青春の門

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青春の門』(せいしゅんのもん)は、五木寛之1969年から『週刊現代』に断続的に連載している大河小説で、テレビドラマ化や映画化、漫画化もされた。1976年、「筑豊編」で五木は吉川英治文学賞を受賞した。早稲田大学の先輩である尾崎士郎の『人生劇場』に倣ったものである。

登場人物

  • 伊吹 信介(いぶき しんすけ) - 主人公。
  • 伊吹 タエ(いぶき たえ) - 信介の義理の母親。
  • 伊吹 重蔵(いぶき じゅうぞう) - 信介の父親。炭鉱での事故により、他界。
  • 牧 織江(まき おりえ) - 信介の幼馴染。
  • 塙 竜五郎(はなわ りゅうごろう) - ヤクザ「塙組」の親分。
  • 金 朱烈(きん しゅれつ) - 朝鮮人。信介から「兄ちゃん」と呼ばれている。
  • 金 九南(きん きゅうなん) - 朱烈の弟。信介の友達。
  • 留二(とめじ) - 信介の幼馴染。「でく」と呼ばれている。
  • 早竹先生(はやたけせんせい) - 野球部の顧問。
  • 梓旗江先生(あずさはたえせんせい) - 音楽の教師。
  • 長太(ちょうた) - 塙組の一人。竜五郎からの信頼が厚い。
  • 矢部 虎次(やべ とらじ) - ケンカ師。筑後の虎として恐れられていた。
  • エリカ - 長太が惚れている美しい女性。

あらすじ

太平洋戦争真っ只中の昭和時代。九州筑豊に、一人の少年が生を受けた。彼の名は、「伊吹信介」。父親はかつて働いていた炭鉱で、「昇り竜」と称されたが炭鉱内の事故で早逝。義母・タエに育てられている。やがて終戦を迎え、タエは病で倒れた。自分達を取り巻く人々とのふれあいや様々な出来事を経て、信介は波乱に満ちた人生を歩み始める。

作品の舞台

小説

構成

  • 「第1部 筑豊篇」
  • 「第2部 自立篇」
  • 「第3部 放浪篇」
  • 「第4部 堕落篇」
  • 「第5部 望郷篇」
  • 「第6部 再起篇」
  • 「第7部 挑戦篇」
  • 「第8部 風雲篇」
    「第2部 自立篇」は雑誌掲載時には「立志編」とされていた。
    「第6部 再起篇」までについては1989年(平成元年)から1990年(平成2年)にかけて著者による大幅な加筆を受けた「改訂新版」が出版され、それ以後は通常はこの「改訂新版」が流通している。
    「第8部 風雲篇」については1993年(平成5年)7月から1994年(平成6年)4月にかけて雑誌『週刊現代』に掲載された。加筆修正にて、2016年(平成28年)12月刊行された。
    2004年に講談社文庫から刊行された「新装決定版」は文字を大きくし、装丁を改めたもので、本文は改訂新版と同じである。
  • 「新・青春の門」

年譜

  • 1969年(昭和44年) 雑誌『週刊現代』で掲載開始
  • 1970年(昭和45年) 「第1部 筑豊篇」講談社から単行本で刊行開始
  • 1971年(昭和46年) 「第2部 自立篇 上」単行本刊行
  • 1972年(昭和47年) 「第2部 自立篇 下」単行本刊行、講談社文庫から文庫版刊行開始
  • 1973年(昭和48年) 「第3部 放浪篇 上」単行本刊行
  • 1974年(昭和49年) 「第3部 放浪篇 下」単行本刊行
  • 1976年(昭和51年) 「第4部 堕落篇 上」単行本刊行
  • 1977年(昭和52年) 「第4部 堕落篇 下」単行本刊行
  • 1979年(昭和54年) 「第5部 望郷篇 上・下」単行本刊行
  • 1980年(昭和55年) 「第6部 再起篇 上・下」単行本刊行
  • 1980年から1981年(昭和56年) 「第1部 筑豊篇」から「第6部 再起篇」までを『五木寛之小説全集』第17巻から第22巻に収録
  • 1989年(平成元年)から1990年(平成2年) 「第1部 筑豊篇」から「第6部 再起篇」までについて著者による大幅な加筆を受けた「改訂新版」を単行本及び講談社文庫で刊行
  • 1993年(平成5年) 「第7部 挑戦篇 上・下」単行本刊行
  • 2004年(平成16年) 講談社文庫から「新装決定版」刊行開始
  • 2016年(平成28年) 「第8部 風雲篇」単行本、講談社文庫と電子書籍同時刊行
  • 2017年(平成29年)1月より第9部に相当する「新・青春の門」を連載開始

映画

1975年・1977年版

青春の門
監督 浦山桐郎
脚本 早坂暁
浦山桐郎
原作 五木寛之
製作 藤本真澄
宮古とく子
針生宏
ナレーター 小沢昭一
出演者 田中健
仲代達矢
吉永小百合
大竹しのぶ
小林旭
小沢昭一
音楽 真鍋理一郎
撮影 村井博
編集 小川信夫
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 日本の旗1975年2月15日
上映時間 188分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 5億4800万円
1975年邦画配給収入5位
次作 青春の門 自立篇
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青春の門 自立篇
監督 浦山桐郎
脚本 早坂暁
浦山桐郎
原作 五木寛之
製作 藤本真澄
針生宏
出演者 田中健
大竹しのぶ
いしだあゆみ
梢ひとみ
高瀬春奈
梅宮辰夫
高橋悦史
小林旭
音楽 真鍋理一郎
撮影 村井博
編集 小川信夫
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 日本の旗1977年2月11日
上映時間 161分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 青春の門
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1975年2月15日に第1作、1977年2月11日に「自立篇」と題した第2作が東宝で公開された。いずれも脚本は早坂暁、監督は浦山桐郎が担当した。「自立篇」がキネマ旬報ベストテン5位に入るなど評価も高く、興行的にもヒットしたが、原作者の五木と監督の浦山との間で、キャスティングや内容描写で意見が衝突し[1]、第3部は制作されなかった[1]。こののち映像化がすべて「自立篇」どまりとなるジンクスの始まりとなる。

第1作は5億4800万円の配給収入を記録、1975年(昭和50年)の邦画配給収入ランキングの第5位となった[2]

キャスト

第1作
第2作


1981年・1982年版

青春の門
監督 蔵原惟繕
深作欣二
脚本 野上龍雄
原作 五木寛之
出演者 菅原文太
松坂慶子
佐藤浩市
杉田かおる
若山富三郎
鶴田浩二
渡瀬恒彦
音楽 山崎ハコ『織江の唄』[3]
撮影 仲沢半次郎
中島徹
編集 鈴木晄
製作会社 東映京都
配給 東映
公開 日本の旗1981年1月15日
上映時間 140分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 8.2億円[4]
次作 青春の門 自立篇
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青春の門 自立篇
監督 蔵原惟繕
脚本 高田宏治
原作 五木寛之
出演者 桃井かおり
佐藤浩市
杉田かおる
風間杜夫
平田満
城戸真亜子
西川峰子
萬屋錦之介
音楽 菊池俊輔
撮影 仲沢半次郎
編集 鈴木晄
製作会社 東映京都
配給 東映
公開 日本の旗1982年1月23日
上映時間 137分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 青春の門
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1981年1月15日に第1作、1982年1月23日に「自立篇」と称した第2作が東映で公開された。監督は第1作が蔵原惟繕深作欣二の共同で、第2作は蔵原の単独である。

キャスト

第1作
第2作
  • 伊吹 信介 - 佐藤浩市 - 早稲田大学入学を機に福岡から上京。自分がどういう人間か何に向いているのかを模索する。
  • 牧 織江 - 杉田かおる - 好意を寄せる信介の後を追って上京する。しかし不慣れな都会暮らしに不運が続きトラブルに遭う。
  • カオル - 桃井かおり - 娼婦。美人できっぷが良く姉御肌だが、ちょっと気難しい性格。周りで困り事があると手助けしようとする。
  • 緒方 達也 - 風間杜夫 - 信介の大学先輩。大学の劇団に所属し演出を担当。やや強引な性格で金にだらしない。
  • 河内 正和 - 平田満 - 信介の大学の同級生。緒方と同じ劇団に所属。
  • 沢野 昌子 - 城戸真亜子 - 緒方の劇団仲間。比較的裕福な家の娘。緒方や他の学生たちと共に学生運動に参加している。
  • 沢野 怜子 - 江月美穂 - 昌子の母。夫がいるのかは不明だが、緒方を用心棒代わりに自宅に間借りさせている。
  • 笹崎 ルミ - 山本ゆり子
  • 藤井 道子 - 矢場みどり
  • 売春宿の女将 - 馬渕晴子 - 『一竜』の経営者。カオルたち遊女に頑張って稼いでもらう。
  • 角田 卓治 - 火野正平 - 詳細は不明だが売春宿で働く。好意を寄せるカオルに気に入られようと色々と頼まれ事を聞いている。
  • はつみ - 西川峰子 - カオルと同じ店の娼婦で、年上である彼女を慕っている。常連客の河内に本気で恋心を抱く。
  • 浜崎 竜二 - 矢吹二朗 - ボクシングの学生チャンピオン。数ヶ月後、信介とボクシングで戦う。
  • ラーメン屋店主 - 江幡高志 - 上京直後の織江の雇い主。ある時店の金が無くなってしまい織江が盗んだと疑う。
  • 木元 良次 - 小林稔侍 - 飲み屋のマスターだが、2階に待機させた女性に売春させるガラの悪い男。織江とトラブルを起こす。
  • 二木 英治 - 萬屋錦之介(特別出演)木元の知人。『人斬り英治』の異名を持つヤクザ風の男で木元も恐れる存在。
  • おえい - 加賀まりこ - 英治の女。女郎として働く。これまで英治から義理人情を理由に苦労させられてきたが彼に惚れている。
  • 早瀬 理子 - 中島ゆたか - 石井の恋人。東京女子医大のスポーツ医学の教授。石井の子を妊娠している。
  • 石井 忠雄 - 渡瀬恒彦 - 大学の体育の実技を教える教授。ボクシングジムで、信介に個人的にボクシングを教え始める。

製作経緯

東宝版の自立編公開から2年経った1979年10月になって[1]、東宝の前二作に不満を持つ五木寛之が、東宝で製作されなかった第3部「放浪篇」を東映での製作を希望し[1]、五木と岡田茂東映社長とで話し合いが持たれ[1]、シリーズものでは異例の他社移行が決まった[1]。岡田は「五木氏は『青春の門』はライフワークだといっており、映画化にも強い関心を寄せている。今回東映での製作希望があったのでウチでやることになった。前二作に負けない魅力あるスタッフ、キャストで質的にもすぐれた娯楽作品を作りたい。主人公の信介、織江役を東宝作品とは違う若手スターの起用を考えている。脚本には笠原和夫を予定。1981年の正月公開を予定している」などと話した[1]。このとき五木の希望通り、第3部「放浪篇」を製作すれば良かったのだが、東映は改めて第1部から第3部までを一本にまとめて製作することで両者が了解点に達した[1]。前作からまだ数年しか経っておらずリメイクには早過ぎ[5]、これがまたも第3部は作られないという運命を辿る。高岩淡企画製作部長は「『人生劇場』だって何本も作られているし、全く新しい東映調の『青春の門』を作り上げる。元々、五木さんは高倉健藤純子をイメージして小説を書かれたそうだし、そうした意味からも東映で製作されてしかるべきものなのだ。もちろん二人には出演依頼をするつもりでいる」と話した[1]

しかし製作は進まず。東映は年始に年間ラインアップを発表しても半分は潰れるということは珍しくなかった[6]1980年までの5年間、正月興行第一弾を担っていた「トラック野郎シリーズ」が終了し、1980年夏の時点では佐木隆三原作の『海燕ジョーの奇跡』を松田優作主演・深作欣二監督で1981年の正月興行第一弾にという流れが強まって来た[7][8]。ところが松田が脚本にクレームを付けるなど二転三転、正月興行第一弾には間に合わない状況になり[8][9]、正月興行の選定は東映内部で紛糾した[9][10]。深作監督の『謀叛』なども候補に挙がり[11]、『海燕ジョーの奇跡』を正月興行第二弾までずらしてまで粘ったが結局流れた[8][12]海燕ジョーの奇跡#深作欣二版映画企画)。このため、東映は正月興行に初めてアニメを持ってきて『サイボーグ009 超銀河伝説』(併映『'80アニメーション ザ・ベストテン』)の公開を決定した[10]。これに「劇映画のメジャーがアニメに逃げるとは」と撮影所内部が猛反撥した[10]。しかし松竹寅さん(『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』)、東宝山口百恵のさよなら映画『古都』と強力で、これに対抗する作品もなく[10]、正月興行第二弾で反撃を期待されたが、並みの映画では代打にならず、1980年10月に入っても正月第二弾が決まらない異常事態になった[7][10]。プロデューサーの日下部五朗は、岡田社長から「五朗、お前、正月第二弾に何やんねん!」と矢の催促を受け、仕方なく脚本の野上龍雄に以前から頼んでいた『青春の門』を代替作品として急ぎ製作することになった[12][13]。野上はテレビの『必殺シリーズ』が忙しく『青春の門』には取り掛かってなく急ぎ脚本書きを始めた[9][12]

監督には野上が『必殺シリーズ』でコンビを組んでいた蔵原惟繕を推薦し[9][14]、蔵原は脚本にも参加した[9]。蔵原は本作前の『象物語』製作中に東映=東京12チャンネル合作による製作費10億円のパニック超大作『東京超大地震』(早坂暁のオリジナル脚本を予定していた)の監督オファーを受けていたが、同作は製作中止になっていた[15]ロケハンではチーフ助監督の土橋亨が撮影に重要なボタ山を北九州中探しまわった[9]。しかしふさわしい景色がなくボタ山無しでの撮影を考えたが、一般人から聞いた情報により、出光石油山口精製所に元海軍の炭鉱があると聞いた[9]。現地に訪れると最盛期の炭鉱そのままといえるような光景があったという。脚本その他も遅れ、撮影は1ヵ月という状況になったため[14]、蔵原一人では間に合わない、二班体制で撮影した方がいいと蔵原が『海燕ジョーの奇跡』の分解で体が空いた深作欣二にやってもらえないかと提案し、日下部が深作に助っ人を頼んだ[5][16]。深作は快く引き受け、蔵原とシーンの分担が行われ、深作はアクション主体の演出を担当した[5][17]。深作は蔵原の日芸の二年後輩で親しく問題はなかった[5]

映画化が伝わると織江役とタエ役を「やらせて欲しい」と多くの女優から売り込みが殺到したが[16]、タエ役には五木寛之松坂慶子をリクエスト[12][18]。しかし松坂は当時一番脂ののっている女優で松竹の至宝[16]。日下部が三顧の礼を尽くして何度も松竹にお願いに上がり土下座までして[12]、最終的に岡田東映社長が松竹に乗り込み[18]大谷隆三松竹社長に啖呵を切り[18]、松坂の東映貸し出しが決まった[12][16]。松坂がクランクインしたのは1980年11月25日で[7]、深作のクランクインも同じ日だった[16]。日下部は松坂を口説くため2ヵ月以上通ったと話しているため[14]、キャスティングは早めに進められていたのかも知れない。また伊吹重蔵役にはこれも五木が高倉健をリクエスト[10]。五木は前作の東宝版でも高倉をリクエストしていた[19]ヨーロッパ旅行中の高倉をスイスジュネーブまで追いかけ交渉したが、「泥縄仕事はいやだ」とにべもなく断られた[10]。この辺りの問題をマスメディアが好餌としたため、岡田社長が改めて記者会見を行い製作を発表する一幕もあった[8]佐藤浩市は本作が映画デビュー作[13]。織江役の杉田かおるも映画はこれが実質初出演となる。あわただしい製作過程でありながら、菅原文太若山富三郎鶴田浩二松坂慶子といった大スターのキャスティングに成功し、各々見せ場を披露した[7][16]。特に松坂は菅原と肌もあらわに激しい濡れ場を演じ[20]、演技的にも新境地を開いたと評された[21][22]

製作も短期決戦、宣伝も短期決戦で、クランクアップは1980年の12月末[7]。撮影期間は1ヶ月と大作にしては異例のスピードであった[7]京都撮影所は持てる力を出し切った。岡田は「高岩淡所長が体を本当に張ったのは『青春の門』が初めてじゃないかな」と評した[7]。地方キャンペーンに駆け回ったのは映画の封切り後で[7]、原作の知名度は高いものの、文芸大作はじっくり売り込む姿勢が勝ちのパターンというのが過去の例でもあり、本作は宣伝期間も少なく興行は不安視された[8]。しかし原作出版の講談社も映画を盛んにPR[7]、松坂が初めて本格的なラブシーンを演じたこともあって大きな話題になり[12][23]配収8億2千万円の大ヒット[24][25]。当初は東映が撮るとヤクザ調になるのではという声もあったが、感動的な青春ドラマに仕上げ、岡田社長は「文芸大作の風格はカッチリ出たのではないか。今後東映カラーといっても原作ものを手がけることで、東映はヤクザ映画というイメージを克服、脱皮してゆくことになる。文芸大作も出来るという目安だけはこの『青春の門』の成功でついたと思う」などと話した[7]

エピソード

スケジュールは過密で、福岡のロケ先ではメイン監督の蔵原は寝る間もないほどだったが、助っ人の深作はパートが少なく早めに宿に帰って麻雀をうったりしていた[12][20]。そこで伊吹タエという母であり、女でありという役どころに悩んでいた松坂慶子の相談相手にのっているうち、深作と松坂が親しくなった[12][9]。本作の地方キャンペーンで札幌へ行ったときに、夜飲みに出て最後にみんなでラーメンを食べたら、深作の残したラーメンを松坂が啜った[12]。これを見た日下部が二人の仲に気づき、それを周囲に自慢したら、みんなに「何を今さら言っているんですか」と言われた[12]。本作を機に松坂は深作の撮る東映作品によく出るようになった[12][26]

音楽監督の山崎ハコは、同じ東映の1979年地獄』の主題歌を担当したことから、スタッフから「ハコさんで」と再び抜擢された[27]。『織江の唄』[3]はイメージソングで劇中では使われない[27]。映画館でお客さんの入れ替えの時に流したのと、テレビスポットで盛んに使われ、山崎ハコのキャリアで一番のヒット曲になった[27]。この曲の影響で山崎に「暗い」イメージが定着した[27]

テンプレート:深作欣二

第一作のヒットを受け、五木も積極的に年一回のシリーズにして欲しいと要望[28]。しかし第一作公開後、週刊誌のインタビューで伊吹信介役の佐藤浩市が「五木小説はアマい」などと発言し五木を激怒させたが[28]、東映は一年に一本のペースでシリーズ化を発表し[28]、蔵原の単独監督で第二作『自立篇』を製作した。

第二作『自立篇』は主人公・伊吹信介が筑豊をあとにして上京、早稲田大学に入学してからの物語で舞台は東京。信介役の佐藤浩市と信介を慕って上京する幼なじみの織江役の杉田かおる以外はキャストが一新されたが、第一作で朝鮮人炭鉱労働者のボス役だった渡瀬恒彦が今度は早大教授として出演。この教授のモデルは早稲田大学商学部不正入試問題でやり玉に挙がった人物だった[29]。カオル役の 桃井かおりは五木の「彼女でなければピッタリこない」という推薦によるもの[29]。監督の蔵原惟繕は本作撮影後に4年越しの企画『南極物語』のクランクインが正式に決まり、撮影中も『南極物語』の話ばかりしていたといわれる[29]

当初は『自立篇』を1982年正月映画第一弾を予定していたが[28]、『セーラー服と機関銃』『燃える勇者』が正月映画第一弾に変更になり、正月映画第二弾として公開された。しかし興行成績が振るわず、さらなる続編は作られなかった[5]。シリーズものは内容はともかく観客に与える新鮮味が第一弾と第二弾ではかなり違い[25]、東宝版も第二弾は第一弾の6ガケに留まったことから[25]、第一弾で大きな反響を呼んだ松坂慶子濡れ場のような話題もなく、興行は不安視されていた[25]。 

テレビドラマ版

1976年・1977年版

1976年4月7日から9月29日に第一部「筑豊編」が、1977年12月7日から1978年5月31日に第二部「自立編」が毎日放送制作(TBS系列)で放映された。

北大路欣也が本作の演技に対して、第14回ギャラクシー賞・選奨を受賞[30]

キャスト

第一部
第二部

スタッフ

TBS 水曜22時台(MBS制作枠。1976.4-9)
前番組 番組名 次番組
青春の門・筑豊編
TBS系 水曜22時台(MBS制作枠。1977.12-1978.5)
青春の門・自立編

テンプレート:TBS水曜10時枠の連続ドラマ

1991年版

1991年4月11日4月12日の二夜連続で、テレビ東京系で放映された。現在は放送ライブラリー(横浜市)で視聴できる。

キャスト

スタッフ

2005年版

『青春の門-筑豊篇-』のタイトルで、『TBSテレビ放送50周年スペシャルドラマ』として2005年3月21日3月22日の二夜連続で放映された。視聴率は1日目が16.8%、2日目が13.5%。

キャスト

スタッフ

漫画

いわしげ孝の作画で「筑豊篇」が漫画化され、講談社モーニング』に連載された。講談社モーニングKCより単行本が刊行されている。全7巻。

  1. 1巻 2005年3月17日発行 ISBN 4063724204
  2. 2巻 2005年3月17日発行 ISBN 4063724212
  3. 3巻 2005年6月23日発行 ISBN 4063724484
  4. 4巻 2005年9月21日発行 ISBN 4063724670
  5. 5巻 2005年12月22日発行 ISBN 4063724840
  6. 6巻 2006年3月23日発行 ISBN 4063725057
  7. 7巻 2006年7月21日発行 ISBN 4063725367

舞台

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 「邦画新作情報『青春の門』今度は東映で映画化」、『キネマ旬報1979年昭和54年)11月上旬号、キネマ旬報社1979年、 183頁。
  2. 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年。ISBN 4-87376-595-1。
  3. 3.0 3.1 山崎ハコ「青春の門」歌えたのは九州女だからこそ― スポニチ Sponichi
  4. 「1981年邦画4社<封切配収ベスト作品>」、『キネマ旬報1982年昭和57年)2月下旬号、キネマ旬報社1982年、 124頁。
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 深作欣二山根貞男 『映画監督 深作欣二』 ワイズ出版、2003年、384-387。ISBN 4-89830-155-X。
  6. 「映画・トピック・ジャーナル 大巾な改革を行った東映宣伝部」、『キネマ旬報1982年昭和57年)3月下旬号、キネマ旬報社1981年、 172頁。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 7.7 7.8 7.9 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 文化通信社、2012年、148-149。ISBN 978-4-636-88519-4。
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 「興行価値 東映第2弾の『青春の門』」、『キネマ旬報1981年昭和56年)1月下旬号、キネマ旬報社1981年、 176頁。
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 9.7 春日太一 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 文藝春秋、2013年、381-385。ISBN 4-1637-68-10-6。
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 10.6 サンデー毎日』1980年11月23日号 「正月映画が決まらずに頭が痛い東映」、p.153
  11. 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 文化通信社、2012年。ISBN 978-4-636-88519-4。
  12. 12.00 12.01 12.02 12.03 12.04 12.05 12.06 12.07 12.08 12.09 12.10 12.11 日下部五朗 『シネマの極道 映画プロデューサー一代』 新潮社、2012年、126-129。ISBN 978-4103332312。
  13. 13.0 13.1 【話の肖像画】 俳優・佐藤浩市(3)深作欣二監督に反論して怒鳴られる
  14. 14.0 14.1 14.2 東京スポーツ連載「東映伝説のプロデューサー日下部五朗の『無頼派活動屋人生』」(6) 2010年4月14日
  15. 「邦画マンスリー」、『ロードショー』1979年10月号、集英社、 149頁。「邦画マンスリー」、『ロードショー』1979年11月号、集英社、 237頁。
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 16.5 佐藤正弥 『データ・バンク にっぽん人 日下部五朗』 現代書林、1982年。ISBN 978-4905924463。
  17. 「深作欣二の軌跡」、『キネマ旬報臨時増刊2003年5月12日号』第1380号、キネマ旬報社、 181-182頁。
  18. 18.0 18.1 18.2 加東康一「加東康一のうわさの向こう側 神話崩壊で火山活動開始の松坂慶子」、『映画情報』、国際情報社、1983年2月号、 75頁。
  19. 「高倉健に他社から出演交渉」、『キネマ旬報』1973年7月夏の特別号、 183頁。
  20. 20.0 20.1 東京スポーツ連載「東映伝説のプロデューサー日下部五朗の『無頼派活動屋人生』」(7) 2010年4月15日
  21. 押川義行「日本映画批評『青春の門』」、『キネマ旬報1981年昭和56年)3月下旬号、キネマ旬報社1981年、 160頁。
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注釈

  1. 原作では『昇り龍』とされるが、本作では蜘蛛に置き換えられており、冒頭のシーンでは背中に蜘蛛の入れ墨が施されている。

関連項目

外部リンク