気象庁地磁気観測所
気象庁地磁気観測所 | |
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正式名称 | 気象庁地磁気観測所 |
英語名称 | Kakioka Magnetic Observatory |
所在地 |
日本 〒315-0116 茨城県石岡市柿岡595 北緯36度14分03.1秒東経140度11分21.4秒 |
活動領域 | 地球磁気・地球電気に関する観測および調査 |
設立年月日 | 1883年3月(内務省・工部省による臨時観測所として) |
上位組織 | 気象庁 |
拠点 | #概要の項を参照 |
公式サイト | http://www.kakioka-jma.go.jp/index.html |
気象庁地磁気観測所(きしょうちょうちじきかんそくじょ)は茨城県石岡市柿岡にある気象庁に所属する施設等機関である。
Contents
概要
地球磁気・地球電気に関する観測および調査を行う機関である。茨城県石岡市柿岡のほか、北海道網走郡大空町に女満別観測施設、鹿児島県鹿屋市に鹿屋観測施設、東京都小笠原村父島に無人の常時観測点を置く。柿岡以外は無人で観測を行っている。
歴史
- 1883年:前年からの第1回国際極年観測に協力するため、内務省地理局と工部省電信局により東京府東京市赤坂区今井町(現・東京都港区赤坂)に臨時観測所として開設。
- 1897年:麹町区(現・千代田区)代官町に開設された中央気象台(現・気象庁)構内に移転し本格的観測を開始。
- 1913年:茨城県柿岡町に移転。
- 1932年:第2回国際極年観測に参加。樺太豊原市(現・ユジノサハリンスク)に豊原地磁気観測所を開設。
- 1946年:敗戦のため旧ソ連に占領された豊原地磁気観測所を廃止し、北海道空知郡南富良野村(現・南富良野町)に幾寅地磁気観測所を開設。福島県相馬郡原町(現・南相馬市)に原ノ町地電流観測所(1949年に出張所に組織変更)を開設。
- 1948年:鹿屋出張所を開設。
- 1949年:9月に幾寅地磁気観測所女満別分室を開設。11月に幾寅地磁気観測所を廃止。女満別分室は出張所となる。
- 1957年:国際地球観測年に参加。原ノ町出張所を廃止。
- 1972年:父島に無人の常時観測点を設置。
- 1973年:地球を取り巻く赤道環電流の強さを表す指数(Dst指数)を決定するための世界で4か所の地磁気観測所に指定。
- 1984年:気象庁の付属機関から施設等機関に変更。
- 2011年:女満別出張所・鹿屋出張所を無人の観測施設に変更[1]。
地磁気観測に影響を与える問題
電気が流れるとき、「右ねじの法則」により磁気が発生する。直流は、交流と比較すると、漏洩電流が遠くまで伝わる。また、交流電気鉄道は饋電方式の工夫により漏洩電流の発生を抑えることができる一方、直流電気鉄道は特別な対策を行わない限り漏洩電流が大きい。そのため、直流電気鉄道が近傍にあると磁気(ビオ・サバールの法則)により地磁気観測に悪影響が発生する[2]。
そのため、東京で鉄道の直流電化が大きく進展[3]しはじめたことが1913年に茨城県新治郡柿岡町(後に合併し新治郡八郷町を経て石岡市に)へ移転した理由の一つでもある。
戦後、電気事業法に基づく「電気設備に関する技術基準を定める省令[4]」が施行された。これには地磁気観測所周辺での鉄道の電化について細かく規制されており、基本的に観測所を中心に半径30km以内で周囲電化する場合は、原則的に交流電化もしくは観測に影響を出さない対策を施した上での直流電化が義務づけられている。
観測所付近の鉄道電化
1949年には日本国有鉄道(国鉄→現・JR東日本)常磐線が取手まで直流電化された。取手以北の電化については当観測所に与える影響もありしばらくは進展のない状態であった。その後1961年に取手 - 勝田間が電化されたが直流電化では対策費用が莫大になることや技術的な問題から交流電化[5]とし、取手 - 藤代間にデッドセクションが設けられた。引き続き1967年の同水戸線の全線電化でも交流電化とし、小山 - 小田林間にデッドセクションが設けられた。
また首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスでは開業当初から茨城県内の大部分を交流電化とした。さらに関東鉄道常総線・竜ヶ崎線と鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は設備費用の問題もあり非電化のままである。なお、本件については「交流電化」も参照のこと。
なお、女満別出張所はJR北海道石北本線沿線となるがこちらは非電化。鹿屋出張所はかつて近隣を走っていた大隅線(廃線)は非電化で、現在の最寄駅がJR九州日南線の志布志駅・日豊本線の国分駅もしくは都城駅で、前者が非電化で後者が交流電化となっている上に3駅とも30km以上離れているため観測への影響は小さい。また父島観測点は小笠原諸島に位置するため付近に鉄道はない。
一方、千葉県君津市の鹿野山で当観測所同様に地磁気観測を行う国土地理院鹿野山測地観測所が存在する。こちらでは付近のJR東日本内房線(当時・国鉄房総西線)が1969年に直流電化されたが、対策として通電区間を数km単位に細分化させ、それぞれの区間に1変電所を設置した上で絶縁する方式[6]が採用された。
見解の変化
地磁気観測には短周期観測と長周期観測の2種類があり、直流電流の影響を受けるのは短周期観測である。
長周期観測では古いデータとの接続をするための補正法がないので観測所移転は困難であるが、直流電車が走行した際に発生させるノイズの許容限界が非常に大きいので直流電化しても問題は無い。
短周期観測ではノイズの許容限界が非常に小さいため、1980年代以前までの見解では観測所移転の検討などの課題があった。1980年代に5年程度の比較観測したところ「新しい地点と古い地点のデータの接続ができる」ことで問題がないと判断された。このため短周期観測については必要な条件[7]が整えば新しい観測地点へ移転できるという結論に達した。実際に短周期観測所移転の計画ならびに取手 - 土浦間の直流電化変更の許可も存在しているようである。
その後、移転・直流電化への変更はされていない[8][9]。また、この議論の後に開通したつくばエクスプレスでも守谷 - つくば間は交流電化で開業した。
脚注
- ↑ 地磁気観測所ニュースNo.38 (PDF)
- ↑ “地球電磁気の Q & A”. 気象庁地磁気観測所. . 2017-12-1閲覧.
- ↑ 最も影響を与えたのが東京市電(現・東京都電)である。
- ↑ 第6節 電気的・磁気的障害の防止
第43条「地球磁気観測所等に対する障害の防止」
直流の電線路・電車線路及び帰線は、地球磁気観測所または地球電気観測所に対して観測上の障害を及ぼさないように施設しなければならない。 - ↑ 最終的に藤代以北の岩沼まで1967年に全線交流電化された。
- ↑ 設備コストとしては非常に高くなるが、当該区間を交流電化したとしても後々のJR東日本外房線(当時・国鉄房総東線)電化との関連や車両コストなどを含めて考慮した点からも直流電化がトータルコストを抑制できると判断された。
- ↑ 鉄分を多く含まない土がある場所などの地質条件を含む。
- ↑ 地磁気観測所ニュースNo.17
- ↑ 第113回国会 交通安全対策特別委員会 第4号
関連項目
外部リンク