新発田市
新発田市(しばたし)は、新潟県下越地方にある市である。新潟市への通勤率は16.6%(平成22年国勢調査)。
Contents
概要
新発田市は越後平野の北部に位置する、新潟県北部の中核都市である。市北西部には日本海に面した白砂浜海岸が広がり、東部には飯豊山、二王子岳などの山々がそびえ、街からその姿を望むことができる。またこの地では加治川などを水源とした水田が広がっており、県下有数の良質な米(コシヒカリ)の産地としても知られる。
新発田藩の城下町として栄えた市街地は新発田城を代表とする歴史的建築物が多数あり、今も城下町当時の区割りや道、新発田川などの水路がかつての姿をとどめている。明治から戦前にかけては軍都として、戦後は県北部の商業都市として発展した。その昭和の頃の面影を色濃く残す旧公設鮮魚市場や各商店街といった建物や街並みも多く残り、風情ある街にもなっている。 こうした歴史を背景に、新発田の市民は2004年(平成16年)の新発田城三階櫓・辰巳櫓の復元をはじめとする街の景観保存維持に対する関心が非常に高く、市民自ら熱心に取り組んでいる。
市章には新発田藩主・溝口家の家紋「溝口菱」(掻摺菱とも)をそのまま用いている。
地理
隣接している自治体・行政区
- 新潟県
歴史
阿賀野川・信濃川の流域に拓けたこの地域は、中世には佐々木氏の傍系・新発田氏が領し、この地を流れる新発田川の流域にその水運を生かして城が築かれた。
慶長3年(1598年)、豊臣家の家臣であった溝口秀勝が6万石の所領を得てこの地に移封され、以後幕末まで新発田藩は溝口氏が治め、新発田城の城下町として発展していくことになる[1][2]。城下では武家町・町人町・寺町などの特徴的な町が形成され、また周辺地域では新田開発によって低湿地の耕地化が進められた。
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県で新発田県が設置されたが、まもなく新潟県に編入。1878年(明治11年)の郡区町村編制法で阿賀野川以北の地域(阿賀北地域)一帯が北蒲原郡とされると、その郡役所が新発田本村に置かれ、新発田は阿賀北地域の中心地として発展していった。1873年(明治6年)に廃城となった新発田城の跡地には陸軍の歩兵第16連隊が置かれ、以降、明治から終戦までこの町は軍隊の町としての性格を強めた(これは戦後も陸上自衛隊新発田駐屯地として残り、現在に至っている。)。
市制が施行され「新発田市」となったのは、第2次世界大戦後、1947年(昭和22年)のことである。
市名の由来
「新発田」の由来には諸説ある。
- 潟湖に接する「州端(すばた)」を由来とする説[3]
- 荒地を開墾してできた新田「新開発田」の転訛とする説[3]
- アイヌ語で「鮭が取れる所」を意味する「シビタ」を由来とする説[3]
- 諏訪神社の社田「諏訪田(すわた)」を由来とする説
「新発田」という地名は、享徳3年(1454年)の中条房資記録 [注 1] など、室町時代から見られる。[3] 「新発田」という表記に対する推察の一つとして、「しばた」に対する当時の現地発音が「シンバッタ」またはそれに類する発音であり、それに沿って「新発田」の字が当てられたのでは、といったものがある。[4]
沿革
- 1875年(明治8年)8月:外城村、小路村、鍛冶上町、下町が合併し、五十公野村となる。
- 1875年(明治8年)10月:松岡村と松岡新田が合併し、松岡村となる。
- 1876年(明治9年)8月:合併により滝谷村と下寺内村が発足。
滝谷村 | 滝谷村、常磐岡新田 |
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下寺内村 | 下楯新村、下寺内村 |
- 1877年(明治10年)11月:浦村新田が浦村となる。
- 1886年(明治19年)2月:砂山村と飯島新田地先が合併し、砂山村となる。
- 1886年(明治19年)4月:浦新田と赤橋が合併し、浦新田となる。
- 1887年(明治20年)3月:上中山村と中居新田が合併し、上中山村となる。
- 1889年4月:町村制により新発田本村と新発田町が誕生
新発田本村 | 二ノ丸、古丸、外ヶ輪、外ヶ輪裏、三ノ丸、掛倉、七軒町、八軒町、八軒町裏、御免町、寺町、寺町裏、竹町、馬場町、同心町、古徒土町、片田町、小人町、西築地、下鉄砲町、谷町、西ヶ輪、裏町、尾ノ上町、築留、中曽根、片町、袋町、新築地、下杉縄手、菜園地 |
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新発田町 | 東町、泉町、諏訪町、旭町、立売町、万町、上町、中町、下町、指物町、麸屋町、桶町、材木町、紺屋町、職人町、下新町、地蔵堂町、新道、広小路、上鉄砲町、清水谷、田所町、定役町 |
鳥興野村 | 飯島新田、太田新田、下興野村、鳥穴村、砂山村 |
荒川村 | 荒川村、上中山村 |
五十公野村 | 五十公野村、金谷村 |
内竹村 | 上新保村、下新保村、古寺村、江口村、上内竹村、下内竹村、丑首村、小見村、山崎村 |
松浦村 | 小友村、浦新田、松岡村、大崎村、八幡村、八幡新田、浦村、法正橋村、六日町新田、古開分 |
米倉村 | 米倉村、山内村、中々山村 |
赤谷村 | 上赤谷村、滝谷村 |
中井村 | 新井田村、中田村、小船渡村、長畑村、中谷内村、中谷内新田、桑ノ口村、道賀村 |
島塚村 | 東塚ノ目村、西塚ノ目村、板敷村、島潟村、西名柄村 |
猿橋村 | 猿橋村、船入新田、富塚村、弓越村、奥山新保村、中曽根村 |
大宮村 | 大友村、小戸村、宮古木村 |
板津村 | 板山村、上羽津村、下羽津村 |
石田村 | 下高岡村、敦賀村、岡田村、西姫田村、石喜新村 |
楠川村 | 下楠川村、南楯新村、東姫田村、田貝村、虎丸村、上楠川村、上三光村、下三光村 |
蔵光村 | 上石川村、中川新村、下石川村、滝村、蔵光村、北中江新村、中中江新村、下中江新村、中倉村、麓村、東宮内村、中妻村、黒岩村 |
菅谷村 | 菅谷村、繁山新田、小出村、上寺内村、下寺内村、横山村、上荒沢村、熊出村、溝足村、下中山村、丸市新田 |
鴻沼村 | 中井村、島塚村 |
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五十公野村 | 五十公野村、内竹村 |
川東村 | 大宮村、板津村、石田村、竹ノ俣村 |
菅谷村 | 菅谷村、蔵光村 |
松浦村 | 松浦村、荒川村 |
佐々木村 | 佐々木村、簑島村、鳥興野村 |
新発田町 | 新発田本村、新発田町 |
- 1940年(昭和15年)8月:鴻沼村を編入
- 1943年(昭和18年)5月:猿橋村を編入
- 1947年(昭和22年)1月1日:北蒲原郡新発田町が市制を施行、新発田市となる(県内では新潟市、長岡市、高田市、三条市、柏崎市についで6番目)
- 1955年(昭和30年)3月:北蒲原郡五十公野村、川東村、菅谷村、松浦村、米倉村、赤谷村を編入
- 1956年(昭和31年)3月:北蒲原郡加治川村の一部を編入
- 1959年(昭和34年)
- 4月:北蒲原郡佐々木村を編入
- 12月4日:新潟日赤センター爆破未遂事件
- 2003年(平成15年)7月7日:北蒲原郡豊浦町を編入。人口が9万人を超え、一時期県下4番目に人口の多い自治体となる(これ以前は柏崎市、三条市についで6番目)。
- 2005年(平成17年)5月1日:北蒲原郡紫雲寺町、加治川村を編入。人口が10万人を超える。ただし人口規模では同日に新設合併を行った三条市に次いで県下第5位となる。
- 2017年(平成29年)1月4日:市役所本庁舎を中央町4丁目から、中央町3丁目へ移転。
人口
新発田市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
現在の推計人口は以下のサイトを参照。 [1]
行政
市長
- 二階堂馨(2010年12月1日就任、2期目)
- 片山吉忠(前市長、1998年12月1日から3期)
経済
産業
周辺一帯では、越後平野の稲作を中心とした農業地帯が広がっている。こうしたことを背景として、産業面でも食品関連産業や酒造会社などが目につく。また、城下町で茶道が盛行された伝統もあってか、和菓子業も多い。(新発田の茶道と和菓子について)
冬季間の農家の女性のための働き口と、同市出身者大倉喜八郎の大倉財閥の大倉製糸新発田工場があったこともあり繊維業・特に縫製工場が多く点在していたが、海外への仕事の流出などにより、近年では数が減ってきている。
市内の主な企業
- 中古品買取・販売チェーン店、ハードオフコーポレーションの本社所在地
- 日本酒の酒蔵、菊水酒造、市島酒造、金升酒造、ふじの井酒造の本社所在地
- 凸版印刷新潟工場
- トッパン NEC サーキット ソリューションズ新潟工場
- ブルボン新発田工場
- サトウ食品新発田工場
- ウオロク スーパーマーケット、(現在本社は新潟市)
漁業
- 松塚漁港
姉妹都市・提携都市
国内
- 加賀市(石川県)
- 友好都市提携(※1991年11月8日友好都市提携):豊臣秀吉による天下平定後には1583年秀吉の家臣で、加賀大聖寺城主(4万4千石)であった溝口秀勝が越後新発田(6万6千石)に配置移封が縁で交流が開始。
- 須坂市(長野県)
- 姉妹都市提携:江戸時代に信州、須坂市米子出身の竹前権兵衛とその弟小八郎が紫雲寺潟の干拓工事にあたったことから、昭和60年6月16日に当時の紫雲寺町と姉妹都市提携を結ぶ。平成17年5月1日に紫雲寺町が新発田市に編入した後も、両市にある米子(よなこ・よねこ)町をはじめ全市的な交流が活発に続いている。
海外
地域
JR新発田駅は新潟近郊区間内に含まれており、また国道新新バイパス-新潟バイパス-新潟西バイパスを通じて新潟市中心部と結ばれているため、新潟市のベッドタウンとしての機能の高まりから、近年開発が進み大型店の出店などが相次いでいる。一方で、全国の他市町村と同様に、中心商店街の衰退が大きな問題となっている。そのため、県立新発田病院を2006年11月に駅前の大倉製糸新発田工場跡に移転したが、どこまで効果があるのか推移を見守る。
健康
病院
- 新潟県立新発田病院
教育
大学
高等学校
中学校
- 新発田市立本丸中学校
- 新発田市立猿橋中学校
- 新発田市立佐々木中学校
- 新発田市立七葉中学校
- 新発田市立川東中学校
- 新発田市立第一中学校
- 新発田市立東中学校
- 新発田市立豊浦中学校
- 新発田市立紫雲寺中学校
- 新発田市立加治川中学校
小学校
- 新発田市立外ヶ輪小学校
- 新発田市立猿橋小学校
- 新発田市立五十公野小学校
- 新発田市立御免町小学校
- 新発田市立佐々木小学校
- 新発田市立七葉小学校
- 新発田市立住吉小学校
- 新発田市立松浦小学校
- 新発田市立菅谷小学校
- 新発田市立川東小学校
- 新発田市立東豊小学校
- 新発田市立二葉小学校
- 新発田市立米倉小学校
- 新発田市立加治川小学校
- 新発田市立荒橋小学校
- 新発田市立中浦小学校
- 新発田市立天王小学校
- 新発田市立本田小学校
- 新発田市立紫雲寺小学校
- 新発田市立藤塚小学校
- 新発田市立米子小学校
特別支援学校
- 新潟県立竹俣別支援学校
- 新潟県立竹俣特別支援学校いじみの分校
スポーツ
スポーツチーム
スポーツ施設
- 新発田市五十公野公園野球場
- 新発田市五十公野公園陸上競技場(グリーンスタジアムしばた)
- NINOHJI SNOW PARK NINOX(ニノックス)
河川施設
- 加治川治水ダム(加治川水系加治川。日本最大の治水ダム。新潟県管理)
- 加治川ダム(加治川水系加治川。水力発電専用ダム。東北電力管理)
- 内の倉ダム(加治川水系内の倉川。多目的ダムで新発田市の水がめ。新潟県管理)
ライフライン
交通
鉄道路線
- 在来線
中心駅の新発田駅は、JR羽越本線と白新線が合流する駅。市内には7つの駅がある。また、かつては国鉄赤谷線が新発田駅〜東赤谷駅間を結んでいたが、1984年に全線廃止となっている。
道路
- 高速道路
- 一般国道
バス
- 新潟交通観光バス 新発田営業所
- 新発田市コミュニティバス
名所・旧跡・観光スポット
- 新発田城(表門と旧二の丸隅櫓は国の重要文化財)
- 新発田城址公園(日本の歴史公園100選)
- 新発田藩下屋敷 清水園・足軽長屋
- 蕗谷虹児記念館
- 月岡温泉
- 諏訪神社
- 菅谷寺(菅谷不動尊)
- 五十公野御茶屋(日本の歴史公園100選)
- 豪農・市島邸
- 大友稲荷
- 市島酒造
- 櫛形山脈
- 福勝寺
- 神明宮
- 菊水酒造
- 五十公野公園
- 藤塚浜海水浴場
- 新発田カトリック教会(アントニン・レーモンド設計)
- 長徳寺
- 白壁兵舎
- 旧県知事公舎記念館
- 宝光寺
- 新発田西公園
- 内の倉ダム
- 石泉荘(石崎邸)
- 来迎寺
- 月岡カリオンパーク
- 県立紫雲寺記念公園
- 湯の平温泉
祭事・催事
- 城下町しばた全国雑煮合戦(1月上旬、会場:新発田城址公園)
- 赤谷どんつきまつり(2月下旬)
- 月岡温泉どんどまつり(2月下旬)
- 新発田春まつり(4月、会場:新発田城址公園)
- 越佐招魂祭(5月3、4日)
- あやめまつり (6月中旬〜7月上旬)
- 藤塚浜海上花火大会(8月中旬)
- 城下町新発田ふるさとまつり (8月27日〜29日)(祭りのメインである『帰り台輪』について)
- 内の倉ダム・堤体内部コンサート (10月)
- 義士祭 (12月14日)
新発田市を舞台にした作品
- 小説
- 映画
出身有名人
- 青山杉作(俳優、演出家 旧紫雲寺町出身)
- 井伊誠一(弁護士・政治家)
- 五十嵐みずも(シンガーソングライター)
- 井上久助(新発田藩藩士)
- 大倉喜八郎(実業家)
- 大竹与茂七(新発田藩領中之島村の名主、義民)
- 鹿島恵子(メゾソプラノ・アルト歌手)
- 加藤貴宏(俳優)
- 木津幸吉(写真家)
- 久米幸太郎(新発田藩藩士)
- 小柳牧衛(政治家 旧・北蒲原郡川東村出身)
- 笹川美和(歌手、旧紫雲寺町出身)
- 佐々木剛(俳優、仮面ライダー2号役)
- 佐藤和三郎(相場師)
- 三笑亭夢丸 (2代目)(落語家)
- 茂野雅道(作曲家)
- 新発田綱貞(戦国時代の武将)
- 新発田長敦(戦国、安土桃山時代の武将)
- 新発田重家(戦国、安土桃山時代の武将)
- 杉山義法(脚本家)
- 鈴木直之(グラフィックデザイナー)
- たかたかし(作詞家)
- 高沢順子(女優)
- 高田真樹子(歌手)
- 高橋宏(公立大学法人首都大学東京理事長)
- 高橋光威(政治家)
- 高山景子(元新潟総合テレビアナウンサー、テレビ愛媛アナウンサー)
- 田口運蔵(共産主義者)
- 田宮高麿(新左翼の活動家)
- 熾仁親王妃董子(皇族)
- 寺田ヒロオ(漫画家)(西蒲原郡巻町〈現新潟市〉生まれ)
- 富樫勇樹(バスケットボール選手)
- 聖悠紀(漫画家)
- 平方恭子(元福島放送アナウンサー、フリーアナウンサー)
- 蕗谷虹児(画家)
- 堀部武庸(赤穂浪士の一員。「高田馬場の決闘」で有名)
- 松下芳男(社会主義者、軍事史学者)
- 三田村邦彦(俳優)
- 山川丙三郎(イタリア文学者、翻訳家)
- 豊山勝男(大相撲力士)
- 豊山広光(大相撲力士)
- 渡辺紘三(政治家、旧紫雲寺町出身)
- 渡辺栄(日本中央競馬会騎手・調教師。旧北蒲原郡本田村出身)
新発田ゆかりの人物
- 市島謙吉(政治家):越後国頸城郡水原出身。旧豪農市島家の人物。
- 今村均(陸軍大将):旧制新発田中学(現新発田高等学校)卒業生。
- 大杉栄(思想家):少年期を新発田でおくっている(『自叙伝』参照)。
- 大庭みな子(小説家):一時期新発田女子校(現西新発田高校)に在籍。
- 小和田恆(皇太子妃雅子の父):出生地が新発田。
- 加藤健(プロ野球選手):聖籠町出身、新発田農業野球部出身。
- 加藤楸邨(俳人):少年期に新発田で過ごす。
- 後藤十郎(陸軍軍人):山形県出身。1935年、新発田歩兵第16連隊長に就任。
- 近衛十四郎(俳優):長岡市出身、新発田歩兵第16連隊に入隊。
- 小柳冨次(日本海軍軍人):旧豊栄市(現新潟市北区)出身。旧制新発田中学卒。
- 佐々木行(歌手):ダークダックスのメンバー。小、中学校の9年間を新発田で過ごす。
- 佐々木盛綱(平安時代末期から鎌倉時代初期の武将)新発田地域の地頭職を拝領。
- 佐藤哲三(画家):出身は長岡市であるが生涯のほとんどを新発田で過ごした。
- 関口和之(ミュージシャン):旧水原町(現・阿賀野市)出身。新発田高等学校卒業生。
- 高橋秀山(柔道家):秋田県出身、旧制新発田中学赴任時、全国制覇に導いた指導者。
- 野瀬清喜(柔道家):旧京ヶ瀬村(現・阿賀野市)出身。新発田高等学校卒業生。
- 浜本喜三郎(陸軍軍人):京都府出身。1931年、新発田歩兵第16連隊長に就任。
- 原久一郎(ロシア文学者):旧水原町出身。旧制新発田中学卒。
- 本間雅晴(陸軍軍人):旧畑野町(現佐渡市)出身。新発田歩兵第16連隊附、陸軍歩兵少尉任官。
- 溝口秀勝(大名):初代新発田藩藩主。尾張国中島郡溝口(現・愛知県稲沢市)出身。
- 宮崎繁三郎(陸軍軍人):岐阜県出身、新発田歩兵第16連隊隊長としてノモンハン事件に参戦。
- 村上幸子(演歌歌手):旧荒川町(現・村上市)出身。新発田中央高等学校卒。
- 安田辰昭(高校野球指導者):佐渡郡(現・佐渡市)出身。元新発田農業高等学校野球部監督。
- 宮崎繁樹(国際法学者)明治大学元総長
- 吉屋信子(小説家):少女期に新発田で過ごす。
- 渡辺良夫(元厚生大臣):旧新潟2区選出衆議院議員。旧制新発田中学卒業生。
新発田の名物
- から寿司
- 新発田麩(『まんじゅう麩』は新潟県下越地方独特の形の麩)
- 地酒(新発田の蔵元については上記#市内の主な企業欄を参照)
- 蒸気パン
- 和菓子(『茄子のお菓子』など)
- 駅弁(新発田三新軒(三新軒)、現在の所在地は新潟市)
- シバタサーカス
市町村合併
2003年7月7日、北蒲原郡豊浦町を、2005年5月1日、北蒲原郡紫雲寺町、加治川村をそれぞれ編入合併した。合併後の面積は532.82km2、総人口は106,834人(2003年7月31日住民基本台帳より)となった。平成の大合併以前は県内で同規模の都市である柏崎市や三条市より遅い市制施行ということもあり後塵を拝しており、人口が県下第6位であったが、合併によって人口が柏崎市を越して県下第5位の人口を擁することとなった。その後、2007年4月1日の統計で三条市を抜き、現在は第4位の人口を擁している。
その他
戦前は「新発田」を略して「芝田」と書く慣例があり、当時は新聞報道などでも「芝田」という記述が罷り通っていた。その名残から、現在も年配者の間では「芝田」と略して記述する向きが多く、一例として新発田駅を「芝田駅」、新発田高校を「芝高」、新発田農高を「芝農」などと記すケースがままある(現在でも目にできる例として、新津駅近くにある「新津市鉄道資料館」の赤谷線コーナーに「赤谷線鉄道唱歌」の歌詞が展示されているがその中に「汽笛一声芝田駅 はや我が汽車は離れたり」と書かれている)。
新聞・テレビなど県内の各メディアも1980年代半ばまではこの慣例に倣っていたものの(特に「芝農」は、同校がスポーツ等で実績を挙げていたことから多用されていた)、地元住民などから「本来の地名には存在しない字を使って、地名を略して記すのは如何なものか」と疑問が寄せられるなどしたため、こうした記述は徐々に淘汰されていった。
脚注
注釈
出典
- ↑ “No.001 溝口秀勝”. 新発田市. . 2018閲覧.
- ↑ “しばた・ひと往来 〜新発田ゆかりの人物〜【No.1】 (PDF)”. 新発田市. . 2018閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 角川日本地名大辞典15
- ↑ にいがた地名考
参考文献
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会 『角川日本地名大辞典 15 新潟県』 (株)角川書店、1989-10-08。ISBN 4-04-001150-3。
- 長谷川勲 『にいがた地名考』 新潟日報事業社、2015-06-16。ISBN 978-4861326011。
関連項目
外部リンク
- 新発田市
- 新発田市・紫雲寺町・加治川村合併協議会
- オープンストリートマップには、新発田市に関連する地理データがあります。
(日本海) | 胎内市 | 山形県小国町 | ||
聖籠町 新潟市 |
北 | 福島県喜多方市 | ||
西 新発田市 東 | ||||
南 | ||||
阿賀野市 | 阿賀町 |