海陽町

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海陽町(かいようちょう)は、徳島県の南部に位置するである。

地理

自然

隣接している自治体

人口

海陽町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

歴史

古い時代には海運が盛んな地域だった。豊富な森林資源と強力な海運力が、古い時代のこの地域の繁栄をもたらした。川の水力や風と海流と人力という燃料なしの航海術で遠距離への出荷が可能になっていたのであり、特産だった木材も刀剣も近代以前は海運なしには成立しない。

古代

海部地区「芝遺跡」から出土した、3世紀の県外他地域産土器の数は県内最多。調査面積も少なく推測の域を出ないが、この3世紀の時期に徳島・高知ルートとして海上ルートが開発されたと考えられる。弥生時代終わり頃から古墳時代始め頃の土器は、徳島・香川・高知・岡山・関西[1]


古墳

大里古墳(地図 - Google マップ)は県南最大の横穴式円墳。県指定史跡[2]

土佐日記

935年「土佐日記」成立。これによって、紀貫之が阿波南部を船で帰京したことがわかる。寄港地には諸説ある。江戸期前半に土佐藩主参勤交代の港として使われ、江戸期を通じて藩の重要な港だった東洋町甲浦港が当てられることが多い。

瑩山紹瑾禅師と城満寺

1290年代、加賀大乗寺開基家富樫氏の縁族という海部の郡司によって、曹洞宗中興の祖と言われる瑩山紹瑾[3]が、吉田の城満寺に招かれた。

古銭

1300年代後半、7万88枚の古銭が大里に埋蔵された。

中世海部氏

史料に見える中世海部氏について。

  • 海部但馬守は1352(正平7)年に細川顕氏(あきうじ)によって、山城国久世荘の乱暴人を排除するよう命じられた。[4]
  • 1392年(明徳3年)、京都五山の一つ、相国寺の落慶供養に、管領細川頼元に随従して、月毛の馬に乗って海部三郎経清が出てくる[5]
  • 1420年(応永27年)、阿波守護細川義之の若党「カイフト云者」が登場する(「満済准后日記」)等々[6]

このように、中世海部氏は文献上ではまず京都に登場してその名を知られる。中世阿波と細川氏の関係は深い。

阿波最古の梵鐘

旧海南町若松の御崎神社(祭神・猿田彦命)に県最古の鐘「永享の古鐘」が奉納されていた。銘文「阿州海部郡 細野村御崎 御宝前鐘也 永享四(1432)年11月吉日 願主 衛太夫」

中世海運

1445年東大寺伝来史料「兵庫北関入船納帳」によれば海部船籍の船の兵庫への入港数は「四国一」、全体で見ても10位である[7]

兵庫北関入船納帳」というのは、東大寺の荘園であった兵庫北関(現神戸市兵庫区)において、文安2年(1445年)1年間にチェックされた入船の貨物状況を記録した帳簿である。林屋辰三郎が発見した。中世の関税台帳としては、同種史料がドイツハンザ同盟都市に1点残存しているのみという、極めて稀有の文献。記載内容は、入船月日・船籍所在地・貨物名。数量・関銭額・納入月日・船主名・問丸名。

千葉県佐倉「国立歴史民俗博物館」では、その貴重性のため「兵庫北関入船納帳」の複製が展示されている。

入港船数15隻以上の四国の港湾[8]

  • 阿波(海部54・宍喰20・平島19)
  • 土佐(甲浦26)
  • 讃岐(宇多津47・塩飽35・嶋(小豆島か)29・引田21・三本松20・平山19)
  • 伊予(弓削嶋26)

以上のように、中世阿波海部の海運は「四国一」なのである[9]

木材

前項のとおり、1445年当時は海陽町から神戸まで盛んにが往来していた。積荷は木材である。このような遠い所から京都まで木材のような大きな物を運んだのは、日本では室町中期まで植林が行われず、浪費するばかりで木がなくなってしまったことによる。

南北朝の動乱で、京都・畿内近国は戦場と化し森林資源の浪費に拍車をかけた。京都五山の造営が始まった頃には畿内の森林は伐り尽くされ、用材は遠隔地の山奥へと求められた。

しかし大木があるだけでは伐り出しても運べない。海に近いか、いかだ流しができる大河川の流域沿いであることが必須である。その結果、東山道美濃飛騨と、南海道の阿波・土佐が選ばれた。

「兵庫北関入船納帳」によれば、

  • 由良(淡路島)1万1640石、海部(阿波)9450石
  • 宍喰(阿波)2460石、平島(阿波)1865石
  • 牟岐(阿波)1690石、橘(阿波)430石

由良の木材も他の史料で、阿波方面の物資を扱っていたことがわかっているので、阿波産である。室町中期の阿波は、年間2万8千石以上の木材を畿内地方に搬出していた。そして、海部と宍喰、つまり現海陽町だけで、1445年、兵庫北関通過の阿波産木材の約半数になるのである。

だが、南国の木材は成長が早いために木質が粗く、珍重されたのは木曾材だった。[10]

海部刀

室町時代頃から「海部氏」の生産奨励によって「海部刀」が生産された。海部城主によって作られた海部刀も現存する。戦国時代長宗我部元親の侵攻により海部城が落ちてからは衰退した。だが、慶長19年(1614年)の大阪冬の陣で、蜂須賀至鎮臣下が海部刀を使い活躍して徳川家康徳川秀忠より感状(感謝状)を下賜されたこともあり、江戸時代徳島藩蜂須賀氏に保護され、刀工・氏吉一族は徳島城下に移って[11]幕末まで鍛刀した[12]

著名なものは三好長慶所持の「刀 阿州氏吉作(名物 岩切海部[13]」。

海部城

1575年長宗我部元親が陸路に侵入し、瓦を使っていた県内三城の内の一つ「海部城」が落城した。城主が姻族の加勢のため讃岐に出征中で、戦力不在のため無血開城だった[14]

木材の集散や海路の監視所として、海部川河口の「城山」は古くから重要拠点だった。城山はかつては周囲を海部川が巡り、海に臨む「島」だった。戦後に埋め立て造成が進んだ。ここに城が築かれたのはいつなのか、諸説あっても根拠の提示はなされていない。

戦時中は城山山麓に大規模な退避壕を構築[15]。城山山上には陸軍の監視所が設置され、監視員のための防空壕が構築された。それらの作業は、浅川以南の各町村から奉仕隊が交代で出動し、のべ人員は1万人を数えた[16]

80人鉄砲隊

  • 蜂須賀氏入国後、大里に80人の鉄砲隊が配置され、50年後に半減したものの廃藩まで駐留した。
  • 海部城代益田豊後の起こした事件の後、藩主お墨付き(判形)の水軍系武士36人も駐留した。海部郡代役所が置かれた。

海陽町成立以降

行政

町長

歴代町長
代位 町長氏名 任期
就任年月日 退任年月日
初代 五軒家憲次 2006年平成18年)5月 2014年(平成26年)5月13日
第2代 前田恵 2014年(平成26年)5月14日 2018年(平成30年)5月13日
第3代 三浦茂貴 2018年(平成30年)5月14日


教育

高等学校

中学校

小学校

その他

天然記念物

文化施設

  • 阿波海南文化村[19]
    • 旧海南町時代に設立された。海南文化館、町立博物館、工芸館、いきいき館、三幸館などの諸施設を有する複合的文化施設。
    • 〒775-0202 海陽町四方原字杉谷73番地
  • 海陽町立博物館[20]
    • 阿波海南文化村内に設立された町立の歴史・民俗学系博物館。同館収蔵品中、特に中世海部川流域の刀工が作り出した、この地域特有の海部刀を中心とした刀剣コレクションは、全国屈指の質と量を誇る。他に中世の埋納銭としては四国一の出土枚数を記録する「大里古銭」など、町内で発掘収集された考古・民俗資料を豊富に収蔵している。小規模ながら、独創的な地方博物館の1つである。
    • 開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)、駐車場有り。

交通

鉄道路線

阿佐東線:海部駅(JR四国に接続) - 宍喰駅 -(高知県安芸郡東洋町)

路線バス

道路

一般国道

県道

主要地方道
一般県道

道の駅

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

出身有名人

脚注

  1. 海部公民館報・平成17年7月25日号より
  2. 徳島県文化財保護審議会 - 徳島県
  3. 曹洞宗には、道元が開いた「永平寺」と、瑩山紹瑾が開いた「總持寺」の、二つの大本山がある。總持寺(瑩山紹瑾)
  4. 国宝「東寺百合文書」による
  5. 「相国寺供養記」による
  6. 以上平成7年版『海南町史』
  7. 林屋辰三郎編『兵庫北関入船納帳』中央公論美術出版・昭和56年
  8. 千葉県佐倉「国立歴史民俗博物館」パンフレットNO.16より
  9. 唯一史料「兵庫北関入船納帳」による
  10. 参考:週刊朝日百科・日本の歴史20・中世II・琵琶湖と淀の水系・今谷明・昭和61年
  11. 万治3年(1660年)、3代藩主・蜂須賀光隆の時代。
  12. 海部刀(海陽町) 切れ味鋭く全国で愛用 徳島新聞 2009年1月21日
  13. 江戸時代は福岡藩黒田家伝来。福岡県指定文化財。福岡市博物館
  14. 参考『海部町史』昭和46年
  15. 『海部町史』277p上段末
  16. 『海部町史』277p 下段
  17. 図典 日本の市町村章 p190
  18. “海陽町長選 三浦氏が初当選 投票率78.98% 8年ぶり選挙戦制す / 徳島”. 毎日新聞. (2018年4月23日). https://mainichi.jp/articles/20180423/ddl/k36/010/272000c . 2018閲覧. 
  19. 阿波海南文化村
  20. 海陽町立博物館
  21. 鞆奥と八幡神社の関係について 岡島隆夫 阿波学会研究紀要 郷土研究発表会紀要第33号

参考文献

  • 『図典 日本の市町村章』 小学館辞典編集部、小学館、2007-01-10、初版第1刷。ISBN 4095263113。
  • 岡田一郎 『海部刀徳島新聞出版部、1960年。

関連項目

外部リンク