伊豆山神社
伊豆山神社(いずさんじんじゃ)は、静岡県熱海市伊豆山上野地、JR熱海駅の北東約1.5kmにある神社。全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社(いずじんじゃ)、走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)などの起源となった事実上の総本社格である。
概要
修験道の始祖とされる役小角は伊豆大島へ配流された折に当社で修行した。また、空海(弘法大師)が修行した伝承もあるように、多くの仏教者や修験者が修行を積んだ霊場であった。後白河法皇勅撰の「梁塵秘抄」には「四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」と記されている。
明治維新の神仏分離令により寺を分離して伊豆山神社と称するまでは、天台宗や真言宗と関わりの深い神仏習合の神社であり、現在地へ遷座して以降は主に、高野山真言宗である般若院(はんにゃいん)[1]の別当寺が伊豆大権現と等しく祀られていた。しかし、
- 勢力間の主導権争いなどによって度々祭神や由緒が改竄されたこと
- 地区全体が有史以来数度にわたって沈下し、山麓の摂社や末社、門前町の一部などは海底遺跡化したこと
- 神仏分離の混乱や数度にわたる火災などで史料が逸失したこと
などから山の歴史には不明点が多く、調査・研究が待たれる。
なお、頼朝と政子の恋愛話の舞台であったため、現在も縁結びや恋愛成就の神社として人気がある。
祭神
歴史
創建の年代は不詳だが、社伝によれば孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)とされる。古くは以下の名で呼ばれた。
- 伊豆大権現(いずだいごんげん)
- 伊豆御宮(いずおんみや)
- 伊豆山(いずさん)
- 走湯大権現(そうとうだいごんげん、麓の海岸に点在した温泉・間歇泉に由来し、推古天皇3年(594年)に朝廷から贈られた名とされる)
- 走湯山(そうとうさん)
当初は日金山(ひがねさん)[2]の山上にあった。その後については諸説があるが、本宮山(ほんぐうさん)[3]を経て、承和3年(836年)に甲斐国の僧・賢安により現在地へ遷座したとの説が有力である。
仁徳天皇が勅願所としたとされるため歴代皇族の崇敬が篤く、清寧・敏達・推古・孝徳・後奈良の六天皇の勅願所となったと社伝に謳われており、特に後奈良天皇は自筆の般若心経一巻(重要文化財)を奉納している。
源頼朝は平治の乱の後伊豆国に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願した。この間有力豪族の伊東祐親に追われて当社に身を寄せたり、小豪族の娘であった北条政子との逢瀬の場にするなど関わりが深く、後に鎌倉幕府を開くと箱根とともに当社を「二所」として、幕府の最高の崇敬を示す「関八州鎮護」として多くの社領を寄進した[4]。南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、遠くは越州に至るまで数多くの知行地を所有したとされるなど、この時期、当社が最盛期を迎えていたことがうかがわれる[4]。
戦国時代、小田原の北条氏の篤い崇敬を受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した[4]。
江戸時代に入ると山麓の阿多湊(または阿多美の郷)が湯治場として名高くなり、徳川家康はじめ多くの大名や文化人たちが訪れた。焼失していた当社は再建され、江戸幕府からは文禄3年伊豆国加増も葛見郡のうち二百石を、慶長14年には関ヶ原の戦いでの勝利の礼として百石を、それぞれ朱印領として寄進され、以後、代々の将軍からも同様に寄進を受けた[4]。
神仏分離後の大正3年(1914年)1月13日、皇太子であった昭和天皇が当社に参拝、本殿脇に黒松一株を手植した[4]。
大正7年、宮内省から金参万円を支給される[4]。
昭和3年(1928年)の昭和天皇御大典の際に国幣小社に列し、秩父、高松、久邇、伏見、山階、賀陽、東伏見の各宮家から金壱封を、梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、祭祀料の寄進を受けた[4]。
第二次世界大戦後に社格制度が廃止されて以降は別表神社とされ、宗教法人化された。
1980年(昭和55年)9月12日に皇太孫(平成期の皇太子)であった浩宮徳仁親王が参拝する[4]。また、同年、童画家黒崎義介が拝殿の天井画390枚を奉納した。
文化財
- 重要文化財
- 木造男神立像
- 剣 無銘
- 紺紙金泥般若心経(後奈良天皇宸翰)
赤白二龍
『走湯山縁起』に、「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり」と記載があり、伊豆山神社の「伊豆山大神」が、赤龍と白龍の二龍の姿となって、温泉を生み出す様が描かれているとされる[5]。赤龍は火の力、白龍は水の力を操るとされ、二龍は温泉の守護神ともされる[5]。
この「赤白二龍」(せきびゃくにりゅう)は、伊豆山神社のシンボルとされ、社殿の手前にある手水舎にも、二龍をかたどった装飾がみられる[6]。伊豆山神社が縁結びの神社ともされることから、赤龍を母親、白龍を父親とみなし、あわせて夫婦和合や縁結びの象徴ともしている[6]。
脚注
関連図書
関連項目
外部リンク