石巻市
石巻市(いしのまきし)は、宮城県東部に位置する、県内第二の人口を擁する市。
Contents
概要
広域合併により、市域は北上川下流の仙台平野(石巻平野)から、女川町を除く三陸海岸南端(牡鹿半島)一帯まで広がった。旧北上川河口に中心部を持ち、石巻都市圏の人口は約21万人(2000年国勢調査時点)、世帯数は59,065世帯である(2006年(平成18年)3月末)。
金華山沖(三陸沖)では、黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかるため世界三大漁場の1つとなっており、漁場に近い本市は全国でも有数の水産都市となっている。市内の万石浦でカキの養殖法が開発され、世界中に広がった。
地理
地形・第一次産業の分布について
市のほぼ中央を(旧)北上川が南北に縦断し、概ね旧北上川を境に土地利用や第一次産業の構造に変化が見られる。
旧北上川右岸から西側の河南、桃生地区は仙台平野の東端部に位置し、広い平地(石巻平野)と北上川がもたらした肥沃な土壌から稲作を中心とした農業が盛んである。一方の旧北上川左岸から東の地域は北上山地とリアス式海岸によって複雑な地形をしており、平地が少ないため農業は西部と比べて割合は低い。東部では漁業や湾内での養殖業などが盛んであり、市の中央部の上品山には牧場があり、周辺では畜産業も行われている。
山
河川
港
中心市街地
市街地は主に旧北上川河口に広がっており、旧北上川の中州である中瀬地区からJR石巻駅にかけての地域がいわゆる「中心市街地」である。近年は、バイパス沿いの中里・蛇田・大街道などに、大型店を始めとする域外資本のロードサイド店舗が多数進出し、特に三陸自動車道・石巻河南ICを中心とした蛇田・あけぼの地区は県内では仙台市周辺地域に次ぐ商業集積をみせるようになり、登米市や大崎市の一部までも含む県東部の広範囲を商圏としている。
新たな集客施設および税収増を狙って、2005年(平成17年)〜2006年(平成18年)に競艇場外券売り場施設『オラレ』を中心市街地に誘致しようとしたが、未だ市民の総意も理解も得られていない。
蛇田・あけぼの地区の商業集積により、集客力が激減した石巻駅前の百貨店さくら野東北が2008年(平成20年)1月、撤退を決め、同年4月27日に閉店した(撤退後の建物に石巻市役所が入居)。また、石巻駅の北(駅裏側)を貫通する市道の中里バイパス沿いで営業していたイトーヨーカドー・石巻中里店が2009年(平成21年)8月、翌年1月の閉店を決め、27年の歴史に幕を降ろすこととなった[1][2]。
人口
石巻市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
戦国時代、石巻の日和山に戦国大名・葛西氏が日和山城を築いた。のちに葛西氏は大崎氏に対抗するため伊達氏と同盟を結んだ。当時、葛西氏は大崎氏と共に、伊達氏・蘆名氏に次ぐ勢力を誇った。
戦国時代末期、伊達政宗は東北地方(奥羽)の南半分を征服して“奥羽の覇者”となったが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉に服属した。同年、豊臣秀吉が北条氏政親子を降して“日本統一”を達成すると、葛西氏は大崎氏などと共に小田原征伐に参陣しなかった責任を取らされて取り潰しとなる(奥州仕置)。一方、小田原に参陣して秀吉に服属した政宗は征服地のほぼ全てを没収された。政宗はこれに不満を抱き、葛西・大崎の旧家臣を扇動して反乱を起こさせた(葛西大崎一揆)。しかし政宗の一揆扇動は豊臣秀吉に発覚し、政宗は改易は免れたものの領地を今の福島県・宮城県南部・山形県南部から宮城県全域・岩手県南部に領地替えされた。こうして石巻地方は伊達氏の領地となった。
慶長18年(1613年)に仙台藩の初代藩主の伊達政宗はスペイン帝国との通商交渉のためにスペイン王国およびローマ法王庁に支倉常長を正使とする慶長遣欧使節を派遣した。政宗はメキシコとの太平洋貿易を計画しており、石巻近くの港でサン・ファン・バウティスタ号を建造して石巻の月の浦から出航させた。このとき、それまで小さな漁村だった石巻は“国際貿易港”として整備された。しかし、スペインとの通商は実現しなかった。
伊達政宗は仙台領内の新田開発を目指し、家臣・川村孫兵衛に命じて“東北地方最大の河川”・北上川の流れを変えるという大工事を行った。こうして北上川は現在の石巻港付近で太平洋につながった。
江戸時代の石巻港は、北上川水運によって南部藩領からも米が下り、河川交通と海運との結節点として、日本海側の酒田港と列んで奥羽二大貿易港として全国的に有名であった。また、東北太平洋岸海運の拠点として、千石船による江戸(東京)との交易も盛んで、江戸期の長い期間において石巻港から江戸へで送られた米は、江戸市中で流通する米の半数を占めたと言う。藩政時代には名実ともに仙台藩の経済の中心地であった。また旧仙台藩内で唯一貨幣の鋳造を許され、現代でも鋳銭場という地名が石巻駅前に残っている。日本人として最初の世界一周を成し遂げた津太夫一行は石巻港を拠点としていた。寛政5年(1793年)に石巻を出発して江戸に向かったが、アリューシャン列島(当時はロシア領)に漂着してロシアで10年程過ごした後、遣日使節のニコライ・レザノフらの船に乗って文化元年(1804年)に世界一周を成し遂げ、同年長崎に帰国し、文化3年(1806年)にようやく帰郷した。
戊辰戦争で敗北した仙台藩が、明治元年に表高62万石から28万石に知行域を減らされた際、牡鹿郡、桃生郡、本吉郡は仙台藩から分離され、高崎藩の取締地になった。明治2年7月に、これら3郡は明治政府直轄の桃生県となり、一箇月後には石巻県と名を変えた。明治3年9月に石巻県は涌谷に県庁を置く登米県に併合され、石巻には県庁の出張所が置かれた[3][4]。明治4年4月に政府は小倉の西海道鎮台と共に、石巻に東山道鎮台を設置することを決めたが、同年8月に、鎮台は東京、大阪、熊本、仙台に置くことと改められた[5]。県の再編はこの後も続き、1876年(明治9年)に現在に至る宮城県の領域が確定する。
高度経済成長期に至るまで、船運が鉄道やトラック流通に置き換わっていったため、港の機能は沿岸漁業から遠洋漁業まで対応する漁港として発達し、また、石巻工業港の建設によって第二次産業も発達した。これらの産業基盤によって都市化が進み、商業などの第三次産業労働者が多くを占め、宮城県東部の商業拠点となった。都市圏人口もバブル景気まで伸び続けた。
- 鎌倉時代:奥州葛西氏が石巻城を築く。
- 慶長18年9月15日(1613年10月28日):月浦より、支倉常長がローマへ向けて出帆する。
- 元和9年(1623年):川村孫兵衛が北上川下流の流路を変え、石巻発展の基礎となる。
- 文化元年(1804年):石巻港を拠点としていた津太夫一行が日本人として初の世界一周を成し遂げる。
- 明治2年8月13日(1869年9月18日):石巻県が設置される。
- 明治3年9月28日(1870年10月22日):石巻県を廃し、登米県となる。
- 明治4年4年4月23日(1871年6月10日):東山道鎮台設置。
- 明治4年11月2日(1871年12月13日):仙台県に編入
- 明治5年1月8日(1872年2月16日):宮城県に編入。
- 1889年(明治22年)4月1日:町制施行により石巻町が発足。
- 1912年(大正元年)10月28日:仙台軽便鉄道(小牛田 - 石巻)開通。
- 1928年(昭和3年):宮城電気鉄道(仙台 - 石巻)開通。
- 1933年(昭和8年)4月1日:市制施行により石巻市となる。
- 1933年(昭和8年)5月:市章を制定する。[6]
- 1939年(昭和14年):国鉄石巻線石巻 - 女川間延長。
- 1949年(昭和24年)4月1日:蛇田村山下地区を編入。
- 1955年(昭和30年)1月1日:蛇田村を編入。
- 1955年(昭和30年)4月10日:荻浜村を編入。
- 1959年(昭和34年)5月15日:渡波町を編入。
- 1967年(昭和42年)3月23日:稲井町を編入。
- 1988年(昭和63年):石巻専修大学が開学。
- 2005年(平成17年)4月1日:隣接する桃生郡のうち、桃生町、河南町、河北町、北上町、雄勝町、牡鹿郡牡鹿町と石巻市が合併し、新しい石巻市となる。市章は変更しなかった。[7]
- 2010年(平成22年)3月23日:石巻市役所がJR石巻駅前の旧・さくら野百貨店(さくら野東北)石巻店ビルに完全移転のうえ新業務開始[8][9]。
- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)による津波で旧北上川河口から逆流した水で旧市街地全域が、また、新北上川(追波川)河口から流域部が広域水没または浸水。また石巻工業港以東の石巻湾から太平洋(外洋)側までの沿岸部の、旧雄勝町・河北町・北上町及び旧・牡鹿町(牡鹿半島)町域を含む各浜が壊滅的な被害を受ける。
- 2011年(平成23年)11月18日:おしかのれん街開設。
- Rescued from Tsunami at Ishinomaki.JPG
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で救援活動にあたる陸上自衛隊(2011年3月13日:石巻市新橋・市道石巻(中里)バイパス)
経済
石巻市の主要な産業は、水産業と県下第二の集積を見せる商業である。また、造船業、紙パルプ業なども盛んである。全ての業種で、労働集約型から知識集約型への転換が進められ、過剰労働力が流出している。流出を食い止めるためには観光が有力であるが、温泉が出ない土地であるため、客単価の高い宿泊客獲得には現時点では困難で、水産業を生かしたグルメを主要コンテンツとする日帰り観光地としての開発が主流となっている。
経済拠点
- 石巻市に本店を持つ金融機関
- 石巻市に支店を持つ金融機関
- 括弧内は本店所在地
- 石巻市に本社を持つ上場企業
文化
石巻市は、宮城県出身の漫画家、石ノ森章太郎の協力を得て「石巻マンガランド基本構想」を策定し、「萬画」を活かした創造性ある街造りに取り組んでいる。その一環として、石ノ森萬画館の最寄り駅である石巻駅、および石ノ森萬画館までの道「マンガロード」では数々の石ノ森章太郎作品のキャラクターを見ることができる。
また、石巻市民交響楽団はアマチュア団体ながらも県都・仙台市よりも発足が早く、県内最古のアマチュアオーケストラとして現在も活動している。
行政
歴代市長 (新)石巻市
- 初代:土井喜美夫(どい・きみお、2005年4月29日 - 2009年4月28日)
行政機関
- 石巻市役所
- 支所…蛇田、稲井、渡波、荻浜
- 総合支所…雄勝、牡鹿、河南、河北、北上、桃生
- 出張所…大原
- 宮城県警
- 石巻地区広域行政事務組合消防本部
官公庁
行政課題
高速道路は仙台-石巻間が全通したもの。
立法
市議会
- 定数:30名
- 任期:2014年(平成26年)5月28日〜2018年(平成30年)5月27日
- 議長:安倍太郎(無会派)
- 副議長:青山久栄(創生会)
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
---|---|---|
ニュー石巻 | 10 | ◎阿部欽一郎、大森秀一、阿部久一、阿部利基、丹野清、遠藤宏昭、木村忠良、阿部正春、奥山浩幸、森山行輝 |
石巻復興の会 | 5 | ◎千田直人、西條正昭、後藤兼位、近藤孝、阿部正敏 |
創生会 | 5 | ◎高橋栄一、青山久栄、首藤博敏、千葉眞良、山口荘一郎 |
公明会 | 3 | ◎伊藤啓二、渡辺拓朗、櫻田誠子 |
日本共産党石巻市議団 | 3 | ◎庄司慈明、水澤冨士江、渡邉昌明 |
無会派 | 4 | 安倍太郎、黒須光男、楯石光弘、高橋憲悦 |
安倍太郎議員はニュー石巻に所属していたが、議長就任により無会派となった。
宮城県議会(石巻・牡鹿選挙区)
- 定数:5名
- 任期:2015年(平成27年)11月13日〜2019年11月12日
氏名 | 会派名 |
---|---|
本木忠一 | 自由民主党・県民会議 |
齋藤正美 | 自由民主党・県民会議 |
佐々木喜藏 | 自由民主党・県民会議 |
三浦一敏 | 日本共産党宮城県会議員団 |
坂下賢 | みやぎ県民の声 |
※2017年10月24日現在。
郵便
- 石巻郵便局(集配局)
- 鮎川郵便局(集配局)
- 大原浜郵便局(集配局)
- 雄勝郵便局(集配局)
- 荻浜郵便局(集配局)
- 河南郵便局(集配局)
- 鹿又郵便局(集配局)
- 河北郵便局(集配局)
- 広淵郵便局(集配局)
- 桃生郵便局(集配局)
- 渡波郵便局(集配局)
- 稲井郵便局
- 石巻湊郵便局
- 橋浦郵便局
- 樫崎郵便局
- 神取郵便局
- 石巻水明郵便局
- 石巻中央一郵便局
- 石巻立町郵便局
- 石巻旭町郵便局
- 石巻大街道郵便局
- 蛇田郵便局
- 石巻双葉町郵便局
- 石巻山下郵便局
- 網地島郵便局
- 和淵郵便局
- 石巻鹿妻郵便局
- 大川郵便局
- 北上郵便局
- 陸前相川郵便局
- 石巻門脇郵便局
- 船越郵便局
- 田代島簡易郵便局
- 伊原津簡易郵便局
- 青葉簡易郵便局
- 浜江場簡易郵便局
- 大須浜簡易郵便局
マスコミ
新聞社
コミュニティFM局
主な学校
大学
高等学校
県立
市立
中学校
- 石巻市立万石浦中学校
- 石巻市立飯野川中学校
- 石巻市立河北中学校
- 石巻市立雄勝中学校
- 石巻市立河南東中学校
- 石巻市立河南西中学校
- 石巻市立桃生中学校
- 石巻市立北上中学校
- 石巻市立牡鹿中学校
湊中学校と河南東中学校は、文部科学省が推進する「学力向上フロンティア」指定校(フロンティアスクール)である。
小学校
- 石巻市立石巻小学校
- 石巻市立住吉小学校
- 石巻市立湊小学校
- 石巻市立釜小学校
- 石巻市立山下小学校
- 石巻市立蛇田小学校
- 石巻市立東浜小学校
- 石巻市立渡波小学校
- 石巻市立稲井小学校
- 石巻市立向陽小学校
- 石巻市立貞山小学校
- 石巻市立開北小学校
- 石巻市立万石浦小学校
- 石巻市立大街道小学校
- 石巻市立中里小学校
- 石巻市立鹿妻小学校
- 石巻市立飯野川小学校
- 石巻市立大谷地小学校
- 石巻市立二俣小学校
- 石巻市立雄勝小学校
- 石巻市立広渕小学校
- 石巻市立須江小学校
- 石巻市立北村小学校
- 石巻市立前谷地小学校
- 石巻市立和渕小学校
- 石巻市立鹿又小学校
- 石巻市立中津山第一小学校
- 石巻市立中津山第二小学校
- 石巻市立桃生小学校
- 石巻市立北上小学校
- 石巻市立鮎川小学校
- 石巻市立大原小学校
- 石巻市立寄磯小学校
特別支援学校
姉妹都市・友好都市
海外
- 姉妹都市
- 支倉常長ら慶長遣欧使節団の出発地・上陸地という縁による。日本・イタリア間の姉妹都市協定としては4番目に古い。支倉常長像は姉妹都市交流20周年を記念して建立された。
- 姉妹都市交流40周年を迎えた2011年10月11日、支倉常長像前で姉妹都市交流40周年記念式典が催された。式典に先立ち、同年3月11日に発生した東日本大震災の追悼ミサが日本聖殉教者教会で行われた。震災の影響で石巻市関係者の出席は叶わず、代わりに駐イタリア日本大使が一連の行事に出席している。
- 震災後にチヴィタヴェッキアとフェラーリが石巻市に義援金(フェラーリは新型車の「フェラーリ・FF」の日本1号車をオークションにかけた)を送り、全額が市内2か所の児童放課後クラブの再建に役立てられた。
- 友好都市
国内
- 姉妹都市
- 友好都市
姉妹港・友好提携港
交通
鉄道
道路
バス
路線バス
市内の一般路線バスは、主に宮城交通の地域子会社であるミヤコーバスが担当している。
運行系統など詳細はミヤコーバス石巻営業所の項を、石巻駅前のりばについては石巻駅の項を参照のこと。
高速バス
三陸自動車道の開通により、仙台や東京とを結ぶ路線が近年整備されている。
以下に、市内から発着する高速路線バスを列挙する。
- 仙台方面行
- 東京(渋谷・新宿)方面行
バス高速輸送システム(BRT)
- 東日本旅客鉄道
- ■ 気仙沼線:前谷地駅
乗合タクシー
定期航路
観光
博物館・テーマパーク
- 石巻文化センター
- 石ノ森萬画館
- おしかホエールランド
- 宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファンパーク):サン・フアン・バウティスタ号復元船
- 雄勝硯伝統産業会館
- 宝ヶ峯縄文記念館
- 北上川・運河交流館
- 設計:隈研吾
- 丸寿美術館(かんけい丸本店)
歴史的建造物・史跡
- 石井閘門(国の重要文化財)
- 石巻ハリストス正教会の聖使徒イオアン会堂[1] - 現存するものとしては日本最古の木造教会建築。
- 志賀直哉生家←東日本大震災で津波による被害を受け平成24年2月末に解体された。
- 月浦(つきのうら)
- 沼津貝塚
- 布施辰治顕彰碑(蛇田「あけぼの南公園」)
景勝地・レジャー
祭り・イベント
- 名振のおめつき(旧雄勝町・1月)
- サン・ファン祭り(渡波・5月)
- 石巻川開き祭り(旧市内・8月)
- 石巻かほく杯ヨットレース
- サマーフェスタ・イン・かほく(旧河北町・8月)
- いしのまき大漁まつり(魚市場・10月)
- 和渕互市(旧河南町・12月)
- いしのまき復興マラソン
伝統芸能
名産
- 稲井石(墓石・記念碑用)(稲井)
- ササニシキアイス(旧河南町)
- からし巻き(旧河南町)
石巻市出身の有名人
- 藍美代子 - 歌手
- 安住淳 - 衆議院議員
- 阿部香菜 - 柔道選手
- 阿部智 - 小説家
- 阿部智則 - お笑いタレント
- 阿部保夫 - ギタリスト
- 安倍吉輝 - 囲碁棋士
- 天津敏 - 俳優
- 荒川憲一 - 戦史学者
- 石母田正 - 歴史学者
- 遠藤正明 - 歌手
- 大川健太郎 - 演歌歌手
- 大戸平吉太郎 - 元力士
- 春日富士晃大 - 元力士 元(雷親方)
- 勝又進 - 漫画家
- 亀山助清 - 声優
- かゆらゆか - 漫画家、原画家、イラストレーター
- 菅野壽 - 元参議院議員
- 木村和久 - ライター
- 菊田昇 - 医師
- 草川俊 - 小説家
- 日下正勝 - 元プロ野球選手
- 小杉勇 - 俳優
- 小杉太一郎 - 作曲家
- 小山金七 - 警察官
- 佐々木幸男 - 歌手
- 志賀直哉 - 小説家
- 涼風真世 - 女優、歌手、声優
- 鈴鹿景子 - 女優
- 善六 - 江戸時代の船乗り。日本語通訳。
- 高砂淳二 - 写真家
- 多々良純 - 俳優
- たなか亜希夫 - 漫画家
- 千葉泰伸 - 元プロサッカー選手
- 月嶋カリン - 歌手
- 津田喜章 - NHKアナウンサー
- 鶴岡ひなた - モデル
- 手代木史織 - 漫画家
- Tom-H@ck - 作曲家、編曲家
- 新沼慎二 - プロ野球選手
- 畠山和也 - 衆議院議員
- 半海一晃 - 俳優
- 日野市朗 - 元衆議院議員(第61代郵政大臣)
- 本間秋彦 - ラジオパーソナリティ
- 布施辰治 - 弁護士
- フランク安田 - アラスカ州で活動した日本人
- 辺見庸 - 小説家、ジャーナリスト
- 山崎みちよ - 漫画家
- 由利徹 - 喜劇俳優
- ロジャー大葉 - ラジオパーソナリティ
- 後藤直樹 - 歌手元COOLSメンバー
- 吉本昌弘 - 脚本家
- 成瀬芳貴 - 漫画家
- 佐藤大和 - 弁護士
スポーツチーム
脚注
注釈
出典
- ↑ 石巻初の郊外型店1月に撤退(2009年8月30日)
- ↑ イトーヨーカドー石巻中里店跡地には解体後、ヨークタウン石巻中里が2011年11月11日開店した。
- ↑ 『石巻の歴史』第2巻通史編(下の2)28-29頁。
- ↑ 『石巻の歴史』第2巻通史編(下の2)37頁。
- ↑ 『石巻の歴史』第2巻通史編(下の2)43頁。
- ↑ 石巻地域合併協議会 慣行の取扱いについて
- ↑ 図典 日本の市町村章 p35
- ↑ ■新庁舎へ引っ越し大作戦 段ボール箱だけで1万2,000個 石巻市 あす夜、第1次移転開始 8日から窓口業務先行 2010年3月4日 石巻かほく
- ↑ ■協働へ弾み 庁舎完全移転石巻市 事務部門も業務開始 駅周辺整備に期待 亀山市長「まちづくり元年に」 2010年3月24日 石巻かほく
- ↑ I dati della citta' - チヴィタヴェッキア公式サイト
- ↑ 姉妹(友好)提携情報 - 自治体国際化協会
- ↑ 仙石東北ラインの快速は朝の1往復のみ停車する。
- ↑ 13.0 13.1 旬の魚介類
参考文献
- 石巻市史編さん委員会 『石巻の歴史』第2巻通史編(下の2) 石巻市、1998年。