庄内空港
庄内空港(しょうないくうこう、英: Shonai Airport)は、山形県庄内地方の酒田市と鶴岡市に立地する地方管理空港である。ターミナルビルは酒田市に所在している。愛称は、「おいしい庄内空港」である。
Contents
概要
1970年代前後から、全国的に高速交通時代を迎えたが、庄内地方はそれに取り残されたため、空港設置を望む声が上がった。そうした要望を踏まえ地元自治体で組織される庄内開発協議会は、1970年7月、庄内空港建設を提唱した。また県も庄内空港建設調査会を設置。同調査会は「山形県庄内空港整備計画」を策定し、庄内地域の経済発展と情報格差是正に庄内空港の必要性を強調するとともにジェット機空港の建設を提言した[1]。これを受け県は、庄内空港建設を県の重要開発事業として定め、国への働きかけを開始した。しかし、整備計画で建設予定地として提示された三川町において、「庄内の美田をつぶすな」との声が起こり、建設推進の動きは止まってしまった[1][2]。
その後、全国的に高速交通網の構築が進展する中、庄内地方は大都市(東京・大阪・仙台)到達まで陸路では半日を要する「陸の孤島」状態が依然として解消されないことに焦燥を募らせた庄内14市町村(当時)の議会が1980年7月、「庄内空港建設促進に関する決議」を可決、さらに翌年1月には、地元の各団体の代表者が結集し、庄内空港建設促進期成同盟会(会長前田巌)が結成され、前田の主導によって関係各方面への陳情や庄内全戸での100円募金と署名運動さらには啓蒙等が活発に繰り広げられた[3]。
1986年11月、庄内空港建設が組み込まれた第五次空港整備5ヵ年計画が閣議決定されたことによって庄内空港の開設は決定した。だが、空港建設地である酒田市浜中の地権者の同意を取り付ける段階で「庄内空港を考える会」という建設反対グループが組織されたほか、反対グループを支援する「浜中の地権者を守る会」まで生まれ、さらには共有地権者まで現れる事態となった。反対理由は「行政不信」や「防風防砂対策への不信」などを主としたが[4]、県による懸命な説得と設計の一部変更、砂丘農家に対する配慮の約束が交わされ、1988年6月、反対者と知事らとの間で協定書が締結され建設反対運動は解決をみた[5]。また最大の反対理由として挙げられていた防風防砂対策への不信の解消策の一つとして、黒松など5万本を植栽した空港緩衝地帯建設整備事業が実施されることになった[4][6]。
1988年6月に空港本体の起工式が挙行され、工事は順調に進み、竣工の予定半年前に前に完成した。このため開港日も半年ほど早まり、べにばな国体の前年である1991年10月1日に開港した[5]。開港に前後して、周辺自治体らによって広大な土地を活かした複数の工業団地を造成し、ハイテク産業を中心とした工場の誘致に成功している。庄内地方と隣接する秋田県にかほ市は、秋田空港より近くまた無料の駐車場があるため、利用圏内になっている。
ローカル線扱いの東京線は、庄内地方から東京へ短時間で直行できる唯一の高速交通手段で、陸路よりも有利なため、搭乗率は高く収益性がよい。そのためそれまで一日三便であった運行が、2006年のナイトステイの実現により一日四便に拡大されることになった。ANAグループの独占路線のため競争が働かない関係から「特割」などの事前購入割引運賃の割引率は低く設定されている。主な利用客は、地元関係者や帰省者に加えて、誘致した企業のビジネス(出張)関係である。年間利用客数は、国内356,529人、国際580人(2013年度)[7]。搭乗率低迷により、2007年度限りで新千歳便が、2008年度限りで伊丹便が廃止となった[8]。これにより2017年現在、定期便は羽田便のみとなっている。
空港近隣には、長野県諏訪市に本社を置くセイコーエプソンの子会社である東北エプソンがあることから、同社の出張に利用するため、本社に近い松本空港と結ぶ社用機による社員専用便が1998年から1日2便定期運航している[9]。
2012年、「まめうさ」が空港ビルのマスコットキャラクターに決定している。
沿革
- 1991年10月 - 供用開始。全日本空輸がエアバスA320で東京国際空港線、ボーイング737-500で大阪国際空港線開設。
- 1995年6月 - 新千歳空港線(6月 - 10月)が開設。
- 1996年
- 2月 - 新千歳空港線通年運航開始。
- 4月 - 動物検疫指定港になる。
- 1997年4月 - 植物検疫指定港になる。
- 1998年
- 2000年
- 4月 - 庄内産青果物フライト輸送50万ケース達成。
- 5月 - 関西国際空港線を全日本空輸からエアーニッポンに移管。
- 7月 - 搭乗者数300万人達成。
- 2003年10月 - 関西国際空港線休止。
- 2004年4月 - フェアリンク(現アイベックスエアラインズ)がボンバルディアCRJ-100・200で大阪国際空港線を開設。
- 2005年6月 - 搭乗者数500万人突破。
- 2006年4月 - 機材の夜間駐機(ナイトステイ)開始。
- 2007年
- 9月 - 全日本空輸が新千歳空港線を2007年度をもって休止することを関係各所に通告。
- 10月 - 搭乗者数600万人達成。
- 12月21日 - JR羽越本線脱線事故を受け、突風のメカニズムを把握するため気象庁気象研究所によって空港ビル屋上にドップラー・レーダーが設置される。
- 12月27日 - セイコーエプソン社有機の着陸後に左車輪と接触した滑走路灯が破損。人的被害や他便への影響はなし。
- 2008年3月13日 - 昨年12月21日から屋上に設置されていたドップラーレーダーが、冬期間の観測を終えたため撤去されたが、10月下旬に再び設置され翌年3月まで観測された。期間中、竜巻と見られる現象を何度か観測した。
- 2009年3月 - 大阪国際空港線休止。
- 2012年12月8日 - 全日空機が、着陸後にオーバーランし滑走路先の芝生で停止。人的被害はなし[10]。
- 2014年
- 2015年
- 3月5日 - 庄内RDOが仙台空港へ移管(2月5日付官報公示)
- 4月1日 - 東京航空局庄内空港出張所閉鎖(2月5日付官報公示)
- 2016年10月1日 - 開港25周年を迎える[13]。
就航路線
国内線
廃止された路線
- 全日本空輸(エアーニッポンで運航された便もあり)
- 中日本エアラインサービス
- アイベックスエアラインズ
- 大阪国際空港(伊丹空港)
交通
運行本数・運賃・経路・所要時間等の詳細は、該当項目や公式サイトを参照。
リムジンバス
道路
- 山形県道33号庄内空港立川線 庄内空港敷地内が起点
- 接続路線(県道33号に接続)
その他
- 庄内VOR/DME,ILSが整備されているものの、保守官所は、仙台空港事務所システム運用管理センターである。
脚注
出典
- ↑ 1.0 1.1 『山形県史 第7巻 (現代編 下)』p.679
- ↑ 『山形県地域開発史』p.592
- ↑ 『山形県地域開発史』p.593
- ↑ 4.0 4.1 『山形県地域開発史』p.594
- ↑ 5.0 5.1 『山形県史 第7巻 (現代編 下)』p.681
- ↑ 『山形県地域開発史』p.597
- ↑ “管内空港の利用状況概況集計表(平成25年度速報値)” (PDF) (プレスリリース), 国土交通省東京航空局
- ↑ “アイベックス来年3月末庄内-伊丹線廃止へ”. 荘内日報. (2008年10月1日) . 2012閲覧.
- ↑ “ものづくり進化論(日経産業新聞)エプソン、国内工場でプリンターヘッドの生産性10倍”. 日本経済新聞. (2016年1月4日) . 2017閲覧.
- ↑ “全日空機がオーバーラン 雪の庄内空港、芝生で停止”. 朝日新聞. (2012年12月9日) . 2012閲覧.
- ↑ 「山形空港」と「庄内空港」の愛称が決定しました! 山形県 2014年5月29日付
- ↑ 小型機パンクで滑走路一時閉鎖 山形・庄内空港 47NEWS 2014年6月23日付
- ↑ “庄内空港25周年、利用促進へ団結誓う”. 山形新聞. (2016年10月3日) . 2017閲覧.
参考文献
- 山形県地域開発史作成事務局編 『山形県地域開発史』山形県職員研修所、1993年。
- 山形県編 『山形県史 第7巻 (現代編 下)』山形県、2004年。
関連書籍
- 庄内空港周辺整備基金協会事務局 企画/編集 『神話に挑んだ日々 庄内空港建設記念誌』 庄内空港周辺整備基金協会、1998年。
- 庄内空港ビル株式会社編『空への感謝 20年の蒼穹 庄内空港開港20周年記念誌』 庄内空港ビル、2012年。