ボーイング707

提供: miniwiki
2018/7/22/ (日) 16:19時点におけるja>S-alfeyevによる版 (就航)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

ボーイング707

ボーイング707Boeing 707)は、アメリカボーイング社が開発した4発式の大型ジェット旅客機

1950年代初頭に原型機の開発が開始され、1958年に路線就航した。ダグラス DC-8コンベア880(CV880)と並ぶ、第1世代ジェット旅客機を代表する機種であり、ボーイングの7X7シリーズの始まりでもある。

1950年代後期、世界の民間航空業界における大型ジェット旅客機の商業的優位性を決定づけた、航空史に残る歴史的機体である。ジェットエンジンの高出力を活かして機体大型化と速度向上を図り、それ以前の大型レシプロプロペラ旅客機を遥かに凌駕する定員100名超の輸送力と、(商業運航される大多数の旅客機の実用上限速度として21世紀初頭に至っても踏襲される)マッハ0.8級の快速を両立させた。

その高い完成度から世界各国の民間航空会社や政府・軍の公用に広く採用され、1991年までの長期にわたって1,000機以上が生産される商業的成功を収めた。また派生形のボーイング720も開発されたほか、胴体設計の流用で、中型3発ジェット機727、小型双発ジェット機737をも産み出す母体となったことは特筆される。707に始まる一連のジェット旅客機シリーズの成功で、ボーイング社はその後半世紀以上に渡り世界的な旅客機メーカーとしての地歩を固めた。

概要

367-80

ファイル:Pan Am Boeing 707-100 at JFK 1961 Proctor.jpg
パンアメリカン航空のボーイング707-120
ファイル:TWA Boeing 707 Volpati-1.jpg
トランスワールド航空のボーイング707-331
ファイル:Pratt-707re-N707HE-071126-03-16.jpg
エンジンを低騒音型のプラット&ホイットニーJT8D-219に換装したボーイング707

707の原型機は367-80である。第二次世界大戦後に完成した爆撃機B-47で大型ジェット機の基本型を確立したボーイングは、アメリカ空軍初の大型ジェット輸送機として採用される事を見込んで、1940年代後半から自社資金でジェット輸送機の開発に着手し、1954年に原型機367-80(ダッシュ80)を初飛行させた。

パイオニアにつきものの初期トラブルを克服した後、東西冷戦下における急激なジェット戦闘機の普及に伴い当時需要が切迫していた空中給油機仕様のKC-135として先ず大量発注を受けた。

開発

ボーイングは、367-80を開発中の1952年4月に、367-80の胴体直径を6インチ(15cm)拡大した旅客型の707の開発を開始した。なおこれはボーイングとしてはプロペラ機である377以来の大型旅客機、かつ初めてのジェット旅客機の開発となったが、これは航空会社からの発注も受けていないいわば見切り発車であった。

しかし、ファン・トリップ率いるパンアメリカン航空は、即座に20機を正式発注した。 パンアメリカン航空はイギリスデ・ハビランドDH.106 コメット Mk.1を発注していたものの、コメット連続墜落事故を受けて生産が中止していたために代替機となるジェット旅客機の早期導入を希望していたのであった。

また、初期のコメット(Mk.1/2/3)は航続距離が短く、乗客数もダグラスDC-6DC-7Cロッキード コンステレーション等の従来のプロペラ機と同等かそれ以下であったが、その一方で高速性のみならず快適性もジェット機はプロペラ機の比ではない事が明らかになり、航空会社からは、過渡的なターボプロップ機よりむしろ、本格的なジェット旅客機の登場が待たれるようになっていた。

乗客数も巡航速度も標準的なプロペラ機の約2倍、初期型コメットと比較しても輸送力・速力とも大幅に凌駕した707は、コメットMk.1 の事故調査で得られた教訓を採り入れ入念な安全対策が図られた。さらにアドバイザーとして(多分に宣伝効果を狙って)チャールズ・リンドバーグを招聘し、初めから大西洋無着陸横断が可能な仕様で設計され、デビュー前から圧倒的な人気を誇り、パンアメリカン航空の正式発注を皮切りにアメリカン航空エールフランスヴァリグ・ブラジル航空など世界各国の航空会社から多数の受注を受けた。またアメリカ政府に対する影響力を擁するボーイングが、FAAに対する政治力を発揮して、対策改良型コメット Mk.4 に対する耐空証明再発行を先延ばしし続けさせたとも言われており、その間に十分な開発期間が確保された。

しかしながら最初に発注したパンアメリカン航空は、ボーイングが大型旅客機の開発経験が少ないこと、さらに直近に開発した大型レシプロ旅客機の377が、事故・故障の多発する問題が多い機材であったこともあり、万が一開発に失敗した時の「保険」として、ライバルのダグラス DC-8も25機発注していた。

就航

その後は順調に開発が進み、デ・ハビランド DH.106 コメットMk.1 の初就航に遅れること6年、ソ連ツポレフTu-104の就航(1956年9月1日)に遅れること2年の1958年10月26日、パンアメリカン航空のニューヨークアイドルワイルド国際空港)-パリオルリー空港)線に就航した。より小型で航続距離も少ないデ・ハビランド DH.106 コメットやTu-104には後れを取ったものの、ライバルのダグラスDC-8に先立つこと1年弱、コンベア880に先立つこと1年であった。

デ・ハビランド コメットやTu-104、シュド・カラベル等のヨーロッパ勢に先行された707だったが、その長距離幹線用旅客機としての進歩的コンセプトと、6列座席配置を可能とした絶大な輸送力は、世界の主要航空会社から期待された次世代機材の具現化であり、その後の運用と競争では大きくリードした。1958年10月4日にコメット Mk.4 が大西洋路線にようやく再就航した時には、707の進空は間近の情勢であって、実際に世界の殆どの航空会社は、ジェット輸送機でも最初期の機体の改良型であるコメットMk.4ではなく、より大型の707やDC-8などの新世代ジェット機を選択した。

パンアメリカン航空に次いでトランスワールド航空英国海外航空ノースウェスト航空などでも導入され、その多くが太平洋や大西洋横断路線、アメリカ大陸横断路線などの長距離かつ需要の大きい路線に投入された。その結果、1950年代に至るまでクイーン・メリーユナイテッド・ステーツなどのオーシャン・ライナーが大きなシェアを占めていた大西洋横断航路、(アメリカンプレジデントラインズ氷川丸あるぜんちな丸等)が大きなシェアを占めていた太平洋横断定期航路は収益が悪化した。特に大西洋横断航路への影響は大きく、1969年に大西洋横断航路に就航したクイーン・エリザベス2はクイーン・メリーよりも小型化し他の航路にも投入できる設計とされた。船を運航する企業も収益構造を変えるためアメリカンプレジデントラインズのように旅客事業から撤退し貨物事業へ集中する会社が続出した。また造船業界は貨物船が中心の業態へと変化するなど、19世紀から続いた定期旅客船の時代に終止符が打たれることになった。

経過

707就航当時に懸念された燃費も旺盛な旅客需要で相殺されることが分かり、さらに改良型が相次いで投入されたことで燃費も向上し、1960年代に入るとアメリカ国内の航空会社のみならず、アジアヨーロッパ南アメリカアフリカなど世界各国の多くのフラッグ・キャリアの主力長距離路線に就航した。

1960年代から1970年代にかけて、ライバルのコンベア880やヴィッカースVC-10、さらにダグラスDC-8が生産中止となり、またより大型のマクドネル・ダグラスDC-10やロッキードL-1011などが新たに就航する中、707は1970年に就航した大型長距離用機のボーイング747から中型短距離用機材のボーイング727とボーイング737に至る、ボーイングのジェット旅客機のラインナップの中核としてその後も順調に受注数を伸ばした。

さらに派生機種で中・短距離向けのボーイング720が開発されたほか、機首・胴体構造は部分的にボーイング727ボーイング737型機にも流用された。なお長胴型が相次いで開発されたダグラスDC-8とは異なり、主脚が短いことやより大型のボーイング747が存在したこと、そして1970年代に入ると後継機となるセミワイドボディ・250席級のボーイング767の開発が始まったことなどから長胴型は開発されなかった。

生産終了

民間型は中長距離向けの後継新型機であるボーイング767型機の生産本格化に伴い、1982年に生産終了した。その後も生産が続けられた軍用型1991年に生産終了されるまでの33年間に、民間型と軍用型を含めると1,010機が製造される、歴史的ベストセラー機としての記録を残した。

大型ジェット旅客機の処女作にしてベストセラーになった707は、レシプロ機時代に旅客機分野での存在感が希薄であったボーイングを、21世紀初頭には世界のジェット旅客機販売における半分以上のシェアを占めるまでに成長させる原動力となった。

現在

1980年代後半頃より、老朽化や欧米・日本などの先進諸国を中心とした騒音規制の強化の影響を受けて多くが引退した。しかし使い勝手の良いサイズや信頼性の高さから、エンジンや航法装置を中心とした幾度かの近代化改修を経て、初号機の就航から50年以上を経過した現在も数十機が貨物型やプライベートジェット仕様に改装され利用されている。

他にはアメリカ空軍イスラエル空軍イラン空軍を始めとする世界中の空軍、政府で軍用型や軍用型への改修機が使用されている。これら軍用型にはエンジンを低騒音対策型に換装したアップデート版も含まれる。

バリエーション

-120

ファイル:Three Pan Am Boeing 707 awaiting delivery.jpg
パンアメリカン航空のボーイング707-120型

最初に作られ、パンアメリカン航空に納入された707が、プラット・アンド・ホイットニー(P&W)のターボジェットエンジンJT3C」型を搭載した-120である。

当初、707では操舵に油圧式ではなく人力による操縦装置を採用していた[1]。既にボーイングではB-47型爆撃機において油圧式の操縦装置を採用しており[1]、技術的には後退ともみられるが、油圧式の採用は安全性を確保するために装置の二重化や三重化などが必要となる[1]ことから、旅客機という商品においては人力式のほうが保守性・信頼性とも優れており[1]、コスト的にも有利と考えられた[1]からである。しかし、実際に航空会社への引渡しが開始されると、操縦訓練での事故が多発した[2]。片側のエンジンが2つ停止した状態では、必要な操舵力を人力では賄えなかったのである[2]

また、垂直尾翼の大きさが不足気味で[2]ダッチロール(尻を振るような横揺れ現象)が発生する事象も指摘された[2]。垂直尾翼と方向舵の面積を拡大することで改善可能であった[2]が、そのようにすると人力操舵では舵効き不足がさらに顕著になる[2]

その後、これらの欠点は油圧式操縦装置の採用と垂直尾翼・方向舵の面積拡大により改良され[2]、その知識は後の-320の設計時でも活かされた。

燃費が悪く航続距離が短かったため、大西洋横断飛行を行う場合はアイルランドシャノンカナダガンダーグースベイなどに給油のため1、2回着陸せねばならず、せっかくのスピードを存分に生かすことができなかった。

変種として、当時から長距離路線を多く運航していたオーストラリアカンタス航空の要望により、航続距離延長を目的に胴体を短縮したタイプ「-138」がある。後にエンジンをJT3Dターボファンエンジンに換装された120Bも登場し、他社に転籍した後も1980年代初頭まで活躍した。

-220

-120の機体に「JT3C」型エンジンのパワーアップ版の「JT4A」型を搭載したのが-220である。燃費効率が悪く航空会社からの評判が悪かったため、わずか5機がブラニフ航空に納入されたにとどまった。

-320 "Intercontinental"

ファイル:F-BHSB B707-328 Air France LHR 24JUN66 (6052693632).jpg
エールフランスのボーイング707-320「インターコンチネンタル」

-220の胴体と翼を延長し搭載量を増した発展型で、燃料搭載量が増加し航続距離が延びたことを誇示するために「Intercontinental(インターコンチネンタル=大陸間飛行)」の愛称が付けられた。この愛称はボーイング747-8で再度使用されている。

-320B/C

-320にP&W製のターボファンエンジン「JT3D-3B」型を搭載したのが-320Bである。ターボファン化により燃費が大幅に向上し航続距離が伸びたため、東京-モスクワ間ノンストップ飛行や、偏西風などの天候条件が揃い搭載量の制限を行えば太平洋無着陸飛行も可能になった。320Bの貨客混載型(あるいは純貨物型)が-320Cである。後に、より強力なJT3D-7を搭載するタイプも登場した。

-420

-320型をベースに、イギリス製のターボファンエンジン、ロールス・ロイスコンウェイ「Mk.508」型を搭載したのが-420である。コメット4に代わる長距離用機材として開発されていたものの、開発が遅延していたイギリス製のビッカース VC-10やコメットの代替機を欲していた英国海外航空(現在のブリティッシュ・エアウェイズ)の依頼によって開発された。

英国海外航空の他にもルフトハンザヴァリグ・ブラジル航空エル・アル航空に導入されたほか、エア・インディアなどのイギリス連邦諸国の航空会社で使用された。

なお、英国海外航空では、イギリス製のロールス・ロイスエンジンであることを誇示するために、広告などにおいて、「ボーイング707」ではなく、「ロールス・ロイス707」と表記されていた。

-700

エンジンを高バイパス比、低騒音型のCFM56に換装した機体。ボーイング757との競合を避けるため試作のみに終わり実現しなかったが、このエンジン換装は同系列の軍用機であるE-3やKC-135などに採り入れられた。

一方、ライバル機であるダグラスDC-8は、1972年に生産を終了していたものの、1980年代にCFM56へのエンジン換装を正式採用しており、結果として707よりも多く民間機として現役に留まることになった。

ボーイング720

707-020とも呼ばれる。当時まだターボプロップ機やレシプロ機が主流を占めていた、アメリカ国内線やヨーロッパ域内線などの高需要路線を中心とした短・中距離路線への就航を狙って開発されたバージョンで、カンタス航空の要求で開発した707-138をもとに、-120の胴体を2.54m縮め、少なくなったペイロードと燃料搭載量に対応して軽量化したものである。主翼前縁内側の形状を変更して、空力も改善されている。1960年6月に型式証明を得て、翌7月にユナイテッド航空により初就航し、後に「JT3D」型エンジンに換装された720Bも登場した。

同様のコンセプトで開発されたコンベアのCV-880や同CV-990などと競合し、イースタン航空ウエスタン航空などに導入されたが、まもなく同規模のキャパシティを持つ727やダグラス DC-9等の、より本格的で効率の良い本格的な短・中距離向けジェット機が1960年代中盤に就航したため、154機と少数の生産で終わった。

アジアではパキスタン国際航空やサウジアラビア航空、大韓航空などが導入し、大韓航空は日本乗り入れにも使用した。またベトナム戦争に従軍するアメリカ軍将兵の輸送用にチャーターされた機材がモノクラスに換装され、アメリカ本土のトラヴィス空軍基地から横田基地へのノンストップ・シャトル便に使用された。

軍用機

ファイル:Reagans land in Moscow 1988.jpg
VC-137 "エアフォースワン"
ファイル:E-3aawa.jpg
E-3"セントリー"空中警戒機
ファイル:Dargot 28062011 707 Refueling.jpg
F-15に空中給油を行うイスラエル空軍第120飛行隊のKC-707。

アメリカ空軍の軍用機として下記のような機体が製作された。

C-137
輸送機。海外でもこの名称で使用されていることがある。
VC-137 ストラトライナー
大統領専用機。ケネディからレーガンにかけて、28年間いわゆる「エアフォースワン」として使用された。
後継機はVC-25(747-200)だが、その後も747が着陸できない地方空港への飛行時に使用されたり、副大統領や国務長官の機として使用されたこともある。C-32(757-200)の就航に伴い全機引退。
E-3 セントリー
早期警戒管制機
米軍の他にイギリス空軍などでも導入された。
E-6 マーキュリー
通信中継機。
E-8 J-STARS
地上の監視を目的とした機体。中古の707-320をノースロップ・グラマンが改造した。

他にもイスラエル空軍やイラン空軍(イラン革命前に購入)、チリ空軍ブラジル空軍など、世界中の空軍や政府で採用されており、新造機を購入した国もあれば航空会社から放出された中古機を購入した国もある。長距離輸送機としてだけでなく空中給油機やシギント機など特殊任務用に改造されたものも多い。しかし老朽化が進んでいることもあり、2000年代以降は数を減らしつつある。

イスラエル空軍は1960年代よりボーイング377型機をベースとした輸送機、電子戦機、空中給油機(KC-97)などの運用を行っており、1970年代にボーイング707型機への更新をおこなってから現在も第120飛行隊において運用を続けている。イスラエル空軍の空中給油機はKC-707と呼称され、KC-135とは異なるモデルである。

一般のマスコミなどでよく混同されるが、KC-135とC-135は707の原型機である367-80をベースにしており、胴体の直径もやや小さいなど、厳密には707とは別の機種である。

コピー機

中華人民共和国上海航空機製造会社が、中国民航(CAAC)にあった707を無断で分解調査し、デッドコピーした模造機Y-10「上海」を1970年代に製作(エンジンは707のスペアを使用)した。

2機(うち1機は構造試験機)が製造され飛行にも成功したが、これまでに先進国のコピー機しか製造したことがない技術力不足が顕わになっただけで、量産には至らなかった。

仕様

707-120B 707-320B 720
乗員 4(正操縦士、副操縦士、機関士、航法士)
全長 44.22m 46.42m 41.25m
全幅 39.90m 44.42m 39.90m
全高 11.79m 12.93m 12.65m
乗客数 110(2クラス)
189(1クラス)
147(2クラス)
189(1クラス)
149
最大離陸重量 257,000 lb (116,570 kg) 333,600 lb (151,320 kg) 222,000 lb (100,800 kg)
航続距離(最大燃料時) 8,704 km 10,650 km 7,040 km
巡行速度 1,000 km/h (マッハ0.81) 972 km/h (マッハ0.79) 1,000 km/h (マッハ0.81)
エンジン 4基の 75.6 kN (17,000 lbf) P&W JT3D-1 ターボファンエンジン 4基の 80 kN (18,000 lbf) JT3D-3又は、4基の 84.4 kN (19,000 lbf) JT3D-7 4基の 53.3 kN (12,000 lbf) P&W JT3C-7 ターボジェットエンジン

主な運航会社

主な事故や事件

エピソード

カンタス航空のボーイング707-138型(ジョン・トラボルタ所有機)
  • 航空機マニアで知られる俳優ジョン・トラボルタの所有機のうちの1つで、元カンタス航空の-138を購入した。その後このことがきっかけでトラボルタはカンタス航空の親善大使に任命され、この機材も導入当時のカンタス航空の塗装に変更された。2004年には所有するボーイング707を自ら操縦し来日、2010年1月のハイチ地震の際には、自らの操縦でハイチに救援物資を輸送した。その後2017年には同機がオーストラリア・ニューサウスウェールズ州アルビオンパークの歴史的航空機復元協会(HARS)に寄贈されることが発表され、今後オーストラリアへ移送するための修復作業が行われることとなる[3][4]

日本におけるボーイング707

日本航空は国際線用のジェット旅客機としてダグラス DC-8を選択したため、ボーイング707を導入しなかったが、日本にはパンアメリカン航空など、多くの日本国外の航空会社が日本路線にボーイング707を就航させ、1990年代まで定期就航していた。また、東京オリンピック開催時には、多くのボーイング707が特別機として乗り入れたほか、現在に至るまで多くの機材が政府専用機として乗り入れている。

なお、エールフランスが日本航空とともに東京国際空港 - オルリー空港パリ)間に共同運航便を運航していたことから、1960年代前半に、エールフランスのボーイング707に日本航空のロゴを入れ、客室乗務員を乗務させ同路線を運航していた[5]。エールフランスのF-BJCMはリース会社経由でミネベア航空が購入し貨物機としたが、DC-10への入れ替えで売却されE-8のベース機となった。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 鳥養鶴雄 『大空への挑戦 ジェット機編』p132
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 鳥養鶴雄 『大空への挑戦 ジェット機編』p133
  3. J・トラボルタさん、自身のボーイング機を豪航空博物館に寄贈 - AFPBB news(2017年5月29日)
  4. John Travolta Donates his 707 to HARS - Historical Aircraft Restoration Society(2017年5月27日)
  5. www.airliners.net

関連項目