福留孝介
オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
銀 | 1996 | 野球 |
銅 | 2004 | 野球 |
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
金 | 2006 | 野球 |
金 | 2009 | 野球 |
福留 孝介(ふくどめ こうすけ、1977年4月26日 - )は、阪神タイガースに所属する鹿児島県曽於郡大崎町出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。
元メジャーリーガーで、阪神では2017年からチームキャプテンを務める。
Contents
経歴
プロ入り前
大崎町立大崎小学校3年からソフトボールを始めると、6年時に全国大会に出場。大崎中学校時代には、「鹿屋ビッグベアーズ」の選手として、ボーイズリーグで全国制覇を果たした。
PL学園高校のOBで中日ドラゴンズの主力選手だった立浪和義への憧れから、中学校への卒業を機に、大阪府富田林市にあるPL学園高校へ進学。1年の夏から5番打者、1年の秋から4番打者を任された。2年春の第66回選抜高等学校野球大会では、2年生で唯一のレギュラー選手として出場。チームは準決勝で智弁和歌山高校に惜敗したが、福留は神戸弘陵高校との準々決勝で、2安打(いずれも適時打)を放つとともに3打点を挙げた。さらに、2年の冬に開かれた第1回AAAアジア野球選手権大会にも、日本代表として出場。渡辺元智監督の下で、代表チームの優勝に貢献した。
3年生だった1995年には、2年連続で選抜大会に出場。初戦の相手である銚子商業高校の4番打者にして、自身と同じ左打者の澤井良輔(銚子商業高校)と並び称される格好で、大会屈指のスラッガーとして注目された。この試合では、澤井の本塁打で銚子商業が先制すると、福留もバックスクリーンに3点本塁打を放つなど、両チームで打撃戦を展開した末に延長戦へ突入。しかし、延長11回表に3点を勝ち越されると、チームは7 - 10というスコアで初戦敗退を喫した[1]。
3年夏の第77回全国高等学校野球選手権大会では、大阪大会で7本塁打をマーク。チームの全国大会出場に貢献するとともに、「高校No.1スラッガー」としてNPB球団のスカウト陣から注目を浴びた。全国大会では、北海道工業高校(現在の北海道科学大学高等学校)と1回戦で対戦。3回裏には、打線が自身の右前安打を皮切りに4点を奪うと、打者一巡で迎えた2回目の打席でライストスタンドに満塁本塁打を放った。さらに、5回裏の打席で選手権全国大会史上11人目の2打席連続本塁打を記録するなど、3打数3安打6打点の大活躍。1回戦での大勝を受けて臨んだ城北高等学校 (熊本県) との2回戦では無安打に終わったものの、チームは準々決勝にまで進出した。福留自身も、日本大学藤沢高校との3回戦で、三塁打1本と1打点をマーク。智弁学園との準々決勝でも、二塁打1本を含む3安打を放ったが、チームは6 - 8というスコアで惜敗した[1]。
前述した3年夏の選手権全国大会大会、通算打率.467(15打数7安打)、7打点、2本塁打という好成績を残したことから、秋のNPBドラフト会議では、7球団から1位指名を受けた。NPBのドラフト会議で、高校生の選手に対して7球団が1位指名で重複した事例は初めてで、高校の先輩・清原和博に対する6球団競合(1985年)をも上回った。結局、7球団による抽選の末に、近鉄バファローズが福留への交渉権を獲得。抽選に臨んだ監督の佐々木恭介は、交渉権の獲得を意味する当たりクジを引いた瞬間、「ヨッシャー」と声を上げながら喜んだ。しかし、福留自身が会議の前に「希望する中日と読売ジャイアンツ(巨人)以外の球団から指名された場合には社会人野球へ進む」との意思を示していたことから、近鉄からの指名後に入団を辞退[2]。結局、本社や硬式野球部の拠点が大阪府内にある日本生命へ入社した。
日本生命への入社後は、内野手として活躍しながら、オフシーズンに社業の一環で保険の外交営業活動へ従事。入社1年目の1996年には、アトランタオリンピックの野球日本代表に選ばれると、2本塁打を放つなど代表チームの銀メダル獲得に貢献した。ちなみに、アトランタオリンピックの野球競技へ出場した時点の年齢は19歳で、当時のオリンピック野球日本代表の最年少記録であった。
入社3年目の1998年にドラフト会議の指名対象へ再び入ったことから、逆指名制度を設けていたこの年のドラフト会議では、当時立浪が所属していた中日を逆指名。ドラフト1位扱いで、内野手として入団した。背番号は1で、契約金は1億円、年俸は1,300万円(金額は推定)。入団当初のポジションは遊撃手だった。
中日時代
1999年:星野仙一監督の方針でスタメンへ積極的に起用された結果、レギュラーシーズンでは、一軍公式戦132試合に出場。打率.284、16本塁打という上々の成績をで、チームのセントラル・リーグ優勝に貢献した。しかし三振数リーグ1位を記録するなど粗さも目立ち、加えて守備には難があった。9月4日の広島市民球場での対広島戦、0-0で迎えた9回裏二死一・二塁の場面には左翼手の守備に就いていたがフライ性の打球を落球。ランナーを返しサヨナラ試合にした。この試合を始め、ペナントレースや日本シリーズでも敗因に繋がるミスが続出。試合終盤は交代させられた。この年のプロ野球珍プレー好プレーにはエラーを連発する彼(及びそれに怒る星野監督及び高代延博内野守備コーチ)の姿が放送された。ちなみに、応援歌には、1997年まで立浪の応援歌として使われていた楽曲が流用された。
2000年:シーズン後半から守備の負担が少ない三塁手へコンバートされるものの失策続きは相変わらずで、打撃においても前年より成績を落とし、97試合の出場に終わった。
2001年:守備の不安から打撃にも悪影響を及ぼし不振に陥った。6月26日の札幌ドームで初めて行われたプロ野球の試合となった巨人戦1回表、ダレル・メイ投手が投じた第1球をライトスタンドに放り込み、記念すべき同球場の第1球を、第1号ホームランボールとした。この本塁打は、「背番号1の福留が1回表に1番打者として1球目を第1号本塁打」と、「1」尽くめの歴史的本塁打となった札幌ドームでは、その歴史的初本塁打のボールの落下点となった右中間スタンドの座席(111通路20列147番)の床に本人の名前を記した記念プレートが設置されている。
2002年:山田久志監督の下、二宮至外野コーチの進言により本格的に外野にコンバートされる。当初もやはり守備に難があったものの、辛抱強く起用され続けると、やがて練習の甲斐もあって右翼手に定着する。すると本来の俊足や強肩が生きるようになり、強肩の指標とも言われるライトゴロも記録。また、近鉄監督時代の1995年にドラフト会議1巡目で福留の交渉権を引き当てた佐々木が一軍打撃コーチとして入団。佐々木の下で打撃フォームを大幅に改造したところ、3番打者に定着するほど打撃も成長した。このシーズンのセ・リーグ公式戦では、松井秀喜(当時巨人)が三冠王目前の好成績を残したものの、福留は首位打者のタイトルを獲得。シーズンの通算安打数は186本で、従来の球団記録を更新した。
2003年:前年に続いて3割を達成するとともに、自身初の30本塁打をマーク(中日の本拠地がナゴヤドーム移転した1997年以後、中日の日本人選手では初。後の2010年に和田一浩が37本塁打を記録し、ナゴヤドーム移転後では中日の日本人選手の球団年間記録となっている)。加えてリーグ最多の三塁打を記録し、最終的には打率.314、34本塁打、96打点を記録して中軸を担うスラッガーとしての評価を不動のものにした。この頃からバックスイング・フォロースルーとも大きく取るフォームを身につけた。
2004年:強打者不在のチーム事情により開幕から4番に座る。またアテネオリンピック野球日本代表の一員として選ばれ、銅メダルを獲得した。オリンピックから帰国しチームに戻るものの、復帰2戦目に阪神の下柳剛による死球で骨折。チームは福留を欠いたままリーグ優勝こそ果たすが、西武との日本シリーズでは3勝4敗と惜敗。不在は大きな痛手となった。4番の重圧もあったとはいえ、同年はシーズン途中離脱まで打率.277と低迷した。
2005年:前年まで2年連続でセントラル・リーグ本塁打王のタイトルを獲得していたタイロン・ウッズが横浜ベイスターズから加入したことにより4番の重圧から解放され、開幕から5番打者として活躍し、打率.328、本塁打28本、打点103(100打点以上を上げたのは初めて)という成績を挙げ、最高出塁率、通算3度目のゴールデングラブ賞を受賞。しかし本人はリーグ優勝を逃したからかこの成績にも満足できず、「打率ならあと2厘、ホームランならあと2本を何故打てなかったのか」と、同年の秋キャンプから試行錯誤を重ね、グリップの位置を後ろに引き気味に構えてテークバックを小さくする打撃フォームに変更した。
2006年:WBC代表に選出され、スタメン3番として起用されたが、予選リーグでの中国戦の本塁打以外はなかなか結果が出なかった。しかしスタメンから外された準決勝の対韓国戦において、7回に代打で出場し、金炳賢(キム・ビョンヒョン)から先制2点本塁打を放ち、日本の決勝進出に大きく貢献。それまで日本は韓国相手に2敗しており3連敗はできない状況だったためか、この本塁打はマスコミにも大きく取り上げられた。決勝戦でも代打で2点適時打を放つなど、持ち前の勝負強さを発揮した。シーズンに入ってからは開幕は5番で起用されるものの、前を打つ2番藤井淳志、3番井端弘和の不調もあり、3番に昇格する。同年6月14日、インボイスSEIBUドームにおける西武戦で、クリストファー・ギッセルから左中間に二塁打を放ち、通算1000本安打を達成。6月末に太ももを痛め14試合を欠場するものの、復帰後は首位打者争いを独走。同年10月10日、マジックナンバーを1として迎えた対巨人戦で、12回表に決勝点となる勝ち越しタイムリーを放ち優勝を決めると共に、シーズン打率.351・長打率.659・本塁打30本(最終的には31本塁打)・100打点(最終的には自己最多となる104打点)・100得点を達成。この内、3割・30本・100打点・100得点は中日の選手として1950年の西沢道夫以来56年ぶりの達成であった。10月は打率.275、OPS.831とやや調子を落としたが、3月から9月まで月間打率3割、同OPS10割を切ることのない安定した打撃をシーズンを通して続け、2002年以来4年ぶりの首位打者と2年連続の最高出塁率を獲得(4番を担ったウッズも同年47本塁打・144打点と、本塁打のでにくいナゴヤドーム移転により不滅の記録となったかと思われていた西沢の年間球団記録、46本塁打・135打点をともに塗り替えた上で本塁打王・打点王の二冠王に輝き、打撃三部門タイトルは中日所属のこの2人により独占された)。二塁打もセ・リーグのシーズン記録を塗り替える47本を記録した。しかし、日本シリーズではまたしても活躍できず、チームは日本一を逃した。11月14日にはセ・リーグのシーズンMVPを受賞した。ポジションも開幕はライト、その後は元々予定されていたセンターへコンバートされたが、シーズン終盤からはライトに固定となった。オフには12月2日の『スーパーサタデー』に出演した際、司会の峰竜太から「メジャーに興味はありますか?」と聞かれ、「興味がないと言ったら嘘になるので、あります。WBCに出場してメジャーへの憧れがより一層強くなった」と答え、この頃からFA権取得以降のメジャー移籍に含みを持たせる発言をしていた。
2007年:ナゴヤドームでの入場曲にレッド・ホット・チリ・ペッパーズの『アラウンド・ザ・ワールド』を使用した(2006年シーズンはホワイト・ストライプスの『ブルー・オーキッド』を使用していた)。開幕から不動の3番(タイロン・ウッズの欠場時には数試合4番で起用された)として活躍するが、7月中旬から右肘に見つかった遊離軟骨の状態が思わしくなく試合出場を見合わせることが多くなり、ファン選出で初めて選ばれたオールスターゲームはウッズの代走から次の打席に指名打者として打席に立った(結果は遊ゴロ)。その後も様子を見つつ症状の改善を図っていたが、8月に渡米して内視鏡による除去手術を行う事を決意。これにより、シーズン中の復帰は不可能に。続くクライマックスシリーズ、日本シリーズも出場することはできなかった(日本シリーズ出場選手40人枠には入っていた)。2007年は規定不足ながら、200打席以上の選手では、リーグ内でOPSが2位、NOIが1位と非常に優秀な成績であった。
シーズン終了後にはこの年から適用された故障者特例措置によりFA権を取得し、10月12日に行使。11月12日に、5歳年上の女性と入籍したことも明らかにした。12月16日に第1子(長男)が誕生。
カブス時代
2007年12月12日にはジョー・アーボンを代理人とし、シカゴ・カブスと4年総額4800万ドル(約53億円)の契約に合意。身体検査を経て19日に本拠地で正式契約を交わし、背番号は1になることが発表された。なお報告記者会見は帰国後の22日に行った。カブス入団決定後、地元シカゴのメディアは福留のローマ字表記、「FUKUDOME」が放送禁止用語の「FUCK」を連想させるとして、懸念する記事を掲載した[3]。
2008年:3月31日のMLB開幕戦に、「5番・右翼手」としてスタメンで出場。この試合では複数のカブスファンが福留に対し、カブスファンの常套句である「It's gonna happen」(「何かが起こるぞ」あるいは「ついにその時が来た」)の誤訳と思われる「偶然だぞ」と書かれたサインボードを掲げる珍事が起こった[4][5](当時はGoogle翻訳で「It's gonna happen」を訳すと「偶然だぞ」になっていたが、これが話題になったためか、後に修正されている。)。初打席ではベン・シーツから二塁打を放ち、9回無死の場面ではエリック・ガニエから同点3ラン本塁打を放ち、鮮烈な印象を与えるデビューとなった[6]。4月までは打率.327、出塁率.436、長打率.480、OPS.915の成績を残し、多くの地元紙がチーム四球数の増加を受けて「カブス打線を変えた福留」という記事を取り上げる活躍を見せた[7]。その後はオールスターにもファン投票で選出されたが、インコースの速球に弱いと見抜かれると徐々に調子を落とし[8]、以降は打率と出塁率が前月の数字を上回ることがなく、5月以降は打率.241、出塁率.340、長打率.355の成績に終わり、起用法も9月以降は守備要員としての出場が増えていった。チームはディビジョンシリーズに進出したものの、福留自身は第1戦と第2戦でスタメン出場して8打数無安打4三振に終わり、監督のルー・ピネラは「もう福留を使う意味がない」と公言[9]、3戦目の移動のために利用したシカゴのオヘア空港では「フクドメ・コウスケさん、シンシナティ・レッズへ向かってください。トレードが決まりました」[10]といたずらの館内放送を流されるなどファンからも見放され、チームもディビジョンシリーズ3連敗でシーズンを終えた。右翼手として守備は±システム1、DRS3、UZR6.0との数値を残した。
2009年:前年に続いて、4月は打率338、出塁率.461、長打率.592、OPS1.052の好成績を残すも、5月以降は打率.245、出塁率.360、長打率.393と失速した。特に左投手に.164と振るわず、後半戦は左投手が先発のときはベンチスタートとなることが増えた。慣れない中堅の守備でも苦労し、中堅手として±システムは-8で両リーグワースト6位、DRS-5は両リーグワースト8位、UZR-7.6は両リーグワースト7位であったが(右翼の守備は依然高レベルであり、44試合の出場ながら±システム9・守備防御点8・UZR7.8を残した)、本人は「納得する形でできた」と自己評価した。
2010年:4月には3年連続で好成績(打率.344、出塁率.443、長打率.525、OPS1.084)を残すも、6月は自己ワーストの月間OPS.485を残すなどその後は失速し、8月2日には打率が.247まで降下したが、それ以降は復調し8月はメジャー3年目で最高となる月間打率.365、出塁率.467、OPS1.118をマークして9月1日には打率が.281まで上昇する。8月10日のAT&Tパークでのサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、ティム・リンスカムからライトスタンドを越える場外ホームランを放ち、日本人初の「スプラッシュ・ヒット」を記録した(ただし、フェンス最後部にある旗に当たってから海に落下したため、障害物に触れた打球は公式には「スプラッシュ・ヒット」として認定されていない)[11]。しかし9月に再び失速し、最終的に打率や長打率、本塁打数などでカブス移籍後自己最高の成績を残したが、好不調の波が激しかったことが災いし、3年目で初めて規定打席に到達できなかった。守備では右翼手として起用されたが、±システム-3、DRS-3、UZR-4.4と振るわなかった。オフにはシカゴ市内にマンションを購入した他[12]、グリーンカードを取得し、カブスとの契約終了後もメジャーでのプレーを希望していることを明らかにした[13][14]。
2011年:4月は打率.383、出塁率.486、長打率.400、OPS.886の好成績を残す。しかしその後は例年と同じく調子を落とし、76試合の出場で打率.275、3本塁打、OPS.751の成績で前半戦を折り返したが、1打席あたりの平均球数は7月までリーグトップの4.34を記録。
インディアンス時代
2011年7月28日にアブナー・アブレイユ、カールトン・スミスとのトレードでクリーブランド・インディアンスへ移籍[15]。背番号は中日、カブス時代と同じ「1」となった[16]。この移籍により、この年の日本人野手は全員アメリカンリーグの球団に所属することになった。
7月29日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で移籍後初出場。8月は打率.293、1本塁打、OPS.744と復調し、27日には契約終了後もMLBでのプレーを希望していることをクリーブランドの地元紙に明かした[17]。9月は4本塁打を放ったものの、打率.216、OPS.623と再び調子を落とし、特に出塁率は移籍前には.374と高い数字を残していたが、移籍後は.300と低下した。最終的にシーズン通算で打率.262、8本塁打、35打点、OPS.712に終わったが、これは打率を除けばメジャー移籍後ワーストの成績であった。一方、安打数はメジャー自己最多139、守備では補殺7、アームレーティング7(いずれも中堅手と右翼手としての合計)と自己ベストの強肩ぶりを見せたが、右翼手として両リーグ最下位のUZR-10.5、同ワースト4位のDRS-1、同じく±システム-6と守備範囲に顕著な課題を残した。
ホワイトソックス時代
2012年2月14日にシカゴ・ホワイトソックスと1年50万ドルで契約する(2年目は年俸350万ドルの球団オプション)[18]。主に代打や守備要員として起用されるも、24試合の出場で打率.171、本塁打なし、OPS.489を喫し、6月7日に右わき腹痛でDL入りする。22日にDFAとなり26日に解雇された。
ヤンキース傘下時代
2012年7月13日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。AAA級スクラントンでは39試合の出場で打率.276、2本塁打、OPS.818を残し、外野手の他22試合で一塁手としても起用されるがメジャー昇格はならず、シーズン最終戦の9月3日に解雇された。後にNPBへ復帰する意向を示したことから、阪神タイガースや横浜DeNAベイスターズなど、複数のNPB球団が福留の獲得に向けて交渉を進めた。
阪神時代
2012年12月25日に、阪神タイガースとの入団合意が発表された。翌2013年1月5日に正式契約を交わした後入団会見が行われ、背番号は8に決まった。福留は入団にあたって「長らく待って頂き、正式に入団となりましたが、今はスッキリとした気持ちと大丈夫かなという不安と半々です」とコメントし、入団の決め手について「僕自身が(アマチュア時代に)関西でプレーしたことがありますし、一度プレーしたことのある場所はすんなり入って行けるのではと思いましたので。それと凄く熱心に誘って頂き、最後まで我慢強く待って頂いたという所も僕の中では凄く有り難く、嬉しい気持ちでしたので、そういうところが大きな決め手となりました」とコメントした[19]。
2013年:一軍公式戦の開幕から「5番(または6番)・右翼手」として連日スタメンに起用。春先には、チームトップの打点を挙げていた。4月19日のヤクルト戦(甲子園)では、7回裏に同球場で6年振り(阪神移籍後では初めて)の本塁打を放ったことを皮切りに、2本塁打・6打点と活躍。同点で迎えた延長12回裏には、2死満塁からこの試合2本目となる本塁打を放つことで、チームにサヨナラ勝利をもたらした[20]。しかし、5月3日のヤクルト戦(甲子園)第1打席で一塁へ走った際に左膝を痛めて交代すると、以降の4試合に続けて欠場。同月8日付で出場選手登録を抹消された[21]。同月28日に患部のクリーニング手術を受けてからは[22]、リハビリと二軍での再調整を経て、夏季長期ロード中の8月13日に一軍へ復帰した。同月26日の中日戦(ナゴヤドーム)からは、故障で戦線を離脱したレギュラー中堅手・大和の穴を埋めるべく、中日時代の2006年以来6年振りに中堅手としてスタメン出場[23]。同月28日の巨人戦(東京ドーム)では、4回表の第2打席で、中日時代の2005年以来7年振りに同カードで本塁打を放った。ところが、6回表の第3打席で安打を放って出塁した際に、左ふくらはぎを痛めて途中交代[24]。その影響で9月1日に出場選手登録を再び抹消された[25]。同月11日に一軍へ復帰したが、阪神のシーズン最終戦になった広島とのクライマックスシリーズ・ファーストステージ第2戦(10月14日・甲子園)でも、1回裏の第1打席で右足のふくらはぎを痛めて2回表の守備から交代[26]。移籍後最初のシーズンは63試合の出場に留まり、打率は2割、出塁率も3割を下回るなど、「打率3割、出塁率4割」というシーズン前の公約[27]を大きく裏切る結果に終わった。
2014年:右翼手として公式戦開幕3戦目の巨人戦(3月30日・東京ドーム)2回裏の守備で、大竹寛が放った浅い飛球を追って二塁手の西岡剛と激突(記録は右越2点三塁打)。その勢いで宙を舞った西岡は、後頭部からグラウンドに落下したため、大事を取って救急車で病院に搬送された[28](搬送先の病院での診断は鼻骨の骨折・胸部の打撲・軽度の左肩鎖関節の脱臼)[29]。福留もしばらく昏倒していたが、西岡の搬送後から守備に復帰。4回表の第2打席(失策による出塁)で代走を送られるまで出場を続けた[30]後に、病院での診察で胸部打撲との診断を受けた[31]。4月29日の広島戦(甲子園)でブライアン・バリントンから決勝のソロ本塁打を放ってNPB一軍通算200本塁打を記録した[32]が、以降の公式戦では1ヶ月以上長打が出なかった。また、開幕直後から打率が1割台にとどまったことに加えて、緒方凌介の台頭などの影響で次第に出場機会が減少。6月10日から同月26日までは、阪神への入団後初めて、不調を理由に出場選手登録を抹消されていた[33][34]。一軍復帰後は、コンパクトなスイングへの改造によって打撃が復調した[35]ことから、再び右翼のレギュラーを確保。7月10日の中日戦(ナゴヤドーム)では自身10年振りの犠打を成功させるなど、攻守にわたってチームプレーをたびたび披露している[36]。同月22日の巨人戦(甲子園)では、引き分け寸前の延長12回裏2死無走者で迎えた打席で、スコット・マシソンからライトポール直撃のサヨナラ本塁打を放った[37]。福留はこの本塁打で、NPBの一軍公式戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打の通算最多記録(3本)を樹立。巨人戦における延長12回以降のサヨナラ本塁打は、阪神球団史上初の快挙であった[35]。さらに、8月1日の対DeNA戦(甲子園)でも、同点で迎えた延長10回裏1死1・3塁から中前にサヨナラ安打。代打で登場した関本賢太郎が敬遠四球で出塁した直後の打席で、この日が開場90周年の節目に当たる甲子園球場に花を添えた[38]。クライマックスシリーズファーストステージ(対広島、甲子園)では、第1戦で前田健太からソロホームランを放って決勝点を挙げた[39]。
2015年:3月29日の中日戦(京セラドーム大阪)にて、NPB/MLB通算250本塁打を記録した[40]。5月27日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、延長11回裏、2死1塁から自身4本目となるサヨナラ本塁打(2ラン)を放ち[41]、さらに翌5月28日にも、延長11回、2死満塁というチャンスで、フルカウントから際どい投球を見送り、押し出し四球を選び、阪神タイガースの球団通算5000勝をサヨナラで飾り[42]、2日連続でサヨナラ劇を演じる。また6月27日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)で、2010年のカブス時代以来5年ぶり、日本球界では2007年の中日時代以来8年ぶりに、年間10号本塁打に達する[43]。9月25日の広島戦では2006年以来となるシーズン20本塁打を記録した[44]。最終的に打率.281は鳥谷敬と並んでチーム最高、20本塁打・76打点と、打撃三部門でいずれもチーム最高の数字を残した[45]。広島とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージでは、第3戦の7回にソロ本塁打を放ったが[46]、チームは1勝2敗で敗れた[47]。
2016年:6月20日のオリックス戦(甲子園)で、プロ野球史上121人目となるNPB通算1500安打を達成[48]。第1打席に右中間方向への2塁打を放ち王手とすると、続く第2打席にライト前安打を放ち大台に到達した[49]。 その2試合後となる6月25日の広島戦(マツダスタジアム)で、NPB/MLB通算2000本安打を達成した。第2打席にライトへの2塁打を放ち王手とすると、続く第3打席に2塁方向への内野安打を放ち達成した[50]。7月30日の中日戦(甲子園)で、中日に所属していた2003年6月8日の広島戦(ナゴヤドーム)で達成して以来、13年ぶり自身2度目となるサイクル安打を達成した。これはNPBでは通算69度目の達成となる[51]。サイクル安打を複数回達成した選手としては、藤村富美男、松永浩美、ロバート・ローズに次ぐ4人目となる。また、2016年は7月20日に大島洋平が達成しており、2004年以来となる2人以上のサイクル安打達成者が誕生した年となった[52]。なお、このサイクル安打は39歳3か月での達成であり、1983年4月30日に達成した山本浩二の36歳6か月を更新し、最年長記録を塗り替えた[53]。なお、一軍公式戦全体では、131試合の出場で打率.311、11本塁打を記録した。
2017年:球団史上最年長の40歳でチームキャプテンに就任。前年まで5シーズン務めてきた鳥谷の後任で、他球団からの移籍によって阪神へ入団した選手からの起用は球団史上初めてであった[54]。レギュラーシーズン中は、左投手の先発が予告された試合を中心に、首脳陣の方針で「積極的休養」(週に1~2試合ペースでの欠場)をはさみながら一軍公式戦93試合で4番打者に起用[55]。6月6日の対オリックス戦(京セラドーム)からは、守備位置を右翼から左翼へ変更した。福留が本格的に左翼を守るのは、中日時代の2003年以来14年振りであった[56]。レギュラーシーズン全体では、127試合の出場で、チーム2位の18本塁打、前年を上回る79打点、打率.263をマーク。シーズン2号本塁打を記録した4月21日の対巨人戦(東京ドーム)から本塁打を放った試合でチームを12連勝に導いたり[57]、8月に休養明けの5試合で全て本塁打を放ったり[58]するなど、前述した首脳陣の配慮にも応え続けた。レギュラーシーズン終盤の9月には、甲子園球場で3日に催された古巣の中日戦で、NPB一軍公式戦通算350二塁打を達成[59]。29日の対DeNA戦(横浜)では、全4打席の出塁でシーズン初の4打点を挙げたことによって、チームの大勝と2年振りCS進出確定に貢献した[60]。DeNAとのCSファーストステージ(甲子園)では、40歳5ヶ月で迎えた10月14日の第1戦で決勝本塁打を放ったことによって、NPBのポストシーズンにおける決勝本塁打の最年長記録を更新[61]。しかし、日本シリーズへの進出には至らず、12月11日には推定年俸2億2,000万円(前年から1,000万円減)という条件で契約を更改した[62]。
2018年:前年に続いてチームキャプテンを務めながら、左翼手としてレギュラーシーズンをスタート。「積極的休養」をはさみながら、クリーンアップの一角を担っている。開幕当初は、この年に入団したウィリン・ロサリオを4番打者に固定する方針の下で、ロサリオの前後の打順(3番か5番)を任されていた。ロサリオが打撃不振で4番を外れた5月下旬からは、4番にも随時起用。3番打者として臨んだ6月14日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、8回表の打席で公文克彦からシーズン5号本塁打を放った。福留は中日時代の2005年にセ・パ交流戦が始まって以降、NPB一軍公式戦のカードで対日本ハム戦にのみ本塁打を記録していなかったが、この本塁打によってNPB史上33人目(阪神の選手では3人目)の全球団本塁打を達成した[63]。7月3日に甲子園球場で催された古巣・中日との公式戦では、1回裏の第1打席で小笠原慎之介から右前打を放ったことによって、NPB実働15年目で史上57人目の一軍公式戦3000塁打を記録している[64]。
選手としての特徴
打撃
高校時代より節目ごとにフォーム改造に取り組んでおり、打球を広角に放つことができる[65]。中日時代に30本塁打以上を2度記録しているが、カブス移籍後は1、2番での起用が多くなり、出塁を優先するスタイルとなった[66]。中日時代に3度の最高出塁率を記録し、現役のメジャーリーガー中7位の通算四球率.134を記録した打席での辛抱強さと出塁能力の高さはメジャーでも高い評価を得た[66]。2009年には日本人選手MLBシーズン最多記録となる93個の四球を選んでいる。しかし、中日時代から左投手に対しての好不調の波が年によって激しく[67]、2009年には左投手に対し打率.164と不振に陥り、カブス時代はそれ以降左投手と対戦する場合の先発を外れることが多くなった他[66]、メジャー時代は例年4月は通算打率.345、OPS.979と好成績を残したが、5月以降は通算打率.244、OPS.718と結果を残せずにいた。
守備・走塁
守備では主に右翼手に就き、メジャーの右翼手としての平均を上回る強肩を備える[68]。右翼守備ではフライの読みに優れ[68]、カブス時代の2008年と2009年は外野の守備が難しい球場として知られているリグレー・フィールドを本拠地としながらも[69][70]2009年までは右翼手でのDRSとUZR共に高い数値を記録したが、2010年以降は振るわず、通算DRS2、通算UZR-2.2を記録した。中堅手としても起用されたが、中堅手では通算DRS-10、通算UZR-9.7と平均を大きく下回る数値を喫した。阪神への移籍後は、ゴールデングラブ賞を2度獲得したが、負担を軽減するため、2017年のセ・パ交流戦期間中から左翼手に転向している[71]。
走塁では盗塁の試行数は多くないものの、一塁到達まで4.05秒を記録する俊足を誇る[69]。
人物
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 愛称は「ドメさん」「ドメ」。
野球を始めた当初は右打ちで、右手の力が強すぎるため打球がことごとくレフト方向に切れファウルになっていた[72]。小学4年生時に両親らの勧めもあり左打ちに転向した[72]。
福留が鹿児島県大隅町に住んでいた小中学校時代には、中日が隣県の宮崎県にある串間市営球場で春季一軍キャンプを実施していた。大隅町と串間市が近いことから、1988年の春季キャンプを見学した際には、PL学園高校から入団したばかりの立浪からバットやサインをもらった。ちなみに、立浪の応援歌を流用した中日時代の応援歌は、1999年の入団から2006年の歌詞変更を経て翌2007年の退団まで使われれた。
愛媛県立今治西高校の左投手だった藤井秀悟とは、高校2年時の第1回AAAアジア野球選手権大会で日本代表へ一緒に選出されて以来からの親友。藤井も早稲田大学を経てNPBの4球団(ヤクルト・日本ハム・巨人・DeNA)で投手生活を送ったため、福留とは、NPBのオープン戦や一軍公式戦で何度も対戦している。
中日在籍当時は孝介あんかけや孝介カレーなどの食品をプロデュースするなどの活動を行っていた[73]。
マネジメントはよしもとクリエイティブ・エージェンシーが担当している[74]。
阪神移籍後の2013年4月23日に古巣・ナゴヤドームで開かれた中日戦では、5回裏にチームメートの久保田智之が同年初の一軍登板(救援)で8失点を喫すると、イニング終了後に阪神ベンチの上から久保田に向けて野次を飛ばした観客へグラウンド上から応戦するという一幕があった[75]。その一方で、左翼手として出場していた2017年9月12日の対巨人戦(甲子園)では、延長12回表に寺内崇幸が放った左翼フェンス直撃の打球(記録は二塁打)を処理中に、左翼スタンドの観客が福留に向かってプラスチック製の容器を投下。容器は、福留の頭上を通過した末に、左翼のフェアグラウンドへ落下した[76]。
阪神への入団当初は、チームメイトで同郷(鹿児島県出身)の大和(前田大和)、榎田大樹、金田和之を食事に誘って「鹿児島県人会」を開いていた[77]。ただし、金田は2017年にオリックス、大和は同年のシーズン後にDeNA、榎田は2018年のオープン戦期間中に西武へ移籍している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 中日 | 132 | 526 | 461 | 76 | 131 | 25 | 2 | 16 | 208 | 52 | 4 | 7 | 8 | 2 | 50 | 1 | 5 | 121 | 3 | .284 | .359 | .451 | .810 |
2000 | 97 | 368 | 316 | 50 | 80 | 18 | 2 | 13 | 141 | 42 | 8 | 5 | 2 | 2 | 45 | 3 | 4 | 79 | 5 | .253 | .350 | .446 | .796 | |
2001 | 120 | 442 | 375 | 51 | 94 | 22 | 2 | 15 | 165 | 56 | 8 | 4 | 4 | 3 | 56 | 4 | 4 | 90 | 4 | .251 | .352 | .440 | .792 | |
2002 | 140 | 608 | 542 | 85 | 186 | 42 | 3 | 19 | 291 | 65 | 4 | 2 | 0 | 5 | 56 | 2 | 5 | 96 | 4 | .343 | .406 | .537 | .943 | |
2003 | 140 | 617 | 528 | 107 | 165 | 30 | 11 | 34 | 319 | 96 | 10 | 5 | 1 | 6 | 78 | 1 | 4 | 118 | 5 | .313 | .401* | .604 | 1.005* | |
2004 | 92 | 404 | 350 | 61 | 97 | 19 | 7 | 23 | 199 | 81 | 8 | 3 | 1 | 2 | 48 | 0 | 3 | 93 | 3 | .277 | .367 | .569 | .936 | |
2005 | 142 | 612 | 515 | 102 | 169 | 39 | 6 | 28 | 304 | 103 | 13 | 5 | 0 | 3 | 93 | 3 | 1 | 128 | 8 | .328 | .430 | .590 | 1.020 | |
2006 | 130 | 578 | 496 | 117 | 174 | 47 | 5 | 31 | 324 | 104 | 11 | 2 | 0 | 3 | 76 | 4 | 3 | 94 | 4 | .351 | .438 | .653 | 1.091 | |
2007 | 81 | 348 | 269 | 64 | 79 | 22 | 0 | 13 | 140 | 48 | 5 | 2 | 0 | 4 | 69 | 3 | 6 | 66 | 5 | .294 | .443 | .520 | .963 | |
2008 | CHC | 150 | 590 | 501 | 79 | 129 | 25 | 3 | 10 | 190 | 58 | 12 | 4 | 2 | 5 | 81 | 9 | 1 | 104 | 7 | .257 | .359 | .379 | .738 |
2009 | 146 | 595 | 499 | 79 | 129 | 38 | 5 | 11 | 210 | 54 | 6 | 10 | 3 | 5 | 93 | 3 | 3 | 112 | 15 | .259 | .375 | .421 | .796 | |
2010 | 130 | 429 | 358 | 45 | 94 | 20 | 2 | 13 | 157 | 44 | 7 | 8 | 3 | 4 | 64 | 1 | 0 | 67 | 5 | .263 | .371 | .439 | .809 | |
2011 | 87 | 345 | 293 | 33 | 80 | 15 | 2 | 3 | 108 | 13 | 2 | 2 | 5 | 0 | 46 | 1 | 1 | 57 | 2 | .273 | .374 | .369 | .742 | |
CLE | 59 | 258 | 237 | 26 | 59 | 12 | 1 | 5 | 88 | 22 | 2 | 4 | 1 | 2 | 15 | 3 | 3 | 53 | 6 | .249 | .300 | .371 | .671 | |
'11計 | 146 | 603 | 530 | 59 | 139 | 27 | 3 | 8 | 196 | 35 | 4 | 6 | 6 | 2 | 61 | 4 | 4 | 110 | 8 | .262 | .342 | .370 | .712 | |
2012 | CWS | 24 | 51 | 41 | 2 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 4 | 0 | 1 | 0 | 2 | 8 | 0 | 0 | 9 | 0 | .171 | .294 | .195 | .489 |
2013 | 阪神 | 63 | 241 | 212 | 18 | 42 | 11 | 0 | 6 | 71 | 31 | 0 | 1 | 0 | 0 | 28 | 3 | 1 | 43 | 1 | .198 | .295 | .335 | .630 |
2014 | 104 | 367 | 312 | 20 | 79 | 8 | 0 | 9 | 114 | 34 | 1 | 1 | 3 | 4 | 47 | 0 | 1 | 48 | 11 | .253 | .349 | .365 | .714 | |
2015 | 140 | 569 | 495 | 53 | 139 | 24 | 3 | 20 | 229 | 76 | 1 | 2 | 1 | 7 | 65 | 1 | 1 | 75 | 15 | .281 | .361 | .463 | .824 | |
2016 | 131 | 523 | 453 | 52 | 141 | 25 | 3 | 11 | 205 | 59 | 0 | 1 | 0 | 6 | 61 | 5 | 3 | 78 | 6 | .311 | .392 | .453 | .845 | |
2017 | 127 | 526 | 441 | 68 | 116 | 20 | 3 | 18 | 196 | 79 | 1 | 2 | 1 | 4 | 77 | 1 | 3 | 92 | 17 | .263 | .373 | .444 | .818 | |
NPB:14年 | 1639 | 6729 | 5765 | 924 | 1692 | 352 | 47 | 256 | 2906 | 926 | 74 | 42 | 21 | 51 | 849 | 43 | 43 | 1221 | 91 | .293 | .385 | .504 | .889 | |
MLB:5年 | 596 | 2276 | 1929 | 264 | 498 | 111 | 13 | 42 | 761 | 195 | 29 | 29 | 14 | 18 | 307 | 17 | 8 | 402 | 35 | .258 | .359 | .395 | .754 |
- 2003年は規定打席到達者の中でリーグ1位。同年は、ロベルト・ペタジーニが規定打席に20打席不足していたが、20打席分を凡打と仮定しても、出塁率.436、OPS1.079でいずれも福留を上回る。なお、この場合、現在の公認野球規則10.22(a)では最高出塁率はペタジーニとなるが、当時は出塁率は対象外だった。
- 2017年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
WBCでの打撃成績
年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 日本 | 8 | 25 | 22 | 4 | 4 | 0 | 0 | 2 | 10 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | .182 | .240 | .455 |
2009 | 7 | 27 | 20 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 7 | 0 | .200 | .200 | .407 |
五輪での打撃成績
年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | 日本 | 9 | 34 | 32 | 8 | 9 | 0 | 0 | 2 | 15 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 7 | 0 | .281 | .324 | .469 |
2004 | 9 | 44 | 38 | 11 | 12 | 2 | 0 | 3 | 23 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | .316 | .605 | 1.026 |
年度別守備成績
- MLB
年 度 |
左翼手(LF) | 中堅手(CF) | 右翼手(RF) | 外野手(OF) | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
2008 | - | 12 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 137 | 245 | 6 | 5 | 0 | .980 | 143 | 255 | 6 | 5 | 0 | .981 | |||||
2009 | - | 113 | 226 | 4 | 2 | 1 | .991 | 44 | 79 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 140 | 305 | 5 | 2 | 2 | .994 | |||||
2010 | - | - | 110 | 190 | 4 | 1 | 1 | .995 | 110 | 190 | 4 | 1 | 1 | .995 | ||||||||||
2011 | - | 13 | 29 | 1 | 1 | 0 | .968 | 131 | 265 | 6 | 3 | 2 | .989 | 141 | 294 | 7 | 4 | 2 | .987 | |||||
2012 | 10 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 15 | 22 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 10 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 139 | 267 | 5 | 3 | 1 | .989 | 426 | 782 | 17 | 9 | 4 | .989 | 549 | 1066 | 22 | 12 | 5 | .989 |
- 2012年度シーズン終了時
- NPB(内野守備)
年 度 |
球 団 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1999 | 中日 | - | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | .500 | 44 | 15 | 35 | 4 | 2 | .926 | 109 | 138 | 254 | 13 | 49 | .968 | |||||
2000 | - | - | 30 | 10 | 36 | 4 | 4 | .920 | 77 | 111 | 186 | 10 | 33 | .967 | |||||||||||
2001 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | - | 51 | 30 | 79 | 3 | 8 | .973 | 11 | 14 | 26 | 1 | 6 | .976 | ||||||
通算 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | .500 | 125 | 55 | 150 | 11 | 14 | .949 | 197 | 263 | 466 | 24 | 88 | .968 |
- NPB(外野守備)
年 度 |
球 団 |
外野手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1999 | 中日 | 12 | 9 | 0 | 1 | 0 | .900 |
2001 | 61 | 90 | 1 | 2 | 0 | .978 | |
2002 | 139 | 241 | 14 | 4 | 3 | .985 | |
2003 | 136 | 244 | 14 | 4 | 2 | .985 | |
2004 | 92 | 147 | 10 | 1 | 1 | .994 | |
2005 | 141 | 256 | 12 | 0 | 2 | 1.000 | |
2006 | 129 | 251 | 7 | 1 | 1 | .996 | |
2007 | 79 | 171 | 6 | 3 | 1 | .983 | |
2013 | 阪神 | 58 | 105 | 6 | 1 | 2 | .991 |
2014 | 99 | 180 | 4 | 0 | 2 | 1.000 | |
2015 | 133 | 226 | 5 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 122 | 177 | 5 | 1 | 1 | .995 | |
2017 | 118 | 184 | 1 | 4 | 0 | .971 | |
通算 | 1329 | 2110 | 85 | 22 | 15 | .990 |
- 2017年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- NPB
表彰
- NPB
- MVP:1回 (2006年)
- ベストナイン:4回 (外野手部門:2002年、2003年、2006年、2015年)
- ゴールデングラブ賞:5回 (外野手部門:2002年、2003年、2005年、2006年、2015年)
- 月間MVP:1回 (野手部門:2002年9月)
- 最優秀JCB・MEP賞:1回 (2006年)
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (2005年)
- JA全農Go・Go賞:5回 (強肩賞:2002年9月、2003年9月、2004年9月、2005年9月 最多二・三塁打賞:2005年8月)
- スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞 年間大賞:1回 (2014年)
- スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞 :3回 (2013年4月、2014年7月、2015年5月)
- 出身地別東西対抗戦最優秀選手:1回 (1999年)
- 出身地別東西対抗戦優秀選手:1回 (2001年)
- ヤナセ・中日ドラゴンズMIP賞:1回 (2003年)[78]
- ヤナセ・阪神タイガースMVP賞:1回 (2015年)[78]
- サンスポMVP大賞:1回 (2017年)[79]
記録
- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:1999年4月2日、対広島東洋カープ1回戦(ナゴヤドーム)、2番・遊撃手で先発出場
- 初打席:同上、1回裏にネイサン・ミンチーから中飛
- 初打点:1999年4月4日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に広池浩司から中犠飛
- 初安打・初二塁打:同上、7回裏に紀藤真琴から右中間二塁打
- 初本塁打:1999年4月16日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、3回表にバルビーノ・ガルベスから右中間ソロ
- 初盗塁:1999年6月23日、対読売ジャイアンツ13回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に二盗(投手:三澤興一、捕手:村田真一)
- NPB節目の記録
- 100本塁打:2004年4月14日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、8回表に上原浩治から右越2ラン ※史上230人目
- 150本塁打:2006年4月9日、対読売ジャイアンツ3回戦(ナゴヤドーム)、6回裏にゲーリー・グローバーから右越ソロ ※史上140人目
- 1000本安打:2006年6月14日、対西武ライオンズ5回戦(インボイスSEIBUドーム)、3回表にクリストファー・ギッセルから左中間二塁打 ※史上241人目
- 1000試合出場:2007年4月6日、対横浜ベイスターズ1回戦(ナゴヤドーム)、3番・右翼手で先発出場 ※史上415人目
- 200本塁打:2014年4月29日、対広島東洋カープ4回戦(阪神甲子園球場)、8回裏にブライアン・バリントンから中越ソロ ※史上99人目
- 300二塁打:2015年8月16日、対東京ヤクルトスワローズ19回戦(明治神宮野球場)、8回表にオーランド・ロマンから左中間適時二塁打 ※史上63人目
- 1500本安打:2016年6月20日、対オリックス・バファローズ3回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に西勇輝から右前安打 ※史上121人目
- 1500試合出場:2016年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、4番・右翼手で先発出場 ※史上185人目
- 250本塁打:2017年8月12日、対横浜DeNAベイスターズ16回戦(横浜スタジアム)、10回表に砂田毅樹から左越ソロ ※史上61人目
- 3000塁打:2018年7月03日、対中日ドラゴンズ12回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に小笠原慎之介から右前安打 ※史上57人目
- NPBその他の記録
- サイクルヒット:2回 ※史上55人目(複数回は史上4人目)
- 1回目:2003年6月8日、対広島東洋カープ14回戦(ナゴヤドーム) ※史上59度目
- 2回目:2016年7月30日、対中日ドラゴンズ17回戦(阪神甲子園球場) ※史上69度目 、最年長記録(39歳3カ月)
- 5試合連続本塁打:2003年9月9日 - 9月13日
- シーズン186安打:2002年 ※中日球団記録
- 全球団から本塁打:2018年6月14日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)、8回表に公文克彦から右越2ラン ※史上33人目
- オールスターゲーム出場:4回 (1999年、2002年 - 2004年) ※2006年も選出されるも出場辞退[80]
- MLB
- MLBオールスターゲーム選出:1回 (2008年)
- NPB/MLB通算節目の記録
- 250本塁打:2015年3月29日、対中日ドラゴンズ3回戦(京セラドーム大阪)、4回裏に八木智哉から右越2ラン
- 2000本安打:2016年6月25日、対広島東洋カープ11回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回表に岡田明丈から二塁内野安打 ※日本人選手史上6人目
- 300本塁打:2018年4月13日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(阪神甲子園球場)、9回裏にデービッド・ブキャナンから右越2ラン
背番号
登場曲
- 「Don't Stop」Gorgeous(2002年)
- 「Not Gonna Get Us」t.A.T.u.(2003年)
- 「The Push」Paul Jackson & Steve Smith(2004年)
- 「I Want It All」Queen(2005年)
- 「Blue Orchid」The White Stripes(2006年)
- 「Around The World」Red Hot Chili Peppers(2007年)
- 「タマシイレボリューション」Superfly (2013年 - 2015年)
- 「It's Time」 Imagine Dragons (2014年、2016年 - )
代表歴
関連情報
出演
- CM
- メナード青山リゾート(名古屋地区のラジオCM)
- アーレックス(名古屋地区のラジオCM、中日の先輩の山本昌投手とともに、2007年からしばらくの間出演していた。なおCMではかつて出演していたアレックス・オチョアのモノマネを聴くことができる。バックの音楽は私設応援団による自らの応援歌)
- 名古屋市交通局(地下鉄名城線のナゴヤドーム最寄りの大曽根駅~砂田橋駅間開通時のテレビCM、岩瀬仁紀投手とともに出演)
- 漫画
- 参考文献
脚注
- ↑ 1.0 1.1 あのスターを生んだ夏の甲子園(15)「申し子」福留孝介の阪神移籍は必然だった!?Asagei+、2016年8月20日
- ↑ 後年『ベースボールマガジン』のインタビューで語ったところによれば、親族や関係者から「(福留は)セントラル・リーグ(の球団)に向いている」とのアドバイスを受けた影響で、(近鉄を含む)パシフィック・リーグの球団から指名された場合には社会人野球へ進むことを決めていたという。
- ↑ 福留悩ます“F問題”英語で発音するとアノ禁止用語に でもインパクトは十分!!夕刊フジ、2008年2月13日
- ↑ “Fukudome debut spoiled by Cubs' loss to Brewers Fukudome starts fast, but Wood, Howry fail”. Chicago Tribune. . 2008年4月19日閲覧.
- ↑ “福留選手応援の「偶然だぞ」サインボードの製作者判明”. 不破雷蔵 (2013年9月7日). . 2014年12月18日閲覧.
- ↑ “Fukudome soon to be household name Cubs fans are already treating new right fielder like rock star”. The Official Site of The Chicago Cubs. . 2008年4月19日閲覧.
- ↑ 福留がカブスを変えた?『月刊スラッガー』2008年8月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-8、32-35頁。
- ↑ “Fukudome’s Hitting Is Downside on the North Side”. ニューヨーク・タイムズ. (2008年9月17日)
- ↑ Fukudome likely to sit for rest of NLDS. Piniella says he'll look elsewhere to replace slumping outfielder
- ↑ http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/fukudome/mlb200810/KFullNormal20081005008.html
- ↑ 決勝T舞台は日本人快挙連発 イチに新庄、福留も スポーツニッポン(2013年3月13日)
- ↑ 福留がシカゴにマンション購入と米誌日刊スポーツ、2010年11月13日。
- ↑ 福留独占インタビュー!! 今年結果残して40歳までメジャー中日スポーツ、2011年2月11日。
- ↑ 福留 来季も日本球界よりメジャーゲンダイネット、2011年5月14日。
- ↑ Tribe acquires Fukudome in deal with CubsMLB.com、2011年7月28日。
- ↑ 福留のインディアンス移籍をカブス発表日刊スポーツ、2011年7月29日。
- ↑ Five questions with ... Indians outfielder Kosuke Fukudome Cleveland Plain Dealer、2011年8月27日
- ↑ “福留がWソックスと契約 1年7500万円”. 日刊スポーツ (2012年2月15日). . 2012閲覧.
- ↑ 福留孝介選手入団会見|球団ニュース|ニュース|阪神タイガース公式サイト
- ↑ “【阪神】福留2発!サヨナラ満弾”. 日刊スポーツ (2013年4月19日). . 2013閲覧.
- ↑ “【阪神】福留、左膝痛で登録抹消”. 日刊スポーツ (2013年5月8日). . 2013閲覧.
- ↑ “福留今季絶望か、左膝手術で虎に暗雲”. 日刊スポーツ (2013年5月10日). . 2013閲覧.
- ↑ “2006年以来!虎・福留、中堅で初先発”. サンケイスポーツ (2013年8月26日). . 2013閲覧.
- ↑ “福留再離脱か 7年ぶりG弾も途中交代”. 日刊スポーツ (2013年8月28日). . 2013閲覧.
- ↑ “【阪神】福留、けが完治優先で登録抹消”. 日刊スポーツ (2013年9月1日). . 2013閲覧.
- ↑ “大一番でまた故障…阪神・福留、右ふくらはぎ痛で途中交代”. サンケイスポーツ (2013年10月14日). . 2013閲覧.
- ↑ 福留 自信の3大公約 人気球団重圧の中、あえて高いノルマ スポニチ Sponichi Annex 2013年1月19日
- ↑ 阪神・西岡 打球追い福留と激突 グラウンドに救急車、病院直行 スポーツニッポン2014年3月30日配信
- ↑ 阪神西岡は鼻骨折、胸部打撲、左肩脱臼 デイリースポーツ 2014年3月30日
- ↑ 阪神福留も途中交代…西岡と守備交錯 nikkansports.com 2014年3月30日
- ↑ 西岡は鼻骨骨折と胸部打撲 福留は胸部打撲 スポーツニッポン 2013年3月30日
- ↑ 福留もがきながらの日本200号首位に1差 日刊スポーツ 2014年4月30日
- ↑ 福留2軍 不調理由では初 日刊スポーツ 2014年6月11日
- ↑ 阪神が西岡、福留を1軍登録日刊スポーツ 2014年6月27日
- ↑ 35.0 35.1 福留延長サヨナラ弾!巨人に連勝1・5差日刊スポーツ 2014年7月17日
- ↑ 阪神福留いい仕事 10年ぶり犠打に好守日刊スポーツ 2014年7月17日
- ↑ Gマシソン、最悪の幕切れ 顔真っ赤にし「F●●K!!」 zakzak 2014年7月24日、同10月21日閲覧。
- ↑ 阪神福留サヨナラ打!甲子園90周年祝う日刊スポーツ、2014年8月1日
- ↑ 阪神福留、マエケンからバックスクリーン弾 日刊スポーツ 2014年10月11日、同21日閲覧。
- ↑ 阪神福留今季1号、日米通算250号でひっくり返す 日刊スポーツ 2015年3月29日、同30日閲覧。
- ↑ 【一問一答】阪神・福留サヨナラ2ラン「甲子園の風に助けられました」 Yahoo!ニュース 2015年5月27日閲覧。
- ↑ 阪神が通算5000勝 福留、サヨナラ押し出し四球に「恥ずかしい」!? Yahoo!ニュース 2015年5月28日閲覧。
- ↑ 6月27日(土)阪神 vs. DeNA 9回戦 試合結果 SportsNaviより。
- ↑ 阪神福留06年以来の20号先制2ラン「いい感触」 日刊スポーツ 2015年10月26日閲覧。
- ↑ 阪神タイガース公式サイト - 2015年12月5日閲覧。
- ↑ 一軍試合速報阪神タイガース公式サイト 2015年10月26日閲覧。
- ↑ 2015 クライマックスシリーズ セ ファイナルステージ阪神タイガース公式サイト 2015年10月26日閲覧。
- ↑ 阪神・福留孝介が日本通算1500安打、本拠地の大歓声に感謝 livedoor NEWSより 2016年7月31日閲覧
- ↑ 阪神・福留孝介が日本通算1500安打、本拠地の大歓声に感謝 full-countより 2016年7月31日閲覧
- ↑ 阪神・福留 日米通算2000安打達成、二塁内野安打で決めた スポニチアネックスより 2016年7月31日閲覧
- ↑ 阪神・福留、13年ぶり2度目のサイクル安打達成も「たまたまです」 スポニチアネックスより 2016年7月31日閲覧
- ↑ 阪神・福留がサイクル安打 2度目 毎日新聞より 2016年7月31日閲覧
- ↑ 39歳・福留、36歳・山本浩二超える最年長サイクル安打に「最高の気分」 スポニチアネックスより 2016年7月31日閲覧
- ↑ 福留キャプテン就任 球団歴代最年長&虎移籍組では初 スポニチアネックスより 2017年12月12日閲覧。
- ↑ 阪神・福留、2位確定まで無休スタメン!金本監督期待「フル回転で」サンケイスポーツより 2017年12月12日閲覧。
- ↑ 阪神外野シャッフル「センスで」福留14年ぶり左翼サンケイスポーツより 2017年12月12日閲覧。
- ↑ 阪神福留弾の“不敗神話”がストップ、3ラン空砲に日刊スポーツより 2017年12月12日閲覧。
- ↑ 福留 休養明け5戦連続弾 金本監督「スカッとした」スポーツニッポンより 2017年12月12日閲覧。
- ↑ 阪神福留がプロ野球通算350二塁打達成で虎党沸く日刊スポーツより 2017年12月12日閲覧。
- ↑ 阪神CS進出!福留4打点、甲子園開催へ「2位を」日刊スポーツより 2017年12月12日閲覧。
- ↑ 阪神福留40歳、ポストシーズン史上最年長Vアーチ日刊スポーツより 2017年12月12日閲覧。
- ↑ 阪神福留は1000万減「優勝。それしかない」日刊スポーツより 2017年12月13日閲覧。
- ↑ 福留が史上33人目全球団本塁打、阪神では3人目日刊スポーツより 2018年6月16日閲覧。
- ↑ 阪神福留3000塁打達成、NPB15年目で大台日刊スポーツより 2018年7月5日閲覧。
- ↑ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2007』 アスペクトムック、2007年、246-247頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。
- ↑ 66.0 66.1 66.2 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』 廣済堂出版、2010年、346頁。ISBN 978-4-331-51439-9。
- ↑ 『週刊プロ野球データファイル』2011年9号、ベースボール・マガジン社、雑誌27742-6/15、16頁。
- ↑ 68.0 68.1 John Dewan , Ben Jedlovec (2012). The Fielding Bible, Volume III. ACTA Sports. ISBN 978-0879464769.
- ↑ 69.0 69.1 現役スカウト部長による“本物”のスカウティングレポート 『月刊スラッガー』2008年7月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-7、52-55頁。
- ↑ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』 廣済堂出版、2008年、438頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
- ↑ 阪神外野陣、総シャッフルのワケ…球団OB「福留の守備力の衰えが起点に」 ZAKZAKより 2017年12月13日閲覧。
- ↑ 72.0 72.1 “阪神福留日米通算250号逆転V弾「頼む届いてくれ」”. 日刊スポーツ. . 2015-3-30閲覧.
- ↑ 名古屋ドラゴンズ食堂
- ↑ “[[[:テンプレート:吉本プロフィール]] スポーツ選手プロフィール]”. 吉本興業. . 2012閲覧.
- ↑ “虎ファンが8失点の久保田へ痛烈ヤジ”. 日刊スポーツ (2013年4月24日). . 2013閲覧.
- ↑ 巨人戦で左翼スタンドから物が投げ込まれる 福留の頭上を通過デイリースポーツより 2017年12月13日閲覧。
- ↑ マエケン粉砕や!虎・福留、宝刀撃ち弾!!「決め球つかまえた」 SANSPO.COM 2014年8月9日
- ↑ 78.0 78.1 “2015ヤナセ・プロ野球MVP賞 表彰結果のご案内 (PDF)”. ヤナセ (2015年12月25日). . 2018閲覧.
- ↑ “阪神・福留、MVPに誓う来季優勝!そのためにも「嫌われ役」になる”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2017年11月23日) . 2018閲覧.
- ↑ 『ベースボール・レコード・ブック2007』ベースボール・マガジン社、2006年12月発売、958頁。
関連項目
- 鹿児島県出身の人物一覧
- オリンピック野球競技メダリスト一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 F
- 日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 日本人のマイナーリーグ選手一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
外部リンク
業績 |
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ドラフト指名 |
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- 存命人物