岐阜新聞
岐阜新聞(ぎふしんぶん)は株式会社岐阜新聞社が発行する岐阜県の地方新聞。岐阜放送(GBS・ぎふチャン、1962年創立の子会社[1])とのメディアミックスで郷土・岐阜県に根ざした地域情報の発信を目指している。朝刊のみを発行しており(過去には夕刊も発行)、発行部数(日本ABC協会調査)は17万2896部(朝刊、2017年9月現在)[2]。
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概要
岐阜県でのシェアは30%未満にとどまっているが、これは地域エリアで重なる中日新聞(中日新聞社発行・本社愛知県名古屋市)が50%超と強いためである。 静岡新聞社が発行をする静岡新聞と同じく中日vs地元紙との競合地域である。岐阜県で発行される新聞では中日や他の大手新聞よりも低価格である。
主なキャッチコピーは「郷土の新聞 岐阜新聞」。これは兄弟会社のぎふチャン(ラジオ事業である岐阜放送ラジオ局)でスポンサーになった場合、しばしば使われる。
2017年9月30日付を以て夕刊の発行を休止し、同年10月2日付から朝刊単独紙に移行する。同9月時点の発行部数は朝刊17万2896部、夕刊約1万7487部[2]。夕刊の休止について、岐阜新聞社は「メディアの多様化など時代の変化とともに夕刊の読者数が減少しており、一定の役割を終えたと判断し、朝刊に統合することを決めた」と8月9日付朝刊の社告で説明しており[3]、雇用情勢の変化で配達員確保が難しくなっている事も理由として挙げている[4]。
歴史
- 1881年 - 「岐阜日日新聞」(ぎふにちにちしんぶん)として創刊。
- 1942年 - 戦時下の報道統制により、岐阜日日新聞、飛騨毎日新聞、岐阜新聞、美濃大正新聞などが合併して「岐阜合同新聞」となる。
- 1946年 - 「岐阜タイムス」(ぎふタイムス)と改題。
- 1955年 - 岐阜放送(GHK)を開局。(のちのラジオ東海。現在のSF東海ラジオ放送)
- 1960年1月 - 「岐阜日日新聞」に復元改題。
- 1962年 - ラジオ岐阜を開局(現在の岐阜放送)
- 1988年 - 現在の題号に改める。岐阜新聞社は「創刊時の社名に戻した」としているが、旧岐阜日日新聞が創刊する前に存在した岐阜新聞との関係は不明である。
- 1989年1月8日 - 昭和天皇崩御の情報を伝えるため、朝刊配達時、前日(1月7日)夕刊を同時に配達した。
- 1997年 - 現在の本社社屋が完成。
- 2004年12月13日 - 杉山幹夫に代わって松岡幸秋が社長に就任。
- 2009年 - 碓井洋が社長に就任。
- 2013年
- 2017年10月2日 - 朝刊と夕刊を統合し、夕刊を休刊[5]。
社長人事を巡る混乱
2013年12月9日 、前十六銀行頭取で、岐阜商工会議所会頭である堀江博海が同社と岐阜放送社長に就任するも[6]、同月12日に「一身上の都合」から就任わずか4日で辞任するという椿事が出来した[7]。両社とも詳しい理由は明らかにしてはいないが、金融機関のトップ歴任者がマスメディアの社長に就任することについて、県経済界や、読者から疑念の声が多数寄せられていたことや、社内からの反発も強かったと報じられている[8]。また、堀江が在任する会頭職の進退問題への波及も必至の情勢と報じられている[7]。
なお、社長には12月13日付で碓井洋が復帰し、一連の混乱の責任を取り杉山幹夫代表取締役会長は、代表取締役を退任。取締役に退いた[9]。
その後、堀江は各方面からの批判を浴びて会頭職を辞任した。杉山会長も2014年5月19日付で取締役のまま名誉会長に就任。同日付で杉山の長女である杉山涼子取締役社主が取締役社主兼会長に就任した。さらに同年12月、杉山名誉会長は取締役も退任したが、兄弟会社である岐阜放送(愛称・ぎふチャン)は代表取締役会長のままとなっている。
本社
支社
総局
東濃(多治見市)、中濃(関市)、ひだ高山(飛騨地域版の題名は「飛騨國新聞」)、美濃加茂
支局
各務原、羽島、本巣(北方町)、揖斐(揖斐川町)、郡上、飛騨、下呂、恵那、中津川、可児、海津
全国紙との関係
- 1990年から日刊スポーツ名古屋版の発行・印刷を委託されている。(岐阜県内では朝日新聞に加え、岐阜新聞の販売店で宅配も受け付ける。以前GBS岐阜放送の番組欄に「ご購読お申し込みは岐阜新聞販売店にお問い合わせ下さい」と掲載されたことがあった。更に、岐阜新聞の折り込み広告と一緒に日刊スポーツの購読促進用簡易版が入っていたことがあった。)現在の日刊スポーツ名古屋版は、朝日新聞系の朝日プリンテック名古屋工場(愛知県北名古屋市)で印刷されている。
- 読売新聞とは、同新聞主催でほぼ毎年長良川球場で行われる巨人のオープン戦を後援しているほか、文化事業で協力することもある。なお岐阜新聞系の岐阜放送は読売と親しいRFラジオ日本と親しい。
- 2000年に朝日新聞社と包括的友好協力協定を結んだ。(主に災害時や文化事業での協力)
- 社説は共同通信が配信する物を題名だけ変えてそのまま使用。日本の県域新聞の多くはこの形をとっている。
岐阜放送(ぎふチャン)
株式会社岐阜放送は岐阜新聞社と同一敷地内にあったが、2007年11月11日に岐阜駅前の高層ビル「岐阜シティ・タワー43」の4階に移転した。岐阜新聞と岐阜放送の取材拠点などは同一。最終面のテレビ番組表では、岐阜県で読める新聞では唯一、フルサイズで掲載されている。1992年4月以降、テレビが「岐阜テレビ」、ラジオが「岐阜ラジオ」(エフエム岐阜(FM GIFU)具体化に伴い後にAM岐阜ラジオに改称)の愛称であったが、2007年10月1日、本社社屋移転と2008年にラジオ開局45周年とテレビ開局40周年を迎えるのに伴いテレビ・ラジオとも「ぎふチャン」に統一した。
中日新聞とは犬猿の仲で知られ、中日新聞の岐阜版ではテレビの扱いは地元の県域局ながらハーフサイズ、ラジオの番組でも岐阜版はハーフ、愛知版に至っては2010年9月30日までは極小サイズに追いやられていた。対して岐阜放送は、愛知県方面へのスピルオーバーを電波が名古屋市内の大半で受信困難なほどに制限したり、AM岐阜ラジオでは、中日ドラゴンズの試合結果を放送するときに、通常使われる「中日対巨人」等という言い方ではなく、「ドラゴンズ対巨人」等と言い換えるなどしている。ただし、Web上での文章では通常通り「中日」を使用している。
中日成立前の名古屋新聞(小山家)・新愛知(大島家)と、岐阜新聞の前身である岐阜日日新聞との関係は、名古屋を中心に岐阜と近接した地域を主な地盤とした前者とは犬猿の仲だった一方、岐阜から離れた三河地域を主な地盤とした後者とは競合が薄かったためか比較的良好だったとされる。
また、過去には東京新聞(中日新聞東京本社)との関係が深いTOKYO MXからはヤクルト対中日戦をネット受けしていた。
なお、「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」は、中日新聞の主催ながら、2012年の第2回目より岐阜新聞と岐阜放送も後援している(尚、テレビは第1回と第2回は中部日本放送が後援、第3回目以降はテレビ愛知の後援となっている)。
2010年代に入り、岐阜新聞・岐阜放送で発生した経営上の混乱を収束する過程で岐阜放送に中日新聞が資本参加し、2015年現在第5位の株主となっている。
- このため、東海3県のラジオ放送局(コミュニティFM局を除く)で、中日新聞との資本関係が直接・間接ともに一切ないのは、Radio NEO(木下グループホールディングス傘下)のみとなった。
岐阜放送が岐阜シティ・タワー43に移転した後、岐阜放送の旧社屋跡地には岐阜新聞の新印刷工場が新たに建設された。
また人的交流として、岐阜放送の記者・アナウンサーが出向などで移籍することもある。その例として伊藤伸久(ひだ・高山総局長→東京支社長)、神保絵利子(記者)などである
番組表
- 最終面に掲載されているテレビ番組面は、NHK岐阜放送局総合、NHK名古屋放送局Eテレ、名古屋テレビ放送(メ〜テレ NBN)、CBCテレビ(CBC)、東海テレビ放送(THK)、岐阜放送(ぎふチャン GBS)、中京テレビ放送(CTV)をフルサイズで掲載。テレビ愛知をハーフサイズで掲載している。
- ラジオとBS各局、三重テレビ放送と北日本放送は中面に掲載。
- 三重テレビ放送については、岐阜日日新聞時代には休刊日に県内版に載せられるだけであったが、その後最終面に小サイズで紹介されるようになり、さらにラジオ・デジタル衛星放送面(中面)を経て、一時期岐阜地域版、西濃地域版へと移動した(デジタル7chの表記は2006年になってから表記される)。
- 北日本放送はかつて年末年始にのみ、飛騨地域の地方版に番組表を掲載したことがある。(富山テレビ、チューリップテレビの番組表は掲載せず)。
- この2局は夕刊廃刊=朝刊専売移行後の2017年10月から連日クォーターサイズで掲載されている。
- 衛星放送については以前は最終面にNHK BS1、NHK BSプレミアム、WOWOWプライムを載せていたが、現在は在京キー局系のBS放送を含めた主要なBSチャンネルはすべて中頁のラジオ面と一緒に掲載している。(夕刊は地上波・BSのテレビ、およびラジオとも最終頁だった)。
- コミュニティーFMのFMわっちは、岐阜地域版、西濃地域版に掲載している。なお月曜日の地方版は県域版以外は休載となっているため、月曜の番組表は日曜付けに一緒に収録されている(夕刊廃刊前は三重テレビ放送も)。
- テレビ朝日系(ANN)のメ〜テレが一番左端に掲載されているのは、当初当社(当時は岐阜日日新聞)完全子会社のラジオ岐阜(岐阜放送の前身)のテレビ放送がテレビ朝日の前身・日本教育テレビ(NET)の系列局として開局する予定だったからという説を唱える者もいる(現在朝日系のメ〜テレは当時、日本テレビ系メインのNET系とのクロスネットだった)。また、名古屋放送が日本テレビ系メインだったことから、関東のチャンネル順に合わせたという説を唱える者もいる。いずれも根拠はない。
テレビCM
- ぎふチャンテレビで30秒スポットが随時放送されており、県内各地の名所、歴史、イベントといった環境映像を流し、最後に白バック・青文字(時期により社旗をバックにしたものや、青緑色バックに黄文字)で「岐阜新聞」の題字を表示するというものである。中には堀江美都子が歌ったバージョンもあった。
事業
8月の第1土曜日に行われる長良川全国花火大会を含め岐阜県内17会場の花火大会を主催している(一連の大会を「岐阜新聞花火シリーズ」と称している)。そのほか、3月初めに梅まつりモデル撮影会、3月下旬にぎふ長良川マラソン、4月初めにゴルフ岐阜オープンクラシック、10月下旬に水都おおがきハーフマラソンなど、数多くの催しに力を入れている。(地元のぎふチャンや隣の愛知県のNHK名古屋放送局などのニュースで流していることもある)
中学3年学力テスト
いわゆる「岐阜新聞テスト」。子会社の岐阜新聞情報センターが、関連業務を含め実施している。中学3年を対象としたテストを年に4回実施する。入試レベル、またはそれ以上というハイレベルな内容で、入試にあたっての自分の実力を計る最大の選考基準となる。全国の中にある実力・学力テストの中でも屈指の難しさを誇ることでも有名である。
平成19年度第1回よりネット会員限定閲覧システム「志望校 ナビゲーション システム」を開始。すべての高校、学科・コースの志望者数や平均点がわかり、志望校を判断することができる。
その他
- コラムは「分水嶺」。以前は「編集余記」であった。
- 2011年1月1日より五木寛之小説親鸞激動篇が連載を開始されている。ライバルの中日新聞でも同日より連載をされている。
- 1960年代初めに岐阜出身の大物政治家・大野伴睦が自分の息のかかった県会議長が県知事選に出るのを批判されたことを怒り、対立する新聞「岐阜民友新聞」を創刊している。この時、社員の引き抜きもあったが、「岐阜民友新聞」は一年ほどで岐阜日日新聞に吸収されている。
- 県営名古屋空港発着のフジドリームエアラインズでは機内紙として読むことができる。
- 朝刊の連載4コマ漫画は、かまちよしろうの『ゴンちゃん』(静岡新聞、京都新聞ほかの地方紙にも掲載)。
脚注
- ↑ 2010年以後、中日新聞社も資本参加
- ↑ 岐阜新聞社広告局ホームページ
- ↑ 10月から夕刊を朝刊に統合します 岐阜新聞 2017年8月9日
- ↑ [1]
- ↑ 2017年8月9日、岐阜新聞朝刊1面による。
- ↑ “岐阜新聞社長に十六銀前頭取・堀江氏”. 朝日新聞デジタル. (2013年12月9日) . 2013閲覧.
- ↑ 7.0 7.1 “岐阜新聞社長、就任4日で辞任 銀行から転身に批判”. 日本経済新聞. (2013年12月13日) . 2013閲覧.
- ↑ “岐阜新聞社長、就任4日で突然辞任 地元銀行の前頭取”. 朝日新聞デジタル. (2013年12月12日) . 2013閲覧.
- ↑ “岐阜新聞社長が就任4日で辞任 会長も引責辞任という異例事態”. J-castニュース. (2013年12月13日) . 2013閲覧.