永9(1632)年父の死後は大名統制の強化,キリシタンの弾圧(キリスト教禁制),鎖国の実施など,いわゆる武断政治を行なった。一方,浪費癖が強く徳川家康以来蓄積した金銀を日光東照宮(東照宮)の建設などに投じ,幕府財政窮乏の原因をつくった。