日本橋 (大阪市)
日本橋 | |
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— 町丁 — | |
座標: 東経135度30分21秒北緯34.65972度 東経135.50583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 中央区・浪速区 |
人口 (2010年(平成22年)10月現在) | |
- 計 | 7,399人 |
等時帯 | JST (UTC+9) |
郵便番号 | 542-0073(中央区) 556-0005(浪速区) |
日本橋(にっぽんばし[1])は、大阪府大阪市中央区・浪速区の町名及び周辺の地域名称。または道頓堀川に架かる橋。現行行政地名は日本橋一丁目から日本橋五丁目。一丁目から二丁目が中央区、三丁目から五丁目が浪速区に属する。
2010年10月1日現在の人口は7,399人、世帯数は4,918世帯[2]。 郵便番号は〒542-0073(中央区)及び〒556-0005(浪速区)。
Contents
地理
道頓堀川に架かる堺筋の橋である日本橋(橋梁)の南詰以南に位置する。北から順に1~2丁目が中央区、3~5丁目が浪速区となり、堺筋東側の南端は恵美須交差点(国道25号)、同西側の南端は恵美須入路交差点(阪神高速1号環状線えびす町入口、名呉橋跡)。浪速区側は日本橋東(1~3丁目)と日本橋西(1~2丁目)が東西に隣接する。
江戸時代には紀州街道の一部である堺筋に面して旅籠や木賃宿が建ち並び、長町(ながまち)と呼ばれていた。1792年(寛政4年)に長町1~9丁目のうち現在の中央区側にあたる1~5丁目が日本橋1~5丁目に改称され、1872年(明治5年)には現在の浪速区側も含めて日本橋筋1~5丁目に改称された。1980年(昭和55年)に浪速区側が日本橋東の西半と東関谷町を編入した上で日本橋に改称され、1989年(平成元年)には中央区側が高津町三・七・八・九・十番丁と御蔵跡町を編入した上で再び日本橋に改称された。
江戸時代から長町の東西に隣接する東成郡天王寺村や西成郡難波村・今宮村の各一部にあたる長町裏には貧民街が形成されていたが、1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会の開催に合わせて一掃され、堺筋に面した不良木賃宿の多くも釜ヶ崎へ移転した。以降は古書店街に姿を変えたが、第二次世界大戦後には東京の秋葉原、名古屋の大須と並ぶ電気街となり、「東のアキバ、西のポンバシ」とも称される。なお、電気街についてはでんでんタウンを参照のこと。
ただし、電気街となっているのは概ね浪速区側である。境界となるのが「なんさん通り」で、日本橋3交差点以東は「御蔵跡通り」と呼ばれる。中央区側では、道頓堀・千日前に隣接する堺筋以西が半ば歓楽街化しているほか、堺筋以東には国立文楽劇場、かつての高津町八・九・十番丁界隈には「大阪の台所」と称される黒門市場、御蔵跡通り付近には履物問屋街(通称:はきはきタウン)があり、電気街以外の表情も見せる。
2009年(平成21年)からは、日本橋プロジェクトという地域振興が行われており、いとうのいぢがデザイン・作画を務める音々(ねおん)ちゃんがイメージキャラクターとなっている。光(ひかり)ちゃんという妹もいる[3]。
河川
日本一
中央区日本橋1丁目は「日本一」(にっぽんいち)と通称される。堺筋と千日前通が交差する日本橋1交差点付近には、日本一にあやかりたい建物や看板がある。なお、住友銀行日本一支店は三井住友銀行となった後、2004年10月15日に難波支店に統合・無人化された(エーティーエムサービス西日本支店日本一出張所となる)ため、現存する銀行の支店で日本一支店を名乗るのは三菱UFJ銀行日本一支店(旧三菱東京UFJ銀行日本一支店←UFJ銀行日本一支店←三和銀行日本一支店)を残すのみで、それさえも2011年1月17日をもって難波駅前支店[4](旧東京三菱銀行難波支店)へのブランチインブランチとなって事実上消滅してしまった。
施設
公共施設
商業施設
公園
- 日本橋公園
- 黒門公園
かつて存在した施設
交通
鉄道
- 地下鉄日本橋駅:Osaka Metro堺筋線・千日前線
- 近鉄日本橋駅:近畿日本鉄道(近鉄)難波線
- 南海難波駅:南海電気鉄道南海線・高野線
- 地下鉄なんば駅:Osaka Metro御堂筋線・四つ橋線・千日前線
- 恵美須町駅:Osaka Metro堺筋線
- 恵美須町停留場:阪堺電気軌道阪堺線
- 今宮戎駅:南海高野線
道路
バス
なお、日本橋一丁目停留所を経由していた105号系統(なんば - 天満橋)と、黒門市場・日本橋三丁目・日本橋電気街の各停留所を経由していた赤バスの浪速東ループは廃止になった。
日本橋(橋梁)
1619年(元和5年)に江戸幕府によって架けられた。長さ約40m、幅約7mの木造橋で、江戸の日本橋と同じく公儀橋であった(道頓堀川では唯一)。1877年(明治10年)に鉄橋になり、1901年(明治34年)と1912年(明治45年)に架け替えられた。現在の橋は1969年(昭和44年)架橋で、長さ28.8m、幅28m。橋の西側は道頓堀川の遊歩道「とんぼりリバーウォーク」と接続している。
脚注
関連項目
外部リンク
- 日本橋まちづくり振興株式会社
- 大阪最初のスラムクリアランスとその帰結加藤政洋、立命館大学人文科学研究所紀要 (83), 1-22, 2004-02
- 日本橋大阪市建設局道路部橋梁課
- 日本橋Historyでんでんタウン協栄会
- CVV(Civil Veterans & Volunteers)HP:日本橋(NIPPON BRIDGE)