西武新宿線
テンプレート:西武新宿線路線図 新宿線(しんじゅくせん)は、東京都新宿区の西武新宿駅と埼玉県川越市の本川越駅とを結ぶ西武鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はSS。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):47.5km
- 軌間:1067mm
- 駅数:29駅(起終点駅含む)
- 複線区間:西武新宿駅 - 脇田信号場 (46.6km)
- 単線区間:脇田信号場 - 本川越駅 (0.9km)
- 電化区間:全線(直流1500V架空電車線方式)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 最高速度:105km/h
沿線風景
西武新宿 - 高田馬場
頭端式2面3線の西武新宿駅を出ると、進行方向左手に現れるJR山手線、埼京線、湘南新宿ラインに並行して北進する。職安通りのガードを越えて少々走ると、JR山手線の新大久保駅が現れるが、当線の駅は設けられていない。ロッテ新宿工場や海城中学校・高等学校、保善高等学校の校舎を右手に見ながらほぼ直線状に北進し、電車はJR山手線、東京メトロ東西線との乗換駅である高田馬場駅に到着する。
高田馬場 - 鷺ノ宮
高田馬場駅を出て右にカーブした後、下りながら左に急カーブしながら神田川をまたぎ、その直後にJR山手線をくぐり、進路を西に取る。曲線半径は158m、30.3‰の下り勾配のため、30km/hの速度制限を受ける。ここで地上に降りるが、これ以降は、ごく一部を除いて高架や盛土区間を走らない。山手線をくぐった後は下落合駅まで新目白通りと並行し、下落合駅手前では妙正寺川に接する。以降、蛇行する妙正寺川を途中数度渡りながら住宅密集地を進む。中井駅は山手通りの下にあり、中線が1本ある待避駅で、都営地下鉄大江戸線との乗換駅である。下落合寄りはカーブしており、ポイント通過の際に列車が大きく揺れる地点でもある。新井薬師前駅の300m程西で中野通りと平面交差するが、踏切で渋滞していることが多い。沼袋駅は内側2線の通過線を持った相対式ホームである。ただし、現在は後述の連続立体交差事業の関係で2面2線の相対式ホームと追い越し線の2面3線という形態となっている。完成時には2面4線となる。また、駅前は京王バスが発着するが、街路が狭隘なため、南行一方通行のみである。ここに限らず都心寄りは狭隘な駅前を持つところが多い。なお、中井駅から野方駅までの中野区内区間では、連続立体交差事業により地下化工事が始まっており、完成時には中野通りを含む7箇所の踏切が撤去される予定である[1]。野方駅直下で環七通りを乗り越し、都立家政駅を経て下り線のみ待避可能な鷺ノ宮駅となる。この高田馬場 - 鷺ノ宮間は半径300 - 600mのカーブが連続するため最高速度が抑えられてしまう。
鷺ノ宮 - 上石神井
鷺ノ宮駅の先で右カーブした後は、多少のアップダウンこそあれど、比較的線形が良くなり、下井草駅付近からはちらほらと畑が車窓に見え始める。鷺ノ宮から上石神井の間では井荻駅のみ通過線がある。またこの駅では環八通りと交差しているが、電車から見える高架橋以外に地下トンネル(井荻トンネル)でも交差している。上井草駅附近からは住宅の密集度が低くなり、景観が武蔵野らしくなってくる。千川通り(東京都道439号椎名町上石神井線)を踏切で交差した先に、上石神井車両基地が南に広がり、島式ホーム2面3線の上石神井駅となる。ホームや階段は狭隘で、ホーム端はすぐ踏切となる。なお、同駅付近で東京外環自動車道が交差する計画である。
上石神井 - 田無
上石神井駅を出て次駅武蔵関駅手前から下り勾配となる。武蔵関駅の先で石神井川と並行する。武蔵関公園の北側をかすめると上り勾配となり東伏見駅となる。東伏見駅は同線では珍しい島式ホーム2面4線の待避駅である。また、東伏見駅以西の各駅にはほぼ全ての駅に駅前広場が整備されている。若干の盛土と掘割区間を経て西武柳沢駅を過ぎると、数少ない高架区間となっており、戦時中に中島飛行機武蔵野製作所への鉄道連隊が作った専用線のガードを越えて青梅街道と武蔵境通りのバイパスを乗り越した後、再び地上に戻り武蔵境通りと平面交差すると田無駅となる。特急小江戸以外のすべての種別が停車する主要駅だが、島式ホーム2面3線の設備である。この配線が同線の特徴である。
田無 - 小平
田無駅には本川越駅寄りに引上線がある。それを横目に住宅街を西へ進む。線路北側の家並の向こうにはスカイタワー西東京が見える。西東京市と小平市の市境付近より右カーブし、これより東村山駅の手前まで、進路を北西に取る。カーブの先に花小金井駅がある。島式ホーム1本であるが、かつては2面3線だった名残でホーム幅が広い。駅のすぐ南には多摩湖自転車道が通っており、ここから次駅小平駅付近まで並行する。駅のすぐ西側で小金井街道と平面交差する。道幅は広いが、南北を結ぶ西武バスの各路線が通り、踏切が原因でしばしば渋滞が発生している。住宅と畑が混在する一帯をしばらく進むと青梅街道と斜めに平面交差する。踏切の前後はカーブしており、列車が減速するため踏切渋滞に拍車をかけている。また、踏切横には公立昭和病院があるため、救急車がしばしば立往生している姿を目にする。カーブを過ぎると新小金井街道が下をくぐる。付近は畑が目立ち、空が広く感じる一帯である。やがて上下線の間に引上線が割り込み、拝島線と分岐する島式ホーム2面4線の小平駅に着く。
小平 - 東村山
小平駅は2面4線の駅であるが、待避駅ではなく拝島線との分岐駅となっている。このため小平駅までは複線であったのが、小平駅を出た直後は複々線のようになっている、線路の賑やかな駅である。小平駅の北西に小平霊園があるため、駅付近には墓石屋が多く、春秋の彼岸の時期には北口前に露店が並び急に賑やかになる。
小平駅を出てしばらく拝島線と並行するが、拝島線は左に曲がって分かれてゆく。右手に小平霊園を見ながら進んでいくと久米川駅に到着する。分岐駅に挟まれてることもあり、駅としては地味な存在ではあるが、それとは裏腹に駅周辺には都市銀行の支店やスーパーが充実しており、にぎわっている。
久米川駅を出るとすぐに空堀川と新青梅街道と交差する。野方駅あたりからここまでは新青梅街道に並行する形で進んできたが、東村山駅の手前で右カーブして北へ進む。このカーブの所で府中街道と平面交差する。主要道路との平面交差であるので、しばしば渋滞する地点である。カーブを過ぎると左側に国分寺線が現れ、東村山駅まで並行する。新青梅街道との交差地点から先東村山駅の先の都県境付近までの2.3km区間、高架による連続立体交差化計画がある[2]。
東村山駅は東に市役所などがある市の中心部のため、東口側は以前から駅前広場が整備されている。一方、昔ながらの雰囲気を残していた西口も2009年に新たな駅前広場が整備されるなど、再開発事業はほぼ完了した。ただ、依然として狭い道が多い地域となっている。
東村山 - 所沢
3面6線の東村山駅を出ると、西武園線としばらく並行する。やがて西武園線が左にそれ、住宅街ながら緑の多い一帯を北に進む。盛土を走るようになると視界が開け、左に低い山並みを見ることができる。八国山緑地と呼ばれ、映画『となりのトトロ』のモデルとなった場所でもある。埼玉県に入ってすぐ左に国際航空専門学校があり、小型航空機やヘリコプターを見ることができる。盛土が終わると所沢街道、さらに池袋線が頭上で立体交差し、池袋線と接続する所沢駅となる。かつては駅手前の踏切の先で西武所沢車両工場へ引き込み線が分岐していた。3面5線で、複雑な線路配置であるが、新宿線だけを見ると、基本的に相対式ホームと言える。改良工事が終了し、駅舎やコンコースが拡大されたものの配線自体に大きな変化はない。
所沢 - 新所沢
所沢駅を出て直ぐに左へカーブし、進路は再び北西に取ることとなる。東川のガードからは直線区間が続く。東側は所沢航空記念公園が一帯に広がり、西側は一方通行であったり、狭隘であっても線路沿いに道路が設けられており、東側のマンションや大規模団地開発に際しての配慮と思われる区間でもある。新宿線内では最も新しい駅・航空公園駅に到着する。市役所や所沢市民文化センター ミューズ、簡易裁判所、税務署、公共職業安定所等の主だった公共機関が航空公園駅東口周辺に移転してきたこともあり、所沢市の行政の中心とも言える。
航空公園駅を出ると、住宅地をくぐり抜け、2面4線の新所沢駅に到着。新所沢駅界隈も道路整備や街並みの整備により、以前とはまた違った顔を見せる。開業時から繁華街として栄えた西口にはパルコ等のテナントや、居酒屋が多く見受けられる。南入曽車両基地へ出入する電車は、同駅始発・終着となる。
新所沢 - 狭山市
新所沢駅から次の入曽駅までは直線である。両駅のほぼ中間、県道所沢狭山線が斜めに交差した先に南入曽車両基地がある。周囲は宅地よりも農地が目立つ。入曽駅は、東伏見駅以西の各駅の中では唯一駅前広場が整備されていない。入曽駅の先で県道川越入間線と交差したあたりで緩い右カーブをし、しばらく進むと左手に航空自衛隊入間基地が広がる。基地の東側に沿って進み、基地が終わると県道所沢狭山線が頭上を乗り越え、右カーブしながら狭山市駅に着く。相対式ホーム2面2線の特急小江戸停車駅である。バス路線が集中する駅の西側においては駅前広場が無く道幅も狭いなど問題が多かったため、駅舎を含めた再開発事業が実施され2012年に完了した。
狭山市 - 本川越
狭山市駅を抜けると、しばらく右カーブの後直線状に走る。この右カーブの先の進路は北東となる。新狭山駅を過ぎると川越狭山工業団地の中を走りその後川越市に入る。するとかつて安比奈線との分岐駅であった南大塚駅に着く。安比奈線は1963年より長らく休止となっていたが、2017年5月31日を以て廃止となった。その後関越自動車道のガードをくぐり速度を上げるが国道16号との立体交差付近で減速し、脇田信号場で単線区間へはいる。JR川越線と東武東上線のガードをくぐり踏切を越えると本川越駅に着く。
運行形態
運転される列車種別は、後述の列車種別の節のとおりであるが、基本的に速達列車が途中駅から各駅停車となる典型的な郊外電車型の運行形態である。また、山手線周辺から郊外に伸びる総延長15km以上の大手私鉄路線では、唯一地下鉄との相互乗り入れを行っていない。
新宿線内のみを運転する列車のほかに、接続する西武の他線との直通運転が多く設定されている。
- 拝島線 … 終日にわたり急行が直通している。各停・準急も一部が直通する。
- 多摩湖線(西武遊園地駅方面) … 平日朝ラッシュ時に直通各停を3本設定している。
- 西武園線 … 2011年12月の東村山駅での脱線事故以降、直通運転は中止されている。西武園競輪開催時に、西武園駅からの直通列車が運転されることがあった。1998年3月まで西武新宿駅からの西武園行き快速急行の設定があった。
- 国分寺線 … 日中に国分寺駅 - 本川越駅間の列車が設定されている。2003年3月から2008年6月までの国分寺駅 - 新所沢駅間の列車を延長したものである。
- 池袋線・狭山線 … 西武ドームでプロ野球が行われる日は、西武球場前行き直通列車が運転される。
このほか、2016年4月17日より西武4000系(4009F)を使用した「旅するレストラン 52席の至福」が1往復、土曜・休日を中心に年間100日程度運転される[3][4]。西武新宿駅 - 所沢駅 - 西武秩父駅間(所沢駅および飯能駅では、進行方向が変わるのと乗務員交代を行なう目的での運転停車)で運転されているほか、2016年12月18日からは西武新宿駅 - 本川越間の新宿線全区間でも運転が始まった[4]。
車両基地は、上石神井と南入曽、拝島線の玉川上水に設置されている。
運行本数
2018年3月10日ダイヤ改正時点での日中1時間あたりの運行本数は以下のようになっている。
種別\駅名 | 西武新宿 | … | 田無 | … | 小平 | … | 東村山 | … | 新所沢 | … | 本川越 | |||||||||
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運行範囲 | 特急「小江戸」 | 1本 | ||||||||||||||||||
急行 | 3本 | |||||||||||||||||||
3本 | →拝島 | |||||||||||||||||||
各停 | 2本 | |||||||||||||||||||
1本 | ||||||||||||||||||||
3本 | ||||||||||||||||||||
国分寺← | 1本 |
列車種別
停車駅は「駅一覧」を参照。
2018年3月10日現在の種別
2018年3月10日のダイヤ改正時点での運転状況を記す。
特急
終日運転される有料特急。正式名は「特急レッドアロー号」。「小江戸」の愛称があり、全列車が西武新宿駅 - 本川越駅間の往復である。1993年の「小江戸」運転開始当初は所要時間43分で走破していたが、2013年3月16日より東村山駅が正式に停車駅として追加された。そのため、現行ダイヤでの所要時間は最短45分である。
1993年までは西武新宿駅 - 西武秩父駅間で、休日のみ「おくちちぶ」号を運転していたほか、送り込みとして西武新宿駅 - 本川越駅間(上りは所沢発)を1往復「むさし」号として運転していた。
2011年から2014年までは拝島線に直通する臨時特急が運行されていた。2011年度は新宿線内は西武新宿駅・高田馬場駅・田無駅・小平駅に停車していたが、2012年度以降は田無駅は通過するようになった。なお、2011年・2012年度は乗車駅が西武新宿駅・高田馬場駅に限定されていたが、2013年度からは限定なく途中乗車可能となっていた。
拝島ライナー
2018年3月10日のダイヤ改正から運行が開始された座席指定制列車[5][6]。拝島線へ直通運転し、夕方・夜間に西武新宿駅発拝島駅行きが5本運転される。車両は40000系が使用される。停車駅は高田馬場駅(乗車専用)、小平駅から先の拝島線の各駅。西武新宿駅、高田馬場駅から乗車する場合は座席指定券が必要となるが、小平駅から先の各駅では乗車券のみで乗車できる。
通勤急行
通勤急行は本川越駅・所沢駅から高田馬場・西武新宿方面への速達を目的に平日朝ラッシュ時の本川越発2本のみ運転される。後述の急行では各駅に停車する本川越駅 - 田無駅間も急行運転を実施する。拝島線の乗換駅である小平駅は停車しない。なお、この時間帯にも急行は運転されている。
1993年にそれまで運転されていた平日朝ラッシュ時の千鳥停車の急行の停車駅を明確にする目的で、快速(現在は廃止)とともに登場した。当時は現在のように田無駅以西では急行運転を実施せず、田無駅 - 高田馬場駅間で上石神井駅に停車し、鷺ノ宮駅を通過する種別を通勤急行と呼称した。また、現在は所沢駅 - 本川越駅間の途中停車駅は新所沢駅・狭山市駅のみだが、当時はこの区間は各駅停車であった。現在の停車駅となったのは2001年12月からで、朝ラッシュ時の所沢・本川越方面から西武新宿方面への速達列車の色合いが強くなった。
種別色は黄色またはオレンジ色である。
2018年3月10日のダイヤ改正以降は運用乱れ時を除き、原則40000系が使用される。
急行
急行は、当路線の主力優等種別であり、本川越方面・拝島方面ともに終日運転される。基本的には西武新宿駅 - 新所沢駅・本川越駅・拝島駅間で運転されている。日中時間帯は1時間に6本で、本川越駅発着と拝島駅発着が20分間隔で交互に運転されており、西武新宿駅 - 小平駅間では10分間隔となる。編成両数は平日日中を含めて10両編成での運転が基本であるが、土休日では、終日にわたって8両編成で運転する列車が存在する[7](これは後述の準急も同様)。また、玉川上水駅発着の列車が平日に朝の下り1本と夕方の上り3本(土休日は上り2本)、平日の下りと土休日の夕方には田無駅発着がそれぞれ2本設定されている。
各駅停車との接続は昼間時間帯は下りは鷺ノ宮駅で、上りは上石神井駅で行われる。また小平駅では本川越駅発着の列車は小平駅 - 玉川上水駅・拝島駅間を運転する各駅停車に、拝島駅発着の列車は西武新宿駅 - 新所沢駅・本川越駅間の列車に接続する。平日夕方時間帯(20時まで)は下りは中井駅で抜かし、鷺ノ宮駅・上石神井駅・小平駅で接続する。平日朝ラッシュ以外の時間帯は下りは沼袋駅で抜かし上石神井駅・小平駅で接続、上りは小平駅で接続し井荻駅・沼袋駅で抜かす。平日朝ラッシュ時は列車によって異なる接続をする。
下り列車の田無駅から終点までは、方向幕では急行と表示されても、発車標では各停と表示される(これは後述の準急でも同様)。
ほぼ終日にわたり、下り列車の拝島・本川越方面行きは鷺ノ宮駅・東村山駅・新所沢駅のいずれかで(拝島方面行は朝夕のみ)、また本川越・拝島方面からの上り列車は新所沢駅・東村山駅のいずれかで特急に抜かれる。
1993年のダイヤ改正以前は、平日朝ラッシュ時の上りに限り通常の急行以外に、田無駅 - 高田馬場駅間で途中上石神井駅にのみ停車する急行(本川越発)と、鷺ノ宮駅にのみ停車する急行(拝島・西武遊園地発)が運転されていた。停車駅こそ違ったが、どの種別も一括して「急行」と呼称され不明確であったため、ダイヤ改正後は前者を通勤急行、後者を快速と呼称するようになった。
かつては萩山駅で連結・切り離し作業を行う列車(西武新宿駅寄り4両が西武遊園地駅発、拝島駅寄り6両が拝島駅発)も存在していたが、2013年3月15日をもって運行を終了した。さらに土休日には、2016年3月21日まで西武遊園地駅発着の列車もあり、この列車は多摩湖線のホーム有効長の関係上8両編成で運転されていた。2016年3月26日実施のダイヤ改正で、西武プリンスドームにおけるプロ野球開催日や夏休みなどの不定期運転に格下げされ、上りについては2本とも田無駅始発を延長して不定期的に運転する形を取った。
種別色は朱色・赤文字である。
準急
準急は、急行を補完する形で早朝・平日朝ラッシュ時と夕ラッシュ時・夜間・終電前に運行される。基本的には西武新宿駅 - 田無駅・新所沢駅・本川越駅・拝島駅間の運転系統が基本である。早朝・深夜の一部を除き、多くの列車が鷺ノ宮駅以遠の停車駅で、急行・拝島ライナー・特急に追い抜かれることがある。
かつては終日にわたり運行されていたが、日中をはじめとする大部分の列車は2012年6月30日のダイヤ改正で急行に格上げされる形で廃止された一方、2013年3月18日からは拝島駅発着の準急を平日限定で朝・夕方・夜にも運行し、また本川越発の急行の一部を準急に格下げして本数を増やした。一方、土休日は西武新宿駅 - 新所沢駅・本川越駅間で合わせて下り3本、上り4本のみの設定であった。
2018年3月10日のダイヤ改正より、一部急行を格下げする形で休日夕夜間の準急が復活し、始発駅を17時以降に発車する列車が設定された。下りはそれまで設定されていた深夜帯の列車に加え、17時から22時の間に追加設定されたほか、田無行きと本川越行きが1本ずつ設定された。
種別色は緑色である。
各停
各駅に停車する。西武新宿駅 - 本川越駅間の全線を運転する列車のほか、西武新宿駅 - 上石神井駅・田無駅・新所沢駅間の区間列車と本川越駅 - 国分寺駅間の国分寺線直通列車が運行されている。昼間時間帯以外には西武新宿駅 - 玉川上水駅・拝島駅間の拝島線直通列車が運行されている。また、平日朝上りに西武遊園地始発西武新宿行きが3本運転されている。国分寺線直通の列車は新所沢駅で同駅始発着の列車と接続し、東村山駅 - 本川越駅間では実質上等間隔の本数が保たれている。各駅停車のみ停車する下落合駅 - 都立家政駅・下井草駅 - 上井草駅の各駅のホームの長さは8両分しかないため、基本的に8両編成で運転されるが、国分寺線からの直通列車(国分寺線は各駅のホーム有効長が6両編成のため)は6両で、早朝・深夜には出入庫の関係で同区間を含まない列車が10両で運転される場合もある。野球開催時には、西武球場前発の本川越行きの列車も運転される。土休日は深夜に1本だけ本川越発所沢行きの列車が存在する。
以前は「普通」と称していた。2008年4月頃まで駅の案内表や案内では、「準急」以上の列車の各駅停車区間も含めて「各駅停車」「各停」として案内されていたが、列車に表示される種別表記は「普通」となっていた。だが、30000系や新2000系更新車に搭載されたフルカラーLED表示機において「各停」の表記がなされるようになったのを皮切りに、「各停」の表記を行うようになった。
かつては西武園発西武新宿行きの列車も運転されていたが、2011年12月24日に東村山駅で脱線事故が発生し、その後運転が休止された。また2012年6月30日のダイヤ改正までは萩山駅で切り離しする10両編成の上石神井発拝島・西武遊園地行きも存在した。
種別色は灰色である。
廃止された種別
快速急行
初代
初代の快速急行は1980年3月のダイヤ改正から1998年3月26日のダイヤ改正まで存在した。後述の1998年3月26日から2012年6月29日まで運行されていた快速急行とは別の種別であり、
- 西武園競輪開催日に平日・土曜・休日とわず運転の西武新宿 - 西武園間運転の往復の競輪臨時快速急行
- 土曜・休日のみに西武新宿 - 西武遊園地間で往復運転の行楽快速急行
- プロ野球・西武ライオンズの公式戦開催日(土休日ダイヤの時のみ)と同 日本シリーズ開催日の平日・土曜・休日とわず運転の西武新宿 - 西武球場前間運転の往復の野球臨時快速急行
- 西武新宿 - 本川越間の快速急行(土休日のみの運転で通称;ゴルフ急行)
以上の4つが設定されていた。1990年までは行楽時期のみの不定期列車扱いでもあった。
停車駅も1998年から2012年まで運行されていたものとは異なり、本川越発着列車については西武新宿、高田馬場、鷺ノ宮、田無、所沢、狭山市、本川越。その他については西武新宿 - 田無間の急行停車駅、小平、(西武遊園地発着; 萩山、西武遊園地、晩年は八坂、武蔵大和にも停車)、東村山、(西武園発着;西武園)、所沢、西所沢、西武球場前だった。その後、他線への乗り入れを行う快速急行は臨時運転としてでも西武トレインフェスタ開催時の西武新宿 - 西武秩父間の列車や2000年2月20日に20000系通勤車両デビュー記念の一環として西武新宿 - 西武球場前間を1往復したのみである。詳細は「快速急行」と「西武鉄道のダイヤ改正」を参照。
2代
1998年3月26日[8]から2012年6月29日までの快速急行は、全列車が西武新宿 - 本川越間で平日のみに運転され、日中に上下線で運行されていたほか、朝8時台の下り2本が運行されていた。平日の日中は、60分サイクルのパターンダイヤの中で、西武新宿、本川越とも特急と交互に30分間隔で発車し、全線の所要時間が特急とほぼ変わらないことから、特急を補完する役割も果たしていた。また、全列車とも東村山または新所沢で先行する列車に接続した。以前は8両編成で運行されていたが、原則10両編成で運転された。1998年の運転開始当初「川越号」の愛称が付けられていた[8]が、2008年6月14日のダイヤ改正で愛称が廃止された。
2007年3月6日のダイヤ改正から東村山駅と狭山市駅が停車駅に追加されたが、西武新宿 - 本川越間の最短所要時間は改正前の47分より1分短縮され46分となった。これに伴い、同改正まで狭山市駅には快速急行の上の種別である特急が停車し、代わりに快速急行は新所沢駅に停車する千鳥停車を行っていたが、それも解消された。
2011年3月5日のダイヤ改正で入曽駅・新狭山駅・南大塚駅が停車駅に追加され、新所沢 - 本川越間は各駅に停車するようになり[9]、西武新宿 - 本川越間の所要時間は50分となった。そのため、入曽駅・新狭山駅・南大塚駅には快速急行が停車し、代わりに鷺ノ宮駅・上石神井駅には通勤急行が停車する千鳥停車が発生した。
特急「小江戸」運転開始前は土休日のみの運転であり、基本的には西武新宿 - 西武遊園地、西武園(競輪開催時のみ。平日にも運転)、西武球場前(野球開催時のみ)、本川越間での運転であった(詳しくは前節の初代の項を参照)。
2012年6月30日のダイヤ改正で、日中の列車種別が各駅停車・急行・特急「小江戸」に統一され、朝ラッシュ時に運転していた下り2本も急行に格下げされたため廃止された。
- 廃止時の停車駅:西武新宿 - 高田馬場 - 田無 - 東村山 - 所沢 - 新所沢から本川越までの各駅
拝島快速
2008年6月14日のダイヤ改正より新設された拝島線直通の優等種別で、平日・土休日とも日中に運転された。急行よりも上位の種別であり、西武新宿 - 拝島間を急行より3分短い所要時間43分で結び、すべての列車が西武新宿 - 拝島間で運転された。拝島線では急行以下の種別は各駅に停車するため、同線唯一の優等種別となっていたほか、新宿線内でも急行が停車する花小金井駅を通過した。このため、快速とは別の種別としたものであった。
すべての列車が田無駅で玉川上水発着の各駅停車(一部は田無を始発・終着とする)と接続し、小平駅で本川越駅・新所沢駅発着の各駅停車と接続した。英文種別表記は池袋線系統の快速と同様「Rapid」であるが、自動放送のある車両では「Haijima Rapid」と放送された。
また、車両の種別表示においては「拝島快速」または「快速」であった。
ほとんどの列車が10両編成で運転されるが、一部列車は折り返し前後が各駅停車であることから8両編成で運転されるものもあった(これは急行・準急も同様である)。
快速急行と同様、2012年6月30日のダイヤ改正で廃止された。
- 廃止時の停車駅:西武新宿 - 高田馬場 - 鷺ノ宮 - 上石神井 - 田無 - 小平( - 玉川上水から拝島までの各駅)
快速
快速は1993年12月6日のダイヤ改正から2001年12月のダイヤ改正まで存在した種別。通勤急行(前述)と同様に、それまで運転されていた平日朝ラッシュ時の千鳥停車の急行の停車駅を明確にする目的で運転された。上りのみの設定で、拝島駅・西武遊園地駅 - 西武新宿駅間に9本運転され、停車駅は田無駅までの各駅・鷺ノ宮駅・高田馬場駅・西武新宿駅であった。田無駅 - 高田馬場駅間で上石神井駅を通過し鷺ノ宮駅に停車するという、当時の通勤急行とは千鳥停車になるダイヤだったが、その後当時の通勤急行は停車駅の変更がなされ、当種別は急行に統合され消滅した。ただし方向幕は現在も快速が運行されている池袋線と共通のため、新幕に交換された2012年6月現在でも快速幕がほかの種別や行先に置き換えられたりせず存在している。なお、2001年12月のダイヤ改正以降は、田無駅 - 高田馬場駅間で千鳥停車となる種別は運行されていない。
使用車両
新2000系や6000系、9000系が導入される1990年代前半まで3ドア車の天下であった池袋線とは対照的に、1977年の2000系運転開始以来4ドア車の比率が高くなっており、2017年現在は特急を除くすべての列車が4ドア車で運転されている。2000系・新2000系の運用には様々な組み合わせが見られ、6両編成(2000系)と4両編成(新2000系)を連結した10両編成や、6両編成(2000系)と2両編成(新2000系)を連結した8両編成といったパターンがある。2両編成と8両編成を連結する場合、2両編成は本川越・拝島寄りに連結することが多い[10]。
過去の車両
501系以前の17m車は省略
女性専用車
本路線には、平日朝ラッシュ時間帯に女性専用車が導入されている。詳細は以下の通り。
- 2013年3月18日 -
-
- 平日の朝7時20分から9時30分までに西武新宿駅へ到着する、急行・通勤急行・準急の10両編成全列車。実施区間は、西武新宿線内の全区間と拝島線拝島駅から西武新宿駅までの全区間で、進行方向の一番前側にあたる先頭車両(1号車)。
- 設定開始当初 - 2013年3月15日まで
女性専用車で運行される列車には、西武鉄道公式サイト[12]および対象となるホームの乗車口などに掲出されているほか、駅構内の備えられている時刻表に女性専用車であることを示すマークが付記されている。なお、当該時間帯の急行・通勤急行・準急であっても、8両編成で運転される列車での設定は無い。
- ダイヤが乱れた場合は、中止される。
- 10両固定編成にあたる6000系、20000系0番台、30000系10両編成、40000系のみ専用ステッカーを掲示している。
歴史
新宿線は、歴史的に川越鉄道が1895年(明治28年)に全通させた国分寺駅 - 川越駅間の一部(東村山駅以北)と、川越鉄道の後身である西武鉄道(旧)が1927年(昭和2年)に開業した東村山駅以東の区間に大別することができる。
国分寺 - 川越間の鉄道は、武蔵国入間郡、高麗郡、比企郡の物産を貨物輸送する目的で、1890年12月に仮免許が申請された。甲武鉄道が新宿 - 立川間(現在の中央本線)をすでに開通させており、国分寺で接続して東京へ物資を運ぶ計画であった。翌1891年に川越鉄道が設立され、1893年に工事を委託された甲武鉄道によって川越・国分寺両側から工事が着工された。しかし柳瀬川架橋工事で、架橋が狭く大水時に水害を呼ぶと反対運動が起こったため、柳瀬川南岸に久米川仮駅を設置し、1894年12月21日に国分寺 - 久米川(仮)間が先に開業した[13]。これは現在の西武国分寺線に当たる。翌1895年3月21日に久米川(仮) - 川越(現・本川越)間が開通し、この路線(川越鉄道川越線)が現在の西武新宿線の東村山駅以北となっている。
川越鉄道は電力会社などとの合併再編が行われて西武鉄道(旧)となる。大正に入ると、東上鉄道(現在の東武東上本線)と武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が相次いで開業し、東京 - 埼玉西部地域間の輸送競争が熾烈化した。明治の末に甲武鉄道が国有化されていたため、西武は運用面も運賃面も不利になってゆく。
1923年の関東大震災により、都心から郊外鉄道沿線に移住する流れが起こり、「鉄道ブーム」と呼ばれる郊外鉄道開業が相次ぐ。西武も独自の都心乗り入れを目指した。1916年に村山軽便鉄道の箱根ヶ崎 - 吉祥寺間の免許を譲り受けていたが、1925年には井荻 - 高田馬場間、1926年には高田馬場 - 早稲田間の免許を得て、1927年4月16日に東村山 - 高田馬場間を村山線として複線・電化で開業、同年に川越線の東村山 - 川越間を電化し、現在と同じ高田馬場 - 川越間の直通運転を開始した。村山線は中央本線と武蔵野鉄道の中間地域を通過したため、輸送競争はさらに激化し、所沢駅を共用する武蔵野鉄道とは、社員間のトラブルが発生するほどに険悪であった。しかし、第二次世界大戦期行われた私鉄統合により、宿敵の武蔵野鉄道と合併して、現在の西武鉄道となり、両者の競争は終結した。
戦後の1952年、西武は国鉄新宿駅への乗り入れを目論んで、高田馬場から西武新宿駅へ延伸し、西武新宿~本川越を新宿線に改めた。一方、国鉄新宿駅への乗り入れは、予定地が手狭だったことから中止した。ルミネエスト新宿の2階には新宿線の新宿駅ができる予定だったため、天井の高さなどにその遺構を見ることができる。
輸送力増強のため、都内の一部区間の複々線化(地下方式)が計画されたが、平成の景気失速によって中止された。
年表
- 1891年(明治24年)4月11日 - 川越鉄道に対し鉄道布設仮免状下付[14]
- 1892年(明治25年)6月21日 - 免許状下付[15]
- 1894年(明治27年)12月21日 - 川越鉄道川越線国分寺駅 - 久米川(仮)駅間 (8.0km) 開業(非電化)。小川駅、久米川(仮)駅開業[16]。
- 1895年(明治28年)
- 1897年(明治30年)11月14日 - 南大塚駅開業。
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)4月15日 - 高田馬場駅 - 高田馬場(仮)駅間 (0.5km) 開業。高田馬場(仮)駅廃止(4月14日限り)[19]。
- 1929年(昭和4年)11月20日 - 上保谷駅を東伏見駅に改称。
- 1933年(昭和8年)11月10日 - 競馬開催時の臨時駅として南大塚 - 川越間に川越競馬場前駅開業。
- 1937年(昭和12年)12月25日 - 野方 - 鷺ノ宮間に府立家政駅開業。
- 1938年(昭和13年)6月3日 - 所沢 - 入曽間に所沢飛行場前駅開業。
- 1939年(昭和14年)頃 - 川越競馬場廃止により川越競馬場前駅使用停止・廃駅。
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 所沢飛行場前駅を所沢御幸町駅に改称。
- 1942年(昭和17年)9月5日 - 鷺ノ宮 - 下井草間に西鷺宮駅開業。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 府立家政駅を都立家政駅に改称。
- 1950年(昭和25年)4月6日 - 東村山駅 - 柳瀬信号所間複線化。
- 1951年(昭和26年)6月11日 - 所沢御幸町駅を1.4km北へ移築し北所沢駅を開業。
- 1952年(昭和27年)3月25日 - 西武新宿駅 - 高田馬場駅間 (2.0km) 開業。新宿線に改称。川越線東村山駅 - 本川越駅間を新宿線に編入。
- 1953年(昭和28年)1月15日 - 西鷺宮駅廃止。
- 1958年(昭和33年)12月19日 - 柳瀬信号所 - 所沢駅間複線化。
- 1959年(昭和34年)2月1日 - 北所沢駅を新所沢駅に改称。
- 1964年(昭和39年)11月15日 - 新狭山駅開業。
- 1967年(昭和42年)10月27日 - 所沢駅 - 新所沢駅間複線化。
- 1969年(昭和44年)9月26日 - 新所沢駅 - 入曽駅間複線化。
- 1975年(昭和50年)11月26日 - 入曽駅 - 入間川駅(現・狭山市駅)間複線化。
- 1976年(昭和51年) - 休日に限り西武新宿駅 - 西武秩父駅間直通の特急「おくちちぶ」号、西武新宿駅 - 所沢駅間「むさし」号運行開始(「小江戸」も参照のこと)。
- 1977年(昭和52年) - 現在の地上25階建て西武新宿駅新駅ビル・駅舎完成。同年、西武鉄道としては初代401系以来久々となる4ドア車の2000系が登場。
- 1979年(昭和54年)3月25日 - 入間川駅を狭山市駅に改称。
- 1980年(昭和55年)3月12日 - 南大塚駅 - 脇田信号場間複線化。
- 1987年(昭和62年)5月28日 - 所沢 - 新所沢間に航空公園駅開業。
- 1989年(平成元年)12月14日 - 新狭山駅 - 南大塚駅間複線化。
- 1991年(平成3年)7月27日 - 狭山市駅 - 新狭山駅間複線化。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 新運行管理システムSEMTRACの本格稼働開始。
- 1993年(平成5年)12月6日 - 西武新宿駅 - 本川越駅間の特急「小江戸」号運行開始。
- 1995年(平成7年)9月1日 - 西武新宿駅 - 上石神井駅間の特別減算運賃開始(基本運賃200円を170円に値下げ)。
- 1997年(平成9年)12月28日 - 西武新宿駅 - 上石神井駅間の特別減算運賃再実施(170円を190円に値上げ)。
- 2000年(平成12年)2月20日 - 西武鉄道としては4年ぶりとなる新車、20000系が新宿線から定期営業運転開始(前年に試運転された)。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 西武新宿駅 - 上石神井駅間の特別減算運賃(190円)の終了に伴い基本運賃(200円)に戻す。
- 2003年(平成15年)3月12日 - ダイヤ改正で新所沢駅から国分寺線国分寺駅への直通運転が始まる。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)3月14日 - 1枚のPASMOでJR高田馬場駅 - JR新宿駅間と西武新宿駅が利用可能な特殊連絡定期券の発売が開始される[20]。
- 2010年(平成22年)12月13日 - 高田馬場駅経由の特殊連絡定期券の名称が「Oneだぶる♪」に決定する[20]。
- 2011年(平成23年)
- 3月5日 - ダイヤ改正により快速急行の停車駅に入曽駅・新狭山駅・南大塚駅が追加される。
- 3月14日 - 同月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による発電所の停止に伴う電力供給逼迫のため、東京電力が輪番停電(計画停電)を実施。これに伴い、この日から快速急行・拝島快速・通勤急行・急行・特急の運転が休止される。
- 4月1日 - 通勤急行・急行・特急の運転が再開される。
- 7月2日 - 土休日の拝島快速の運転が再開される。
- 8月1日 - 平日の拝島快速の運転が再開される。
- 12月24日 - 16時40分頃に東村山駅で各駅停車による列車脱線事故が発生し、小平 - 所沢間が終電まで運休する。
- 12月30日 - 西武園線との直通運転を休止する。
- 2012年(平成24年)6月30日 - ダイヤ改正により日中の種別を各停・急行・特急に統一。準急が朝と夕方・夜間のみの運転となり、快速急行と拝島快速を廃止[21]。
- 2016年(平成28年)4月17日 - 観光列車「旅するレストラン 52席の至福」運転開始[3]。
- 2018年(平成30年)3月10日 - 「拝島ライナー」の運行を開始[6]。
駅一覧
- 凡例
- ●:停車、|:通過、↓:下り方向通過(拝島ライナーのみ)、↑:上り方向通過(通勤急行のみ)
- 駅番号は2013年3月までに順次導入された。[22]
- 線路:脇田信号場 - 本川越間は単線、それ以外は全線複線
駅番号 | 駅名 | 駅間 キロ |
累計 キロ |
各停 | 準急 | 急行 | 通勤急行 | 拝島ライナ| | 特急 小江戸号 |
接続路線・備考 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
SS01 | 西武新宿駅 | - | 0.0 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東京地下鉄: 丸ノ内線(新宿駅:M-08) 都営地下鉄: 大江戸線(新宿西口駅:E-01) ※定期券については下記路線も連絡運輸あり 東日本旅客鉄道: 山手線・ 埼京線・ 湘南新宿ライン・ 中央線(快速)・ 中央・総武線(各駅停車)(新宿駅:JY17・JA11・JS20・JC05・JB10) 京王電鉄 (KO01):KO 京王線(新宿駅)、KO 京王新線(新線新宿駅) 小田急電鉄:OH 小田原線(新宿駅:OH01) ※2013年3月16日からは、一部のフリーきっぷについては以下の連絡運輸あり[23] 東京地下鉄:F 副都心線(新宿三丁目駅:F-13) |
東京都 | 新宿区 |
SS02 | 高田馬場駅 | 2.0 | 2.0 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道: 山手線 (JY15) 東京地下鉄: 東西線 (T-03) | ||
SS03 | 下落合駅 | 1.2 | 3.2 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | |||
SS04 | 中井駅 | 0.7 | 3.9 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | 都営地下鉄: 大江戸線 (E-32) | ||
SS05 | 新井薬師前駅 | 1.3 | 5.2 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | 中野区 | ||
SS06 | 沼袋駅 | 0.9 | 6.1 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | |||
SS07 | 野方駅 | 1.0 | 7.1 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | |||
SS08 | 都立家政駅 | 0.9 | 8.0 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | |||
SS09 | 鷺ノ宮駅 | 0.5 | 8.5 | ● | ● | ● | ● | ↓ | | | |||
SS10 | 下井草駅 | 1.3 | 9.8 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | 杉並区 | ||
SS11 | 井荻駅 | 0.9 | 10.7 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | |||
SS12 | 上井草駅 | 1.0 | 11.7 | ● | | | | | ↑ | ↓ | | | |||
SS13 | 上石神井駅 | 1.1 | 12.8 | ● | ● | ● | ● | ↓ | | | 練馬区 | ||
SS14 | 武蔵関駅 | 1.3 | 14.1 | ● | ● | | | ↑ | ↓ | | | |||
SS15 | 東伏見駅 | 1.2 | 15.3 | ● | ● | | | ↑ | ↓ | | | 西東京市 | ||
SS16 | 西武柳沢駅 | 1.0 | 16.3 | ● | ● | | | ↑ | ↓ | | | |||
SS17 | 田無駅 | 1.3 | 17.6 | ● | ● | ● | ● | ↓ | | | |||
SS18 | 花小金井駅 | 2.3 | 19.9 | ● | ● | ● | ↑ | ↓ | | | 小平市 | ||
SS19 | 小平駅 | 2.7 | 22.6 | ● | ● | ● | ↑ | ● | | | 西武鉄道:SS 拝島線(拝島駅・ST 多摩湖線西武遊園地駅まで直通運転) | ||
SS20 | 久米川駅 | 2.0 | 24.6 | ● | ● | ● | ↑ | 拝島線直通 | | | 東村山市 | ||
SS21 | 東村山駅 | 1.4 | 26.0 | ● | ● | ● | ● | ● | 西武鉄道:SK 国分寺線・SK 西武園線 (SK05) | |||
SS22 | 所沢駅 | 2.9 | 28.9 | ● | ● | ● | ● | ● | 西武鉄道:SI 池袋線 (SI17) | 埼玉県 | 所沢市 | |
SS23 | 航空公園駅 | 1.6 | 30.5 | ● | ● | ● | ↑ | | | ||||
SS24 | 新所沢駅 | 1.2 | 31.7 | ● | ● | ● | ● | | | ||||
南入曽信号場 | - | (33.7) | | | | | | | ↑ | | | 南入曽車両基地分岐線 | 狭山市 | |||
SS25 | 入曽駅 | 3.9 | 35.6 | ● | ● | ● | ↑ | | | ||||
SS26 | 狭山市駅 | 3.0 | 38.6 | ● | ● | ● | ● | ● | ||||
SS27 | 新狭山駅 | 2.7 | 41.3 | ● | ● | ● | ↑ | | | ||||
SS28 | 南大塚駅 | 2.6 | 43.9 | ● | ● | ● | ↑ | | | 川越市 | |||
脇田信号場 | - | (46.6) | | | | | | | ↑ | | | |||||
SS29 | 本川越駅 (時の鐘と蔵のまち) |
3.6 | 47.5 | ● | ● | ● | ● | ● | ※定期券のみ下記路線の連絡運輸あり 東武鉄道: 東上線(川越市駅:TJ-22・川越駅:TJ-21) 東日本旅客鉄道:川越線(川越駅) |
高田馬場駅 - 下落合駅間で豊島区をわずかに通るが、駅はない。
過去の接続路線
- 南大塚駅:安比奈線 - 2017年5月31日廃止
廃駅・廃止信号所
- 西鷺宮駅(鷺ノ宮駅 - 下井草駅間、1953年1月15日廃止)
- 東小平駅(花小金井駅 - 小平駅間、1954年10月10日小平駅に統合廃止)
- 柳瀬信号所(東村山駅 - 所沢駅間、1958年12月19日同区間複線化完成時に廃止)
- 所沢御幸町駅(所沢駅 - 航空公園駅間、1951年6月11日廃止)
- 川越競馬場前駅(南大塚 - 本川越間・競馬開催時のみの臨時駅、1939年頃廃止)
付記
複々線構想
バブル景気期、新宿線は利用客のさらなる伸びが見込まれ、飽和状態にあった輸送力状況を打開する切り札として、上石神井 - 西武新宿間を複々線化する構想が何度も持ち上がっていた。在来線直下の地下40メートル-60メートルを掘削して地下線を増線し、工期と費用の点から地下線は高田馬場と西武新宿の二駅のみの急行線とする計画が事業化されることになった[24]。地下線の西武新宿駅ホームは新宿駅寄りに設け、他線との乗り換えを改善する計画もあった。
この計画は、1987年12月に特定都市鉄道整備事業計画の認定を受け、翌88年9月に運輸大臣の認可が下り、特定都市鉄道整備積立金制度導入による運賃加算も行われた。シールド工法によるトンネルの調査設計は日本鉄道建設公団に依託され、工事は部分的に着手された。ところが技術上の問題で工事費用が膨らみ、景気減退や少子高齢化を背景とした見込み利用者数の減少、輸送人数に応じた避難経路を確保するための建設費高騰もあり、1995年1月になって計画は無期延期となり、事実上撤回された。その際、積立金として加算された分は、特別減算を実施して運賃の一時的な値下げが実施された。代わりに、新宿線の線形改良・ホーム改良工事等が実施されている[25]。
連続立体交差事業
2018年現在、新宿線で連続立体交差事業を実施しているのは次の2か所である。
事業実施区間
事業準備区間
野方 - 井荻間[28][29]と井荻 - 東伏見間[30][29]の計2か所が、事業準備区間に位置付けられている。
東京メトロ東西線相互直通運転構想
中野区議会が2015年3月9日に公表した資料[31]によると、中井駅 - 野方駅間の地下化工事に合わせた、東京メトロ東西線との相互直通運転の構想を発表した。現状の高田馬場駅は、新宿線ホームが地上2階に対し、東西線ホームが地下2階にあるため、乗り換えに多くの時間を費やしてしまうこと、さらには、高田馬場駅利用者にはJR山手線に乗り換える人もいるため、ラッシュ時に相当混雑していることなど、多くの問題を抱えている。 具体的な路線案として、新宿線沼袋駅ないし新井薬師前駅付近と東西線落合駅間の最大約3.0kmに及ぶ連絡線整備の構想がある。
キロポストについて
新宿線では、距離を示すキロポストが起点である西武新宿駅から終点の本川越駅に向かって純粋に増えるよう設置されているわけではない。これは歴史的な経緯によるもので、おおむね以下の3区間に分かれており、キロ数が増える方向も下り方と上り方が混在している。
- 西武新宿駅→高田馬場駅
- 高田馬場駅→東村山駅
- (国分寺線国分寺駅←)東村山駅←本川越駅
- (矢印の方向にキロ数が増える)
- は、戦後に高田馬場駅から西武新宿駅まで延伸された際、既に0kmポストがある高田馬場駅を起点に上り方向に打たれたものである。高田馬場駅ホームの下り方終端部にある0kmポストからマイナスになるように設置されており、西武新宿駅の終端付近に-2kmポストが存在する。
- は、旧西武鉄道時代に当路線が開通した際、東村山駅から本川越駅まではポストが既設であったので、新たに起点となる高田馬場駅ホームの下り方終端部の0kmポストから、合流地点の東村山駅付近まで設置したものである。ただし終端については東村山駅構内までではなく、所沢駅の南側で池袋線をアンダークロスする地点まで設置されている。この地点には終端を示す標識が下り方面に向かって左側の切り通し上に立てられ、26.472kmを示している。
- は、旧川越鉄道時代に設置されたもので、歴史的な経緯上、本川越駅を0kmとして設置され、東村山駅からは国分寺線へ連続して打たれている(このため国分寺線のキロポストはすべて本川越駅からの通算距離を示している)。ただし本川越駅の0kmポストは駅改良工事などの関係で現存しておらず、実際のポストは0.3kmからとなっている。また、名目上は本川越駅 - 東村山駅 - 国分寺駅と連続しているが、実際には所沢駅南側の19.5kmポストから東村山駅構内まで一旦ポストが中断している。この中断の開始地点は2.の高田馬場駅起点のキロポストが打ち止めとなる地点のすぐそばにあたり、わずかな区間重複するものの、実質的にここでキロポストが切り替わっている。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 “新宿線 中井 - 野方駅間連続立体交差事業のご案内”. 西武鉄道. . 2017閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “新宿線 東村山駅付近連続立体交差事業のご案内”. 西武鉄道. . 2017閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 西武新宿駅発「旅するレストラン〜52席の至福〜」運行開始 - 新宿経済新聞、2016年4月19日
- ↑ 4.0 4.1 西武鉄道、52席だけの「至福」観光電車を公開…定員10分の1に - レスポンス、2016年4月14日
- ↑ “2018年春 西武新宿→拝島間に有料座席指定列車「拝島ライナー」を導入します!” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 西武鉄道株式会社, (2017年11月20日) . 2017閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 “2018年3月10日(土)から「拝島ライナー」の運行を開始します!” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 西武鉄道株式会社, (2018年1月25日) . 2018閲覧.
- ↑ これは折り返し前後が西武新宿駅発着の各駅停車になる列車があるため。
- ↑ 8.0 8.1 『鉄道ジャーナル』第32巻第7号、鉄道ジャーナル社、1998年7月、 101頁。
- ↑ 改正前は概ね国分寺駅 - 本川越駅間運行の各停と新所沢駅で連絡していた。改正後は国分寺 - 本川越間各停の時刻を30分程度ずらしている。
- ↑ 6両編成以上の車両には、西武新宿側から2両目に弱冷房車が設定されているため、設置位置を極力合わせるためである。
- ↑ 西武遊園地駅発の急行は4両編成であるが、これらは全て萩山駅で拝島駅発の6両編成の急行を後部に連結するため、連結後に10両編成の1号車となる4両編成の先頭車両で実施されるものである。
- ↑ 女性専用車両 - 西武鉄道
- ↑ 東京新聞浦和支局(編) (1987). 埼玉事始―さいたまいちばんものがたり―. さきたま出版会, 214p. ISBN 4-87891-033-X.
- ↑ 「鉄道布設仮免状下付」『官報』1891年4月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道布設免許状下付」『官報』1892年6月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状」『官報』1894年12月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状」『官報』1895年3月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年4月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年4月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 20.0 20.1 “新宿線特殊連絡定期券の愛称が決まりました! (PDF)”. 西武鉄道 (2010年12月13日). . 2016閲覧.
- ↑ 『鉄道ジャーナル』第46巻第8号、鉄道ジャーナル社、2012年8月、 148頁。
- ↑ 西武線全駅で駅ナンバリングを導入します (PDF) - 西武鉄道、2012年4月25日閲覧。
- ↑ 「西武横浜ベイサイドきっぷ」、「西武東急線トライアングルチケット」を発売! (PDF) - 西武鉄道、2013年2月19日。
- ↑ 近藤禎夫・安藤陽 (1997). 日本のビッグ・ビジネス19 西武鉄道・近畿日本鉄道. 大月書店, 235p. ISBN 4-272-10219-2.
- ↑ 電気車研究会刊『鉄道ピクトリアル』等より
- ↑ “西武鉄道新宿線の連続立体交差事業に着手します。” (プレスリリース), 東京都建設局, (2013年4月1日) . 2013閲覧.
- ↑ “西武鉄道新宿線・国分寺線・西武園線の連続立体交差事業に着手します” (プレスリリース), 東京都建設局, (2013年12月10日) . 2013閲覧.
- ↑ “西武新宿線〈野方駅 - 井荻駅間〉の鉄道立体交差化の構造形式案の比較表 (PDF)”. 中野区. . 2018閲覧.
- ↑ 29.0 29.1 “道路と鉄道の連続立体交差事業 (PDF)”. 東京都建設局. p. 5. . 2018閲覧.
- ↑ “西武新宿線(井荻 - 東伏見駅付近)の立体化について”. 練馬区都市整備部 交通企画課 (2018年4月13日). . 2018閲覧.
- ↑ (PDF) 西武新宿線と地下鉄東西線との相互直通運転について, 中野区, (2015-03-09) . 2015閲覧.
関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
- 西武村山線 - 箱根ヶ崎-東村山-吉祥寺間として計画された計画線、高田馬場-東村山間の母体となった
- 西武国分寺線 - 旧川越鉄道川越線→西武川越線の一部、東村山-本川越間が新宿線となった際に支線となった
- 西武新宿戦線異状なし DRAGON RETRIEVER - 当線沿線を舞台としている
- 恋の西武新宿線 - 1975年に発表された、ロックバンド「愛奴」による楽曲。作詞作曲は浜田省吾。