西南学院大学
座標: 北緯33度35分6.3秒 東経130度21分17.9秒
西南学院大学 | |
---|---|
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1916年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人西南学院 |
本部所在地 | 福岡県福岡市早良区西新六丁目2番92号 |
キャンパス |
西キャンパス 中央キャンパス 東キャンパス |
学部 |
神学部 文学部 商学部 経済学部 法学部 人間科学部 国際文化学部 |
研究科 |
法学研究科 経営学研究科 文学研究科 経済学研究科 神学研究科 人間科学研究科 国際文化研究科 法務研究科 |
ウェブサイト | 西南学院大学公式サイト |
西南学院大学(せいなんがくいんだいがく、英語: Seinan Gakuin University)
福岡県福岡市早良区西新六丁目2番92号に本部を置く日本の私立大学。
1949年に設置。大学の略称は西南大(せいなんだい)、西南(せいなん)。
Contents
概観
大学全体
南部バプテスト連盟の宣教師C・K・ドージャーにより設立された、私立西南学院を基礎とするキリスト教主義学校(大学)である。
名称の由来
西南学院の名称は、関西と東北に本学に先行してミッションスクールが設立されており「College」すなわち「学院」と名乗っていた。関西にWest Japan College(関西学院)。東北にNorth Japan College(東北学院)と称されたことから、本学の地を 「South West」すなわち「西南」として「西南学院」と名付けられた。
建学の精神
C・K・ドージャーが臨終に際して言い遺した「西南よ、キリストに忠実なれ(Seinan, Be true to Christ)」という言葉が、建学の精神とされている。
教育および研究
創立時から多くの外国人の教員がいる。6か国、17大学の学術交流協定校との約1年間の交換留学・私費留学の支援などがある。教育は概して少人数教育を重視している。日本最古の学生スピーチコンテスト「ギャロット杯」をESS(英会話サークル)が主催している。
学風および特色
スクールカラーが表すように自由で明るい学風。語学教育を重視している。留学生や留学経験者、外国人教員が多いことでも知られている。
アメリカ南部バプテスト連盟の宣教師により設立された学校であり、その流れをくむ日本バプテスト連盟との関係は現在も深い。神学部は日本バプテスト連盟の教派神学校としての使命も負っている。バプテスト教会から多額の補助を受けていた時期もあり、南部バプテスト連盟より宣教師の派遣を受けており、学院長もこれら宣教師が就任することが通例であった。
しかし1970年代より南部バプテスト連盟の保守化が進み、2000年代に入ると、米国における極端なキリスト教原理主義化の波が学院に大きな影響を与えることになる(2004年、アメリカ南部バプテスト連盟は世界バプテスト連盟を離脱した)。詳細は後述。
沿革
略歴
1916年、アメリカ合衆国南部バプテスト連盟の宣教師C・K・ドージャーによって、福岡市初の男子の私立中学校として創立された。当初104人の生徒と9人の教職員でスタートした私立西南学院は、1921年に大学の前身である高等学部を開設した。第二次世界大戦中は、日米関係が悪化し、キリスト教主義学校に対する風当たりが強くなり、英文科を閉鎖するなどの影響が出た。1949年、新制大学として西南学院大学が開設。当初は米国のリベラルアーツ・カレッジの形式をとる予定だったが、学部のない大学は認めないという国の指導もあり、学芸学部としてスタートした。
宣教師
建学以来、戦時中の一時期を除いて米国人宣教師が経営の中核を担ってきた。宣教師たちは、神学や外国語(特に英語)をはじめ、文学や生物学などの専門分野を研究・教育し、歴代の学院長を初代から15代までを見ても7人が宣教師が占めるなど、多くは学院の顔として地域でも活躍した。
1961年、児童教育などに尽くした学院創立者C・K・ドージャーの妻M・B・ドージャーは、外国人として初の西日本文化賞を受けた。西南学院が経営する大学、高校、中学などにこれまで勤務した宣教師は90人以上(2005年現在)。いずれも全米最大のプロテスタント組織南部バプテスト連盟から派遣され、給与などの経費は米側が負担してきた。
しかし、2000年に南部バプテスト連盟が信仰宣言を改訂し、「妻は夫に恭しく従うべきだ」と家父長制を強調、女性が牧師になることを制限する文言などを加えた。海外の宣教師にも宣言への同意署名を求め、拒否した宣教師は絶縁になった。こういった米国の極端なキリスト教原理主義化の波は、西南学院にも一石を投じ、派遣された宣教師たちが、ブッシュ・ドクトリンを積極的に支持するなど右傾化を強める米国教会についていけなくなり、解雇され、帰国した。2004年夏から秋にかけて、宣言への署名を拒否した当時の学院長L・K・シィート神学部教授、H・C・ジョンソン文学部教授が任期を終え離日、宣教師は不在になった。
学院にとどまった4人の元宣教師は南部バプテスト連盟を離れ、学院の専任教員として採用された。
年表
- 1916年(大正5年) - 福岡市大名に私立西南学院を創立。福岡市初の男子の私立中学校として、当初104人の生徒と9人の教職員でスタートする。
- 1921年(大正10年) - 専門学校令による西南学院高等学部を設立する。
- 1931年(昭和6年) - チャールズ・リンドバーグ夫妻来訪。
- 1937年(昭和12年) - ヘレン・ケラー来訪。
- 1944年(昭和19年) - 英文科を一時閉鎖。
- 1949年(昭和24年) - 西南学院高等学部を母体に新制西南学院大学を設立、学芸学部を設置する。
- 1951年(昭和26年) - 学芸学部を文商学部に改称する。
- 1954年(昭和29年) - 文商学部を文学部と商学部に分離する。
- 1964年(昭和39年) - 経済学部を設置。
- 1966年(昭和41年) - 神学部を設置。
- 1967年(昭和42年) - 法学部を設置。
- 1986年(昭和61年) - キング牧師夫人C.S.キング来訪。
- 1992年 (平成3年) - 法学部に国際関係法学科を設置
- 2005年(平成17年) - 文学部から人間科学部を分離する。
- 2006年(平成18年) - 文学部から国際文化学部を分離する。
基礎データ
所在地
象徴
- スクールカラーは「自由を表す」テレベルト・グリーン。1934年当時、新聞部が学生に公募したところ圧倒的支持を得て採用された[1]。
- 校歌は島崎赤太郎作曲。
- 校章のデザインはC・K・ドージャーが考案した。西南 (South・West) の頭文字「S・W」 の2文字を組み合わせたもの。
教育および研究
組織
学部
- 神学部
- 神学科
- 文学部
- 英文学科
- 外国語学科
- 英語専攻
- フランス語専攻
- 商学部
- 商学科
- 経営学科
- 経済学部
- 経済学科
- 国際経済学科
- 法学部
- 法律学科
- 国際関係法学科
- 人間科学部
- 児童教育学科
- 社会福祉学科
- 心理学科
- 各学年100名計400名の定員で、カリキュラムは「分析・調査法領域」を基礎として「認知領域」「社会・産業領域」「教育・発達領域」「臨床領域」「文化・環境領域」という専門の5領域の計6領域から構成される[2]。
- 国際文化学部
- 国際文化学科
大学院
- 法学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 法律学専攻
- 経営学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 経営学専攻
- 文学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 英文学専攻
- フランス文学専攻
- 経済学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 経済学専攻
- 神学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 神学専攻
- 人間科学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 人間科学専攻
- 国際文化研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 国際文化専攻
専門職大学院
専攻科
- 神学専攻科
- 神学専攻
- 商学専攻科
- 商学専攻
- 経済学専攻科
- 経済学専攻
別科
- 留学生別科
短期大学部
- 参照: 西南学院大学短期大学部
附属機関
- 学術研究所
- 研究活動を支援するための機関で、専任教員約200人の個人研究室および、研究会用の会議室を備える。
- 附属図書館
- 図書収蔵能力は120万冊。一般図書・学術書のほか、国連寄託図書館、OECD協力資料館、EU情報センター、国際協力プラザからなる国際機関資料室を併設。中でもEU情報センターは日本の大学で初めて設置された。またデフォー文献・ロビンソン変形譚の蔵書では全国トップの収集。芥川賞作家の森禮子が以前、司書をしていた。
- 大学博物館[3]
- 建物は、西南学院中等部本館として1921年に竣工。西洋建築の古典様式であるジョージアン・コロニアルスタイルを基調とした赤レンガ造り3階建てで、間口24m、奥行15m、軒高10.4m、棟高15m。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズが行った。以来、西南学院中学校・高校の講堂として使用され、ヘレン・ケラーやリンドバーグ夫妻が来訪、マーティン・ルーサー・キング夫人であるC.S.キングが1986年5月に創立70周年記念講演を行った。2004年3月に「西南学院旧本館・講堂」として福岡市指定有形文化財にも指定され、これを契機に西南学院大学博物館として整備、2006年5月15日にオープンした。館長は同学教授の高倉洋彰が兼任している。
- 国内外の聖書の写本や、マリア観音などの隠れキリシタンに関する資料などキリスト教の資料、学院創立者であるC・K・ドージャーにまつわる品々を常設展示しており、定期的にキリスト教・ユダヤ教に関する美術工芸品を集めた特別展を開催している。特筆できるものとして、隠れキリシタンが江戸時代にひそかに拝んでいたと伝えられる「隠れ切支丹鏡」がある。同様の銅鏡は約2千年前の中国で造られはじめ、日本でも仏像や経典を映す魔鏡は各地で見つかっている。しかし隠れ切支丹鏡は、弾圧の歴史の中で秘蔵されていたため極めて数が少ない。一見するとどこにでもありそうな和鏡だが、一定の角度から光を照らすと、反射した光があたった壁に十字架にかけられたキリスト像とそれを見つめる聖母マリアの姿が浮かび上がり、裏面の図柄の刻みとあいまって聖像を映し出すからくりになっている。
- 利用案内
-
- 開館時間: 月 - 土曜・祝日の10:00 - 18:00(入館は17:30まで)
- 休館日: 日曜日、夏季休暇(8月10日 - 8月16日)、キリスト降誕祭(12月25日)、年末・年始(12月28日 - 1月5日)
- 入館料: 無料
- ランキンチャペル
- 1954年献堂。建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ晩年の作品。2階建て。老朽化のため2006年から改築工事が行われ、2008年に完了。ちなみに改築工事の際に定礎の奥に聖書や資料が埋められていたのが発見されており、「バプテストの祈りと献金に支えられて」と書かれていた。筆跡から誰が書いたかは分かっていない。また、歌手のMISIAは在学中にゴスペルを聞きによく通っていたという。大学祭ではミュージシャンのライブや講演会などのイベント会場となる場所でもある。
- 子どもプラザ
- 「地域社会が一緒になって子育てをし人間関係を築き、大学の持つ学問的な知識をもとに子育ての相談にも応じる」という趣旨のもとに設立された地域コミュニティーの場。「日本一子育てしやすいまち」を目指す福岡市の助成を得て開所。子育ての分野で、行政と私立大学が提携している全国で唯一の施設。
- コミュニティーセンター
- 学外連携施設や同窓会事務室などとともに、約200人収容のホールや会議室がある。市民を対象にした映画の上映会やコンサートなどを催す施設。西南学院が目指す「開かれた大学」の一環として設立された施設。
- 言語教育センター
- 言語教育システム「CALL (Computer-Assisted Language Learning) 教室」や、各種メディアライブラリを完備。外国語教育に特化した教員を配置し、インターネット、ビデオ、オーディオなどの学習メディアを使って英語、フランス語、中国語、韓国語などの外国語を学生が自ら学ぶ施設。
研究グループ
- 「ほうげん会」
- 中尾英俊名誉教授を中心に法源・方言・放言をキーワードに研究していた法社会学研究グループ。
学生生活
大学祭
- 西南学院大学では学園祭に独自の名称を付けず、単に「大学祭」と呼んでいる(ただしテーマは別につけている)。なお、正式には「西南学院大学第59回大学祭」のように大学名と大学祭の間に回数が入る。毎年11月上旬〜中旬頃に4日間連続で行われる。期間中、さまざまなゲストが来学し初日の仮装パレードでは多くの在学生が福岡の街を練り歩き、コンサートや講演会、九州産業大学プロレス研究部による興行、30回以上の歴史を誇るミスキャンパスガールコンテストなどが開催される。模擬店の数は西日本で一番多いといわれる。大学祭準備期間中は、1号館前で大学祭実行委員が実行委員同士で声を掛け合う「声だし」が恒例行事となっていたが、現在では行われていない。
スポーツ
- 西福戦(4〜5月)
- 硬式野球部は九州六大学野球連盟に所属しており、毎年福岡 ヤフオク!ドームで福岡大学とリーグ開幕戦を行い、両校による伝統の応援合戦が繰り広げられるのが恒例である。しかし、2009年の開幕戦は北九州市立大学と行われた。
- アメリカンフットボール部グリーンドルフィンズ
- ラグビー部
- 過去には準硬式野球部が全国出場したことがある。サッカー部からはJリーグ選手、硬式野球部からはプロ野球選手をそれぞれ出したことがある。他にもラクロス部などスポーツは盛んである。西日本最大のグランドも完備しており、ユニバーシアードの選手も在籍している。スポーツ推薦は無いがスポーツは盛んである。
- 田尻グリーンフィールド
- 2009年11月完成。環境保全ゾーンを兼ね備えた西日本最大の大学総合グラウンド。西ゾーン(陸上競技場、ラグビー場、アメリカンフットボール場、サッカー場、テニスコート)と東ゾーン(硬式及び準硬式野球場、ソフトボール場兼多目的広場、アーチェリー場、自動車部練習場)がある。
部活動・サークル
- 最古の学生スピーチコンテスト「ギャロット杯」や「ドージャー杯」などを主催する学術文化会E.S.S.(英会話サークル)をはじめ、MISIA、TRFのバックダンサー、現在は倖田來未のバックダンサーをしているダンサーなどが所属していたダンスサークル「スリックベース」や、脚本家の中園健司が所属していた演劇部、財津和夫などが所属していた軽音楽部、フリーアナウンサー池田史、大分放送アナウンサー安元佳奈らが所属していた西南アナウンスメント研究会など、表現系文科系サークルなどを中心に盛んな活動が行われている。万乗大智は漫画研究会(廃部)に所属していた。
- 1919年に創部した「西南学院グリークラブ」は学内の最古級・文化系サークル。九州最古の男声合唱団。1980年代には120人以上の部員が在籍し、全日本合唱コンクールで何度も上位入賞していた。しかし2000年ごろから部員は減少、1952年度から毎年開催していた定期演奏会は2005年度が最後となっている。このためOBが支援を本格化し、4月の新入生勧誘などをOBが行っている。定期演奏会ではないが2010年12月にはリバイバルコンサートを行った。
大学関係者と組織
大学関係者組織
- 同窓会の支部は関東・関西・福岡・熊本や海外に計71支部。女性の卒業生だけの支部や業種別の支部もある。
大学関係者一覧
- 参照: 西南学院大学の人物一覧
施設
キャンパス
- 最寄り駅: 福岡市地下鉄空港線西新駅
- 福岡市営地下鉄で西新駅から天神、博多などへ約15分以内、福岡空港までは約30分以内で移動することができる。福岡タワーなどがあるシーサイドももちへも徒歩15分以内で行ける。
- 大学の周囲には、サミットが開催された福岡市博物館や、全国トップレベルの蔵書でアジアフィルムセンターを目指す福岡市総合図書館があり、大学から徒歩圏内のため多くの学生が通う。西新商店街も近く、授業後に福岡 ヤフオク!ドームへ野球観戦に行く学生もいる。
- 1号館の中には元寇防塁跡がある。これは1号館建設の際に見つかったものである。
- キャンパス内に育つ植物の中には聖書に纏わるものが数多く植えられており、「聖書植物園」と呼ばれている[4]。
- 建築費の約1%を芸術品購入に当てさせる「パーセントプログラム」 (percent for art policy) を導入して、大学内でのパブリックアート支援を財政的に裏付けている。導入例としてインターナショナルハウスではフランク・ロイド・ライト、イサム・ノグチ、チャールズ・レニー・マッキントッシュなどのデザインした照明を使用している。
- 2007年、日本テレビ系列のドラマ『バンビ〜ノ!』の作中で主人公が通う架空の大学である「城南大学」のロケ地に選ばれた。撮影には、主演の嵐・松本潤をはじめ、学生役で実際に本学に通っている学生がエキストラとして参加している。
- バブル真っ只中の頃、日本テレビ系列『天才たけしの元気が出るテレビ』の企画で、福岡にジゴロがいるという噂を確かめるため、高田純次が大学を訪れた。
- 小倉優子とスザンヌが、RKBテレビ『九州青春銀行』の取材で訪れたことがある(ただしスザンヌは別の番組を含めて2度訪れている)。
- 漫画『サザエさん』の著者長谷川町子が自身の半生を漫画で綴った「サザエさんうちあけ話」の中に、疎開先の自宅に押しかけてきた進駐軍の兵士を、会話に困った作者が大学の前身である西南学院中学部の教師宅へ案内したエピソードが描かれている(「サザエさんうちあけ話⑨こわかった話」より)。
対外関係
産学連携協力
- 西日本シティ銀行と共に「地域振興」、「相互ノウハウの活用」及び「学生や留学生の人材育成」を軸とした産学連携・協力の促進により、地元企業と西南学院大学とのネットワーク拡大や相互のノウハウの地元への還元など、地場産業の発展と学術の振興に寄与することを目的に「実践仕事塾」を開催する。
- 福岡県中小企業家同友会
- 同会と共同で「同友会大学」を開講している。また、商学部の教授らが、同会の会員を中心とした企業経営者を対象に「マーケティング論」や「国際経営論」「情報ネットワーク論」などの講義を行っている。
- 西日本新聞社の記者を講師として迎える講座「新・新聞学」を開講している。3、4年生を中心に約60人が受講している。情報洪水の中でいかに正確で役立つ情報を取捨選択するか、メディアがもたらす情報を読み解く力を身に付ける、裁判員制度と人権、キャンペーン報道、デジタル発信といった多彩なテーマに関して、第一線のデスクや現場記者が講義を行っている。
他大学との協定
- 国際協定締結大学
脚注
Wiki関係他プロジェクトリンク
公式サイト