「なかにし礼」の版間の差分
(→主な作詞曲) |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/9/27/ (木) 22:45時点における最新版
なかにし 礼(なかにし れい、1938年9月2日 - )は、日本の小説家、作詞家。本名は中西 禮三(なかにし れいぞう)。
Contents
来歴
満州国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)に生まれる。元は北海道小樽市に在住していた。両親は、渡満して酒造業で成功を収めていた。終戦後、満州からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校は東京と青森で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く[1]。青森在住時には入会していた読売ジャイアンツのファンクラブの誘いで青森での試合のバットボーイを担当したが、その試合は藤本英雄が日本初の完全試合を達成することとなった。東京都立九段高等学校卒業後、一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学する。中退と再入学と転科を経て、1965年に立教大学文学部仏文科を卒業する(立教仏文の第1期生)。その後、東京に在住。実兄は立大から学徒出陣として陸軍に入隊し、特別操縦見習士官として特攻隊に配属されたが終戦となった。
大学在学中、1963年に最初の妻と結婚する。一女を儲けたが、1966年に別居、1968年には離婚が成立している[2]。
元タカラジェンヌで、シャンソン歌手の深緑夏代に依頼されたことがきっかけで始めたシャンソンの訳詞を手がけていた頃、妻との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで『太平洋ひとりぼっち』を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得る。石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込んだ。それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒットする。 1969年には、作品の総売上が1,000万枚を超える。コンサートや舞台演出、映画出演、歌、作曲、翻訳、小説・随筆の執筆や文化放送『セイ!ヤング』パーソナリティ、NHK『N響アワー』レギュラーなども務める。若い時から繰り返した心臓疾患、離婚、特攻隊の生き残りで戦後、鰊漁に投資した兄の膨大な借金を肩代わりして返済に苦しむなどの困難を抱えたこともある。1998年にその兄を描いた小説『兄弟』で第119回直木賞候補となり、2000年に『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞した。NHK連続テレビ小説『てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』を始め『赤い月』『夜盗』『さくら伝説』『戦場のニーナ』『世界は俺が回してる』『夜の歌』などを執筆する。
テレビ朝日系列で放送されているワイドショー『ワイド!スクランブル』のコメンテーターを務めていたが、2012年3月5日の放送で、食道癌であることを報告。治療のため休業することを明らかにした[3][4][5]。医師たちから抗がん剤、放射線治療、手術という治療法の説明を受けるが、自身の心臓は長い手術や放射線治療には耐えられないと考え、インターネットを活用して陽子線療法の存在を見つける。2012年2月から6月にかけての闘病の様子は著書『生きる力 心でがんに克つ』に詳しい。闘病の結果がんを克服、同年10月に復帰。執筆、コメンテーター等の仕事も再開した。
2015年3月、自身のラジオ番組「なかにし礼「明日への風」」で癌を再発し、休養することを明らかにした[5]。その後、同番組を休止することが発表された[6][7]。
2015年6月、単行本「生きるということ」刊行。がんの再発と向き合いながら平和の尊さについて多く触れている。2012年のがん闘病以降、自らの戦争体験に基づき平和の尊さや核兵器・戦争への反対を訴える著述が多く、自ら「僕たち戦争体験者は若い世代とともに闘うための言葉を自ら探さなければいけません」とも語っている。 核兵器、原発に反対する歌「リメンバー」(歌唱:佐藤しのぶ)の作詩、毎日新聞からの依頼で書き起こした詩「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」など、平和で自由に生きることを人間の根源的な権利とする主張を続けている。
2015年6月、『サンデー毎日』で小説「夜の歌」連載開始。戦争体験が自分をどう作り上げてきたか、自らの戦争体験に基づき内面的な葛藤を描いた、もう一つの自伝的小説と言える。
2015年9月、『週刊現代』のインタビューで再発がんが消えたことを語り、公式サイトでも発表。テレビ出演などの活動も再開。
2016年4月、植え込み型除細動器(ICD)と心臓ペースメーカーを体内に埋め込む手術を受ける[8]。
2016年12月、サンデー毎日に連載していた「夜の歌」が単行本化され発刊。がん再発、穿孔による大量出血の危機が迫る危機的状況の中で書き始められた小説で、自身の人生と音楽を集大成する一冊となった。
2016年より、BS日テレの報道番組「深層NEWS」に毎月1回のペースでほぼ定期的に出演中。
作品
主な作詞曲
- あ行
- 朝丘雪路 - 「雨がやんだら」(1970年)
- 梓みちよ - 「風来坊」(1968年)
- アン・ルイス - 「グッド・バイ・マイ・ラブ」(1974年)
- 石川さゆり - 「風の盆恋歌」(1989年)
- いしだあゆみ
- 「恋のシャドー」(1967年)
- 「喧嘩のあとでくちづけを」(1969年)
- 「あなたならどうする」(1970年)
- 「昨日のおんな」(1970年)
- 「何があなたをそうさせた」(1970年)
- 石原裕次郎
- 市地洋子 - 「恋算数」(1970年)
- 岩崎宏美 - 「女優」(1980年)
- 岩崎良美
- 植木等 - 「酒のめば」(1969年)
- 小野木久美子 - 「マジカル・ナイト」(1979年、『ザ・スーパーガール』主題歌)
- 奥村チヨ
- 「恋の奴隷」(1969年)
- 「恋泥棒」(1969年)
- 「恋狂い」(1970年)
- 「中途半端はやめて」(1970年)
- 尾崎紀世彦
- 「五月のバラ」(1973年)
- 「許しておくれ」(1974年)
- 「サマー・ラブ」(1987年)
- か行
- 川中美幸 - 「愛は別離(わかれ)」(1986年、『必殺仕事人Ⅴ・旋風編』『風雲竜虎編』主題歌)
- 北島三郎 - 「まつり」(1984年)
- 北原ミレイ
- 「石狩挽歌」
- 「春」
- キャンディーズ - 「哀愁のシンフォニー」(1976年)
- 黒沢年男/なかにし礼 - 「時には娼婦のように」(1978年、作曲も担当)
- グラシェラ・スサーナ -「サバの女王」(1972年)
- 琴風豪規 - 「まわり道」(1982年)
- 小林旭 - 「思いやり」(1982年)
- 小柳ルミ子
- さ行
- ザ・キング・トーンズ - 「暗い港のブルース」(1970年)
- ザ・ゴールデン・カップス
- ザ・ドリフターズ
- 西城秀樹
- 坂本スミ子 - 「夜が明けて」(1971年)
- 五月みどり - 「熟女B」
- 佐良直美 - 「風のメロディー」(1978年)
- 志学館中等部・高等部 - 「志学館高等学校校歌」(1983年)
- 島倉千代子 - 「愛のさざなみ」(1968年)
- 島津ゆたか
- 「ホテル」(1985年)
- 「くせになりそう」(1986年)
- 下成佐登子
- 菅原洋一
- 「知りたくないの」(1965年)
- 「今日でお別れ」(1969年、第12回日本レコード大賞受賞)
- た行
- タマコ
- ザ・タイガース
- ちあきなおみ - 「私という女」(1971年)
- 鶴岡雅義と東京ロマンチカ - 「君は心の妻だから」(1969年)
- ザ・テンプターズ - 「エメラルドの伝説」(1968年)
- TOKIO
- 「AMBITIOUS JAPAN!」(2003年)
- 「駅・ターミナル」(2003年)
- 玉井邦彦(東京放送児童合唱団) - 「あっそうか!」(1986年)
- トニーズ - 「アカプルコの娘」(1967年)
- な行
- は行
- ハイ・ファイ・セット - 「フィーリング」(1976年)【日本語詞】
- 氷川きよし - 「櫻」(2012年、第45回日本作詩大賞受賞)
- ピーター(池畑慎之介☆) - 「夜と朝のあいだに」(1969年)
- ザ・ピーナッツ
- 弘田三枝子 - 「人形の家」(1969年)
- 布施明 - 「バラ色の月」(1969年)
- フランク永井 - 「生命ある限り」(1967年)
- ザ・ブルーインパルス
- 「太陽の剣」
- 「夜明けに消えた恋」
- 「メランコリー東京」
- 「小さな恋人」
- ペドロ&カプリシャス - 「別れの朝」(1971年-日本語詞)
- 細川たかし
- 「心のこり」(1975年)
- 「みれん心」(1975年)
- 「北酒場」(1982年、第24回日本レコード大賞受賞)
- 「星屑の街」
- 「酒場であばよ」
- 「人生航路」
- 「うかれ節」
- 「ねぶた」(2011年)
- 「津軽へ」(2012年)
- ま行
- 前川清 - 「花の時・愛の時」(1987年)
- 黛ジュン
- 水原弘
- 「さよならは言えない」(1969年)
- 美空ひばり
- 「かもめと女」(1974年)
- 「むらさきの涙」(1974年)
- 「かすりの女」(1974年)
- 「初恋」(1974年)
- 「しのび泣き」(1974年)
- 「年下の人」(1974年)
- 「女の部屋」(1974年)
- 「許して下さい」(1974年)
- 「雨の日記」(1974年)
- 「金の星」(1974年)
- 「恨んでいます」(1974年)
- 「海で死んだ人」(1974年)
- 「傷心 (いたみ) 」(1976年)
- 「さくらの唄」(1976年)
- 「おんな酒」(1976年)
- 「われとわが身を眠らす子守唄」(1988年)
- 「終りなき旅」(1988年)
- ムッシュかまやつ - 「20才のころ」【安井かずみとの共作】
- 森進一
- 森昌子
- 「バラ色の未来」(2006年)
- や・ら・わ行
- 由紀さおり - 「手紙」(1970年)
- RYTHEM - 「ブルースカイ・ブルー」(2003年)
- レイジー
- 「地獄の天使」(1978年)
- 「ハローハローハロー」(1978年)
- ロス・インディオス - 「知りすぎたのね」(1968年、作曲も担当)
- 和田アキ子
アルバム
- マッチ箱の火事(フォーライフ・レコード、1977年、なかにしが自ら全作詞・全作曲・全歌唱した作品)
- 黒いキャンバス(東芝EMI、1979年、なかにしが自ら全作詞・全作曲・全歌唱した作品)
- 昭和 忘れな歌〜なかにし礼アンソロジー〜(ユニバーサル ミュージック、2004年 - 作詞・訳詞曲を集めた3枚組アルバム)[9]
- なかにし礼と12人の女優たち(日本コロムビア、2015年1月、映画・舞台・ドラマなどを通じて縁のある12人の女優たちがなかにし礼作品を歌唱)
- なかにし礼と75人の名歌手たち(日本コロムビア、2015年11月) - 作家生活50周年記念のオムニバスアルバム [10]
クラシック音楽
- ベートーヴェン「歓喜の歌」(交響曲第9番終曲の日本語訳)
- モーツァルト歌曲集(日本語訳 音楽之友社)
- 西村朗:合唱曲「そして夜が明ける」(作詞 NHK全国学校音楽コンクール課題曲)
- ジャック・オッフェンバック:オペラ「天国と地獄」(日本語訳)
- 三木稔:オペラ「ワカヒメ」(台本)
- 三木稔:オペラ「静と義経」(台本)
- 三枝成彰:オラトリオ「ヤマトタケル」(台本)
- 小六禮次郎:世界劇「眠り王 -愛とまごころの約束-」(作・構成)
- 小六禮次郎:世界劇「黄金の刻 -愛と永遠の絆-」(作・構成)
- 甲斐正人:世界劇「源氏物語」(作)
著書
詞集
- 『エメラルドの伝説』(作品集 新書館、1969年)
- 『シャンソン詩集141・さらば銀巴里』(さがみや書店、1991年)
- 『なかにし礼訳詞によるモーツァルト歌曲集』(音楽之友社、1991年)
- 『昭和忘れな歌―自撰詞華集』(新潮文庫、2004年)
- 絵本詩集『金色の翼』(響文社、2014年)
- 『平和の申し子たちへ 泣きながら抵抗を始めよう』(毎日新聞社、2014年)
創作
- 『花物語』(新書館、1970年、のち新潮文庫)
- 『昭和左膳只今参上』(東京スポーツ新聞社、1970年)
- 『大人の紙芝居・まぼろし劇場―丹下左膳 暁のG線上に死す』(継書房、1973年)
- 『兄弟』(文藝春秋、1998年、のち文春文庫、新潮文庫)
- 『長崎ぶらぶら節』(文藝春秋、1999年、のち新潮文庫)
- 『赤い月』(新潮社、2001年、のち新潮文庫、文春文庫)
- 『てるてる坊主の照子さん』(新潮社、2002年、のち新潮文庫) - 2003年度のNHK連続テレビ小説『てるてる家族』としてドラマ化
- 『夜盗』(新潮社、2003年、のち角川文庫)
- 『さくら伝説』(新潮社、2004年、のち新潮文庫)
- 『黄昏に歌え』(朝日新聞社、2005年、のち幻冬舎文庫)
- 『戯曲 赤い月』(河出書房新社、2005年)
- 『戦場のニーナ』(講談社、2007年、のち講談社文庫)
- 『世界は俺が回してる』(『産経新聞』2009年1月1日-8月31日 角川書店、2009年)『イカロスの流星』文庫 -『世界は俺が回してる』の鍵となる曲を集めたイメージ・サウンドトラックCD(ソニー・ミュージックダイレクト、2009年)
- 『なかにし礼と12人の女優たち』(日本コロムビア、2015年)-12人の女優によるなかにし礼作詩曲の競演アルバム
- 『なかにし礼と75人の名歌手たち』(日本コロムビア、2015年)-作詩家・作家生活50周年記念アルバム。時代を追ってオリジナル歌手の歌唱で収録されたコンピレーションアルバム
- 『なかにし礼と13人の女優たち』(日本コロムビア、2016年)-女優たちによるなかにし礼作詩曲の競演アルバム、前作のヒットにより第2弾リリース。
- 『昭和レジェンド 美空ひばりと石原裕次郎』(テイチクエンタテインメント、2016年)-なかにし礼が手掛けた、美空ひばり・石原裕次郎のすべての音源を収録。
- 『夜の歌』(毎日新聞出版、2016年)-がん再発との闘いの中で執筆開始した「サンデー毎日」連載小説の単行本化。
随筆・その他
- 『ズッコケ勝負―終わりなき愛の遍歴』(双葉社、1969年)
- 『青春の愛について』(新書館、1972年)
- 『遊びをせんとや生まれけむ~なかにし礼の作詩作法』(毎日新聞社、1980年)
- 『音楽への恋文』(共同通信社、1987年) - 「音楽の話をしよう」(改題、新潮文庫)
- 『翔べ!わが想いよ』(東京新聞出版局、1989年、のち文春文庫、新潮文庫) - 自伝
- 『時には映画のように』(読売新聞社、1997年) - 「口説く」(改題、河出文庫)、「恋愛100の法則」(改題、新潮文庫)
- 『愛人学』(河出書房新社、1997年、のち河出文庫)
- 『天上の音楽・大地の歌』(音楽之友社、2001年)
- 『道化師の楽屋』(新潮社、2002年、のち新潮文庫)
- 『さくら伝説―松坂慶子写真集』(フォーブリック、2002年) - 原作・監修
- 『人生の黄金律 自由の章―なかにし礼と華やぐ人々』(2003年、清流出版)- 対談集
- 『月夜に飛んで人を斬る』(作画:ふくしま政美、芳文社、1979年)- 劇画原作
- 『三拍子の魔力』(毎日新聞社、2008年)
- 『歌謡曲から「昭和」を読む』NHK出版新書 2011
- 『人生の教科書』(ワニブックス、2012年)
- 『生きる力 心でがんに克つ』(講談社、2013年)
- 『天皇と日本国憲法 反戦と抵抗のための文化論』(毎日新聞社、2014年)
- 『生きるということ』(毎日新聞社、2015年)
- 『闘う力 再発がんに克つ』(講談社、2016年)
翻訳
映画
- コント55号とミーコの絶体絶命(1971年、出演)
- 時には娼婦のように(1978年、原案、脚本、出演)
- 動天(1991年、企画、原作)
脚注
- ↑ 『「家」の履歴書』 光進社 2001年、147-151頁
- ↑ 清水秀子(語)、高山文彦(文)「それからのわたし」飛鳥新社、2004年。
- ↑ “なかにし礼氏が食道がん告白、治療に専念へ「初期より少し進んだ状態」”. スポニチ Sponichi Annex. (2012年3月5日) . 2012閲覧.
- ↑ “なかにし礼さん 番組で「がん」”. nikkansports.com. (2012年3月6日) . 2012閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 “なかにし礼さん、がん再発し休養”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2015年3月6日). オリジナルの2015年3月7日時点によるアーカイブ。 . 2015閲覧.
- ↑ “第24回 《2015年3月20日 ON AIR》”. アンファーPresents なかにし礼「明日への風」. 文化放送. . 2015閲覧.
- ↑ “がん再発なかにし礼氏のラジオ明日への風一時休止へ”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2015年3月20日) . 2015閲覧.
- ↑ “なかにし礼氏、突然死の恐怖消えた!体内にICD埋め込み”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年6月9日) . 2016閲覧.
- ↑ 昭和 忘れな歌〜なかにし礼アンソロジー〜 - CD Journal(2004年3月24日)
- ↑ “TOKIOから美空ひばりまで!なかにし礼、作家生活50周年4枚組アルバム”. 音楽ナタリー (2015年11月10日). . 2015閲覧.
外部リンク
- なかにし礼公式ホームページ
- JASRAC作品データベース検索サービス - 権利者の項目に「なかにし礼」と入力し、作品詳細を見ることにより、権利譲渡を確認できる