庄内地方

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庄内地方のデータ
面積 2,405.2 km2
(全県比:25.8%)
(2010年10月1日)[1]
国勢調査 294,143
(全県比:25.2%)
(2010年10月1日)[2]
推計人口 270,618
(全県比:24.8%)
(2018年4月1日)
ファイル:山形県地域区分図.svg
山形県 地域区分図
橙:村山地方青:最上地方緑:置賜地方紫:庄内地方
ファイル:Yamagata Shonai-block.png
庄内地方の自治体
1. 酒田市2. 鶴岡市(旧)3. 立川町(現庄内町)4. 余目町(現庄内町)5. 藤島町6. 羽黒町7. 櫛引町8. 三川町9. 朝日村10. 温海町11. 遊佐町12. 八幡町13. 松山町14. 平田町

庄内地方(しょうないちほう)は、庄内平野を中心とした山形県日本海沿岸地域である。鶴岡市酒田市が二大都市として並立している。

概要

出羽国(明治維新により羽前国羽後国)の沿岸南部に位置し、日本海と朝日山地に挟まれた沿岸平野地域である。江戸時代には庄内藩の領地となっていたが、この時代に灌漑技術が向上したことにより、日本有数の稲作地帯となっている。

庄内平野を取り囲む朝日山地、出羽三山が自然障壁となっている為、最上川の舟運による交流はあったが、山形県内陸部(1876年以前の山形県)とは異なる地域圏を形成していた。山形県内陸部の水産物流通量のほとんどが宮城県仙台市など太平洋側からの流通によって占められ、庄内産が約1割に留まっている[3]など、現在でも地域圏の違いが色濃く残る面がある。なお、1871年8月29日廃藩置県当時は、鶴岡県(当初の名称は大泉県→酒田県)という独立した県であった。

古くから日本海沿岸の各地のほか、畿内との海運による交流があり、後者は当地域に繁栄をもたらしたほか、出羽三山への拠点の一つとなっていたことから参詣者が広域から集まっていた。陸路が発達した明治時代以後も、隣接する秋田県沿岸部や新潟県北部の下越地方との交流が深い地域であったが、現在では山形県外では宮城県東京都との交流も深い(参照)。

地理

最上川の最下流域や赤川の流域に当たり、庄内平野を抱える。冬にはが多く、雪解け水を利用した稲作地帯として知られ、庄内米はブランド米ともなっている。

また、年を通してが強いため、風力発電装置が設置されており、風力電源開発において有望視しているケースもある。

歴史

交通に関する歴史は「#交通史」を参照

古代には出羽柵国府城輪柵)が置かれ、畿内政権による出羽国支配の中心地域となった。

平安時代には大泉、遊佐、櫛引の三荘園が置かれ、最も栄えた大泉荘がこの地方の代名詞となった。大泉荘内(大泉荘園内の地)から荘内(庄内)の呼び名が生まれ、16世紀頃に定着したと考えられている。

戦国時代には、大宝寺氏東禅寺氏らがこの地方を治めたが、やがて最上氏上杉氏の抗争地となる。結局は上杉氏の傘下となるが、関ヶ原の戦い後は最上氏がこの地を接収した。

江戸時代には庄内藩の領土となり、藩主酒井氏鶴岡に本拠地を構えて一帯を治め、豪商本間氏酒田に本拠地を構えた。又、北前船の就航も多かった。

1868年戊辰戦争では、庄内藩会津藩と同盟(会庄同盟)して明治政府と敵対したが、明治政府軍に敗れた。庄内藩と会津藩を擁護する為に結成された軍事同盟が、奥羽越列藩同盟である。しかし、明治政府軍の薩摩藩が戦後処理で庄内藩を寛大に取り扱ったため、会津藩とは対照的に、庄内藩は領土没収を免れた。

1871年8月29日廃藩置県では、旧庄内藩の領地を範囲とする酒田県が成立したが、酒田県、大泉県、酒田県と幾度も県名が変遷し、1875年8月に鶴岡県に改名された。しかし、1876年8月21日には盆地県である山形県(1876年以前)や置賜県と合併され、これ以後は山形県となって現在に至っている。

地域

自治体

酒田市を初めとする飽海郡飽海地区(もしくは酒田飽海地区)、旧鶴岡市を初めとする東田川郡田川地区(もしくは鶴岡田川地区)と呼ぶ事がある。

14市町村あった庄内地方だが、2005年平成17年)7月1日に余目町と立川町が合併して「庄内町」が誕生。その後同年10月1日には鶴岡市ほか周辺5町が合併して鶴岡市が、11月1日には酒田市ほか周辺3町が合併して酒田市が誕生し、庄内地方は2市3町になった。

都市圏

庄内地方内には、酒田都市圏、および、鶴岡都市圏が認められる。 

一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。

都市圏の変遷

庄内地方2市3町は、県の機関である庄内総合支庁に管轄されている。以下に都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷を示す。10% 通勤圏に入っていない町村は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。

自治体
('80)
1980年 1990年 1995年 2000年 2005年 2010年 自治体
(現在)
遊佐町 酒田 都市圏
165515人
酒田 都市圏
161456人
酒田 都市圏
167682人
酒田 都市圏
165127人
酒田 都市圏
159106人
酒田 都市圏
149789人
遊佐町
酒田市 酒田市
八幡町
平田町
松山町
余目町 庄内町
立川町 - -
三川町 鶴岡 都市圏
147758人
鶴岡 都市圏
159095人
鶴岡 都市圏
157693人
鶴岡 都市圏
155356人
鶴岡 都市圏
150387人
鶴岡 都市圏
144354人
三川町
鶴岡市 鶴岡市
藤島町
羽黒町
櫛引町
朝日村
温海町 -
  • 2005年7月1日:余目町と立川町の2町が新設合併し、庄内町となった。
  • 2005年10月1日:(旧)鶴岡市、藤島町、羽黒町、櫛引町、朝日村、温海町の1市4町1村が新設合併し、新「鶴岡市」となった。
  • 2005年11月1日:(旧)酒田市、飽海郡八幡町・松山町・平田町の1市3町が新設合併し、新「酒田市」となった。

行政の取り組み

  • 酒田市が三川町、庄内町、遊佐町と定住自立圏形成協定を結び、庄内北部定住自立圏を形成している。
  • 鶴岡市が三川町、庄内町と定住自立圏形成協定を結び、庄内南部定住自立圏を形成している。

交通

国道7号羽越本線が、幹線として南北を貫いている。内陸側や太平洋側とは、国道47号陸羽西線によって新庄石巻と、国道112号山形自動車道によって山形と結ばれている。

交通史

庄内地方は、日本海朝日山地に挟まれている為、古くから内陸部よりも、日本海沿岸の港町畿内との海運による繋がりが深かった。鉄道が発達して海運が衰えた明治時代以後も、羽越本線国道7号で日本海沿岸の地域と結ばれており、特に隣接する新潟県下越地方秋田県南西部との交流が深い。朝日山地を越えた内陸部へのルートとしては、東の山形へは峠道の国道112号で、新庄へは陸羽西線国道47号、列びに最上川の舟運で結ばれていた。

1982年には上越新幹線大宮駅 - 新潟駅間で開業(1991年以後は東京駅まで乗り入れ)し、陸路では4時間以内に東京と結ばれるようになった。1991年には庄内空港が開設され、東京(羽田)との直行便が就航したほか、かつては千歳大阪伊丹関西)などにも就航していた。

高速道路については、日本海沿岸の路線(日本海東北自動車道)ではなく、朝日山地を挟んだ山形市などを経由する山形自動車道の建設が先行した。東北地方の内陸部からの交通利便性が高まったことにより、同地方内の山形市や仙台市からの高速バスが開設されている。である。なお、日本海東北自動車道は、2013年現在の時点では一部の区間のみ供用されている。

中距離移動

鶴岡市酒田市から周辺中核都市への交通網
酒田市からの距離および、上記交通機関による所要時間
  • 秋田市へ:約 130 km、104分 - 110分
  • 新潟市へ:約 140 km、105分 - 128分
  • 山形市へ:約 120 km、120分程度
  • 仙台市へ:約 180 km、180分程度

長距離移動

酒田市東京都との間の交通
(料金は、往復割引片道分)

生活圏間流動

国土交通省の「第5回全国幹線旅客純流動調査」(2010年度)の生活圏間流動において、庄内地方を出発地・居住地とする者の目的地・旅行先は以下のようになっている。ただし、同調査では同じ都道府県内の生活圏へのデータがないため、それらを除く。

出発地:庄内地方[4]
目的地 万人/年
1 秋田県秋田臨海 79.9
2 宮城県仙台 64.7
3 宮城県・古川 26.9
4 東京都23区 16.0
5 秋田県・雄物川流域 11.8
6 青森県青森 9.0
7 新潟県村上 8.8
8 新潟県・新潟 6.6
居住地:庄内地方[4]
旅行先 万人/年
1 秋田県・秋田臨海 59.9
2 宮城県・古川 27.8
3 東京都・23区 17.7
4 宮城県・仙台 13.9
5 新潟県・村上 10.4
6 新潟県・新潟 3.6
7 東京都・多摩 3.4


鉄道

道路



地域メディア

文化

食文化では、同じ日本海沿岸で隣同士である庄内地方と下越地方(新潟県北部)で、共通する物が見られる。庄内と下越で共通する食文化としては、稲作)、枝豆菊花茄子岩牡蠣口細が代表的である。

舞台となった作品

テレビドラマ

映画

藤沢周平作品

舞台である海坂藩は、鶴岡市にあった庄内藩がモチーフとされる。

その他

脚注

関連項目

外部リンク