工部省

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工部省(こうぶしょう)は、明治政府官庁の1つで、太政官制度の下で近代国家のための社会基盤整備と殖産興業を推進した中央官庁である。

沿革

明治3年閏10月20日1870年12月12日)、太政官は工部省の設置を決定したが、その部局組織化には10ヶ月を要した。明治4年8月14日になり、鉄道造船鉱山製鉄電信灯台、製作、工学、勧工、土木の10寮と測量の1司が配置され、造家、工学、測量を除くと、他は民部省からの移管であった。この設立には伊藤博文が尽力し、彼が実質的初代工部卿を勤めた。部局長には長州出身者が多く、山尾庸三は新設された工学寮と測量司の長官を務め、伊藤後の工部省を盛り上げていった。

1880年代前半には、工部卿佐々木高行の下で、鉄道・電信などを除き官営工場の民間への払下げが進められた(官営事業払下げ)。明治18年(1885年12月22日内閣制度とともに工部省は廃止されて、逓信省農商務省に分割・統合された。

なお、鉄道事業は内閣直属になり(鉄道省参照)、電信・灯台などの事業は逓信省に引き継がれ、郵便と一体化された。

教育機関

工学寮は、当初、海外留学制度、国内技能研修制度(修技校)、技術大学制度(工学校)を通して一元的に官職技術者を育成しようとした。工学校はスクール(小学校)とカレッジ(大学校)からなるはずであったが、1873年9月、大学校だけが都険ヘンリー・ダイアーのもとで開校した。明治6年(1877年)に工学寮が廃止されるとともに、正式に工部大学校と呼ばれるようになった。さらに、1885年に工部省の廃止が決まり、工部大学校は文部省に移管され、翌明治19年(1886年)の帝国大学令により帝国大学工科大学になった。これは現在の東京大学工学部にあたる。

工部卿など

工部
工部大輔

関連項目

外部リンク



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