難波中
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難波中 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 浪速区 |
人口 (2005年(平成17年)10月1日現在) | |
- 計 | 2,100人 |
等時帯 | JST (UTC+9) |
郵便番号 | 556-0011 |
市外局番 | 06 |
ナンバープレート | なにわ |
難波中(なんばなか)は、大阪市浪速区の町名[1]。現行行政地名は難波中一丁目から難波中三丁目。2005年10月1日現在の人口は2,100人[2]。郵便番号556-0011。
地理
難波中は浪速区北東部にあたり、南海難波駅南側および西側に位置する市街地。西で元町、北で中央区難波、北東で中央区難波千日前、東で日本橋、南東で日本橋西、南で敷津東、南西で敷津西と接する。
かつて存在した河川
歴史
1980年(昭和55年)、蔵前町・難波新地六番町・新川一-三丁目・元町一-五丁目・河原町二丁目・西関谷町一-二丁目・船出町一-二丁目・敷津町一-三丁目の各一部から成立した[1]。
享保の大飢饉を受けて1732年(享保17年)、江戸幕府はこの地に天領から運上された米を貯蔵し災害時に使用するための米蔵、難波御蔵を建設した[1]。明治維新後も、この蔵は大蔵省所管の倉庫とされたが、1904年(明治37年)に大蔵省専売局管轄の大阪第一煙草製造所が建てられた。この煙草工場は1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲で焼失した。この跡地に、GHQ経済科学局長・ウィリアム・マーカット少将の支援の下、大阪スタヂアムが建設された。南海ホークスのダイエー売却決定後の1989年(平成元年)に「難波地区開発協議会」が、1993年(平成5年)には「難波地区土地区画整理組合設立準備会」が発足している。難波土地区画整理組合は翌1994年(平成6年)に設立認可された。大阪スタヂアムは1998年(平成10年)に取り壊され、跡地に2003年(平成15年)、なんばパークスが建設されている。
交通
鉄道
バス
道路
- 阪神高速道路1号環状線
- 国道26号・国道165号(重複区間)
施設
かつて存在した施設
史跡
- 難波御蔵・難波新川跡
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年10月、P903。
- ↑ 男女別・年齢(5歳階級)別人口・浪速区/大阪市,(XLSファイル)、2011-05-18閲覧。
関連項目
中央区難波 | 中央区難波千日前 | |||
元町 | 北 | 日本橋 | ||
西 難波中 東 | ||||
南 | ||||
敷津西 | 敷津東 | 日本橋西 |