ハーケンクロイツ

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テンプレート:ナチズム ハーケンクロイツドイツ語: Hakenkreuz)は、鉤十字ドイツ語

概要

ファイル:HinduSwastika.svg
ヒンドゥー教におけるシンボルでもある。

鉤十字まんじ英語: swastika、スヴァスティカ、スワスティカ)の図案は、古代よりヒンドゥー教仏教、また西洋でも幸運として使用されており、キリスト教では十字の図案の1種でもあり、日本では家紋を示す地図記号などで「卍」(左まんじ)が多く使われている。また逆向きの図案([1])は逆鉤十字逆まんじ右まんじとも呼ばれている。

しかし20世紀以降にドイツで民族主義運動のシンボルとされ、1920年ナチスのシンボルに、1935年にはドイツ国旗に採用した影響により、ナチズムネオナチのシンボルとも見なされる事が多い。なおナチスが使用したのは主に「」だが、欧米などでは逆向きの「卍」も同様にみなされる場合が多く、法律で使用を禁止している国もある。

ドイツ

ナチスによる採用

ナチスがこのシンボルを採用した経緯は、ドイツ考古学者ハインリヒ・シュリーマントロイ遺跡の中でを発見し、を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なしたためである[2][3]。これに基づき、アーリアン学説のいうアーリア人の象徴として採用したものである。

しかし、元々はエアハルト旅団コンスルの前身)などドイツの民族主義運動のシンボルとして、また詩的結社グループのゲオルゲ派においても使用されていた。アドルフ・ヒトラーは著書『我が闘争』の中で、支持者からの多くの提案で党旗の最終デザインを選ぶと述べた。ハーケンクロイツは歯科医フリードリヒ・クローンによって提案され、アーリア人優越論のシンボルとされた。一部オカルティストの間では、ルーン文字 S(テンプレート:Script/Runic) を重ねて作られたとする説が唱えられている。

ナチ党は赤地の上の白円の中に黒のハーケンクロイツが入ったデザインを使用した。は帝政時代の国旗に使用されていた色である。ヒトラーは、赤は社会的理念、白は国家主義的理念、ハーケンクロイツはアーリア人種の勝利のために戦う使命を表しているとした。またナチ党は円や背景のないハーケンクロイツも使用した。ナチの鉤十字には二種類が生じた。右回りのものと、その鏡像である。ナチ党は二種類を象徴的に区別しなかったが、右回りのものが一般的に使用された。鉤十字は通常45°回転して描かれた。

ナチスが党のシンボルにハーケンクロイツを採用したことによって、は幸運のシンボルからナチスの象徴とみなされるようになった。

ドイツ国旗としての使用

ヒトラー内閣が成立した後の1933年3月5日に総選挙が行われ、ナチ党が勝利した。この後、プロイセンの内相であったヘルマン・ゲーリングは、支配下の公共建造物にハーケンクロイツ旗を掲げさせた。さらに、地方政府の実権をナチス党関係者が掌握する度に、その地方の公共物にハーケンクロイツ旗が掲げられた。こうしてハーケンクロイツを事実上の国旗とする既成事実が作られた。

1933年3月12日の大統領布告で国旗の改正が決まり、黒・白・赤のドイツ帝国旗を暫定的な国旗とし、ハーケンクロイツ旗を国旗に準ずるものと定めた。1935年にはハーケンクロイツ旗が正式なドイツ国国旗となった。第二次世界大戦が勃発すると、連合国側の国々はの使用を禁じるようになった(後述)。1945年にドイツは降伏し、ナチ党は解体され消滅した。ハーケンクロイツ旗は国旗として使用されることはなくなった。

第二次世界大戦後

ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1971-041-10, Paris, der Kollaboration beschuldigte Französinnen.jpg
パリの解放時、ドイツと親しいと見なされた女性は、フランス市民により、丸刈りにされて鉤十字を書かれるなどの暴行を受けた。写真中央の女性は、額に鉤十字が書かれている。

第二次世界大戦後のドイツでは、学問的な理由を除き、ハーケンクロイツなどのナチスのシンボルを公共の場で展示・使用することは、民衆扇動罪で処罰される。ただし私有地や個人での所持、思想へ禁止はしていない。ドイツを含めて各国のネオナチの一部は、現在でも使用している。

EUにおいても、ドイツなどのようにハーケンクロイツを鎌と槌とともに公の場で使用することも禁止しようと提案がなされたことがあった(→ヴィータウタス・ランズベルギス)。しかし、西欧各国の共産党ロシア連邦の反発が強かったほか、ハーケンクロイツの禁止と鎌と槌の禁止の提案自体が盛り上がらず、結局、ハーケンクロイツの禁止提案も鎌と槌の禁止提案も実現しなかった。ドイツが主導する禁止をEU全体に拡大する動きに対し、ヒンドゥー教団体は「は伝統的に平和の象徴として使われてきた」としてこの拡大案を非難している。

ファイル:Hakenkreuz im Verbotsschild.svg
鉤十字に禁止マークを重ねた反ネオナチのマーク

2007年3月17日、ドイツの連邦議会議員クラウディア・ロート(Claudia Roth)は公的な場で反ネオ・ナチ的にハーケンクロイツを扱い、ドイツ連邦裁判所に容認されたため、以後そのような形での鉤十字の使用が容認されることになった(禁止マークを重ねる、ゴミ箱に突っ込まれているなどのイラストで)。私的な場での利用は法的には禁止されていない。

史実の描写に対する影響

ハーケンクロイツが使えないために、ドイツ軍の描写をする際に「史実を忠実に再現する」という意味では劣化させざるを得ない例が存在する。ドイツ軍兵器のプラモデルにおいてはハーケンクロイツがボックスアートでは省略されたり、田の字状になっている他、デカールの形状が2つに分けられ、接着しないとハーケンクロイツの形に見えないようにしている等の対策がされていることが多い。これは鉄道模型(メルクリンなど)でも同様である。その他、ウォー・シミュレーションゲームなどではハーケンクロイツそのものを削除してしまう(「Silent Hunter」シリーズほか)他に「二つに分割」、「十字に置き換え(「第三帝国興亡記」)」、「鉄十字に置き換え」、「オリジナルのシンボルに置き換える(近年の「Wolfenstein」シリーズ)」など規制をかわしている例も見られるが、日本で製作されたソフトの中にはハーケンクロイツがそのまま入っている作品も存在する。

20世紀のナチスドイツ以外の使用

ロシア

ロシアではネオナチ政党である国家ボリシェヴィキ党が、ナチス旗を模した赤地に白丸の中に黒色の鎌と槌を配した党旗を使用している。

満州

ロシアファシスト党がシンボルに使用した。

日本

沢田研二は自身の楽曲である『サムライ』をテレビで歌唱する際、衣装にハーケンクロイツの腕章(ナチス党員章)を使用していたが、テレビ局と事務所(当時所属だった渡辺プロダクション)にクレームが入ったため、これ以降は衣装を変更して出演している。

池沢さとしの漫画『サーキットの狼』では、主要登場人物の一人・早瀬左近の愛車であるポルシェ・911カレラRS2.7の側面にハーケンクロイツのマークが描かれている(なお、自身が率いるポルシェ専門の暴走族も「ナチス軍」という名称である)。漫画には特にクレームは無く再版本でもマークは描かれているが、後年発売されているプラモデルやミニチュアカーでは省略、或いはハーケンクロイツのみ別シールで添付することが多い。

その他

マイクロソフトの対応

マイクロソフトはハーケンクロイツとダビデの星を共に不適切な記号とし、Microsoft Office 2003に付属のフォントファイル「Bookshelf Symbol 7」からそれらの記号を削除するツールを2004年2月11日に配布した。

ハーケンクロイツに類似していることが理由で問題になった例

ファイル:Japanese Crest Maru ni Hidari Mannji.svg
徳島藩・蜂須賀家の家紋である「蜂須賀万字」
  • 世界
  • 日本 - 特に「」が混同されることや、「卍」を表示しようとして誤ってハーケンクロイツを表示してしまったことによるものが目立つ。
    • 少林寺拳法1947年の創設以来、シンボルマークや胸章にを使用してきたが、ヨーロッパでの普及にあたってハーケンクロイツとの混同を避けるため、2005年から新しいシンボルマークに変更している。
    • ポケットモンスターカードゲームのカードに卍が印刷されていたが、欧米のユダヤ人団体の抗議によりデザインが変更された。
    • また、全国各地のイベントで卍が印刷されたのぼりやポスターが外国人観光客にハーケンクロイツが印刷されていると勘違いされ問題になることが近年の外国人観光客増加により問題化している。
      • 1970年代には青森県弘前市で市章のをマンホールのふたに印字する際、間違えてハーケンクロイツを印字してしまい、しかも発注した市役所もふたが設置された道を散策する市民も全くハーケンクロイツが印字されていることに気づかず、市内を散策していたドイツ人の指摘によりふたが回収される事件が発生している。
      • 2006年には、徳島市阿波踊りがドイツで披露された際、浴衣の卍文様を自粛した(徳島藩の藩主である蜂須賀氏家紋が卍であったため、今でも阿波踊りでは卍をあしらった浴衣がよく見られる)。

脚注

  1. この文字はまんじ「卍」の異体字として作字されたもので、ハーケンクロイツとして作字されたものではないが、便宜的に使用している。『大漢和辞典』(諸橋轍次, 大修館書店)を参照。
  2. Schliemann, Heinrich (1875), Troy and its remains, London: Murray, pp. 102, 119-120 
  3. Boxer, Sarah (2000), “One of the world's great symbols strives for a comeback”, The New York Times, 2000-07-29, http://faluninfo.net/displayAnArticle.asp?ID=606 

関連項目

外部リンク


テンプレート:ナチ党