浪速区
なにわく 浪速区 | |
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地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
市 | 大阪市 |
団体コード | 27111-0 |
面積 |
4.39km2 |
総人口 |
72,415人 (推計人口、2018年4月1日) |
人口密度 | 16,495人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
大阪市(西区、大正区、天王寺区、 西成区、中央区) |
外部リンク | 浪速区 |
浪速区(なにわく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。
Contents
地理
一帯は上町台地西側の平地で、北辺では道頓堀川(西道頓堀川)が、西辺では木津川が区境となっている。また区東部には1733年(享保18年)に難波入堀川(難波新川)と呼ばれる運河が開削されたが、1958年(昭和33年)に埋め立てられた[1]。
日本一面積の小さな行政区でもある[2]。
歴史
1925年(大正14年)に南区から分区によって誕生した。旧西成郡(難波村・今宮村・木津村・西浜町)の地域を中心にしている。区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(難波津の歌)からとられた[3]。1943年(昭和18年)、湊町・日本橋筋の一部が南区から、日東地区が天王寺区から、幸町が西区からそれぞれ編入され、また難波東部の河原町地区の一部を南区へ分離して現在の区域となった。
近世には、大坂城下へ野菜などを供給する「畑場八ヶ村」の一画を占めた。難波村は藍、今宮村は蕪・瓢箪、木津村は瓜・大根・菠薐草などが名産であった。これらの野菜類は天満青物市場まで持ってゆく決まりであったが、旧淀川以北の天満は城下南郊に位置する畑場八か村から遠く不便であった。農民達は道頓堀川付近に市を建てたり自前で売ろうとして、天満商人と対立した。その後、1809年(文化6年)に13品目限定で難波木津市場が開設されるに至った。
明治時代以後は1885年(明治18年)に阪堺鉄道(後の南海鉄道)の難波駅が、1889年(明治22年)には大阪鉄道(後の関西鉄道、現在の西日本旅客鉄道)の湊町駅(現在のJR難波駅)が開業し、奈良県や和歌山県の木材や農産物などが集まった。木津には大きな市場(現在の木津地方卸売市場)ができ、日本橋以南の堺筋は松坂屋ほか商店、古物商や古本屋が軒を並べる繁華街となった。また1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会以後は新世界がレジャーセンターになるなど遊興地としても栄えた。一方、市街地の拡大に伴い、大正時代には堺筋の裏側に長町スラムが広がっていたため、当時の大阪市は画期的な鉄筋アパート[4]を建設するなどこの地域の社会改善、住宅改良に力を入れた。スラムは西成区釜ヶ崎に移転し、現在のあいりん地区となった。
戦後は日本橋(恵美須町)が焼け野原から電気街として繁栄したが、産業構造の変化などに伴い中小企業や工場主体の地域の活力は落ち始めた。この地域にあった大阪球場やクボタの工場、湊町駅の貨物駅などが相次いで再開発の対象となった。バブル崩壊後、これらの再開発は足踏みしたが、2000年代以降には超高層マンション群やオフィスビル、商業施設の開発が行われている。また中小工場の廃業が相次いだほか、日本橋では郊外の大規模電気店・梅田へのヨドバシカメラ出店などの影響で多くの家電店が撤退に追い込まれ、オタク向けの街へと変貌している。新世界は繁華街としてはすっかり老朽化したが、戦後の雰囲気を色濃く残すため観光に来る人も多い。
比較的地価が安いため、アジア・ヨーロッパ・アメリカ・オセアニアなどからの出稼ぎ労働者やホステス、外国語教師など外国人の居住が多いほか、若い単身者向けのワンルームマンションも多いのも特徴。区の人口は1940年(昭和15年)に約15万人いたが、その後の空襲による市街地の破壊やドーナツ化現象、生活環境の著しい悪化などに伴い長く減少傾向にあった。しかし近年再開発によりマンション建設が進み、都心回帰によって再び増加傾向にある。特に単身男性の転入が加速しており、浪速区の性比(女性を100とした時の男性の比率)は大阪市95.0に対して104.8とかなり男性の割合が高い。なおこの数値は南隣の西成区に次いで大阪市内第2位である。長らく大阪市内で人口が最も少なかったが、都心回帰による流入増加で2014年5月に此花区と大正区の人口を上回った。
こうした浪速区の都心再開発プロジェクトにはOCAT、湊町リバープレイスを中心としてオフィスビル、高層マンション群と産経新聞社などを誘致したルネッサなんばプロジェクト、南海なんば駅前、大阪球場跡を再開発した商業施設、シネマコンプレックスとオフィスビル、高層マンションの複合体なんばパークス等がある。
町名
- 下寺(1〜3丁目) しもでら
- 日本橋東(1〜3丁目) にっぽんばしひがし
- 日本橋(3〜5丁目) にっぽんばし
- 日本橋西(1〜2丁目) にっぽんばしにし
- 恵美須東(1〜3丁目) えびすひがし
- 恵美須西(1〜3丁目) えびすにし
- 難波中(1〜3丁目) なんばなか
- 元町(1〜3丁目) もとまち
- 湊町(1〜2丁目) みなとまち
- 敷津東(1〜3丁目)しきつひがし
- 敷津西(1〜2丁目) しきつにし
- 戎本町(1〜2丁目) えびすほんまち
- 大国(1〜3丁目) だいこく
- 浪速東(1〜3丁目) なにわひがし
- 浪速西(1〜4丁目) なにわにし
- 芦原(1〜2丁目) あしはら
- 久保吉(1〜2丁目) くぼよし
- 立葉(1〜2丁目) たてば
- 木津川(1〜2丁目) きづがわ
- 幸町(1〜3丁目) さいわいちょう
- 桜川(1〜4丁目) さくらがわ
- 塩草(1〜3丁目) しおくさ
- 稲荷 (1〜2丁目) いなり
交通
鉄道
南海電気鉄道(登記上、南海電鉄の新今宮駅は西成区、南海難波駅は中央区に所在)
大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)(登記上、御堂筋線・四つ橋線・千日前線ともに難波駅は中央区に所在)
バス
- 大阪シティバス - 多くは難波を拠点にした路線網である。
- 湊町バスターミナル(OCAT) - 高速バスの拠点で、東北から九州まで多数の路線が発着する。JR難波駅上。
道路
教育
大学
- 大阪府立大学I-siteなんば - 敷津東2-1-41
高等学校
- 大阪府立今宮高等学校 - 戎本町2-7-39
小学校・中学校
- 大阪市立難波中学校 - 塩草1-1-59
- 大阪市立浪速小学校・日本橋中学校(日本橋小中一貫校) - 日本橋西1-7-6
- 大阪市立木津中学校 - 戎本町1-3-46
- 大阪市立栄小学校 - 浪速東1-1-61
- 大阪市立大国小学校 - 大国1-9-3
- 大阪市立敷津小学校 - 敷津東3-9-32
- 大阪市立塩草立葉小学校 - 塩草1-4-31
- 大阪市立難波元町小学校 - 元町1-5-30
- 統廃合による小学校の閉校
- 大阪市立難波小学校、大阪市立元町小学校 - 1985年に統合で難波元町小学校となる。
- 大阪市立立葉小学校 - 2014年に塩草小学校と統合、塩草立葉小学校となる。
- 大阪市立恵美小学校、大阪市立日東小学校、大阪市立日本橋小学校 - 2017年に大阪市立浪速小学校に統合、日本橋小中一貫校へ。
特別支援学校
- 大阪府立難波支援学校 - 木津川2-3-30
マスメディア
新聞社
放送局
- FM大阪(湊町一丁目)
浪速区に本社を置く企業
- クボタ
- 南海電気鉄道
- 南海辰村建設
- 高田機工
- 上新電機
- ニッタ
- 新田ゼラチン
- ピクセラ
- 東洋テック
- 電響社
- タビオ
- TONE
- 鳥貴族
- マルイト(ホテルモントレ)
- ニコニコのり
- モリサワ
- 関西ケーズデンキ
- 日本気象
- ダイカイフード
- 富士珈機
- 山崎産業
- ユーイング
- 岩伸産業
- フクホー
名所・旧跡・文化・観光施設
- なんばパークス
- ウインズ難波
- 湊町リバープレイス
- 大阪シティエアターミナル
- 浪速神社
- 難波八阪神社
- 今宮戎神社
- 敷津松之宮
- 願泉寺
- 新世界
- スパワールド
- でんでんタウン(日本橋電気街)
- 木津卸売市場
- Zepp Namba (OSAKA)
- 大阪府立体育会館
- 大阪市立浪速図書館
- 大阪人権博物館
- 朝日劇場
出身有名人
- 富士ヶ根全陽(大相撲親方・元小結大善(だいぜん)二所ノ関部屋所属)本名:高橋徳夫
- 望桜将太(大相撲現役力士・(みざくら)宮城野部屋所属)本名:近藤将太
- 折口信夫 - 歌人・国文学者
- 岡村義夫 - 俳優
- 和音美桜 - 俳優
- 琴音和葉 - 俳優
- 高瀬悠 - ミュージカル俳優
- 高橋和巳 - 作家
- 渚ゆう子 - 歌手
- 浜田雅功 - お笑い芸人(ダウンタウン) 浪速区大国町生まれ。その後兵庫県芦屋市→尼崎市へ移る。
- チャーリー浜 - コメディアン
- 木下晃 - 将棋棋士
- 藤立啓一 - 医師
- 格清政典 - 産経新聞社記者