マンモス
マンモス (Mammoth) は哺乳綱長鼻目ゾウ科マンモス属 (Mammuthus) に属する種の総称である。現在は全種が絶滅している。
現生のゾウの類縁だが、直接の祖先ではない。約400万年前から1万年前頃(絶滅時期は諸説ある)までの期間に生息していた。巨大な牙が特徴で、種類によっては牙の長さが5.2メートルに達することもある。日本では、シベリアと北アメリカ大陸に生息し、太く長い体毛で全身を覆われた中型のケナガマンモス M. primigenius が有名である。実際にはマンモスは大小数種類あり、シベリア以外のユーラシア大陸はもとより、アフリカ大陸や南アメリカ大陸に広く生息していた。特に南北アメリカ大陸に生息していたコロンビアマンモスは、大型・短毛で、かつ最後まで生存していたマンモスとして有名である。
Contents
誕生と絶滅
最古のマンモスは、約500万 - 400万年前、北アフリカにおいて生まれたと考えられている。そのあらましは、およそ次のとおりである。
誕生
700万 - 600万年前に、アフリカゾウ属 (Loxodonta) から、「インドゾウとマンモスの共通の祖先」が分岐した。さらに600万 - 500万年前に、その「インドゾウとマンモスの共通の祖先」から、アジアゾウ属 (Elephas) とマンモス属 (Mammuthus) に分岐した。
Mammuthus subplanifrons は、約400万 - 300万年前に生息したとされる最古のマンモスの一種で、南アフリカ共和国、ケニヤなどから化石が出土している。チャド、リビア、モロッコ、チュニジアで見つかった Mammuthus africanavus も最古期のマンモスと信じられ、一説に約480万年前に生存したとされるが、出土したのは臼歯と牙のみであり、これら「最古のマンモス」については異論もある。
約300万 - 250万年前、アフリカからヨーロッパに北上して移住する過程で、マンモスは新しい種 Mammuthus meridionalis を誕生させた。さらに、アジア、シベリアを経て、約150万年前には北米大陸まで広がった。当時シベリアとアラスカの間にベーリング海峡は存在せず陸続き(ベーリング地峡)だったため、自由に往来ができた。
絶滅
更新世末期にあたる約4万 - 数千年前に多くの大型哺乳類と共にマンモスは絶滅した。最後のマンモスは紀元前1700年頃に東シベリアの沖合にある北極海(チュクチ海)上のウランゲリ島で狩猟されたという説が提起されている。
原因は未確定であるが、有力な仮説として氷河期末期の気候変動に伴う植生の変化を原因とする説がある。約1万年前に氷河期が終わり、高緯度地域の気温が10度程度上昇した。この温暖化以前のシベリアは乾燥した大地で柳やイネ科の草が生息する草原が広がっていた。シベリアで発見されたマンモスの胃の内容物からイネ科の植物がマンモスの主食であり、他にキンポウゲ科やヨモギ類などを食べていたと推測される。ところが温暖化に伴って湿潤化し、一年の半分は大量の雪が降り積もる、植物の生育に適さない大地へと変貌していった。これによりマンモスの食料となる草木が激減し、マンモスもシベリアから消えていった、という推定である。
その他の有力な仮説としては、ヒトの狩猟の対象になったことを原因とするものがある。アメリカ大陸に1万年前後から人類が進出した。人類がマンモスハンティングに使用したクロビス石器が登場する1万1000年ごろと相前後してマンモスは地上から姿を消し始める。シミュレーションによれば、アメリカ大陸に人類が進出して800年ほどでマンモスは絶滅している。子供を一度に1頭しか生まない大型動物であるマンモスは狩猟圧に弱い動物である。
また、アメリカ大陸のコロンビアマンモスの化石の検証から伝染病説が最近の有力な仮説として提唱されている。これはアメリカ大陸でマンモスの化石と一緒に発見された矢じり(人間による狩猟の証拠)は全体で7件しかないにもかかわらず、病変と見られる大腿骨の変形が8割近くの化石で確認されていることによる。この伝染病の原因は人間が連れてきた家畜であり、そのため人類がアメリカ大陸に上陸した直後にマンモスは絶滅したが、決して人類の狩猟のみによって絶滅したのではないという説である。上記のほかに、約4万年前の超新星爆発によって絶滅したとする説も存在する[1]。
ただし、ウランゲリ島でのマンモスの絶滅については、最新の研究で人類の到達する約100年前にマンモスが絶滅していたと考えられること、遺伝的多様性も維持されていたという調査結果から環境の緩やかな変化や狩猟によってではなく、巨大な嵐、細菌・ウイルスによる伝染病の流行といった突発的な事件によってマンモスは絶滅したのではないかという説も出されている[2]。
2012年5月9日、『英国王立協会紀要』に史上最小のマンモス(肩高120センチメートル、体重310キログラム)がクレタ島で350万年前まで生息していたという研究が発表された[3]。
目撃情報
寒冷地に広大な森林が広がり、人跡が希なシベリアやアラスカでは、マンモス絶滅後の近世~現代においても、マンモスあるいはマンモスを思わせる毛の生えた象の目撃記録がある。その中には、近代に古生物学的な研究が進み、マンモスの姿・形が知られる以前の目撃談もある。日本でも未確認動物(いわゆるUMA)を取り上げた書籍で紹介されることがある。
- 1580年:シベリアで山賊退治の騎士達が毛の生えた大きな象を目撃。
- 1889年:アラスカで体高6メートル、体長9メートルのマンモスを射殺。6本の牙を持っていたという。
- 1920年:シベリアのタイガ地帯で猟師が巨大な足跡と糞を発見、足跡を追ううちに巨大な牙と赤黒い毛を持つ象を発見。
発掘
マンモスの化石はヨーロッパなどで古くから掘り出されており、該当する現生動物がいなかったことから、巨人や怪物の骨であるとされてきた。例えば、15世紀に発見されたマンモスの大腿骨は、「巨人の骨」としてウィーンのシュテファン大聖堂に飾られていた。
フランスの博物学者ジョルジュ・キュビエは、現生のゾウの骨格とこれらの化石の詳細な比較を行い、「これら化石は現生種とはまったく異なる古代に絶滅したゾウの一種である」と結論づけ、この化石種を「マンモス」と命名した。1796年王立科学芸術協会にて、キュビエは「現生ゾウと化石ゾウの種について」という題目でこの結果を発表している。ほどなく1799年にシベリアのツンドラ永久凍土から、骨だけでなく肉や皮膚、体毛も残った氷づけのマンモスが発見され(D・F ヘルツによると肉は新鮮に見えたという)、キュビエの考えに強力な裏づけが得られた。
シベリア
シベリアで凍ったマンモスが次々と発見されたことを受け、1860年にロシア科学アカデミーは、「マンモスの完全な骨格を発見した者に100ルーブルを支払う」というパンフレットを作成し、シベリアの住民に配布した。しかし、マンモスを冒瀆することで呪いを受けることを恐れたり、マンモス運搬に使役されるなどの面倒に巻き込まれることを避けたりするなどの理由から、発見されても報告されることはほとんどなく、破棄されてしまうなど、多くのマンモスが闇に葬られてしまった。
1900年、北シベリアのベレゾフカ川岸でマンモスが発見されたという通報を受け、1901年5月3日、ロシア科学アカデミーの動物学者オットー・ヘルツとオイゲン・ピッツェンマイヤーらはペテルブルク(現・サンクトペテルブルク)を出発した。鉄道で5月14日にイルクーツクに、6月14日に馬車と舟でヤクーツクに、9月9日に現地に到着した。マンモスは腐敗するも、残存した頭蓋骨と地中に埋没した下半身という半ば立ち上がった姿勢をしていた。これを運搬用に解体し、1902年2月18日に帰還した。復元された標本は「ベレゾフカのマンモス」と呼ばれ、ロシア帝国皇帝・ニコライ2世とアレクサンドラ皇后も見学した。このマンモスは腰と後ろ足の骨を骨折していた。また歯の間や胃の内容物から植物が発見され、その食性があきらかとなった。胃の中からはイネ科の植物とスゲが多量に出てきた。ほかにキョクチヤマヨモギ、エンドウやデージー、キンポウゲなどの草やヤナギ、カバ、カラマツ、ハンノキなどの小枝も見つかっている。これらの胃の内容物からマンモスは、広大な草原(マンモスステップ、ツンドラステップと呼ばれる)に暮らしていたと考えられている[4]。
1977年、ソビエト連邦(当時)のシベリアにて赤ん坊マンモスの死体が掘り出された。生前の姿をほぼ完全に残したこの赤ん坊は「ディーマ」と名づけられた。ディーマは体高90センチメートル、体長120センチメートル、生後6〜12か月のオスの赤ん坊であり、約4万年前に死亡したと考えられる。ディーマは保存処理がなされた後、臓器、筋肉、脳、血液などについて生化学的、解剖学的調査がなされた。
氷づけのマンモスから取り出したDNAの断片を現生ゾウのDNAと比較することで、これらの種の遺伝的な関係を明らかにするという研究がなされている。また、マンモスのDNAは長い年月の間に分解され断片化しているが、完全なDNAが見つかればクローン技術によってマンモスを復活させることができるかも知れないと考えられている。氷づけのマンモスから、完全なDNAが残されている細胞核を取り出し、現生ゾウの卵細胞に注入することで、マンモスの復活を果たすというものである。上述のディーマからは完全なDNAを取り出すことはできなかったが、必要なDNAを得るべく、氷づけのマンモスの探索が続けられている。
2007年、ロシア連邦西シベリアの北極圏を流れるユリベイ川付近で約1万年前に絶命したとみられる生後1年ほどの雌の凍結マンモス(リューバ)がほぼ無傷の状態で見つかった。2012年には、タイミル半島のエニセイ川河岸において、11歳の少年によって3万年前のマンモスの死骸が良好な保存状態で発掘された[5]。
なお、2005年に日本の愛知県で開催されていた愛・地球博では、ロシア北東部のサハ共和国で発掘されたマンモス(地名から「ユカギルマンモス」と呼ばれている)の一部(牙、頭部、左前肢等)を博覧会場で展示するプロジェクトが行われていた。その後もこの「ユカギルマンモス」は、万博閉幕後もフジテレビ本社(東京都、2005年12月10日〜2006年2月28日)、愛知県体育館(愛知県名古屋市、2006年3月25日)、豊橋市自然史博物館(愛知県豊橋市、2006年4月8日〜6月18日)、日本科学未来館(東京都江東区、2006年7月1日〜9月3日)、大阪WTCコスモタワー(現:大阪府咲洲庁舎)(大阪府大阪市、2007年7月25日〜10月8日)の5カ所で行われた各種イベントで、再度その姿を見ることができた。
また、2013年にはシベリアで発掘されたマンモス「ユカ」が、パシフィコ横浜で開かれた特別展マンモスYUKAで展示公開された。
近畿大学はこの「ユカ」の保存状態が良い肉片を入手しており、クローン技術を使ってマンモス体細胞の核を抜き取ってアジアゾウの卵子に移し、アジアゾウの子宮で出産させる研究を進めている[6]。
日本
日本では13点の化石が発見されている。そのうち12点が北海道で発見され、残り1点は島根県日本海の海底約200メートルから引き揚げられた標本である[7]。加速器分析計による放射性炭素年代測定が行われ、8点が測定可能で、得られた結果は約4万8000年前 - 2万年前までであった。これらの結果から約4万年前より古い化石と約3万年前より新しい年代を示す化石に分けられ、約3万5000年前あたりを示す化石はなかった。マンモスに替わってナウマンゾウが生息していた時代ではないかと推測されている[8]。
系統と分類
系統
ゾウ科 |
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ゾウ亜科に属する、アフリカゾウ属・アジアゾウ属・マンモス属の3属間の類縁関係は長らく不明瞭だった。歯の特徴や初期の分子系統により、アフリカゾウ属とマンモス属が近縁とされたこともあったが[10][11][12]、全ミトコンドリアDNAの解析により、アジアゾウ属とマンモス属が近縁とほぼ確定した[13]。
主な種
アフリカ
- Mammuthus subplanifrons
- 約400万 - 300万年前に生息していた最古のマンモス。南アフリカ共和国、ケニアなどから化石が出土している。
ユーラシア
- メリジオナリスゾウ
- 学名: Mammuthus meridionalis (Nesti, 1825)。別名、南方マンモス。アフリカ大陸の外で化石が見つかる最古のマンモスである。約300万年前に現れ、ヨーロッパ、ユーラシア大陸、北米大陸と分布域を広げた。
- Mammuthus lamarmorae
- (Major, 1883)
- ステップマンモス
- 学名: Mammuthus trogontherii (テンプレート:Taxonomist/P, 1888)。洪積世中期(30-60万年前頃)にヨーロッパに生息。大きいものは肩の高さが4,5m、体重20tにもなったとされる。ケナガマンモスの直系の祖先と考えられている。
- ケナガマンモス
- 学名: Mammuthus primigenius (Blumenbach, 1799)。別名、ウーリーマンモス。体中が長い毛でおおわれ、肩の高さが3mでやや小型の種。更新世の後期に北半球の冷温帯草原からツンドラ地帯にかけて生息していた。シベリアの永久凍土層からは氷漬けになった個体が見つかっている。日本でも北海道で見つかっている。一般にはこのマンモスがもっともよく知られている。
- ムカシマンモス
- 学名: Mammuthus protomammonteus。約120万から70万年前にかけて日本各地に生息していた。ケナガマンモスの古い祖先と考えられている。
アメリカ
- コロンビアマンモス
- 学名: Mammuthus columbi (Merriam, 1910)。北アメリカの現在のアメリカ合衆国南東部からメキシコにかけて生息していた。
- インペリアルマンモス
- 学名: Mammuthus imperator (Leidy, 1858)。帝王マンモス、エンペラーマンモスとも呼ばれる。北アメリカのアメリカ合衆国中西部のカリフォルニア、テキサス、ネブラスカのあたりに生息していた。
- コビトマンモス
- 学名: Mammuthus exilis。体高約1メートルの矮小化したマンモス。北極海にあるウランゲリ島などで見つかっている。英名en:Pygmy Mammoth。
ナウマンゾウとマンモス
日本でよく発掘されるゾウの化石種ナウマンゾウ Palaeoloxodon naumanni はマンモスとは異なるPalaeoloxodon 属に分類される。学者によってはアジアゾウと同属のElephas 属とする場合もある。
人間との関わり
先史時代の人類とマンモスとの関わりを示す様々な遺跡が見つかっている。フランスのルフィニャック洞窟やペシュ・メルル洞窟には旧石器時代に描かれたとされるマンモスの洞窟壁画が残されている[15]。同じく旧石器時代のドイツのゲナスドルフ遺跡からはマンモスを描いた石板が発見されている[16]。ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されている。アメリカ合衆国のアリゾナ州からは、マンモスの化石の骨の間から、石でできた槍の穂先が見つかっている。この化石は約1万2千年前のものと考えられ、当時マンモスが狩猟の対象となっていた証拠とみなされている。
1989年のワシントン条約によって象牙(現生ゾウの象牙)の輸出入が禁止されたため、代替として永久凍土から掘り出されたマンモスの象牙が印鑑などに用いられている。しかし、マンモスの象牙と偽って、禁止されている現生ゾウの象牙が密輸される事例が増えてきている。双方の象牙を区別する簡便な方法がなく、問題になっている。
大衆文化
有史前を象徴する巨大な絶滅動物として恐竜と並び有名であり(後述の「比喩」の項も参照)、多数の作品に登場する。日本の漫画・テレビアニメ『ギャートルズ』では原始人の宿敵かつ主食として扱われた。外国映画では『アイス・エイジ』などがある。BBC制作『プレヒストリック・パーク』にはケナガマンモスが登場し、パーク内でアフリカゾウの群れに混ざって生活を送っている。ITV制作『プライミーバル』では第2章第6話にコロンビアマンモスが登場し、高速道路で暴走、無数の車を破損させ男性1人を殺害した。その後確保され亀裂調査センターで保護を受けているときにセンターが未来の捕食動物による襲撃を受けた際、捕食動物を牙で刺殺し主要人物の危機を救った。
比喩
マンモスの言葉は、「巨大な〜」「大型の〜」などの意を表す接頭語のように使用されてきた。例えばマンモス校、マンモスタンカーなどである。しかしながらマンモスはゾウの中において特に巨大というわけではなく、 アフリカゾウやインドゾウなどの現生のゾウと比べても、体躯の差はさほどない。ただし、牙は抜きん出て巨大である。
脚注
- ↑ マンモスを絶滅に追いやったのは超新星爆発だった!?アストロアーツ2005年10月18日、2015年2月21日観覧
- ↑ マンモス絶滅の原因は気候変動や「狩り」ではない、研究 (2010年04月01日 15:15 AFPBB News)
- ↑ 史上最小のマンモス、350万年前のクレタ島に生息 英研究AFPBB News2012年6月30日閲覧
- ↑ 高橋啓一「ナウマンゾウは津軽海峡を泳いで渡ったか」/ 化石研究会編『化石から生命の謎を解く -恐竜から分子までー』朝日新聞出版 2011年 143ページ
- ↑ 保存状態良い3万年前のマンモス発見 「100年に一度」とロシア専門家 MSN産経ニュース 2012年10月7日
- ↑ 【サイエンスview】絶滅の危機 iPSが救う■マンモスの復活計画も『読売新聞』朝刊2017年8月13日
- ↑ この1点は対馬海流によって運ばれてきたとも考えられるので、日本にいたマンモスという時には一時除く
- ↑ 高橋啓一「ナウマンゾウは津軽海峡を泳いで渡ったか」/ 化石研究会『化石から生命の謎を解く -恐竜から分子までー』朝日新聞出版 2011年 131-141ページ
- ↑ Shoshani, Jeheskel (1998), “Elephantidae phylogeny: morphological versus molecular results”, Acta Theriologica, Suppl. 5: 89–122
- ↑ Thomas, Mark G.; et al. (2000), “Molecular and morphological evidence on the phylogeny of the Elephantidae”, Proc R Soc Lond B, doi:10.1098/rspb.2000.1310
- ↑ Barriel, V.; et al. (1999), “Molecular phylogeny of Elephantidae. Extreme divergence of the extant forest African elephant”, C R Acad Sci III 322 (6): 447–54
- ↑ Debruyne, Régis (2003), “Mitochondrial cytochrome b of the Lyakhov mammoth (Proboscidea, Mammalia): new data and phylogenetic analyses of Elephantidae”, Molecular Phylogenetics and Evolution 26 (3): 421–434
- ↑ Rogaev, Evgeny I; et al. (2006), “Complete mitochondrial genome and phylogeny of Pleistocene mammoth Mammuthus primigenius”, PLoS biology 4, ISSN 1545-7885
- ↑ マンモスの骨を利用した住居 国立科学博物館
- ↑ “世界大百科事典 第2版の解説”. コトバンク. . 2018閲覧.
- ↑ 小野昭、中部ヨーロッパの最終氷期と人類の適応 地學雜誌 111(6), 840-848, 2002-00-00, doi:10.5026/jgeography.111.6_840
参考文献
- エイドリアン・リスター、ポール・バーン著、大出健訳 『マンモス』、大日本絵画、1995年、ISBN 4-499-20110-1
- 冨田幸光著、伊藤丙雄画 『絶滅哺乳類図鑑』、丸善、2002年、ISBN 4-621-04943-7