柳井正
やない ただし 柳井正 | |
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生誕 |
1949年2月7日(75歳) 日本・山口県宇部市中央町 |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部 |
職業 | 実業家 |
子供 | 2人 |
柳井 正(やない ただし、1949年(昭和24年)2月7日 - )は、日本の実業家、資産家。カジュアル衣料の製造販売「ユニクロ」を中心とした企業グループ持株会社であるファーストリテイリング代表取締役会長兼社長。ジーユー取締役会長[1]。2001年よりソフトバンクグループの社外取締役[1][2]。
経歴
山口県宇部市中央町生まれ。戦後復員した父・柳井等は、正が生まれた1949年に兄・柳井政雄が代表を務める小郡商事から繊維・洋服部門を任され、紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げ、1963年にファーストリテイリングの前身となる小郡商事株式会社を設立した人物[3]。正が中学生になるころ、父・等は地元のヤクザと組んで土建屋の経営にも手を広げ、次第に街の顔役として幅を利かせるようになった[3]。
山口県立宇部高等学校を経て早稲田大学政治経済学部に進んだ[3]。映画やパチンコ、麻雀でぶらぶらしていた4年間だった[3]。就職先として大手商社を受けたが、ことごとく落ちた[3]。大学を卒業後ぶらぶらして過ごしていたが、父親の勧めでジャスコ(現在のイオンリテール)に入社[3]。
ジャスコ四日市店で家庭雑貨売場を担当したが、働くのが嫌になり9ヶ月で退職、半年程友人の家に居候した後帰省して実家の小郡商事に入社。当時小郡商事が展開していた店舗「メンズショップOS」で取り扱っていたのは紳士服などの男性向け衣料が中心であったが、12年経営に携わる間、洋服の青山やアオキなどの郊外型紳士服店が業績を拡大したため、後発を避け安価で、日常的なカジュアル衣料の販売店を着想し全国展開を目指した。カジュアルに拘った理由は紳士服(スーツ)のように接客を必要としない、物が良ければ売れるという点が自身の性に合ったためという[4]。
1984年(昭和59年)、父・柳井等の後を受け小郡商事社長に就任。「ユニークな衣料 (clothes) 」ということで「ユニーク・クロージング・ウエアハウス(Unique Clothing Warehouse、略称ユニ・クロ)」と銘打って同年6月、まず広島市にその第一号店を開店。その後中国地方を中心に店舗を拡大していく。
ユニクロの路線が、徐々に陽の目を見るようになった1991年(平成3年)、社名を「ファーストリテイリング」に変更。2002年(平成14年)、代表取締役会長兼最高経営責任者 (CEO) に就任。いったん社長を退くも、2005年(平成17年)には再び社長に復帰。同年、持株会社制への移行を受けて、グループ各社の会長職を兼務している。
2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の義援金として私財から10億円を寄付した[5]。
人物
子供の頃は内向的だった[3]。高校ではサッカー部に入っていたが、父が「いい大学に入ってほしい」と述べたためすぐに辞めた[3]。趣味はゴルフで、自宅に打ちっぱなしのネットが張ってある[3]。酒は飲めない[3]。ひいきの料理屋はない[3]。尊敬する経営者はウォルマートの創業者サム・ウォルトン、ダイエーの中内功、日本マクドナルドの藤田田[3]。現在は東京都渋谷区大山町在住。二男の父。柳井は「息子にユニクロの経営を任せる気はない。同族経営はよくないですよ。」と述べている[3]。
経営観
ファーストリテイリング、ユニクロがグローバル展開するにあたり、独自の経営観を披露している。ユニクロの、特に若手社員に対する労働環境が厳しいのではとの批判(いわゆるブラック企業批判、ユニクロ#労働環境参照)を受けて、2013年に日経ビジネスで語った自身の社員教育方針については、「僕が若い社員に『海外に行ってくれ』と繰り返し言うのは、本当の意味で経営者になってほしいからです。それができないのであれば、当然ですけど、単純労働と同じような賃金になってしまう」「僕は将来、本当に若者が活躍できる世の中になれば、25歳以上は全員対等に評価すべきだと思っています。(中略)25歳くらいまでに基本的な考え方を決めて、努力を重ねて35歳くらいで執行役員になる。そして45歳くらいでCEOになるのが、正常な姿だと思っています。だからこそ、若いころに甘やかされてはいけないと思っています」との観点を示している[6]。ファーストリテイリングが、世界展開する各国の社員の給与体系・給与水準を事実上同一化する、いわゆる「世界同一賃金」構想を披露した際には、朝日新聞へのインタビューにおいて「世界どこでも、やる仕事が同じだったら同じ賃金にするというのが基本的な考え方。海外にも優秀な人材がいる。グローバルに事業を展開するのに、あまりに賃金が違いすぎるのでは機能しない」「日本の店長やパートより欧米の店長のほうがよほど(賃金が)高い。日本で賃下げをするのは考えていない。一方で途上国の賃金をいきなり欧米並みにはできない。それをどう平準化し、実質的に同じにするか、具体的な仕組みを検討している」「(離職率が高いのは)グローバル化の問題だ。10年前から社員にもいってきた。将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」と持論を展開した上で、ブラック企業批判については「我々が安く人をこき使って、サービス残業ばかりやらせているイメージがあるが、それは誤解だ」 「作業量は多いが、サービス残業をしないよう、労働時間を短くするように社員には言っている。ただ問題がなかったわけではなかった。グローバル化に急いで対応しようとして、要求水準が高くなったことは確か。店長を育てるにしても急ぎすぎた反省はある」と発言した[7]。
大富豪
『フォーブス』発表の2006年度世界長者番付において、推定資産42億米ドル(約4200億円)で78位、2007年度世界長者番付では同37億米ドルで95位(日本人で6位)、2009年「日本の富豪40人[8]」では、同61億米ドル(邦貨換算約5700億円 換算レート93円=1ドル)で日本人首位。2011年は推定資産76億米ドル(約6308億円)、世界ランク122位の日本富豪ランク2位(フォーブス誌による発表)。2012年は推定資産100億米ドル(約8100億円)、世界ランク88位の日本富豪ランク1位[9]。2013年にも推定資産133億米ドル(約1兆2369億円)で世界66位の日本1位となった[10]。2014年は推定資産179億米ドル、世界ランク45位と資産・順位ともに大きく伸ばしたが、日本富豪ランクとしては2位になる(2011年の日本富豪ランク1位であったソフトバンクグループの孫正義が世界ランク42位となり、日本富豪ランク1位に返り咲いたため)[11]。2015年は推定資産202億米ドル、世界ランク41位(日本の1位)[12]。
家族・親族
- 柳井家
山口県山口市陶、同市小郡下郷、宇部市中央町、東京都渋谷区大山町などに存在する。
- 祖父・周吉[13]
- 父・等
- 実業家である。高等小学校を卒業[3]。家にお金がなかったため進学をあきらめ京都で飲食業をやっていた兄を頼って、洋服屋に丁稚奉公した[3]。徴兵されて中国で8年ほど過ごしたあと、小郡に帰った[3]。1949年に宇部で紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げ、1963年に小郡商事株式会社を設立した[3]。同社社長を務め1984年(昭和59年)9月、会長に就任[3]。1999年(平成11年)2月に80歳で死去。また小郡商事を経営するかたわら地元の暴力団の人と一緒に土建屋を作った[3]。
- 正は父について「義理人情に厚く、生業家業といった観点で仕事をし、企業家とか経営者といった観点はなかった[3]。恐ろしかった。すぐに殴るんですよ[3]。」と述べている。
- 母[3]
- 母は父・等の兄の飲食店で働いていた人で、性格はおとなしかった[3]。
- 長男・一海
- リンク・セオリー・ジャパン会長である。
- 次男・康治
- 孫
- 親戚
- 大叔父・柳井傳一
- 大叔父の柳井傳一は全国水平社創立大会の参加者で、みずから創設に尽力した山口県水平社の聯盟本部役員を務めた[13]。『日本紳士録 第43版』によると、小郡大正町の柳井傳一の職業は「雑貨商」である[15]。
- 従兄弟・澤田正之
- 柳井政雄の息子[13]。山口市議会議員。山口市人権教育推進委員長。 2014年7月3日、釣具店で浮きを万引きした疑いで逮捕された[16]。また覚醒剤の陽性反応が検出され、7月4日には再逮捕された[16]。
- 従兄・千田秀穂[3]
- 千田の母親は柳井等の姉にあたる[3]。柳井等の右腕といわれ、小郡商事の番頭をつとめた[3]。高校卒業から20年近く小郡商事で働き、専務をつとめた[3]。ファーストリテイリングのルーツを知る人物である。
- 系図
柳井傳一 | 柳井周吉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
柳井等 | 女 | 柳井政雄 | 男 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
柳井正 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
柳井一海 | 柳井康治 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著書
- 『ほぼ日ブックス#001 個人的なユニクロ主義』(糸井重里との共著、2001年、朝日出版社)ISBN 4255001189
- 『一勝九敗』(2003年、新潮社) ISBN 4104642010
- 『仕事学のすすめ 2009年6-7月』(2009年、NHK知る楽/木)ISBN 4141895237
- 『成功は一日で捨て去れ』(2009年、新潮社)ISBN 4104642037
- 『ユニクロ思考術』(2009年、新潮社) ISBN 4104642029
- 『この国を出よ』(大前研一との共著、2010年、小学館 )ISBN 978-4093897297
- 『柳井正の希望を持とう』(2011年、朝日新聞出版)ISBN 978-4022733993
- 『現実を視よ』(2012年、PHP研究所)ISBN 978-4569806921
関連書籍
- 川嶋幸太郎『ユニクロ・柳井正—仕掛けて売り切るヒット力』(2009年、ぱる出版)ISBN 4827204942
- 川嶋幸太郎『ユニクロ・柳井正の進化し続ける言葉』(2009年、ぱる出版)ISBN 4827205035
- 片山修『柳井正の見方・考え方』(2009年、PHP研究所)ISBN 4569772277
受賞歴
- GQ MEN OF THE YEAR 2007(2007年)[17]
- TIME紙 - 世界で最も影響力のある100人(2013年)[18] - Titansに選出
- Asia Game Changers Award(2017年)[19]
出典
- ↑ 1.0 1.1 役員情報、柳井正、ファーストリテイリング公式サイト。
- ↑ フェーストリテイリング役員情報
- ↑ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 3.14 3.15 3.16 3.17 3.18 3.19 3.20 3.21 3.22 3.23 3.24 3.25 3.26 3.27 3.28 3.29 『ユニクロ帝国の光と影』139-168、279-304頁。
- ↑ Gainer 光文社 2009年5月号 147頁
- ↑ “東北地方太平洋沖地震の被害に対する支援について”. FAST RETAILING. (2011年3月14日) . 2011閲覧.
- ↑ “甘やかして、世界で勝てるのか ファーストリテイリング・柳井正会長が若手教育について語る”. 日経ビジネス (日経BP). (2013-04-15) . 2013閲覧..
- ↑ “「年収100万円も仕方ない」ユニクロ柳井会長に聞く”. 朝日新聞デジタル. (2013年4月23日) . 2013閲覧.
- ↑ Japan's 40 Richest - フォーブス公式サイト2009年2月18日付(英語)
- ↑ Asia's 20 Richest 2012 - フォーブス公式サイト2012年3月7日付(英語)
- ↑ 『フォーブス2013年長者番付発表 日本人1位はユニクロ柳井正』 2013年3月5日 Fashionsnap.com
- ↑ ゲイツ氏5年ぶり富豪首位に 日本の1位は孫氏 2014/03/04 【共同通信】
- ↑ [1] - フォーブス公式サイト2015年3月2日付(英語)
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 13.5 藤岡雅「ユニクロ・柳井が封印した『一族』の物語」(『週刊現代』2014年8月30日号60-65頁)
- ↑ “柳井氏の息子は会長か副会長に ファーストリテイリング”. 共同通信. (2014年3月28日) . 2014-3-28閲覧.
- ↑ 『日本紳士録 第43版』山口モ、ヤ、ユの部16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月13日閲覧。
- ↑ 16.0 16.1 2029円のために人生をドブに捨てた覚せい剤議員の末路、週刊女性PRIME公式サイト、2014年7月15日。
- ↑ “過去のMen of the Year受賞者たち【国内編】”. GQ JAPAN. . 2014閲覧.
- ↑ “米タイム誌世界で最も影響力のある100人発表。ユニクロ・柳井正氏も”. マイナビウーマン. (2013年4月19日) . 2014閲覧.
- ↑ https://www.japantimes.co.jp/news/2017/08/09/business/uniqlo-chief-yanai-makes-2017-asia-game-changers-list-praised-making-philanthrophy-fashionable/#.WZ3B6BVxrIU
参考文献
外部リンク