フランク・ロイド・ライト
フランク・ロイド・ライト | |
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生誕 |
1867年6月8日 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ウィスコンシン州リッチランドセンター |
死没 |
1959年4月9日(91歳没) テンプレート:USA1959アリゾナ州フェニックス |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 建築家 |
受賞 |
RIBAゴールドメダル(1941年) AIAゴールドメダル(1949年) |
建築物 |
ロビー邸 帝国ホテルライト館 カウフマン邸(落水荘) ジョンソンワックス社事務所棟 グッゲンハイム美術館 |
フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 - 1959年4月9日)は、アメリカの建築家。
アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加え四大巨匠とみなすこともある)。
Contents
生涯
ウィスコンシン州に牧師の父ウィリアム・ライトと母アンナの間の第1子として生まれた。ウィスコンシン大学マディソン校土木科を中途退学した後、シカゴへ移り住んだ。叔父ジェンキンの紹介により、建築家のジョセフ・ライマン・シルスビーの事務所で働き始めたが、1年ほどでシルスビー事務所を辞し、ダンクマール・アドラーとルイス・サリヴァンが共同して設立したアドラー=サリヴァン事務所へと移った。アドラー=サリヴァン事務所ではその才能を見込まれ、事務所における1888年以降のほとんどの住宅の設計を任せられた。ライト自身もサリヴァンをLieber Meister (愛する師匠)と呼んで尊敬し[1]、生涯にわたりその影響を肯定し続けた。
アドラー=サリヴァン事務所に勤めてもうすぐ7年になろうとした1893年、事務所での設計業務とは別にアルバイトの住宅設計を行っていたことがサリヴァンの知るところとなり、その件を咎められたライトはアドラー=サリヴァン事務所を辞し、独立して事務所を構えた。ライトの経済的困窮は、子だくさんに加え、洋服や車など、贅沢品を好むそのライフスタイルにあった。1894年のウィンズロー邸は独立後最初の作品である。
独立した1893年から1910年までの17年間に計画案も含め200件近い建築の設計を行い、プレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)の作品で知られるようになった。1906年のロビー邸はその代表的作品である。プレイリースタイルの特徴としては、当時シカゴ周辺の住宅にあった屋根裏、地下室などを廃することで建物の高さを抑えたこと、水平線を強調した佇まい、部屋同士を完全に区切ることなく、一つの空間として緩やかにつないだことなどがあげられる。
ヨーロッパの建築様式の模倣である新古典主義が全盛であった当時のアメリカにおいて、プレイリースタイルの作品でアメリカの郊外住宅に新しい建築様式を打ち出し、建築家としての評価を受けたライトであったが、この後1936年のカウフマン邸(落水荘)までの間、長い低迷期を迎えることとなる。そのきっかけになった出来事が1904年に竣工したチェニー邸の施主の妻ママー・チェニーとの不倫関係であった。
当時、ライトは1889年に結婚したキャサリン・トビンとの間に6人の子供をもうけていた。既にチェニー夫人と恋仲にあったライトは妻キャサリンに離婚を切り出したが、彼女は応じなかった。1909年、42歳であったライトはついに事務所を閉じ、家庭をも捨て、チェニー夫人とニューヨーク、さらにはヨーロッパへの駆け落ちを強行する。1911年にアメリカに帰国するまでの2年間に設計活動が行われることはなかったが、その間に滞在したベルリンにおいて、後にライトの建築を広く知らしめ、ヨーロッパの近代建築運動に大きな影響を与えるきっかけとなったヴァスムート社出版のライト作品集の編集及び監修に関わった。
1911年に帰国したライトを待っていたのは、不倫事件によって地に落ちた名声と設計依頼の激減という危機的状況であった。妻は依然として離婚に応じなかったが、ライトはチェニー夫人との新居を構えるべく、母アンナに与えられたウィスコンシン州スプリング・グリーンの土地にタリアセン[2]の設計を始めた。その後、少しずつではあるが設計の依頼が増えてきたライトを更なる事件が襲った。タリアセンの使用人であったジュリアン・カールトンが建物に放火した上、チェニー夫人と2人の子供、及び弟子達の計7人を斧で惨殺したのである。なお、逮捕されたカールトンは犯行の動機を語ることなく、7週間後に獄中で餓死した。当時、シカゴの現場に出ていたライトは難を逃れたが、これにより大きな精神的痛手を受け、さらには再びスキャンダルの渦中の人となった。そのような中で依頼が来たのが日本の帝国ホテル新館設計の仕事であった。
1913年、帝国ホテル新館設計のために訪日。以後もたびたび訪日し設計を進めたが、大幅な予算オーバーと工期の遅れに起因する経営陣との衝突から、このホテルの完成を見ることなく離日を余儀なくされた。ホテルの建設は弟子の遠藤新の指揮のもとその後も続けられ1923年に竣工した。
数々の不幸に見舞われ、公私にわたり大打撃を受けたライトであったが、1930年代後半になるとカウフマン邸(落水荘)、ジョンソンワックス社と相次いで2つの代表作を世に発表し、70歳代になって再び歴史の表舞台に返り咲くことになる。 2作ともにカンチレバー(片持ち梁)が効果的に用いられた。同時期にはプレイリースタイルの発展形である「ユーソニアン・ハウス」と名付けられた新たな建設方式を考案し、これに則った工業化住宅を次々と設計した。ここでは万人により安価でより良い住宅を提供することが目標とされた。1936年のジェイコブス邸はその第1作目の作品である。
そのスタイルには変遷もあり、一時はマヤの装飾を取り入れたことがあるが、基本的にはモダニズムの流れをくみ、幾何学的な装飾と流れるような空間構成が特徴である。浮世絵の収集でも知られ、日本文化から少なからぬ影響を受けていることが指摘されている。浮世絵のディーラーとしても知られ、富豪のために日本で浮世絵を購入した上で売却している。
家族
妻として、キャサリン・トビン、ママー・ボソウィック(元チェニー夫人。内縁)、モード・ノエル(薬物中毒)、オルガ・イヴァノウァ・ヒンゼンブルグ(神秘主義者グルジェフの弟子で彼らの提唱する神聖舞踏のダンサー)。キャサリンとの間に実子が6人。息子のフランク・ロイド・ライト・ジュニア(通称ロイド・ライト)、ジョン・ロイド・ライトはともに建築家。孫娘に、アカデミー賞女優のアン・バクスターがいる。
代表作
- FLWright Home and Studio East.jpg
自邸と事務所 - LarkinAdministrationBuilding1906.jpg
ラーキン・ビル - UnityTempleInterior.jpg
ユニティ教会 - Jiyu gakuen myonichikan.JPG
自由学園明日館 - Yamamura house07n4272.jpg
山邑邸 - Hollyhock House.JPG
バーンズドール邸 - Johnsonwax01.jpg
ジョンソンワックス社研究所棟 - Jacobs First House - front.jpg
ジェイコブス邸 - 1st-Unitarian.jpg
ユニテリアン教会 - Taliesin West Complex DSCN2137.jpg
タリアセン・ウエスト - Frank Lloyd Wright - Beth Sholom Synagogue 1.JPG
ベス・ショーロム・シナゴーグ - Marin County Civic Center Roof 20060610.jpg
マリン郡役所
日本語文献
著書
- 『ライトの遺言』 谷川正己・睦子共訳、彰国社、限定版1961年、1966年
- 『ライトの住宅 自然・人間・建築』 遠藤楽訳、彰国社、1967年
- 『ライトの都市論』 谷川正己・睦子共訳、彰国社、1968年
- 『ライトの建築論』 エドガー・カウフマン編 谷川正己・睦子共訳、彰国社、1970年-※以上は多数重版
- 『建築について』 谷川正己・睦子共訳、鹿島出版会〈SD選書〉上・下、1980年
- 『ライト自伝 ある芸術家の形成』 樋口清訳、中央公論美術出版、1988年
- 『ライト自伝 ある芸術の展開』 樋口清訳、中央公論美術出版、2000年-各大著
- 『建築家への手紙』 内井昭蔵訳、丸善、1986年
- 『弟子達への手紙』 内井昭蔵・小林陽子訳、丸善、1987年
- 『フランク・ロイド・ライト ドローイング集』 吉富久美子訳、同朋舎出版、1991年
- 『ライト=マンフォード往復書簡集 1926-1959』 富岡義人編訳、鹿島出版会 2005年
- 『フランク・ロイド・ライトの現代建築講義』 山形浩生訳、白水社、2009年12月
- 『有機的建築』 三輪直美訳、筑摩書房、2009年12月
- 『フランク・ロイド・ライト 自然の家』 富岡義人訳、ちくま学芸文庫、2010年1月
- 『テスタメント』 樋口清訳、中央公論美術出版、2010年10月-大著
伝記・研究・写真集
- ※代表的な一部である。
- 天野太郎・樋口清・生田勉『フランク・ロイド・ライト』 彰国社、1954年
- 天野太郎・浦辺鎮太郎・二川幸夫『フランク・ロイド・ライト1』 美術出版社現代建築家シリーズ、1967年
- 谷川正己 『フランク・ロイド・ライト』 鹿島出版会 :SD選書 、1967年
- 谷川正己 『ライトと日本』 鹿島出版会:SD選書、1977年
- 谷川正己 『タリアセンへの道』 鹿島出版会:SD選書 、1978年
- 谷川正己 『フランク・ロイド・ライトとはだれか』 王国社、2001年
- 谷川正己 『フランク・ロイド・ライトの日本』 光文社新書、2004年
- エドガー・ターフェル 『知られざるフランク・ロイド・ライト』 谷川正己、谷川睦子共訳 、鹿島出版会、1992年
- エドガー・ターフェル 『フランク・ロイド・ライト 天才建築家の人と作品』 谷川睦子訳 、啓学出版(現代建築集成・別巻3)、1985年
- ブルース・ブルックス・ファイファ 『巨匠フランク・ロイド・ライト』 デヴィッド・ラーキン編、鹿島出版会、1999年
- ケヴィン・ニュート 『フランク・ロイド・ライトと日本文化』 大木順子訳、鹿島出版会、1997年
- William Allin Storrer 『フランク・ロイド・ライト全作品』 岸田省吾監訳、丸善、2000年
- Charles・Aguar他『フランク・ロイド・ライトのランドスケープデザイン』 大木順子訳、丸善、2004年
- 三沢浩『フランク・ロイド・ライト入門 その空間づくり四十八手』 王国社 、2008年
- 三沢浩『フランク・ロイド・ライトのモダニズム』 彰国社、2001年
- 岡野真『フランク・ロイド・ライトの建築遺産』 丸善、2005年
- エイダ・ルイーズ・ハクスタブル 『未完の建築家フランク・ロイド・ライト』 三輪直美訳、TOTO出版、2007年
- マーゴ・スタイプ 『フランク・ロイド・ライト・ポートフォリオ 素顔の肖像、作品の真実』 隈研吾監修、酒井泰介訳、講談社トレジャーズ、2007年
- Arlene Sanderson 『フランク・ロイド・ライト/建築ガイドブック』 水上優訳、丸善、2008年
- 大久保美春 『フランク・ロイド・ライト 建築は自然への捧げ物』 ミネルヴァ書房[ミネルヴァ日本評伝選]、2008年
- 谷川正己[文]宮本和義[写真]『旧山邑邸・ヨドコウ迎賓館 ― 建築家 フランク・ロイド・ライト』、バナナブックス、2008年
- 谷川正己[文]宮本和義[写真]『自由学園明日館 ― 建築家 フランク・ロイド・ライト』、バナナブックス、2009年
- ブレンダン・ギル、塚口真佐子訳 『ライト仮面の生涯』 学芸出版社、2009年
- 水上優『フランク・ロイド・ライトの建築思想』中央公論美術出版、2013年
ライトの事務所、タリアセン・フェローシップの建築家
- アントニン・レーモンド
- ノエミ・レーモンド
- 遠藤新
- 土浦亀城
- 土浦信
- ルドルフ・シンドラー
- リチャード・ノイトラ
- 田上義也
- 南信
- 柴田太郎
- 岡見健彦
- 天野太郎
- 遠藤楽
- 一ノ宮賢治
- パオロ・ソレリ
- カネジ・ドウモト
脚注
関連項目
- アン・バクスター - 女優(孫)
- アイン・ランド - 小説家、小説『水源』の主人公ハワード・ロークのモデルがライトだと言われている。ゲイリー・クーパー 主演の『摩天楼』(1949年)はその映画化。
- Nancy Horan - 小説家。愛人だったチェニー夫人(Mama Bothwick)の視点でライトとの暮らしを描いた小説『Loving Frank』を出版。
- T. C. Boyle - 小説家。ライトを取り巻く4人の女たちを日本人の弟子の視点で描いた小説『The Women』を出版。
- ジョエル・シルバー
- カネジ・ドウモト - 師弟関係
- 河野傳 - 帝国ホテル建設時に師事し、後に国立駅駅舎を設計する。
- ソビエト宮殿
外部リンク
- Frank Lloyd Wright Foundation(英語版)
- フランク・ロイド・ライトとタリアセン『建築時代』第22(洪洋社, 1932)
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