方言
方言(ほうげん)は、ある言語が地域によって別々な発達をし、音韻・文法・語彙(ごい)などの上で相違のあるいくつかの言語圏に分かれた、と見なされたときの、それぞれの地域の言語体系のこと[1]。ある地域での(他の地域とは異なった面をもつ)言語体系のこと。地域方言とも言い、普通、「方言」と言うと地域方言を指す。一方、同一地域内にあっても、社会階層や民族の違いなどによって言語体系が違う場合は社会方言と言う[2]。
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概説
言語は変化しやすいものなので、地域ごと、話者の集団ごとに必然的に多様化していく傾向があり、発音や語彙、文法に相違が生じる。そのために、差異の程度が別の言語までには広がっておらず同じ言語の変種と認められるものの、部分的に他の地域の言葉と異なった特徴を持つようになったものを方言と呼ぶ。
なお、方言同士が時を経てそれぞれ異なる方向に変化し、やがては意思の疎通ができなくなるが、このような過程のある段階で各々の方言は別言語だと看做されるようになる。同じ語族に属する言語とは、理論上、そもそも同じ言語(祖語)の方言がさらに変化して別言語に枝分かれしたものである。
方言・共通語・標準語
言語学的には「同語族・同語派・同語群の同系統の別の言語」と「同一言語の中の方言」を区別する明確な基準はなく、言語と方言の違いは曖昧である。中には、隣接する地域同士ではそれぞれ意思疎通が可能でも、数地域隔たると全く意思疎通ができなくなる場合もある。国境の有無や、友好国同士か敵対国同士かというような政治的・歴史的な条件、正書法の有無・差異などを根拠に両者の区別が議論されることもあり、例外は多々存在する。そのため、「世界にいくつの言語が存在するか」という質問への明確な答も存在しない。
「言語」と「方言」に境界線を引くための指標としてしばしば引用される警句に「言語とは、陸軍と海軍を持つ方言のことである」(イディッシュ語: "אַ שפּראַך איז אַ דיאַלעקט מיט אַן אַרמיי און פֿלאָט" "a shprakh iz a dialekt mit an armey un flot", 英語: A language is a dialect with an army and navy)というものがある。これは、自分たちが話す言葉がはたして「方言」であるか、それとも独立した「言語」であるかについての認識には、その言葉を使う共同体が独立国家を持つか否かといった政治的・軍事的要因に左右される面があることを示す。この警句はユダヤ人言語学者のマックス・ヴァインライヒの発言としてよく引用されるが、実際の発言者が誰なのかは不明である。
西洋の一般的な感覚ではしばしば「お互いに意思の疎通が可能」であることが方言か別言語かの基準とされるが、東洋では、文語は共通であるが、会話での疎通が不可能な場合は方言という認識が歴史的に存在した。この場合、「方言」とは地方言語の略語に相当する。また西洋では、支配階層はフランス語やラテン語などの口文語を使用し、被支配階層はそれぞれの地域の土着言語を話すという政治的な構造が中世から存在した。近代になってから標準語あるいは国語が制定され、中・上流階級は「標準語」を教育機関から習得する一方で、学校に行かなかった下層階級が「方言」を話すという文化的は背景があったので、方言は「標準語」の亜流の下位言語であるという意味でDialectと表現されるようになった。また民族主義の起こりから、政治的独立を一地域が主張する場合は地域の方言が亜流の非標準語ではなく独立した言語であるという主張が重要な政治的意味を持つようになる。逆に言えばイタリア語やスペイン語やルーマニア語は国家的な独立を勝ち取ったラテン語の方言のとみなすこともできる。
各国での方言の実例
「言語」と「方言」の境界が曖昧な事例は、世界中で見られる。
- 旧ユーゴスラビアのセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ地方などでは、セルビア語、クロアチア語、ボスニア語といった言語が話されてきたが、これらの言語は表記体系・正書法・規範的な語彙に違いがあってもお互いに非常に近く、第二次大戦後の旧ユーゴスラビアにおいてはセルボクロアチア語という1つの言語だとされた。しかしユーゴスラビア紛争を経て国家が分裂した現在、それぞれの国家・民族でセルボクロアチア語はセルビア語・クロアチア語・ボスニア語という相異なった3つの言語であると再び主張されるようになり、モンテネグロ独立後は更にモンテネグロ語の存在も主張されるようになった。一方でセルボクロアチア語には発音・語彙的に多くの方言が存在するが(シュト方言を参照)、セルビア語・クロアチア語・ボスニア語の分布は発音・語彙的な方言とは一致せずむしろそれらに対して横断的になっており、発話上のセルビア語・クロアチア語・ボスニア語の違いを決定付けるのは最終的には発話者の民族意識となる。なお、Wikipediaにはセルビア語版Wikipedia、クロアチア語版Wikipedia、ボスニア語版Wikipediaが存在し、それらとは別に更にセルボクロアチア語版Wikipediaも存在する。
- インドネシアの公用語であるインドネシア語はマレーシアの公用語であるマレー語の方言を基盤に整備されたものである。そのためインドネシア語とマレー語の共通性は元々非常に高く、更に現在では両言語は正書法も同一のものとなっている。しかし、一般的には両言語は別言語として扱われている。
- インドの公用語であるヒンディー語とパキスタンの公用語であるウルドゥー語は両国が同一のムガル帝国のころは同じ言語(ヒンドゥースターニー語)であったが、インドとパキスタンの分裂により別の言語とされ、その後はイスラム共和国であるパキスタンがペルシア語やアラビア語の単語や文字を取り入れ、インドがヒンディー語からイスラムの影響を排しサンスクリット語を代わりに取り入れるインド化をおこなうなどの差別化を行った。ただし、現在でも両言語の話者の意思疎通は可能である。
- 中国語の下位区分である呉語・閩語・粤語などは中国語では「方言」と呼ばれるが、それぞれが独立した言語(または語群)と呼べるほどの違いを持ち、日本語でいうところの「方言」や英語でいうところの「dialect」とは異なる。ヴィクター・メアは「dialect」のかわりに「方言」を直訳した「topolect」という語を使うことを提案している[3]。
- ドイツ語は北部方言(低地ドイツ語)と標準語を擁する南部方言(高地ドイツ語)とで互いに通じないほど違うが、どちらもドイツ語を構成する方言とされている。一方でドイツ語北部方言はオランダ語ときわめて近い関係にあるが、オランダ語はドイツ語の方言とみなされない。そのため、ドイツ語北部方言とオランダ語は会話が可能でありながら別言語とされ、ドイツ語北部方言とドイツ語南部方言は会話が困難でありながら同言語とされる奇妙な現象が起こる。
- 英語はイギリスで用いられるものとアメリカ合衆国のものとで細部が異なり、前者はBritish English(イギリス英語)、後者はAmerican English(アメリカ英語)と呼称される。このほか例えばイギリス北部訛とアメリカ南部訛の英語は同じ文章を読むにおいても発音の仕方が著しくことなるので強い訛り型の場合は意思の疎通が困難である。またInglish(インド英語)やSinglish(シンガポール英語)など、かつてイギリスの植民地だった地域には独自の方言がある。
近代(国民)国家と標準語政策
近代に至ってフランス型の標準語政策は国民形成、国民統合と国民国家建設に欠かせない要件として世界中の国々に受け入れられていく(後述する日本の標準語化政策も例外ではない)。
フランスの方言政策
絶対王政期のフランスでは、国家によってオイル語系の北フランスの方言を基にした標準語が定められ、それまで南部オクシタニアで話されるオック語系のプロヴァンス語などや、ロマンス語(イタリック語派)には属さない島嶼ケルト語系統のブルターニュ語、ドイツ語の方言に属すアレマン語系統のアルザス語など、標準フランス語とは系統の異なる地方言語を標準フランス語に対する方言と定義付けて、方言より標準語を優越させる政策が始められた。
例えば、学校教育において、方言を話した生徒に方言札を付けさせて見せしめにするということが行なわれた。この制度は日本にも取り入れられた。現在でも、フランスでは標準フランス語を優越させる政策が続いている。
イタリアの方言政策
長い間、統一政府が作られずに分裂状態であり、さらに多くの都市が外国に支配されていたイタリアでは、様々な方言が存在する。
方言が様々で争いさえ起きたイタリアでは、ラジオ・テレビ放送が始まった当初多くの人々が驚いたと言われている。それは、「放送局RAIが、標準語を定義した」というイタリアで初めての試みであったからである。「テレビ放送が始まってから、初めて標準語を知った」農村地方の老人も多かったと言われている。
日本
日本においては、既に820年頃成立の『東大寺諷誦文稿』には「此当国方言、毛人方言、飛騨方言、東国方言」という記述が見え、これが国内文献で用いられた「方言」という語の最古例とされる。当時、既に方言という概念が存在していたことを物語っている。
沖縄県や鹿児島県奄美群島の言語は、地理的、歴史的要因から本土の日本語とは差異が著しく、「琉球方言」として日本語の一方言とする考えと、「琉球語」として日本語(「標準語」を含む本土諸方言の総称としての)と同系統(日本語族)の別言語とする考え、さらには「琉球諸語」とみなし奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語を個別言語とする考えがある。
日本の方言政策
明治時代以降、一個の政府のもとに統一された日本では、中央集権国家を目指したため、学校教育や軍の中で標準語の普及を押し進めた。1888年に設立された国語伝習所の趣旨には次のように論じられている。「国語は、国体を鞏固にするものなり、何となれば、国語は、邦語と共に存亡し、邦語と共に盛蓑するものなればなり」[4]特に軍では、異なる地方の者同士では、方言の差異のために命令の取り違えすら発生しかねない有様であり、死活問題でもあった。このことから、方言および日本で話されていた他の言語を廃する政策がとられた。方言を話す者が劣等感を持たされたり、または差別されるようになり、それまで当たり前であった方言の使用がはばかられることになった。ただし、方言追放を徹底できたとは言い難く、軍・政府の重鎮でありながら終生南部弁が抜けなかった米内光政のような例もある。
現在では、テレビ・ラジオにおける標準語使用の影響などにより、ほぼ標準語が日本全国に浸透し、各地の方言は衰退や変容を余儀なくされた。各地のアクセントは多くの地域で保持されているが、語彙は世代を下るに従って失われやすいとされる。現在では、標準語を共通語と言い換える動きや、積極的に方言を守るための動きが起こっており、各地に方言の保存会が作られている。また、各種マスメディアなどでも地方の方言を好意的に取り上げることが多くなっている。
生物の名
生物の名は、各地で古くから使われた地方ごとの名があることが多く、方言名と呼ばれることがある。日本の場合、生物学では学名とともにそれに対応する標準和名をつけることが多く、これと方言名との間で標準語と方言のような対立を生む場合がある。
方言名が生まれるためにはその生物がその地域の人間に特定的に認識され、親しまれる必要がある。そのため、たとえばごく小さな昆虫には害虫でない限りそれがないことが多い。他方、よく親しまれていても、それが他地域との間で流通する場合には、統一されることが多い。アユはその例である。従って、親しまれていて、なおかつ流通しないものに方言名が多く、メダカはその例で日本中で5000もの別名がある。カブトムシやクワガタムシもよく親しまれ、ごく最近までは流通しなかったものであり、多くの地方名があったようだが、昆虫採集少年たちが標準和名を広めたため、消失した。
なお、方言名がそのまま和名として採用される例もある。アカマタやガラスヒバァなどはこの例である。
脚注
- ↑ 大辞泉 【方言】
- ↑ 英語圏の言語学者が「dialect」と言う場合、一般的に認識されている「方言」だけでなく、職業・趣味などが一致する者同士の間でのみ通じる表現方法(専門用語・業界用語・ジャーゴン)を含むことがある。
- ↑ Mair, Victor H (1991). “What is a Chinese ‘Dialect/Topolect’? Reflection on Some Key Sino-English Linguistic Terms” (pdf). Sino-Platonic Papers 29: 1-31 .
- ↑ 江仁傑 「日本の言語政策と言語使用」 樋口謙一郎編著 『北東アジアのことばと人々』 (ASシリーズ 第 9巻) 大学教育出版 2013年(ISBN 978-4-86429-214-6 C3080)