鹿野山
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概要
房総丘陵の一角を成す千葉県で2番目に高い山で、南房総国定公園に指定されている。上総地方の最高峰である[1]。鹿野山とは、白鳥峰(東峰、379m)・熊野峰(中央峰、376m)・春日峰(西峰、352.4m、1等三角点)の3峰の総称である。白鳥峰の直下には久十九谷展望公園、熊野峰の直下には神野寺、春日峰には国土地理院の測地観測所がある。山の南面は、九十九谷と呼ばれる景勝地で、侵食によってできた複雑な地形となっている。
山名の由来
山名の由来は、鹿が多くいたことから鹿野苑にちなんで名づけられたという説や、砂鉄が採れたので「金生山」と呼ばれていたという説などがある。当山を構成する3峰の名称は、それぞれの山頂に白鳥神社・熊野神社・春日神社が祀られたことに由来する。
歴史
日本武尊が東征の際訪れ、先住民の豪族の阿久留王(あくるおう、「悪路王」ともいわれる)と戦い征伐したという伝説がある。598年、聖徳太子により神野寺が開山され、その後修験道の山として、また上総国と安房国を結ぶ街道の町として栄えた。
鹿野山は平地から視認しやすく、旧・東京天文台から日本経緯度原点の方向の基準である原方位を定めるために、1879年には日本最初の一等三角点が山頂に置かれた。その後も2001年の測量法改正まで原方位とされていた[2]。1956年には国土地理院の測地観測所が設置され、地磁気や人工衛星の観測などが行われている。1960年代、マザー牧場とゴルフ場がオープンし観光の山となった。
文学
- 1922年に大町桂月が『鹿野山』を執筆。
- 作家の志賀直哉は、学習院高等科在籍中に友人ら鹿野山を訪れ、そのときの感動から、1907年に一人で滞在した鹿野山の旅館「丸七」で『菜の花と小娘』を執筆。アンデルセンの童話に影響されて書いた作品で、のちに妻の名で婦人雑誌の懸賞童話に応募したが落選、その後子供雑誌から原稿依頼があり、本作を提供し懸賞の数倍の原稿料を得たという。志賀の友人である里見弴も「丸七」で『お峯』を執筆。[3]
交通アクセス
隣接する山
脚注
- ↑ *角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(12.千葉県)』、角川書店、1984年
- ↑ 国土地理院による解説
- ↑ 志賀直哉「菜の花と小娘」-第三の処女作の位相宮越勉、明治大学
関連項目
外部リンク
- 鹿野山周辺観光スポット - 君津市観光課