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大磯町(おおいそまち)は、神奈川県の南部に位置する町。神奈川県庁の定める区分では湘南地域に属する。
Contents
地理
南は相模湾に面した遠浅の海で、小漁港と砂浜になっている。町の東西を東海道が貫通し、町域を南北に二分している。北東部には高麗山、北西部には鷹取山という小丘陵があり、大磯丘陵(大磯地塊)とよばれる。町域面積の6割を占める丘陵地帯は西へつづき、小田原市にまで至る。河川は西部の葛川水系のものと、高麗山の麓から流れる血洗川が相模湾に注いでいる。1960年代以降、道路網の整備が進み、国道1号(東海道)などのバイパスとして小田原厚木道路、西湘バイパスが建設され、それぞれ町の北部と南部を横断している。
歴史
- 古代は、豪族である師長国造の支配領域であったが、律令体制の整備に伴い相武国造の支配領域と併せ相模国が形成された際に余綾郡に属すことになった。大住郡との境界にあたる町東部には高句麗(現在の中国東北部から朝鮮半島北部にわたる地域に存在した古代国家)からの渡来人が移り住んだという歴史があり、高麗山や高来神社や唐ヶ原 [1]など名称は彼らに由来するとされる。
- 中世には相模国の国府が置かれていたこともある。
- 江戸時代には東海道の宿場町として栄えた。
- 近代以降は、温暖な気候により保養地として注目され、ドイツ人医師ベルツにより紹介されていた海水浴を普及させるための適地を探していた陸軍軍医総監松本順により海水浴場として開かれた。なおこの海水浴場を日本の海水浴の発祥とする説もある(沙美(岡山県)、二見浦(三重県)など、発祥とされる場所は他にも存在する)
- 1982年(昭和57年)10月1日には防災行政無線が開局された。
- 2015年(平成27年)4月1日には防災行政無線の夕方のチャイムのみ、「夕焼け小焼け(新音源)」に変更された。
別荘地
明治中期から昭和初期にかけて、要人の避暑・避寒地として邸宅や別荘が多く建てられた。特に伊藤博文、吉田茂のそれは特に有名である。この他に山縣有朋や西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光、岩崎弥之助、安田善次郎といった政財界要人の別荘が立ち並んだ。1907年(明治40年)頃の大磯には150戸以上の別荘があったといわれる。
現在は、企業の保養所や研修所として利用されている所が多く、一般公開されているのはごく一部である。歴史的価値のある別荘の多くはマンション建設や宅地分譲などで姿を消しつつある。旧伊藤博文邸(滄浪閣)は西武から新たな企業に売却された。
吉田茂の場合は首相退陣後、大磯にて隠棲生活を送った。晩年も政界への影響力を保持していた為、「大磯」は吉田茂を示す別称(政界用語)でもあり、国内外の要人来訪も相次いだ。吉田没後も1979年の日米首脳会談の会場となった。2009年に火災により全焼したが、寄付金により再建され、2017年4月1日に大磯町郷土資料館別館として公開された[2]。同年10月23日には、河野太郎外相と訪日したミクロネシア連邦大統領との懇談・夕食会場として使われた[3]。
人口
大磯町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
行政区域の変遷
- 1889年4月1日 市町村制施行により、神奈川県淘綾郡大磯町(大磯宿+西小磯村+高麗村+東小磯村)、国府村(生沢村+寺坂村+黒岩村+国府本郷村+虫窪村+国府新宿+西窪村)が成立
- 1896年3月26日 淘綾郡が大住郡と合併、中郡に
- 1952年4月1日 国府村に町制施行、国府町に
- 1954年12月1日 大磯町と国府町が合併、新たに大磯町が発足
歴代首長
- 初代 - 曽根田恭男(1954年(昭和29年)12月15日 - 1962年(昭和37年)12月14日)
- 2代目 - 中島玄良(1962年(昭和37年)12月15日 - 1970年(昭和45年)12月14日)
- 3代目 - 豊田由登(1970年(昭和45年)12月15日 - 1982年(昭和57年)12月14日)
- 4代目 - 高島健二(1982年(昭和57年)12月15日 - 1990年(平成2年)12月14日)
- 5代目 - 石井宣和(1990年(平成2年)12月15日 - 1998年(平成10年)12月14日)
- 6代目 - 片野一雄(1998年(平成10年)12月15日 - 2002年(平成14年)12月14日)
- 7代目 - 三澤龍夫(2002年(平成14年)12月15日 - 2006年(平成18年)12月14日)
- 8代目 - 三好正則(2006年(平成18年)12月15日 - 2010年(平成22年)12月14日)
- 9代目 - 中﨑久雄(2010年(平成22年)12月15日 - 現職)
都道府県の行政機関
立法
町議会
所属政党 | 議席数 | 議員名 |
---|---|---|
無所属 | 11 | 高橋英俊、渡辺順子、坂田よう子、片野哲生、吉川重雄、竹内恵美子、 三澤龍夫、関威國、柴崎茂、玉虫志保実、清田文雄 |
公明党 | 2 | 二宮加寿子、奥津勝子 |
日本共産党 | 1 | 鈴木京子 |
計 | 14 |
神奈川県議会
- 選挙区:大磯町・二宮町選挙区
- 定数:1名
- 任期:2015年(平成27年)4月30日~2019年(平成31年)4月29日
氏名 | 会派名 | 当選回数 |
---|---|---|
池田東一郎 | 県政会神奈川県議会議員団 | 1 |
財政
平成18年度
- 財政力指数 1.01 神奈川県市町村平均 1.05
- 経常収支比率 83.2%
- 人口一人当たり地方債現在高 25万0285円 神奈川県市町村平均 47万6542円
- 実質公債費比率 11.3% 神奈川県市町村平均 19.5%
- 人口一人当たり人件費物件費等決算額 11万1261円 神奈川県市町村平均 10万3215円
- 人口1000人当たり職員数 7.84人 神奈川県市町村平均 6.59人
- 内訳 一般職員204人(うち技能労務職41人) 教育公務員 41人 消防職員 42人 合計 263人
- 職員一人当たり平均給料月額 32万39000円 すべての職員手当を含まない数字
- 職員一人当たり人件費概算値(年額) 868万9867円(人件費/職員数)
- 普通会計歳出に占める人件費比率 29.0%
- ラスパイレス指数 96.4% 全国町村平均 93.9
地方債等の残高
- 1普通会計の債務 83億9600万円
- 2特別会計分の債務 77億1800万円(下水道事業特別会計分)
- 3関係する一部事務組合分の債務 0円
- 神奈川県市町村職員退職手当組合(負担割合 4.6%) 神奈川県後期高齢者医療広域連合(負担割合 0.7%)
- 4第三セクター等の債務保証等に係る債務 9億4400万円(大磯町土地開発公社分)
- その他 (財)かながわ健康財団 、(財)かながわ海岸美化財団
地方債等の残高合計 170億5800万円(連結会計)
- 大磯町民一人あたり地方債等残高 50万8496円
姉妹都市・提携都市
地域
教育
学校教育
町内の幼稚園
- 大磯町立大磯幼稚園
- 私立こいそ幼稚園(元町立小磯幼稚園から2012年4月、学校法人小磯学園に移管)
- 大磯町立国府幼稚園
- 大磯町立たかとり幼稚園
町内の小学校
町内の中学校
町内の高等学校
その他の学校
- おおいそ学園(県立の児童自立支援施設。園内に児童のための町立国府小学校・国府中学校生沢分校あり)
社会教育
ホール・集会場
図書館
- 大磯町立図書館
- 大磯町立図書館・国府分館
博物館
体育施設
- 大磯運動公園
交通
鉄道路線
隣接自治体への連絡
近隣自治体への連絡
バス路線
- 神奈川中央交通西(神奈川中央交通)
都道府県庁への連絡
- 東海道本線を利用して横浜へ。
道路
- 高速道路・有料道路
- 一般国道
- 都道府県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 高麗山(21世紀に残したい日本の自然100選)
- 高麗山県民の森
- 高来神社
- 鴫立沢(西行の「心無き身にもあはれは知られけり鴫立澤の秋の夕暮れ」で有名、京都市嵯峨野の落柿舎、滋賀県大津市の無名庵と並ぶ日本三大俳諧道場の1つ「鴫立庵」がある)
- 鴫立沢は「湘南」という地名が発祥した場所としても挙げられる。
- 旧東海道松並木 - 読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつ[5]。
- こゆるぎの浜
- 照ヶ崎(「アオバトの集団飛来地」として神奈川県の天然記念物(1996))
- 鷺の舞、白岩神社の歩射などの民俗芸能が伝承されている。
- 大磯の左義長(1月14日近辺、重要無形民俗文化財)、国府祭(5月5日、神奈川県の無形民俗文化財)、御船まつり(7月)などの祭りがある。
- 大磯ロングビーチ
- 大磯海水浴場
- 大磯城山公園(旧三井財閥の別荘を公園として整備したもの)
- 延台寺
- 島崎藤村墓所(弟子に勧められて大磯にて晩年をすごした)
- 妙輪寺(大磯毘沙門天)
大磯八景
大磯八景は1905年に葉書シリーズが出たもので、高麗寺晩鐘、小餘綾晴嵐、照ヶ崎帰帆、化粧坂夜雨、花水橋夕照、鴫立澤秋月、唐ヶ原落雁、富士山慕雪が選ばれている。[6]
出身有名人
震災対策
相模トラフ沿いで発生すると考えられている巨大地震に対し対策が検討されている。2015年3月「津波浸水想定検討部会」による将来的な津波浸水予測が発表され、大磯町で17mの津波が襲う可能性を指摘され、ハザードマップの早急な見直しが図られている現状にある[7]。
その他
- 郵便番号は以下の通りとなっている。2006年10月2日に変更。
- ラッカセイは渡辺慶次郎が1871年横浜で落花生の種を譲り受け、大磯の畑で栽培されたのが日本で最初と言われている。花は咲いたが何も実を結ばないので、こんなものと足蹴りしたら地中から出てきて地下結実性であることが判明した。経済栽培に向けて、販売先の確保のため、地元旅館に試食を依頼したが「客は喜んだが、座敷が汚されて困る」と断られた逸話が残っている。その後、明治10年に0.4リットル袋入りにて横浜の駄菓子屋に売り込んだところ、盛況となり、経済栽培への見通しがたち、全国へ普及していった。
- 「大磯砂」とは、貝殻や珊瑚のかけら等で構成される小粒の海産砂利の総称であり、以前は大磯海岸で採取されたものが水槽用に流通していたため、その名残でそう呼ばれている。現在は、採取が禁止されており、神奈川の大磯海岸で採れた砂利ではなく輸入物がほとんどである。
関連項目
脚注
- ↑ 「大磯八景」の「唐ヶ原落雁」 (大磯町)
- ↑ 大磯城山公園「旧吉田茂邸地区」が全面開放しました神奈川県庁ホームページ(2017年6月6日)
- ↑ 河野外務大臣とクリスチャン・ミクロネシア連邦大統領との懇談及び夕食会外務省報道発表(2017年10月23日)
- ↑ 議員名簿/大磯町ホームページ
- ↑ 浅井建爾 『道と路がわかる辞典』 日本実業出版社、2001-11-10、初版。ISBN 4-534-03315-X。
- ↑ 大磯八景 (大磯町)
- ↑ 「神奈川県が津波浸水予測 大磯、二宮で最大17メートル 到達時間、大幅に早まる」『産経新聞』2015.03.04
外部リンク