2001年の野球
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Contents
競技結果
プロ野球
この年度から年140試合(28回総当たり)に変更。セ・リーグは引き分け再試合廃止に伴う代替処置として、順位決定を勝ち星の多い順番とし、それで同じ場合は勝率によって決定する方式(勝率・勝ち星が異なる場合に限り3戦2勝制のプレーオフ)とした。
日本シリーズ
"「2001年の日本シリーズ」"
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | R.ペタジーニ | ヤクルト | T.ローズ | 近鉄 | ||
最優秀新人 | 赤星憲広 | 阪神 | 大久保勝信 | オリックス | ||
首位打者 | 松井秀喜 | 巨人 | .333 | 福浦和也 | ロッテ | .346 |
本塁打王 | R.ペタジーニ | ヤクルト | 39本 | T.ローズ | 近鉄 | 55本 |
打点王 | R.ペタジーニ | ヤクルト | 127点 | 中村紀洋 | 近鉄 | 132点 |
最多安打 | 石井琢朗 | 横浜 | 171本 | 小笠原道大 | 日本ハム | 195本 |
盗塁王 | 赤星憲広 | 阪神 | 39個 | 井口資仁 | ダイエー | 44個 |
最高出塁率 | R.ペタジーニ | ヤクルト | .466 | 中村紀洋 | 近鉄 | .434 |
最優秀防御率 | 野口茂樹 | 中日 | 2.46 | N.ミンチー | ロッテ | 3.26 |
最多勝利 | 藤井秀悟 | ヤクルト | 14勝 | 松坂大輔 | 西武 | 15勝 |
最多奪三振 | 野口茂樹 | 中日 | 187個 | 松坂大輔 | 西武 | 214個 |
最高勝率 | 入来祐作 | 巨人 | .765 | 田之上慶三郎 | ダイエー | .650 |
最優秀救援投手 | 高津臣吾 | ヤクルト | 37SP | R.ペドラザ | ダイエー | 38SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 藤井秀悟 | ヤクルト | 松坂大輔 | 西武 |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 城島健司 | ダイエー |
一塁手 | R.ペタジーニ | ヤクルト | 小笠原道大 | 日本ハム |
二塁手 | E.ディアス | 広島 | 井口資仁 | ダイエー |
三塁手 | 江藤智 | 巨人 | 中村紀洋 | 近鉄 |
遊撃手 | 石井琢朗 | 横浜 | 松井稼頭央 | 西武 |
外野手 | 稲葉篤紀 | ヤクルト | 礒部公一 | 近鉄 |
金本知憲 | 広島 | 谷佳知 | オリックス | |
松井秀喜 | 巨人 | T.ローズ | 近鉄 | |
指名打者 | F.ボーリック | ロッテ |
アマチュア野球
- 第71回都市対抗野球大会優勝 : 河合楽器
- 第28回社会人野球日本選手権大会優勝 : 三菱重工長崎
- 第50回全日本大学野球選手権大会優勝 : 東海大学
- 第32回明治神宮野球大会
- 第73回選抜高等学校野球大会優勝 : 常総学院(茨城県)
- 第83回全国高等学校野球選手権大会優勝 : 日大三(東京都)
メジャーリーグ
"「2001年のメジャーリーグベースボール」"
- ワールドシリーズ優勝:アリゾナ・ダイヤモンドバックス
- アメリカンリーグ優勝:ニューヨーク・ヤンキース
- ナショナルリーグ優勝:アリゾナ・ダイヤモンドバックス
国際大会
- 第34回IBAFワールドカップ優勝:キューバ
できごと
1月
2月
3月
- 3月13日 - NPB大阪近鉄バファローズとMLBロサンゼルス・ドジャースと業務提携を締結[2]。
- 3月21日 - ヤクルトの球団社長に多菊善和が就任[3]。
- 3月30日 - セ・リーグ公式戦開幕[1]。
- 3月31日 - 巨人はホーム主催試合(東京ドームのみ)の2戦目で背ネームを外し背番号だけのユニフォームをこの日から着用してプレーした。巨人のユニフォームから背ネームが外れるのは1975年以来26年ぶり。このユニフォームは、監督の長嶋茂雄の発案によるもの。
4月
- 4月1日 - フジテレビ系のスポーツニュース番組『プロ野球ニュース』がこの日(未明、3月31日深夜)の放送を以て終了、1976年から25年間続いた地上波での放送から撤退[4]。同月より放送波を同局運営の有料CS放送・フジテレビ739(当時)に移し、新たに野球専門番組として放送開始(現在はフジテレビONEにて放送中)。
- 4月4日
- 4月10日 - 福岡ダイエーホークスにクリス・ヘイニーが入団[5]。
- 4月20日 - 横浜の波留敏夫と中日ドラゴンズの種田仁と山田博士の1対2での交換トレードが成立[6]。
- 4月21日 - 中日は前年まで同球団に在籍のレオ・ゴメスの復帰を発表[6]。
- 4月30日 - 千葉ロッテマリーンズのフランク・ボーリックが対近鉄戦(千葉マリンスタジアム)で日本プロ野球通算75000号本塁打[7]。
- 4月30日 - 巨人の岡島秀樹が対広島東洋カープ戦(東京ドーム)で日本プロ野球史上4度目の月間10セーブ、4月で10セーブ以上は史上初[8]。
5月
- 5月1日
- 5月6日 - ヤクルトの池山隆寛が対広島戦(広島市民球場)で山崎健から日本プロ野球通算300本塁打、史上24人目[3]。
- 5月8日 - 中日の益田大介が金銭トレードで近鉄に移籍[6]
- 5月11日 - ロッテは対近鉄戦(大阪ドーム)で日本プロ野球タイ記録の1試合4犠飛[7]。
- 5月24日 - 中日の野口茂樹は対阪神戦(石川県立野球場)でセ・リーグタイ記録の16奪三振[6]。
- 5月30日 - ロッテの小林雅英が5月25日の対日本ハム戦(東京ドーム)からこの日の対ダイエー戦(千葉マリン)まで、パ・リーグ史上初のチーム6試合連続セーブ[10]。
- 5月31日
6月
- 6月2日 - 日本ハムが対オリックス戦(グリーンスタジアム神戸)に8-0で勝利し、先発の中村隼人がパ・リーグ史上9人目のプロ入り初登板完封勝利[10]。
- 6月20日 - ロッテの小林雅英が対オリックス戦(神戸)でパ・リーグ新記録の11試合連続セーブ[7]。
- 6月26日 - 札幌ドームでの初のプロ野球公式戦、巨人対中日戦が行われ、初回先頭打者の中日の福留孝介がダレル・メイの初球を同球場第1号となる本塁打。試合は6対5で巨人が勝利[11]。
- 6月27日 - ヤクルトが対横浜戦(神宮)に3-1で勝利し球団通算3000勝。高津臣吾が通算200セーブポイント[3]。
- 6月28日 - ヤクルトのロベルト・ペタジーニが対横浜戦(神宮)で日本プロ野球通算100本塁打、史上213人目[3]。
- 6月29日 - 中日の関川浩一が対横浜戦(横浜)で日本プロ野球通算1000試合出場[12]。
7月
- 7月7日 - 広島の金本知憲が通算200号本塁打[13]。
- 7月8日
- 7月9日 - ロッテ対ダイエー戦でフランク・ボーリックの日本プロ野球史上9人目の、おつり無しサヨナラ満塁本塁打で10-9で勝利[16]。
- 7月10日 - 巨人対ヤクルト戦(東京ドーム)でヤクルトの古田敦也が日本プロ野球通算150本塁打、史上118人目[3]。巨人の松井秀喜がセ・リーグ新記録の51試合連続出塁[17](その後8月3日まで記録を65試合まで伸ばす)[18]。
- 7月11日 - ヤクルトの古田敦也が対巨人戦(東京ドーム)で日本プロ野球通算1500安打、史上82人目[3]。
- 7月20日 - フレッシュオールスターゲームはイースタン・リーグが10-4でウエスタン・リーグに勝利、MVPはロッテの里崎智也[19]。
- 7月28日 - オリックスの谷佳知が7月7日からの連続四球試合を11として球団記録を更新[20]。
8月
- 8月4日 - 中日は対ヤクルト戦(神宮)で球団通算8000試合(3974勝3753敗273分)[6]。
- 8月5日 - 横浜の野村弘樹が対巨人戦で日本プロ野球通算100勝[21]。
- 8月8日 - 中日の前田幸長が対横浜戦(札幌ドーム)でジョン・ズーバーから日本プロ野球通算1000奪三振[22]。
- 8月12日 - 中日対阪神戦(ナゴヤドーム)で中日の野口茂樹が日本プロ野球通算1000投球回[12]。試合は阪神が1対0で勝利し、球団通算4000勝[15]。
- 8月13日 - 西武のアレックス・カブレラが8月11日からこの日まで球団記録の11打席連続出塁(7安打、4四球)[23]。
- 8月17日 - 中日の山本昌が対ヤクルト戦で宮本慎也から日本プロ野球通算1500奪三振[12]。
- 8月22日 - 第83回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、西東京代表の日大三が滋賀代表の近江を5-2で破り初優勝。
- 8月26日 - 中日の野口茂樹が対巨人戦(東京ドーム)で日本プロ野球タイ記録の4試合連続無四球完投勝利、史上6人目[24]。
- 8月27日
- 日本ハムの小笠原道大が8月5日からの連続試合得点を17とし、日本プロ野球記録を更新[25]。
- 宇和島東の監督・上甲正典が辞任。
- 8月28日 - 西武は対オリックス戦に9回裏2死一・二塁から豊田清がジョージ・アリアスにサヨナラ本塁打を打たれて4-3で敗戦。豊田は日本プロ野球史上初の月間3本のサヨナラ被本塁打[26]。
- 8月31日 - NPB福岡ダイエーホークスとMLBボストン・アスレチックスが業務提携を締結[2]。
9月
- 9月4日 - ロッテの小林雅英が対ダイエー戦(福岡ドーム)で球団新記録のシーズン31セーブ[7]。
- 9月9日 - 日本ハムの小笠原道大が6月13日からこの日の試合まで、球団記録の60試合連続出塁[25]。
- 9月10日 - 前宇和島東監督の上甲正典が男女共学に伴い野球部が創部される済美高の初代監督に就任することが発表される。
- 9月11日 - 阪神が対ヤクルト戦(甲子園)に勝利し、野村克也が監督として日本プロ野球通算1300勝、史上7人目[15]。
- 9月16日 - 中日の紀藤真琴が対巨人戦(ナゴヤドーム)で清原和博から日本プロ野球通算1000奪三振[12]。
- 9月19日 - ダイエーの松中信彦が9月17日からこの日の試合まで球団記録の11打席連続出塁(6安打5四球)[23]。
- 9月24日 - 近鉄のタフィ・ローズが対西武戦(大阪ドーム) で松坂大輔から日本プロ野球タイ記録のシーズン55本塁打[27]。
- 9月25日 - 中日は監督の星野仙一の退任を発表[24]。
- 9月26日
- 9月28日
- 9月30日 - ダイエーは対近鉄戦でタフィ・ローズに対し敬遠策を取る。試合後ダイエーのバッテリーコーチの若菜嘉晴が監督の王貞治のシーズン本塁打記録を守るために敬遠を指示したとコメント。翌10月1日にコミッショナーからフェアプレーを求める異例の声明が出され、翌10月2日にはダイエーに対し、パ・リーグ会長が厳重注意[30]。
10月
- 10月1日
- 10月3日
- 10月4日 - 日本ハムの一軍投手コーチの森繁和が退団[34]。
- 10月6日
- 10月7日 - 西武のミゲール・デルトロが交通事故のため死去[2]。
- 10月8日 - 阪神の一軍ヘッドコーチの松井優典、一軍投手コーチの八木沢荘六、一軍打撃コーチの柏原純一の3コーチが解任[35]。
- 10月9日 - オリックスの監督に石毛宏典が就任、契約は3年[36]。
- 10月10日 - 中日の球団社長の佐藤毅が退任、後任には中日新聞社常務の西川順之助が就任[24]。
- 10月12日 - ダイエーにカルロス・カスティーヨ、モーガン・バークハートが入団[5]。
- 10月23日 - 中日はオジー・ティモンズの退団を発表[24]。
- 10月25日 - 日本シリーズの第5戦(神宮)が行われ、ヤクルトが近鉄に4-2で勝利し、4勝1敗で4年ぶり5度目の日本シリーズ優勝[3]。
- 10月31日 - 初の12球団合同トライアウトがナゴヤ球場で行われる[1]。
11月
12月
- 12月1日 - 中日はスコット・ブレットの入団を発表[24]。
- 12月2日 - セ・リーグは2002年からリーグ優勝決定方式を勝数優先から勝率優先に戻すことを決定[24]。
- 12月3日 - 中日の鈴木平、横浜の杉山俊介がダイエーに入団[5]。
- 12月6日 - 阪神の監督の野村克也が、妻の野村沙知代の脱税容疑で逮捕された責任を取り辞任[38]。
- 12月18日 - 阪神の新監督に前中日監督の星野仙一が就任。就任会見が行われる[39]。
- 12月20日 - 日本ハムからFAの片岡篤史が阪神へ入団[15]。
- 12月24日 - 横浜の谷繁元信がFAで中日に移籍[21]。
- 12月28日 - 横浜が金銭トレードで中日の中村武志を獲得[24]。
誕生
死去
- 2月24日 - 田中久寿男(*1935年)
- 3月4日 - 大和田明(*1934年)
- 3月20日 - 小山田健一(*1950年)
- 4月9日 - ウィリー・スタージェル(*1940年)
- 4月28日 - 蔦文也(*1923年)
- 8月3日 - 苅田久徳(*1910年)
- 8月10日 - ルー・ブードロー(*1917年)
- 10月6日 - ミゲール・デルトロ(*1972年)
- 11月5日 - 溝渕峯男(*1913年)
- 11月11日 - 杉浦忠(*1935年)
- 11月17日 - 保井浩一(*1921年)
- 11月29日 - 水谷則博(*1950年)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 セリーグHistory セ・リーグ公式サイト
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 パシフィック・リーグ略史(2001年~) パ・リーグ公式サイト
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 3.9 “球団のあゆみ2000年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. . 2016閲覧.
- ↑ 翌4月2日より後継番組として『すぽると!』が放送開始( - 2016年3月)。その後『スポーツLIFE HERO'S』(週末、2016年4月 - 2018年3月)を経て現在『S-PARK』(週末)が放送中。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 『王貞治監督 ホークス14年の軌跡』 福岡ソフトバンクホークスマーケティング〈SOFTBANK MOOK〉、2008年。ISBN 9784797348309。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 『中日ドラゴンズ70年史』 中日ドラゴンズ 編、中日新聞社、2006年。ISBN 4806205141。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 “チームヒストリー 2001”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト. . 2016閲覧.
- ↑ “【4月30日】2001年(平13) 危なかったけど…史上初!岡島秀樹のセーブ記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年4月11日). . 2016閲覧.
- ↑ “【5月1日】2001年(平13) 井出竜也 初球先頭打者本塁打で史上初の“スミ1球”勝利”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2008年4月22日). . 2016閲覧.
- ↑ 10.0 10.1 記録メモ(個人投手編) パ・リーグ公式サイト
- ↑ “【6月26日】2001年(平13) “サッポロ1号”は福留孝介 なんとプレーボール本塁打”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2010年6月12日). . 2016閲覧.
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 ドラゴンズ70年史 2006, p. 284.
- ↑ “2001年7月7日、通算200号本塁打を放った広島時代の金本”. スポーツニッポン新聞社 (2012年9月12日). . 2016閲覧.
- ↑ 14.0 14.1 “【7月8日】2001年(平13) 後に大リーグへ 1000本安打の松井稼頭央と100勝小宮山悟”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2012年7月8日). . 2016閲覧.
- ↑ 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 “阪神タイガースヒストリー 2000-2004”. 阪神タイガース公式サイト. . 2016閲覧.
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2013年6月3日、 95頁。
- ↑ “巨人軍年表”. 読売巨人軍公式サイト. . 2016閲覧.
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2013年12月9日、 30頁。
- ↑ “【7月20日】2001年(平13) 目立つために 里崎智也[狙って」101万円ゲット”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社. . 2016閲覧.
- ↑ 個人打撃連続記録(2) パ・リーグ公式サイト
- ↑ 21.0 21.1 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、。ISBN 9784583616179。
- ↑ ドラゴンズ70年史 2006, p. 285.
- ↑ 23.0 23.1 23.2 個人打撃連続記録(3) パ・リーグ公式サイト
- ↑ 24.0 24.1 24.2 24.3 24.4 24.5 24.6 24.7 24.8 ドラゴンズ70年史 2006, p. 193.
- ↑ 25.0 25.1 個人打撃連続記録(1) パ・リーグ公式サイト
- ↑ “【8月28日】2001年(平13) 初のサヨナラ被弾月に3発!守護神・豊田、晩夏に号泣”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年8月24日). . 2016閲覧.
- ↑ 『さらば大阪近鉄バファローズ 熱い心の野球ありがとう』週刊ベースボール別冊冬季号、ベースボール・マガジン社、2004年、 35頁。
- ↑ 優勝決定とつかない場合でも46年ぶり2例目。
- ↑ “【9月26日】2001年(平13) 近鉄最後のV 決まり手は代打逆転サヨナラ満塁弾”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2007年8月28日). 2016年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016閲覧.
- ↑ 『日本プロ野球事件史 1934-2013 秘蔵写真で振り返る衝撃のプロ野球史』 ベースボール・マガジン社、2013年。ISBN 9784583619323。
- ↑ 村瀬秀信 『プロ野球最期の言葉』 イースト・プレス、2010年。ISBN 9784781604664。
- ↑ 村瀬秀信 2010, p. 263.
- ↑ 2軍監督に淡口氏=プロ野球・巨人、時事通信 2001年10月3日
- ↑ 森投手コーチの退団了承=プロ野球・日本ハム、時事通信 2001年10月4日
- ↑ 阪神、松井ヘッドら3コーチ解任へ、時事通信 2001年10月8日
- ↑ オリックス監督に石毛氏/1年目からV宣言、四国新聞社 2001年10月9日
- ↑ 村瀬秀信 2010, p. 190.
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月12日、 45頁。
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月26日、 45頁。