「藤圭子」の版間の差分
ja>Ena-s (→来歴) |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/8/6/ (月) 10:14時点における最新版
藤 圭子 | |
---|---|
出生名 | 阿部 純子 |
生誕 | 1951年7月5日 |
出身地 | 日本 岩手県一関市 |
死没 |
2013年8月22日(62歳没) 日本 東京都新宿区 |
ジャンル | 演歌・歌謡曲 |
職業 | 演歌歌手 |
活動期間 |
1969年 - 1979年 1981年 - 2013年 |
レーベル |
RCAレコード CBSソニー |
共同作業者 | U3 |
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。本名、宇多田 純子(うただ じゅんこ)[1]。旧姓、阿部(あべ)。
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。1960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な楽曲(『怨歌[2]』)を、独特のドスの効いたハスキーボイスで伸びやかかつ深々と歌い上げ、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。代表曲は「圭子の夢は夜ひらく」。
別居中だった夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は歌手の宇多田ヒカル。元夫はムード歌謡歌手の前川清。
Contents
来歴
幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)[3]、曲師の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)[3]の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念[3]。15歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿が作曲家・八洲秀章の目に留まり、上京。約1年間、初代林家三平宅に下宿する[4]。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
以後、作詞家の石坂まさをと組んでヒット曲を連発。女性ハスキーヴォイスの先駆者・青江三奈とは異なる、ドスの効いた声が可憐な風貌とのギャップも相俟って当時の社会に衝撃を与えた。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった
1971年、当時ともに絶頂期であった内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清と結婚するが、大スター同士の結婚生活はすれ違いが重なり、翌1972年に離婚。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてより歌に幅がなくなったことを悔やみ、引退を考え始める。最愛の母を父のDVから守るために離婚させ、それを契機に引退を発表し、渡米する。
1979年に1度引退したが、RCAレコードからCBSソニーに移籍。1981年に第一弾となるシングル「螢火」を藤 圭似子名義で発表した。
歌手を引退して渡米した後、宇多田照實と再婚。宇多田が代表取締役を務める有限会社ユースリー・ミュージックの取締役として登記され続けた。
1983年、娘を出産。15歳となった1998年、謎の天才少女・宇多田ヒカルとして日本の音楽界に現れ、これを機に藤も再び注目を浴びた。
2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書など見つかっていないが、衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署によって飛び降り自殺を図ったと断定された[5]。喪主を務めた娘・ヒカルは「遺言書がある」と主張して葬儀は行わず、宇多田父子ら親族関係者の数名が火葬に立ち会う直葬となった[6]。また藤の実家の阿部家側によって、後日ファン有志とともに「しのぶ会」が挙行された。
年譜
- 1951年7月5日 - 岩手県一関市に生まれる。
- 1969年9月25日 - 「新宿の女」で歌手デビュー。
- 1970年
- 4月25日 - 「圭子の夢は夜ひらく」が発売され、オリコンシングルチャートで10週連続1位を獲得する大ヒット。
- 11月9日 - 第1回日本歌謡大賞大賞を受賞。
- 12月31日 - 第12回日本レコード大賞大衆賞を受賞。NHK紅白歌合戦に初出場。
- 1971年 - 前川清と結婚。
- 1972年 - 前川と離婚。
- 1979年 - 引退を突然表明し、アメリカ合衆国に渡る。
- 1981年 - 藤圭似子の名で芸能界に復帰。
- 1982年 - 宇多田照實と結婚(再婚)。
- 1983年 - 長女・光を出産。
- 1984年 - 芸名を藤圭子に戻す。
- 1993年 - 夫・照實とともに有限会社ユースリー・ミュージックを資本金300万円で東京都杉並区に設立し、自らも取締役になる。
- 1995年 - 夫・照實と娘・光の3人でユニット「U3」を結成し、インディーズでレコードを発売。
- 1998年 - 娘・光が、謎の天才少女・宇多田ヒカルとなって日本の音楽界に突如として現れ、両A面シングル「Automatic/time will tell」で東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック)よりCDデビュー。14歳で自ら作詞・作曲を始めていたことを多数の音楽家が評価していたことと(タレントのミッツ・マングローブ曰く「世の中の天才の多くは14歳で何かが起きている」[7])、藤の実の娘であることが知れ渡り、翌年発売のデビューアルバム「First Love」が700万枚超を売り上げ日本記録を樹立、瞬く間にトップアーティストの仲間入りを果たす。
- 2000年 - 娘・ヒカルの全国ツアー札幌公演でステージに飛び入り参加し、「圭子の夢は夜ひらく」を歌う[8]。
- 2006年3月 - ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される[9]。
- 2007年 - 宇多田と別居。
- 2009年 - 前述のケネディ国際空港で没収された現金42万ドルの全額返還が決定[9]。
- 2013年8月22日 - 死去。
人物
浪費家
芸能界の中でも極めて金遣いが荒く、5年間ファーストクラスで世界中を旅行したり、滞在先のカジノでギャンブルやホスト遊びをするなど、浪費家として知られていた。生前のインタビューでは、5年間で遣った金額は5億円にも上ると豪語していた。
しかし、その浪費癖は資産を食い潰すまでにエスカレートし、それが原因で家族から孤立して不和状態になるなどの事態に発展。医師からはパニック障害と診断されたという報道もあったが、感情が抑制出来ない、奇行に走るといった症状からパニック障害とは考えにくく、精神科医の和田秀樹は統合失調症と鬱病が混合した統合失調感情障害であったのではないかと分析している。統合失調感情障害は双極性障害に統合失調の症状が現れたものである。
娘自慢
娘の宇多田ヒカルがデビューしたばかりの頃、アール・エフ・ラジオ日本で青江三奈がDJを務める番組にゲスト出演し、娘自慢を繰り広げた。
多額の現金没収騒動
- 没収
- 2006年3月3日、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にてアメリカ合衆国司法省麻薬取締局により多額の現金を没収された。内訳は、4149枚の米100ドル紙幣、5000カナダドル、5000オーストラリアドル(計約4900万円)であった(機内に持ち込める現金やトラベラーズチェックは100万日本円や10,000米ドルまで)。
- 麻薬犬による検査で、現金からは微量の規制薬物が検出される[9]。米国司法省麻薬取締局は、現金が麻薬取引のためにすでに使われたか、あるいは使われる意図があったと結論付け、全額を没収した。
- 藤サイドの釈明
- 事件が明かになった直後の藤サイドは、インタビューで「ニューヨークの金庫に保管していたものに、ギャンブルで勝った金を加えた。違法な現金ではない。ラスベガスのボランティア団体に寄付するつもりだった」と説明し、全額返還を求めた。また、麻薬への関与は一切ないと説明した[10]。
- 藤は、2006年10月22日放送の情報番組『スタ☆メン』(フジテレビ系)にインタビュー出演し、「この5年間ほとんど日本に帰らず、世界中を旅している。ファーストクラスのチケット代、(各国の高級)ホテル宿泊代などで、5年間で5億円は使った」「カジノでは現金所持が当たり前」「アメリカはカード社会や小切手社会とされているが、現金(の使用)が主流である」と主張した。また、麻薬探知犬が反応したことに関しては「麻薬とは一切関係がない」と否定した[11]。
音楽
シングル
# | 発売日 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|---|
1960年代 / 1970年代 | |||||
1 | 1969年 9月25日 |
新宿の女 | 石坂まさを みずの稔 |
石坂まさを | 小谷充 |
2 | 1970年 2月5日 |
女のブルース | 石坂まさを | 猪俣公章 | 成田征英 |
3 | 1970年 4月25日 |
圭子の夢は夜ひらく[12] | 石坂まさを | 曽根幸明 | 原田良一 |
4 | 1970年 7月25日 |
命預けます | 石坂まさを | 曽根幸明 | |
5 | 1970年 10月25日 |
女は恋に生きてゆく | 石坂まさを | 池田孝 | |
6 | 1971年 2月5日 |
さいはての女 | 石坂まさを | 彩木雅夫 | 池田孝 |
7 | 1971年 5月5日 |
恋仁義 | 石坂まさを | 曽根幸明 | |
8 | 1971年 6月5日 |
みちのく小唄 | 石坂まさを | 野々卓也 | 池田孝 |
9 | 1971年 7月5日 |
愛の巡礼 | 浅木しゅん | 石坂まさを | 高田弘 |
10 | 1971年 10月25日 |
知らない町で | 石坂まさを | 曽根幸明 | |
11 | 1972年 1月25日 |
京都から博多まで | 阿久悠 | 猪俣公章 | 池田孝 |
12 | 1972年 5月25日 |
別れの旅 | 阿久悠 | 猪俣公章 | 池田孝 |
13 | 1972年 9月25日 |
花は流れて | 石坂まさを | 鈴木邦彦 | 池田孝 |
14 | 1972年 12月5日 |
悲しみの町 | 石坂まさを | 浜圭介 | 竜崎孝路 |
15 | 1973年 3月25日 |
明日から私は | 山上路夫 | 鈴木邦彦 | |
16 | 1973年 7月 |
花小唄 | 石坂まさを | 野々卓也 | 池多孝春 |
17 | 1973年 8月25日 |
遍歴 | 石坂まさを | 曽根幸明 | 池多孝春 |
18 | 1973年 11月5日 |
恋の雪割草 | 山口洋子 | 猪俣公章 | 竹村次郎 |
19 | 1974年 4月5日 |
京都ブルース | なかにし礼 | 馬飼野康二 | |
20 | 1974年 6月 |
火の国小唄 | 石坂まさを | 野々卓也 | 池多孝春 |
21 | 1974年 7月5日 |
私は京都へ帰ります | 山口洋子 | 猪俣公章 | 池多孝春 |
22 | 1974年 8月25日 |
命火 | 石坂まさを | 小杉仁三 | |
23 | 1975年 1月 |
あなたの噂 | 山口洋子 | 猪俣公章 | 竹村次郎 |
24 | 1975年 4月25日 |
生きてるだけの女 | 浜岡幸 豊田利憲 石坂まさを |
賀川幸生 | 小山恭弘 |
25 | 1975年 9月 |
さすらい | よしかわかおり | 遠藤実 | 斉藤恒夫 |
26 | 1975年 11月5日 |
はしご酒 | はぞのなな | 赤坂通 | 小山恭弘 |
27 | 1976年 4月25日 |
女だから | 小谷夏 | 中村泰士 | 馬飼野俊一 |
28 | 1976年 8月25日 |
聞いて下さい私の人生 | 六本木哲 | 池多孝春 | |
29 | 1977年 2月5日 |
哀愁酒場 | 石坂まさを | 平尾昌晃 | 竜崎孝路 |
30 | 1977年 6月25日 |
貴方ひとすじ | 石坂まさを | 若林いさむ | 池多孝春 |
31 | 1977年 11月5日 |
面影平野 | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 馬飼野俊一 |
32 | 1978年 5月 |
銀座流れ唄 | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 大村雅朗 |
33 | 1978年 10月 |
酔い酔い酒場 | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 小山恭弘 |
34 | 1979年 3月 |
北の港町 | 遠藤実 | 斉藤恒夫 | |
35 | 1979年 10月 |
可愛い女 | 中山大三郎 | 船村徹 | 栗田俊夫 |
1980年代 | |||||
36 | 1981年 10月 |
螢火 | 阿木燿子 | 三島大輔 | 若草恵 |
37 | 1984年 - |
あいつが悪い | 伊藤アキラ | 浜圭介 | 桜庭伸幸 |
38 | 1984年 10月 |
蝶よ花よと | 鳥井実 | 西谷翔 | 池多孝春 |
39 | 1986年 6月 |
東京迷路 | 浅木しゅん | 杉本真人 | 松井忠重 |
40 | 1987年 2月25日 |
新宿挽歌 | なかにし礼 | 船村徹 | 丸山雅仁 |
41 | 1988年 3月 |
旅路 | 星野哲郎 | 北原じゅん | 馬場良 |
42 | 1989年 2月 |
新地の雨[13] | 桂三枝 | 美波有 | 桜庭伸幸 |
1990年代 | |||||
43 | 1994年 4月21日 |
酒に酔うほど | Ra U | Ra U Sking U |
Y.HIRAIWA |
44 | 1996年 8月21日 |
天国 | 荒木とよひさ | 三木たかし | 若草恵 |
45 | 1996年 9月25日 |
冷たい月 -泣かないで-[14] |
Ra U Sking U |
宮川彬良 | |
46 | 1996年 10月23日 |
千年のかがり火 | 曲保 | 曽根幸明 | |
47 | 1997年 10月22日 |
男と女 | Ra U | Ra U Sking U |
Como-Lee |
アルバム
- LP
- 新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて(1970年3月5日) ※オリコン1位獲得。2013年4月 復刻版CD発売。
- 女のブルース(1970年7月5日) ※オリコン1位獲得。2013年4月 復刻版CD発売。
- 歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う(1970年12月5日) ※オリコン2位獲得
- さいはての女(1971年3月5日) ※2013年11月 復刻版CD発売。
- 圭子の人生劇場(1971年7月5日)
- 藤圭子リサイタル(1971年10月5日)
- 圭子のわらべ唄(1971年12月25日)
- 知らない町で(1971年12月25日) ※2013年11月 復刻版CD発売。
- 藤圭子オン・ステージ(1972年5月25日)
- 別れの旅(1972年6月25日)※2014年2月 復刻版CD発売。
- オリジナル・ゴールデン・ヒット集(1972年8月5日)
- 遠くへ行きたい/「演歌の旅」(1972年12月5日)
- 悲しみの町(1973年2月)
- 演歌の旅 緋牡丹博徒(1973年6月)
- 遍歴/明日から私は(1973年9月)
- 女のブルース/藤圭子ブルースを唄う(1974年2月)
- 京都ブルース(1974年4月)
- 夜とあなたが(1974年7月)
- 圭子のにっぽんひとりあるき(1974年9月)アルバム一曲目『妻籠の宿』は作曲 中本直樹 で、ファンの間では人気の作品。
- 藤圭子演歌の世界(1974年10月)
- 命火(1974年10月)
- あなたの噂(1975年3月)
- 生きてるだけの女(1975年6月)
- 女だから(1976年6月)
- 聞いて下さい私の人生/デビュー七周年記念 藤圭子リサイタル(1976年11月)
- 南国土佐を後にして(1976年12月)
- 明治一代女(1976年12月)
- 霧の摩周湖(1976年12月)
- 女の意地(1976年12月)
- 黒い花びら(1976年12月)
- 哀愁酒場(1977年4月)
- 貴方ひとすじ(1977年7月)
- 面影平野(1977年12月)※2014年2月 復刻版CD発売。
- ビッグ・ショー演歌・浪曲・おんなの涙(1978年5月)
- 歌謡劇場(1978年12月)
- 10周年記念 涙唱!藤圭子(1979年5月)
- さよなら藤圭子(1980年2月)
- 螢火-右・左-(1981年11月)
- 蝶よ花よと(1984年11月)
- CD
- STAR(1993年9月17日)
- 藤圭子 伝説の名曲(1999年10月21日)
- 聞いて下さい私の人生〜藤圭子コレクション(2000年12月20日)
- 藤圭子 コンプリート・シングル・コレクション 〜15年の輝石〜(2005年9月21日 通信販売)
- GOLDEN☆BEST 藤圭子(2005年10月26日)
- スーパーベスト(2005年12月11日)
- GOLDEN☆BEST 藤圭子 ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌(2010年12月8日)
- 藤圭子 ベスト・ヒット(2012年9月1日)
- 藤圭子 スーパー・ヒット(2012年9月1日)
- 藤圭子 ベスト・ヒット 昭和歌謡を歌う(2012年11月1日)
- 藤圭子 スーパー・ヒット 昭和歌謡を歌う(2012年11月1日)
- 新宿の女 (復刻版)(2013年4月10日)※Blu-spec CD2
- 女のブルース (復刻版)(2013年4月10日)※Blu-spec CD2
- 宇多田純子さん安らかに(2013年9月30日)
- さいはての女(2013年11月27日)※Blu-spec CD2
- 知らない町で(2013年11月27日)※Blu-spec CD2
- 別れの旅(2014年2月26日)※Blu-spec CD2
- 面影平野(2014年2月26日)※Blu-spec CD2
- CD-BOX
- 藤圭子 艶・怨・演歌(2010年11月1日 通信販売)
- 通信販売限定の5枚組CD-BOX。「オリジナルを歌う」「男の情を歌う」「女心を歌う」「人生・昭和を歌う」「ふるさと・叙情を歌う」の五つのテーマで構成されている。自身のヒット曲22曲に加え、男性歌手の曲や抒情歌などカバー曲を86曲、合計108曲収録。
CMソング
- 村岡食品工業 「ごんじり」
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1970年(昭和45年)/第21回 | 初 | 圭子の夢は夜ひらく | 13/24 | 西郷輝彦 | |
1971年(昭和46年)/第22回 | 2 | みちのく小唄 | 09/25 | 舟木一夫 | 内山田洋とクール・ファイブのメインボーカル代理として『港の別れ唄』も歌唱[15] |
1972年(昭和47年)/第23回 | 3 | 京都から博多まで | 13/22 | 美川憲一 | |
1975年(昭和50年)/第26回 | 4 | さすらい | 03/24 | 堺正章 | |
1976年(昭和51年)/第27回 | 5 | はしご酒 | 15/24 | 殿さまキングス |
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
主な出演作
映画
- 盛り場流し唄 新宿の女(1970年、日活)
- ずべ公番長 夢は夜ひらく(1970年、東映)
- 涙の流し唄 命預けます(1970年、松竹)
- 女子学園 やばい卒業(1970年、日活)
- 藤圭子 わが歌のある限り(1971年、松竹)
テレビ番組
- ご存じ金さん捕物帳 第16話「芝居のいのち火」(1974年、NET)
- ふりむくな鶴吉 第16話「寒椿」(1975年、NHK)
- 非情のライセンス 第2シリーズ 第41話「生きてるだけの兇悪」(1975年、NET) - 小倉涼子 役
- 標的(1979年、KTV)
- 新・海峡物語(1981年、テレビ朝日)
- 日曜笑劇場「サブシロのTHE・ハタラケ興業」(ABC)
- 8時だヨ!全員集合
- オールスター感謝祭'95 超豪華!クイズ決定版 この秋お待たせ特大号
ほか多数
関連作品
- 巨人の星(19巻)
参考文献
脚注
- ↑ Hikki's WEBSITE (2013年9月5日). “09.05(THU) 09:44 藤圭子を長年応援してくださった皆様へ”. . 2013閲覧.
- ↑ 五木寛之による造語。朝日新聞デジタル:「藤圭子の衝撃、まちがいなく怨歌」五木寛之さん - カルチャー
- ↑ 3.0 3.1 3.2 “宇多田の祖母逝く…娘、孫との再会の願いかなわず” (日本語). 芸能. (2010年11月6日). オリジナルの2010年11月7日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ 海老名香葉子さん、藤圭子さんの思い出語る日テレNEWS24 2013年8月23日午後10時7分
- ↑ 本人の遺志で…藤圭子さん葬儀行わず親族のみで荼毘に スポニチ 2013年8月24日
- ↑ 藤圭子さんの遺言書あった…宇多田が明かす「母らしい遺言書」 スポニチ 2013年9月5日
- ↑ exciteニュース (2018年4月9日). “ユーミン、安室、宇多田…天才たちに共通する“14歳の転機””. . 2018閲覧.
- ↑ ZAKZAK (2006年9月29日). “藤圭子42万ドル差し押え…麻薬取締局が多額所持に”. . 2009閲覧.
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 MSN産経ニュース (2009年1月28日). “藤圭子さんに42万ドル返還へ 米空港で06年差し押さえ”. . 2009閲覧.
- ↑ ZAKZAK (2006年10月4日). “藤圭子、大金所持の不可思議…NYで4900万差し押さえ”. . 2009閲覧.
- ↑ ZAKZAK (2006年10月23日). “藤圭子「5年で5億円使った」…差し押さえ事件釈明”. . 2009閲覧.
- ↑ 園まりの「夢は夜ひらく」のカバー。
- ↑ 桂三枝とのデュエット。
- ↑ cubic Uとのデュエット。
- ↑ 当時の夫であった内山田洋とクール・ファイブメインボーカル前川清が急病でダウンしたため。内山田洋とクール・ファイブの出番自体はフォーリーブスに振り替えられたが、『港の別れ唄』は藤がメインボーカルを担当し残りのメンバーがバックコーラスを務める形で歌われた。
外部リンク
- 藤圭子アーティストページ (ソニーミュージック公式サイト)