富里市
富里市(とみさとし)は、千葉県の北部中央にある市。「人と緑が調和し未来を拓く臨空都市」がキャッチフレーズ。
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概要
- 千葉県の北総台地にある。東西約10km、南北約11km、総面積53.91km2の市。
- 面積のおよそ68%以上が山林及び農地。住宅地は14%程度。
- 千葉県では唯一、鉄道路線のない市である(村政時代には存在)。
- 東京都心から60km圏内、北総台地のほぼ中央に位置しており成田国際空港から4kmの所に位置する。
- スイカの産地として、現在では生産高、出荷量ともに全国第2位を占める。
- 明治期に御料牧場が設けられた「競走馬のふるさと」として有名。
- 成田市への通勤率は27.5%(平成22年国勢調査)。
- 2000年(平成12年)に行われた国勢調査の結果、市制施行可能最小人口(5万人)に達し、「印旛郡富里町」から「富里市」となった。
歴史
原始・古代
中世
富里には広大な原野が広がり、台地上には牧があった。その起源は定かにされていないが、平安の頃からと伝えられている。中世の時代の牧については不確かな点も多いが、北条氏康が1583年(天正11年)千葉邦胤に命じて両総の原野に牧を開設させたと言われている。
近世
江戸幕府により佐倉七牧とされ幕府直轄牧場となった。その面積は17,270haにも及び、馬の数は約3,000頭であった。その佐倉七牧の一つ「内野牧」は七栄を中心として、西は酒々井の東端、東は根木名までの約6km、南は南大堀、北は現在の成田ニュータウンまでの約8kmに渡る、面積は約2,210haと言われている。内野牧の下には、高野牧があり、富里の高野が中心となっていた。
近代
幕藩時代、1頭辺り、5haの広い原野で大切に育てられていた放牧馬の制度は、明治政府によって、職を失った下級武士や路頭に迷った江戸庶民に新政府が困窮民対策として牧場が開放され、開拓が行われるようになった。開墾が始まった順に字名が付けられた村名に由来し、富里には七栄、十倉の地名が現在も残る。 しかし、原野の大地に挑戦した多くの人々が準備や施設の不充分な中で過酷な生活に耐えかね土地を去る者も少なくはなかった。また1875年、七栄集落から発生した火災により、更に開拓民の数は激減することになる。 その後、十倉村両国地区に内務省勧業寮本庁が設置され、1875年、下総牧羊場・香取種蓄場が開設された。後の1888年、宮内省管轄の「下総御料牧場」と改称される。
昭和
- 第二次世界大戦終戦後、同じく官有地が民間へ払い下げられ、多くの開拓民が入植した。
- 1962年(昭和37年)、池田勇人内閣のもとに、第二国際空港建設が閣議決定され、1963年(昭和38年)9月に突如「富里・八街地域設置案」が浮上。富里村はパニックに陥る。村民は各地区1名ずつを対策委員として選出し対応策を協議した。村民の大半は反対意向で、同年10月1日には、富里村空港設置反対期成同盟が組織され、以降、反対運動が活発化し、反対陳情はもとより、ときには耕耘機デモが行われた。一方、少数派ながら賛成派の住民もあり、富里村空港誘致促進同盟も組織されていた。政府内部の調整が遅れていた約三か年、富里は空港設置の本命候補地とされていたため、その間の村の事業計画は立案遂行ができなかった。1966年(昭和41年)6月に政府は「三里塚」案を示し、7月に閣議決定したため、市内での空港問題はようやくおちついた[1]。なお、成田市三里塚は当初富里に空港が建設された場合の、移転農家の代替地に目されていたところであった[2]。
平成
- 2012年、三菱地所より富里市に旧岩崎家末廣別邸が寄付された。敷地は2013年2月28日に同市の市指定史跡とされ、2013年12月24日には主屋、東屋、石蔵が近代和風建築としての価値を認められ、本市初となる国登録有形文化財[3]とされた。現在は公開に向けた計画策定が進行中である。
市名の由来
- 13の村を総称して「十三の里」(里はむらの意味)と言っていたことから「十三里」→「富里」となった。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 日吉倉・久能・大和・根木名・七栄・新橋・中沢・新中沢・立沢・立沢新田・高野・高松・十倉の区域を以って印旛郡富里村が発足[4]。
- 明治の大合併以降、合併を行っていない数少ない自治体のひとつでもある。
変遷表
富里市市域の変遷表(※細かい境界の変遷は省略) | ||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
久能村 | 富里村 | 昭和60年4月1日 町制 |
平成14年4月1日 市制 |
富里市 | ||
大和村 | ||||||
根木名村 | ||||||
明治5年 七栄村 | ||||||
新橋村 | ||||||
中沢村 | 明治4年 中沢村 | |||||
明治4年 新中沢村 | ||||||
立沢村 | 明治4年 立沢村 | |||||
明治4年 立沢新田 | ||||||
明治5年 十倉村 | ||||||
高松村 | ||||||
高野村 | ||||||
日吉倉村 |
人口
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、2.84%減の49,636人であり、増減率は県下54市町村中27位、60行政区域中33位。
富里市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
地域
日吉台・日吉倉
日吉倉は富里市の北に位置し、成田市と隣接し東側に根木名川が北に向かって流れている。根木名川から派生する谷津が幾重にも台地を樹支状に刻み、標高の最も高いところは日吉倉新田で40.64m、低いところは9.3mである。上記の通り成田市の中心部と隣接しているため、他地区より都市化が進んでおり、富里市の最大の地区となっている。
久能
久能は、根木名川の西岸にあり日吉倉の南側に位置し、地形や自然環境は日吉倉とほぼ同じである。久能カントリー倶楽部があり、ゴルフ選手も訪れる。
根木名
根木名川は、川の上流が根木名にあることから、その名が付けられた。根木名川の源は葉山と大堀にある。 根木名には、前川、浅間台(せんげんだい)、和免(わめ)、塚田、宮前、猪ノ穴、植上、広田谷津、広畑、台芝、作畑、野辺作(のべさく)、中野、松作、笠木、細田、西谷津、笠木山という地名があり、水田と畑に関わる地名が多く、作と付く地名が特徴的である。
中沢
中沢は、南北に長く、北側は七栄・南側は八街市に隣接している。高崎川は中沢の西側に侵入し、古作・川中郷・川津場で北方の七栄方面に溯るものと、東方に直進し立沢・高野方面に溯るものと、南方の高松方面へと溯り、高崎川は三方向に分散しているものがある。このことから、新橋から溯った高崎川は、中沢で十字状を示している。そして中沢地区は、この三つの谷津により分断された特徴ある地形を示している。 また、ナイキの工場などの企業の工場もある。
立沢
立沢は南北に長く、その北側寄りに高崎川がS字状に蛇行して流れている。北側は七栄と大堀、東側は高野、南側は十倉と高松、西側は中沢に接している。また、高崎川は立沢に入って水神後(すいじんご)と八ツ堀との間に南に分かれた谷津があり、その谷津は行人田に入り、その東に「バチノス」と呼ばれているところがある。
また、立沢ニュータウンというものもある。
十倉
明治3年11月4日、東京都隅田川を船で下る13世帯45人の人々により十倉は誕生した。十倉は江戸時代高野牧の野馬牧場の一部で、高野牧の範囲は富里郵便局の先大堀との境界にある野馬土手から、県道八街・三里塚線の八街市との境界となる左側にある野馬土手、さらに二区や三区、そして御料の動物愛護センター付近までの広大な台地上にある。
四区
十倉の西側にある。戦時は軍用滑走路があった。
隣接している自治体
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 |
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初代 | 相川義雄 | 2002年4月1日 | 2003年8月24日 |
2-5代 | 相川堅治 | 2003年8月25日 | 現職 |
警察
- 富里市には警察署は所在せず隣接する成田市に所在する成田警察署が市内全域を管轄する。
- 七栄交番、日吉台交番、実の口駐在所、両国駐在所
消防
- 富里市消防本部
- 富里市消防署
- 北分署
- 富里市消防署
- 消防団(6連合19分団)
- 第1連合分団
- 第1分団、第2分団、第3分団、第4分団
- 第2連合分団
- 第5分団、第19分団
- 第3連合分団
- 第6分団、第7分団、第8分団
- 第4連合分団
- 第9分団、第10分団、第13分団
- 第5連合分団
- 第11分団、第12分団、第16分団、第17分団、第18分団
- 第6連合分団
- 第14分団、第15分団
産業
- 農業
- 成田空港利用者が主に利用する宿泊施設。
- ラディソンホテル 成田エアポート など。
- 成田空港施設及び周辺宿泊施設に関係する産業(リネンサプライ・機内食の製造等)
- スポーツ用品メーカーのカスタマーサービスセンター、畜産食品メーカー等の工業。
スイカ
- 熊本県にならぶ西瓜(スイカ)の産地。元々一般の作物に不向きだった土地の利用策として、西瓜栽培を行ったのが始まりといわれている。
- 西瓜の産地にちなみ、毎年6月に「スイカロードレース大会(ショートマラソン)」開催。1万人以上が参加して大変な賑わいを見せる。給水所の代わりに給スイカ所で「カット西瓜」がランナーに配布される。
- 市内には、巨大なスイカ模様のガスホルダー(千葉ガス・富里供給所)がある。2000年に完成し直径が33.8mと、スイカの本場、熊本県合志市にある、同じくスイカ柄ガスホルダー(西部ガス・直径17m)を抜いて国内最大級を誇る。また、岩手県滝沢市の盛岡ガス・滝沢工場にも同じくスイカ柄のガスホルダーが存在する。
教育
市立幼稚園
- 富里幼稚園
- 浩養幼稚園
- 向台幼稚園
私立幼稚園
- 太子幼稚園
- 末広幼稚園
- 日吉台幼稚園
市立小学校
- 富里小学校
- 富里第一小学校
- 富里南小学校
- 浩養小学校
- 洗心小学校
- 日吉台小学校
- 根木名小学校
- 七栄小学校
市立中学校
- 富里中学校
- 富里北中学校
- 富里南中学校
高等学校
特別支援学校
図書館
- 富里市立図書館は市制施行に伴い七栄地区に2003年(平成15年)3月27日開館した(蔵書数約12万冊)。全国初の次世代型ICシステムで蔵書を管理している。蔵書には非接触型ICタグが貼り付けられており、自動貸し出し装置の機能も兼ねている専用読み取り台によって、利用者が図書館の職員と接触する事無く貸し出しが出来る、また利用者のプライバシー保護という面でも優れている。ICタグには管理情報を受信するアンテナが埋め込まれており、貸し出しの手続きがされていない蔵書がゲートを通過すると、警報が作動する。盗難防止システムも同時に採用されている。年間30万人以上の利用者があり、開館3年目の2006年2月に利用者が100万人を突破。
福祉
市立保育園
- 葉山保育園
私立保育園
- 富里保育園
- こひつじ保育園
交通
- 市内を通る鉄道路線・鉄道駅はなく、(1914年から1940年までは成田鉄道八街線が通過していた)隣接する成田市、八街市からのバス輸送が中心となっている。開発の進む北部一帯は交通網が整備された。ただし市内を縦断する幹線路線は八街市まで行く4番路線である。現在、七栄新木戸地区(62.1ha)の土地区画整理事業において交通広場の整備が進んでいる。この地区は、鉄道駅を持たない本市にとっての玄関口でもある東関東自動車道・富里ICから、約0.5kmと好立地に位置している。本市ではバス輸送が唯一の公共交通機関であり、パーク&バスライド整備により市民の利便性向上と、富里市の玄関口としての整備が進んでいる。
- 国道409号の4車線化改築事業(富里拡幅)が1979年(昭和54年)に都市計画決定され、1999年(平成11年)度から事業化されている。富里市七栄地先を起点に国道51号の成田市並木町地先までの1.9kmまでが指定されている。当路線は東関東自動車道富里IC周辺の慢性的渋滞を解消するものであり、また死傷事故多発路線でもある事から事業が行われている。都市計画決定から30年以上が経過し、事業が長期化している。富里市域(約1.2km)については、2012年度に暫定で供用開始した。
- 2014年4月14日、東関東自動車道酒々井ICと富里市中沢(富里市立富里第一小学校前、国道409号と交差)までを結ぶ「富里市道01-008号線」が開通。これにより東関東自動車道東京方面と富里市街地および国道296号匝瑳方面を行き来する場合、富里IC付近の渋滞を回避することができるようになった。
路線バス
- 千葉交通
- 京成成田駅東口発(階段下ロータリー発着)
- 2番 - 久能・七栄四つ角経由、各方面行き
- 3番1 - 日吉台六丁目・ジョイフル本田・七栄四つ角・富里中央経由、ファミリータウン富里行き
- 3番2 - 日吉台四丁目・日吉台六丁目・成瀬橋経由、教習所東、ベイシア富里店行き
- 11番 - 日吉台小学校経由、日吉台車庫行き
- 京成成田駅西口発(出口目前発着)
- 4番 - 日赤入口・成田市並木町・七栄四つ角経由、各方面行き
- 5番 - 日赤入口・並木町・七栄四つ角・ラディソンホテル・三里塚西経由、本城台団地・三里塚南行き
- 11番 - 京成成田駅東口・日吉台小学校経由、日吉台車庫行き
- JR成田駅東口発(参道口面発着)
- 1番 - 京成成田駅東口・日吉台三丁目・ジョイフル本田経由、ファミリータウン富里行き
- JR八街駅発(京成成田駅4番参照)
- 京成成田駅東口発(階段下ロータリー発着)
- 富里市循環バス
高速バス
3路線が富里バスターミナル(ベイシア富里店前)に発着する。
- 東京駅日本橋口行き(千葉交通・ジェイアールバス関東の共同運行、八日市場駅・匝瑳市役所ルート)
- 東京ディズニーリゾート行き(千葉交通の運行、京成成田駅始発)
- 夜行高速バス 京都・大阪行き(千葉交通・南海バスの共同運行、高速バス大阪 - 銚子線)