石ノ森章太郎
石ノ森章太郎 | |
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本名 |
小野寺 章太郎 (おのでら しょうたろう) |
生誕 |
1938年1月25日 宮城県登米郡石森町 (現・宮城県登米市) |
死没 |
1998年1月28日(60歳没) 東京都 |
国籍 | 日本 |
職業 |
漫画家 特撮原作者 |
称号 | 勲四等旭日小綬章 |
活動期間 | 1954年 - 1998年 |
代表作 |
『サイボーグ009』 『仮面ライダー』 『人造人間キカイダー』 『さるとびエッちゃん』 『マンガ日本経済入門』 『HOTEL』 |
受賞 |
第 7回講談社児童まんが賞 (『サイボーグ009』『ミュータント・サブ』 第13回小学館漫画賞 (『ジュン』『佐武と市捕物控』) 第33回小学館漫画賞 (『HOTEL』『マンガ日本経済入門』) 第17回日本漫画家協会賞大賞 (『マンガ日本経済入門』) 日本漫画家協会賞文部大臣賞 手塚治虫文化賞マンガ特別賞 映画特別功労賞 |
公式サイト | http://www.ishimoripro.com/ |
石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、1938年〈昭和13年〉1月25日[1][2] - 1998年〈平成10年〉1月28日[2])は、日本の漫画家、特撮作品原作者。本名は小野寺 章太郎(おのでら しょうたろう)[2]。
1984年までは石森 章太郎の表記を用いたが、この時期には「いしもり〜」と呼ばれるのが通例だった。
概要
SF漫画から学習漫画まで幅広い分野で作品を量産し、「漫画の王様」、「漫画の帝王」と評された。(神様手塚と対応してもいる)
代表作は『サイボーグ009』、『佐武と市捕物控』、『009ノ1』、『さるとびエッちゃん』、『人造人間キカイダー』、『マンガ日本経済入門』、『HOTEL』など[2]。仮面ライダーシリーズを始め、特撮作品の原作者としても活躍した。
昭和30年代から40年代、漫画の世界で新しい手法の開発者としてとくに目立った存在であり、多様な分野と作風の中でも特にSF漫画で他への影響が手塚治虫と並んで大きく、いわゆる手塚風漫画の中で最もスタイリッシュな作風で、各時点での新鮮な画面コマ表現と少女漫画にも通用する滑らかな線をもち、昭和40年代始め頃には漫画の王様と呼ばれていた。この時期の作風は、SF (S&F) 性・詩的叙情・アクションを含むことが多かった。それらの要素は1971年に放送開始された『仮面ライダー』以降、徐々に特撮作品へと移っていき、執筆する漫画の傾向は青年漫画や学習漫画など幅広いものとなっていった。
1989年、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名「萬画」を提唱し「萬画宣言」を発表した (この時期は青年以上向けのストーリー漫画は劇画と呼ばれる傾向があった)。以降は自らの職業を「漫画家」ではなく「萬画家」と称した。没後の2007年末には、500巻770作品におよぶ個人全集『石ノ森章太郎萬画大全集』(角川書店)が、一人の著者による最も多い漫画の出版の記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている(それまでのギネスレコードは手塚治虫)。なお、テレビ原作者(アニメ、実写)としてのクレジットは放映期間のべ六十数年分に及び、野村胡堂、長谷川町子らを凌駕して国内最高で、2017年現在も更新し続けている。手塚治虫の衣鉢を継ぐSF漫画の第一人者であったが、熱心なSFの読者としても知られ、海外SF小説から作品のヒントを得ていたことも指摘されている[3]。
妻の小野寺利子は石森グループ会長。息子に俳優の小野寺丈(長男)と石森プロ社長の小野寺章(次男)がいる。親戚(はとこ[4])に小説家の今野敏がいる。
経歴
生い立ち
1938年(昭和13年)1月25日[注釈 1]、宮城県登米郡石森町(いしのもりちょう、現登米市中田町石森[2])[注釈 2]に、父・康太郎(こうたろう)、母・カシクの長男として生まれる。姉、弟2人、妹の5人兄弟。下記にもあるように当初は映画監督を志していたが、3歳上の姉は生来病弱で外出もままならないため、学校での出来事や外での見聞などを絵に描いて見せていたのが、漫画の原点であったという。
そして手塚治虫の「新寶島」に出会い、衝撃を受ける。以後手塚治虫の大ファンになった。
中学時代、近所の子供を集めて漫画同人誌『墨汁一滴』を作るも、2号で廃刊した。2年生の時「毎日中学生新聞」に4コマ漫画を投稿し入選、以後投稿マニアとなる。
宮城県佐沼高等学校[注釈 3]入学後、『漫画少年』への投稿仲間を集めて「東日本漫画研究会」を設立、肉筆回覧誌『墨汁一滴』を制作する。このころ既に漫画業界で「宮城県に天才がいる」と評判になっている。この頃のあだ名は「じゃがいも」。
高校2年生の春、漫画少年の投稿が手塚治虫の目に入り、『鉄腕アトム』のアシスタントを務める。
デビュー以後
高校在学中の1954年(昭和29年)[2][注釈 4]、手塚治虫の仲介が入り、石ノ森は漫画少年で漫画家としてデビューすることになる[9]。デビュー作は『漫画少年』新年号にて掲載された『二級天使』[2]。厳格な公務員であった父からは漫画家になることを反対されていたが、姉が両親を説得するなど熱心に応援してくれたこともあり、翌年の高校卒業と同時に姉の病気治療も兼ねて2人で上京する。手塚をはじめ多くの漫画家たちが住んでいたトキワ荘に住み、作家活動を始めた。トキワ荘グループの男性陣の中では最年少ではあったが、最も早く頭角を現し、赤塚不二夫[注釈 5]などは、自分の漫画を描くよりも、石ノ森のアシスタントをする時間の方が多いほどだった。また創作速度も極めて速く、藤子不二雄[注釈 6]やのちに石ノ森のアシスタントを務めた永井豪など、石ノ森を知る人間は口を揃えて制作の速さを証言している。藤子の『まんが道』では、藤子が2人で1日に5、6枚描ければよいところを、石ノ森は1人で15-20枚を描いていたという話が出てくる。また石ノ森のエッセイ漫画『サンジェルマン伯爵』(サイボーグ009「海底ピラミッド編」のエピローグに相当)には、「昔(赤塚不二夫と2人で描いていた時代)は月650枚という無茶もやったが、最近では歳だから300枚でフウフウいう」とある。島本和彦は文庫版『石ノ森章太郎のマンガ家入門』の解説で、「石ノ森章太郎は考えずに、考えたあとの結果を惹きだせる作家ということになる。(中略)その後、石ノ森章太郎本人にたずねたことがあるが、この私の理解は正しかった。描くときは「感覚」で描くのだ。しかも「考えながら描くと良いものが出ない」ということなのだ」と語っている[10]。
しかし1958年(昭和33年)4月、トキワ荘で石ノ森と同居し、トキワ荘グループのマドンナ的存在となっていた姉が急逝した[注釈 7]。最大の理解者であった姉を失ったことは、後の石ノ森の作風にも大きな影響をもたらした。
1959年(昭和34年)、手塚のアシスタントだった月岡貞夫とともに、手塚の身代わりとして東映動画(現・東映アニメーション)の劇場アニメ『西遊記』の制作現場に派遣された。石ノ森は月岡とともに「このまま東映動画に入ってアニメーションをやりたい」と訴えたが、当時東映動画の若手スタッフだった白川大作(後に東映動画専務)から「(絵が個性的でアニメに向かないから)ちゃんと漫画をやれ。そのかわり漫画が売れたらそれを原作として買いに行く」と説得されて断念した[11][注釈 8]。後にこのときの約束通り東映動画で作品がアニメ化された。さらに東映本体での特撮番組企画へとつながる東映グループとの接点のきっかけとなる。
藤子、赤塚らと共にトキワ荘に長く住み、国民的売れっ子作家に上り詰めた中でも、もっとも遅い時期まで石ノ森はトキワ荘に住み続けた。
スター作家として
1964年(昭和39年)7月19日より代表作『サイボーグ009』の連載を開始する[注釈 9]。この頃にはすでにスター作家となっており、この時期に描かれた石ノ森のマンガ入門書『マンガ家入門』(1965年)、『続・マンガ家入門』(1966年)は当時から広く読まれた。これは漫画の技術論から、具体的なストーリー構想術までが書かれた画期的な漫画家入門書で、長年の間漫画家志望者のバイブルとなった。また、『サイボーグ009』を連載していた当時、ファンレターの宛先が漫画家の住所となっていたため多数の読者が訪問していた[3]。すがやみつるが『サイボーグ009』の連載終了直後に訪問したときは、サインを貰いにきた別の訪問者に対して、訪問者に見えないところで当時チーフアシスタントであった永井豪が絵だけではなくサインまで書き上げて渡していたという[3]。このような対応を行わないと仕事にならないほど訪問者がきていたことが原因である[3]。
1971年(昭和46年)より渡邊亮徳の絶大な理解とサポートにより、東映特撮作品『仮面ライダー』の原作とその漫画化(仮面ライダー)を担当した[2]。既にある漫画の実写映像化ではなく、製作会社である東映の企画に設定とキャラクターデザインを提供、できあがったものを元に漫画も執筆するというものであり、この成功をきっかけに同社における数多くの特撮・変身ヒーロー番組の原作を手がけることになった。もともと映画監督志望だったこともあり、一部の作品(『仮面ライダー』や『イナズマン』)では監督も務めている。
これらの実写作品では、主役などのレギュラーのキャラクターデザインを石ノ森が手がけるのが通例だったが、『仮面ライダーストロンガー』以降の仮面ライダーシリーズや『アクマイザー3』『秘密戦隊ゴレンジャー』『ジャッカー電撃隊』などの1970年代中期以降の作品では、毎回登場するゲストのキャラクター(敵の怪人)のデザインも数多くおこなっている。ゲストのキャラクターのデザインの多くは簡単な設定込みで石ノ森がラフスケッチを起こすという形で行われ、このラフスケッチをもとに東映の番組スタッフ側でシナリオや着ぐるみがつくられた[注釈 10]。
1985年(昭和60年)[注釈 11]、画業30年を機に「石森章太郎」から「石ノ森章太郎[注釈 12]」に改名した[2]。もともと彼のペンネームは故郷の石森町に由来するもので、「石森」と書いて「いしのもり」と読ませるつもりだったが、誰も「いしのもり」と読んでくれず、「いしもり」としか呼ばれなかったため、初心に戻る意味をこめて改名を行なったという。しかし、山田ゴロが自身のサイトで語るところによると、改名する前は打ち合わせ・旅行・忘年会などの季節行事で関係者一同に頻繁に会っていたのが、改名した頃からはそれがなくなり、石森プロに連絡しても会わせて貰えなくなった。ほどなく関係者一同の間で「先生は御病気らしい」という話が広まったという。
1998年(平成10年)1月28日死去[2]。60歳没。死因はリンパ腫による心不全。誕生日の3日後であった。戒名は「石森院漫徳章現居士」。墓は東京都豊島区池袋三丁目の祥雲寺にある。
年表
- 1938年 - 宮城県登米市(当時は登米郡石森町)に生誕。
- 1953年 - 『漫画少年』の投稿仲間と「東日本漫画研究会」を結成。肉筆回覧誌『墨汁一滴』を創刊。
- 1954年 - 『漫画少年』での「二級天使」連載でデビュー。
- 1963年 - アニメーション制作会社スタジオ・ゼロ設立に参画。世界旅行に立つ。
- 1964年 - 『少年キング』にて代表作「サイボーグ009」の連載開始。
- 1966年 - 『ミュータント・サブ』『サイボーグ009』により第7回講談社児童まんが賞を受賞。
- 1968年 - 石森章太郎プロを設立。『ジュン』・『佐武と市捕物控』により第13回小学館漫画賞を受賞。
- 1971年 - 『仮面ライダー』放映開始。
- 1985年 - デビュー30周年を機に「石ノ森」へ改名。
- 1988年 - 『ホテル』・『マンガ日本経済入門』により第33回小学館漫画賞を、『マンガ日本経済入門』により第17回日本漫画家協会賞大賞を受賞。
- 1989年 - 「萬画宣言」を発表。
- 1998年 - 心不全により死去。没後、勲四等旭日小綬章、全作品に対して第27回日本漫画家協会賞文部大臣賞、マンガとマンガ界への長年の貢献に対して第2回手塚治虫文化賞マンガ特別賞が贈られる。
- 2000年 - 故郷である宮城県登米市中田町に「石ノ森章太郎ふるさと記念館」が設立。
- 2001年 - 宮城県石巻市に「石ノ森萬画館」設立[13]。
- 2006年 - 『石ノ森萬画大全集』刊行開始。
- 2008年 - ギネス・ワールド・レコーズにおいて手塚治虫の「講談社手塚全集」全400巻の記録を「石ノ森萬画大全集」全500冊によって更新、「世界一多作な漫画家」に認定。
- 2008年 - ギネス世界記録博物館の名誉館長に就任。
人物
アシスタント経験者かつ弟子でもある永井豪は、石ノ森のことを「常人の5倍のスピードで描ける天才」と評している[14]。
『仮面ライダー』以後、自身が原作を手がける特撮テレビ番組の漫画連載も多く担当したが、これらはパブリシティ展開として義務付けられていたものであり、テレビ作品の雑誌連載はやりたくないというのが本音であったと述べている[1]。特に作中へテレビ用のキャラクターを登場させると物語に無理が生じることにジレンマを抱えており、後発の『秘密戦隊ゴレンジャー』などではテレビ版とは異なる内容で執筆している[1]。
原作者として参加したテレビ作品に対しては技術的な部分以外に不満はないとしているが、自身の既存の作品を映像化する際は身を切られるような想いであったといい、『サイボーグ009』や『好き! すき!! 魔女先生(千の目先生)』などの設定変更には抵抗があったことを語っている[1]。
ヘビースモーカーで灰皿をすぐ一杯にするため、トキワ荘時代は赤塚不二夫が気を利かせてこまめに交換していたという[15]。
主要作品リスト
※五十音順
- あかんべえ天使
- アマゾンベビィ
- アンドロイドV
- イナズマン
- おかしなおかしなおかしなあの子 さるとびエッちゃん
- 怪人同盟
- 仮面ライダー
- 仮面ライダーアマゾン - 講談社の幼年誌『テレビマガジン』で連載。仕上げは石川森彦の手による。
- 仮面ライダーBlack
- がんばれ!!ロボコン
- 奇人クラブ
- ギルガメッシュ
- 気ンなるやつら
- グーチョキパッコン - 学研の『1 - 2年の科学』連載のみ。
- 草壁署迷宮課おみやさん
- くノ一捕物帖 恋縄緋鳥
- グリングラス
- 黒い風
- 原始少年リュウ
- 現代経済入門
- 幻魔大戦(原作は平井和正との共同)
- サイボーグ009
- 佐武と市捕物控
- さんだらぼっち
- 猿飛佐助
- ジュン
- 少年同盟
- 人造人間キカイダー
- スカルマン
- セクサドール
- 009ノ1
- 千の目先生
- そして…だれもいなくなった
- タイム ハンター
- チックンタックン
- 塚原卜伝
- 鉄面クロス
- 鉄面探偵ゲン
- テレビ小僧
- 天敵
- ドッグワールド
- となりのたまげ太くん
- ドンキッコ
- とんでもハウス
- 流れ星五十三次
- 二級天使
- 買厄懸場帖 九頭竜
- 八百八町表裏 化粧師
- 番長惑星
- 秘密戦隊ゴレンジャー(ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ)
- 平賀源内 解国新書
- ブルーゾーン
- 変身忍者 嵐
- 北斎
- 星の子チョビン
- HOTEL
- ボンボン
- マンガ日本経済入門
- マンガ日本の歴史
- マンガ中国大人物伝 - 第1巻諸葛孔明・第2巻項羽・第3巻チンギスハン・第4巻始皇帝。死去前の作品で、病死前の予定では(第5巻孔子・第6巻毛沢東・第7巻則天武后・第8巻玄宗皇帝・第9巻李白・第10巻西太后)も執筆されるはずだった。[16]
- 未来救助隊アスガード7
- ミラクルジャイアンツ童夢くん
- 宮本武蔵
- ミュータントサブ
- 幽霊船
- リーコが行く シロクロード - 1981年のテレビドラマ『玉ねぎむいたら…』のための書き下ろし作品。作中で毎週原稿が使用され、内容も放送された。
- 龍神沼 - 石森作品初期の傑作として知られ、自身の漫画家生活を後押してくれた姉をヒロインのイメージとして描かれた作品[17]
- リュウの道
- ロボット刑事
- ワイルド・キャット
外部原作者作品
- 宇宙人ピピ(原作:小松左京・平井和正)※ SFテレビドラマのコミカライズ。
- 家畜人ヤプー(原作:沼正三)
- 快傑ハリマオ(原作:山田克郎)※ 表記はされていないが、連載当初の分には手塚治虫の直接の関与があったとされる。
- 多羅尾伴内(原作:比佐芳武、シナリオ小池一夫)
- マタンゴ(原作:星新一、福島正実)
- アニマル・ファーム(原作:ジョージ・オーウェル)
- ゼルダの伝説(同名ゲームのコミカライズ版。アメリカ合衆国のゲーム雑誌『NINTENDO POWER』にて連載され、日本語訳も刊行)
特撮原作
この欄で紹介する作品は、テレビ番組の企画のブレーンとしての参加であり、テレビの企画が先行し漫画が原作というわけではない(詳細は上記の「経歴」を参照)。また、自らは漫画を描いていない作品も多い。
- 昭和仮面ライダーシリーズ
- 仮面ライダー(84話では脚本、監督)
- 仮面ライダーV3
- 仮面ライダーX
- 仮面ライダーアマゾン
- 仮面ライダーストロンガー(最終回では監督・Bパートのみ)
- 仮面ライダー (スカイライダー)(劇場版では総監督)
- 仮面ライダースーパー1
- 仮面ライダーZX
- 仮面ライダーBLACK
- 仮面ライダーBLACK RX[注釈 13]
- 真・仮面ライダー 序章
- 仮面ライダーZO
- 仮面ライダーJ
- 人造人間キカイダー(後にアニメ化)
- キカイダー01
- 人造人間ハカイダー
- KIKAIDER00 - 晩年の未映像化企画、S.I.C.にて具現化する。
- ロボット刑事
- がんばれ!!ロボコン
- ロボット110番
- スーパー戦隊シリーズ
- イナズマン(11話では脚本、監督)
- 変身忍者 嵐
- 快傑ズバット
- アクマイザー3
- 宇宙からのメッセージ・銀河大戦
- 宇宙鉄人キョーダイン
- 大鉄人17
- 星雲仮面マシンマン
- 兄弟拳バイクロッサー[注釈 14]
- TVオバケてれもんじゃ
- 好き! すき!! 魔女先生
- 透明ドリちゃん
- 東映不思議コメディーシリーズ
- ボイスラッガー - 自ら制作に参加した最後の作品であり、放送当時のキャッチコピーでは遺作と呼ばれていた。
- ロボコン(正式タイトル不明) - 晩年の未映像化企画、ロビーナのデザインなど『燃えろ!!ロボコン』の参考になった。
以下は没後製作されたが、著作権管理を一括する配慮からテロップでは原作者とされている。
- 燃えろ!!ロボコン
- 平成仮面ライダーシリーズ
- 昭和リメイク
- キカイダー REBOOT
共作扱い
スーパー戦隊シリーズの原作は、第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』と第2作『ジャッカー電撃隊』のみ石ノ森(当時は「石森」)が担当し、第3作『バトルフィーバーJ』以降は八手三郎に交代した。ただし、ゴレンジャーとジャッカーも登場する場合や仮面ライダーシリーズとのクロスオーバーでは、石ノ森も連名でクレジットされている。
- 未来戦隊タイムレンジャースペシャル
- 百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊
- 轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊
- 海賊戦隊ゴーカイジャー - テレビシリーズ本編では初の共作
- ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦
- 海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船
- 海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE
- 特命戦隊ゴーバスターズVS海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE - 石ノ森のキャラクターは登場しないが、『ゴーカイジャー』の著作権管理を一括するためクレジット
- 仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦
- 平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊
- 烈車戦隊トッキュウジャーVS仮面ライダー鎧武 春休み合体スペシャル
- 手裏剣戦隊ニンニンジャーvs仮面ライダードライブ 春休み合体1時間スペシャル
- スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号
- 動物戦隊ジュウオウジャー 第7・28・29話
- 仮面ライダーゴースト 第24話
- 仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦
- 宇宙戦隊キュウレンジャー 第7話
- 仮面ライダーエグゼイド 第24話
なお、『仮面ライダーディケイド』第24・25話と『侍戦隊シンケンジャー』第20・21話(両作品のクロスオーバー)においては、『ディケイド』では石ノ森のみが、『シンケンジャー』では八手のみが原作者としてクレジットされた。『手裏剣戦隊ニンニンジャー』第7話にはアカレンジャーが登場しているが、石ノ森のクレジットはない。
一方、石ノ森(石森)が単独原作者とされる東映作品(『宇宙鉄人キョーダイン』『快傑ズバット』『氷河戦士ガイスラッガー』など)において、八手が作詞者としてクレジットされている楽曲が多い。
アニメ 原作
- レインボー戦隊ロビン
- サイボーグ009
- 海賊王子
- ドンキッコ
- 空飛ぶゆうれい船 - 石ノ森の短編漫画「ゆうれい船」が原作になっている。
- 海底3万マイル
- 佐武と市捕物控
- さるとびエッちゃん - 原案は『ちいさな ちいさな ちいさなあの子』。後に、『おかしな おかしな おかしなあの子 さるとびエッちゃん』となる(本アニメはこちらの方を元としている)。
- 原始少年リュウ
- 星の子チョビン - 自身のコミカライズ版もある。
- となりのたまげ太くん
- 氷河戦士ガイスラッガー
- 大恐竜時代
- ミラクルジャイアンツ童夢くん
- チックンタックン
- マンガ日本経済入門
- 八百八町表裏 化粧師
- 仮面ライダーSD
以下は没後の製作。
- ワンダーベビルくん - 石ノ森の遺稿原案を元にして制作された。
- 人造人間キカイダー - 『人造人間キカイダー THE ANIMATION』『キカイダー01 THE ANIMATION』の2作品に分けてアニメ化。
- ギターを持った少年 -キカイダーVSイナズマン- - 『イナズマン』から、ジロー/キカイダーが登場する一編のみアニメ化。『キカイダー01 THE ANIMATION』のDVD-BOXに映像特典として収録。
- 幻魔大戦 神話前夜の章
- ギルガメッシュ
- イマジンあにめ
- 009-1 - 『009ノ1』が原型。
- スカルマン
テレビドラマ原作
- レッドビッキーズシリーズ
- がんばれ!レッドビッキーズ
- それゆけ!レッドビッキーズ
- フラワーアクション009ノ1 - 石ノ森の漫画「009ノ1」が原作になっている。
- 風鈴捕物帳
- 燃えろアタック
- HOTEL
以下は没後の製作。
- おみやさん - 石ノ森の漫画「草壁署迷宮課おみやさん」が原作になっている。
この他、『新・おみやさん』2012年版第1話と『京都地検の女』2012年版第1話では両作品同士のクロスオーバーが行われたが、『京都地検の女』では石ノ森は原作者としてクレジットされていない。
映画原作一覧
アニメ映画
- 空飛ぶゆうれい船
- サイボーグ009
- サイボーグ009 怪獣戦争
- サイボーグ009 超銀河伝説
- 幻魔大戦
- 平井和正との共作を元としたアニメ作品。製作も携わっている。
- 009 RE:CYBORG
実写映画
- 宇宙からのメッセージ
- 原案とメカ・デザインの一人。映画のコミカライズ、野田昌宏の小説版のイラストも担当。
- 化粧師 KEWAISHI
他作家が執筆した作品の原作
映像作品のコミカライズ、ノベライズは除く。
漫画
仮面ライダーシリーズの漫画作品は、仮面ライダーシリーズ#他の作家による漫画作品を参照。
- スカルマン
- 人造人間キカイダー
- キカイダー02(作画:MEIMU)
- ホラーの要素を加えた作品。
- イナズマンVSキカイダー
- 『キカイダー02』の続編(正確には繋がりに矛盾がある)。
- キカイダー02(作画:MEIMU)
- 幻魔大戦
- 幻魔大戦 Rebirth(原作:平井和正・石ノ森章太郎、脚本:七月鏡一、作画:早瀬マサト・石森プロ)
- 幻魔大戦シリーズの続編。
- 幻魔大戦 Rebirth(原作:平井和正・石ノ森章太郎、脚本:七月鏡一、作画:早瀬マサト・石森プロ)
小説
- 仮面ライダー 誕生1971/希望1972/流星1973(作:和智正喜)
- 仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-(ストーリー:早瀬マサト)※生前に雑誌掲載用に企画された『仮面ライダーガイア』を原作としている。
作詞
- 戦いおわって - 『サイボーグ009』(テレビ版第1作)ED
- 原始少年リュウが行く - 『原始少年リュウ』OP
- ランのうた - 同ED
- がんばれロボコン - 『がんばれ!!ロボコン』OP
- ゴーゴー・キカイダー - 『人造人間キカイダー』OP
- キカイダー01 - 『キカイダー01』OP
- 月光の子守唄 - 『好き!すき!!魔女先生』ED
- 地獄のズバット - 『快傑ズバット』OP
- 戦えイナズマン - 『イナズマン』OP
- イナズマン・アクション - 『イナズマンF』ED
- 勝利だ!アクマイザー3 - 『アクマイザー3』OP
- 斗え!!超神ビビューン - 『超神ビビューン』OP
- 宇宙鉄人キョーダイン - 『宇宙鉄人キョーダイン』OP
- オー!!大鉄人ワンセブン - 『大鉄人17』OP
- 透明ドリちゃん - 『透明ドリちゃん』OP
- やがて青春 - 『それゆけ!レッドビッキーズ』OP
- 勇者よ銀河を渡れ - 『宇宙からのメッセージ銀河大戦』OP
- 星雲仮面マシンマン - 『星雲仮面マシンマン』OP
- たたかえ!バイクロッサー - 『兄弟拳バイクロッサー』OP
- ロボット8ちゃん - 『ロボット8ちゃん』前期OP
- 8ちゃんのえかき唄 - 同後期ED
- ロボットガンちゃん110番 - 『ロボット110番』OP
- 誰がために - 『サイボーグ009』(テレビ版第2作)OP
- 星の子チョビン - 『星の子チョビン』OP
- 星のしずくの子守唄 - 同ED
- 氷河戦士ガイスラッガー - 『氷河戦士ガイスラッガー』OP
など。
- 仮面ライダーシリーズ 関連楽曲
- レッツゴー!! ライダーキック - 『仮面ライダー』(第1作)OP1&2
- Let's Go RiderKick 2011 - リメイク曲
- ライダーアクション - 同ED2&OP3
- 戦え! 仮面ライダーV3 - 『仮面ライダーV3』OP
- KAMEN RIDER V3 - リメイク曲
- V3アクション - 同挿入歌
- セタップ! 仮面ライダーX - 『仮面ライダーX』OP
- アマゾンライダーここにあり - 『仮面ライダーアマゾン』OP
- アマゾンライダーアクション - 同挿入歌
- ストロンガーアクション - 『仮面ライダーストロンガー』後期ED
- 見よ!仮面ライダーストロンガー - 同挿入歌
- 燃えろ!仮面ライダー - 『仮面ライダー』(スカイライダー編)前期OP
- 男の名は仮面ライダー - 同後期OP
- 変身!仮面ライダー - 同挿入歌
- 仮面ライダースーパー1 - 『仮面ライダースーパー1』OP
- ドラゴン・ロード - 『仮面ライダーZX』イメージソング/『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』OP
など。
- スーパー戦隊シリーズ 関連楽曲
- 進め!ゴレンジャー - 『秘密戦隊ゴレンジャー』OP
- 見よ!!ゴレンジャー - 『秘密戦隊ゴレンジャー』後期ED
- ジャッカー電撃隊 - 『ジャッカー電撃隊』OP
- スーパー戦隊バンバラバン - スーパー戦隊シリーズ・イメージソング[注釈 15]
著書
- 石森章太郎:「マンガ家入門」(1965年).
- 石森章太郎:「レオナルド・ダ・ビンチになりたかった」、ポプラ社(1983年).
- 石森章太郎:「続・マンガ家入門」(1966年).
- 石ノ森章太郎:「石ノ森章太郎の青春」,小学館文庫(1998).
- 石ノ森章太郎:「絆 不肖の息子から 不肖の息子たちへ」、鳥影社、ISBN 978-4886297952(2003年12月30日).
- 石ノ森章太郎:「ボクはダ・ヴィンチになりたかった」(石ノ森章太郎生誕70年叢書シリーズ)、清流出版、ISBN 978-4860292522(2008年6月).
石ノ森章太郎萬画大全集
角川グループ創立60周年の記念企画。2006年2月22日第1期発売開始。全12期500冊。770タイトルにもなる。2008年現在全12期発行完了。
ネットでの予約販売のみ(一般書店では購入不可能)、各期ごとのセット販売のみ(1冊ずつの購入は不可能)、限定生産という、入手を難しくする条件が重なったため、復刊ドットコムで販売形式が発表された当初は、掲示板に批判的な意見が多数寄せられた。
2008年1月24日にギネス・ワールド・レコーズから「1人の著者によって出版された最多コミックの記録」として世界記録の認定を受けた[18]。
2014年〜2015年には、同様の企画として電子書籍『石ノ森章太郎 デジタル大全』(石森プロ・講談社)の配信が開始されている。(全15期500冊)[19]こちらは1冊から購入可能になっている。
キャラクターデザイン
上のアニメや特撮の原作となった作品のキャラクターは省いている。
- デンセンマン
- みごろ!たべごろ!笑いごろ!のキャラクター。
- ゴリレンジャー
- 正義だ!味方だ!全員集合!!(松竹映画)の劇中劇のキャラクター。『ゴレンジャー』のパロディであり、パロディを本家が引き受けた珍しい例でもある。
- マナビィ
- 全国生涯学習フェスティバルのキャラクター。全国各地の生涯学習啓発活動でマスコットとして採用されている。
- リュウゴン
- 秩父市吉田地区の祭り「龍勢祭り」のマスコット。なお誕生時は合併前の吉田町のマスコットだった。
その他
- 鉄腕アトム ミドロが沼の巻 - 原画マンのうちのひとりとして。※ スタジオゼロが虫プロダクションから制作を受けたもの。アトムなどの絵柄が各人ごとにバラバラであったために、虫プロは大幅に手直し作業をしたとされる。
- オバケのQ太郎 - 作画協力
- 石ノ森章太郎のマンガ超電導講座(講談社Quark編) - 漫画作品(高温超電導体の発見、フィーバーの様子を独特の表現で描いた)
- シージェッター海斗
- デューン 砂の惑星/砂の救世主/砂の子供たち(長編SF小説、早川書房) - 日本語初期版の表紙イラストと挿絵
- ルパン三世 DEAD OR ALIVE - モンキー・パンチ応援団の参加者。
- コズミックゲリラ - ユニバーサルのアーケードゲーム、石森プロとしてコンセプトデザインを担当
- あしたの朝は星の上
- 絆 不肖の息子から 不肖の息子たちへ(鳥影社) - 石ノ森の話を書き下ろしにしたエッセイ
- 2012 009 conclusion GOD'S WAR(サイボーグ009完結編) - 小説作品、小野寺丈との共著(膨大な量のプロットを作成したが実際の作品は一部の原稿を執筆したのみで未完、後に小野寺が引き継いだ)
- 有害コミック騒動に対して - 「コミック表現の自由を守る会」を結成、表現の規制を抑止
- ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 - シネガーのキャラクターデザイン
- 2008年は石ノ森章太郎生誕70周年や没後10年でもあり、同年3月23日から29日にかけてNHK-BS2にて石ノ森の漫画作品や映像原作作品を特集する「とことん!石ノ森章太郎」が31時間超の異例の特別番組として放送され、また、「70周年記念DVDボックス」が発売されるなど記念行事的なイベントが続いた。
- 猫が通れば道理引っ込む - エッセイ集
主な出演作品
原作者という立場ではあるが、いくつかの作品では、石ノ森章太郎本人がテレビ番組や映画作品中に出演している。
出演時期によっては「石森章太郎」名義になっている。
テレビ
- 仮面ライダー(1972年、東映)84話. イソギンジャガーに殺された釣り人
- イナズマン(1973年、東映)助手
- 快傑ズバット(1977年、東京12チャンネル)10話. 元プロ野球選手の石森選手[注釈 16]
- ロボット110番(1977年、東映)最終話.ロボット博士
- 大恐竜時代(アニメ)(1979年10月7日公開、日本テレビ)ジュン(主人公)の父の声[20]
- それゆけ!レッドビッキーズ(1981年、東映)第53話. 本人役
映画
- フィンガー5の大冒険(1974年、東映)観客として家族4人でカメオ出演(監督も行っている)
- 仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王(1980年、東映)天海乗組員(総監督も行っている)
- 仮面ライダーBLACK 鬼ヶ島へ急行せよ(1988年、東映)釣り人
- 未来の想い出(1992年、東宝)本人役
ビデオ
- 真・仮面ライダー 序章(1992年、東映)冒頭で爆弾を仕掛けた男
ラジオ
関連人物
手塚治虫
手塚治虫と石ノ森章太郎は単に知名度のみならず、漫画作品の質・量とも随一であり、二人にまたがるエピソードも多いため、節を分けて解説する。(1985年に改名して「石ノ森章太郎」となるよりも前のことがらについては、歴史的事実に忠実に「石森章太郎」と表記するべきである。)
デビュー前
石森章太郎は幼少の頃、手塚治虫・酒井七馬の「新寶島」に衝撃を受け漫画家を志し、手塚治虫の連載していた学童社の漫画少年誌の読者投稿欄に毎回送っていた。手塚治虫は石森章太郎を「ズバ抜けたデッサン」「天才的な少年の絵」と評価し、それは次第に仕事を手伝って欲しいと思わせるようになる[21]。
高校2年生の春、『鉄腕アトム』の「電光人間の巻」執筆中の手塚治虫に「シゴトヲテツダツテホシイ」との電報を受けて、学校を休んで上京。中間テストを挟んで手塚治虫のアシスタントを務めた。このとき背景や脇役だけを描けば充分であったにもかかわらず、アトムやヒゲオヤジなどのメインキャラクターまですべてを手塚タッチで描いてみせたため、手塚も度肝を抜かれたという。
手塚治虫の仲介が入り石森章太郎は漫画少年誌で漫画家としてデビューすることになる[9]。デビュー作「二級天使」の原稿をみた手塚治虫は「かれもディズニーにいかれているな」と評したという[21]。
デビュー後
高校卒業と同時に上京、その一ヶ月後、手塚治虫が住んでいたトキワ荘に住む。
1959年(昭和34年)、手塚治虫が制作スタッフとして加わっていた東映動画(現・東映アニメーション)の劇場アニメ『西遊記』の制作現場に、手塚治虫から依頼されて助手として派遣された。漫画の執筆等により多忙で制作に参加できなくなった手塚治虫が、自分の代わりとして当時手塚のアシスタントであった月岡貞夫とともに送り込んだのであった。
1967年(昭和42年)より虫プロ商事発行の『COM』に石森章太郎が連載した『ジュン』は、姉への愛情とその喪失を主題に、明確なストーリーを描かずに絵とコマの流れだけで叙情的な世界を表現した実験的な作品であり、当時の漫画読者に熱狂的に迎えられた。しかしこの時に手塚治虫と石森章太郎の両方のファンであるという某読者が手塚治虫に対して『ジュン』についての感想を求めた手紙に対して手塚治虫は「あれはマンガではない」と『ジュン』と批判するととれる内容を返信した。その読者はそれを手塚治虫はこのように評していますと石森章太郎に送った。それを読んで衝撃を受けた石森章太郎は『ジュン』の打ち切りを宣言したが、直後に手塚が一人で直接に石森章太郎の住むアパートを訪れて、「なぜあんなことを言ったのか分からない」と謝罪したというエピソードがある[22]。結局『ジュン』はそれ以降も描き継がれ、『佐武と市捕物控』とともに1968年の小学館漫画賞受賞作品となった。
その後に二人の関係は修復し、手塚は何度か石森を自身の漫画に登場させている。手塚が亡くなる少し前には二人で対談も行なっている[23]。
手塚治虫の没後
1990年「手塚治虫展 フィルムは生きている」で、タイトル題字を藤子不二雄、鈴木伸一、馬場のぼる等との共同で担当。
没後、第2回手塚治虫文化賞マンガ特別賞が贈られる。
アシスタント
山田及びすがやのサイトによると、正確には「石ノ森の作画作業を補助する、本来の意味のアシスタント」(こちらは石森スタジオと呼ばれていた)と、「石森プロ関連作品の漫画化やキャラクター商品などの絵描き」の二種類があり、両者は仕事場も別々で、どちらかしか担当したことがない者も多いという。例として永井は前者、すがやは後者である。石森が亡くなった際、葬儀は密葬にて行われたが、『ライダー』ブームから始まるテレビまんが誌黎明期に活躍していた門下生たちは直訴した結果、石森の家までの集団訪問を許されている。
石ノ森はすがやに対し「アシスタントは多かったが、弟子はすがやだけである」と述べている[24]。
- 永井豪
- 竹宮惠子
- 桜多吾作
- すがやみつる
- 早瀬マサト
- 山田ゴロ
- 細井雄二
- 野口竜
- 成井紀郎
- 安土じょう(金山静夫)
- シュガー佐藤
- 石川森彦
- 土山よしき
- ひおあきら(菅野誠)
- 河あきら
- 宮谷一彦
- かがみあきら
- 津原義明
- 渡辺電機(株)
芸名を命名した俳優
関連施設
- 石ノ森章太郎ふるさと記念館
- 石ノ森の人物と歴史に焦点を当てた展示施設[26][27]。宮城県登米市の石ノ森の生家に近くに所在する。2000年7月開館。
- 石ノ森個人の愛用品や収集物、記念品などを中心に展示している。
- 石ノ森萬画館
- 石ノ森作品を題材とした展示施設。石ノ森が第2の故郷としていた宮城県石巻市に所在する。2001年7月開館。
- 2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震の大津波で被害を受けたが、2012年11月17日再開館[13]。
- "「石ノ森萬画館」"
脚注
注釈
- ↑ 松本零士と同じ生年月日である[5]。
- ↑ これが石ノ森のペンネームの由来である。当時「軍隊生活 兵営便り」など軍隊漫画絵葉書で活躍していたイラストレーター・小野寺秋風の絵柄を嫌い、同じ苗字を避けて石森を名乗った[6]
- ↑ 同校出身の漫画家に大友克洋がいる。
- ↑ 書籍によっては1955年と記載している[7][8]。
- ↑ 初期の『少女クラブ』に掲載された作品には、赤塚不二夫との共同ペンネームいずみあすか名義、赤塚および水野英子との共同ペンネームU.マイア名義のものなどがある。
- ↑ 藤子の『オバケのQ太郎』の主人公「大原正太」は石ノ森の名前を元にしている。また「藤子不二雄」の共同ペンネームをやめて藤子不二雄Fとなった藤本弘に藤子・F・不二雄にするよう助言をしたのも石ノ森である。
- ↑ 石森章太郎 『トキワ荘の青春 ぼくの漫画修行時代』ISBN 978-4-06-183752-2 講談社〈講談社文庫〉、1986年、208頁によれば、死因は持病だった喘息の発作を抑えるための「モルヒネの打ちすぎによる心臓発作」。石ノ森は、「姉が倒れて救急車を呼び、入院して注射を打ったところ、容態が安定した」ように見えたため、一旦トキワ荘に帰り、その後、赤塚、水野英子と共に映画を見るために外出。帰ったところに「病院に来る」よう、電報が届いた、と記述している。また、石ノ森の姉が亡くなった当日、石ノ森、赤塚と終日行動を共にしていた水野も自著『トキワ荘日記』(自費出版、2009年)の中で、石ノ森の言動を含めて事態を詳細に記述している。さらに、この出来事は、石ノ森、水野の証言と比べると、細部がかなり異なってはいるが、藤子不二雄Aの著作『愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春』にも描かれている。
- ↑ 『トキワ荘の青春 ぼくの漫画修行時代』、96頁によれば、「漫画(自分の仕事)と東映動画との両立が厳しい事が判ったから」、となっている。
- ↑ 『トキワ荘の青春 ぼくの漫画修行時代』、184-213頁によると、この前に世界旅行に出かけている。海外旅行が自由化される前であり、「個人の観光」では許可は下りなかった。そのため、集英社に依頼し、臨時に「記者」の肩書きを入手している(シアトルで開かれるSF大会の取材、という名目)。貯金がなかったため、旅費も各出版社から前借りした。SF大会では、矢野徹の紹介状を持ち、フォレスト・J・アッカーマン(雑誌「MONSTER」の編集長)、ロバート・A・ハインライン、ポール・アンダースンと会っている。この時に訪問した国・都市・名所は、アメリカに3週間(ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ラスベガス、ディズニーランド、グランド・キャニオン、シアトル)の他、イギリス(ロンドン)、フランス(パリ)、オーストリア(ウィーン)、ドイツ(東ベルリン、西ベルリン)、オランダ、スペイン(マドリード)、イタリア(ローマ、ミラノ)、ギリシャ(パルテノン神殿)、エジプト(カイロ、ピラミッド、スフィンクス)、香港、マカオなど(太字はサイボーグ戦士〈002、003、004、005、007〉の出身国。また、ギリシャはミュートスサイボーグのモチーフとなっている。後年にはピラミッドも登場した)。なお、この旅行は「雑誌(『少女クラブ』他)の廃刊が続いたことや、姉の死にショックを受けた逃避行」、という面も持っていた。
- ↑ ただし、必ずしも石ノ森のラフが尊重されたわけではなく、番組スタッフ側で大幅にアレンジされることもあった。これらのラフスケッチで現存するものは、ジェネオンエンタテインメント『石ノ森章太郎 変身ヒーロー画集 ―Before 1975―』および『石ノ森章太郎 変身ヒーロー画集 (After1975)』に収録されている。
- ↑ 資料によっては1986年と記載している[12][2]。
- ↑ 「ノ」の字の表記については、石ノ森が存命時、出版物や映像原作表示の際には、他の字に比して縦横2/3から1/2のサイズに表記する(「半角文字ではない」と言われる)ことが求められた。
- ↑ EDではキャラクターデザインに雨宮慶太と野口竜の名前がクレジットされているが、主役のRXのラフ(頭部のみ)や、番組中期以降の多くの怪人のラフは石ノ森によっておこなわれている。
- ↑ 敵側のキャラクターのみ、キャラクターデザインを担当。
- ↑ 八手三郎、山川啓介、小池一夫との共同作詞扱い。詞・曲は、スーパー戦隊以外の作品の主題歌(渡辺宙明作曲)からも引用されている。
- ↑ このときに撮影されたスナップ写真は、石ノ森の生家の玄関付近に飾られており誰でも見ることができる。
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 変身ヒーロー大全集 1995, 「原作者インタビュー 石ノ森章太郎」
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 仮面ライダー怪人大画報 2016, 「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版」
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 すがやみつる 「感涙の最終回は新『009』への序章」『この最終回がすごい!』 メディアファクトリー、2003-02-11、初版第1刷、72から80ページ。ISBN 4-8401-0703-3。
- ↑ http://ddnavi.com/feature/230234/a/
- ↑ “荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第11回 松本零士編”. ebookJapan (2011年10月7日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧.
- ↑ 山内ジョージ『トキワ荘最後の住人の記録』p.222(東京書籍、2011年)。
- ↑ 石ノ森ヒーローファイル 2013, 石ノ森章太郎年表.
- ↑ 昭和石ノ森ヒーロー列伝 2013, 石ノ森章太郎ヒストリー.
- ↑ 9.0 9.1 石ノ森章太郎のマンガ教室。
- ↑ 石森章太郎 『石ノ森章太郎のマンガ家入門』ISBN 4-253-17250-4 秋田書店〈秋田文庫〉272頁
- ↑ WEBアニメスタイル 白川大作インタビュー(2) 2012年10月29日閲覧。一方、月岡はその才能を評価されてそのまま東映動画に入社し、「天才アニメーター」と呼ばれた。
- ↑ 石ノ森章太郎 『石ノ森章太郎 変身ヒーロー画集 -Before 1975-』 ジェネオン エンタテインメント、2004-3-24、207。ISBN 4-89452-797-9。
- ↑ 13.0 13.1 “仮面ライダー帰ってきた! 被災の石ノ森萬画館が復活”. 朝日新聞 (2012年11月18日). 2012年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
- ↑ 永井豪、2010、『激マン!』デビルマン編第2話(単行本第1巻収録)、日本文芸社
- ↑ お別れなのだ 赤塚不二夫さん死去
- ↑ マンガ中国大人物伝第2巻項羽224頁~225頁
- ↑ 藤子不二雄Ⓐ『まんが道 愛…しりそめし頃に…』第3巻 p17参照
- ↑ “仮面ライダーの故石ノ森さん、最多コミックでギネスに”. 朝日新聞. 2008年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012閲覧.
- ↑ http://www.ebookjapan.jp/ebj/special/st/ishinomori_digital.asp
- ↑ “大恐竜時代”. メディア芸術データベース. . 2016閲覧.
- ↑ 21.0 21.1 手塚治虫「ぼくはマンガ家」p.143。
- ↑ 岩上安身「現代の肖像24 石ノ森章太郎」『AERA』、朝日新聞社、1990年。web掲載 2012年10月29日閲覧。
- ↑ 石ノ森章太郎『ことばの記憶』2008年 P.132。
- ↑ 「石ノ森章太郎を継ぐ者 仮面ライダーマンガ家列伝 第1回 すがやみつる」『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー Vol.1 仮面ライダー1号』 講談社、2004-07-09。ISBN 4-06-367086-4。
- ↑ “プロフィール”. . 2012閲覧.
- ↑ 石ノ森ヒーローファイル 2013, pp. 117 - 119.
- ↑ 昭和石ノ森ヒーロー列伝 2013, pp. 104 - 105.
参考文献
- 『テレビマガジン特別編集 変身ヒーロー大全集』 講談社、1995-11-30。ISBN 4-06-178419-6。
- 『甦る!石ノ森ヒーローファイル』 Gakken〈Gakken Mook〉、2013-9-10。ISBN 978-4-05-610166-9。
- 『昭和石ノ森ヒーロー列伝』 徳間書店〈HYPER MOOK〉、2013-10-15。ISBN 978-4-19-730131-7。
- 「石ノ森章太郎」(シュガー佐藤(漫画)、石森プロ(監修))、ポプラ社、コミック版世界の伝記 24、ISBN 978-4591131725、(2012年12月8日)。※ 没後に漫画形式で書かれた子供向けの石ノ森章太郎の伝記。
- 『宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』 ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016-03-28。ISBN 978-4-7986-1202-7。
- 山田夏樹:「石ノ森章太郎論」、青弓社、ISBN 978-4-7872-9239-1(2016年11月19日)。
関連項目
- 日本の漫画家一覧
- 宮城県出身の人物一覧
- 作品がテレビアニメ化されたことがある漫画家一覧
- 作品がテレビドラマ化されたことがある漫画家一覧
- 作品が映画化されたことがある漫画家一覧
- フジテレビ番組一覧
- 仮面ライダーSPIRITS
- 仙石線(マンガッタンライナー運行)
- 登米市立石森小学校