濃尾平野
濃尾平野(のうびへいや)は、岐阜県(美濃)南西部から愛知県(尾張)北西部と三重県北部の一部にかけて広がる平野である。地質学的には木曽三川(木曾川・長良川・揖斐川)により形成された沖積平野であり、その土壌は肥沃である。西は伊吹山地と養老山地、東は尾張丘陵、北は両白山地に囲まれ、南は伊勢湾に面する。南西部の木曽三川の河口付近で伊勢平野とつながっている。
地形
木曽三川下流では後背湿地が広がり、海抜0m以下の地域もある。有史以来、水害がしばしば起こったため、集落全体を堤防で囲った輪中が鎌倉時代以降作られた。この地方にだけ見られる独特の構造物であったが、明治時代に入って木曽川、長良川及び揖斐川の三川の大規模な治水事業により水害は激減したため輪中の必要性は薄くなり逆に道路交通に支障をきたすとして多くが削り取られたり取り壊されたりした[1]。また戦争中の食糧難によって比較的上流にある輪中は次々に田畑にされ、現在は殆ど残っていない。 津島、名古屋、熱田等の旧市街地は小高い台地の上にあり水害に遭いにくいが水運に恵まれた場所が古来より栄えていた。
濃尾平野の地形は、大別して北東部の美濃加茂市等に見られる木曽川河岸段丘群、各務原市等にみられる扇状地地域、濃尾平野中央部の氾濫原地域及び伊勢湾沿岸の三角州(干拓デルタを含む)地域に分けられる。
濃尾平野の西端には養老-桑名-四日市断層帯があり、この断層を境に西側は隆起して養老山地となり、東側は沈降して木曽三川が流れている。これにより、濃尾平野の地下には西側にむかって傾斜する構造が見られる。このような現象を濃尾傾動運動と呼ぶ。 東濃丘陵から流れ出る木曽川、郡上の谷から流れ出る長良川は、濃尾平野に出るとこの傾斜により、西に流れを変え、養老断層際の揖斐川へ向かって流れる。水量の多い三川が平野の西側に集中し、水害が多くなる要因となっている。
1891年(明治24年)10月28日に濃尾地方で発生した、日本史上最大の内陸地殻内地震である濃尾地震では平野部で甚大な被害が発生している。
気候
一方で、日本海側と太平洋側を分ける伊吹山地と鈴鹿山脈が濃尾平野北西の関ケ原町~近江盆地北東部の米原市付近で途切れているため、強い冬型の気圧配置になると雪雲がそこから濃尾平野に流入し岐阜県南西部や愛知県北西部などでしばしば局地的な大雪に見舞われることがある。都市部で20cmを超える積雪を記録する事もあり、2005年12月19日には平成18年豪雪により、名古屋市で1947年2月3日以来、58年ぶりとなる23cmの積雪を記録。さらに、2014年12月18日にも23cmの積雪を記録した。ちなみに名古屋市の最も多い積雪量は、1945年12月19日に降った49㎝である。
主な都市
- 愛知県
- 名古屋市⁂、一宮市*、春日井市*、小牧市、犬山市、江南市、岩倉市、稲沢市、あま市、津島市、愛西市、弥富市など
- 岐阜県
- 岐阜市⁑、大垣市、各務原市、関市、美濃加茂市、可児市、羽島市など
- 三重県
- 桑名市長島地区、木曽岬町の一部地域
(太字は県庁所在地、⁂ は政令指定都市、⁑ は中核市、* は施行時特例市)
交通
古くから畿内と東国を結ぶ東西の要所として重要な交通路が通過している。また、内陸部への重要な交通路の基点ともなっている。
産業
農業
木曽三川下流の愛西市や海津市には輪中地帯には水田が広がり、稲作が盛ん。木曽川中流域の洪積台地や東部の丘陵地帯では、花き、野菜などの近郊農業が盛ん。北西部の本巣市付近では柿などの果樹栽培が盛ん。
工業
濃尾平野全域が中京工業地帯の一部である。名古屋市南部の臨海地区は、石油化学工業、製鉄業、機械工業などの工場地帯となっている。一宮市や大垣市周辺では繊維工業が盛ん。各務原市や小牧市周辺には航空機・宇宙関連産業が立地している。
商業
名古屋市都心部(名駅・栄周辺)は、中部地方随一の繁華街で、地下街が発達し、百貨店が立ち並ぶ。岐阜市中心部(柳ヶ瀬周辺)や一宮市中心部には、百貨店と大規模な商店街がある。春日井市中心部は近年、郊外型の大規模商業施設が増加している。