南鳥島
南鳥島 | |
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座標 |
北緯24度17分12秒 東経153度58分50秒 |
面積 | 1.51[1] km² |
海岸線長 | 6 km |
最高標高 | 9 m |
所在海域 | 太平洋 |
所属国・地域 | 日本・東京都小笠原村 |
地図 |
南鳥島の位置 <div style="position: absolute; z-index: 2; top: 構文エラー: 予期しない演算子 * です。%; left: 構文エラー: 予期しない演算子 * です。%; height: 0; width: 0; margin: 0; padding: 0;"> |
南鳥島(みなみとりしま)は、小笠原諸島の島。本州から1,800 km離れた日本の最東端としても知られている[2]。行政上は東京都小笠原村に属する。
日本国の島では唯一、他の島と排他的経済水域を接していない島でもある。マーカス島、マルカス島(-とう、Marcus Island)[3]とも呼ばれる。本島と与那国島の間が、日本国の領土間で最長の大圏距離を取ることができる地点である(約3140km)。
Contents
地勢
地形
一辺が約2kmのほぼ正三角形の形をしている平坦な島であり、最高地点の標高は9 mしかない[2]。島の周囲はサンゴ礁で浅くなっているが、潮流が速いので泳ぐのは危険である。この海域は北西太平洋海盆に含まれ、島の周囲は深い海に囲まれている。サンゴ礁の外側はすぐに水深1,000 mの断崖となる。
日本の島としては唯一日本海溝の東側にあり、日本で唯一太平洋プレート上にある。日本最東端の電子基準点が存在し、この電子基準点は日本で唯一太平洋プレート上にあることからプレート運動の監視に重要な意義を持っている[4]。
南鳥島は、プレート運動による動きとして、西北西方向に移動しているが、2011年に発生した東日本大震災以降、移動速度が約1割(8cm/年→8.8cm/年)加速している(2014年の時点)との研究が2015年に発表された[5]。
気候
ケッペンの気候区分でいうサバナ気候 (Aw) に属する。月平均気温2月21.6°C - 7月28.4°C、年間平均25.6°Cと温暖。降水量は日本国内では少なめ。日本では南西諸島と南鳥島を含む小笠原諸島のそれぞれ一部が熱帯に属しているが、南西諸島はアジア大陸からの距離が近いため寒候期(10 - 3月)にはシベリア気団の大きな影響を受ける。同じ熱帯でも、南西諸島南部(石垣島、西表島、与那国島、宮古島など)は年中降水量が多いので熱帯雨林気候 (Af) に属する。これに対して、南鳥島は大陸からの距離が遠いため年間の気温差が小さいが、日平均気温年較差が約6.8°Cあり、寒候期には北極方面からの寒気の影響があることを示している。極値は、最低気温が1976年2月10日 13.8°C、最高気温が1951年7月17日 35.6°C、積雪記録はない。
テンプレート:Marcus Island weatherbox
歴史
- 約20万年前(第四紀更新世) - 隆起して島となる。
- 1864年(元治元年) - アメリカの船(ハワイ王国の宣教師船という説もある)モーニングスター号が来訪し、マーカス島と命名する[6]。
- 1879年(明治12年) - 静岡県の斉藤清左衛門が初めて南鳥島を訪れた日本人となる[6]。
- 1896年(明治29年)6月30日 - 水谷新六が到達し、母島から46人が移住し、集落に「水谷」と命名する。
- 1898年(明治31年)7月24日 - 「南鳥島」と命名され、東京府小笠原支庁に編入される[1]。
- 1902年(明治35年) - アメリカ人A・A・ローズヒルがアメリカによる領有権を主張して開拓を試みるが、それを察知した大日本帝国も軍艦笠置を派遣し、先に上陸して牽制した(南鳥島事件)。
- 1933年(昭和8年) - 全島民が撤収し、無人島になる。
- 1935年(昭和10年) - 日本海軍が気象観測所を開設する。
- 1942年(昭和17年)3月4日 - 太平洋戦争中、ウィリアム・ハルゼー中将麾下のアメリカ海軍第16任務部隊(空母エンタープライズ旗艦)により、南鳥島は東京府内で初めて空襲を受ける。その後も1943年(昭和18年)8月31日など何度も空襲を受けた。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行(東京府廃止)。
- 1945年(昭和20年) - 連合国軍の一国であるアメリカ軍によって占領される。
- 1946年(昭和21年)1月26日 - 連合軍総司令部がSCAPIN-677を指令し、日本の南鳥島への施政権が停止される。
- 1947年(昭和22年) - 台風発生に伴う高潮で被害を受けたため、アメリカ軍が撤退して無人島となる[6]。
- 1951年(昭和26年) - 日本の気象庁がアメリカ政府の委託を受け、南鳥島で気象観測業務を始める[6]。
- 1952年(昭和27年) - サンフランシスコ講和条約によって、正式にアメリカの施政権下に入る。
- 1963年(昭和38年) - 南鳥島ロランC局が完成する。これを受け、南鳥島にアメリカ沿岸警備隊が駐留し、日本の気象庁職員は撤収する[6]。
- 1968年(昭和43年)6月26日 - アメリカより返還され、東京都小笠原村に属する。海上自衛隊南鳥島航空派遣隊が編成される。
- 1993年(平成5年) - 南鳥島ロランC局を管理していたアメリカ沿岸警備隊が撤収し、海上保安庁が管理を引き継ぐ。
- 2006年(平成18年)9月1日 - 台風12号接近により、気象観測所職員全員が一時島外避難。
- 2009年(平成21年)11月1日 - 環境省が鳥獣保護区に指定。
- 2009年(平成21年)12月1日 - ロランC局(南鳥島ロランC局)廃止に伴い海上保安庁職員が撤収。
- 2010年(平成22年)5月18日 - 南鳥島などの離島の保全を目的とした低潮線保全・拠点施設整備法案が衆議院を全会一致で通過。5月26日、参議院で全会一致で可決・成立し、一部規定を除き6月24日施行。
- 2011年(平成23年)3月31日 - 南鳥島港湾保全管理所の仮庁舎完成。
- 2012年(平成24年)6月28日 - 東京大学研究チームにより南鳥島付近でレアアースが発見される[7] 。
- 2013年(平成25年)3月21日 - 発見された希土の鉱床の一部が高濃度であることが発見される[8]。
生物
ヤモリ科の一種ミナミトリシマヤモリが生息している。日本国内ではここと南硫黄島にのみ生息が認められ、ミクロネシア方面から流木などに乗って分布を広げたものと考えられている。
島内の施設と交通
施設
一般市民の定住者はなく、飛行場施設を管理する海上自衛隊硫黄島航空基地隊の南鳥島航空派遣隊や気象庁(南鳥島気象観測所)、関東地方整備局(南鳥島港湾保全管理所)の職員が交代で常駐する[1][2]。
- 設置されている飛行場については南鳥島航空基地を参照。
- 気象通報の観測地としても知られる。
- アマチュア局は気象庁の社団局JD1YAAがあり[9]、来島者の個人局が運用することもある。かつては海上保安庁の社団局JD1YBJもあった。
往来・補給のために1,370 mの滑走路があり、島の一辺の方向に平行である[1]。島の南側に船の波止場があるが、浅いサンゴ礁に阻まれて大型船は接岸できないため、大型船は沖合いに停泊し、そこから船積みの小型ボートで島に荷揚げを行っている[10]。このため、平成22年度より泊地及び岸壁工事が行われており、平成34年度に完成予定である[11]。
なお、太平洋戦争の際に戦闘を想定して島を要塞化していたため、今もなおその時代の戦車や大砲の残骸などが残っている(アメリカ軍による空襲はあったものの上陸・戦闘は起きなかった。)。
かつては、アメリカ沿岸警備隊が電波航法施設ロランC局を運用していた。1993年に海上保安庁千葉ロランセンターが業務を引き継ぎ、213mのアンテナから1.8MWの送信出力でロランパルスを発射していたが、ロランパルスを使用する船舶が減少したため2009年5月に廃止が決定。同年12月1日午前をもって廃止された[12]。
交通
島に駐在する職員の交代などのため航空自衛隊のC-130Hが月に一度、海上自衛隊のC-130Rが週に一度、硫黄島を経由して食料の補給や荷物の逓送のために飛来する。また、不定期で海上自衛隊のUS-2や航空自衛隊のC-1が利用されることもある。物資等の輸送だけではなく、交代の職員もこれらの飛行機を利用する。硫黄島と共に日本郵便株式会社より「交通困難地」[13]の指定を受けており、南鳥島の住所を記載しても郵便物は届かない。これは各社宅配便も同様である。
所要時間はC-130が厚木基地からの直行で約3時間半である[14]。
海上自衛隊が2014年まで運用していたYS-11Mでは、厚木基地から硫黄島を経由して約7時間かかり、絶海の孤島で周囲に緊急着陸が可能な飛行場が存在しないため、何らかの理由で着陸ができないと帰路に燃料不足の懸念があることから、確実に着陸可能である状況でのみ運航を行っていた[15]。
作家の池澤夏樹が南鳥島に行きたいと要望し、補給船に乗って 1日だけ上陸したことがある。この時の状況は彼の著作「南鳥島特別航路」に書かれている。
希土類
2012年6月28日、東京大学の加藤泰浩ら研究チームは当地付近の海底5600mにおいて、日本で消費する約230年分に相当する希土類(レア・アース)を発見したと発表。日本の排他的経済水域である南鳥島沖の海底の泥に、希土類の中でも特に希少でハイブリッド車 (HV) の電動機などに使われるジスプロシウムが、国内消費量の約230年分あるという推定がなされた。これにより、掘削技術を提供している三井海洋開発と共同で深海底からの泥の回収技術の開発を目指す[16]。
2013年3月21日、海洋研究開発機構と東京大学の研究チームは、深海底黒泥中には最高で中国鉱山の30倍超の高濃度希土類があることが判ったと発表。今回の調査で、同大学の加藤泰浩は「230年分以上、数百年分埋蔵している可能性がある」と話している。なお、陸上の希土類鉱山で問題になる放射性トリウムは深海底黒泥中には含まれていなかった。
経済産業省は2013年度から3年間、南鳥島周辺の排他的経済水域内において、希土類を含む海底堆積物の分布状況を調査し、評価を行っている。あわせて商用化に向けた技術開発も急ぐ。[17]
海外の反応
世界の希土類の主な輸出国である中国は、日本の希土類の報道について、「我が国を煽り立て、牽制(けんせい)することが目的だった可能性がある」として、否定的な反応を示している[18]。また、日本国内からも、南鳥島の希土類採掘は経済合理性に欠けており、一連の報道は単なる牽制目的なのではないかという指摘もある[19]。以上のことから、国際関係上、資源外交についての今後が注目される。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 国土交通省 南鳥島の概要
- ↑ 2.0 2.1 2.2 気象庁 > 南鳥島気象観測所
- ↑ アジア歴史資料センター 収蔵資料一覧 (日本語)
- ↑ “国土地理院広報第568号(2015年10月発行)”. 国土地理院. . 2015閲覧.
- ↑ “南鳥島、西への移動加速 震災後年8.8センチに”. 日経新聞 (2015年1月15日). . 2015閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 歴史:南鳥島 « 小笠原村公式サイト
- ↑ 南鳥島でレアアース発見 日本は資源大国になれるのか
- ↑ 南鳥島のレアアース、一部で中国の約20倍
- ↑ “世界のハム仲間から殺到するラブコール 南鳥島気象庁HAMクラブ”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 34. (2000年9月30日)
- ↑ 南鳥島における活動拠点整備事業 平成27年1月16日 国土交通省 関東地方整備局
- ↑ 南鳥島における活動拠点整備事業 平成28年12月6日 国土交通省 関東地方整備局
- ↑ 北西太平洋ロランCチェーンの縮小(南鳥島局の廃止)について 平成21年6月1日 海上保安庁 (PDF)
- ↑ 交通困難地・速達取扱地域外一覧 (PDF) (日本語) 郵便事業株式会社
- ↑ 日本の最東端「南鳥島」~絶海の孤島を訪ねて,時事ドットコムニュース,2012年
- ↑ 【宙にあこがれて】第50回 海上自衛隊クルーが語るYS-11 - おたくま経済新聞
- ↑ “南鳥島近海にレアアース-東大・三井海洋開発、国産化にらみ技術開発”. 日刊工業新聞. (2012年7月2日) . 2012-10-9閲覧.
- ↑ 資源エネルギー庁 エネルギー白書2016 第4節 石油・天然ガス等国産資源の開発の促進
- ↑ 南鳥島のレアアース発見報道は「わが国を煽り、牽制のため」=中国
- ↑ 中村繁夫「 南鳥島レアアース開発は30年かけても難しい」
参考文献
- 池澤夏樹 『南鳥島特別航路』 新潮文庫、1994年。ISBN 4101318123、「南鳥島―」は内 1章。
- 米内金治 『鳥を釣った話―父島・南鳥島気象観測所長の思い出』 翰林書房、1996年3月。ISBN 4906424880
- 山本皓一 『日本人が行けない「日本領土」―北方領土・竹島・尖閣諸島・南鳥島・沖ノ鳥島上陸記』 小学館、2007年6月。ISBN 9784093897068
関連項目
- 中ノ鳥島 - 存在が確認できなかったにもかかわらず、日本国の領土として海図などにも記載されていた架空の島。仮に存在していたならば、南鳥島よりも東にある日本最東端の島だった。
- 海上自衛隊厚木基地マーカス - 施設を管理する厚木基地のサッカーチーム。チーム名は島の英語名が由来。