1994年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
終盤のセ・リーグ優勝争い等
『プロ野球70年史』[1]は、この年の見出しを「10.8決戦とイチロー旋風」としている。
その10.8決戦のあったセ・リーグは、終盤に各チームの勝率が接近して、順位争いがプロ野球史上まれに見る混戦となった。
8月18日、巨人は中日を破ってマジックナンバー25を点灯させた。この時点で巨人の優勝が確実との見方もあった。また、巨人側から見ると、この試合は、このシーズン5勝を与えることとなった「苦手」今中慎二を攻略したという意味もある[2]。
- 8月18日時点でのセ・リーグ順位表は次のとおり。
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 読売ジャイアンツ | 58 | 42 | 0 | .580 | - |
2位 | 中日ドラゴンズ | 52 | 48 | 0 | .520 | 6.0 |
3位 | 阪神タイガース | 50 | 51 | 0 | .495 | 8.5 |
4位 | 広島東洋カープ | 48 | 50 | 0 | .480 | 9.0 |
5位 | 横浜ベイスターズ | 45 | 53 | 0 | .459 | 12.0 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 44 | 53 | 0 | .454 | 12.5 |
ところが、巨人が7月から9月の各月とも負け越し、マジックナンバーは17まで減らしたものの、8月30日に中日に敗れて消滅した[3]。さらに、広島、中日とのゲーム差がすぐに近づいていった。
特に、中日は8月に8連敗し、監督の髙木守道にシーズン限りの解任を通告していた[4]。しかし、奮起して、9月を11勝3敗で[6]、9月に4勝10敗の巨人をとらえ、広島を優勝争いから脱落させた。9月28日、ナゴヤ球場での中日-巨人戦で、1回に立浪和義が巨人先発桑田真澄から放った本塁打による1点を先発郭源治から先発登板することもあった佐藤秀樹、さらに翌日の両チーム間の試合が台風接近により中止になることを見越して今中を抑えに投入して1-0で中日が勝利し、巨人と同率で並んだ。巨人の監督の長嶋茂雄は10月8日に「(9月29日に中止になった中日戦を)やっていたら中日の勢いからいってやられただろうし、(中略)まさにあの"ハリケーン"は神風だった」と振り返り、後年、落合博満は、この時期の巨人のチーム状態について「2試合とも中止になることを願っていた」と述べた[7][8][9]。
その後両チームとも試合がなく迎えた9月30日、リーグは、この中止になった中日対巨人戦(第26回戦)を10月8日に組み込むことを含めた「追加日程」を発表した。この時点で、優勝争いは、同率で並び、ともに5試合を残していた巨人と中日にほぼ絞られていた。
10月6日は、一旦巨人が1ゲーム差をつけて迎えたが、中日が勝ち、巨人が敗れて、再び同率となった。結局両者とも同率で並んでから3勝1敗で8日の最終決戦を迎えた。
8日の決戦は、巨人が6-3で勝ち、優勝決定となった。先に解任通告を受けた高木監督については、終盤の優勝争いで、球団側が事実上、解任通告を撤回し、13日に同監督も辞意を撤回して、留任となった。
10.8決戦と同率最終戦での最下位決定戦
1994年のセ・リーグは同率で並んだ2チームが最終戦で直接対戦して優勝が決定した(10.8決戦)。一方で最下位も同率で並んだ2チームが最終戦で直接対戦して決定した[10]。
10月7日の時点で単独5位だった横浜ベイスターズは8日に試合の予定がなかったが、単独最下位だったヤクルトスワローズが同日に行われた129試合目で広島東洋カープに勝ったため、ヤクルトと横浜が61勝68敗の同率で並んだ。この時点で既に公式戦全日程を終了した広島の3位と阪神タイガースの4位は確定しており、両チームにとっての最終戦となる「ヤクルト対横浜」の直接対決で敗れたチームが最下位を確定することになった。この試合は10.8決戦と同様に、9月30日にセ・リーグから発表された「追加日程」に含まれていたもので、同年のリーグ公式戦最終試合でもあった。
10月9日に神宮球場で行われた試合はヤクルトが西村龍次、横浜が斎藤隆の先発で始まった。横浜は6回表に1点を先制したが、ヤクルトは8回裏に同点とすると、9回裏には城友博が横浜のリリーフ盛田幸妃から適時打を打ち、2-1でサヨナラ勝ち。勝利投手は高津臣吾、敗戦投手は斎藤隆。これによりヤクルトは阪神と並んで同率4位となり、横浜のリーグ最下位およびセ・リーグ全成績が確定した。
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 桑田真澄 | 巨人 | イチロー | オリックス | ||
最優秀新人 | 藪恵市 | 阪神 | 渡辺秀一 | ダイエー | ||
首位打者 | A.パウエル | 中日 | .324 | イチロー | オリックス | .385 |
本塁打王 | 大豊泰昭 | 中日 | 38本 | R.ブライアント | 近鉄 | 35本 |
打点王 | 大豊泰昭 | 中日 | 107点 | 石井浩郎 | 近鉄 | 111点 |
最多安打 | 野村謙二郎 | 広島 | 169本 | イチロー | オリックス | 210本 |
盗塁王 | 野村謙二郎 | 広島 | 37個 | 佐々木誠 | 西武 | 37個 |
最高出塁率 | T.オマリー | 阪神 | .429 | イチロー | オリックス | .445 |
最優秀防御率 | 郭源治 | 中日 | 2.45 | 新谷博 | 西武 | 2.91 |
最多勝利 | 山本昌広 | 中日 | 19勝 | 伊良部秀輝 | ロッテ | 15勝 |
最多奪三振 | 桑田真澄 | 巨人 | 185個 | 伊良部秀輝 | ロッテ | 239個 |
最高勝率 | 紀藤真琴 | 広島 | .762 | 郭泰源 | 西武 | .722 |
最優秀救援投手 | 高津臣吾 | ヤクルト | 27SP | 赤堀元之 | 近鉄 | 33SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 山本昌広 | 中日 | 伊良部秀輝 | ロッテ |
捕手 | 西山秀二 | 広島 | 吉永幸一郎 | ダイエー |
一塁手 | 大豊泰昭 | 中日 | 石井浩郎 | 近鉄 |
二塁手 | 和田豊 | 阪神 | 福良淳一 | オリックス |
三塁手 | 江藤智 | 広島 | 松永浩美 | ダイエー |
遊撃手 | 川相昌弘 | 巨人 | 広瀬哲朗 | 日本ハム |
外野手 | 前田智徳 | 広島 | イチロー | オリックス |
A.パウエル | 中日 | 佐々木誠 | 西武 | |
G.ブラッグス | 横浜 | K.ライマー | ダイエー | |
指名打者 | R.ブライアント | 近鉄 |
高校野球
メジャーリーグ
選手会側が8月12日から232日間におよぶ史上最長のストライキ(1994年から1995年のMLBストライキ)に突入。その影響でワールドシリーズ(1994年のワールドシリーズ)が90年ぶりに中止になってしまった。
できごと
1月
- 1月12日 - 【MLB】スティーブ・カールトンのアメリカ野球殿堂入りが、全米野球記者協会の投票で決定[11]。
- 1月13日 - 第66回選抜高等学校野球大会の第2回運営大会が開かれ、開会式の入場行進曲にZARDの「負けないで」を採用することを決定[11]。
- 1月19日 - 王貞治、与那嶺要の日本野球殿堂入りが決定[11]。
- 1月28日 - 前阪神タイガースの岡田彰布がオリックスに入団[12]。
2月
- 2月7日 - 【MLB】NBAのマイケル・ジョーダンがシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約。
- 2月25日 - 【MLB】フィル・リズートとレオ・ドローチャーのアメリカ野球殿堂入りが、ベテランズ委員会の選出で決定[13]。
3月
- 3月1日 - 前オリックス・ブルーウェーブの西本聖が入団テストを経て読売ジャイアンツに入団[13]。
- 3月26日 - 第66回選抜高等学校野球大会(阪神甲子園球場)で、金沢の中野真博が対江の川戦で完全試合達成[14]。
4月
- 4月4日
- 【MLB】メジャーリーグベースボール開幕戦でシカゴ・カブスのタフィー・ローズが、ニューヨーク・メッツのドワイト・グッデンから、第1打席から3打席連続本塁打。開幕戦で最初の3打席連続本塁打はMLB史上初(リグレー・フィールド)[15]。
- 第66回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、智弁和歌山が常総学院を7-5で破り初優勝。
- 4月7日 - 東京六大学野球連盟は春季リーグ戦より女子選手の出場を認める[14]。
- 4月7日 - オリックス・ブルーウェーブは佐藤和弘を「パンチ」に、鈴木一朗を「イチロー」と登録名を変更することを正式に発表[15]。
- 4月9日 - 西武ライオンズは対近鉄バファローズ戦(西武球場)で伊東勤の日本プロ野球史上7度目の「おつりなし」サヨナラ満塁本塁打で4-3で勝利[16]。
- 4月26日 - 大宮市営球場でのイースタン・リーグ、西武対ヤクルトスワローズ戦において、ヤクルトの先発山部太がノーヒット・ノーランを達成し、対する西武の先発の竹下潤も失策と犠打による1失点の無安打で抑え、日本プロ野球の公式戦では史上初の両軍無安打試合を達成[17]。
5月
- 5月11日 - ヤクルト対読売ジャイアンツ戦で死球合戦。7回表には西村龍次がダン・グラッデンに投げた内角球を巡り両軍入り乱れての大乱闘に発展する事件が起こる[18]。
- 5月18日 - 福岡ドームでの巨人対広島7回戦で巨人の先発・槙原寛己が完全試合を達成(槙原寛己の完全試合)[19]。この試合で屋敷要が9回表から中堅手として出場し、プロ通算1500試合出場を達成[20]。巨人はこの試合で公式戦通算7000試合。
- 5月18日 - 社会人野球のシダックスとニコニコドーでプレーするためにキューバの現役野球選手5人が日本に到着。キューバの現役野球選手が海外のチームへ派遣されるのはキューバ革命が起こった1959年以降では初[21]。
- 5月31日 - 広島の小早川毅彦が対阪神戦(西京極球場)で日本プロ野球通算150本塁打、史上97人目[22]。
6月
- 6月1日 - 近鉄のラルフ・ブライアントが外国人選手初の通算1000三振[23]。
- 6月7日 - 千葉ロッテマリーンズの愛甲猛が5月28日からこの日まで日本プロ野球記録の6試合連続二塁打[24]。
- 6月10日 - ヤクルトは対広島戦(神宮)に勝利し、球団通算2500勝[22]。
- 6月16日 - 巨人の吉田修司と福岡ダイエーホークスの岸川勝也の交換トレードが成立し、両球団から発表される[25]。
7月
- 7月1日 - 近鉄の野茂英雄が対西武戦で日本プロ野球新記録の1試合16与四球ながら、試合は8対3で野茂が5安打8奪三振の完投勝利で、最多与四球での勝利投手と完投勝利投手も併せて更新[26]。
- 7月12日 - 【MLB】MLBオールスターゲーム開催。結果は延長10回 8対7でナ・リーグが勝利した。
- 7月13日 - 近鉄が対ロッテ戦でパ・リーグ新記録の1試合52塁打[23]。
- 7月16日 - 西武の清原和博が福岡ドームでは日本人選手初の1試合2本塁打を記録。
- 7月25日 - 福岡ダイエーホークスの山本和範がこの日から登録名を「カズ山本」に変更[27]。
- 7月28日 - ヤクルトの広沢克己が対広島戦(神宮)で1000試合連続出場、史上4人目[22]。
- 7月28日 - テキサス・レンジャーズのケニー・ロジャースがMLB史上14人目となる完全試合を達成[27]。
- 7月31日 - 二塁手としての連続守備機会無失策の日本プロ野球記録を更新中だったオリックスの福良淳一が対西武戦の7回に飛球を落とし、記録が836でストップ[27]。
8月
- 8月2日 - 千葉ロッテマリーンズの監督の八木沢荘六が休養し、ヘッドコーチの中西太が監督代行に就任[28]。
- 8月7日 - 近鉄の赤堀元之が6月1日からこの日まで日本プロ野球新記録の21試合連続セーブポイント[23]。
- 8月11日 - ヤクルトの池山隆寛が対中日戦(ナゴヤ)で日本プロ野球通算1000安打、史上179人目[22]。
- 8月12日 - 【MLB】MLB選手会が232日間に及ぶ史上最長のストライキ(1994年から1995年のMLBストライキ)に突入[29]。
- 8月21日 - 第76回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、佐賀代表の佐賀商が鹿児島代表の樟南を8-4で破り初優勝。
- 8月27日 - 連続試合出場記録を更新中だったオリックスのイチローが無安打無四球に終わり、69試合で記録がストップ[29]。
- 8月26日 - ロッテの西村徳文が対ダイエー戦(千葉マリン)で日本プロ野球通算350盗塁[28]。
- 8月30日 - 広島の江藤智が対横浜ベイスターズ戦(広島)の8回に本塁打を放ち、日本プロ野球タイ記録の月間16本塁打[30]。
9月
- 9月10日 - 東京ドームでの巨人対広島24回戦で巨人は5-19で敗れ、1試合被安打25、19失点の球団ワースト記録[31]。
- 9月14日
- オリックスのイチローが東京ドームでの対日本ハム25回戦の三回裏に安打を打ち、シーズン192本安打のプロ野球最多記録を更新[32]。
- 【MLB】MLBコミッショナー代行のバド・セリグが1994年レギュラーシーズンの残り試合、1994年のプレイオフ(ディビジョンシリーズとリーグチャンピオンシップシリーズ)、1994年のワールドシリーズの中止を発表。ワールドシリーズの中止は1904年以来2回目となった[33]。
- 9月15日
- 広島の北別府学が広島市内のホテルで記者会見し、今季限りでの現役引退を表明[34]。
- 日本ハムファイターズ監督の大沢啓二の辞任が正式に決まる[33]。
- 9月18日 - 近鉄の中村紀洋が藤井寺球場での対日本ハム25回戦でサイクル安打を達成[35]。
- 9月20日 - オリックスのイチローがグリーンスタジアム神戸での対ロッテ24回戦の一回裏に安打、三回裏に安打、六回裏に二塁打を打ち、日本プロ野球史上初のシーズン200安打を達成[36]。
- 9月25日 - 日本ハムは大島康徳と柴田保光が今季限りで現役引退すると発表[37]。
10月
- 10月1日 - ダイエーの秋山幸二が福岡ドームでの対日本ハム25回戦の8回裏に22号2点本塁打を放ち、プロ通算350号本塁打を達成[38]。
- 10月2日 - 西武対近鉄26回戦が藤井寺球場で行われ西武が近鉄に8-2で勝利し、パ・リーグ優勝達成。パ・リーグ史上初めてリーグ5連覇を達成[39]。
- 10月6日 - 神宮球場でのヤクルト対巨人26回戦で巨人がヤクルトに6対2にで敗れ[40]、ナゴヤ球場での中日対阪神26回戦で中日が10対2で勝利し[41]、巨人と中日が共に69勝60敗で並ぶ。これで8日のナゴヤ球場での中日対巨人26回戦は、勝った方がリーグ優勝という大一番となり、1973年以来プロ野球史上2度目の最終決戦となる[42]。
- 10月8日 - ナゴヤ球場で中日対巨人26回戦が行われ、巨人が6-3で勝利し、27度目のセ・リーグ優勝達成(10.8決戦)[43]。
- 10月9日
- 10月10日 - パ・リーグは全日程が終了[46]。
- 10月12日 - ダイエーは福岡市内のホテルで記者会見し、新監督に王貞治が就任すると正式発表[47]。
- 10月15日 - 日本ハムは都内のホテルで新監督に野球評論家の上田利治が就任したと発表[48]。
- 10月19日 - 中日は小松辰雄が現役引退と、来シーズンより2軍投手コーチに就任すると発表[49]。
- 10月29日 - 日本シリーズの第6戦が東京ドームで行われ、巨人が西武に3対1で勝利し、日本シリーズ優勝[50]。
11月
- 11月1日
- ロッテのゼネラルマネージャーに広岡達朗が就任。新監督に元テキサス・レンジャーズの監督のボビー・バレンタインが就任[28]。
- 西武監督の森祇晶が退団[51]。
- 正力松太郎賞に巨人の監督の長嶋茂雄とオリックスのイチローの2人が初めて選ばれる[52]。
- 11月2日 - ヤクルトは監督の野村克也と32選手による台湾遠征を行う(11月7日まで)[22]。
- 11月25日 - 西武の横田真之が中日に移籍[53]。
12月
- 12月3日 - オリックスからFA宣言した山沖之彦の阪神への入団が発表[54]。
- 12月5日 - 広島からFA宣言した川口和久とヤクルトからFA宣言した広沢克己が巨人に移籍し入団会見が行われた。
- 12月6日 - 西武からFA宣言した工藤公康がダイエーに移籍。
- 12月13日
誕生
1月
2月
- 2月3日 - ルーグネッド・オドーア
- 2月4日 - ライメル・タピア
- 2月11日 - ダンズビー・スワンソン
- 2月20日 - ルイス・セベリーノ
3月
- 3月5日 - エクトル・メンドーサ
- 3月22日 - エドウィン・ディアス
- 3月22日 - ダニエル・ロバートソン
- 3月29日 - マット・オルソン
- 3月30日 - アレックス・ブレグマン
4月
- 4月1日 - デビッド・ダール
- 4月7日 - ジョシュ・ヘイダー
- 4月12日 - 藤浪晋太郎
- 4月16日 - アルバート・アルモーラ・ジュニア
- 4月20日 - 京田陽太
- 4月27日 - コーリー・シーガー
- 4月30日 - ホセ・ペラザ
5月
6月
7月
- 7月5日 - 大谷翔平
- 7月6日 - アンドリュー・ベニンテンディ
- 7月14日 - ルーカス・ジオリト
- 7月14日 - カーソン・ケリー
- 7月20日 - アンソニー・アルフォード
- 7月23日 - アルバート・ミネオ
8月
9月
10月
12月
死去
- 2月12日 - レイ・ダンドリッジ(*1913年)
- 4月17日 - 宇野光雄(*1917年)
- 5月30日 - 真田重蔵(*1923年)
- 6月23日 - マーブ・スロンベリー(*1933年)
- 7月14日 - シーザー・トーバー(*1940年)
- 10月30日 - フランク・コギンス(*1944年)
- 11月25日 - 坂本文次郎(*1926年)
脚注
- ↑ 『プロ野球70年史 1934→2004』歴史編、ベースボール・マガジン社 編、ベースボール・マガジン社、2004-12。ISBN 4-583-03808-9。
- ↑ 8月19日付日本経済新聞33面 縮刷版1994年10月号p.825
- ↑ 8月31日付新聞各紙(日本経済新聞縮刷版1994年8月号p.1409ほか)
- ↑ 『週刊ベースボール』1995年1月2・9日号、ベースボール・マガジン社、1995年、 36頁。
- ↑ 2004 歴史編, p. 627.
- ↑ 『プロ野球70年史』は「山本昌が7連勝、郭源治がフル回転、大豊泰昭のバットが火を噴いた」と表現している[5]。
- ↑ 落合博満 『プロフェッショナル』 ベースボール・マガジン社、1999-12、。ISBN 4-583-03621-3。
- ↑ 今中慎二 『悔いは、あります。』 ザ・マサダ、2002年、126 - 149。ISBN 978-4-88397-078-0。
- ↑ 10月9日付読売新聞18面14版(巨人軍5000勝の記憶 ISBN 978-4-583-10029-6 のDVDで確認)
- ↑ 10月10日付日本経済新聞 スポーツ24面縮刷版1994年10月号p.486「勝者が4位タイ、敗者が最下位となる"大一番"」
- ↑ 11.0 11.1 11.2 ベースボールマガジン 1995, p. 123.
- ↑ “【1月28日】1994年(平6) キャンプイン4日前 岡田彰布“復帰”決定”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2010年1月12日). . 2016閲覧.
- ↑ 13.0 13.1 ベースボールマガジン 1995, p. 124.
- ↑ 14.0 14.1 大修館書店刊「近代体育スポーツ年表1800-1907」 281ページ
- ↑ 15.0 15.1 ベースボールマガジン 1995, p. 125.
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2013年6月3日、 95頁。
- ↑ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年11月、 72頁。
- ↑ ベースボールマガジン 1995, p. 127.
- ↑ 読売新聞1994年5月19日1面「槙原(巨人)完全試合 16年ぶり」読売新聞縮刷版1994年5月p711
- ↑ 読売新聞1994年5月19日21面「巨人・屋敷が1500試合出場」読売新聞縮刷版1994年5月p731
- ↑ 鉄矢多美子 『熱球伝説―キューバリナレスを育てた野球王国』 岩波書店、1997年、119 - 121。ISBN 4000017934。
- ↑ 22.0 22.1 22.2 22.3 22.4 『東京ヤクルトスワローズ40年史 ツバメの記憶1969-2009』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年。ISBN 9784583616018。
- ↑ 23.0 23.1 23.2 大修館書店刊「近代体育スポーツ年表1800-1907」280ページ
- ↑ 『日本スポーツ事典 トピックス1964-2005』 日外アソシエーツ編集部 編、日外アソシエーツ、2006年。ISBN 4816919856。
- ↑ ベースボールマガジン 1995, p. 130.
- ↑ “【7月1日】1994年(平6) 史上初 “怪腕”野茂英雄 16四球でも完投勝利”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2011年7月1日). . 2016閲覧.
- ↑ 27.0 27.1 27.2 ベースボールマガジン 1995, p. 132.
- ↑ 28.0 28.1 28.2 “チームヒストリー 1994”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト. . 2016閲覧.
- ↑ 29.0 29.1 ベースボールマガジン 1995, p. 133.
- ↑ 『広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009 躍動!赤ヘル軍団』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年。ISBN 9784583616001。
- ↑ 読売新聞1994年9月11日15面「カープ台風ドーム直撃 G投木っ端みじん 被安打25 失点19球団ワースト」読売新聞縮刷版1994年9月p519
- ↑ 読売新聞1994年9月15日19面「イチロー シーズン安打新記録 見えた!!夢の200本」読売新聞縮刷版1994年9月p721
- ↑ 33.0 33.1 ベースボールマガジン 1995, p. 135.
- ↑ 読売新聞1994年9月15日19面「200勝現役唯一 北別府が引退表明」読売新聞縮刷版1994年9月p757
- ↑ 読売新聞1994年9月19日16面「中村紀サイクル安打 3年目『イチローに負けぬ』」読売新聞縮刷版1994年9月p894
- ↑ 読売新聞1994年9月21日1面「イチロー 200安打突破 史上初 122試合目、一気に4本」読売新聞縮刷版1994年9月p981
- ↑ 読売新聞1994年9月26日20面「43歳大島引退 無安打無得点の柴田も」読売新聞縮刷版1994年9月p1216
- ↑ 読売新聞1994年10月2日17面「秋山350号決勝弾」読売新聞縮刷版1994年10月p65
- ↑ 読売新聞1994年10月3日1面「西武 5連覇 パ・リーグで初めて」読売新聞縮刷版1994年10月p89
- ↑ 読売新聞1994年10月7日23面「救援失敗G放心」読売新聞縮刷版1994年10月p333
- ↑ 読売新聞1994年10月7日23面「背水のD トラ粉砕 山本昌完投19勝」読売新聞縮刷版1994年10月p333
- ↑ 読売新聞1994年10月7日23面「あす130戦目の直接決戦」読売新聞縮刷版1994年10月p333
- ↑ 読売新聞1994年10月9日1面「巨人 最終決戦でV セ・リーグ 中日下し4年ぶり」読売新聞縮刷版1994年10月p419
- ↑ 読売新聞1994年10月10日25面「セ・リーグ全日程終了 個人賞は中日勢ズラリ 大豊が2冠 19勝山本昌2年連続最多勝」読売新聞縮刷版1994年10月p483
- ↑ 読売新聞1994年10月10日25面「イチロー .385パ新で終了」読売新聞縮刷版1994年10月p483
- ↑ 読売新聞1994年10月11日夕刊13面「パも全日程を終了 イチロー 打率 出塁率 安打数 3冠 伊良部は2冠」読売新聞縮刷版1994年10月p509
- ↑ 読売新聞1994年10月12日夕刊18面「『攻撃野球にち密さも』ダイエー次期監督 王氏就任正式発表」読売新聞縮刷版1994年10月p570
- ↑ 読売新聞1994年10月10日25面「『結束固め機動力野球』日本ハム 上田新監督が会見」読売新聞縮刷版1994年10月p770
- ↑ 読売新聞1994年10月20日18面「中日・小松が引退 来季から二軍投手コーチに」読売新聞縮刷版1994年10月p968
- ↑ 読売新聞1994年10月30日1面「長嶋・巨人 初の日本一 西武破り5年ぶり18度目」読売新聞縮刷版1994年10月p495
- ↑ スポーツニッポン、石毛宏典の我が道2015年5月23日
- ↑ ベースボールマガジン 1995, p. 138.
- ↑ 日付は公示日。『ライオンズ60年史 1950-2010 ―獅子の記憶―「西鉄」から「埼玉西武」まで』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2010年。ISBN 9784583616858。
- ↑ “タイガースヒストリー 1990-1994”. 阪神タイガース公式サイト. . 2016閲覧.
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月19日、 36頁。
参考文献
- 『ベースボールマガジン』1995年冬季号、ベースボール・マガジン社、1995年、 ASIN B00LVOTRAI。