1990年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 野茂英雄 | 近鉄 | ||
最優秀新人 | 与田剛 | 中日 | 野茂英雄 | 近鉄 | ||
首位打者 | J.パチョレック | 大洋 | .326 | 西村徳文 | ロッテ | .338 |
本塁打王 | 落合博満 | 中日 | 34本 | O.デストラーデ | 西武 | 42本 |
打点王 | 落合博満 | 中日 | 102点 | O.デストラーデ | 西武 | 106点 |
石嶺和彦 | オリックス | |||||
最多安打 | J.パチョレック | 大洋 | 172本 | J.トレーバー | 近鉄 | 150本 |
盗塁王 | 緒方耕一 | 巨人 | 33個 | 秋山幸二 | 西武 | 51個 |
野村謙二郎 | 広島 | |||||
最高出塁率 | 落合博満 | 中日 | .416 | 清原和博 | 西武 | .454 |
最優秀防御率 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 2.17 | 野茂英雄 | 近鉄 | 2.91 |
最多勝利 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 20勝 | 渡辺久信 | 西武 | 18勝 |
野茂英雄 | 近鉄 | |||||
最多奪三振 | 木田優夫 | 巨人 | 182個 | 野茂英雄 | 近鉄 | 287個 |
最高勝率 | 斎藤雅樹 | 巨人 | .800 | 野茂英雄 | 近鉄 | .692 |
最優秀救援投手 | 与田剛 | 中日 | 35SP | 鹿取義隆 | 西武 | 27SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 野茂英雄 | 近鉄 |
捕手 | 村田真一 | 巨人 | 伊東勤 | 西武 |
一塁手 | 落合博満 | 中日 | 清原和博 | 西武 |
二塁手 | 高木豊 | 大洋 | 大石大二朗 | 近鉄 |
三塁手 | バンスロー | 中日 | 松永浩美 | オリックス |
遊撃手 | 池山隆寛 | ヤクルト | 田中幸雄 | 日本ハム |
外野手 | J.パチョレック | 大洋 | 西村徳文 | ロッテ |
広沢克己 | ヤクルト | 石嶺和彦 | オリックス | |
原辰徳 | 巨人 | 秋山幸二 | 西武 | |
指名打者 | O.デストラーデ | 西武 |
高校野球
- 第62回選抜高等学校野球大会決勝(阪神甲子園球場・4月4日)
- 第72回全国高等学校野球選手権大会決勝(阪神甲子園球場・8月21日)
大学野球
- 第39回全日本大学野球選手権大会優勝:亜細亜大
- 第21回明治神宮野球大会優勝:同志社大
社会人野球
メジャーリーグ
"「1990年のメジャーリーグベースボール」"
- ワールドシリーズ:シンシナティ・レッズ(ナショナルリーグ) (4勝0敗) オークランド・アスレチックス(アメリカンリーグ)
韓国プロ野球
できごと
1月
2月
3月
4月
- 4月4日 - 第62回選抜高等学校野球大会決勝が阪神甲子園球場で行われ近大附属が新田に5-2で勝ち初優勝。準優勝の新田は、初出場で決勝まで駒を進めた。
- 4月7日 - 読売ジャイアンツの篠塚利夫が東京ドームの開幕戦でヤクルトの内藤尚行から「疑惑の本塁打」を放つ。この年から導入された審判4人制の弊害と言われた[1]。
- 4月25日 - 日本ハムファイターズの柴田保光が対近鉄バファローズ戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成。
- 4月29日 - 近鉄の野茂英雄が対オリックス・ブレーブス戦(阪急西宮球場)で1試合17奪三振の日本プロ野球タイ記録(当時)を樹立し、プロ初勝利を挙げる。
5月
- 5月9日 - ダイエーの間柴茂有が対近鉄戦(北九州)に先発登板し、通算500試合登板を達成。間柴はこの試合を最後にシーズン途中で引退。
- 5月17日 - オリックス対ダイエー戦で、ダイエーがオリックスに対し日本プロ野球2度目となる毎回四球13を記録[2]。その他16安打で16-3で試合に勝利する[3]。
- 5月20日 - 1987年のパ・リーグ新人王を争った近鉄の阿波野秀幸と日本ハムの西崎幸広がそれぞれ対ロッテオリオンズ戦と対ダイエー戦に勝利し、共に通算50勝を達成する。
- 5月23日 - 巨人が対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤ球場)に勝利し、日本プロ野球史上初の球団3000勝を達成。
6月
- 6月2日 - 巨人対広島東洋カープ戦で巨人のウォーレン・クロマティが広島の金石昭人が投げた敬遠球を打ち返しサヨナラヒット。
- 6月6日 - 近鉄のラルフ・ブライアントが対日本ハム(東京ドーム)戦で角盈男から東京ドーム天井スピーカー直撃の認定ホームランを打つ。
- 6月11日 - 【MLB】ノーラン・ライアンが史上最多、最年長の通算6度目、43歳でのノーヒットノーラン達成。
- 6月17日 - 近鉄のラルフ・ブライアントが通算100号本塁打達成。246試合目での達成は当時の日本プロ野球最速記録[4]。
- 6月23日 - ロッテ監督の金田正一が対西武ライオンズ戦でボークの判定を巡り猛抗議を行う。退場処分を受け、30日間の出場停止処分を受ける。また金田から暴行を受けた球審の高木敏昭はシーズン途中で辞職。
7月
8月
- 8月4日 - 大洋の田代富雄が横浜スタジアムでの対中日17回戦の15回裏に代打として登場して安打を打ち、プロ通算1500試合出場を達成[5]。
- 8月5日
- 8月7日
- 8月10日 - この日試合予定の東京ドームでの巨人対中日16回戦が台風の影響で中止となる。台風11号の影響で中日ナインが東海道新幹線の名古屋駅から乗車予定だったひかり222号が運休し、この状況を中日側が巨人側に説明し、巨人は午後2時半に中止を決定[11]。
- 8月13日 - オリックスのオーナーの宮内義彦は、来季より本拠地を神戸(グリーンスタジアム神戸)への移転を発表。また愛称名を一般公募することも発表[12]。
- 8月15日 - パ・リーグは審判の高木敏昭が依願退職したと発表[13]。
- 8月21日 - 日本ハムの大島康徳西宮球場での対オリックス19回戦の六回表に中前安打を打ち、プロ通算2000本安打を達成[14]。
- 8月22日 - 中日の小松辰雄が神宮球場での対ヤクルト21回戦に先発して6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[15]。
- 8月23日 - ヤクルトの池山隆寛が神宮球場での対ヤクルト22回戦でサイクル安打を達成[16]。
- 8月24日
- 8月27日 - 阪神の監督の中村勝広は甲子園球場での対ヤクルト21回戦の試合後に、ラリー・パリッシュを翌28日の試合から起用せず「事実上の退団と考えてもらっていい」と語る[19]。
- 8月28日 - 阪神の球団代表の高田順弘は、ラリー・パリッシュが左膝の治療のためアメリカに帰国すると発表。今季限りで切れる契約について球団、パリッシュ双方とも再契約の意思がないことを明らかにし、退団も事実上決定[20]。
- 8月30日 - 広島の山崎隆三がナゴヤ球場での対中日24回戦の犠打を決め、プロ通算200犠打を達成[21]。
9月
- 9月1日 - 巨人の川相昌弘が横浜スタジアムでの対大洋17回戦一回表に無死一塁から犠打を決め、シーズン56犠打のプロ野球タイ記録[22]。
- 9月4日 - 巨人の川相昌弘が東京ドームでの対中日21回戦の一回裏に無死一塁から犠打を決め、1シーズン57犠打のプロ野球新記録[23]。
- 9月5日
- 9月7日 - プロ野球実行委員会が都内のホテルで開かれ、ドラフト対象選手の練習生、球団職員としての採用を原則として禁止することを申し合わせる[26]。
- 9月8日 - 広島市民球場での大洋対広島21回戦で広島が大洋に1-3で敗れ、巨人が東京ドームのヤクルト戦に延長10回裏吉村禎章の10号サヨナラ本塁打で勝ち、リーグ優勝達成[27]。
- 9月9日
- 9月11日
- 9月12日 - 西武の山根和夫が引退を表明[32]。
- 9月22日 - 日本ハムの島田誠が西武球場での対西武22回戦の二回表に適時打を打ち、プロ通算1500本安打を達成[33]。
- 9月23日 - 西武対日本ハムの23回戦が西武ライオンズ球場で行われ西武が日本ハムに9-3で勝利し、パ・リーグ優勝を決める[34]。
- 9月25日 - ロッテの村田兆治が東京都内の自宅で今シーズン限りでの現役引退を表明[35]。
- 9月26日 - オリックス対ダイエー24回戦(阪急西宮球場)でダイエーの広永益隆が六回裏に山沖之彦から6号本塁打を打ち、これが日本プロ野球通算6万号ホームランを記録[36]。
- 9月27日 - 近鉄の野茂英雄が西武球場での対西武24回戦に先発し12三振を奪い、1シーズン2桁奪三振20のプロ野球タイ記録[37]。
- 9月28日 - オリックスは神戸市内のホテルで野球評論家の土井正三の監督就任を発表[38]。
10月
- 10月5日 - オリックスが、翌年から球団名を「ブルーウェーブ」に変更し、上田利治監督の勇退と土井正三新監督の就任を発表。
- 10月13日 - ロッテの村田兆治投手が現役引退。同日の引退試合で若林忠志(1949年)以来2人目となる40歳代での2桁勝利を記録。
- 10月24日 - 日本シリーズは西武が4連勝のストレート勝ちで巨人に勝利し、2年ぶり日本一を達成。4連勝のストレート勝ちは西武としては前身、後の埼玉西武を通じて球団史上初で、シリーズとしては1960年の大洋以来、30年ぶり。
- この年はワールドシリーズがシンシナティ・レッズの4連勝のストレート勝ちで、韓国シリーズもLGツインズの4連勝のストレート勝ちで終わっており、日米韓全てのシリーズがチャンピオンチームの4連勝のストレート勝ちで終わっている。
- 10月28日 - ダイエーの監督田淵幸一がセレクション会議に提出する他球団リストを公表、球団は厳重注意、減俸10%の処分を科した[39]。
11月
- 11月1日 - 日米野球の最終戦(第8戦)において、MLBオールスターはチャック・フィンリーとランディ・ジョンソンによる継投でノーヒットノーランを達成。対戦成績は日本の4勝3敗1分と勝ち越している[40]。
12月
誕生
1月
- 1月3日 - ハンター・セルベンカ
- 1月4日 - ライセル・イグレシアス
- 1月5日 - C.J.クロン
- 1月5日 - ホセ・イグレシアス
- 1月11日 - ダニー・サラザー
- 1月16日 - 豊島明好
- 1月16日 - ワーウィック・サーポルト
- 1月18日 - ギフト・ンゴエペ
- 1月21日 - ホセ・ラミレス
- 1月21日 - ジョー・ウィーランド
- 1月27日 - ティム・ベッカム
- 1月28日 - 西村優希
- 1月29日 - 谷内田敦士
2月
3月
- 3月11日 - 菊池涼介
- 3月13日 - スコット・オバーグ
- 3月15日 - ニック・アーメド
- 3月11日 - ライアン・ルア
- 3月17日 - 池田健
- 3月17日 - ジーン・セグラ
- 3月20日 - ブラッド・ハンド
- 3月24日 - スターリン・カストロ
- 3月25日 - エリスベル・アルエバルエナ
- 3月27日 - ジェイク・オドリッジ
4月
- 4月14日 - ジェイコブ・バーンズ
- 4月16日 - トラビス・ショウ
- 4月18日 - 吉田真史
- 4月19日 - ジャッキー・ブラッドリー・ジュニア
- 4月21日 - ザック・ゴドリー
- 4月22日 - ケビン・キアマイアー
- 4月24日 - 金子侑司
- 4月28日 - 橋本到
- 4月30日 - 近田怜王
5月
- 5月1日 - スクーター・ジェネット
- 5月2日 - エラスモ・ラミレス
- 5月6日 - ホセ・アルトゥーベ
- 5月7日 - 三嶋一輝
- 5月7日 - キーオン・ブロクストン
- 5月9日 - ジェイス・ピーターソン
- 5月10日 - サルバドール・ペレス
- 5月13日 - マイケル・ギブンズ
- 5月16日 - 小川泰弘
- 5月17日 - 松田翔太
- 5月18日 - 立岡宗一郎
- 5月18日 - 藤井宏政
- 5月18日 - 二保旭
- 5月23日 - シーザー・ヘルナンデス
- 5月23日 - カイル・バラクロー
- 5月24日 - アダム・コンリー
- 5月27日 - 井藤真吾
- 5月29日 - ジョー・ビアジーニ
- 5月30日 - ザック・ウィーラー
6月
- 6月5日 - 有馬翔
- 6月6日 - アンソニー・レンドン
- 6月6日 - 山本徹矢
- 6月8日 - 中川大志
- 6月9日 - 大田泰示
- 6月13日 - ジェームズ・マッキャン
- 6月16日 - ケルビー・トムリンソン
- 6月17日 - アンドリュー・チェイフィン
- 6月17日 - 中村悠平
- 6月20日 - 東浜巨
- 6月22日 - ダレル・セシリアーニ
- 6月30日 - ヘスス・アギラル
7月
- 7月2日 - ジェラッド・アイコフ
- 7月3日 - ブランドン・マウラー
- 7月12日 - チェイスン・シュリーブ
- 7月19日 - 日高亮
- 7月21日 - 中田廉
- 7月31日 - 赤川克紀
8月
- 8月1日 - ケニス・バルガス
- 8月3日 - カーター・キャップス
- 8月4日 - ブライアン・エリントン
- 8月4日 - 高島祥平
- 8月7日 - トニー・ジック
- 8月10日 - アンソニー・ゴース
- 8月11日 - 小熊凌祐
- 8月11日 - 宮本武文
- 8月13日 - ハンセル・ロブレス
- 8月14日 - 松葉貴大
- 8月14日 - クリス・ローリー
- 8月20日 - 白崎浩之
- 8月21日 - クリスチャン・バスケス
- 8月22日 - アラン・ブセニッツ
- 8月29日 - クリス・テイラー
9月
- 9月4日 - クリス・ベック
- 9月6日 - ドニー・ハート
- 9月7日 - 田中崇博
- 9月9日 - ビリー・ハミルトン
- 9月9日 - 石崎剛
- 9月16日 - ゲリット・コール
- 9月17日 - マーカス・セミエン
- 9月18日 - フアン・ミナヤ
- 9月20日 - ケン・ジャイルズ
- 9月24日 - 齋藤圭祐
- 9月29日 - 八木亮祐
10月
- 10月4日 - 土屋健二
- 10月6日 - スコット・シェブラー
- 10月9日 - ジェイク・ラム
- 10月10日 - コルテン・ウォン
- 10月17日 - ラファエル・モンテロ
- 10月18日 - 辛島航
- 10月19日 - 申成鉉
- 10月20日 - タイ・ブラッチ
- 10月22日 - ドリュー・バーヘイゲン
- 10月27日 - カルロス・ペレス
- 10月29日 - エンダー・インシアーテ
- 10月29日 - 陳冠宇
11月
- 11月1日 - 杉山晃紀
- 11月2日 - ブライアン・グッドウィン
- 11月4日 - 又吉克樹
- 11月10日 - 西勇輝
- 11月12日 - マーセル・オズナ
- 11月12日 - 浅村栄斗
- 11月13日 - クリス・デベンスキー
- 11月13日 - アローディス・ビスカイーノ
12月
- 12月3日 - マット・レイノルズ
- 12月7日 - ヤシエル・プイグ
- 12月10日 - ウィル・マイヤーズ
- 12月15日 - トレバー・ヒルデンバーガー
- 12月18日 - 甲斐拓哉
- 12月20日 - ブルース・マックスウェル
- 12月21日 - マイク・クレビンジャー
- 12月21日 - ケンドール・グレーブマン
- 12月23日 - 猪本健太郎
- 12月23日 - ミッチ・ハニガー
- 12月27日 - タイラー・ダフィー
死去
- 2月10日 - トニー・ソレイタ(*1947年)
- 4月12日 - 三輪裕章(*1921年)
- 4月17日 - 南村侑広(*1917年)
- 5月23日 - 林清一(*1915年)
- 10月2日 - 渡辺博之(*1921年)
- 10月10日 - 濃人渉(*1915年)
- 11月3日 - 筒井修(*1917年)
- 11月13日 - ボビー・マルカーノ(*1951年)
- 12月27日 - 菊矢吉男(*1915年)
脚注
- ↑ 篠塚の打球を本塁打と判定した審判の大里晴信は同年限りで退職。
- ↑ ただし9回裏の攻撃はなく8イニング。
- ↑ 宇佐美徹也 『日本プロ野球記録大鑑』 講談社、1993年。ISBN 4062061082。
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 696.
- ↑ 読売新聞1990年8月5日18面「大洋・田代が1500試合出場」読売新聞縮刷版1990年8月p202
- ↑ 読売新聞1990年8月6日夕刊16面「近鉄・野茂がパ新のシーズン13度目の2ケタ奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p240
- ↑ 読売新聞1990年8月6日夕刊16面「西武連敗ストップ 清原、最年少150号 粘投、渡辺久13勝目」読売新聞縮刷版1990年8月p240
- ↑ 読売新聞1990年8月6日夕刊17面「大洋・新浦が500試合登板」読売新聞縮刷版1990年8月p241
- ↑ 読売新聞1990年8月8日19面「巨人・加藤が1500奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p317
- ↑ 読売新聞1990年8月8日18面「オリックス・今井雄太郎投手(四一)が通算投球回数2000イニング」読売新聞縮刷版1990年8月p316
- ↑ 読売新聞1990年8月11日19面「ドーム初の試合中止 中日、台風で上京できず」読売新聞縮刷版1990年8月p449
- ↑ 読売新聞1990年8月14日19面「オリックス、神戸移転を正式発表」読売新聞縮刷版1990年8月p565
- ↑ 読売新聞1990年8月16日16面「パの高木審判が退職」読売新聞縮刷版1990年8月p650
- ↑ 読売新聞1990年8月22日17面「大島、最年長2千本安打 39年10か月 最多2290試合」読売新聞縮刷版1990年8月p935
- ↑ 読売新聞1990年8月23日18面「小松”我慢”の100勝 チーム一丸、与田リレー」読売新聞縮刷版1990年8月p988
- ↑ 読売新聞1990年8月24日18面「池山サイクル安打」読売新聞縮刷版1990年8月p1036
- ↑ 読売新聞1990年8月24日19面「野茂3度目正直日本新 5試合連続2ケタ奪三振」読売新聞縮刷版1990年8月p1085
- ↑ 読売新聞1990年8月24日19面「村田『600試合目』完封で飾る 西武1年ぶり屈辱 ディアズ千金22号」読売新聞縮刷版1990年8月p1085
- ↑ 読売新聞1990年8月28日19面「パリッシュきょう退団へ」読売新聞縮刷版1990年8月p1237
- ↑ 読売新聞1990年8月29日19面「パリッシュ、30日帰国」読売新聞縮刷版1990年8月p1291
- ↑ 読売新聞1990年8月31日19面「広島・山崎が200犠打」読売新聞縮刷版1990年8月p1395
- ↑ 読売新聞1990年9月2日19面「巨人・川相が犠打56のプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1990年9月p67
- ↑ 読売新聞1990年9月5日19面「川相が57犠打、日本新」読売新聞縮刷版1990年9月p227
- ↑ 読売新聞1990年9月6日18面「上田監督、今季限り退団 神戸移転、愛称変更を機に」読売新聞縮刷版1990年9月p280
- ↑ 読売新聞1990年9月6日19面「阪神、1イニング最多連続三塁打3のプロタイ記録」読売新聞縮刷版1990年9月p281
- ↑ 読売新聞1990年9月8日19面「ドラフト対象選手 練習生としての採用に罰則も」読売新聞縮刷版1990年9月p381
- ↑ 読売新聞1990年9月9日1面「巨人 セ・リーグ2連覇 通算35度目 超スピード決定」読売新聞縮刷版1990年9月p411
- ↑ 読売新聞1990年9月9日19面「上田監督1000勝」読売新聞縮刷版1990年9月p469
- ↑ 読売新聞1990年9月9日19面「中日・大島康徳内野手(三九)が300二塁打」読売新聞縮刷版1990年9月p469
- ↑ 読売新聞1990年9月12日30面「スタンド火事!ナゴヤ球場、1000人が避難」読売新聞縮刷版1990年9月p602
- ↑ 読売新聞1990年9月12日19面「阪神・猪俣が連続打席無安打を79でストップ」読売新聞縮刷版1990年9月p591
- ↑ 読売新聞1990年9月13日19面「西武・山根が引退表明」読売新聞縮刷版1990年9月p647
- ↑ 読売新聞1990年9月23日17面「日本ハム・島田誠外野手(三六)が1500安打」読売新聞縮刷版1990年9月p1195
- ↑ 読売新聞1990年9月24日1面「西武 2年ぶり優勝 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1990年9月p1219
- ↑ 読売新聞1990年9月26日17面「村田が引退表明 40歳『体力に限界』マサカリ投法 30日に見納め」読売新聞縮刷版1990年9月p1301
- ↑ 読売新聞1990年9月27日19面「広永がプロ野球通算6万号本塁打」読売新聞縮刷版1990年9月p1363
- ↑ 読売新聞1990年9月28日19面「野茂20度目二桁奪三振 プロタイ 江夏に並ぶ 26試合目 最速達成!」読売新聞縮刷版1990年9月p1419
- ↑ 読売新聞1990年9月30日17面「『明るいオリックスに』土井監督就任発表」読売新聞縮刷版1990年9月p1473
- ↑ 『日本プロ野球事件史 1934-2013 秘蔵写真で振り返る衝撃のプロ野球史』 ベースボール・マガジン社、2013年。ISBN 9784583619323。
- ↑ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年11月、 74頁。
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月12日、 36頁。