下田市
下田市(しもだし)は、伊豆半島南部に位置する静岡県の都市。明治以前は旧伊豆国賀茂郡。
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概要
江戸時代には、江戸・大坂間、あるいは東・西廻海運の風待ち湊として栄え、「伊豆の下田に長居はおよし、縞の財布が空になる」(下田ぶし1番)と唄われた。東海道の三島宿から伊豆半島中央部を南北に縦断する下田街道の終点。僧行基発見とされる蓮台寺温泉などがあり、総称して下田温泉と称している。
1854年(嘉永7年)、日米和親条約が締結されると、箱館とともに開港(下田は即時開港)。吉田松陰の米渡航失敗、ロシア使節プチャーチン提督乗船のディアナ号遭難、米国領事タウンゼント・ハリスと唐人お吉、商業写真の祖下岡蓮杖など、数々のエピソードを生んだ。
1928年(昭和3年)、十一谷義三郎『唐人お吉』や川端康成『伊豆の踊子』の小説発表などが下田観光の火付け役となり、1933年(昭和8年)の東京湾汽船(現・東海汽船)の客船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東-下田線の完成により、観光客が多数訪れるようになった。さらに、1961年(昭和36年)12月の伊豆急行線(伊東-下田間)開通により、観光客が急増。観光業が産業の中心となり、1967年(昭和42年)には、観光客が500万人を超えた。その後も、地震や水害などの起きた時期を除いて、毎年、多くの観光客を迎え入れていたが、バブル経済崩壊後は減少に転じ、平成16年度は、観光客が約332万人と低迷。また、下田船渠解散、企業の営業所・寮の統廃合や流通業の変化による消費の分散傾向が、下田を初めとする賀茂郡の中心であった市内経済に打撃を与え、海水浴やイベント中心型観光都市からの脱皮を模索している。
2011年(平成23年)、東日本大震災に伴う計画停電、電車の運休、観光自粛ムードにより、観光客が激減。ホテル、旅館、その他観光関連産業の事業所を中心として、従業員、パート・アルバイトの大量解雇が発生。ハローワーク下田は、空前の人数の求職者、雇用保険手続きの失業者であふれた。観光産業に過度に偏った下田市の弱点があらためて露呈した。
地勢
稲生沢川下流の沖積地に中心市街が広がる。市の面積の83%は山林・原野。天城山系から続く急峻な山々と多くの砂浜や入り江を含んだ約47kmに及ぶ海岸線は、美しい景観をみせる。 また、年平均気温は約17℃と温暖で、降水量も年間1900mm余りと豊富。 このような気候と急峻な地形条件により、亜熱帯系から亜寒帯系までの幅広い植生を有している。 このため、四季を通して様々な草花や果実が生育し、黒潮の流れる太平洋が育む豊富な海産物とあわせて、魅力のひとつとなっている。下田港9km沖合いの神子元島は、静岡県最南端。 蓮台寺、河内、横川、北湯ヶ野などに古くから温泉がある。
歴史
古代
律令時代
- 680年:駿河国二郡が分離され、伊豆国が誕生する。
- 686年:大津皇子の謀反事件に連座した帳内礦杵道作が市内箕作に流されたといわれる。
- 701年:伊豆国に、田方、那賀、賀茂の3郡が置かれる。賀茂郡家が南伊豆町下賀茂辺に設置され、賀茂、築間、色日、稲梓、川津、三島などの郷があった。
- 735年:伊豆国賀茂郡稲梓郷稲梓里の占部石麻呂が調の麁堅魚を貢納する(平城京出土木簡)。
- 9世紀中頃:稲梓郷は大社郷に改称。
- 10世紀:色日郷は月間郷と合併。
- 10-11世紀:金山遺跡-砂鉄と木炭を原料にタタラで製鉄が行われた跡。
鎌倉時代から室町時代まで
- 1180年:源頼朝が、平家打倒のため、韮山で挙兵。
- 1334年:現在、河内の重福院にある宝篋印塔(静岡県指定文化財)が建立される。
- 1399年:「下田村若宮」と刻まれた鰐口が、下田八幡神社に奉納される。「下田」の地名が出てくる最初の例。
- 1498年:伊勢新九郎(北条早雲)、深根城に立て篭もる足利茶々丸、関戸吉信を滅ぼす。
戦国時代から江戸時代まで
- 1588年:後北条氏は下田城を築き、清水康英を城主とする。
- 1590年:豊臣秀吉の小田原攻めにより、下田城攻防戦。4月末に、落城。徳川家康麾下の戸田忠次が下田城主となる。
- 1601年:戸田忠次の子、戸田尊次、三河に移封。下田、天領となる。
- 1616年:今村彦兵衛正勝、初代下田奉行。須崎に遠見番所を置く。
- 1623年:遠見番所、大浦に移転。
- 1636年:遠見番所を改築して船改番所とし、上下の廻船を検問。入津廻船3千艘といわれ繁栄した。
- 1645年:2代目下田奉行、今村伝四郎正長、自俸を投じて武が浜に浪除堤を普請。
- 1664年:3代目下田奉行、石野八兵衛、大浦切通しを開削。
- 1668年:4代目下田奉行、今村伝三郎、町内の水道敷設。
- 1683年:6代目下田奉行、服部久右衛門、井戸水に切り替え、水道木管を辻の木戸とする。
- 1688年:日向佐土原藩の御手船「日向丸」、漂着。御用材投棄の責任を取り、全員切腹。大安寺「薩摩十六烈士の墓」
- 1721年:御番所が浦賀に移転。下田奉行が廃止され、浦賀奉行所支配の浦方御用所が置かれる。
- 1727年:餓人2,151人を出し、1人宛荒麦3号60日分の夫食の救済を仰ぐ。
- 1755年:白浜村の三之助がルソンに漂流後、中国から長崎に送還。その後、同様に下田の清次郎等4名も帰国。
- 1793年:老中松平定信が海防検分のため、伊豆を巡見。
- 1815年:専修念仏行者徳本が、巡錫。稲田寺、海善寺で説教。
- 1815年:南京船「永茂」が漂着(翌年、長崎に出航)。
- 1836年:下田町にうちこわし騒動、25人逮捕。
- 1842年:下田奉行、再置。
- 1843年:幕府、洲佐里崎と狼煙崎に御台場を築く。沼津藩も三穂ヶ崎に御台場を築く。
- 1844年:幕府、洲佐里崎と狼煙崎の御台場廃止。下田奉行所廃止。
幕末
- 1849年:英艦マリーナ号入港、海辺一帯の測量強行。韮山代官江川英龍が兵40余人と大筒小銃を携えて到着し退去させる。
- 1853年:米使マシュー・ペリー浦賀に来航、開国を求める。高馬に反射炉を築き始めるが、翌年、韮山に移す。
- 1854年3月:日米和親条約が神奈川で調印。下田が箱館とともに開港。米使ペリー提督艦隊が下田に入港。下田奉行設置。吉田松陰・金子重輔、米艦での密航を企てる。5月、下田条約が了仙寺で調印。10月、露使エフィム・プチャーチン、ディアナ号で下田に入港。11月、安政東海地震による大津波で、下田町は壊滅的な被害を受ける。ディアナ号大破。12月、日露和親条約、長楽寺で調印。
- 1855年:プチャーチン、戸田で建造したヘダ号で帰国。中村に、下田奉行所屋敷が建てられる。
- 1856年:タウンゼント・ハリス、日本最初の米国総領事として玉泉寺に着任。
- 1857年:斎藤きち、タウンゼント・ハリスに仕えるが3夜で解雇。タウンゼント・ハリス、陸路、江戸に向かい、通商条約締結の談判開始。
- 1858年:日米修好通商条約、神奈川小柴沖ポーハタン号上で調印(オランダ、ロシア、イギリス、フランスも続いて調印)。英国使節エルギン伯爵ジェイムズ・ブルース搭乗の英蒸気船艦隊下田入港
- 1859年6月:横浜港開港。玉泉寺の領事館閉鎖。タウンゼント・ハリス公使となり、江戸善福寺に移る。12月、下田閉港。
- 1860年:下田奉行廃止。
- 1861年:ヘンリー・ヒュースケン、芝赤羽で攘夷派に襲われ死亡。
- 1862年4月:タウンゼント・ハリス帰国。
- 1863年:第14代将軍徳川家茂、海路で上洛途中、西風に阻まれ下田の海善寺に止宿。
- 1864年:御蔵島に座礁した米船「ヴァイキング号」乗組員や広東人乗員460人が下田に送られる。
明治期
- 1868年(明治1年):伊豆は韮山県と一部菊間藩などの支配となる。
- 1869年(明治2年):稲生沢、下田、稲梓に打ちこわし事件が起こる。
- 1870年(明治3年):神子元島灯台完成。※現存する日本最古の現役灯台(国の史跡に指定)。
- 1871年(明治4年):韮山県廃止により伊豆は足柄県の管轄となる。
- 1872年(明治5年):7月、下田郵便局設置される。
- 1873年(明治6年):新民学校など、小学校が各地に創立される。
- 1874年(明治7年):上大賀茂村と下大賀茂村が合併。大賀茂村となる。7月、下田警察署創置される。
- 1875年(明治8年):岡方村、下田町に吸収合併。上大沢村と下大沢村合併、大沢村に。
- 1876年(明治9年):足柄県廃止、伊豆国は静岡県に編入、静岡県第九大区とす。須郷深山入会地をめぐり、9か村の争論起こる。「馬場七騒動」(~明治15)。
- 1877年(明治10年):本須郷村、新須郷村、芽原野村、北の沢村が合併、須原村となる。
- 1878年(明治11年):賀茂郡所属の伊豆諸島は、東京府管轄となる。稲生沢橋(下田橋)が初めて架けられた。タウンゼント・ハリス、ニューヨークで死去。
- 1879年(明治12年):大小区制廃止、郡制施行。賀茂那賀郡役所設置(宝福寺が仮庁舎)。私立豆陽学校創立(現在の静岡県立下田高等学校)。治安裁判所創置。
- 1883年(明治16年):稲生沢川河口浚渫工事が始められた。
- 1884年(明治17年):数村を合して戸長役場を置くこととなり、下田、柿崎、須崎、白浜の一町三村の役場を下田に置いた。下田沖に漂着したアメリカ船の船員により、「こっくりさん」が日本に伝えられたといわれる。
- 1888年(明治21年)4月:下田銀行設立。
- 1889年(明治22年):市町村制施行、自治制が定められた(今までの戸長、人民惣代、什長等の制度を廃して町長、助役、収入役、書記を置いた)。下田町、稲梓村、稲生沢村、浜崎村、朝日村となる。
- 1890年(明治23年):斎藤きち(唐人お吉)、稲生沢川門栗で溺死(享年50)。稲生沢橋を改造し、下田橋と称す。
- 1892年(明治25年):新民学校を下田尋常高等小学校と改称。
- 1894年(明治27年):下田消防組設置。
- 1895年(明治28年):下田町役場新築。
- 1896年(明治29年):浜崎村より白浜村分立。那賀・賀茂郡廃止。新賀茂郡は、城東村・宇久須村以南に郡域変更。
- 1897年(明治30年)6月:下田信用組合設立。
- 1898年(明治31年):9月22日、下田船渠合資会社設立。
- 1899年(明治32年):3月13日、下田倶楽部、下田町の青年有志により発会。郡立中学豆陽学校設置。
- 1901年(明治34年):城山公園を開く。武ヶ浜に防風林として松を植栽。神子元島を下田町に払下げ。
- 1902年(明治35年)11月11日:下田船渠(株)設立。
- 1904年(明治37年):下田伝染病舎竣工。
- 1905年(明治38年):天城新道完成。東京湾汽船、豆州共同汽船会社を吸収し、伊豆から東京への航路を独占。5月、町立女子技芸学校設立。
- 1906年(明治39年):下田橋改修。
- 1907年(明治40年)6月:岩崎吉太郎、南豆電氣(株)設立。
- 1908年(明治41年):河津川水力発電(株)創立。吉田松陰五十年祭、下田八幡神社で開催。下田町役場主催の開港五十年祭(五十回忌大法会)、玉泉寺で開催。
- 1911年(明治44年)1月1日:河津川水力発電(株)開業。4月5日、賀茂郡役所新築。都新聞に「洋妾(らしゃめん)物語」(作者:信田葛葉)連載。※唐人お吉について最初の発表。
- 1912年(明治45年):6月17日、下田橋洪水で流失。城山御料林の払下げを受け下田町有林となった。(同時に狼煙崎、赤根島、犬走島、みさご島の払下げを受ける)。足立鍬太郎、賀茂郡立豆陽学校長に着任。
大正期から第二次大戦まで
- 1913年(大正2年):下田橋を架設。信田葛葉「薔薇娘」刊行。※「洋妾物語」の単行本化。
- 1914年(大正3年):3月3日、下岡蓮杖死去。6月19日、「伊豆鏡」刊。7月28日、「南豆風土誌」刊。
- 1915年(大正4年):2月28日、下田自動車(株)、開業(静岡県史年表)。4月29日、下田町町會で下田町の紋章を決議。
- 1916年(大正5年):2月20日下田自動車(株)設立。3月23日、下田-大仁間路線運行開始(静岡県史年表)。
- 1917年(大正6年):蓮台寺に、久原鉱業(株)河津鉱業所を開設。12月、須崎町より出火し武ヶ浜類焼する。焼失家屋82。
- 1918年(大正7年):9月18日、南豆馬車鉄道(株)設立(蓮台寺-武ヶ浜間)※静岡県史年表。下田町青年団創立。
- 1919年(大正8年):東洋練乳設立(その後、森永乳業)。豆陽中学校、県立移管
- 1920年(大正9年):3月1日、蓮台寺鉱山鉱夫スト。全国鉱夫同盟会蓮台寺支部発会。4月、郡立賀茂高等女学校開校(現在の静岡県立下田高等学校)。
- 1922年(大正11年):5月27日、下田港、国指定港湾となる。11月、東京湾汽船、清水-下田間航路開設(静岡県史年表)。郡立賀茂高等女学校が県立移管、県立下田高等女学校となる。
- 1923年(大正12年):9月1日、関東大震災。激震15分後、津波3度あり浸水家屋300戸。
- 1924年(大正13年):10月1日、雑誌「黒船」創刊。
- 1925年(大正14年):開国70年。3月、下田神津島間無線電信局開局。4月16日、バンクロフト米大使が下田訪問。村松春水、雑誌「黒船」に唐人お吉について発表。下田幼稚園開園。
- 1926年(大正15年・昭和1年):3月10日、「下田之友」創刊。9月、仏クローデル大使来訪。
- 1927年(昭和2年):9月、下田公園循環道路が和歌の浦まで完成。10月、玉泉寺にハリス記念碑建立、除幕式。下田町、武ヶ浜塵芥捨場に衛生上の問題が多く、芥焼場を敷根に設置。昭和自動車設立(のちの伊豆下田バス)。昭和金融恐慌。
- 1928年(昭和3年):十一谷義三郎、「唐人お吉」発表。川端康成、「伊豆の踊子」出版。下岡蓮杖碑除幕。
- 1929年(昭和4年):十一谷義三郎、「時の敗者唐人お吉」を東京朝日新聞に連載。7月13日、田方・賀茂郡町村長会、河津川水力電気(株)電灯料値下げ第1回交渉を元賀茂郡役所で開始。8月、真山青果「唐人お吉」が歌舞伎座で市川松蔦のお吉で初演。循環道路第2期工事(赤根島まで)完成。10月、下田婦人会創立。10月2日、下田町役場新庁舎落成式。10月24日、世界恐慌始まる。11月3日、第1回町民体育大会開催。11月17日、東京航空輸送社、東京-下田間の定期航空路開設。
- 1930年(昭和5年):5月21日、武山閣開設。11月、下田町で初めての水道給水開始(毎日数時間、共用栓27箇所)。11月26日、豆相大震災強震。
- 1931年(昭和6年)4月1日:東京航空輸送(株)、東京-下田-清水間の定期航空路開設。7月16日、東京湾汽船貨物船次郎丸、大工町河岸にて爆破。焼死者2名。
- 1932年(昭和7年)3月:伊豆銀行、下田銀行を合併。9月11日、了仙寺境内に綿吉当主、元下田町長、鈴木吉兵衛の銅像建立。11/11、下田自動車、東海自動車に吸収合併。
- 1933年(昭和8年)3月:森永練乳(株)下田工場設立。東京湾汽船「葵丸」、東京-大島-下田航路に就航。伊豆循環道路東海岸線伊東-下田間完成。下田銀行、伊豆銀行に吸収合併。4月21日、三井海洋生物学研究所落成。6月11日、鍋田海岸に、東京文理科大学(現筑波大学)附属下田臨海実験所開設。南豆馬車鉄道、旅客営業休止。
- 1934年(昭和9年)4月20日 - 5月3日:開港80周年記念、第1回「黒船祭」挙行。グルー米大使参加。下田幼稚園、町に移管。
- 1935年(昭和10年):東京湾汽船「橘丸」、東京-大島-下田航路に就航。下田温泉(株)、河内から下田に引湯。
- 1937年(昭和12年):8月、豆陽中学校プール竣工。8月9日、県、満州農業移民対策協議会開催。下田港新岸壁完成。
- 1938年(昭和13年)9月18日:賀茂青年団員約40人、ヒトラーユーゲント派遣団一行と伊豆大島三原山頂で交歓会。
- 1939年(昭和14年):4月、第6回黒船祭に米軍艦アストリア号乗組員80余名特別参加。7月12日、河津鉱山で朝鮮人労働者が争議。
- 1941年(昭和16年):黒船祭中止。伊豆地方豪雨により、下田町浸水250戸、須崎鉱山浸水で閉鉱。
- 1942年(昭和17年):賀茂教育会、柿崎に吉田松陰像建立(保田龍門作)。
- 1943年(昭和18年):県下で米英思想撃滅運動。黒船やお吉にちなんだ絵葉書、掲示、歌集などの禁止。
- 1944年(昭和19年):雑誌「黒船」廃刊。※黒船が敵性用語として紙の配給停止。
- 1945年(昭和20年)3月:海軍第16突撃隊(16嵐部隊)、陸軍潜水輸送隊が下田に配属。4月 下田町空襲、その後も数回。7月 第57震洋隊が和歌の浦配備。8月 陸軍潜水輸送隊8号艇が空襲で撃沈。第6海龍隊が下田配備。
第二次大戦後
- 1946年(昭和21年):8月、南豆馬車鉄道、貨物営業休止。
- 1947年(昭和22年):7月、第8回黒船祭。
- 1949年(昭和24年):下田中学校開校。
- 1951年(昭和26年):下田保育所開所。
- 1954年(昭和29年):縄地有料道路完成。
- 1955年(昭和30年):3月15日、富士箱根国立公園に伊豆半島編入。3月31日、下田町、浜崎村、白浜村、稻梓村、稻生澤村及び朝日村の6か町村合併、下田町となる。
- 1957年(昭和32年):新町役場完成(4/1より業務開始)。東伊豆道路の下田区間開通。
- 1958年(昭和33年):6月5日、新下田橋完成。8月13日、羽田発名古屋行き全日空ダグラス DC-3が下田沖に墜落。乗客30人、乗員3人全員死亡。10月1日、下田町国民健康保険実施。
- 1959年(昭和34年):3月31日、日本鉱業(株)河津鉱業所が操業停止。
- 1961年(昭和36年):10月20日、伊豆急行の伊東-下田間全線完工、12/9、伊東駅で発車式、12/10、営業開始。下田ロープウェイ開業。
- 1962年(昭和37年):1月、伊豆下田農協設立。8/24、三宅島が大爆発、8/29、島民、東海汽船で下田町へ避難。
- 1964年(昭和39年):柿崎武山地先の公有水面埋め立て(昭和40年1月14日竣工認可。現・外ヶ岡。)。
- 1966年(昭和41年):5月7日、群馬県沼田市と姉妹都市提携。9月1日、下田テレビ協会開局。12月16日、下田船渠(株)武ガ浜工場に1,000トン船台完成。
- 1967年(昭和42年):下田町消防署庁舎落成。9月15日、第1回日米関係民間会議(下田会議)、反対派抗議。下田海中水族館開業。南豆衛生プラント落成。
- 1968年(昭和43年):八百半デパート下田店開業。6月、じん芥処理場、現在地に移転。11月1日、第1次住居表示実施(一丁目、二丁目、三丁目の一部)。
- 1969年(昭和44年):9月1日、第2次住居表示実施(三丁目の一部、五丁目、六丁目)。
- 1970年(昭和45年):5月1日、第3次住居表示実施(柿崎、武ガ浜)。5月6日、落合浄水場竣工。下田町漁協設立。
- 1971年(昭和46年):1月1日、市制施行。11月5日、須崎御用邸完成。
- 1972年(昭和47年):1月、下田船渠、大野造船、下田造船が合併。4月5日、武ガ浜-柿崎に渚ライン開通。10月、下田船渠(株)武ガ浜新工場完成(3,000トン船台。12月、4,300トン、昭和48年10月、5000トン、昭和49年10月、7,500トンに拡張)。11月15日、浜崎共同調理場完成。
- 1973年(昭和48年):1月11日、観光キャッチフレーズ特選に「伊豆の太陽」が選ばれる。(一席「海と遊ぼう歴史と話そう」、五席「花と波とあなたと・・・」)。4月30日、本郷地区住居表示実施。(東本郷1-2丁目、西本郷1-3丁目、敷根、高馬)。11月、市議会で「伊豆急ショッピングセンター建設に反対する請願」を採択。12月、市が下水道計画を発表。浄化センターは柿崎赤崎海面埋立を予定。地元柿崎地区が反対。
- 1974年(昭和49年):1月4日、石油危機の影響により市役所に物資対策本部設置。3月30日、5月9日、伊豆半島沖地震。建物や商品などに大きな損害。市内被害額およそ20億円。
- 1976年(昭和51年):7月11日、豪雨により南豆の道路寸断、観光客は船で脱出。
- 1977年(昭和52年):4月20日、伊豆急下田駅前に、伊豆急ショッピングセンター「サンプラーザ」(現、東急ストア下田店)開店。初日、1万5千人の人出。
- 1978年(昭和53年):1月14日、伊豆大島近海の地震。
- 1979年(昭和54年):6月27日、カーター米大統領が来下。
- 1986年(昭和61年):2月17日、県下田総合庁舎、新築落成。11月21日、伊豆大島三原山噴火、全島民避難。
- 1987年(昭和62年):8月、浄化センター用地埋立工事着手、11月27日、下田船渠解散決議、138人の従業員全員解雇。11月30日、同労組が職場占拠。
- 1988年(昭和63年):1月、下田船渠、労組が自主生産開始。9月16日、新下田ドック(株)設立。10月 営業開始。
- 1989年(平成元年):4月26日、下田市民文化会館開館。7月、浄化センター用地埋立工事完了。
- 1991年(平成3年):9月10日、伊豆半島南部集中豪雨。
- 1992年(平成4年):5月、浄化センター処理開始。須崎地区一部下水道供用開始。
- 1993年(平成5年):8月31日、新下田ドック(株)、解散。12月、桧沢林道沿いの産業廃棄物処理施設からの公害被害が広がる。
- 1994年(平成6年):ペリーロードが第7回静岡県都市景観賞で最優秀賞(静岡県知事賞)を受賞。
- 1995年(平成7年):9月、石廊崎沖で不審な台湾船発見。中国人密航者57人逮捕。10月 桧沢林道沿いの産廃埋立処分場で火災(翌月にも隣接する事業者の処分場で火災)。
- 1996年(平成8年):5月、桧沢の産廃施設で火災。7月 産廃公害反対の住民運動「自然破壊と廃棄物公害を防止する住民連合会」始まる。
- 1998年(平成10年):8月、桧沢の産廃焼却場上空、東電送電線の断線による南伊豆一帯の停電事故発生。9月 産廃埋立処分場の実質的経営者ら4人逮捕。無許可で産廃埋め立てた疑い。10月2日 下田市議会、市民グループから2,842人の署名により直接請求された「下田市における『外ヶ岡交流拠点』(リープロ施設)建設の是非を問う住民投票に関する条例の制定について」を反対多数で否決(賛成3、反対14)。
- 1999年(平成11年):4月、桧沢の産廃焼却施設事業者の産廃収集運搬業・同処分業、特管産廃収集運搬業・同処分業の各許可取消。9月 下田港沖防波堤建設に伴い、特殊潜航艇海龍 が海中で発見される。
- 2000年(平成12年):7月、三宅島噴火。9月 三宅島漁業関係者が下田市に避難。11月 ベイ・ステージ下田開館。「伊豆新世紀創造祭」が「チェンジ伊豆2000」を標語として開催。
- 2003年(平成15年):12月、下田市・河津町・南伊豆町の法定合併協議会解散。
- 2004年(平成16年):6月、南伊豆町議会、下田市・南伊豆町合併協議会の設置議案否決。
- 2006年(平成18年):10月、伊豆下田バス営業廃止。南伊豆東海バス・新東海バスに事業譲渡。
- 2009年(平成21年):6月、松崎・南伊豆町両議会の合併議案否決により、賀茂地区合併破綻(下田市・河津町・南伊豆町・松崎町)。
- 2012年(平成24年):5月1日、下田メディカルセンター開院(共立湊病院が下田市に新築移転)。
- 2014年(平成26年):9月30日、SHK、小林テレビなど市内CATVが東京民放局4局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・フジテレビ)の区域外再放送終了。各局との協議の結果、県内系列局で同じ放送サービスを行っているという理由(テレビ東京は9月30日以降も区域外再放送を継続)。
- 2015年(平成27年):12月11日、市議会、市庁舎の敷根民有地移転の条例改正案を否決。賛成7人、反対6人で出席議員の3分の2以上に達せず(議員定数13人)。
人口
下田市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
現職首長
福井祐輔 - 2016年(平成28年)6月12日当選、7月5日就任。任期満了日は2020年7月4日。1期目。
歴代首長
下田町長 - 旧六カ町村合併後の下田町の首長。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1955年(昭和30年)4月13日 | 1962年(昭和37年)2月26日 | 2期目の途中で辞任。 | ||
1962年(昭和37年)4月10日 | 1964年(昭和39年)6月1日 | 1期目の途中で辞任。 | ||
1964年(昭和39年)7月5日 | 1970年(昭和45年)12月31日 | 2期目の任期満了日(1976年〈昭和51年〉7月4日)を待たず、市制を施行した1971年(昭和46年)1月1日の前日付けで退任し、翌日、市長に就任する。 |
下田市長 - 市制施行後の首長。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1971年(昭和46年)1月1日 | 1976年(昭和51年)7月4日 | 町長時代と合わせて連続3期を務めたのち、任期満了で退任する。 | ||
1976年(昭和51年)7月5日 | 1984年(昭和59年)7月4日 | 2期を務める。 | ||
1984年(昭和59年)7月5日 | 2000年(平成12年)7月4日 | 4期を務める。 | ||
2000年(平成12年)7月5日 | 2012年(平成24年)7月4日 | 3期を務める。地元出身。 | ||
2012年(平成24年)7月5日 | 2016年(平成28年)7月4日 | 1期を務める。地元出身。無所属。 | ||
2016年(平成28年)7月5日 | 2016年6月12日当選。1期目。任期満了日は2020年7月4日。現土佐清水市域の出身。無所属。 |
県の機関
姉妹都市
産業
海水浴、温泉と自然、海産物が魅力となっている観光業関連がほとんどで、金目鯛や下田S級サザエに代表される水産業も盛ん。農業は、柑橘類以外は自家用野菜が多い。工業は、下田船渠解散後、零細な食品製造業が大半である。特筆すべきものはない。商業は、大規模小売店舗法廃止に代表される各種の規制緩和、道路網の改善や通信販売の発達により、地盤沈下が著しい。
- 下田市観光協会
- 伊豆白浜観光協会
- 下田商工会議所
- 下田市漁業協同組合
- 伊豆太陽農業協同組合
漁業
海水浴場
地域
学校
大学の付属機関
専門学校
高等学校
中学校
小学校
- 下田市立下田小学校
- 下田市立朝日小学校
- 下田市立稲梓小学校
- 下田市立稲生沢小学校
- 下田市立大賀茂小学校
- 下田市立白浜小学校
- 下田市立浜崎小学校
- 静岡県立東部特別支援学校伊豆下田分校 小学部・中学部
交通
鉄道
- 伊豆急行線
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- 中心となる駅:伊豆急下田駅
路線バス
道路
市内の中島橋交差点は、国道135号( - 終点・小田原市)、国道136号( - 終点・三島市)、国道414号( - 終点・沼津市)が集まる3国道の起点となっている[2]。 【高速道路】
【国道】
【県道】
港湾
名所・旧跡・博物館・観光施設
- 弥冶川界隈(ペリーロード):平滑川河口から了仙寺に至る川沿いの道。かつては花柳街だった。なまこ壁や石造りの民家などがあり、風情あるたたずまいを見せる。
- 下田公園:戦国時代に下田城があった場所。日本で1. 2を争うアジサイの名所。循環道路を歩くのも良い。県指定文化財
- ハリスの小径:下田湾の柿崎にある遊歩道。特攻艇震洋の格納壕跡がある。
- 爪木崎:須崎半島にある美しい岬。1月にスイセン祭が開かれる。
- 白浜大浜:下田市最大の海水浴場。白砂が美しく、夏は若者でにぎわう。
- 吉佐美大浜:7月中旬、隣接する大賀茂川河口では、ハマボウが美しい花を咲かせる。
- 了仙寺:下田条約締結の地。5月には、アメリカジャスミン(ニオイバンマツリ)の紫と香りが境内いっぱいになる。国の史跡。
- 玉泉寺:日本最初の米国領事館。国の史跡
- 宝福寺:唐人お吉の菩提寺。
- 吉田松陰寓寄所:米艦での密航を企てた吉田松陰が、宿泊した民家。県指定文化財
- 安直楼:唐人お吉が経営した料亭跡。市指定文化財
- 白浜神社(伊古奈比め命神社):伊豆最古の神社。県指定文化財。めは口+羊。
- 神子元島灯台:明治3年竣工。下田港9km沖合いの神子元島にある、現存する日本最古の洋式灯台。国の史跡
- 下田城:下田城址 後北条氏家臣、清水康英が城主。昭和48年6月12日下田市指定文化財。
- 下田城:隕石などを展示した美術館を併設(休業中)。※歴史上の下田城とは、まったく無関係の娯楽施設。
- 下田開国博物館:開国や下田の民俗を物語る品々を展示。
- 下田海中水族館:世界初の水中に浮かぶ水族館。イルカやアシカのショーも行われる。
- 上原近代美術館:ルノワール、マティス、ピカソなど近代西洋絵画や日本画、彫刻など多数展示。
- 上原仏教美術館:現代仏師の作になる百数十体の木彫仏像、平安時代の十一面観音立像(重要美術品)、鎌倉時代の阿弥陀如来立像、中国宋時代の菩薩立像などを常設展示。平山郁夫・村上華岳らの日本画、平安後期の中尊寺経(重要美術品)も所蔵。
- 道の駅 開国下田みなと(ベイ・ステージ下田):下田の名産や歴史などの魅力が分かる情報館。
- 長楽寺:日露和親条約か調印された寺。宝物館あり。
天然記念物
その他
出身者
- 中根東里(1694-1765):陽明学者。
- 平井平次郎(1774-1843):江戸時代の下田町会所書役・町年寄。20年の歳月を費やし、天保14年(1843年)に完成した「下田年中行事」87巻は、江戸時代の下田の基本史料。
- 松本雲松(1796-1873):下田市・河津町・南伊豆町・松崎町を中心に多くの仏像・仏画・絵画作品を残した伊豆を代表する仏師・絵師。
- 篠田雲鳳(1810-1883):江戸後期から明治初期、江戸で名をはせた女性儒学者、教育者、詩人。書も能くした奇才で、絶世の美女だったという。
- 下岡蓮杖(1823-1914):日本商業写真の祖。
- 小川清助(1832-1880):第一回内国勧業博覧会で褒章を受章した名石工。
- 中村岳陵(1890-1969):日本画家。昭和37年(1962年)、下田町名誉町民。
- 浦辺粂子(1902-1989):日活映画で最初の主演女優、戦後は老婆役で人気。
- 加藤虎之助(1903-1934):医師。大阪府吹田市にあった「三島無産者診療所」初代所長。「あのころひとりの医師がいた」柏木みどり 著
- 上原小枝(1909-1996):元大正製薬名誉会長。
- 和泉覚(1912-2005): 創価学会理事長(第4代)、参議院議員
- 大久保婦久子(1919-2000):皮革工芸家。平成12年(2000年)、下田市名誉市民
- 浦岡敬一(1930-2008):映画編集者。小林正樹監督の「人間の條件」など、多くの映画の編集を手がけた。日本映画・テレビ編集協会初代理事長。
- 平野ますみ(1931- ):詩人、児童文学者。著書「もんぺはすてき」。
- 栗原はるみ(1947- ):料理研究家。著書「ごちそうさまが、聞きたくて」がベストセラー。
- 嶋津武仁(1949- ):福島大学教授。ベルリン国際作曲コンクール3位入選。
- 秀男(1949- ):大相撲、副立呼出し。平成19年秋場所時点で呼出しの最高位。2016年、定年。本名:山木秀人 桐山部屋所属
- 松本路子(1950- ):写真家。『Portraits 女性アーティストの肖像』など、ポートレイトで著名。
- 楠山俊介(1954- ):前下田市長、歯科医師。
- 鈴木由美子(1960- ):漫画家。「白鳥麗子でございます!」で有名。
- 鈴木みそ(1963- ):漫画家。フリーライターからデビュー。
- 御法川修(1972- ):映画監督。映画 『世界はときどき美しい』 (第19回 東京国際映画祭 公式出品)
- 鈴木將義(1976- ):文化人。マルチメディアクリエイター・デジタルメディア評論家。元サクラゲート取締役。
下田を舞台にした作品
文学・記録・漫画
- ロバート・ルイス・スティーヴンソン:ヨシダ・トラジロウ
- ペリー:日本遠征記
- タウンゼント・ハリス:日本滞在記
- ヒュースケン:日本日記
- 川路聖謨:下田日記
- 幸田露伴:いさなとり
- 蒲原有明:豆南豆北
- 島崎藤村:伊豆の旅
- 梶井基次郎:冬の蠅
- 川端康成:伊豆の踊子
- 中島敦:下田の女
- 十一谷義三郎:唐人お吉、時の敗者唐人お吉
- 真山青果:唐人お吉、唐人お吉と攘夷群
- 山本有三:女人哀詞
- 林芙美子:下田港まで
- 井上友一郎:唐人お吉
- ベルトルト・ブレヒト:下田のユーディット
- 松本清張:天城越え
- 放送ジャーナル社:こちら下田CATV
- 中山あい子:紅椿無惨
- 三島由紀夫:月澹荘綺譚
- 大南勝彦:ペテルブルグからの黒船
- ニコライ・ザドルノフ:北から来た黒船
- オリヴァー・スタットラー:下田物語
- 吉村昭:落日の宴-勘定奉行川路聖謨
- 高橋治:片意地へんくつ一本気-下田うなぎ屋風流噺
- 草野唯雄:南伊豆殺人行
- 島田一男:下田子守り唄殺人
- 西村京太郎:下田情死行、南伊豆殺人事件、南伊豆高原殺人事件、十津川警部捜査行〔5〕伊豆箱根事件簿
- 藤堂志津子:海の時計
- 津村秀介:伊豆の朝凪
- 安部竜太郎:お吉写真帖
- まつもと泉:幕末綿羊娘情史
- 宮城賢秀:伊豆惨殺剣
- 柏木 みどり:あのころひとりの医師がいた
映画
- 海に叫ぶ女 :1928年、松竹。監督-清水宏出演-水島亮太郎、藤野秀夫、柳さく子
- 唐人お吉 :1930年、日活。監督-溝口健二 出演-梅村蓉子、山本嘉一、島耕二
- 雪の渡り鳥 :1931年、阪東妻三郎プロダクション。監督-宮田十三一 出演-阪東妻三郎、岡田喜久也、堀川浪之助
- 恋の花咲く 伊豆の踊子:1933年、松竹。監督-五所平之助 出演-田中絹代、大日方傅、小林十九二
- 唐人お吉 :1935年、新興キネマ。監督-冬島泰三 出演-水谷八重子、沢村田之助、早川雪州
- 下田夜曲:1936年、松竹。監督-宗本英男 出演-佐分利信、八雲恵美子、水島光代
- 青い山脈:1949年、東宝。監督-今井正 出演-原節子、池部良、杉葉子
- 若い人:1952年、東宝。監督-市川崑 出演-池部良、久慈あさみ、島崎雪子、杉村春子、二本柳寛
- 坊ちゃん社員 :1954年、東宝。監督-山本嘉次郎 出演-小林桂樹、藤間紫、伊豆肇、河内桃子
- 唐人お吉 :1954年、京映プロ。監督-若杉光夫 出演-山田五十鈴、薄田研二、下元勉
- 雪の渡り鳥 :1957年、大映。監督-加戸敏 出演-長谷川一夫、山本富士子、黒川弥太郎
- 黒船 :1958年、20世紀フォックス。監督-ジョン・ヒューストン 出演-ジョン・ウェイン、安藤永子
- たぬき坊主:1970年、監督-渡辺祐介 出演-フランキー堺、市原悦子、伴淳三郎、中村玉緒、ロケ地-太梅寺(下田市横川)
- 男はつらいよ 柴又より愛をこめて:1985年、松竹。監督-山田洋次 出演-渥美清、栗原小巻、美保純
- バーバー吉野:2003年、PFFパートナーズ。監督-荻上直子 出演-もたいまさこ
音楽
- 民謡「下田ぶし」:江戸時代
- 歌謡曲「唐人お吉の唄(黒船篇)」:1930年佐藤千夜子(唄)、西條八十(詞)、中山晋平(曲)
- 歌謡曲「唐人お吉小唄(明烏篇)」:1930年 藤本二三吉(唄)、西條八十(詞)、佐藤紅華(曲)
- 歌謡曲「下田小唄」:1930年 毛利幸尚(唄)、松村又一(詞)、高田守久(曲)
- 歌謡曲「下田しぐれ」:1935年 東海林太郎(唄)、藤田まさと(詞)、森義八郎(曲)
- 歌謡曲「下田夜曲」:1936年 音丸(唄)、高橋掬太郎(詞)、竹岡信幸(曲)
- 歌謡曲「下田のお吉」:1938年 小唄勝太郎(唄)、佐伯孝夫(詞)、清元梅吉(曲)
- 歌劇「黒船」:1940年 山田耕筰(作曲)
- 歌謡曲「下田の雨」:1951年 林伊佐緒(唄)、若杉雄三郎(詞)、林伊佐緒(曲)
- 歌謡曲「下田夜雨」:1951年 市三(唄)、藤田まさと(詞)、阿部武雄(曲)
- 歌謡曲「下田夜船」:1952年 野崎整子(唄)、坂口淳(詞)、加藤光男(曲)
- 歌謡曲「下田の雨」:1953年 永田とよ子(唄)、英玲二(詞)、上原げんと(曲)
- 歌謡曲「下田エレジー」:1953年 三岐麗子(唄)、高橋掬太郎(詞)、細川潤一(曲)
- 歌謡曲「下田の千鳥」:1956年 島倉千代子(唄)、奥野椰子夫(詞)、平川英夫(曲)
- 歌謡曲「下田港に雨が降る」:1957年 藤島桓夫(唄)、松井由利夫(詞)、島田逸平(曲)
- 歌謡曲「下田物語」:1958年 島倉千代子(唄)、石本美由紀(詞)、竹岡信幸(曲)
- 歌謡曲「花散る下田」:1960年 島倉千代子(唄)
- 演歌「お吉物語」:1960年 天津羽衣(唄)、藤田まさと(詞)、陸奥明(曲)
- 歌謡曲「下田港の弥太郎さん」:1961年 こまどり姉妹(唄)、石本美由紀(詞)、上原げんと(曲)
- 歌謡曲「船頭可愛や」、「下田夜曲」:1961年 花村菊江(唄)
- 歌謡曲「下田ブルース」:和田弘とマヒナ・スターズ、神楽坂とき子(唄)
- 歌謡曲「下田ブルース」:1973年 湯原昌幸(唄)
- 歌謡曲「唐人物語」:1998年 サザンオールスターズ(唄)、桑田佳祐(詞・曲)、サザンオールスターズ(編曲)
- 演歌「風恋歌」:2008年 香西かおり(唄)、里村龍一(詞)、叶弦大(曲)
- 演歌「下田慕情」:2014年 竹川美子(唄)、我妻ゆき子(詞)、河合秀郎(曲)
アニメ
- 幕末のスパシーボ(1997年、NHKエンタープライズ21製作・マジックバス制作) - 幕末の日露交渉と日本人・ロシア人の友好を描いたアニメーション映画。市が製作協力を行った。
- 夏色キセキ(2012年、MBS製作・サンライズ制作、TBS・SBSほかで放送) - 下田市を舞台に女子中学生4人の日常を描いたテレビアニメ。本作には市内各地の名所や伝統行事が登場する。そのため市もアニメファンを呼び込もうと積極的なPR活動を行っている。また制作側は伊豆急行などの地元企業との連携を企画している[3]。
脚注
- ↑ 下田市過疎地域自立促進計画を策定しました 下田市市役所HP 2017年12月26日閲覧。
- ↑ 佐藤健太郎 「国道の名所を行く/国道の始まる場所」『ふしぎな国道』 講談社〈講談社現代新書〉、2014年。ISBN 978-4-06-288282-8。
- ↑ 夏色キセキ駅長|伊豆急「オモシロ駅長」情報! 伊豆急行公式サイト 2012年7月31日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光