赤坂 (東京都港区)
赤坂 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経139度44分11.54秒北緯35.6723722度 東経139.7365389度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 港区 |
地区 | 赤坂地区 |
面積[1] | |
- 計 | 1.34km2 (0.5mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[2] | |
- 計 | 18,481人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 107-0052[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 品川 |
Contents
赤坂(地域)
- 参照: 赤坂区
東京都港区のうち、旧赤坂区の範囲にあたる、赤坂総合支所(赤坂4-18-13、郵便番号:107-8516)の管轄下になる区域を赤坂地区と呼ぶ。赤坂一丁目 - 九丁目、北青山一丁目 - 三丁目、南青山一丁目 - 七丁目、元赤坂一丁目・二丁目が属する。
歴史
地名の由来は、紀伊国坂と赤土が多い土壌に幾多の坂があることの二説ある。
この赤坂の地は古くは『茜坂』と呼ばれていた。その名のとおりアカネが群生していたとされている。
1567年に人継村(ひとつぎむら)が開拓される。
江戸時代に現在の元赤坂付近に町屋、武家屋敷が造られたのを皮切りに次第に市街化してゆく。
明治時代に入り、1878年の郡区町村編制法により、この地区は東京15区のひとつ、赤坂区の一部となった(港区の前身。その範囲はおおむね港区の北-西部。今日「赤坂」あるいは「青山」を町名に含む地区)。かつて、多くの大名屋敷や旗本屋敷が存在した高台の地域は官吏や軍人、ブルジョワ家庭から成る都心部有数の邸宅街へと発展。それらの地域以外は庶民の住宅街、個人商店、高級料亭、旅館などが密生していった。
昭和30年代初頭から昭和55年頃までの赤坂は銀座と並ぶ高級な繁華街として栄華を極め、高級料亭、キャバレー、ナイトクラブ、ゴーゴークラブなどが多く集まっていた。欧米諸国の企業および大使館の駐在員や同じく欧米諸国のスチュワーデスが常宿していた高級ホテルが至近だった事、そして当時の東京と周辺には米軍住宅が多かった事、更に1ドル360-310円だった事もあいまって外堀通りを挟んだ永田町2丁目を含めレストランシアターのミカド、ナイトクラブのコパカバーナ、ニューラテンクォーター、中華料理の山王飯店、ロシア料理のマノス、ゴーゴークラブのムゲン、ビブロスなどには外国人客が多かった。また、アマンドやトップス&サクソンにはTBSやレコード会社に出入りする芸能人、ファッションモデル、文化人などが多く、街は華やかさを呈していた。
赤坂(町名)
現行行政地名は赤坂一丁目から赤坂九丁目。郵便番号は107-0052[3]。
地理
赤坂地区の東端に位置し、千代田区(霞が関・永田町)との区境にあたる。赤坂駅前には、TBSの本社があり、全国的に知名度も高い。赤坂見附駅周辺は骨董品店やホテルなどが多い。
歴史
1966年には住居表示が実施され、赤坂一丁目から赤坂九丁目、元赤坂一丁目・元赤坂二丁目が成立し[5]、1967年には赤坂葵町が虎ノ門二丁目となった。
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(特記なければ各町丁ともその一部) |
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赤坂一丁目 | 1966年7月1日 | 赤坂溜池町、赤坂田町七丁目、赤坂榎坂町、赤坂霊南坂町 |
赤坂二丁目 | 赤坂溜池町、赤坂田町五丁目(全域)、赤坂田町六丁目(全域)、赤坂田町七丁目、赤坂新町三丁目、赤坂福吉町、麻布谷町 | |
赤坂三丁目 | 赤坂田町一丁目(全域)、赤坂田町二丁目(全域)、赤坂田町三丁目(全域)、赤坂田町四丁目(全域)、赤坂新町一丁目(全域)、赤坂新町二丁目(全域)、赤坂新町三丁目 | |
赤坂四丁目 | 赤坂表町二丁目、赤坂表町三丁目、赤坂一ツ木町、赤坂丹後町(全域) | |
赤坂五丁目 | 赤坂新町三丁目、赤坂新町四丁目(全域)、赤坂一ツ木町 | |
赤坂六丁目 | 赤坂新町五丁目、赤坂中ノ町(全域)、赤坂氷川町(全域)、赤坂福吉町 | |
赤坂七丁目 | 赤坂表町三丁目、赤坂台町(全域)、赤坂新町五丁目 | |
赤坂八丁目 | 赤坂表町四丁目(全域)、赤坂新坂町、赤坂檜町 | |
赤坂九丁目 | 赤坂檜町 |
消滅した町名
住居表示上「赤坂」とつく町名である元赤坂一丁目・元赤坂二丁目と赤坂一丁目から赤坂九丁目は、1966年の住居表示実施により誕生した。これにより、この地に古くから続いていた町名が失われることになった。現在「赤坂」とつく町域を構成していた旧町名(港区発足直前の町名)を以下にすべて挙げる。
なお、港区が誕生した1947年、旧赤坂区の町名にはすべて「赤坂」を冠する町名変更が行われた(例: 一ツ木町→赤坂一ツ木町、青山権田原町→赤坂青山権田原町、など。元赤坂町など一部例外あり)。この「赤坂」を冠する町名(以下のカッコ内の町名)は、住居表示実施まで続いた。
- 葵町(赤坂葵町)
- 青山権田原町(赤坂青山権田原町)
- 青山六軒町(赤坂青山六軒町)
- 一ツ木町(赤坂一ツ木町)
- 榎坂町(赤坂榎坂町)
- 表町(赤坂表町)
- 新町(赤坂新町)
- 新坂町(赤坂新坂町)
- 台町(赤坂台町)
- 田町(赤坂田町)
- 溜池町(赤坂溜池町)
- 丹後町(赤坂丹後町)
- 伝馬町(赤坂伝馬町)
- 中ノ町(赤坂中ノ町)
- 氷川町(赤坂氷川町)
- 桧町(赤坂桧町)
- 福吉町(赤坂福吉町)
- 元赤坂町
- 霊南坂町(赤坂霊南坂町)
溜池町
溜池は江戸城外濠の一部を構成していた。元々水の湧く所であり、堤を作り水を溜めるようにしたためこの名がある。その形から別名ひょうたん池とも呼ばれた。神田上水、玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用していた。堤に印の榎を植えたため、現在赤坂ツインタワーから駐日アメリカ合衆国大使館に上る坂道は榎坂と呼ばれる。
宝永年間より断続的に埋め立てられた。明治21年に完全に埋め立てられて溜池町となった[6]。
昭和初期から昭和40年代にかけてはこの周辺に輸入外車の販売店が集積するようになり、自動車街と呼ばれるようになった。溜池交差点から山王下までだけでも日本自動車(フィアット、アウディ、アメリカン・モーターズ)・三和自動車(パッカード、ポルシェ)、東邦モーターズ(オペル、オールズモビル)、日英自動車(MGやポンティアック)、安全自動車(ダッジ)、国際自動車商事(ランチア)、八洲自動車(クライスラー)などが軒を連ねていた。輸入車は当時の平均的日本人の生活水準からは極めて高価な存在で、購入するなど思いもつかなかった当時のカーマニアたちはカメラ片手に散策を楽しんだ。しかし、昭和50年代以降はオフィスビル化が進み、今は当時の面影を殆ど残していない。
1966年の住居表示実施に伴う町丁名変更により赤坂一丁目と赤坂二丁目が誕生し、溜池町は消滅。今日、溜池交差点や東京地下鉄溜池山王駅、都営バス(都01系統)溜池停留所などに名を残している。
一ツ木町
江戸時代には町奉行を務めた大岡忠相の屋敷があった。大岡邸内にあった豊川稲荷は現在も残り、盗難よけの御利益があるとされ信仰を集めている。戦前には近衛歩兵第二旅団司令部、同歩兵第三連隊があり軍隊の街であった。1955年にラジオ東京(現・東京放送ホールディングス)が一ツ木町に局舎を建設した(当初はテレビ部門のみ入居し、1962年に有楽町にあったラジオ部門も赤坂に移転してきた)。歴史の項にもあるように江戸時代以前からの地名(人継→一ツ木)であったが、1966年の住居表示実施に伴う町名変更により赤坂四丁目と赤坂五丁目が誕生し[5]、一ツ木町は消滅した。一ツ木通りに名を残す。
赤坂表町
寛永13年(1636)に家康入国以来、よく務めを果たしたとして南伝馬町の伝馬役3名に褒美として与えられた土地で、初めは赤坂新伝馬町と称し、その後表通りが表伝馬町、裏通りが裏伝馬町となり、明治5年(1872)に赤坂表1~4丁目、同44年(1911)に赤坂表町1〜4丁目となった[8]。明治時代には、1・2丁目の東半分の表通りは商店街として賑わい、3・4丁目は旧武家屋敷であり官公庁や華族などの邸宅地となった[8]。1966年に1丁目が元赤坂1丁目に、2丁目が元赤坂1丁目と赤坂4丁目に、3丁目が赤坂4・7丁目に、4丁目が赤坂8丁目に編入された。
赤坂田町
赤坂田町は古くは湿地帯で、その後田畑が発達したことから田町と命名された[9]。家康入府以来の功により南伝馬町の御馬役に大縄地として賜り、島原の乱の翌1638年に町屋を取立て、城中の御能の拝見を許され、その際に酒菓を頂戴する特権も許された[10]。1760年(宝暦10年)には紺屋の物干場が設けられ、1817年(文化10年)には床店が見られ、低廉客向けの岡場所もできて人気を集めた[11]。明治時代には1~4丁目(現・赤坂3丁目)は赤坂花柳界の中心地として賑わった[9]。1966年に赤坂田町1~7丁目が赤坂1~3丁目に変更された。外堀通りとみすじ通りの間を平行に走る650mの通りは「赤坂田町通り」と旧町名を残して呼ばれ、繁華街として賑わっていたが、1970年代に高級料亭がなくなると荒れた雰囲気となり、暴力団が関係する風俗店や飲食店、韓国系のビル所有者やテナント料飲店が入居し、「ヤッカン通り」とも呼ばれるようになった[12]。その後道路整備工事が行われ、現在は「エスプラナード赤坂通り」という商店街になっている[13]。
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1973年の赤坂見附立体交差点付近
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永田町から赤坂見附立体交差を見る
- Akasaka Hitotsugi Street ,Tokyo-pref. - panoramio.jpg
一ツ木通り
- TBS headquarters 2013.JPG
TBS放送センター
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
赤坂一丁目 | 288世帯 | 615人 |
赤坂二丁目 | 2,014世帯 | 2,987人 |
赤坂三丁目 | 223世帯 | 305人 |
赤坂四丁目 | 1,308世帯 | 2,230人 |
赤坂五丁目 | 514世帯 | 882人 |
赤坂六丁目 | 2,402世帯 | 3,902人 |
赤坂七丁目 | 1,562世帯 | 2,571人 |
赤坂八丁目 | 1,696世帯 | 3,220人 |
赤坂九丁目 | 1,214世帯 | 1,769人 |
計 | 11,221世帯 | 18,481人 |
教育
かつて日本大学第三高校がTBS赤坂サカスや国際新赤坂ビル周辺界隈にあったが、1976年に町田に移転。都立赤坂高校は赤坂で創立されたが1957年に青山霊園傍の南青山に移転し2009年に閉校した。また、外堀通りに面して隣接する永田町には1929年以来都立日比谷高校が所在する。
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
- 幼稚園
- 港区立中之町幼稚園
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
赤坂一丁目 | 全域 | 港区立赤坂小学校 | 港区立赤坂中学校 |
赤坂二丁目 | 全域 | ||
赤坂三丁目 | 全域 | ||
赤坂四丁目 | 全域 | ||
赤坂五丁目 | 全域 | ||
赤坂六丁目 | 全域 | ||
赤坂七丁目 | 全域 | ||
赤坂八丁目 | 全域 | ||
赤坂九丁目 | 全域 |
交通
鉄道
- 東京地下鉄 赤坂駅(○千代田線)
- 東京地下鉄 赤坂見附駅(○銀座線、○丸ノ内線)
- 都営地下鉄 六本木駅(○大江戸線)
- 東京地下鉄 溜池山王駅(○銀座線、○南北線)- 出入口が設けられている。(所在地:永田町)
- 東京地下鉄 永田町駅(○南北線、○有楽町線、○半蔵門線)- 出入口が設けられている。(所在地:永田町)
- 東京地下鉄 乃木坂駅(○千代田線)- 出入口が設けられている。(所在地:南青山)
路線バス
道路
- 東京都道319号環状三号線(環状三号線・外苑東通り)
- 東京都道405号外濠環状線
- 東京都道412号霞ヶ関渋谷線
- 東京都道413号赤坂杉並線(一ツ木通り・赤坂通り)
- 九郎九坂
- 首都高速道路・出入口
施設
公園
企業・法人
- アクセンチュア、アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズ - 日本法人本社所在地・赤坂インターシティ内
- アパグループ - 本社所在地
- 安藤・間 - 本社所在地
- 一休 - 本社所在地・住友生命赤坂ビル
- エスカーダジャパン - 日本法人本社所在地
- NTTデータ・イントラマート - 本社所在地・赤坂ツインタワー内
- エピックレコードジャパン(EPIC) - 本社所在地(SMEグループ、現在はソニー・ミュージックレーベルズ(本社は千代田区六番町)の一部門)
- キューンミュージック (Ki/oon) - 本社所在地(SMEグループ、現在はソニー・ミュージックレーベルズ(本社は千代田区六番町)の一部門)
- 極洋 - 本社所在地
- 国際石油開発帝石 - 本社所在地・赤坂Bizタワー内
- コナミホールディングス - 本社所在地・東京ミッドタウン内
- 小松製作所 - 本社所在地
- サンヨー食品 - 本社所在地
- ジャニーズ事務所 - 本社所在地
- スカパーJSAT - 本社所在地
- 双日 - 本社所在地・新国際赤坂ビル内
- ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル - 本社所在地(SMEグループ、現在はソニー・ミュージックレーベルズ(本社は千代田区六番町)の一部門)
- ツムラ - 本社所在地・赤坂シグマタワービル内
- 東急エージェンシー - 本社所在地
- 東京エレクトロン - 本社所在地・赤坂Bizタワー内
- 東京スター銀行 - 本店所在地
- 東京放送ホールディングス(TBSHD) - 本社所在地(TBSグループ)
- 東北新社 - 本社所在地
- トムソン・ロイター - 日本法人・赤坂Bizタワー内
- 虎屋 - 本社所在地
- 日本サブウェイ - 本社所在地・赤坂フローラルプラザビル内 (サントリーグループ)
- 日本貿易振興機構(JETRO) - 本部所在地
- バーニングプロダクション - 本社所在地
- 博報堂DYホールディングス - 本社所在地・赤坂Bizタワー内
- ハラヤミュージックエンタープライズ - 本社所在地
- BMB - 本社所在地
- 富士ゼロックス - 本社所在地・東京ミッドタウン
- 毎日放送 - 東京支社・赤坂Bizタワー内
- ユニバーサルミュージック - 本社所在地
- EMIミュージック・ジャパン - 本社所在地・赤坂Bizタワー内(現在はユニバーサルミュージック本社赤坂オフィス)
- ファーストリテイリング - 本社所在地・ミッドタウンタワー内
- WOWOW - 本社所在地・赤坂パークビル内
観光
- 赤坂サカス
- 赤坂ACTシアター - 赤坂サカス内
- 赤坂Bizタワー - 赤坂サカス内
- 赤坂BLITZ - 赤坂サカス内
- 東京ミッドタウン - 旧防衛庁・檜町駐屯地跡地
- サントリー美術館 - 東京ミッドタウン内
- 氷川神社
- 乃木神社
- 赤坂 (花街)
大使館
赤坂を舞台・背景とした作品
楽曲
- 「コモエスタ赤坂」(歌:ロス・インディオス&シルビア、作詞:西山隆史、作曲:浅野和典)
- 「赤坂の夜は更けて」(歌:西田佐知子、作詞:鈴木道明、作曲:G.Selden)
- 「雨の赤坂」(歌:ジャッキー吉川とブルーコメッツ、角川博(カバー)、作詞:橋本淳、作曲:三原綱木)
- 「めぐり逢い赤坂」(歌:新沼謙治・松原のぶえ、作詞:杉本真人、作曲:初信之介)
- 「どうするの赤坂」(歌:山田邦子・高嶋政伸、作詞:山田邦子、作曲:高槻正裕)
- 「赤坂ブルース」(歌:美川憲一、作詞:高畠じゅん子、作曲:中川博之)
映画
- 赤坂の姉妹より 夜の肌(1960年、東宝/東京映画)
- 惑星ソラリス(1972年)未来都市のシーンに赤坂見附の立体交差が登場する。
- ゴジラvsモスラ(1992年)
- ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年)
ドラマ
脚注
- ↑ “平成22年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年2月19日). . 2018閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年~平成29年)”. 港区 (2017年12月6日). . 2018閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
- ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 1966年(昭和41年)11月30日自治省告示第176号「住居表示が実施された件」
- ↑ 6.0 6.1 『三都花街めぐり』(誠文堂文庫) / 松川二郎著(誠文堂, 1932), p35
- ↑ 錦絵で楽しみ江戸の名所 赤坂国立国会図書館]
- ↑ 8.0 8.1 赤坂表町赤坂地区旧町名由来板、港区赤坂地区総合支所協働推進課
- ↑ 9.0 9.1 赤坂田町赤坂地区旧町名由来版、港区赤坂地区総合支所協働推進課
- ↑ 交差の界隈性 : 現代東京における江戸の見附地と辻の役割牛垣雄矢[他] (国際交通安全学会, 2005-08)
- ↑ 新修港区史, p293-300港区/デジタル港区史
- ↑ 第8回「ヤッカン通りと取り組むことになりました」城所ひとみ、商店街振興組合エスプラナードアカサカ
- ↑ エスプラナード赤坂商店街振興組合
- ↑ “港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2015年4月1日). . 2018閲覧.
関連項目
- 赤坂消防署発祥の地記念碑(所在地:南青山)
- グランドプリンスホテル赤坂(所在地:千代田区紀尾井町)
外部リンク
元赤坂 | 永田町 | |||
南青山 | 北 | 霞が関 | ||
西 赤坂 東 | ||||
南 | ||||
六本木 | 虎ノ門 |
- テンプレート:TBSグループ