崔洋一

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崔洋一
各種表記
ハングル 최양일
漢字 崔洋一
発音: チェ・ヤンイル
日本語読み: さい よういち
ローマ字 Choe Yang-il(2000年式
Ch'oe Yang'il(MR式
Sai Yōichi(ヘボン式
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崔 洋一(さい よういち、: 최양일、男性、1949年(昭和24年)7月6日 - )は、日本の映画監督脚本家俳優日本映画監督協会理事長、宝塚大学教授、株式会社ネクステップ顧問、民間放送教育協会理事[1]を歴任。在日韓国人2世。

経歴

父は水原市出身の在日朝鮮人1世で、勉学のため10代で来日[2]。東京で熊本県出身の日本人の母と結婚したが、日本共産党系の朝鮮人労働組合の運動にのめり込みしばしば逮捕され、釈放後移り住んだ長野県佐久市で洋一が生まれた[2]1968年(昭和43年)、東京朝鮮中高級学校高級部を卒業。東京綜合写真専門学校中退後、照明助手として映画界に入り、小道具を経てまもなく演出部に転向、1976年(昭和51年)、『愛のコリーダ』(監督大島渚、主演藤竜也)、1978年(昭和53年)、『最も危険な遊戯』(監督村川透、主演松田優作)のチーフ助監督を務める。

1981年(昭和56年)、テレビ映画プロハンター』(主演草刈正雄、藤竜也)で監督デビュー。同作のプロデューサーであった日本テレビ山口剛セントラルアーツ黒澤満のプロデュースのもと、「火曜サスペンス劇場」を2作撮り、満を持して1983年(昭和58年)、『十階のモスキート』(主演内田裕也)でスクリーンに本格的にデビューする。同作はヴェネツィア国際映画祭にも出品され、1984年(昭和59年)、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞した。

1993年(平成5年)、日本衛星放送(現WOWOW)のプロデューサー仙頭武則が立ち上げた「J・MOVIE・WARS」シリーズでのテレビ映画『J・MOVIE・WARS 月はどっちに出ている』(主演石橋凌)にひきつづき、シネカノン李鳳宇のプロデュースのもとに手がけた『月はどっちに出ている』(主演岸谷五朗)で報知映画賞ブルーリボン賞、毎日映画コンクールほかの各賞、各部門賞受賞のほか、第17回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞にノミネートされる。

1994年(平成6年)、朝鮮籍から韓国籍に変更した。李鳳宇と共に韓国を初訪問。1996年(平成8年)には文化庁新進芸術家在外研修員として単身韓国の延世大学に留学、同国の映画人たちとの交流をはかる。

1999年(平成11年)、映画『豚の報い』(主演小澤征悦)で第52回ロカルノ国際映画祭金豹賞にノミネートされ、ドンキホーテ賞(国際シネクラブ賞)を受賞した[3]。また自作のWOWOW版『月はどっちに出ている』に「タクシー会社の課長」役で出演以来、俳優としての活動も頻繁になり、ついに同年、俳優として『御法度』(監督大島渚)に近藤勇役で出演、翌2000年(平成12年)の第53回カンヌ国際映画祭の地を大島監督、ビートたけし松田龍平とともに踏んだ。

2004年(平成16年)、初の外国人の理事長として日本映画監督協会第8代理事長に就任。2005年(平成17年)、ビートたけし主演の映画『血と骨』(2004年)で第28回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞。また同年、かつてTBSテレビの「男と女のミステリー」で手がけた大沢在昌原作の『探偵冴木涼介 十番街の殺人』(主演山崎努、1989年)以来、ひさびさに「アルバイト探偵シリーズ」(『帰ってきたアルバイト探偵』)を原作に、WOWOWの「ドラマW」で『アルバイト探偵(アイ) 100万人の標的』(主演椎名桔平)を演出した。

2006年(平成18年)、初の韓国資本の映画『ス SOO』(主演チ・ジニ)の撮影を開始し、2007年(平成19年)3月22日韓国国内で公開、同年ドイツの「ミュンヘン・アジアフィルムフェスト」で上映された。2008年1月25日にはドイツで早くもDVDが発売され、2008年(平成20年)夏、日本でも公開されDVD発売された。

2007年4月、宝塚造形芸術大学(現: 宝塚大学)教授に就任。同年秋、白土三平原作、宮藤官九郎脚本、松山ケンイチ主演による映画『カムイ外伝』の撮影を開始、2009年(平成21年)9月19日公開された[4]

思想

ドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』に上映中止運動が起こった際には、他のジャーナリスト文化人とともに「表現の自由を守れ」と上映中止に反対する声明を発表した[5][6]

2010年8月14日放送のNHKの討論番組『日本の、これから』にパネリストとして出演した。この時、日本と韓国の歴史認識の違いについて討論。参加者の一人(古谷経衡)が「当時の日本人は韓国人が憎くて併合したわけではない。当時、世界は帝国主義列強の時代であり、植民地支配はあたり前だった。日本が韓国を併合したことはやむを得なかった」という趣旨の発言に対し、崔は「36年間にわたる植民地支配がそれによって肯定されるという考え方の人は、基本的に歴史を語る資格がない」と発言した。これに対し、京都大学准教授の小倉紀蔵は、「歴史というのは、どんな考え方もあり得る。どんな考え方を持ってもいい。それが間違った事実にもとづいて、自分の歴史観を構築したら、それは正していかなければならないけれども『歴史を語る資格はない』という言い方は、間違っていると思う」「歴史問題というのは、権力者があなたの考えは完全に間違い、と言論封鎖してはいけない」と崔の発言を正す場面が見られた[7]

フィルモグラフィ

監督

映画

テレビドラマ

1980年代
1990年代
2000年代

助監督

出演

舞台演出

ビブリオグラフィ

  • 『月はどっちに出ている - 崔洋一の世界』(鄭義信木村立哉らと共著、日本テレビ出版部、1993年 ISBN 4820394169)
  • 『東京デラックス - 平成無責任一家』(鄭義信と共著、扶桑社、1994年 ISBN 459401609X)
  • 『映画「血と骨」の世界』(梁石日、鄭義信と共著、新幹社、2004年 ISBN 4884000420)

出演番組

ほか多数

注釈

  1. サード助監督として参加していたが、現場でチーフ助監督と殴り合いの喧嘩をしたため解雇された[9]

出典

  1. 民間放送教育協会 役員名簿、2017年1月31日閲覧
  2. 2.0 2.1 木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 128-129頁
  3. Awards for Yoichi Saiによれば「ドンキホーテ賞 Don Quixote Award」、日本映画監督協会 - 理事長の「プロフィール」には「国際シネクラブ賞」とあるので併記した。
  4. 4.0 4.1 映画「カムイ外伝」公式サイトを参照した。2007年11月21日閲覧。2009年6月25日閲覧分では「ビーワイルド」のクレジットはない。
  5. 映画「ザ・コーブ」オフィシャルサイト(アーカイブ)に崔らの上映中止に対する反対声明は掲載された
  6. “映画監督らが反対アピール ザ・コーヴの上映中止で”. 47NEWS (共同通信社). (2010年6月7日). http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060701000888.html . 2011閲覧. 
  7. 「韓国併合肯定なら歴史語るな」崔洋一監督の「言論封殺」”. Jcastニュース (2010年8月16日). . 2015閲覧.
  8. 「特命刑事ザ・コップ」放送リストを参照。
  9. 「INTERVIEW 『スペクトルマン』ほか製作 篠原茂」、『別冊映画秘宝 特撮秘宝』vol.3、洋泉社2016年3月13日、 pp.82、 ISBN 978-4-8003-0865-8

関連項目

外部リンク

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