野球日本代表
野球日本代表(やきゅうにっぽんだいひょう、やきゅうにほんだいひょう)は、国際野球連盟(IBAF)主催大会や、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)出場時に編成される、日本の野球代表チーム。日本では主に「侍ジャパン」と呼ばれる。
Contents
チーム名称
本チームの名称は「野球日本代表」だが、2000年のシドニー五輪までは「全日本」と名乗っていた。それ以降はオフィシャルサイト等の公式な発表では、過去に遡って全て「野球日本代表」との表記で統一されている。名称の変更理由、変更事実は説明されていない。近年の「野球日本代表」と過去の「全日本」は同一のものである。
2009年のワールド・ベースボール・クラシックでの日本代表の愛称は「SAMURAI JAPAN(サムライ・ジャパン)」であった。しかし2008年3月にホッケー日本代表が発表し商標登録していた愛称の「さむらいJAPAN」に酷似しており、日本ホッケー協会広報委員長の永井東一は「WBC日本代表より前に“さむらい”を名乗っていた。元祖は私たちなのでパクったのではない」「露出の差を考えれば、こちらがマネしたと思われる」と主張し、日本野球機構(NPB)など関係団体に抗議文を提出した。これに対し、NPB側は「商標類似」など、ルール上の問題はないとし「SAMURAI JAPAN(サムライ・ジャパン)」の取り下げをしなかったことで、日本ホッケー協会理事からは「オレたちの方が早かったのだから金を取れ」という意見も出た[1][2]。これについて、当時のNPBコミッショナーの加藤良三は「双方の代表が親しまれ、さらに活躍できるように協力、応援をお願いしたい」と配慮するコメントを残したが、WBCで日本代表の活躍を見た永井は「“侍ジャパン”の名前がこうして表に出ていることに関しては、複雑な思いもありますね」とも語った[3]。「サムライジャパン」は電通が商標登録している。
2012年の代表常設化後はチームの呼称として「侍ジャパン」が正式に使われることとなった。
なお、日本野球機構が主体となった「侍ジャパン」はワールド・ベースボール・クラシック期間中のみ日本代表と呼称される。
「侍ジャパン」という愛称は、トップチームを含む全世代の事を指しているので、社会人代表や大学代表が出場する場合も「侍ジャパン」と称している。”トップチーム=侍ジャパン”ではない。
歴史
日本の野球界はプロ野球や学生野球(社会人野球・大学野球等)がそれぞれ複雑に絡み合って発展してきた。また、それぞれの団体が独立して運営されてきており、柳川事件でのプロとアマの対立に代表されるように、時に団体毎での対立が問題となってきた歴史がある。
国際試合においては、国際野球連盟(IBAF)が主に統括しているが、かつては金属バットの使用を認めており、またプロそのものの参加が認められていなかったため、野球日本代表はアマチュア選手(学生野球・社会人野球)のナショナルチームであり、代表選手選出においてもアマチュア協会側が主導で決定してきた[注釈 1]。ところが国際オリンピック委員会(IOC)によるオリンピックへのプロ派遣要望等を受けて、1998年、国際大会へのプロ参加容認等が転機となり、野球日本代表の在り方を巡っては、それぞれの団体の思惑等も絡み、大会毎に対応が異なってきた歴史がある。
2013年現在においても各協会の代表事業の統括組織として、「野球日本代表マーケティング委員会(JMBC)」があるものの、サッカーにおける日本サッカー協会のような日本野球界全体を統括する組織ではない。国際野球連盟(IBAF)主催行事であるIBAFワールドカップやIBAFインターコンチネンタルカップについては全日本野球協会が、MLB機構主催であるワールド・ベースボール・クラシックの選手派遣については日本野球機構(NPB)が主導的に対応している等、対応が異なっているのが現状である。
創成期
1954年、アジア野球選手権開催にあたり、アマチュア球界で代表チーム編成のため、 日本学生野球協会と日本社会人野球協会(現日本野球連盟=JABA)が共同で「日本アマチュア野球協会」を結成する。ここから代表チームが編成される。これが野球日本代表の最初と言える[注釈 2]。「日本アマチュア野球協会」からアジア野球選手権に6回代表チームを送りこむ(社会人3回、学生2回、混合1回)。しかし「日本アマチュア野球協会」を、日本バレーボール協会や日本サッカー協会のようなアマチュア野球の統括組織にしようとする動きに日本学生野球協会が反発。1966年学生協会が脱退。アマチュア協会は空中分解し解散した。
学生側と社会人側の対立で日本アマチュア野球協会は解散したが、国際試合に代表を送りこむための組織は必要だった。そのためよりゆるやかなアマチュア球界組織として、両協会の付属機関として1967年、「日本アマチュア野球国際委員会」を設立する。この委員会のもと、1972年世界選手権初出場、1973年インターコンチネンタルカップに出場し優勝、1980年世界選手権日本開催、1987年アジア野球選手権日本開催、公開競技として1984年のロサンゼルスオリンピック、1988年のソウルオリンピックの両五輪に代表チームを送りこみ、それぞれ金メダル・銀メダルを獲得した。
オリンピック正式競技へ
1992年のバルセロナオリンピックから正式競技となることに伴い、野球代表組織が改めて問題となった。「日本アマチュア野球国際委員会」は存在したものの、野球の代表組織として日本体育協会(体協)、国際野球連盟に加盟していたのは日本社会人野球協会であったため[注釈 3]。バルセロナオリンピックから野球が正式競技になることにより、国際野球連盟にアマチュア球界で統合して加盟する必要が出てきた。このため「日本アマチュア野球国際委員会」を発展的解消し、日本学生野球協会と日本野球連盟(旧日本社会人野球協会)の上部組織でない「屋上屋」の組織として1990年「全日本アマチュア野球連盟」(BFJ)を結成し、この組織が国際野球連盟、アジア野球連盟、日本オリンピック委員会(JOC)に加盟する。以後、野球日本代表チームはこのBFJが編成することになる[注釈 4][注釈 5]。
厳密に日本代表ではないが、阪神・淡路大震災のあった1995年に、日本人選抜が外国人選手と対戦する『阪神大震災復興支援チャリティードリームゲーム』が開催されている。
プロ選手参加へ
国際野球連盟は、1998年から国際大会へのプロの参加を認めた。1998年のバンコクアジア競技大会野球競技[注釈 6]にはオールアマで挑み準優勝した。
BFJはプロが参加しない限り2000年のシドニーオリンピックは出場できないという考えで固まり、1999年のシドニー五輪予選にはBFJがプロ野球側に要請する形でプロ野球選手の初の国際大会出場が実現する(この時プロ側にも五輪参加の方針でセントラル・リーグ、パシフィック・リーグ、各球団で温度差があった)。古田敦也(当時ヤクルト)・松坂大輔(当時西武)等を含むプロアマ混成チームはアジア予選を突破するも、オールプロの韓国に再び敗れた。2000年シドニー五輪本選も、プロアマ混成チームで望み、その結果メダルをかけた3位決定戦でまたしてもオールプロの韓国に敗れ、日本はロサンゼルス五輪以来初めてメダルを逃がすこととなった。
もはや中途半端な編成で挑む限りメダル獲得不能と判断した日本は、2004年アテネオリンピックはオールプロで臨むことを決定。代表の編成権もBFJから全日本野球会議に移行することになり、2001年に台湾でのIBAFワールドカップから、全日本野球会議が日本代表チームを送り出すこととなった。しかし、プロの力を以てしても世界の舞台で勝つのは容易ではなく、台湾ワールドカップに続き2002年インターコンチネンタルカップでも成績は振るわず、アマ出身として監督を務めた後藤寿彦が更迭されるなど日本代表は長く不振が続いた。
2003年アテネ五輪アジア予選は、メジャーリーガーを除くオールプロの日本代表チームが結成されることになったが、プロ野球のシーズン終了直後であったことから、国内トップクラスの選手を揃えることに成功した。監督もアマ出身者から選ぶ方針を転換し、プロ監督経験者であり国民的人気も高く、日本シリーズ優勝経験もある長嶋茂雄が監督を務め、優勝で予選を通過した。翌2004年のアテネ五輪本選は、プロ野球がシーズン中であるため12球団から2名ずつが選抜されることとなった。だが、長嶋監督が急病で倒れ、選出当時プロの監督経験がなかった中畑清代表コーチが指揮を代行するなど、予選と違い万全の体制には程遠かった。予選リーグこそオリンピックで初めて1位通過を果たしたものの、準決勝ではオーストラリアの前に敗退した。しかし3位決定戦ではカナダを圧倒し、銅メダルを獲得し辛うじてオールプロの面目を保った。アテネ五輪はオールスター級のプロ選手を揃えてもなお、世界の壁は容易に破れないことを改めて実感させる結果となった。
最後のオリンピックとなった北京オリンピックでは、選出当時は日本一の経験こそないが中日・阪神でセントラル・リーグ優勝経験を持つ、プロ出身の星野仙一が監督に就任し2007年のシーズンオフに行われたアジア予選を突破した。しかし、アジア予選主力メンバーを引き続き招集して挑んだ北京五輪本戦は12球団選抜との壮行試合で大敗するなど、当初から士気や選手のコンディションの低さが指摘されていた中、3位決定戦でもアメリカに敗れ、シドニー五輪以来のメダルゼロに終わった。
過去の五輪代表チームのような編成上の問題以上に不調や故障中の選手、かつて星野が監督を務めた阪神・中日の選手を重用し、結果としていずれも使い潰してしまうなど、偏った起用法による弊害が見られたことが大きな特徴であった。北京五輪を経験したプロ選手には日本代表に対する不信感を生じさせる結果となるなど、大会後も悪影響を及ぼしている(詳細は北京オリンピック野球日本代表の項を参照)。
現状でもWBCこそプロ一線級が出場するが、IBAF主催大会はプロ二軍か社会人・学生主体メンバーで臨んでいる。
ワールド・ベースボール・クラシック
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、アメリカ・メジャーリーグベースボール(MLB)機構およびメジャーリーグ選手会が主催し、日本側は、「野球日本代表マーケティング委員会(JBMC)」のトップチームを派遣する。
2005年5月、アメリカ・メジャーリーグベースボール機構(MLB機構)が野球の国際大会ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催を発表する。国際野球連盟(IBAF)のプロ解禁後も、MLB機構は国際大会への参加を認めておらず、オリンピック・ワールドカップに代わる真の意味での世界一を決する大会にしようとの考えであった。IBAFのアンチドーピング規定をMLBが飲むという条件で、WBCはIBAF主催ではないが公認の世界大会と位置付けられた。そして16の国・地域招待という形で2006年3月に開催されることとなった。
日本は当初、MLBの独善的な運営、3月という開催時期への疑問から参加に難色を示したが最終的には参加を決定。当時福岡ソフトバンクホークス監督の王貞治が監督に就任し、代表チームにはMLBからも2名(イチロー、大塚晶則)が参加し、初めてMLB選手も含めた日本代表が結成された(詳細は2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表を参照)。2006年3月に開催された第1回大会は決勝でキューバを破り初代優勝国となった。
2009年3月に開催された第2回大会では読売ジャイアンツの監督を務める原辰徳が監督に就任した。前回大会と同じくMLB所属選手を含めた日本代表が結成し、決勝でも韓国を破り優勝した。連覇を達成した一方で、代表監督がNPBの球団監督との兼任であったため負担が大きいこと、第1回大会と同様に代表候補選手の辞退者が相次ぐなど、従来より抱えていた編成上の課題を解決することはできず、今後のWBC日本選抜の在り方に一石を投じる大会ともなった。
ナショナルチーム常設化とプロアマ連携強化
第2回WBCでの監督選考の難航から、早い段階での監督選考・決定を行うべきとの意見が相次ぎ、2010年7月にも監督決定を行うとの構想が報じられた[4]。だが、2011年5月の段階で「人選は依然として難題のままだ」との江尻良文による指摘[5]、2012年5月の段階での「決め方や決定権がどこにあるのかが不明確な状況である」との論評[6]が示すとおり、その後の動きは鈍かった。
NPBでは2013年の第3回WBCに向けた日本代表の強化と収入増による財政の安定化を目的として、2010年には代表の常設化やNPBによる国際大会の開催計画があることを発表、U―26日本代表の併設などを検討した[4][7]。2011年10月7日に開催したオーナー会議で、日本代表チームを常設化し、「侍ジャパン」と呼称することを決定した[8]。独自の国際試合は翌2012年3月10日に東日本大震災復興支援ベースボールマッチとして初めて実施された。試合を観戦した国際野球連盟会長のリカルド・フラッカリは「(五輪復帰に向け)国際的に有効なメッセージになる」と、代表の常設化について歓迎するコメントを述べた[9]。NPB4球団で構成され、野球日本代表の事業・ビジネスについて話し合う、侍ジャパンプロジェクト委員会が常設化と同時期に発足し、2012年秋と2013年春に2試合ずつ相手未定ながらも国際試合を行うことを発表[10][6]。侍ジャパンプロジェクト委員会は「(事業展開は)粛々と進めたい」「侍ジャパンという大きなプロジェクトの価値を高めていく」と話し、侍ジャパンが事業であることを仄めかしている[10][11]。
代表常設化の一方で第3回WBCについては、日本代表のスポンサー権とグッズ販売権をめぐる不参加問題があり、NPBが参加を表明する一方でNPB選手会が大会不参加を決定する事態が2012年9月まで続いた[12][13][11][14]。なお、日本代表独自のスポンサー権については日本に帰属することが大会主催者側から認められている[12][15][16]。2012年9月3日、NPB12球団は侍ジャパンを利用したビジネス展開を目指す事業部局をNPB内に設置することを決定。4年単位でスポンサーを募り、グッズ販売、春秋の2度国際試合を開催し、そのテレビ放映権などで、WBCへの参加条件の見直しは無いが4年総額40億円を超える収益が見込まれていることをNPB選手会側へ伝えた[16]。選手会は翌4日に「NPBがしっかりとビジネスを構築することを確約してくれた」としてWBCへの参加を表明した[17]。
2012年10月10日、監督として有力と見られた秋山幸二(ソフトバンク監督)の固辞により、山本浩二が就任することが正式に決まった。親善試合である11月の侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」では12球団の監督によるアンケートに基づき代表選手の選考が行われる[18]。2012年11月9日、前回WBCでスポンサーとなっていた、日本マクドナルドとアサヒビールが選手会問題により予算確保ができなかったとしてスポンサーを見送ることとなった[19](アサヒビールについては後日1年契約でのスポンサー契約を締結している[20])。
2013年の第3回WBCでは準決勝でプエルトリコ代表に敗退し、大会3連覇を逃す。
「侍ジャパン」新体制発足後
これまで、多くの国際大会に派遣されるアマ主導の代表と、WBCに派遣されるプロ主導の代表が混在する形となっており、それぞれ異なるデザインのユニフォームを着用していたが、2013年5月16日、日本野球機構(NPB)と全日本野球協会(BFJ)は記者会見を開き、「野球日本代表マーケティング委員会(JMBC)」の設立を発表した。ユニフォームはプロ主導の代表で着用されてきた「侍ジャパン」仕様に統一され、プロアマ連携により今後の競技力の向上と市場の拡大を図る。2013年7月に行われる日米大学選手権より始動する[21]。
2013年10月9日に代表監督として小久保裕紀が就任し[22]、11月に台湾で行われた2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイでトップチームが初の試合を行う。10月24日には女子代表の監督に大倉孝一が就任することが発表[23]。2014年2月10日に第1回侍ジャパンサミットが開催。「野球日本代表マネジメント委員会(JBMC)においてのプロ側の窓口」と「トップチーム監督のサポート」を目的とした役職としてテクニカルディレクターが新設され、鹿取義隆が15U代表監督と兼任して就任することが発表[24]。同じく明治大監督の善波達也が大学代表監督に、小島啓民がアマチュア代表監督に就任することが発表される[25]。4月14日には徳島県立鳴門渦潮高校監督の高橋広が18U代表監督に就任[26]。6月24日には仁志敏久が12U代表監督に就任し、インターネット上で12U代表選手選考にエントリーする企画を発表[27]。6月30日には平田勝男が21U代表監督に就任する[28]。
2014年7月には大学代表が第27回ハーレムベースボールウィークに出場。7月17日にはオリックス・バファローズの金子千尋と糸井嘉男、読売ジャイアンツの坂本勇人、東北楽天ゴールデンイーグルスの嶋基宏、北海道日本ハムファイターズの中田翔、広島東洋カープの前田健太の6人が2014トップチームの代表選手として選出されたことを発表[29]。8月20日にはMLB選抜オールスターチームとの2014 SUZUKI 日米野球を11月に開催することを公式発表[30]。8月には15U代表が第2回15U野球ワールドカップに出場し、同じく8月に12U代表が第8回BFA 12Uアジア選手権に出場。9月には女子代表が第6回IBAF女子ワールドカップに出場し、同じく9月に18U代表が第10回18Uアジア野球選手権大会に出場。
2015年1月19日には強化試合としてGLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表の開催が発表。
2015年のプレミア12準決勝で韓国に敗戦して、3位という結果に終わった。
2017年の第4回WBC準決勝でアメリカ代表に敗退し、3度目の世界一はならなかった。
ワールド・ベースボール・クラシックにおける代表チーム
ワールド・ベースボール・クラシックでは日本代表入りに関する条件が
- 日本国籍を有する
- 日本の永住資格を有する
- 日本で生まれた
- 本人の親のどちらかが日本の国籍を有する
- 本人の親のどちらかが日本で生まれた
の5条件の内の何れか一つ以上を満たす事となっている。
ワールド・ベースボール・クラシック | ||||||
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大会 | 開催年 | 結果 | 監督 | 日本代表 | プロ参加 | 大会詳細 |
1 | 2006年 | テンプレート:Gold1 優勝 | 王貞治 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 |
2 | 2009年 | テンプレート:Gold1 優勝 | 原辰徳 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 |
3 | 2013年 | ベスト4 | 山本浩二 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 |
4 | 2017年 | ベスト4 | 小久保裕紀 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 |
5 | 2021年 | 稲葉篤紀 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 |
オリンピックの野球競技における代表チーム
オリンピックの野球日本代表は、1984年のロサンゼルスオリンピック(公開競技)から1996年のアトランタオリンピックまでは、アマチュア選手のみのチーム編成であった。プロ選手の参加が認められた2000年のシドニーオリンピックでは、アマチュア主体のメンバーに松坂大輔ら、プロ8人を参加させた混成チームで出場したが、初めてメダルを逃した。2004年のアテネオリンピックでは、初めてプロ野球選手だけでチーム編成を行い、銅メダルを獲得した。チームへの選出には日本国籍を有することが条件となっている。
なお、2005年7月のIOC総会でロンドン大会では削除されたため、現時点では北京が最後のオリンピックとなるが、2020年の東京大会での競技復活が決定している。
オリンピックの野球競技 | |||||||
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開催年 | 開催場所 | 結果 | 監督 | 日本代表 | プロ参加 | 大会詳細 | 備考 |
1984年 | ロサンゼルス | テンプレート:Gold medal | 松永怜一 | 代表メンバー | なし | 大会詳細 | 公開競技 |
1988年 | ソウル | テンプレート:Silver medal | 鈴木義信 | 代表メンバー | なし | 大会詳細 | 公開競技 |
1992年 | バルセロナ | テンプレート:Bronze medal | 山中正竹 | 代表メンバー | なし | 大会詳細 | 正式競技 |
1996年 | アトランタ | テンプレート:Silver medal | 川島勝司 | 代表メンバー | なし | 大会詳細 | 正式競技 |
2000年 | シドニー | 4位 | 大田垣耕造 | 代表メンバー | 一部 | 大会詳細 | 正式競技 |
2004年 | アテネ | テンプレート:Bronze medal | 中畑清 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 | 正式競技 |
2008年 | 北京 | 4位 | 星野仙一 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 | 正式競技 |
2020年 | 東京 | 稲葉篤紀 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 | 正式競技 |
WBSCプレミア12における代表チーム
WBSCプレミア12 | ||||||
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大会 | 開催年 | 結果 | 監督 | 日本代表 | プロ参加 | 大会詳細 |
1 | 2015年 | 3位 | 小久保裕紀 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 |
2 | 2019年 | 稲葉篤紀 | 代表メンバー | 全員 | 大会詳細 |
その他国際大会における代表チーム
国際野球連盟(IBAF)主催の大会
IBAFインターコンチネンタルカップ、IBAFワールドカップ | ||||||
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開催年 | 大会名 | 開催国 | 結果 | 日本代表 | プロ参加 | 備考 |
1990年 | 第31回IBAFワールドカップ | カナダ | 5位 | 代表メンバー | 無 | |
1991年 | 第10回IBAFインターコンチネンタルカップ | スペイン | テンプレート:Silver medal | 代表メンバー | 無 | |
1993年 | 第11回IBAFインターコンチネンタルカップ | イタリア | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 無 | |
1994年 | 第32回IBAFワールドカップ | ニカラグア | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 無 | |
1995年 | 第12回IBAFインターコンチネンタルカップ | キューバ | テンプレート:Silver medal | 代表メンバー | 無 | |
1997年 | 第13回IBAFインターコンチネンタルカップ | スペイン | テンプレート:Gold medal | 代表メンバー | 無 | |
1998年 | 第33回IBAFワールドカップ | イタリア | 5位 | 代表メンバー | 無 | |
1999年 | 第14回IBAFインターコンチネンタルカップ | オーストラリア | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 一部 | 初めてプロが参加。 |
2001年 | 第34回IBAFワールドカップ | 中華民国(台湾) | 4位 | 代表メンバー | 一部 | |
2002年 | 第15回IBAFインターコンチネンタルカップ | キューバ | 5位 | 代表メンバー | 一部 | |
2003年 | 第35回IBAFワールドカップ | キューバ | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 無 | |
2005年 | 第36回IBAFワールドカップ | オランダ | 5位 | 代表メンバー | 無 | |
2006年 | 第16回IBAFインターコンチネンタルカップ | 中華民国(台湾) | 4位 | 代表メンバー | 無 | |
2007年 | 第37回IBAFワールドカップ | 中華民国(台湾) | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 無 | |
2009年 | 第38回IBAFワールドカップ | イタリア | 10位(2次ラウンド敗退) | 代表メンバー | 無 | |
2010年 | 第17回IBAFインターコンチネンタルカップ | 中華民国(台湾) | 5位 | 代表メンバー | 全員 |
ハーレムベースボールウィーク
ハーレムベースボールウィーク | |||||
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開催年 | 大会名 | 結果 | 日本代表 | プロ参加 | 備考 |
2004年 | 第22回ハーレムベースボールウィーク | 3位 | 代表メンバー | 無 | |
2006年 | 第23回ハーレムベースボールウィーク | 4位 | 代表メンバー | 無 | |
2008年 | 第24回ハーレムベースボールウィーク | 4位 | 代表メンバー | 無 | |
2010年 | 第25回ハーレムベースボールウィーク | 3位 | 代表メンバー | 無 | |
2012年 | 第26回ハーレムベースボールウィーク | 5位 | 代表メンバー | 無 | |
2014年 | 第27回ハーレムベースボールウィーク | 2位 | 代表メンバー | 無 | |
2016年 | 第28回ハーレムベースボールウィーク | 2位 | 代表メンバー | 無 |
プレオリンピック
- 北京プレオリンピック(2007年) - 金メダル
- 北京プレオリンピック野球日本代表(プロアマ混成)
アジアにおける大会
アジア競技大会野球競技 | |||||||
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開催年 | 大会名 | 開催地 | 結果 | 日本代表 | プロ参加 | 大会詳細 | 備考 |
1990年 | 第11回アジア競技大会 | 北京 | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 無 | 大会詳細 | 公開競技 |
1994年 | 第12回アジア競技大会 | 広島 | テンプレート:Gold medal | 代表メンバー | 無 | 大会詳細 | 正式競技 |
1998年 | 第13回アジア競技大会 | バンコク | テンプレート:Silver medal | 代表メンバー | 無 | 大会詳細 | 正式競技 |
2002年 | 第14回アジア競技大会 | 釜山 | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 一部 | 大会詳細 | 正式競技 |
2006年 | 第15回アジア競技大会 | ドーハ | テンプレート:Silver medal | 代表メンバー | 無 | 大会詳細 | 正式競技 |
2010年 | 第16回アジア競技大会 | 広州 | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 無 | 大会詳細 | 正式競技 |
2014年 | 第17回アジア競技大会 | 仁川 | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 無 | 大会詳細 | 正式競技 |
アジア野球選手権大会 | ||||||
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開催年 | 大会名 | 開催地 | 結果 | 日本代表 | プロ参加 | 備考 |
1991年 | 第16回アジア野球選手権大会 | 北京 | テンプレート:Gold medal | バルセロナ五輪代表を参照 | 無 | バルセロナオリンピック予選兼大会 |
1993年 | 第17回アジア野球選手権大会 | パース | テンプレート:Gold medal | 無 | ||
1995年 | 第18回アジア野球選手権大会 | 倉敷 | テンプレート:Gold medal | アトランタ五輪代表を参照 | 無 | アトランタオリンピック予選兼大会 |
1997年 | 第19回アジア野球選手権大会 | 台北 | テンプレート:Silver medal | 無 | ||
1999年 | 第20回アジア野球選手権大会 | ソウル | テンプレート:Silver medal | 代表メンバー (シドニー五輪代表も参照) |
一部 | シドニーオリンピック予選兼大会。 初めてプロが参加。 |
2001年 | 第21回アジア野球選手権大会 | 台北 | テンプレート:Bronze medal | 代表メンバー | 無 | |
2003年 | 第22回アジア野球選手権大会 | 札幌 | テンプレート:Gold medal | 代表メンバー (アテネ五輪代表も参照) |
全員 | アテネオリンピック予選兼大会 |
2005年 | 第23回アジア野球選手権大会 | 宮崎 | テンプレート:Gold medal | 代表メンバー | 無 | |
2007年 | 第24回アジア野球選手権大会 | 台中 | テンプレート:Gold medal | 代表メンバー (北京五輪代表も参照) |
全員[注釈 7] | 北京オリンピック予選兼大会 |
2009年 | 第25回アジア野球選手権大会 | 札幌 | テンプレート:Gold medal | 代表メンバー | 無 | |
2012年 | 第26回アジア野球選手権大会 | 台中 | テンプレート:Gold medal | 代表メンバー | 無 | |
2015年 | 第27回アジア野球選手権大会 | 台中 | 4位 | 代表メンバー | 無 | |
2017年 | 第28回アジア野球選手権大会 | 代表メンバー | 無 |
東アジア競技大会野球競技 | ||||||
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開催年 | 大会名 | 開催地 | 結果 | 日本代表 | プロ参加 | 備考 |
2013年 | 第6回東アジア競技大会 | 天津 | テンプレート:Gold medal | 代表メンバー | 無 |
年代別における代表チーム
どの団体球技も、世界選手権や五輪等に送りこむ「最強」の代表チーム以外に、選手資格に年齢制限がある大会に送りこむ年代別代表チームが存在する。しかしながら代表チームの概念が曖昧だった日本の野球界にはそのような年代別代表チームを編成することがほとんどなかった。野球も各年代ごとの国際大会は行われており、日本からも参加している。だがこれらのチームは全日本野球会議や全日本アマチュア野球連盟が編成する正式な代表チームでなく、全日本大学野球連盟や日本高等学校野球連盟が送りこむ選抜チームであるのがほとんどであった。 2013年より、「野球日本代表マーケティング委員会(JMBC)」の代表事業として各年代別の代表チームが設立された。招集は各年代を統括する組織・団体が行うが、大会にはJMBCの代表事業として派遣される。
社会人代表
BFAアジア野球選手権大会
アジア野球連盟(BFA)主催により、2年に1回、もしくは3年に1回開催される、野球のアジア地域における国別代表による国際大会。オリンピックアジア予選を兼ねて開催されることもあり、そのためオリンピックの代表にプロ選手も選出されるようになったシドニー大会の予選を兼ねて開催された1999年大会以降はプロ選手が出場する場合がある。
アジア競技大会
アジアオリンピック評議会(OCA)が主催するアジア競技大会の野球競技。1990年大会は公開競技としての採用であり、正式には1994年大会からの開催である。代表チームは大学生、社会人の混成で構成されており、2002年大会にはプロ選手も代表入りした。しかし、2014年大会は開催時期の都合から代表選手全員が社会人チームからの選出となった。
東アジア競技大会
U-23(旧U-21)代表
23U野球ワールドカップ
23歳以下による大会で、2016年に初開催初優勝を飾った。
大学代表
世界大学野球選手権大会
大学生による競技大会としてはユニバーシアードがあるが、野球は普及度の低さから含まれなかった。そこで国際野球連盟(IBAF)は2002年から国別対抗の大学生による世界大学野球選手権大会を開催することとなった。この大会にチームを送りこんだのは、全日本大学野球連盟でなく全日本野球会議である。 第1回大会当時の代表編成委員会の強化本部長は長嶋茂雄が務めた。ユニフォームも台湾ワールドカップやアテネ五輪でプロが着用したものと同じであり、そう言った意味でこのチームが日本野球界初めての年代別日本代表と言える。ちなみに同大会の参加資格に大学生であるという条件はなく、規約上は同年代のプロ、社会人も選考可能である。 2012年大会は台湾で開催予定だったが参加申請国が4カ国にとどまり、開催必須条件の6カ国以上を満たさなかったため中止となった。
- 歴代日本代表
第1回 - 第2回 - 第3回 - 第4回 - 第5回 なお、日米大学野球選手権大会の日本代表は当該ページを参照。
ユニバーシアード競技大会
先述の通り、野球は相対的な普及度の低さから1993年、95年の大会を除いて競技から除外され続けていた。しかし、2015年に開催された大会では主催国選択競技として野球が採用されることが決定し、実に1995年大会以来20年ぶり、10大会ぶりの採用となった。また、続く2017年大会でも競技種目として採用された。
- 歴代日本代表
U-18代表
18U野球ワールドカップ
AAA世界野球選手権大会は国際野球連盟(IBAF)主催で1981年から行われている18歳以下で競われる国際大会。 日本は夏の甲子園大会・全国高等学校野球選手権大会と時期が重なるため近年までチームを送ってこなかった。 2004年大会は9月開催となったため初めて甲子園参加者も含めた選抜チームを参加させた。 甲子園大会と時期が重ならなくなった2012年以降は継続して参加している。出場資格にプロ・アマ等の制限はないが、これまでの代表チームは全て高校生の選抜チームとなっている。 2015年大会は初めて日本で開催された。
- 歴代日本代表(出場大会のみ)
第18回 - 第21回 - 第25回 - 第26回 - 第27回
AAAアジア野球選手権大会
AAAアジア野球選手権大会は1994年が第1回。こちらは9月開催なので毎回参加している。高校生であることが参加資格でなく、早生まれのプロ、社会人、大学1年目の選手も参加可能である。 近年は世界選手権とアジア選手権が隔年開催で、アジア選手権が世界選手権の予選を兼ねている。このチームは全日本野球会議が送りこむ日本代表でなく、日韓親善大会や日米親善大会と同じあくまで高野連が編成する「高校選抜」であった。 2007年の第7回AAAアジア野球選手権大会では金属バット使用が禁止されたが、日本へは事後報告という形になったことから高野連は「筋が違う」「大会の趣旨から逸脱している」としてチーム派遣を拒否。このため日本野球連盟は傘下の企業(早生まれの1年目)、クラブ、専門学校の選手から代表を選考し、同大会に送り込むこととなった。このチームは全日本野球会議から代表事業として認定され、同大会に参加する初めての正式なU-18代表となった。 2011年の第9回AAAアジア野球選手権大会では高野連による代表が参加し優勝した。
- 歴代日本代表(第1回 - 第10回)
第1回 - 第2回 - 第3回 - 第4回 - 第5回 - 第6回 - 第7回 - 第8回 - 第9回 - 第10回
U-15代表(旧U-16代表)
AA世界野球選手権大会
AA世界野球選手権大会は国際野球連盟(IBAF)主催の16歳以下で競われる国際大会。 2005年、メキシコで第12回大会が開かれ日本は4位に入っている。 この大会のチームを送っているのはリトルシニア。中学年代の硬式野球チームは、学校チームは存在せずクラブチームのみ。老舗のリトルシニア、ボーイズリーグほか7つの連盟が混在する。これら7つの連盟が一堂に会し競い合う大会は、毎年8月に東京で開かれるジャイアンツカップ全国少年野球大会(ジャイアンツカップ)のみである。このAA世界選手権参加チームも、オールジャパンの代表チームでなくリトルシニアの選抜チームである。ジャイアンツカップが正式な全日本選手権に承認されたのを期に、7連盟すべてから選出された代表チームが編成され、11月に台湾代表との親善試合が実施された。 なお、2007年ベネズエラで開催のAA世界選手権(中止)から、リトルシニア単独の選抜チームながら、全日本野球会議の代表事業に認定され、正式な15歳以下の日本代表チームとなった。
15U野球ワールドカップ
2012年から15歳以下の代表による15U野球ワールドカップに大会がリニューアルされた。 なお第1回大会は開催地の政情不安を理由に不参加となった。
U-12代表
12U野球ワールドカップ
12歳以下の代表による12U野球ワールドカップが2011年に設置された。
女子代表(マドンナジャパン)
女子硬式野球の全日本チームが初めて結成されたのは1999年、フロリダで行われた春季全米大会参加のためである。この時の派遣元として組織されたのが「全日本女子硬式野球チーム実行委員会」である。まだ法人格を持たない任意団体であった。チームには大塚製薬がスポンサーに付き、「チームエネルゲン」と命名された。 以降定期的に選考を行いチームを強化していくが、このチームが公的団体で組織された「代表チーム」でなく、実体としてはクラブチームと同じため、選考に合格した大学野球部所属の選手の参加は二重登録に当たると日本学生野球協会に拒絶される。このため同実行委員会は全日本女子を公的に真の代表チームと認めさせるべく、日本野球連盟加盟を目指し2002年「日本女子野球協会」と改組し、大学野球部からの参加も認められるようになった。 2003年に法人格取得、2004年日本野球連盟加盟が承認され全日本野球会議構成団体となり、2006年女子野球日本代表が全日本野球会議の代表派遣事業として承認され、晴れて正式な代表チームとなった。 国際的には2001年に国際女子野球連盟が発足、2004年には国際野球連盟(IBAF)主催の IBAF女子野球ワールドカップ(第1回大会)が開催され、女子野球日本代表は準優勝した。2006年には第2回大会が台湾で開催され、女子野球日本代表も初めてアテネ五輪代表と同じユニフォームを着用して参加している。2008年の日本の愛媛で開催された第3回大会では優勝を果たしており、その後第4回大会(2010年)、第5回大会(2012年)、第6回大会(2014年)と現在4連覇中である。
オフィシャルスポンサー
- 以下は日本代表公式サイトに記載されている配列に沿う(2017年11月現在)。
ダイヤモンドパートナー
オフィシャルパートナー
オフィシャルスーツパートナー
オフィシャルチケッティングパートナー
オフィシャルエアラインパートナー
脚注
注釈
- ↑ オリンピックへの選手派遣にあっては、アマとプロの協定によりかつてプロ凍結選手制度が存在した。
- ↑ それまでは大学選抜、職業野球選抜は「代表」とは言い難い。
- ↑ 日本学生野球協会は「本協会ではこれまでの国際大会参加の実績からして国際野球連盟やアジア野球連盟に加盟しているものと認識していましたが実際には加盟の手続きがおこなわれていませんでした。」(公式サイトより)と当事者意識が欠如していた
- ↑ BFJは法人格を持たず、所在地も日本野球連盟と同じ場所で強力な組織とは言いがたかった。
- ↑ 日本野球連盟(JABA)の英語表記が「Japan Amateur Baseball Association」(直訳すると日本アマチュア野球協会)、全日本アマチュア野球連盟(BFJ)の英語表記が「Baseball Federation of Japan」(直訳すると日本野球連盟)
- ↑ アジア大会は1990年のソウル大会から野球が公開競技、1994年広島大会から正式競技となった。
- ↑ 当時大学生であった長谷部康平を除く。
出典
- ↑ 【WBC】“さむらい”マネしないで!男子ホッケー代表すでに命名 日本ホッケー協会が野球機構など関係団体に抗議文を提出 スポーツ報知 2008年8月13日
- ↑ 元祖「侍」ジャパンはこっちです!商標登録もしてた Sponichi Annex 2009年4月7日
- ↑ “複雑? ホッケー日本代表…元祖「さむらいジャパン」”. ZAKZAK. (2010年4月6日) . 2011閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 “WBC日本代表監督10年7月にも決定へ”. ニッカンスポーツ. (2010年1月1日) . 2012閲覧.
- ↑ 江尻良文 (2011年5月20日). “WBC、混迷の日本代表監督人事…「今年の日本一」監督を”. 夕刊フジ . 2012閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 “監督不在”で大丈夫? 代表常設化も再び混迷の気配… MSN産経ニュース 2012年5月7日
- ↑ “13年WBCへ、日本代表&U―26常設化検討”. スポーツニッポン. (2011年2月10日) . 2012閲覧.
- ↑ “「侍ジャパン」を常設化 オーナー会議”. サンケイスポーツ. (2011年11月7日) . 2012閲覧.
- ↑ “IBAF会長 代表常設化を歓迎 五輪復帰に「有効」”. スポーツニッポン. (2012年3月11日) . 2012閲覧.
- ↑ 10.0 10.1 侍ジャパン 11月と2月に4試合以上開催 スポニチアネックス 2012年4月23日
- ↑ 11.0 11.1 選手会がWBC不参加方針を決議 スポーツ報知 2012年7月20日
- ↑ 12.0 12.1 日本が13年WBC参加表明へ スポニチアネックス 2011年12月1日
- ↑ 石田雄太 (2012年3月13日). “常設化された侍ジャパンの進むべき道は?”. Sportiva . 2012閲覧.
- ↑ 加藤氏「参加すべきだ」WBC出場問題で サンケイスポーツ 2012年8月28日
- ↑ 「侍ジャパン」スポンサー権は日本に帰属 WBC主催者と確認 スポニチアネックス 2012年8月20日
- ↑ 16.0 16.1 日本 WBC参加濃厚に 侍ジャパンで4年40億円確保へ スポニチアネックス 2012年9月4日
- ↑ [1]
- ↑ 堂林、キューバ戦で初代表…広島 スポーツ報知 2012年10月13日
- ↑ 急募!「侍ジャパン」スポンサー スポーツ報知 2012年11月9日
- ↑ WBC日本代表の活躍を通じて、日本に“勇気と元気”を! 『2013 WORLD BASEBALL CLASSIC™』の日本代表オフィシャルパートナーに決定! ~アサヒビールは、WBC日本代表の夢と情熱を応援します!~ アサヒビール株式会社 2012年11月14日
- ↑ “日本代表でプロアマが協力 JBMC設立”. 共同通信. (2013年5月16日) . 2013閲覧.
- ↑ 新監督に小久保裕紀氏が就任野球日本代表 侍ジャパン公式サイト
- ↑ 女子野球W杯 来年9月に宮崎開催 マドンナジャパン4連覇目指す
- ↑ 侍ジャパンに「テクニカルディレクター」を新設、鹿取義隆氏が就任野球日本代表 侍ジャパン公式サイト
- ↑ 2014年侍ジャパン活動スケジュールについて野球日本代表 侍ジャパン公式サイト
- ↑ 第10回BFA 18Uアジア選手権の18U代表監督に高橋広氏が就任野球日本代表 侍ジャパン公式サイト
- ↑ 12U代表監督に仁志敏久氏が就任、インターネット上での「全日本合同トライアウト」を実施野球日本代表 侍ジャパン公式サイト
- ↑ 侍ジャパン21U代表監督に平田勝男氏が就任、プロ、アマチュア混成チームを指揮野球日本代表 侍ジャパン公式サイト
- ↑ 侍ジャパントップチーム6選手 記者会見野球日本代表 侍ジャパン公式サイト
- ↑ 2014 SUZUKI 日米野球 公式会見野球日本代表 侍ジャパン公式サイト
関連項目
- 日本野球機構(NPB)
- NPBエンタープライズ
- NPBおよびNPBエンタープライズ主催試合