三条市
三条市(さんじょうし)は、新潟県のほぼ中央部に位置する市である。
Contents
概要
県下有数の工業都市。市域の大部分が旧南蒲原郡の町村から成り、新潟県の中越地方に分類されるが、後述の自動車ナンバープレート等に見られる様に下越地方に含まれる場合もある。近年では「県央地域」の呼び名が一般的となっており、隣接する燕市や加茂市、田上町、弥彦村などから成る同地域の中心都市となっている。
2005年(平成17年)5月1日、旧三条市と南蒲原郡栄町、同郡下田村の3市町村による新設合併をもって、現在の三条市が発足した。合併当時の人口は約10万8千人を数え、新潟市、長岡市、上越市に次ぐ県内第4位の人口を擁する都市となった。近年の人口は同規模を有する新発田市とともに、県内4位から5位の間を推移している。
隣接する燕市は、ともに金属加工を中心に栄えたこともあって古くから相互補完の関係が深い。
しかし一方で、根深い対立を抱えている側面もあり、過去には両市の境界に所在する日本国有鉄道(当時、現在の東日本旅客鉄道)の燕三条駅や、北陸自動車道の三条燕インターチェンジについて、名称の扱いを巡り論争が起こったことがある。また2000年代の市町村合併を巡っては、両市の財界や市民団体などから両市合併による「燕三条市」を実現しようとする動きが見られたものの、両市双方で論争に発展するなどし、結局実現には至らなかった。
地理
- 三条市は気象庁や農協の区分などにおいては中越地方に分類されているが、自動車のナンバープレートが「長岡」ではなく「新潟」であることや、電話帳も「下越版」であるなど、場合によっては加茂市や南蒲原郡田上町とともに下越地方に含まれる漸移地域となっている。
- 市の中心には、東西に五十嵐川が流れ、市西部で南北に流れる信濃川と合流する。また笠堀地区は、国の特別天然記念物であるニホンカモシカの生息地として知られる。
- 山:粟ヶ岳、守門岳
- 河川:五十嵐川、守門川
- 湖沼:ひめさゆり湖(大谷ダム)・笠堀ダム
主な市域の分け方
- 三条地域:旧三条市域の全域
- 嵐北(らんぽく)地区:旧三条市域の五十嵐川よりも北側の地区
- 嵐南(らんなん)地区:旧三条市域の五十嵐川よりも南側の地区
- 大島・須頃(おおじま・すごろ)地区:旧三条市域の信濃川よりも西側の地区
- 栄地域:旧南蒲原郡栄町の全域
- 下田地域:旧南蒲原郡下田村の全域
歴史
江戸時代以前
- 885年 - 京都石清水八幡宮より分霊を頂き、大崎に八幡宮(三条八幡宮)が創建される。
- 1297年 - 日蓮の孫弟子・日印が青蓮華庵(現在の法華宗陣門流総本山・本成寺)を創建。
- 1507年 - 永正の乱。三条島ノ城将山吉能盛が守護代の長尾為景(三条長尾家。上杉謙信の父。)につく。
- 1577年 - 神余親綱が三条島ノ城主となる。
- 1599年 - 堀直政が三条城島ノ城主となる(5万石)。八幡宮が現在地へ移る。
江戸時代
- 1608年 - 堀直政の長男・直清が三条島ノ城主となる。
- 1610年 - 堀家のお家騒動により堀直清が改易、三条島ノ城は廃城。
- 1616年 - 幕府が市橋長勝を伯耆矢橋から三条城主(4万1,300石)に任じ、三条島ノ城の信濃川対岸(現在の元町。三条小学校付近)に新たに城地を定めて三条城を築城。
- 1620年 - 幕府が稲垣重綱を越後刈羽郡藤井から三条城主(2万3,000石)に移封。
- 1623年 - 稲垣重綱が大阪城番となり、三条城は廃藩。出雲崎代官領となる。
- 1631年 - 三条城廃城。
- 1642年 - 長岡藩主牧野忠成が幕命により三条城を破却。
- 1649年 - 出雲崎代官領から村上藩(松平藤松)となる。
- 1675年 - 三条村が「裏館村」、三条新田(新田三条)が「三条町」と改称。
- 1690年8月 - 東本願寺三条掛所(現在の真宗大谷派三条別院)創設、浄圓寺御堂が仮本堂となる。
- 1703年8月 - 東本願寺三条掛所本堂完成、入仏式挙行。
- 1822年 - 三条八幡宮の大名行列が三条の領主である村上藩主内藤信敦の京都所司代就任を祝って始められる。
- 1828年12月18日(旧暦霜月:11月12日) - 三条地震(朝五ツ時上刻:7:40頃。マグニチュード6.9)
明治時代
- 1872年11月4日 - 三条小学校創立
- 1873年9月25日 - 五十嵐川に初めての橋、三条橋(のちの嵐川橋)架橋
- 1877年10月 - 松尾与十郎らの尽力により五十嵐川左岸の築堤工事が完成
- 1878年9月21日 - 明治天皇が北陸巡幸し東本願寺三条別院(東別院)の御在所に宿泊
- 1879年5月12日 - 三条町に南蒲原郡役所が開設される
- 1880年5月21日 - 糸屋万平火事。三条町上町(現・本町一丁目)の米屋から出火、三条町2,010戸のうち約98%(1,961戸)をはじめ、2,743戸を焼失、焼死者34名、失火元は米屋の隣の糸屋とされたため、糸屋万平火事とよばれる
- 1881年4月15日 - 三条で初めての金融機関三条会社(のちの三条銀行)創業
- 1887年8月19日 - 日本で初めての日食観測(皆既日食)が大崎山の山頂で観測
- 1889年4月1日 - 町村制施行により、三条町、一ノ木戸村、裏館村、本城村、槻田村、金子村、上林村、旭村、塚野目村、大槻村、西大崎村、東大崎村、保内村、大島村、須頃村が成立、全町村とも南蒲原郡に属する
- 1892年12月9日 - 南蒲原郡大槻村が分村・再編、井栗村が成立
- 1897年11月20日 - 北越鉄道の沼垂駅‐一ノ木戸駅間が開業
- 1898年6月16日 - 北越鉄道の一ノ木戸駅‐長岡駅間が開業、同時に三条駅開設
- 1901年3月18日 - 新潟県立新潟中学校三条分校(現:三条高校)設置
- 1901年11月1日 - 町村再編。三条町、裏館村、本成寺村、栗林村、井栗村、大崎村、大島村となる
- 1906年6月24日 - 東本願寺三条別院(東別院)の現在の本堂が建立され、1908年(明治41年)7月3日に落慶入仏式挙行
大正時代
- 1913年7月24日 - 三条駅前‐弥彦神社前間に参宮自動車が開業
- 1920年10月1日 - 三条町が裏館村を編入合併
- 1925年1月1日 - 本成寺村の一部(四日町・新保など)を三条町に編入
- 1925年4月10日 - 越後鉄道・燕‐一ノ木戸間が開業、同時に北三条駅開設
- 1925年7月28日 - 諏訪・曲渕切れの水害
昭和時代
- 1927年7月25日 - 越後鉄道・一ノ木戸駅‐越後長沢駅間が開業
- 1927年10月1日 - 越後鉄道が国有化され、一ノ木戸駅を東三条駅に改称
- 1927年10月1日 - 栗林村を分村し、三条町と井栗村に編入
- 1928年 - 大島村の南蒲原郡畜産組合が三条競馬を始める
- 1934年1月1日 - 南蒲原郡三条町が市制施行。新潟県下4番目、全国123番目。当時の人口3万2897人(5,980戸)
- 1935年7月19日 - 今井雄七丸井今井社長らの寄付により武徳殿(現・三条市立歴史民俗産業資料館)竣工
- 1944年9月16日 - 弥彦線東三条駅‐越後長沢駅間が不要不急線として営業休止
- 1945年3月4日 - 東別院本堂に積もった雪が大落雪、学童疎開の児童1名死亡
- 1951年6月1日 - 南蒲原郡井栗村を編入
- 1954年11月1日 - 南蒲原郡本成寺村、南蒲原郡大崎村を編入
- 1955年1月1日 - 南蒲原郡大島村を編入
- 1955年3月20日 - 旧南蒲原郡大島村の一部を燕市に編入
- 1960年4月1日 - 南蒲原郡栄村の一部を編入
- 1961年8月5日 - 8・5集中豪雨。五十嵐川に架かる新大橋が橋詰めの民家とともに流失し家族5名が流されるも4名は常盤橋で辛うじて救助されるが1名と消防署員1名が死亡、新大橋の流失に続き渡瀬橋も流失など被害甚大。被害総額は8億6,746万円(2004年価格換算43億4,619万円)
- 1963年1月 - 昭和38年1月豪雪(サンパチ豪雪)。1月28日には国鉄東三条駅で積雪4.25mを観測、2月1日には災害救助法が雪害では初適用。被害は全壊16棟、半壊11棟など。被害総額は66億9,746万円(2004年価格換算2,926億1,169万円)
- ユキダス「豪雪と闘う」に当時の記録(カラー8ミリフィルムの映像記録)がある
- 1964年7月7日 - 7・7水害。五十嵐川が氾濫、中新の堤防が200m欠壊、行方不明者1名、床上62棟、床下425棟の浸水被害
- 1966年8月28日 - 8・28水害
- 1978年6月26日 - 6・26水害
- 1978年9月21日 - 北陸自動車道(新潟黒埼IC‐長岡IC・JCT間)開通、下須頃に近い燕市に三条燕IC開設
- 1979年7月28日 - 7・28水害
- 1982年11月15日 - 上越新幹線(大宮駅‐新潟駅間)開業、下須頃の燕市との境に燕三条駅(弥彦線と接続)開設
- 1985年4月1日 - 弥彦線の東三条駅‐越後長沢駅間(下田村)(7.9km)を廃止(列車の運行は前日まで)、越後大崎駅も廃止
- 1988年3月 - 昭栄地区再開発事業の中核をなすジャスコパルム店がオープン
平成(旧市)
- 1995年6月10日 - 三条市民球場の開設記念として、プロ野球公式戦パ・リーグ・近鉄バファローズ-日本ハムファイターズ戦開催(近鉄4‐6日本ハム)。三条市民球場での唯一の一軍公式戦
- 1997年9月16日 - 弥彦線(燕三条駅‐東三条駅間)の約2.7kmで連続立体交差事業(総事業費約123億円)が完成し、この日から同区間では高架線での運行を開始。北三条駅は高架駅となる
- 1998年 - この頃に五十嵐川左岸土手脇に斎場建設計画が持ち上がる。しかし脇の高台に新潟県立月ヶ岡養護学校という教育機関があることから、地域住民を中心に反対運動が持ち上がる(その後3万人強の署名が集まったにもかかわらず、斎場建設は決定している)。
- 2001年8月16日 - 三条競馬場で、新潟県競馬・三条開催の事実上最後のレース。2002年(平成14年)3月24日には、1993年(平成5年)から発売されていた日本中央競馬会の場外発売を廃止
- 2002年9月8日 - 1887年7月創業の老舗スーパー・まるよしが、8月29日に民事再生法の適用を申請したことにより、全店舗が閉店
- 2004年7月13日 - 平成16年7月新潟・福島豪雨(7・13水害)。市内の死者9人、負傷者80人、罹災者2万3,452人(7,467世帯)、被災住家1万0,352棟
- 2004年10月23日 - 新潟県中越地震(新潟県中越大震災)発生。三条市西裏館では震度5弱(計測震度4.9。最大加速度191.7gal)を観測。負傷者8人、住家300棟が一部損壊、公共施設など32棟に被害。交通網の寸断や風評被害などで経済的な損害も
平成(新市)
- 2005年5月1日 - 三条市、南蒲原郡栄町、南蒲原郡下田村が新設合併、新しい「三条市」が誕生
- 2005年6月28日 - 五十嵐川上流ダムの流入量がマニュアルに定めた数値を超えたため、嵐南・嵐北地区26,128世帯に全国で初めて「避難準備情報」を発令(これで2回目となる)
- 2005年8月10日 - 三条で1時間に72mmの猛烈な雨(気象庁のアメダス観測では1976年の観測以来最大値)。竜巻と見られる突風(F0~F1)が発生し、4人が負傷、建物21棟に被害
- 2007年7月16日 - 新潟県中越沖地震発生。新堀(栄地区)で震度5強、西裏館で震度5弱(三条地区。計測震度4.8、最大加速度117.3gal)、荻堀(下田地区)で震度4を観測。市内では負傷者32人、空家1棟が崩壊、住家111棟が一部損壊
- 2011年7月27日 - 30日 - 平成23年7月新潟・福島豪雨発生。市内での死者1名。五十嵐川をはじめ、市内3ヶ所の堤防が決壊。一時は市内全世帯に対して避難勧告が出されたほか、浄水場の処理能力が低下して市内のほぼ全域で断水するなどの被害。
人口
三条市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
隣接している自治体・行政区
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 高橋一夫 | 2005年6月12日 | 2006年10月17日 | 旧三条市長。任期途中で辞職[2]。 |
2代 | 國定勇人 | 2006年11月12日 | 現職 | 当選時は全国で最年少の市長。 |
警察
駐在所
- 東三条駅前交番
- 神明町交番
- 三条駅前交番
- 五ノ町交番
- 燕三条駅交番
- 下田交番
駐在所
- 保内駐在所
- 井栗駐在所
- 大崎駐在所
- 本成寺駐在所
- 尾崎駐在所
- 若宮駐在所
- 大面駐在所
- 八木前駐在所
経済
産業
三条市における金物業の歴史
17世紀初頭、毎年のように起こる風水害に疲弊した三条・燕地域の領民を救うため、三条城に在任していた出雲崎陣屋代官の大谷清兵衛が、江戸から和釘の鍛冶職人を招き、農民の副業として和釘製造を奨励した。これが三条鍛冶の始まりである。
1661年(寛文元)に会津地方から鋸、鉈などの新しい製法が伝来し、三条町の鍛冶は一層盛んになった。製品の種類が増えたことにより、18世紀後半になると、今まで地元や近郷だけを商圏としていた地廻り金物商人が遠方へも足を伸ばす金物行商人として本格的に活動を始めた。金物問屋と鍛冶屋の結びつきは非常に強くなり、問屋の指導により和釘の生産を減らし、明治初期には、鎌、銚、小刀、包丁、鋸が中心になっていった[3]。
市内の主な企業
- 暖房器具製造メーカー、コロナの本社所在地。
- ホームセンター準大手、アークランドサカモトの本社所在地。
- ※同じくホームセンター大手のコメリも三条が創業地でありかつては市内に本社を構えていた。(現在のコメリの本社所在地は新潟市南区)
- アウトドア用品、生活用品製造メーカー、パール金属の本社所在地。(「CAPTAIN STAG」ブランドで商品を展開)
- キャンプ用品製造販売、スノーピークの本社所在地。
- 機械・鍛造メーカー、三條機械製作所の本社所在地。
- 外食産業、サルーンの本社所在地
- 外食産業(スーパーマーケット、事業所向け仕出し弁当宅配等)、オーシャンシステムの本社所在地。
- カタログギフト販売企業、ハーモニックの本社所在地。
- 食品製造卸売企業、ミリオングループの本社所在地。
- スポーツ・レジャー・アウトドア用品卸売業、カワセの本社所在地。(「BUNDOK」ブランド等で商品を展開)
- 印刷業、明間印刷所の本社所在地。
商工会議所・商工会
姉妹都市・提携都市
地域
教育
高等学校
義務教育学校
校名 | よみ | 児童数(前期) | 生徒数(後期) | |
---|---|---|---|---|
三条市立大崎学園 | おおさき | 540 | 268 | 2018年4月に三条市立大崎小学校、同大崎中学校を改編 |
- 児童・生徒数は2018年5月1日現在。
中学校
校名 | よみ | 略通称 | 生徒数 | 小学校区 |
---|---|---|---|---|
三条市立第一中学校 | だいいち | イッチュウ | 471 | 嵐南小 |
三条市立第二中学校 | だいに | ニチュウ | 297 | 一ノ木戸小 |
三条市立第三中学校 | だいさん | サンチュウ | 287 | 裏館小、上林小 |
三条市立第四中学校 | だいし | ヨンチュウ | 252 | 井栗小、旭小、保内小 |
三条市立本成寺中学校 | ほんじょうじ | ホンチュウ | 285 | 西鱈田小、月岡小 |
三条市立大島中学校 | おおじま | シマチュウ | 79 | 大島小、須頃小 |
三条市立栄中学校(旧栄町立栄中学校) | さかえ | サカエチュウ | 295 | 大面小、栄中央小、栄北小 |
三条市立下田中学校(旧下田村立下田中学校) | しただ | シタチュウ | 222 | 長沢小、笹岡小、大浦小、森町小、飯田小 |
- 生徒数は2018年5月1日現在。
小学校
校名 | よみ | 児童数 |
---|---|---|
旧三条市立三条小学校(2017年3月31日に廃校、裏館小に統合) | さんじょう | - |
三条市立一ノ木戸小学校 | いちのきど | 636 |
三条市立嵐南小学校(2013年4月1日に四日町小・条南小・南小を統合して開校) | らんなん | 854 |
旧三条市立四日町小学校 | よっかまち | - |
三条市立裏館小学校 | うらだて | 468 |
三条市立上林小学校 | かんばやし | 116 |
三条市立井栗小学校 | いぐり | 258 |
三条市立旭小学校 | あさひ | 62 |
三条市立西鱈田小学校 | にしたらだ | 199 |
三条市立月岡小学校 | つきおか | 375 |
三条市立保内小学校 | ほない | 109 |
三条市立大島小学校 | おおじま | 71 |
三条市立須頃小学校 | すごろ | 109 |
旧三条市立条南小学校 | じょうなん | - |
旧三条市立南小学校 | みなみ | - |
三条市立栄中央小学校(旧栄町立中央小学校) | さかえちゅうおう | 260 |
三条市立栄北小学校(旧栄町立北小学校) | さかえきた | 121 |
三条市立大面小学校(旧栄町立大面小学校) | おおも | 170 |
三条市立長沢小学校(旧下田村立長沢小学校) | ながさわ | 112 |
三条市立笹岡小学校(旧下田村立笹岡小学校) | ささおか | 69 |
旧三条市立荒沢小学校(旧下田村立荒沢小学校)(2014年3月31日に廃校、森町小に統合) | あらさわ | - |
三条市立大浦小学校(旧下田村立大浦小学校) | おおうら | 53 |
三条市立森町小学校(旧下田村立森町小学校) | もりまち | 99 |
三条市立飯田小学校(旧下田村立飯田小学校) | いいだ | 84 |
- 児童数は2018年5月1日現在。
- 各小学校の学区内町名(行政区)は三条市教育委員会HPで確認[4]。
幼稚園
- 三条市立南幼稚園(2012年3月31日で廃園)
- インマヌエル・ルーテル幼稚園
- 三条白百合幼稚園
- 三条みのり幼稚園(2016年3月31日で閉園)
- 三条若葉幼稚園(2018年3月31日で閉園)
- 宝塔院幼稚園
- 松葉幼稚園
認定こども園
- 聖公会聖母こども園
特別支援学校
- 新潟県立月ヶ岡特別支援学校
学校教育以外の施設
- 公共職業能力開発施設
- 新潟県立三条テクノスクール(職業能力開発校)
- 研修機関
- 中小企業大学校三条校
- 児童福祉施設(公立保育所・私立保育園)
- 三条市立裏館保育所
- 三条市立保内保育所
- 三条市立嵐南保育所
- 三条市立鱈田保育所
- 三条市立須頃保育所
- 三条市立月岡保育所
- 三条市立塚野目保育所
- 三条市立栄中央保育所
- 三条市立千代が丘保育所
- 本成寺保育園
- 北陽保育園
- つくし保育園
- ふじの木保育園
- 第二つくし保育園
- きらきら保育園
- ひまわり保育園
- にじいろ保育園
- 石上どれみ保育園
- おぎぼり保育園
- なでしこ青空保育園
- あいあい保育園
- いいだ保育園
- 一ノ門わくわく保育園
- 川通どれみ保育園
- 田島わくわく保育園
- あらさわ保育園
図書館
スポーツ施設
医療
マスコミ
新聞社
ケーブルテレビ
コミュニティFM
交通
道路
高速道路
- 北陸自動車道
- 栄SIC・PA・BS - 三条燕IC・BS(所在地は燕市)
国道
県道
主要地方道
一般県道
- 新潟県道106号三条停車場四日町線
- 新潟県道107号帯織停車場大面線
- 新潟県道121号東三条停車場線
- 新潟県道165号見附分水線
- 新潟県道183号鞍掛八木向線
- 新潟県道212号大面保内線
- 新潟県道213号下田見附線
- 新潟県道256号分水栄線
- 新潟県道260号三条八王寺線
- 新潟県道281号森町鹿峠線
- 新潟県道331号三条下田線
- 新潟県道337号坂井猪子場新田線
- 新潟県道355号仙見守門公園線
- 新潟県道409号牛ヶ首笹岡線
- 新潟県道471号鹿熊中浦線
- 新潟県道537号塚野目代官島線
- 新潟県道546号駒込北潟線
道の駅
公共交通機関
鉄道
市内を走るJR線全域(上越新幹線を除く)は新潟近郊区間に指定されており、東三条駅と三条駅には自動改札機が設置されている。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 中心となる駅:東三条駅
路線バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡・観光スポット
祭事・イベント
食べ物
- 車麩(くるまふ) - 棒にグルテンの生地を4層ほど巻きつけて重ね焼きにした焼き麩。日本最大級の直径があり、輪切りの状態で売られ、主に煮物などにして食べる。中心の穴に鶏卵を落とし入れた煮物は「爆弾」とも呼ばれ、行事食としても作られる。
- 燕三条系ラーメン - うどんと見間違えるほどの太麺に、丼から湯気が上がらないほどにスープを覆う豚の背脂が最大の特徴。背脂の量に応じて、「大油」・「中油」と区別される。
- ひこぜん - つぶしたご飯をわらじ型に整えて串に刺し、エゴマ味噌をつけて炭火で焼いた、三条市下田地区(旧下田村)の郷土料理。
- カレーラーメン - 70年の歴史があると言われており、2009年2月にはセブンイレブンにて「三条名物カレーラーメン」が発売された。
- 六角凧サブレー - 三条凧合戦にちなむサブレー。三条市の製菓業者・ヤマトヤが1966年に発売して以降、三条銘菓となっている。
- サバサラ - 新潟県三条市の酒場カンテツが「世界のソウルフード」を目指して広めている酒肴。
出身者
- 青空はるお - タレント
- イモクテネ - インディーズバンド
- 遠藤ケイ - 作家、イラストレーター
- 山井太 - スノーピーク社長
- 金子千尋 - プロ野球オリックス投手(長野商―トヨタ自動車から2004年ドラフト自由獲得枠で入団。小学3年まで三条で過ごす)
- 川口信男 - Jリーグコーチ、元選手(FC東京)(出生地は加茂市)
- 高坂元巳 - 元新潟放送アナウンサー、現・同局テレビ営業局業務部長
- こしのりょう - 漫画家
- 酒井高徳 - サッカー選手(生まれはアメリカ合衆国)
- 酒井宣福 - サッカー選手、酒井高徳の実弟
- 酒井高聖 - サッカー選手、酒井高徳・酒井宣福の実弟
- 捧賢一 - コメリ創業者、現・代表取締役会長
- 志田清之 - 空手家
- 高橋克実 - 俳優・声優・ナレーター・司会者
- 西山賢一 - 上武大学経営情報学部教授
- 田中良幸 - 新潟総合テレビ:NSTアナウンサー
- 藤島じゅん - 漫画家
- 船見啓子 - モデル、元カネボウキャンペーンガール、旧下田村出身
- 水野久美 - 女優
- 渡辺俊一 - 東京理科大学理工学部建築学科教授(都市計画論)、工学博士
- 渡邉雄大 - プロ野球新潟アルビレックスBC-ソフトバンク投手
歴史上の人物・名誉市民
- 山吉豊守(戦国時代の武将)
- 山吉景長(戦国時代の武将、山吉豊守の弟)
- 松尾与十郎(1832年-1866年) - 五十嵐川嵐南側築堤のため尽力
- 今井藤七(1849年-1925年) - 北海道のデパート丸井今井の創業者
- 鈴木荘六(1865年-1940年) - 陸軍大将、参謀総長
- 栗林五朔(1866年-1927年) - 北海道の商事・海運業栗林商会の創業者
- 堤清六(1880年-1931年) - 日魯漁業株式会社(後のニチロ。現マルハニチロ前身企業の一つ)の創業者。衆議院議員
- 諸橋轍次(1883年-1982年) - 「大漢和辞典」を編纂した文学博士、文化勲章受章者、旧下田村名誉村民→三条市名誉市民
- 漢学の里 - 諸橋轍次記念館など
- 岩田正巳(1893年-1988年) - 日本画家、三条市名誉市民
- 広川操一(1894年-1983年) - 日本画家
- 広川松五郎(1899年-1952年) - 染織図案作家
- 稲村順三(1900年-1955年) - 衆議院議員、農民運動家。長男の稲村稔夫も市長・参議院議員。
- 亘四郎(1899年-1979年) - 衆議院議員、参議院議員、新潟県知事(2期)。勲一等瑞宝章受章。堤清六の実弟
- 小林ハル(1900年-2005年) - 最後の越後瞽女(ごぜ)、人間国宝、三条市名誉市民
- 小日向白朗(1900年-1982年) - 小白竜の異名を持つ大陸浪人で、馬賊の頭領。横山光輝「狼の星座」のモデル
- 渡辺義雄(1907年-2000年) - 写真家、日本大学芸術学部名誉教授、日本写真家協会名誉会長、東京都写真美術館初代館長、文化功労者、三条市名誉市民
- 鶴巻三郎(1908年-2005年) - 紙塑(しそ)人形作家、日展会員、三条市名誉市民
- ジャイアント馬場(馬場正平)(1938年-1999年) - プロ野球読売ジャイアンツ・大洋ホエールズ投手、プロレスラー、全日本プロレスを創立、NWA世界ヘビー級王座に3度就いた。三条市名誉市民
※ 三条市 - 名誉市民で、諸橋轍次、岩田正巳、小林ハル、渡辺義雄、鶴巻三郎を参照できる。
脚注
- ↑ 新潟県:任期満了日(定数)一覧
- ↑ 高橋三条市長が10月17日辞職を公表、9月27日に辞職願提出-(2006.9.25)
- ↑ 新潟県の金属加工産業池田庄治他著、国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告、1982年
- ↑ 三条市教育委員会学校教育課 (PDF)
関連項目
外部リンク
- 姉妹友好都市
- ヴォーン市公式サイト (英語)
- 鄂州市公式サイト (中国語)