直木三十五賞

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直木三十五賞
受賞対象 各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)・単行本として発表された短編・長編大衆文芸作品の無名・新進・中堅作家
主催 公益財団法人日本文学振興会
日本の旗 日本
授賞式会場 東京會舘帝国ホテル
初回 1935年
最新回 2018年上半期
最新受賞者 島本理生
公式サイト www.bunshun.co.jp/award/index.htm
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直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)は、無名・新人及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞である。通称は直木賞

かつては芥川賞と同じく無名・新人作家に対する賞であったが、次第に中堅作家中心に移行、現在ではほぼキャリアは関係なくなっており、長老級の大ベテランが受賞することも多々ある[注釈 1]

沿革

文藝春秋社社長の菊池寛が友人の直木三十五を記念して1935年芥川龍之介賞(芥川賞)とともに創設し、以降年2回発表される。

授賞する作品は選考委員の合議によって決定される。第6回から、財団法人日本文学振興会により運営されている。第二次世界大戦中の1945年から一時中断したが、1949年に復活した。

2016年現在の選考委員は、浅田次郎伊集院静北方謙三桐野夏生高村薫林真理子東野圭吾宮城谷昌光宮部みゆきの9名(2014年上半期以降)。選考会は、料亭・新喜楽の2階で行われる(芥川賞選考会は1階)。芥川賞と直木賞の受賞者記者会見とその翌月の授賞式は、ともに東京會舘で行われてきたが、同館の建て替えにともない現在は帝国ホテルで行われている。

受賞者には正賞として懐中時計、副賞として100万円が贈呈され、受賞作は『オール讀物』に掲載される。 なお、複数の受賞者がいる場合でもそれぞれに賞品と100万円の賞金が贈呈される。

傾向

発足当初の対象は新人による大衆小説であり、芥川賞とは密接不可分の関係にある。また、運営者である日本文学振興会の事務所が社内に置かれている文藝春秋から刊行、あるいは同社の雑誌に掲載された小説に対して多く授賞している傾向があり、文藝春秋とも事実上不可分の関係となっている。

創設時、選考の対象は「無名若しくは新進作家の大衆文芸」(直木賞規定)であったが、戦後になり回を重ねるごとに芥川賞と比べて若手新人が受賞しにくい傾向となった。これは1つには各回の選評にしばしばあるように大衆文学を対象とする賞の性質上、受賞後作家として一本立ちするだけの筆力があるかどうかを選考委員が重視したためであり、背景には「大衆小説は作品を売ることで作家として生計を立ててゆく必要がある」という考え方があったものと推測される。また創設時にはまだ新進のジャンルであった大衆文学の分野における実質唯一の新人賞であった直木賞が、戦後多くの出版社によって後発の大衆文学の賞が創設されていく中にあって、当該分野の中でもっとも長い歴史と権威を持つ、大衆文学の進むべき方向を明らかにする重要な賞として位置づけられるようになったこととも関係があるだろう。

現在ではこのような状態が長く続いたため選考基準に中堅作家という一項が新たに加えられ、実質的には既に一定のキャリアを持つ人気実力派作家のための賞という設定となり、直木賞が当初に持たされていた「文学界の有望新人を発掘する」という機能はおのずから他の新人賞に振られることとなった。結果としてすでに中堅・ベテランの著名作家として名を成している人物に対していわゆる「遅すぎたノミネート」「遅すぎた受賞」を行うケースが多く、さらに既に人気作家となっている者にあっては選考(候補)を辞退する事例も起きており[注釈 2][1]この点で文芸界・各種マスコミの内外で数多くの議論が巻き起こってきたことも事実である。

選考対象の「大衆小説」にまつわる問題としては、推理小説を主たる活動分野とする作家が受賞しにくい傾向がまず挙がる。同様に大衆小説内でも発展期以降の歴史が比較的浅いSFファンタジーなども選考段階では幾度か俎上に上げられてはいるが、実際の受賞事例は景山民夫遠い海から来たCOO』が唯一である。昭和末期に勃興したライトノベルのレーベルから刊行された作品の中にも広義にいえば若年層向けの大衆文学ともいえる要素を内含している作品が一部見られるが、日本文学振興会と密接な関係にある文藝春秋がこのジャンルに対するノウハウを持ち合わせていないためか、ほぼ目が向けられていないに等しい(ライトノベル出身の受賞作家としては桜庭一樹がいるが、受賞作は一般文芸誌に掲載された作品であった)。この様に現在でも空想性が極端に高い推理・SF・ファンタジー等のジャンルに対する評価が総じて低いのも直木賞選考の特徴である。古くより選考委員の席の大半を過去の本賞受賞者が占めていることもあってか、毎回行われる選評での高評価も伝奇小説時代小説歴史小説・人情小説などといった多くの受賞者が属する従来型の大衆文学に属する作品に偏りがちで、新規に開拓された後発ジャンルや選考委員たちが専門知識を持たないか興味の薄いジャンルに対してはジャンルそのものへの理解が乏しい、言い換えれば守旧的な選考を行う傾向が根強い一面がある。この様な風潮によって受賞を逃した作家には小松左京星新一筒井康隆万城目学などがおり、中でも不利とされるSFを専門範囲とし三度にわたり落選の憂き目を見た筒井は、後に『別冊文藝春秋』において、直木賞をもじった「直廾賞」の選考委員たちが皆殺しにされるという、直木賞選考を批判的に風刺した小説「大いなる助走」を発表している。

最年少・最年長受賞記録

最年少受賞記録
順位 受賞者名 受賞時期 受賞時の年齢
1 堤千代 1940年上半期(第11回)
22歳10ヶ月
2 朝井リョウ 2012年下半期(第148回)
23歳07ヶ月
3 平岩弓枝 1959年上半期(第41回)
27歳04ヶ月
4 山田詠美 1987年上半期(第97回)
28歳05ヶ月
5 三浦しをん 2006年上半期(第135回)
29歳09ヶ月
最年長受賞記録
順位 受賞者名 受賞年 受賞時の年齢
1 星川清司 1989年下半期(第102回)0
68歳02ヶ月
2 青山文平 2015年下半期(第154回)0
67歳01ヶ月
3 古川薫 1990年下半期(第104回)0
65歳07ヶ月
4 黒川博行 2014年上半期(第151回)0
65歳04ヶ月
5 佐藤得二 1963年上半期(第49回)0
64歳05ヶ月

受賞作一覧

上半期は同年8月に、下半期は翌年2月に授賞式が行われる。

第1 - 10回

  • 第1回(1935年上半期) - 川口松太郎「鶴八鶴次郎」「風流深川唄」「明治一代女」
  • 第2回(1935年下半期) - 鷲尾雨工吉野朝太平記』他
  • 第3回(1936年上半期) - 海音寺潮五郎「天正女合戦」「武道傳來記」
  • 第4回(1936年下半期) - 木々高太郎『人生の阿呆』他
  • 第5回(1937年上半期) - 該当作品なし
  • 第6回(1937年下半期) - 井伏鱒二『ジョン萬次郎漂流記』他
  • 第7回(1938年上半期) - 橘外男「ナリン殿下への回想」
  • 第8回(1938年下半期) - 大池唯雄「兜首」「秋田口の兄弟」
  • 第9回(1939年上半期) - 該当作品なし
  • 第10回(1939年下半期) - 該当作品なし

第11 - 20回

  • 第11回(1940年上半期) - 堤千代「小指」他、河内仙介「軍事郵便」
  • 第12回(1940年下半期) - 村上元三「上総風土記」他
  • 第13回(1941年上半期) - 木村荘十「雲南守備兵」
  • 第14回(1941年下半期) - 該当作品なし
  • 第15回(1942年上半期) - 該当作品なし
  • 第16回(1942年下半期) - 田岡典夫「強情いちご」他、神崎武雄「寛容」他
  • 第17回(1943年上半期) - 山本周五郎「日本婦道記」(受賞辞退)
  • 第18回(1943年下半期) - 森荘已池「山畠」「蛾と笹舟」
  • 第19回(1944年上半期) - 岡田誠三「ニューギニア山岳戦」
  • 第20回(1944年下半期) - 該当作品なし

第21 - 30回

第31 - 40回

第41 - 50回

第51 - 60回

第61 - 70回

  • 第61回(1969年上半期) - 佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』
  • 第62回(1969年下半期) - 該当作品なし
  • 第63回(1970年上半期) - 結城昌治「軍旗はためく下に」、渡辺淳一「光と影」
  • 第64回(1970年下半期) - 豊田穣『長良川』
  • 第65回(1971年上半期) - 該当作品なし
  • 第66回(1971年下半期) - 該当作品なし
  • 第67回(1972年上半期) - 綱淵謙錠『斬』、井上ひさし「手鎖心中」
  • 第68回(1972年下半期) - 該当作品なし
  • 第69回(1973年上半期) - 長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」、藤沢周平「暗殺の年輪」
  • 第70回(1973年下半期) - 該当作品なし

第71 - 80回

第81 - 90回

第91 - 100回

第101 - 110回

第111 - 120回

第121 - 130回

第131 - 140回

第141 - 150回

第151回 -

テレビ

脚注

注釈

  1. 第157回の佐藤正午はデビュー34年目、第97回の白石一郎は32年目、第142回の佐々木譲は30年目、第122回のなかにし礼は(小説に限定しても)29年目、第89回の胡桃沢耕史は28年目、第148回の安部龍太郎は25年目の受賞である。
  2. 2002年下半期(第128回)で、「半落ち」で3度目の候補に挙がるものの、選考委員からの「基本的な事実誤認がある」という批判から落選した横山秀夫と、2008年下半期(第140回)で、執筆活動に専念したいという理由から「ゴールデンスランバー」が候補になることを辞退した伊坂幸太郎が挙げられる。

出典

  1. asahi.com (2008年7月8日). “伊坂幸太郎さん、直木賞選考対象から辞退”. . 2011閲覧.
  2. 2.0 2.1 “芥川賞に松村栄子氏 直木賞 高橋義氏と高橋克氏”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 30. (1992年1月17日) 
  3. 3.0 3.1 “3氏が喜び語る 芥川・直木賞授賞式”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 15. (1992年2月27日) 

外部リンク