マリア観音
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マリア観音(マリアかんのん)とは、おもに江戸時代の禁教令によって弾圧を受けたキリシタン(キリスト教徒)達によって信仰の対象とされた聖母マリアに擬せられた観音菩薩像。
その多くは中国製の青磁、あるいは白磁の慈母観音像[1]であった。慈母観音とは中国発祥の観音菩薩像で、稚児を抱き慈愛に満ちた造形表現となっており、肥前(長崎県)の浦上(現・長崎市浦上)や外海、五島などの潜伏キリシタンは、これに聖母マリアを投影してその像とした。その形状は地域によってさまざまであり、中には菩薩像の胸に十字架を彫刻したり、国内で窯焼きされたものもあったと考えられている。これらの像は、キリシタンとして信仰の灯を絶やさぬよう神(デウス)や聖母マリアへ祈りを捧げるのに使われたという。また、潜伏キリシタンがいた地方でも、平戸などマリア観音が用いられなかった地域もある。1873年(明治6年)に禁教令が解かれるまで、この状態は続いた。
芥川龍之介も蔵していた(芥川龍之介「わが家の古玩」)。
外部リンク
脚注
- ↑ もともと観音は男性であったが中国で「慈母観音」と女性に変化した。