星稜中学校・高等学校
星稜中学校・高等学校 | |
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過去の名称 |
実践第二高等学校 星稜高等学校(第一次) 金沢経済大学付属星稜高等学校 金沢経済大学星稜高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人稲置学園 |
設立年月日 |
1962年(高等学校) 1973年(中学校) |
創立者 | 稲置繁男 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型(外部混合有) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
Aコース Bコース Pコース |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 17505G |
所在地 | 〒920-0811 |
石川県金沢市小坂町南206 | |
外部リンク | www.seiryo-hs.jp |
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星稜中学校・高等学校(せいりょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、石川県金沢市小坂町南に所在し、中高一貫教育を提供する[1][2]私立中学校および高等学校。学校法人稲置学園が設置する。スクールカラーは黄色[3]。
概要
星稜中学校には、1997年までは1学年1クラスで旧校舎の中学校校舎も3つの教室しかなかった(理科の実験などの教室は高等学校の校舎を使っていた)。1998年入学者からは2クラスになり、敷地内の高等学校校舎の教室に移り、旧中学校校舎は高校3年生が使用していた。また、それまで運動会などの行事を高校生と合同で開催していたが翌年から中学校単独で行事を行うことが多くなった。
これに対し、星稜高等学校の生徒は約1600人、教職員は100人超がそれぞれ在籍しており、職員室も3つ設置されている。
高等学校と同じ校舎内の1階に中学校の職員室・教室がすべて入っている。教員は中学校及び高等学校の授業を併せて担当していることが多い。
校名が、東京都の私立青稜中学校・高等学校並びに静岡県の私立星陵中学校・高等学校や兵庫県立星陵高等学校と似ているため、しばしば星陵と誤植されるが、これらの学校との関連はない。
2001年9月には校舎が新築され、7階建てエアコン、エレベーター付きとなった。パソコンルーム・音楽室の他、様々な運動施設(トレーニングセンター等)が存在する。
沿革
- 1932年 - 金沢市彦三に北陸明正珠算簿記専修学校を開校。
- 1947年 - 学制改革で実践商業高等学校に。
- 1950年 - 学校法人実践商業高等学校を認可(1961年に学校法人稲置学園に改称)。
- 1962年 - 実践第二高等学校を開校。
- 1963年 - 設置者を学校法人稲置財団(1965年に学校法人稲置星稜学園に改称)に移管するとともに、校名を星稜高等学校に改称。
- 1967年 - 高等学校の校名を金沢経済大学付属星稜高等学校に改称。
- 1970年 - 実践商業高等学校の県立移管(石川県立金沢向陽高等学校へ改組)に伴い、学校法人稲置学園を解散。
- 1971年 - 法人名を学校法人稲置学園に改称するとともに、高等学校の校名を金沢経済大学星稜高等学校に改称。
- 1972年 - 星稜中学校開校。
- 1983年 - 高等学校の校名を再び星稜高等学校に改称。
教育方針
建学の精神
誠実にして社会に役立つ人間の育成
知・徳・体
「知育」、「徳育」、「体育」のいずれにも偏向しないバランスのとれた教育活動をする。その上で生徒一人ひとりの個性と能力を引き出し、それをさらに伸ばす。生徒が主体的に学び、切磋琢磨できる環境を整える。建学の精神の「誠実にして社会に役立つ人間の育成」を決してぶれることのない縦糸として、生徒、保護者、教職員が横糸となり、その時代を反映した星稜の輝かしい歴史の1ページをつくる。良き伝統は継承し、新しい星稜を目指す。
目標
- 安全で安心して生活できる学校を目指す。
- 在校生、卒業生が愛校心・プライドのもてる学校を目指す。
- 保護者や社会から信頼され、地域から愛される学校を目指す。
- 星稜高等学校にあっては中学生、星稜中学校にあっては小学生があこがれる学校を目指す。
五つの誓い
- さわやかな挨拶をします
- 心身の鍛練につとめます
- すべての学習に最善を尽くします
- 責任のある行動に徹します
- 率先してよい環境をつくります
学業・受験対策と成果
経営母体である学校法人稲置学園は学業・受験対策に注力する方針を採用しており、平成以降国公立大学合格者数は延べ100人を超え、2006年度には国公立大学合格者数が延べ200人を突破した。詳細は外部リンク(下記)を参照。
コース制
2004年度より学業への比重や希望進路別に4つのコースが導入されている。
- Aコース - 学業に専念して難関大学合格を目指す。原則として部活動を行うことができない。全コースの中で最も学業への比重が高く大学合格率が高い一方で成績によるクラス分けが行われないため入学後のコース内における学力差が大きいというデメリットもある。
- Bコース - 学業と部活動を両立しながら(但し部活動への参加は自由)大学合格を目指す。約400人~550人が在籍するが1年に1度、成績により「トップ」「セカンド」「レギュラー」の3つにクラス分けがされる。
- Cコース - 3年次に設置されるコースで、理系科目を受験する必要の無い、文系科目に特化した学習カリキュラムの下、主に私立大学合格を目指す。
- Pコース - 部活動に重点を置きながら大学進学を目指す。
進学実績
主な進学先として金沢大学・富山大学などの国立大学を始め、MARCH (学校)・関関同立などが挙げられる。また地元の金沢工業大学や上部校である金沢星稜大学にも多数進学している。
部活動とその実績
全国大会出場や数多くのプロ選手を輩出している野球部やサッカー部に加えて剣道や空手、バレーボール、テニス、陸上競技、トランポリン、スキーは石川県内でもトップレベルの実績を挙げている。
運動部の年表
サッカー部
男子
- 1974年 - 選手権初出場
- 1977年 - 選手権3年ぶり2回目の出場
- 1978年 - 選手権2年連続3回目の出場
- 1987年 - 選手権9年ぶり4回目の出場
- 1989年 - 選手権2年ぶり5回目の出場
- 1991年 - 選手権2年ぶり6回目の出場(ベスト8)
- 1994年 - 選手権3年ぶり7回目の出場
- 1996年 - 選手権2年ぶり8回目の出場
- 1997年 - 選手権2年連続9回目の出場
- 1999年 - 選手権2年ぶり10回目の出場
- 2000年 - 選手権2年連続11回目の出場
- 2001年 - 選手権3年連続12回目の出場
- 2002年 - 選手権4年連続13回目の出場
- 2003年 - 選手権5年連続14回目の出場
- 2004年 - 選手権6年連続15回目の出場(ベスト4)
- 2005年 - 選手権7年連続16回目の出場
- 2006年 - 選手権8年連続17回目の出場(ベスト8)
- 2007年 - 選手権9年連続18回目の出場
- 2007年 - 全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会準優勝
- 2008年 - 選手権10年連続19回目の出場
- 2009年 - 総体出場
- 2009年 - 選手権11年連続20回目の出場
- 2010年 - 総体出場
- 2010年 - 選手権12年連続21回目の出場
- 2011年 - 選手権13年連続22回目の出場
- 2012年 - 選手権14年連続23回目の出場(ベスト4)
- 2013年 - 選手権15年連続24回目の出場(準優勝)
- 2014年 - 選手権16年連続25回目の出場(初優勝)[4]
- 2015年 - 選手権17年連続26回目の出場(ベスト4)
- 2017年 - 選手権2年ぶり27回目の出場
女子
- 2011年 - 創部
- 2013年 - 全日本高等学校女子サッカー選手権大会初出場
高等学校野球部
- 1972年 - 夏の甲子園に初出場
- 1976年 - 夏の甲子園4年ぶり2回目の出場(ベスト4)
- 1977年
- 1979年
- 1980年 - 明治神宮野球大会(高校の部)で初優勝
- 1981年
- 1982年
- 1983年
- 春の甲子園3年連続4回目の出場
- 明治神宮野球大会(高校の部)で2年連続ベスト4
- 1984年
- 1989年 - 夏の甲子園5年ぶり8回目の出場
- 1990年 - 夏の甲子園2年連続9回目の出場
- 1991年
- 夏の甲子園3年連続10回目の出場(ベスト4)
- 国民体育大会(高校の部)で準優勝
- 明治神宮野球大会(高校の部)2回目の優勝
- 1992年
- 1993年 - 夏の石川大会直前に活動再開。
- 1994年
- 1995年
- 1997年 - 春の甲子園2年ぶり10回目の出場
- 1998年
- 夏の甲子園3年ぶり14回目の出場
- 国民体育大会(高校の部)でベスト4
- 2002年 - 3年生元部員が喫煙した為秋の公式戦出場辞退。
- 2005年 - 春の甲子園8年ぶり11回目の出場
- 2007年 - 夏の甲子園9年ぶり15回目の出場
- 2013年 - 夏の甲子園6年ぶり16回目の出場
- 2014年 - 夏の甲子園2年連続17回目の出場[5]
- 2016年 - 夏の甲子園2年ぶり18回目の出場
- 2018年
陸上競技部
( )は出場結果。順位/出場校には途中棄権校及びオープン参加の韓国代表を含まない。
男子
- 1973年 - 都大路初出場(46位/46校・2時間31分24秒)
- 1974年 - 都大路2年連続2回目の出場(46位/47校・2時間28分16秒)
- 1975年 - 都大路3年連続3回目の出場(46位/47校・2時間27分15秒)
- 1983年 - 都大路8年ぶり4回目の出場(44位/47校・2時間18分21秒)
- 1986年 - 都大路2年連続5回目の出場(47位/47校・2時間23分29秒)
- 1987年 - 都大路3年連続6回目の出場(43位/47校・2時間17分45秒)
- 1992年 - 都大路5年ぶり7回目の出場(28位/47校・2時間10分43秒)
- 1993年 - 都大路2年連続8回目の出場(22位/47校・2時間10分27秒)
- 1994年 - 都大路3年連続9回目の出場(46位/58校・2時間12分25秒)
- 2006年 - 都大路12年ぶり10回目の出場(36位/47校・2時間10分38秒)
- 2008年 - 都大路2年ぶり11回目の出場(35位/47校・2時間10分24秒)
女子
- 1996年 - 都大路初出場(47位/47校・1時間19分12秒)
- 1997年 - 都大路2年連続2回目の出場(46位/47校・1時間16分44秒)
- 2007年 - 都大路10年ぶり3回目の出場(41位/47校・1時間13分52秒)
その他の部活動
星稜中学校
- 野球部
- サッカー部
- テニス部
- 陸上競技部
- 卓球部
- トランポリン部
- 剣道部
- ゴルフ部
- 茶道部
- 美術部
- 吹奏楽部
- 天文部
- 囲碁部
星稜高等学校
- 水泳部
- トランポリン部
- 剣道部
- 空手道部
- 柔道部
- 弓道部
- スキー部
- テニス部
- ソフトボール部
- バレーボール部
- バスケットボール部
- バドミントン部
- ソフトテニス部
- ハンドボール部
- 卓球部
- レスリング部
- ゴルフ部
- ボウリング部
- 吹奏楽部
- 合唱部
- 茶道部
- 華道部
- 写真部
- 放送部
- 将棋部
- 囲碁部
- 映画部
- ESS部
- 美術部
- 筝曲部
- 科学部
- 天文部
- 演劇部
- 文芸部
- チアリーダー部
- 少林寺拳法部
- 体操部
- 馬術部
- 日本舞踊部
- 百人一首かるた部
- 書道部
主な行事
文化祭
9月の2日間に行われる。(新校舎ができる2001年9月は前倒しで7月に旧校舎で行われた。)名称は星稜祭。生徒会・文化祭実行委員会が中心となってイベントなどを企画する。毎年、1日目は午前・午後に分けて稲置記念館にて講演会等が行われる。
体育大会
7月と12月に行われる。サッカーやバレーボール、卓球などが競技種目である。通称球技大会。各体育館やサッカーグラウンドで行われる。
運動会
9月に行われる。これは球技大会とは違い、綱引きや徒競走などを行う。稲置学園総合運動場で行われる。
施設・設備
- 校舎 - 七階建てで冷暖房完備。またエレベーターが常時5基が稼動している。大人数で講義を受けるための大講義室や、50台のパーソナルコンピュータが置いてありインターネットを利用できるコンピュータ室、勉強のために個人ブースが完備されている学習室などがある。
- サッカーグラウンド - 人工芝のグラウンドで、夜間照明設備が6基設置されている。
- 第一体育館 - 最も大きな体育館でバスケットコート三面分の広さがある。また二階部分には一周200メートルのランニングコースもあり、屋上にはテニスコートが四面ある。
- 第二体育館 - 二階建てで、一階は主に卓球、二階はバスケットボールやバレーボールなどに使用される。
- 第三体育館 - 主に剣道に使用される。
- 武道館 - 柔道やレスリングなどに使用される。
- トレーニングセンター - 二階建てで、一階はウェイトトレーニングのための器具が置いてあり、二階は空手部の練習場になっている。また縄上りのための縄が二階から垂れ下がっている。
- 屋内練習場 - 雨天のとき、主に野球部の練習のために使用される。
- その他 - プールやハンドボールコート、弓道場もある。また上部校である金沢星稜大学にあるコンビニエンスストアや学生食堂、大学に設置されている体育館なども使用できる。そして稲置学園総合運動場などへ行くときに使用するマイクロバスがある。
著名な関係者
政治家
サッカー
- 北一真 - 元ザスパクサツ群馬
- 田中俊也 - 元ツエーゲン金沢
- 辻田真輝 - 元ツエーゲン金沢
- 森俊祐 - 元ツエーゲン金沢
- 麦田和志 - 元徳島ヴォルティス(星稜中学校出身)
- 田代祐平 - 元ツエーゲン金沢
- 豊田陽平 - サガン鳥栖、元日本代表
- 本田圭佑 - CFパチューカ、2018 FIFAワールドカップ日本代表など
- 橋本晃司 - オレンジカウンティSC
- 込山和樹 - 元ツエーゲン金沢
- 作田裕次 - ツエーゲン金沢
- 清水孝太 - 元FC大阪
- 鈴木大輔 - ジムナスティック・タラゴナ、元日本代表
- 河野圭吾 - FC刈谷
プロ野球
- 小松辰雄 -元中日・解説者
- 若狭徹 - 元中日
- 北安博 - 元大洋
- 音重鎮 - 元中日
- 湯上谷竑志 - 元ダイエー
- 鈴木望 - 元読売
- 村田勝喜 - 元ダイエー
- 村松有人 - 元ソフトバンク、2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表(銅メダル))・コーチ
- 松井秀喜 - 元読売、ニューヨーク・ヤンキース。国民栄誉賞受賞
- 山本省吾 - 元ソフトバンク、星稜中学校出身
- 辻武史 - 元ソフトバンク
- 北野良栄 - 元ソフトバンク、星稜中学校出身・競輪選手
- 高木京介 - 読売
- 島内宏明 - 楽天
- 西川健太郎 - 元中日
- 鈴木将光 - 元広島、星稜中学校出身、遊学館高等学校へ進学
- 岩下大輝 - ロッテ
- 北村拓己 - 読売
芸能・マスコミ
- 米田奈美子 - タレント
- 石黒謙吾 - フリーライター・編集者(『盲導犬クイールの一生』)
- 松下茂典 - スポーツライター
- 大河睦 - 元宝塚歌劇団
- 新谷良子 - 声優
- 土居宗将(きみどり) - 芸人
- 室岡里美 - 北海道テレビ放送アナウンサー
教職員
- 山下智茂 - 野球部総監督(元監督)、元副校長、稲置学園理事
その他
- 岩田稔 - 元・バレーボール全日本男子。1984年ロサンゼルスオリンピック代表。
- 杉林孝法 - 陸上競技選手(三段跳、2000年シドニーオリンピック出場、2004年アテネオリンピック出場)
- 大森重宜 - 陸上競技選手(400mハードル、1984年ロサンゼルスオリンピック出場)
脚注及び参照
- ↑ 教育方針-星稜中学校の「教育目標」のうち「学習進路指導(知育)」による。
- ↑ 『平成11年度版 全国注目の中高一貫校』(学習研究社、1998年8月発行)でも星稜高等学校が星稜中学校とともに「難関大学に近い学校」の中で紹介されている。
- ↑ 星稜高等学校
- ↑ “延長戦を制し、星稜が初優勝 第93回全国高校サッカー選手権大会” (日本語). JFA|公益財団法人日本サッカー協会 . 2018閲覧.
- ↑ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部. “星稜 奇跡の大逆転!9回裏に8点差ひっくり返し2年連続甲子園出場! - スポニチ Sponichi Annex 野球” (日本語). スポニチ Sponichi Annex . 2018閲覧.
- ↑ “選抜高校野球:延長十回サヨナラ 星稜23年ぶり8強進出 - 毎日新聞” (ja-JP). 毎日新聞 . 2018閲覧.
- ↑ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部. “【石川】決勝戦で22―0 星稜が県大会計37イニング無失点、53得点の圧倒的強さで甲子園へ - スポニチ Sponichi Annex 野球” (日本語). スポニチ Sponichi Annex . 2018閲覧.
関連項目
外部リンク
部活動実績 |
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