国道58号
国道58号(こくどう58ごう)は、鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市へ至る一般国道である。途中、種子島、奄美大島を経て、沖縄本島に達する。大部分を占める海上区間の延長609.5 kmは日本最長で[1]、海上区間を含む国道の路線別総延長でも、2015年4月1日現在、第1位の長さをもつ[2]。
Contents
概要
県庁所在地である鹿児島市と那覇市とを、種子島、奄美大島を中継して連絡する日本では一番長大な海上国道である[1][3]。沖縄県の一部区間、大宜味村の宮城島を通過する。航路は、鹿児島市 - 種子島間と鹿児島市 - 奄美大島 - 沖縄本島間が就航している[3]。
鹿児島市内では700 m程だが『朝日通り』の愛称がある。沖縄県では「沖縄の大動脈・国道58号」などと称されている。沖縄県内では、主に若者の間で「ゴーパチ」などと呼ばれている。また沖縄県内で唯一の片側3車線道路(明治橋 - 嘉手納交差点付近の区間)である。
九州・沖縄を通じて交通量がもっとも多い国道である。平成17年度道路交通センサスによる平日24時間交通量は、沖縄県浦添市勢理客で81,255台/日であり、九州・沖縄で第1位であった。[注釈 1]
沖縄県の嘉手納町 - 北谷町の嘉手納基地沿いは、ヤシ並木の優れた街路樹景観が評価され、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつに選定されている[4]。
毎年10月に開催される那覇まつりのメインイベントである那覇大綱挽は、那覇市久茂地交差点付近で、可動式の中央分離帯を撤去した上で行われる。
路線データ
- 起点: 鹿児島県鹿児島市(中央公民館前交点[5]、国道10号交点、国道224号終点)
- 終点: 沖縄県那覇市(明治橋、国道331号起点・国道332号終点)
- 主な経由地: 西之表市、奄美市、名護市、嘉手納町、宜野湾市、浦添市
- 総延長: 884.4 km(鹿児島県 718.7 km、沖縄県 165.8 km)未供用延長(海上区間)を含む。[2][注釈 2]
- 重用延長: なし[2][注釈 2]
- 未供用延長: 609.5 km(鹿児島県 591.0 km、沖縄県 18.5 km)[2][注釈 2]
- 実延長: 274.9 km(鹿児島県 127.7 km、沖縄県 147.3 km)[2][注釈 2]
- 指定区間: 鹿児島県鹿児島市山下町(中央公民館前交点) - 鹿児島県鹿児島市名山町(泉町交点の東)、及び沖縄県国頭郡国頭村奥 - 沖縄県那覇市奥武山町(明治橋)
- 海上区間: 鹿児島県鹿児島市名山町(泉町交点の東) - 鹿児島県西之表市西町、鹿児島県熊毛郡南種子町島間 - 鹿児島県奄美市笠利町里、及び鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋 - 沖縄県国頭郡国頭村奥
歴史
国道58号の沖縄県内部分は、米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市 - 国頭村)がその起源となる[6]。この道路は那覇軍港、普天間基地、嘉手納基地などを繋ぐ、基地の島・沖縄の大動脈であり、当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた。1952年4月1日の琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾 - 名護町名護 - 国頭村奥は政府道一号線(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、那覇市明治橋 - 読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。なおこの時期は舗装はなされていたものの、歩道などの付属設備等はそれほど進んでいなかった。読谷村 - 名護町についても、政府道にはなっていたが、管理は米軍が行っていた。1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。以下に述べるように国道58号となった後も沖縄県内では一般には時に1号線と呼ばれた。
その年の5月15日、沖縄返還と同時に「沖縄の復帰に伴う建設省関係政令の改正に関する政令」が施行され、政府道一号線を含む鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市までの区間が一般国道58号に指定された。1965年に国道の一級・二級の別がなくなり、以降新設される国道には三桁(272号以降)の路線名が与えられていた。その後に新設された一般国道58号は、特例として二桁の路線名が付与されたものである。ゆえに、一級国道であったことはない。
この後、莫大な予算が投下され、読谷村から名護市にかけての山裾、海岸沿いの連続するカーブ[7]や勾配なども多くが改められ、現在に至る。2010年現在、那覇市明治橋から旧嘉手納ロータリーの区間は片側3車線の道路となっている。
路線状況
海上区間の航路としては、鹿児島市・鹿児島港 - 種子島・西之表港間がコスモライン、鹿児島港 - 奄美大島・名瀬港 - 沖縄本島・那覇港にマルエーフェリーが就航する[3]。ただし、種子島 - 奄美大島間の航路が無いため、航路を考慮すればこの区間は断続することになる[3]。
バイパス
- 中種子道路(鹿児島県熊毛郡中種子町中野)
- おがみ山バイパス(鹿児島県奄美市名瀬永田町-鹿児島県奄美市名瀬真名津町)
- 和瀬バイパス
- 伊差川バイパス(以下すべて沖縄県)
- 名護バイパス
- 名護東道路
- 恩納バイパス
- 恩納南バイパス
- 沖縄西海岸道路
別名
重複区間
道の駅
地理
通過する自治体
接続路線
鹿児島県区間
鹿児島市内区間
- 国道10号(起点)
- 国道224号(起点 - 鹿児島港)
- 鹿児島県道25号鹿児島蒲生線(鹿児島市山下町県文化センター前交差点)
- 鹿児島県道204号鹿児島停車場線(泉町交差点)
- 鹿児島県道214号鹿児島港線(同)
種子島区間
- 鹿児島県道581号伊関国上西之表港線(西之表市西町)
- 鹿児島県道582号西之表港線(西之表市西町、東町池田三文字交差点)
- 鹿児島県道75号西之表南種子線(西之表市東町、中種子町野間、南種子町島間)
- 鹿児島県道76号野間十三番西之表線(西之表市西之表天神橋交差点)
- 鹿児島県道583号新種子島空港線(中種子町納官)
- 鹿児島県道588号野間島間港線(中種子町野間、南種子町島間港)
- 鹿児島県道586号茎永上中線(南種子町中之上)
奄美大島区間
- 鹿児島県道601号佐仁万屋赤木名線(奄美市笠利町里)
- 鹿児島県道602号佐仁赤木名線(同)
- 鹿児島県道82号竜郷奄美空港線(龍郷町赤尾木)
- 鹿児島県道81号名瀬龍郷線(龍郷町瀬留、奄美市名瀬永田町)
- 鹿児島県道611号戸口大勝線(龍郷町戸口)
- 鹿児島県道604号和光浦上線(奄美市名瀬和光町)
- 鹿児島県道79号名瀬瀬戸内線(奄美市名瀬永田町、瀬戸内町古仁屋)
- 鹿児島県道607号小湊朝戸線(奄美市名瀬朝戸)
- 鹿児島県道85号湯湾新村線(奄美市住用町役勝)
- 鹿児島県道626号蘇刈古仁屋線(瀬戸内町古仁屋)
沖縄県区間
- 沖縄県道70号国頭東線(国頭村奥)
- 沖縄県道2号線(国頭村与那)
- 国道331号(大宜味村塩屋、終点)
- 沖縄県道9号線(大宜味村津波)
- 沖縄県道14号線(名護市源河)
- 沖縄県道110号線(名護市真喜屋)
- 国道505号(名護市仲尾次)
- 沖縄県道71号名護宜野座線(名護市伊差川西交差点、城名護漁港前交差点 - 許田)
- 沖縄県道84号名護本部線(名護市宮里白銀橋交差点、東江名護消防前交差点)
- 国道449号(名護市宮里4丁目交差点(バイパス)、宮里3丁目交差点(現道))
- 沖縄県道91号本部循環線(名護市宮里3丁目交差点)
- 国道329号(名護市世富慶、那覇市旭町旭橋交差点 - 明治橋交差点)
- 沖縄自動車道許田IC(名護市許田)
- 沖縄県道104号線(恩納村安富祖)
- 沖縄県道88号屋嘉恩納線(恩納村恩納南恩納交差点)
- 沖縄県道73号石川仲泊線(恩納村仲泊)
- 沖縄県道6号線(恩納村仲泊 - 山田、読谷村伊良皆)
- 沖縄県道12号線(読谷村喜名)
- 沖縄県道16号線(読谷村大湾 - 嘉手納町嘉手納)
- 沖縄県道74号沖縄嘉手納線(嘉手納町嘉手納ロータリー・県道16号も重複)
- 沖縄県道23号沖縄北谷線(北谷町伊平国体道路入口交差点)
- 沖縄県道24号線(北谷町吉原)
- 沖縄県道130号線(北谷町北谷交差点)
- 沖縄県道81号宜野湾北中城線(宜野湾市伊佐交差点)
- 沖縄県道34号宜野湾西原線(宜野湾市大謝名交差点)
- 沖縄県道153号線(浦添市牧港交差点)
- 沖縄県道38号浦添西原線(浦添市屋富祖交差点)
- 沖縄県道82号那覇糸満線(那覇市安謝交差点)
- 那覇市道那覇中環状線(那覇市天久)
- 沖縄県道29号那覇北中城線(那覇市泊高橋交差点)
- 沖縄県道43号線(那覇市前島泊ふ頭入口交差点)
- 沖縄県道222号真地久茂地線(那覇市松山交差点)
- 沖縄県道221号那覇内環状線(同・県道222号と重複)
- 沖縄県道42号線(那覇市久茂地交差点)
- 沖縄県道47号線(那覇市泉崎交差点)
- 国道330号(那覇市旭町旭橋交差点)
- 国道390号(同)
- 国道507号(同・国道330号と重複)
- 国道332号(終点・国道331号と重複)
主な峠
国道58号にまつわるエピソード
沖縄県民の多くの人々にとって、国道58号は沖縄を象徴する最も慕われた道路として存在し、国道58号関連の土産物グッズは日本の国道の中でも特に多いといわれる[8]。
- 沖縄県出身のインディーズバンド「かりゆし58」の58は、この国道58号からとられている[9]。「かりゆし」とは縁起のいいと言う意味の方言。バンドはインディーズとしては異例の日本有線大賞新人賞を受賞している。
- 沖縄県出身のハードロックバンド紫のアルバム『PURPLESSENCE』の中に、「58」という国道58号をモチーフにした曲がある。
- 沖縄県出身のバンドであるBEGINのアルバム『ビギンの一五一会・58(ごっぱち)ドライブ』は、国道58号を指した「58」をアルバムの名前の中に盛り込んだ作品名で発表している[9]。
- 沖縄県生まれのタレント範田紗々のアルバム『We love goya』のデザインは、国道58号の標識を模す。「58」は「ゴーヤ」の語呂合わせでもある。
- 日本のほぼ全てでは脛(すね)を「弁慶の泣き所」というのに対し、沖縄地区の一部では「一号線」という。この由来は国道58号の本土復帰前のHighway No.1となっている。
- 国道58号を取り上げたドキュメンタリー番組として『鹿児島放送開局30周年記念番組 海の道が結ぶ自然遺産〜屋久島・奄美大島 奇跡の島々へ〜』(2013年1月27日、鹿児島放送制作、テレビ朝日系列)がある[10]。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 浅井建爾 2015, pp. 18–19.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 “表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況 (PDF)”. 道路統計年報2016. 国土交通省道路局. p. 5. . 2017閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 松波成行 2008, p. 87.
- ↑ 浅井建爾 『道と路がわかる辞典』 日本実業出版社、2001-11-10、初版。ISBN 4-534-03315-X。
- ↑ 国道3・10・225・226号終点より10号寄り180m程の位置にある。
- ↑ 『やんばる国道物語』 p.70
- ↑ 許田と名護の間は「名護の七曲がり」と称され、8km内に40以上のカーブが続くつづら折れの道であった。
- ↑ 佐藤健太郎 2014, pp. 232-233.
- ↑ 9.0 9.1 佐藤健太郎 2014, p. 238.
- ↑ “鹿児島放送開局30周年記念番組 海の道が結ぶ自然遺産~屋久島・奄美大島 奇跡の島々へ〜”. 鹿児島放送. . 2012閲覧.
参考文献
- 『沖縄 自動車ものがたり』(1906 - 2002) 沖縄トヨタ自動車株式会社 2002年3月 (沖縄県那覇市立図書館蔵書) p.66「1号線から国道58号へ」 主に沖縄県の本土復帰後、58号線の改善について。
- 『やんばる国道物語』 北部国道事務所 2005年3月
- 浅井建爾 『日本の道路がわかる辞典』 日本実業出版社、2015-10-10、初版。ISBN 978-4-534-05318-3。
- 佐藤健太郎 『ふしぎな国道』 講談社〈講談社現代新書〉、2014-10-20。ISBN 978-4-06-288282-8。
- 松波成行「国道58号」、『酷道をゆく』、イカロス出版、2008年3月20日、 87頁、 ISBN 978-4-86320-025-8。