近藤真彦
近藤 真彦 | |
---|---|
出生名 | 近藤 真彦 |
別名 | マッチ |
生誕 | 1964年7月19日(60歳) |
出身地 | 日本・神奈川県大和市 |
職業 | 歌手、俳優、タレント、レーシングドライバー、レーシングチーム監督、会社役員 |
活動期間 | 1977年 - |
レーベル |
RVC(現・Ariola Japan) (1980年 - 1984年) ソニー・ミュージックレコーズ (1985年 - ) |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 - )は、日本の実業家、会社役員、歌手、俳優、タレント、レーシングドライバー。ジャニーズ事務所取締役、所属。血液型O型。身長173cm[1]。ニックネームはマッチ(Matchy)[2](名付け親は事務所の先輩・松原秀樹)。既婚者。神奈川県大和市出身。
役員を除いたジャニーズ事務所所属のタレントでは最年長である。
また、レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する株式会社エムケイカンパニー代表取締役社長兼チーム監督としての顔も持つ。
略歴
タレント活動
1979年10月、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。
その後、1980年12月に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手としてデビュー。1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞した[3]。
また、ファンによる数々の“親衛隊”も誕生(事務所では「応援グループ」という呼び名で統一。親衛隊という言い方はさせなかった)。ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま〜っさひ〜こ〜」というフレーズも作られた。男性アイドルとしては珍しく、同年代の男性ファンも多く獲得、歌手活動と並行してテレビドラマや映画などで俳優としても活躍した。
2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、ディナーショーも開催。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。
2007年5月9日に発売されたライブDVDについては、映像作品では1987年3月30日付にビデオ『OH! ROCK'A MONO』で獲得して以来、20年2か月ぶりの1位獲得となった。2006年9月1日放送のテレビドラマ『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ〜倉敷殺人事件〜』では『ドンウォリー!』以来のドラマ主演を務め、2007年8月31日に第2弾として『多摩湖畔殺人事件』、2008年9月5日に第3弾として『十三の墓標』が放送された。
2010年11月20日、『第52回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に選ばれ、自筆のコメントを発表した[4]。
2011年、『3年B組金八先生ファイナル』にて『3年B組金八先生』第4シリーズ第10話以来16年ぶりに「星野清」役として出演[5]。
レース活動
ドライバー
1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(35400人の観客を動員)したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。
1994年にはフランスのル・マン24時間レースに初参戦、この年、全日本GT選手権(JGTC)GT1クラスに参戦し、初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾る(1992年の全日本F3選手権チャンピオンのアンソニー・レイドとのコンビ)。1995年にも同じくGT1クラスで優勝したほか、その後もGT500やGT300クラスにおいて数々の表彰台や入賞を獲得した。
その後も、全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン、全日本GT選手権などの全日本格式の最高峰カテゴリーでの表彰台や入賞を獲得するとともに、ル・マン24時間レースにも引き続き参戦した。ル・マン24時間レースに於いては1995年に雨に祟られて荒れるレース展開の中、マクラーレン・F1やフェラーリ・F40等600馬力を発揮するマシンが跋扈する同じGT1クラスの中で、450馬力と非力な日産GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げている。また翌年には同じように雨の中のレースでフォーミュラ・ニッポンで入賞している。
2002年をもって、監督業に専念するためにレーシングドライバーとしての活動を中止したが、その後も「ラ・フェスタ・ミッレミリア」などのクラシックカーラリーに参戦している。
全日本GT選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | TEAM TAISAN | ポルシェ・962C | GT1 | FSW | SEN | FSW 1 |
SUG | MIN 3 |
9位 | 32 | |||
1995年 | フェラーリ・F40 | GT1 | SUZ 11 |
FSW | 15位 | 16 | |||||||
ポルシェ・911 | SEN 3 |
FSW 9 |
SUG 1 |
MIN 9 |
|||||||||
1996年 | NISMO | 日産・スカイラインGT-R | GT500 | SUZ 6 |
FSW Ret |
SEN 17 |
FSW 5 |
SUG 3 |
MIN 10 |
11位 | 27 | ||
1997年 | GT500 | SUZ 5 |
FSW Ret |
SEN 14 |
FSW 9 |
MIN Ret |
SUG Ret |
19位 | 10 | ||||
1998年 | Xanavi Racing with NISMO Jr. | 日産・シルビア | GT300 | SUZ 4 |
FSW C |
SEN 2 |
FSW Ret |
TRM 14 |
MIN Ret |
SUG 4 |
6位 | 35 | |
1999年 | cdma One TOYOTA TEAM CERUMO with Key’s | トヨタ・スープラ | GT500 | SUZ 8 |
FSW 6 |
SUG 8 |
MIN Ret |
FSW Ret |
TAI 11 |
TRM 15 |
16位 | 12 | |
2000年 | GT500 | TRM 11 |
FSW Ret |
SUG 16 |
FSW 19 |
TAI 13 |
MIN Ret |
SUZ 10 |
23位 | 1 | |||
2001年 | TOYOTA TEAM CERUMO WITH UKYO | GT500 | TAI 12 |
FSW 14 |
SUG 13 |
FSW 14 |
TRM 9 |
SUZ Ret |
MIN 13 |
24位 | 2 | ||
2002年 | TOYOTA TEAM CERUMO | GT500 | TAI 15 |
FSW | SUG 9 |
SEP 7 |
FSW 16 |
TRM 12 |
MIN 11 |
SUZ 13 |
21位 | 6 |
全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | NAVI CONNECTION RACING TEAM | SUZ | FSW | MIN | SUZ 10 |
SUG 10 |
FSW Ret |
TOK 9 |
FSW 13 |
SUZ 12 |
NC | 0 | |
1996年 | SUZ Ret |
MIN 9 |
FSW 16 |
TOK 14 |
SUZ Ret |
SUG Ret |
FUJ 14 |
MIN | SUZ Ret |
FSW 6 |
17位 | 1 | |
1997年 | TEAM TMS | SUZ 15 |
MIN Ret |
FSW 12 |
SUZ 14 |
SUG 8 |
FSW 14 |
MIN Ret |
TRM 13 |
FSW 11 |
SUZ Ret |
NC | 0 |
1998年 | SUZ 9 |
MIN 8 |
FSW 11 |
TRM 10 |
SUZ 7 |
SUG 8 |
FSW C |
MIN 7 |
FSW 7 |
SUZ Ret |
NC | 0 | |
1999年 | MIRAI | SUZ Ret |
TRM 13 |
MIN Ret |
FSW | SUZ | SUG | FSW | MIN | TRM | SUZ | NC | 0 |
2000年 | Olympic KONDO Racing Team | SUZ 7 |
TRM 14 |
MIN Ret |
FSW 13 |
SUZ 13 |
SUG 7 |
TRM Ret |
FSW Ret |
MIN 11 |
SUZ 10 |
NC | 0 |
オーナー兼監督
1998年に、当時所属していた「チームTMS」の協力により、若手ドライバー育成を目的に「KONDO MASAHIKO RACING PROJECT」を設立して全日本F3選手権に1年間監督として参戦し、レーシングチームの運営ノウハウを学んだ。そして2000年に自らのレーシングチーム「KONDO Racing」を設立し、フォーミュラ・ニッポンへの参戦を開始。 2006年からSUPER GTへの参戦も開始した。
2007年にはSUPER GT第4戦(マレーシア・セパンサーキット)にて、KONDO Racingとしての初優勝を飾った。2008年もセパンサーキットで優勝し連覇を達成したのに続き、フォーミュラ・ニッポン第7戦(富士スピードウェイ)でも8年目にして初優勝を達成した。
2009年は世界的な景気後退の影響を受けてフォーミュラ・ニッポンへの参戦は休止するが、SUPER GTには引き続き参戦した。SUPER GT第1戦(岡山国際サーキット)にて、豪雨を制し国内初優勝を飾った。2010年もSUPER GT第1戦鈴鹿サーキットで優勝し、開幕戦2連覇を達成した。フォーミュラ・ニッポンには第5戦から松田次生を擁して復帰し、その後同選手権が「スーパーフォーミュラ」に改称された後も参戦した。
その後もフォーミュラ・GTの国内最高峰に参戦し続ける傍ら、2012年からKONDOレーシングは育成の一環として日産自動車大学校とジョイントし、スーパー耐久のST-Xクラスに参戦を開始。2016年にはチャンピオンに輝いている。
2015年SUPER GT第4戦富士では自身にとって5年ぶりとなる優勝を飾った。2016年はさらにタイヤ無交換の奇襲を2度成功し双方で勝利を挙げるなど、星野一義やファンも認める一人前の監督に成長した。なお公式ホームページには、肖像権がタレント活動とは別に管理されているためか、近藤の顔写真が掲載されている。
レース界での交友関係
30年を超える長いレース経験や、全日本格式のレースにおける複数回の優勝など、プロのレーシングドライバーに伍する成績を上げていることから、国内外のレース界では「歌手」ではなく、「元ドライバーのレース監督」として認識されており、レース界での広い交友関係を生かし、2006年から東京都のお台場で行われているモータースポーツジャパンでは、イベント全体のスーパーバイザーを務めている。
F1中継
フジテレビのF1中継(F1グランプリ)に1989年日本グランプリでピットレポーターとして初登場。その後、2003年から2011年までの地上波でF1中継のレギュラー解説者を務めた(2012年からは日本GPのBS中継のみ出演)。
トライアスロン・トレイルランニング大会
- 2009年9月6日開催の第21回佐渡国際トライアスロン大会、Bタイプ(水泳2km・自転車105km・マラソン20km)に出場[6]。自転車で転倒、右肩甲骨骨折したが完走。7時間13分9秒、順位は、Bタイプ完走者661人中389位。
- 2010年4月18日開催の第26回全日本トライアスロン宮古島大会に参加し、13時間20分0秒で完走を果たした[7]。
- 2013年3月10日開催の第1回IZU TRAIL Journey 2013(和文表記:伊豆トレイルジャーニー2013伊豆松崎・修善寺間山岳競争大会)に参加し、12時間55分09秒で完走(順位は男子総合部門完走者1,004人中810位)を果たした[8]
エピソード・プライベート
- 1987年の『日本レコード大賞』受賞の際に、前年に事故死した母親の遺骨が墓から盗まれ、返してほしければ受賞を辞退するよう脅迫される事件が起きた。マスコミに発表したのは翌1988年の年初で、その遺骨は現在も近藤の元に返ってきていない(2018年5月時点)。2010年3月26日に放送された『中居正広の金曜日のスマたちへ』の「波瀾万丈スペシャル」では遺骨盗難事件などについて語り、19.9%の視聴率(瞬間最高は29.8%)を記録した[9]。
- 1994年に一般人女性と結婚。その後、2007年10月8日に第一子となる男児が誕生。
- 2004年8月4日の午前和歌山県白浜町の白良浜沖でゴムボートから転落して溺れていた当時小学2年生の男児を近藤が水上バイクで近づいて「大丈夫だ、お兄ちゃん(=近藤)が助けてやる」と海に飛び込み救助[10]。近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してくれた人物が近藤だったことを知った[11]。この事故を伝える朝日新聞記事の見出しは、自身の歌のタイトルを拝借した「人命救助さりげなく」であった。
- 2010年、NHK教育テレビ『いないいないばあっ!』むけに「GOGO☆パンダ!」を作曲した[12]。
- 趣味は自転車・ミニカー収集である。また無類のメダカ好きでもある。
- 自称「日本一の雨男」。特に花火大会を観に行こうとするとなぜか雨天中止になることが多いという。2010年8月に神宮外苑花火大会に出演した際も上空に雲が立ち込め開催が危ぶまれたほど(ただし雨は降らず、大会は無事開催された)[13]。また、2010年10月のF1日本グランプリの解説を務めるため、鈴鹿サーキットに赴いたが、豪雨によってレースの予選が中止になる[14]というハプニングに遭遇した(この時『すぽると!』の取材で現場にいた国分太一を「雨男」と言ったが、すぐに自分のことを「雨男」と訂正して周囲の笑いを誘った)。
- 1994年におりも政夫と田原俊彦が事務所を退所して以降、ジャニーズ最年長の地位を20年以上にわたって維持している(2017年8月現在。)。2005年におりも退所時(40代まで事務所に在籍した初のメンバーとなった)の年齢を超え現在もジャニーズ事務所所属タレント・アーティスト等の最高齢記録を更新し続けている(2017年8月現在)[15]。2014年の誕生日で50代を迎えた初のジャニーズ事務所所属者となり、快挙を達成となった(2017年8月現在。)[16]。
- ジャニーズの後輩達に関しては、「本来は同じ芸能界で活動するライバルなので厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまう」と発言している。なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉、堂本光一と雑誌で語った。東山や光一はマッチの曲(「アンダルシアに憧れて」など)を踊り付きでカヴァーすることがよくある。
- ジャニーズのタレントでは珍しく『NHK歌謡コンサート』や『NHKのど自慢』への出演経験がある。『NHKのど自慢』の出演は1997年4月13日に石川県川北町の放送で出演した後、2010年11月21日の放送(開催地は愛媛県松山市)で13年ぶりに出演した。
- 坂上忍とは『ニッポン親不孝物語』で共演して、演技上で近藤がうっかり坂上に本気で平手打ちしてしまい、謝罪しない近藤に対して怒った坂上がそのまま帰った逸話がある[17]。
- 黒柳徹子とはプライベートで月に1度は会い、10代の頃から徹子の部屋に出演し[18]、2017年11月23日まで17回出演している。
- デリソバゴールドで小諸からクリアしたことがある。
- 2018年には「テレビ番組の司会がやりたい」との目標があることを明かした[19]。
作品
シングル
- タイアップはジャニーズ タイアップ一覧を参照。
- レコード・CDレーベルは「永遠に秘密さ」までがRVC(後のアリオラジャパン)で、「ヨイショッ!」からがCBS・ソニー(後のソニー・ミュージックレコーズ)[注 1]。
- ※印はオリコン1位獲得曲、オリコン年間順位は各年50位以内のみ表示。
- スニーカーぶる〜す(1980年12月12日)※
- ヨコハマ・チーク(1981年3月12日)
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 1981年度年間20位
- ブルージーンズメモリー(1981年6月12日)※
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 1981年度年間11位
- ギンギラギンにさりげなく(1981年9月30日)※
- 作詞:伊達歩・作曲:筒美京平
- 1981年度年間21位
- 第23回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞、第32回・第66回NHK紅白歌合戦出場曲
- 情熱☆熱風☽せれなーで(1982年1月7日)※
- 作詞:伊達歩・作曲:筒美京平
- 1982年度年間9位
- ふられてBANZAI(1982年3月31日)※
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 1982年度年間10位
- ハイティーン・ブギ(1982年6月30日)※
- 作詞:松本隆・作曲:山下達郎
- 1982年度年間7位
- ホレたぜ!乾杯(1982年9月30日)※
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 1982年度年間26位
- 第33回NHK紅白歌合戦出場曲
- ミッドナイト・ステーション(1983年1月20日)※
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 1983年度年間23位
- 真夏の一秒(1983年4月27日)※
- 作詞:伊達歩・作曲:後藤次利
- 1983年度年間29位
- ためいきロ・カ・ビ・リー(1983年7月15日)※
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 1983年度年間34位
- 第34回NHK紅白歌合戦出場曲
- ロイヤル・ストレート・フラッシュ(1983年11月1日)※
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 一番野郎(1984年3月1日)※
- 作詞:売野雅勇・作曲:筒美京平
- 1984年度年間33位
- ケジメなさい(1984年6月6日)※
- 作詞:売野雅勇・作曲:馬飼野康二
- 1984年度年間26位
- 第35回NHK紅白歌合戦出場曲
- 永遠に秘密さ(1984年9月13日)※
- 作詞:松本隆・作曲:山下達郎
- 1984年度年間49位
- ヨイショッ!(1985年2月13日)※
- 作詞:ちあき哲也・作曲:長沢ヒロ
- 第36回NHK紅白歌合戦出場曲
- 夢絆(1985年6月5日)
- 作詞:売野雅勇・作曲:鈴木キサブロー
- 大将(1985年10月21日)(粵語:梅艷芳——《愛將》)
- 作詞:売野雅勇・作曲:鈴木キサブロー
- 日本歌謡大賞受賞
- 純情物語(1986年2月26日)
- 作詞:売野雅勇・作曲:都志見隆
- 青春(1986年7月4日)
- 作詞・作曲:高橋研
- 第37回NHK紅白歌合戦出場曲
- Baby Rose(1986年9月10日)
- 作詞・作曲:織田哲郎
- 織田哲郎の曲をカヴァー
- 愚か者(1987年1月1日)
- 作詞:伊達歩・作曲:井上尭之
- 第29回日本レコード大賞受賞、第38回NHK紅白歌合戦出場曲
- 1987年度年間35位
- さすらい(1987年6月11日)
- 作詞:伊達歩・作曲:井上尭之
- 泣いてみりゃいいじゃん(1987年9月18日)※
- Made in Japan(1988年4月8日)
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- あぁ、グッと(1988年9月14日)
- 作詞:康珍化・作曲:吉田拓郎
- 第39回NHK紅白歌合戦出場曲
- 夕焼けの歌(1989年2月3日)(粵語:Blue Jeans、梅艷芳及陳慧嫻)
- 作詞:大津あきら・作曲:馬飼野康二
- Just For You(1989年6月1日)(粵語:羅文(譚百先))
- 作詞:湯川れい子・作曲:MARK DAVIS
- 『ザ・ベストテン』で10位以内にランクインした最後の曲(1989年6月15日放送回:第8位)。
- いいかげん(1989年7月5日)
- 作詞:森浩美・作曲:筒美京平
- アンダルシアに憧れて(1989年11月10日)
- 作詞・作曲:真島昌利
- 気ままにWALKIN'(1990年4月8日)
- 作詞:森浩美・作曲:真野響一郎
- 気ままにWALKIN'-One Step At A Time-(1990年5月5日)
- 作詞:森浩美・作曲:真野響一郎・英語詞:Linda Hennrick
- Ho Ho Ho・・・(1990年7月12日)
- 好き(1990年10月24日)
- 作詞・作曲:BORO
- デスペラード-ならず者-(1991年7月19日)
- 作詞:松本隆・作曲:MARK DAVIS
- 無頼派(1991年12月12日)
- 少年のこころ(1992年5月21日)
- 作詞・作曲:歌川和彦
- 北街角(1993年11月21日)
- 作詞:原真弓・作曲:馬飼野康二
- 最後のラヴ・ソング(1995年7月21日)
- 作詞:工藤哲雄・作曲:白井良明
- ミッドナイト・シャッフル(1996年2月21日)
- 作詞:沢ちひろ・作曲:Joe Rinoie
- 第47回NHK紅白歌合戦出場曲
- 愛はひとつ(1997年2月21日)
- 作詞:山崎民士・作曲:Joe Rinoie
- KING and QUEEN(1998年5月20日)
- 作詞・作曲:CANNA
- ヨイショ!'02 〜日本の皆さんホメていきまショー〜(2002年5月22日)※「MATCHY with O.A.I」名義
- 挑戦者(2005年12月14日)
- 作詞・作曲:中原朋彦
- 上海慕情/情熱ナミダ(2007年1月24日)
- 目覚めろ!野性(2008年1月23日)※「MATCHY with QUESTION?」名義
- Question?とのコラボバンドユニットとして発売。
- BANKA 〜男たちの挽歌〜(2008年12月23日)
- 作詞:伊集院静/作曲:Nenad Kokovic・Enver Memis
- -MOTTO-(2009年12月13日)
- 作詞:安田信二・春名文/作曲:安田信二
- ざんばら(2010年2月22日)
- 第52回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞
- Let's Go!(2012年11月21日)
- 作詞:ジョー・リノイエ、矢住夏菜/作曲・編曲:ジョー・リノイエ
- 千年恋慕(2014年2月26日)
- 作詞:Juli Shono/作曲:Jin Nakamura/編曲:増田武史
- 大人の流儀(2015年12月9日)
- 作詞:伊集院静/作曲:馬飼野康二/編曲:船山基紀
- 軌跡(2017年12月3日)
- 作詞:松井五郎/作曲:Felix Persson、Marta Grauers、Vincent Degiorgio
その他シングル
- 夢絆(1985年12月1日)12インチ
- 1987 LIVE SINGLES(1987年12月9日)12インチ
- 『愚か者』・『泣いてみりゃいいじゃん』・『さすらい』を収録。ジャニーズ事務所内の公式ディスコグラフィーでは「アルバム」としてカウントされている。オリコンチャートでは「愚か者(12インチ)」の表記でシングルとして扱われている。
アルバム
オリジナルアルバム
テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album テンプレート:Album
ベストアルバム
- THE MATCHY best song for you(1985年4月4日)
- 近藤真彦 THE BEST(1987年6月4日)
- By Your Request(1990年12月12日)新録音ベスト
- THE ROCK BEST(1996年11月21日)新録音ベスト
- MATCHY★BEST(2006年2月8日)
- MATCHY★BEST II(2007年2月7日)
- 三十五周年 近藤真彦×伊集院静=二十四曲(2015年7月19日発売) 伊集院静が近藤に提供した曲全てのセルフカバーベスト。録音時のサポートミュージシャンとして元ジャニーズ事務所所属の野村義男(ギター)、曽我泰久(コーラス)、松原秀樹(ベース)、長谷部徹(ドラムス)がゲスト参加している。
ライブアルバム
- LIVE10th Anniversary' 90(1990年7月19日)
サウンドトラック/その他
- ブルージーンズメモリー(1981年9月5日)
- 嵐を呼ぶ男(1983年8月4日)
CD-BOX
トリビュート・アルバム
- MATCHY TRIBUTE 25th anniversary(2006年1月25日)
- ケジメなさい - 綾小路翔 loves DJ OZMA & XARAZOO
- 情熱☆熱風せれなーで - Low-Cuts(SHUN+SHUYA from SBK) feat. Lori Fine(COLDFEET) and GAKU-MC
- 夕焼けの歌 - 松岡充(SOPHIA)
- ブルージーンズメモリー - 玉置成実
- アンダルシアに憧れて - アンダルシアユニット (東山紀之・赤坂晃・堂本光一・今井翼)
- ミッドナイトシャッフル - 高橋瞳
- スニーカーぶる〜す - スクービードゥー
- 愚か者 - ヘビメタサンダーズ (マーティ・フリードマン・ROLLY・鮎貝健)
- ハイティーン・ブギ - PUFFY
- ギンギラギンにさりげなく - グループ魂
DVD
- '07 Valentine's Day in 武道館[2枚組](2007年5月9日)
- 近藤真彦ライブ 07.12.26-08.02.14[2枚組](2008年7月19日)
出演
テレビドラマ
- 3年B組金八先生シリーズ(TBS) - 星野清 役
- 第1シリーズ(1979年 - 1980年)
- 第2シリーズ第13話「同窓会・贈る言葉」(1980年)
- スペシャル1「贈る言葉」(1982年)
- スペシャル3「小さな嘘」(1984年)
- スペシャル5「先生の暴力 生徒の暴力」(1986年)
- 第4シリーズ第11話「十五歳の母と父(2)」(1995年)
- スペシャル9「子供を救え! 大人達よ立ち上がれ」(1998年)
- ファイナル〜「最後の贈る言葉」(2011年)
- ただいま放課後(1980年5月26日 - 1981年3月23日、フジテレビ)- 主演・岡田達也 役
- それからの武蔵(1981年1月2日、テレビ東京)
- 走れ青春42.195キロ(1984年4月11日、テレビ東京)- 主演・真彦 役
- ニッポン親不孝物語(1985年4月12日 - 7月2日、日本テレビ)- 主演・高志 役
- マイフェアねーちゃん(1987年1月18日、TBS、東芝日曜劇場)
- 蛍たちの挽歌(1988年4月8日、フジテレビ)- 主演
- 逃亡者(1988年8月17日 - 12月16日、NHK)主演
- 大風呂敷(1989年4月10日、テレビ東京) - 主演・後藤新平 役
- 炎の挽歌(1989年5月12日、フジテレビ、男と女のミステリー)- 主演
- 私のカレは三代目(1989年11月27日、TBS、月曜ドラマスペシャル)- 主演
- ある外科医の告白(1990年11月19日、TBS、月曜ドラマスペシャル) - 主演
- 野望の国 嵐の章(1989年10月28日 - 12月23日、日本テレビ)- 主演・湊屋舟作 役
- 花燃える日日 青春航路(1990年2月17日 - 24日)
- 戦艦大和(1990年、フジテレビ、終戦45年ドラマスペシャル)
- なんだらまんだら(1991年10月16日 - 12月18日、フジテレビ) - 浜崎英雄 役
- 世にも奇妙な物語 「急患」(1991年、フジテレビ)- 主演
- 拝啓、男たちへ(2)会議が長くて(1992年、毎日放送、東芝日曜劇場) - 主演
- 実録犯罪史シリーズ「弘前大学教授夫人殺し 名乗り出た真犯人」(1992年、フジテレビ、金曜ドラマシアター) - 主演
- 夏の嵐!(1992年8月13日 - 9月24日、TBS) - 謙介 役
- 池中玄太83キロ さよならスペシャル(1992年10月6日、日本テレビ) - 八木邦宏 役 ※特別出演
- おやじのヒゲ13(1992年、TBS、月曜ドラマスペシャル)
- 家族の物語(1993年1月4日 - 4月2日、TBS、花王 愛の劇場)
- 桃太郎侍II(1993年、テレビ朝日、春の時代劇スペシャル)
- 三匹が斬る!シリーズ!(1993年 - 1995年、テレビ朝日)- 吉良右近 役
- ニュー・三匹が斬る!(1993年12月23日 - 1994年6月2日)
- 痛快・三匹が斬る!(1995年4月6日 - 8月31日)
- 大忠臣蔵(1994年1月1日、TBS、TBS大型時代劇スペシャル) - 片岡源五右衛門 役
- 大江戸風雲伝(1994年4月8日〜7月15日、NHK、金曜時代劇)- 主演・青山信二郎 役
- ドンウォリー!(1998年4月14日 - 6月30日、関西テレビ)- 主演・吉岡慎太郎 役
- ヨイショの男「第7話」(2002年、TBS)
- 美空ひばり誕生物語 おでことおでこがぶつかって(2005年、TBS)- 杉山先生 役
- エンジン(2005年、フジテレビ)スタッフ(スーパーバイザー)※最終話特別出演
- 岡部警部シリーズ(2006年 - 2009年、フジテレビ)- 主演・岡部和夫 役
- 倉敷殺人事件(2006年9月2日、金曜エンタテイメント)
- 多摩湖畔殺人事件(2007年8月31日、金曜プレステージ)
- 十三の墓標(2008年9月5日、金曜プレステージ)
- シーラカンス殺人事件(2009年11月27日、金曜プレステージ)
- 恋して悪魔〜ヴァンパイア☆ボーイ(2009年7月7日 - 9月8日、関西テレビ) - カイト(ヴァンパイア)役(特別出演)[20]
- トットちゃん! (2017年10月2日-12月22日、テレビ朝日 40話[21]、43話、51話、52話[22]) -森繁久彌 役
テレビアニメ
- 超速変形ジャイロゼッター(2012年10月2日 - 2013年9月24日) - 友情出演・本人 役
- なお、本作の主題歌も歌っている。
映画
- たのきんスーパーヒットシリーズ(1981年 - 1983年、東宝映画)
- 第1弾・青春グラフィティ スニーカーぶる〜す(1981年2月11日公開、【監督:河崎義祐】) - 主演・金沢昌也 役
- 第2弾・ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY(1981年7月11日公開、【監督:河崎義祐】) - 主演・金田一真 役
- 第3弾・グッドラックLOVE(1981年12月20日公開、【監督:河崎義祐】) - 準主演・北野徹 役
- 第4弾・ハイティーン・ブギ(1982年8月7日公開、【監督:舛田利雄】) - 主演・藤丸翔 役
- 第5弾・ウィーン物語 ジェミニ・YとS(1982年12月18日公開、【監督:河崎義祐】) - 準主演・柴田隼人 役
- 第6弾・嵐を呼ぶ男(1983年8月4日公開、【監督:井上梅次】) - 主演・国分良 役
- Love Forever(1983年8月4日公開、東宝)※友情出演
- エル・オー・ヴィ・愛・N・G(1983年12月24日公開、東宝) - 友情出演・海童征人 役
- 愛・旅立ち(1985年1月26日公開、東宝)- 主演・五代誠 役
- この愛の物語(1987年9月12日公開、松竹)- 大介 役
- 首領になった男(1991年、東映)- 小倉勇武 役
- 極東黒社会(1993年、東映) - 江口信久 役
- 川の流れのように(2000年、東宝)- 友情出演
吹き替え
舞台
- 「森の石松」(1985年、大阪新歌舞伎座)史上最年少座長
- 「森の石松」再演(1986年、東京・明治座)
- 「坊ちゃん」(1987年、大阪新歌舞伎座)
- 「イダマンテ」(1988年、東京・中野サンプラザ、名古屋中日劇場、ジェームス三木:脚本、なかにし礼:作詞、甲斐正人:音楽、市川猿之助:演出[23]。)
- 「イダマンテ」再演(1989年、東京・中野サンプラザ)[24]
- 「若親分」(1990年、大阪新歌舞伎座)
- 「DREAM BOYS JET」(2013年、帝国劇場)特別出演[24]
ラジオ
- マッチとデート(1980年10月 - 1984年9月、文化放送)
- 近藤真彦 ベストクルージングミュージック(1984年10月 - 1988年3月、文化放送)
- 近藤真彦 出逢いから物語へ(1988年4月 - 1990年3月、文化放送)
- 近藤真彦 SUNDAY MOTOR RADIO(文化放送)
- 近藤真彦 くるまっち(2002年 - 2006年3月、文化放送)
- 近藤真彦 くるくるマッチ箱(文化放送)
- COME ON! ROCKIN' ROAD(2016年4月- 、FM COCOLO)
CM
- ハウス食品「ロッカッキー」(1980年 - )
- 「チョコフレークバー」
- ハウス食品「ククレカレー」
- 1981年10月からは、ジャニーズ少年隊(錦織・植草・松原の3名)が共演した。
- 不二家 ハートチョコレート
- 大塚製薬「シーマックス1000」
- 松下電器産業(ナショナルブランド)「オーディオテープ」/「レコーディングステレオ jump」/「ステレオミニラジカセ ラブコール」
- 公共広告機構(現:ACジャパン)(1988年)
- 小西六(現:コニカミノルタ)「ピッカリコニカ・カラーハンディ」
- 日産自動車「マーチ」(初代K10型・1982年 - 1991年)
- ポッカコーポレーション「ポッカコーヒー・ファーストドリップ」
- サントリー「夕涼み生ビール」
- Olympic
- トヨタ自動車「カローラセダン/カローラフィールダー」(9代目・E120/E120G系)
- (セダン・2000年)(フィールダー・2000年)
- 首都高「山手トンネル(新宿線) - (池袋線)開通」(2007年12月)
- ケンタッキーフライドチキン「レッドホットウィング」(2009年)
- エイチ・アイ・エス(2009年10月8日 - )
- フジ・コーポレーション(2012年9月 - )
- サントリー『ICE GIN』「ジンジラジンにさりげなく」篇(2017年4月 - )[25]
NHK紅白歌合戦
年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1981年 | 第32回 | 初 | ギンギラギンにさりげなく | 01/22 | 河合奈保子(1) | トップバッター |
1982年 | 第33回 | 2 | ホレたぜ!乾杯 | 02/22 | あみん | |
1983年 | 第34回 | 3 | ためいきロ・カ・ビ・リー | 11/21 | 中森明菜(1) | |
1984年 | 第35回 | 4 | ケジメなさい | 07/20 | 中森明菜(2) | |
1985年 | 第36回 | 5 | ヨイショッ! | 16/20 | 島倉千代子 | |
1986年 | 第37回 | 6 | 青春 | 10/20 | 河合奈保子(2) | |
1987年 | 第38回 | 7 | 愚か者 | 08/20 | 小泉今日子 | |
1988年 | 第39回 | 8 | ああ、グっと | 04/21 | 中森明菜(3) | |
1996年 | 第47回 | 9 | ミッドナイトシャッフル | 05/25 | TRF | |
2015年 | 第66回 | 10 | ギンギラギンにさりげなく | 25/25 | 松田聖子 | トリ |
FNS歌謡祭
『FNS歌謡祭』(フジテレビ系列)には1981年に初出演していて、以降も多数出演している。
1991年〜1998年はデータ不明の為、1999年以降の出演データを記載。
年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 曲順 | コラボレーション |
---|---|---|---|---|---|
2005年 | 第34回 | 不明 | スニーカーぶる〜す | 13/35 | |
愚か者 | 14/35 | ||||
ミッドナイト・シャッフル | 15/35 | ||||
2010年 | 第39回 | スニーカーぶる〜す | 71/74 | 近藤真彦×堂本剛 | |
ミッドナイト・シャッフル | 72/74 | 近藤真彦×堂本光一 | |||
ざんばら | 73/74 | ||||
2012年 | 第41回 | ハイティーン・ブギ | 13/79 | 近藤真彦×綾小路翔 | |
嵐を呼ぶ男 | 55/79 | 舘ひろし×近藤真彦 | |||
Let's Go! | 77/79 | 近藤真彦×TOKIO×KinKi Kids×テゴマス | |||
2014年 | 第43回 | ギンギラギンにさりげなく | 51/105 | 近藤真彦×嵐×KAT-TUN | |
スニーカーぶる〜す | 52/105 | 近藤真彦×V6×ジャニーズWEST | |||
ブルージーンズメモリー | 53/105 | 近藤真彦×Sexy Zone×A.B.C-Z | |||
ハイティーン・ブギ | 54/105 | 近藤真彦×SMAP×Kis-My-Ft2 | |||
ケジメなさい | 55/105 | 近藤真彦×NEWS×Hey! Say! JUMP | |||
愚か者 | 56/105 | 近藤真彦×TOKIO×関ジャニ∞ | |||
千年恋慕 | 57/105 | 近藤真彦×KinKi Kids×滝沢秀明 | |||
2015年 | 第44回 (第1夜) |
ハイティーン・ブギ | 21/79 | 近藤真彦×綾小路翔 | |
北街角 | 22/79 | 近藤真彦×横山剣 | |||
大人の流儀 | 23/79 | ||||
2017年 | 第46回 (第1夜) |
ミッドナイト・シャッフル | 67/70 | 近藤真彦 with FNSマッチバンド | |
ハイティーン・ブギ | 68/70 | ||||
軌跡 | 69/70 |
- 近藤真彦 デビュー35周年スペシャルメドレー
2014年12月3日放送の『2014 FNS歌謡祭』では、自身のデビュー35周年を記念としたスペシャル企画して、ジャニーズ事務所の後輩であるSMAP、TOKIO、KinKi Kids、V6、嵐、滝沢秀明[注 2]、NEWS、関ジャニ∞、KAT-TUN、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、ジャニーズWESTの14組70人とのそれぞれのコラボレーション(共演)でスペシャルメドレーを披露した(披露曲は上記参照)。
- 近藤真彦 with FNSマッチバンド
2017年12月6日放送の『2017 FNS歌謡祭 第1夜』では、自身初の試みとなるスペシャル企画として、自身がボーカルで、ギター・高見沢俊彦(THE ALFEE)、ギター・城島茂(TOKIO)、ベース・丸山隆平(関ジャニ∞)、ドラムス・大倉忠義(関ジャニ∞)、ギター・山本彩(NMB48)、キーボード・武部聡志による番組限定の一夜限りのスペシャルバンドを結成してスペシャルメドレーを披露した(披露曲は上記参照)。
連載
- 『Safari』 「近藤真彦のつれづれ遊び!」 (日之出出版)
レース活動
脚注
注釈
出典
- ↑ “PROFILE(近藤真彦)-Johnny's web”. Johnny's web. . 2016閲覧.
- ↑ 『レッツゴーヤング』1982年7月4日放送回(2015年6月現在NHKアーカイブスの番組公開ライブラリーで視聴可能)時点でこの英語表記が使われている。
- ↑ “過去の『レコード大賞』受賞者一覧”. TBS. . 2012閲覧.
- ↑ “『日本レコード大賞』各賞発表 最優秀アルバム賞はいきものがかり”. ORICON STYLE. (2010年11月20日) . 2012閲覧.
- ↑ ““金八”ファイナル、卒業生152人が集結〜マッチも13年ぶり登場”. ORICON STYLE. (2011年3月7日) . 2012閲覧.
- ↑ 佐渡国際トライアスロン大会
- ↑ 全日本トライアスロン宮古島大会
- ↑ IZU TRAIL Journey 伊豆松崎・修善寺間山岳競争大会
- ↑ TBS (2010年3月29日). “中居正広の金スマ・近藤真彦波瀾万丈スペシャルが19.9%の高視聴率を記録!! 瞬間最高視聴率は何と脅威の29.8%!”. News2u.net. . 2012閲覧.
- ↑ 47NEWSサイト内“近藤真彦さんが人命救助 和歌山で小2男児を”. . 2010閲覧.
- ↑ ZAKZAKサイト内“あっぱれ!マッチ名乗らず、海で少年を救助”. . 2010閲覧.
- ↑ “作曲:近藤真彦×作詞:武藤京が手がけた新曲「GOGO☆パンダ!」が放送されました!”. エム.シエロ (2010年5月1日). . 2012閲覧.
- ↑ マッチ熱唱!1万2000発花火と真剣勝負 - asahi.com・2010年8月20日
- ↑ “「変化する白子駅前」vol.10”. 鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会 協議会日誌 (2010年10月9日). . 2012閲覧.
- ↑ それに次いで、少年隊等である(2017年8月現在。)。
- ↑ 後に、少年隊等が快挙を達成となった(2017年8月現在。)。
- ↑ 坂上忍、近藤真彦と30年ぶりに和解 - "ビンタ事件"の神対応に感謝と謝罪
- ↑ 徹子の部屋40周年1万回大記録 マッチ&東山祝福
- ↑ 近藤真彦、今年こそ「司会やりたい」 軽部アナ「僕がいらなくなっちゃう」,スポーツニッポン,2018年1月7日
- ↑ “放送内容”. 恋して悪魔〜ヴァンパイア☆ボーイ 公式HP (n.d.). . 2018年8月15日閲覧.
- ↑ “近藤真彦、森繁久彌役で『トットちゃん!』出演 「知床旅情」熱唱”. ORICON NEWS. (2017年11月10日) . 2018年8月15日閲覧.
- ↑ “『徹子の部屋』第1回を再現!『トットちゃん!』で森繁久彌さん役の近藤真彦を黒柳徹子が称賛”. TV LIFE web. (2017年12月8日) . 2018年8月15日閲覧.
- ↑ 2018年5月1日中日劇場(中日新聞文化芸能局)発行「中日劇場全記録」
- ↑ 24.0 24.1 “近藤真彦24年ぶりミュージカル出演”. 日刊スポーツ. (2013年6月28日) . 2018-8-15閲覧.
- ↑ “アイスジン アイスウオツカ・広告ギャラリー”. サントリー . 2017閲覧.
関連項目
外部リンク
- 近藤真彦 - Johnny's net - ジャニーズ事務所による公式サイト
- 近藤真彦 - Sony Music - ソニーミュージックによる公式サイト
- KONDO Racing Team
受賞歴 |
---|
|