井上一樹
井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は、鹿児島県霧島市出身の元プロ野球選手(外野手)。
中日ドラゴンズに所属し、2006年から2007年は選手会長を務めた。2009年を以って現役を引退し、2010年は中日の打撃コーチ、2011年は中日の二軍監督、2012年から2013年までは中日の一軍打撃コーチを務めた。
Contents
経歴
アマチュア時代
陵南小学校時代にソフトボールを始める。陵南中学校時代に軟式野球部に入部。鹿児島商業高校時代は、投手兼外野手として甲子園に1回出場。高校通算40本塁打を記録し、野手・投手の双方で注目を浴びる。
1989年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受けて入団。
現役時代
入団直後は投手として起用されたが、満足のいく成績を残せずに1994年から打者転向。この年、ジュニアオールスターでMVPを獲得。
1996年に背番号を38から99に変更した。1998年に就任した水谷実雄打撃コーチの指導の下、徐々に素質が開花し始めた[1]。
1999年は7番打者として4月2日の広島東洋カープ戦から4月28日の阪神タイガース戦まで開幕21試合連続安打を記録する[2]など、正外野手として、攻守にわたって同年のリーグ優勝やリーグ新記録の開幕11連勝に貢献する働きを見せる。また、中日ドラゴンズのリーグ優勝が決まった日の試合でも決勝適時打を放つなど活躍した。この時期に、ピンク色のリストバンドを好んで使用していた事から「ピンキー」というニックネームが、当時の背番号99とともにファンに定着した[3]。福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでは13打数0安打に終わり、チームも1勝4敗で敗れた。
2003年には応援歌を、1999年の中日優勝当時の曲に戻した。
2004年から落合博満の監督就任もあり背番号99とピンキーの愛称を返上し、背番号9・水色のリストバンドを使用するようになった。一塁手への転向も視野に入れるなど、積極的にレギュラー争いに挑み、時にはレギュラー、時にはスーパーサブとしてチームを引っ張った。同年の日本シリーズでは日本一を逃したものの、活躍が認められて敢闘賞を受賞している。
2005年も大西崇之や英智らと左翼手の座を争い、規定打席不足ながら2桁本塁打と初の打率3割を達成した。
2006年、中日の選手会長を4歳年下の井端弘和より受け継ぐ。井上はファンサービスに熱心に取り組み、「福留孝介デー」などといった企画の実行にこぎつけた(後述)。8月15日の対広島東洋カープ13回戦で、プロ野球史上411人目となる通算1000試合出場を達成した。8月30日の対阪神15回戦(阪神甲子園球場)では劣勢の中、9回表二死から代打で登場し、藤川球児から高めの球を捕らえて値千金となる同点本塁打を放った。試合は結局引き分けに終わったが、中日はマジックを1減らし、勝ちに等しい引き分けとなり、この年のペナントレースを大きく左右する本塁打となった。シーズン全体では英智や藤井淳志らとレギュラー争いをし、規定打席には足りないものの勝負強さを発揮し、2年連続で3割と2桁本塁打を達成するなど、優勝に大きく貢献した。
2007年は同じく左打ちの外野手である李炳圭の獲得や、中村紀洋の獲得で森野将彦が三塁から外野に回る機会が増えるなどのチーム事情が影響し、出場機会が減少。序盤には二軍降格も経験した[4]。しかし、タイロン・ウッズが契約切れで帰国したため、同年のアジアシリーズでの対SKワイバーンズ戦、対チャイナスターズ(中国プロリーグ選抜)戦、更に決勝の対SKワイバーンズ戦では4試合で3本塁打を放っている。同年限りで選手会長を退任し、6歳年下の荒木雅博に譲った。
2008年は開幕を二軍で迎えるも、4月25日に一軍に昇格。以後左の代打やスタメン出場もあり活躍した。しかし、9月2日に再降格し、シーズン終盤に再昇格した。
2009年は開幕戦にスタメンとして名を連ねるも、打撃不振で4月中旬に降格。シーズンの大半を二軍で過ごす。そして、9月25日の試合終了後に現役引退を表明した。会見では「体力の衰えは感じていないが、ドラゴンズ一筋で辞めるのがベストだと思った。選手会長で優勝パレードができたのが思い出」と話した。9月27日の対阪神戦(ナゴヤドーム)が引退試合として行われ、6番右翼で先発出場した。試合は敗れ、井上自身も4打数無安打であったが、試合終了後に引退セレモニーが行われ、立浪和義と矢野輝弘から花束が贈られた。その後の胴上げには、チームメイトに混じって矢野と高橋光信(2人ともかつて中日でチームメイト)も加わった。その後、10月3日に富山市民球場アルペンスタジアムで行われたファーム日本選手権(対読売ジャイアンツ戦)に出場し、8回表に李炳圭の代打で出場した。この回は二塁走者が牽制で3アウトチェンジとなったため、9回表に先頭打者として打席に立ち、勝利を決定付ける本塁打を放つ。試合終了後には二軍選手達からの胴上げを受け、背番号と同じ9回宙に舞った。10月24日のクライマックスシリーズ第2ステージ第4戦が最後の出場となった。
現役引退後
引退後の2010年には一軍打撃コーチとして引き続き中日に在籍し、秋季練習から主に若手選手の指導にあたっている。背番号は、現役時代に最も長い期間使用していた「99」となった。
2011年は、退団した川相昌弘に代わり二軍監督に就任[5]。若手選手を積極的に指導し、二軍を2年ぶりのウエスタン・リーグ優勝に導き[6]、さらにファーム日本選手権でも勝利して日本一を果たした[7]。
2012年からは再び一軍打撃コーチとなる[8]。2013年10月15日に球団より来季の契約を結ばない事が発表された[9]。
2014年からは、メ~テレ・東海ラジオの野球解説者を務める。
人物
- 大相撲の西ノ海、加賀錦(元幕下)、鶴ヶ嶺(元関脇)、薩摩錦(元幕下)、元鶴ヶ嶺(元井筒親方)、井筒親方(元関脇逆鉾)、錣山親方(元関脇寺尾)、鶴ノ富士智万(元十両)とは親戚。子供の頃、体を生かして大相撲入りを進められたこともあり、中学3年の時には井筒親方の招きで東京のけいこ場に見学に行っている。
- 2003年、個人で日頃から病院を訪問して子供達を激励する活動が評価され、野球選手の社会貢献活動を表彰するゴールデンスピリット賞を受賞。
- 2006年、新選手会長として様々なファンサービスをナゴヤドームで実践し、営業面での努力と才能も見せた。例えば、「井端デー」「川上デー」のような選手の誕生日の試合で行った様々なサービス、井上自身が習字の腕前が優れていることを利用した、井上の書いた題字と選手写真を組み合わせた力強いポスターなどである。また、自らデザインを手がけたテンガロンハットもグッズとして発売された。2006年からはピンクのリストバンドをたまに使用している。2009年の「引退試合」でも身につけていたが、全盛期のものとメーカーが違う関係で色が濃いものとなっていた。
- 2006年のラスベガス優勝旅行で、出発直前にパスポートを紛失。自宅で発見するも、一行が乗ったチャーター機には間に合わず、翌日に自腹で航空券を購入し1日半遅れで「こんなことになって申し訳ない」と恐縮しながら合流した。
- 東海ラジオ放送と関わりが深く、2005年 - 2007年まではドラゴンズNo.1ジョッキーに電話出演と毎年の生出演をしていた。2008年12月29日から2009年1月2日までガッツだ!ドラゴンズのメインパーソナリティを担当した(番組タイトルも「井上一樹のガッツだ!ドラゴンズ」となった)。また現役引退後の2010年1月3日に、特別番組『ありがとう薩摩隼人 井上一樹20年の軌跡』が唯一単独枠の番組として放送された。2017年現在も、月曜・火曜のドラヂカラ‼にメインパーソナリティとして出演し、巧みな話術で鳴らしている。
- KARAのファンであることをメ〜テレの『どですか!』で公表している。好きなメンバーはスンヨン、気になっているのはニコル。
- SKE48の須田亜香里は好きな選手を井上と挙げている。
- 朝日放送ラジオの解説の中で「ドラゴンズに所属していたものの、阪神ファンである」と公言(2014年7月14日)。ただ、福留孝介が膝の痛みを理由に、MLBから帰国して天然芝のフィールドの甲子園球場を本拠地にする阪神に入団した件に関しては「だから阪神行ったんかい!」と、ドラヂカラ‼の番組内で福留にツッコミを入れている。
詳細情報
年度別投手成績
1991 | 中日 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 71 | 13.2 | 16 | 0 | 15 | 0 | 2 | 11 | 2 | 0 | 11 | 11 | 7.24 | 2.27 |
1992 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 5 | 1.0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 | |
通算:2年 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 76 | 14.2 | 16 | 0 | 17 | 0 | 2 | 12 | 2 | 0 | 11 | 11 | 6.75 | 2.25 |
---|
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | 中日 | 8 | 2 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | 1.000 | 1.500 |
1992 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1994 | 30 | 55 | 51 | 6 | 13 | 5 | 1 | 0 | 20 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 16 | 1 | .255 | .309 | .392 | .701 | |
1995 | 11 | 24 | 23 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | .130 | .167 | .130 | .297 | |
1997 | 28 | 74 | 73 | 6 | 21 | 5 | 0 | 2 | 32 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 25 | 0 | .288 | .297 | .438 | .736 | |
1998 | 107 | 394 | 352 | 34 | 93 | 18 | 4 | 9 | 146 | 31 | 1 | 0 | 3 | 2 | 35 | 2 | 2 | 79 | 13 | .264 | .332 | .415 | .747 | |
1999 | 130 | 499 | 450 | 40 | 133 | 18 | 5 | 10 | 191 | 65 | 2 | 0 | 0 | 4 | 45 | 5 | 0 | 85 | 7 | .296 | .357 | .424 | .781 | |
2000 | 116 | 351 | 324 | 38 | 91 | 20 | 2 | 11 | 148 | 41 | 0 | 6 | 0 | 2 | 25 | 2 | 0 | 79 | 8 | .281 | .330 | .457 | .787 | |
2001 | 112 | 349 | 321 | 24 | 83 | 21 | 2 | 2 | 114 | 20 | 2 | 1 | 1 | 1 | 25 | 2 | 1 | 54 | 5 | .259 | .313 | .355 | .668 | |
2002 | 99 | 282 | 257 | 26 | 63 | 18 | 2 | 7 | 106 | 23 | 2 | 2 | 1 | 2 | 19 | 1 | 3 | 51 | 6 | .245 | .302 | .412 | .715 | |
2003 | 75 | 126 | 115 | 16 | 29 | 7 | 1 | 2 | 44 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 1 | 23 | 1 | .252 | .317 | .383 | .700 | |
2004 | 113 | 319 | 283 | 41 | 78 | 14 | 0 | 11 | 125 | 30 | 0 | 0 | 0 | 1 | 32 | 2 | 3 | 59 | 8 | .276 | .354 | .442 | .796 | |
2005 | 107 | 263 | 245 | 30 | 74 | 14 | 1 | 10 | 120 | 38 | 3 | 1 | 0 | 4 | 13 | 0 | 1 | 40 | 4 | .302 | .335 | .490 | .824 | |
2006 | 108 | 288 | 273 | 27 | 85 | 12 | 0 | 11 | 130 | 39 | 2 | 1 | 3 | 0 | 12 | 0 | 0 | 42 | 5 | .311 | .340 | .476 | .817 | |
2007 | 71 | 200 | 178 | 20 | 52 | 7 | 4 | 3 | 76 | 28 | 1 | 0 | 4 | 1 | 17 | 1 | 0 | 41 | 4 | .292 | .352 | .427 | .779 | |
2008 | 74 | 154 | 141 | 11 | 41 | 12 | 0 | 1 | 56 | 10 | 0 | 0 | 1 | 0 | 12 | 4 | 0 | 18 | 1 | .291 | .346 | .397 | .744 | |
2009 | 25 | 47 | 46 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 14 | 1 | .065 | .085 | .130 | .216 | |
通算:17年 | 1215 | 3427 | 3134 | 319 | 863 | 173 | 23 | 79 | 1319 | 349 | 13 | 12 | 13 | 17 | 252 | 19 | 11 | 635 | 65 | .275 | .330 | .421 | .751 |
年度別守備成績
年度 | 外野 | 一塁 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備 | |
1994 | 10 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
1995 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
1997 | 21 | 31 | 2 | 1 | 0 | .971 | - | |||||
1998 | 105 | 201 | 5 | 3 | 0 | .986 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
1999 | 128 | 260 | 5 | 3 | 3 | .989 | - | |||||
2000 | 110 | 177 | 6 | 1 | 3 | .995 | - | |||||
2001 | 99 | 130 | 3 | 0 | 2 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 |
2002 | 85 | 106 | 7 | 2 | 4 | .983 | - | |||||
2003 | 26 | 26 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 3 | 19 | 0 | 1 | 3 | .950 |
2004 | 86 | 99 | 4 | 1 | 1 | .990 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2005 | 75 | 85 | 5 | 1 | 0 | .989 | - | |||||
2006 | 78 | 115 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||
2007 | 51 | 61 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
2008 | 33 | 48 | 3 | 2 | 0 | .962 | - | |||||
2009 | 11 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
通算 | 892 | 1320 | 44 | 12 | 14 | .991 | 7 | 22 | 0 | 2 | 3 | .917 |
表彰
- JA全農Go・Go賞:1回 (好捕賞:2002年6月)
- ジュニアオールスターMVP(1994年)
- ゴールデンスピリット賞(2003年)
- 日本シリーズ敢闘賞:1回 (2004年)
記録
- 投手記録
- 打撃記録
- 初安打:1991年5月19日、対阪神タイガース9回戦(阪神甲子園球場)、5回表に久保康生から単打
- 初先発出場:1994年7月27日、対横浜ベイスターズ18回戦(ナゴヤ球場)、6番・右翼手として先発出場
- 初打点:同上、2回裏に五十嵐英樹から適時二塁打
- 初本塁打:1997年9月3日、対広島東洋カープ25回戦(広島市民球場)、1回表に黒田博樹から右越3ラン
- 1000試合出場:2006年8月15日、対広島東洋カープ13回戦(広島市民球場)、7番・右翼手として先発出場 ※史上411人目
背番号
- 38 (1990年 - 1995年)
- 99 (1996年 - 2003年、2010年 - 2013年)
- 9 (2004年 - 2009年)
出演番組
- 『ドデスカ!』(メ~テレ、2014年4月 - 、土曜レギュラー、スポーツコメンテーター)
- 『ドラHOTプラス』(東海テレビ、2014年4月 - 、不定期)
- 『スポーツスタジアム晴』(中京テレビ、2014年 - 、不定期)
- 『Enjoy! Baseball』(フジテレビ・東海テレビ、2014年 - 、ゲスト解説)
- 『スーパーベースボール』(テレビ朝日・メ~テレ、2014年 - 、解説)
- 『次の瞬間、熱くなれ。THE BASEBALL』(中京テレビローカル、2016年 ‐ 、解説 ※本数契約)
- 『ガッツナイター』(東海ラジオ、2014年 - 、解説)
- 『ドラヂカラ!!』(東海ラジオ、2016年4月 - 、月・火曜パーソナリティー)
- 『爽快!エブリデイ』(東海ラジオ)
脚注
- ↑ 【9月30日】1999年(平11) 99年の歓喜は背番号99が決めた 井上一樹フェンス直撃2発
- ↑ 2000 ベースボール・レコード・ブック 76頁「1999年度主要記録集」より。
- ↑ 「ピンキー」にはピン=一 キ=樹と、名前とかけた意味もあり、井上には特別に思い入れのあるニックネームだった。
- ↑ このとき、立浪和義から井上へ手紙が送られ、井上自身は後年、この立浪からの手紙が心の支えになったと語っている。
- ↑ 井上コーチが2軍監督に就任 - 2010年11月9日
- ↑ 中日2軍が2年ぶり16度目ウエスタンV - 2011年9月18日
- ↑ ファーム日本選手権で勝利
- ↑ “来季のコーチングスタッフについて”. 中日ドラゴンズ (2011年11月21日). . 2011閲覧.
- ↑ 来季の契約について中日球団公式サイト2013年10月15日配信
関連項目
- 鹿児島県出身の人物一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- スポケン! - 年末スペシャル企画をプロデュースしている。
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
業績 |
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